知多四国めぐり

 

洞雲寺は知多四国第62番の札所です。

 

 

知多半島は陸続きで細長いが四国の地形に類似、白砂青松、気候温暖、古代万葉のころから訪れる人が多くありました。350以上の寺院があり信仰心の篤い所であります。知多四国88ヶ所霊場は文化6(1809)年3月17日、知多市妙楽寺13世亮山上人が弘法大師の夢告により開創を決意されたのに始まります。「この知多の地は、わが宿縁の地である。よってここに八十八か所の霊場を開き、有縁の衆生を済度するがよい。亮山を助けるため、二人の行者を遣わすから、三人が力を協せ、信心の篤いこの地の人々の援助を得て、この大業を成し遂げるように」。枕辺を見るとありがたい四国のお土砂が盛られていたといわれます。
弘法大師は弘仁5(814)年御歳41の時三河から舟路で知多半島の東岸を南下され南知多町大井の聖崎へ御上陸、同地の医王寺と山を越えた山海の岩屋寺で護摩行を修せられ、野間へ出て陸路西岸を北上されたと伝えられています。聖崎・岩屋を初め、砂聖・仏山・求聞持山・明星水・弘法井等々大師ゆかりの霊跡が多数残されています。
さて、亮山師は翌日ただちに本四国霊場に出発、徒歩で巡ること3回、その間にお告げの通り岡戸半蔵行者と武田安兵衛行者という二人の同志を得て開創の大業に着手されました。阿久比出身の半蔵行者は壮年に妻子を失い、行者になり亮山師に共鳴、私財を投げうって尽力しました。讃岐国出身の安兵衛行者は諸国巡拝の旅で知多を訪れ、地形が四国に似ていることに感激し、四国霊場のお土砂を奉持し亮山師への協力を誓いました。
三人は多くの寺院の協力と万屋喜助・古布庄屋嘉右衛門ら多数の村人の援助、地区の人々の出迎えを受け、各札所へ奉安し終えたのは文政7(1824)年3月、亮山師が夢告を受けて発願してから実に16年の歳月を要しています。古見妙楽寺に楽山、古布誓海寺に半蔵、布土葦航寺に安兵衛の開山堂を建ててその遺徳をたたえています。なお、約230年ほど前の宝暦のころまでは、弘法大師が御上陸の第一歩を印された聖跡と伝えられている南知多町大井の聖崎に僧形の大石が立ち、村人たちが礼拝を続けていたが波に削られ海中に没しました。昭和59年大師1150年御遠忌を記念して岬の小島に大師の御像が建てられています。

 

札所案内 各寺院の紹介 寺院名、宗派、御本尊、住所、電話などの一覧。
弘法大師 弘法大師のご生涯 弘法大師はどんな方?

納経帳

『納経帳』って何? 納経や朱印は本来・・・。

 

弘法大師、聖崎に上陸の図

 

知多四国八十八カ所へのアクセス


徒歩なら…6泊7日
  
■名鉄電車…名鉄本線前後駅下車、1番から。
■JR………大高駅下車、87番から。

 
 
バス・マイカーなら…2泊3日
 
■愛知、岐阜のバス会社はほとんど巡拝バスを出しています。

※ なお、春・秋のシーズンには名鉄知多半田駅前から
お一人でも乗れる予約制の巡拝バスが運転されます。
詳しくは知多バス(0569−21−5230)へお尋ねください。

 
 
タクシーなら…1泊2日
 
■慣れた運転手が親切に案内してくれます


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