第1章 購入動機
当時、18歳で免許証を取り立ての私は、アルバイトでためたお金を握りしめて、近所の修理工場に行った。
ここは、昔からの馴染みで、バイクに乗っていた頃からよくお世話になっていた。私は、バイクに乗りながらも心は「4輪」で、カタログ集めに精進していた。ほしいクルマは、たくさんあった。国産初ターボ車である430セドリックターボやレパード、910ブルなどは、憧れの的だった。また、憧れと言えば、スーパーカー。しかも、ライトウエイトスポーツにぞっこん。「サーキットの狼」の影響で、ロータスヨーロッパ、ランチャストラトスなど、実車を見たら震えが来るほどであった。
しかし憧れと現実が違うのは、誰も一緒。ということで、狙い目はパルサー、ターセルなどの中古車であった。現実は厳しい。
修理工場に、手頃な中古車を探して欲しい旨を告げて、帰宅する。その数日後、連絡が入る。「車を持ってきたから、見に来い」と。早速、はやる気持ちをおさえて、バイクで参上。
シルバーのパルサーが私を待っていた。しかし、ハッチバックではなく、トランクのパルサーではないか!。当時の2ボックスには、ハッチでなく、トランクの型も多く、これもその1台であった。妥協はしたくなかったので、丁重にお断りした。
そのさらに数日後、「今度は、ハッチが付いている」といわれ、再び出向いた。そこで出会ったのが、購入したサニーカリフォルニアである。
実は、FRサニーのカリフォルニア、しかもウッドパネル付きはちょっとした憧れだった。当時のバン主流にあって、ワゴン専用にリヤゲートを寝かせたスタイルに、カッコ良さを感じていた。実車は、それよりも新しいFF車。値段も、バイト料いっぱい。初めての買い物は、白のステーションワゴンであった。
|
第2章 カリフォルニアとともに
さて、初めて購入したマイカー、しかも当時は珍しいステーションワゴン。本人は大満足だった。
リヤシートを倒すだけで広大な荷室が生まれ、遊びの可能性まで運べる気がした。(現実には、荷室はいつもカラだった)
ラジオのみだったものに、ステレオを装着し、タイヤもワンサイズ太い70偏平にした。それだけで、乗り心地が大幅にスポーティーになった(ような気がした)。友人4人を乗せて、笹目橋を渡って初めて東京都内まで足を延ばした。スパイクを履いて、雪道をカッとんだ。
しかし、何かが違う。それは、人の目だった。
ある日、仕事の取引先にこのクルマで出掛けた。その時のこと。打ち合わせをしている私の耳に「お〜い、オモテにあるバン、貸してくれ!」
最初は、聞き流していた。しかし、もう一度「お〜い、ニッサンのバン、貸してくれ!」
その声に、オモテに出ると、私の車のそばに、荷物がたくさん置いてある。かっこいいステーションワゴンも、オジサンにかかっては荷物を積むバンにしか見えないのか! 心は落ち込んだ。そして、急速に冷めていった。
もともと、エアコンない、パワステない、パワーウインドウないといった快適装備に縁のないのに加え、異様に疲れるシート、写り込みのひどいダッシュボード(事故りそうになった)、非力さに嫌気がさした。おりしも、ファミリア、カローラUなどの2BOX全盛。
|
第3章 別れ
サニー購入後、丁度1年。私はマツダのショーウインドウにいた。狙いは決まっていた。ファミリアXGi、色はシルバー、サンルーフ付きである。
カローラUも、もちろん見に行った。しかし、この間、友人が買ったばかり。チェックシートも、女の子しているように見えた。
非力なサニーに比べ、インジェクションのファミリアは力強い。サンルーフがガラスだ。結局、カリフォルニアの荷室は、ほとんど空いたままだったので、広い荷台は不要。心は、固まっていた。
そこにきて、マツダの年配のセールスマンは、査定表に妙な文字を書き始めた。そこには、こう書かれていた。
「ニッサン サニー カリフォルニア SGL 4ALBパワーステアリング付き」
私の車には、ホンダに勤める友人からもらったエンブレムが付いていたのである。しかも、ホームセンターで買ったオーディオのレベルインジゲータを見て、「コンポ付き」と査定している。なんと、これで査定が上がったのか、サニーは1年乗っても購入時より5万円高い下取り価格となってしまった。これは、売るしかない!
|
主要諸元
全長 4255mm
全幅 1620mm
全高 1365mm
ホイールベース 2400mm
車両重量 845kg
10モード燃費 15.5km/L
エンジン形式 E15S型
OHC4気筒 1487CC
最高出力 85/5600
最大トルク 12.3/3600 |
|
|
次の愛車ファミリアのページへ |