弘法大師のご生涯

 


当山観音堂安置の大師

宝亀5年〔774〕、 讃岐の国〔現在の四国香川県善通寺市〕で誕生され、幼名を"真魚(まお)"と呼ばれました。 18才で最高学府の「大学」に入学し、さらに仏教の勉強に専念しました。

 そして一人の沙門(しゃもん)から「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」を授かり、剃髪得度(ていはつとくど)の式をあげ、東大寺戒壇院で具足戒(ぐそくかい)を受け、"空海"と名乗ったと伝えられています。

 多くの経典を学んだ空海は、大和久米寺で密教の大事が書かれている 「大日経」に出会い、むさぼるように学び、さらに師を求めて最も仏教の盛んな唐(現在の中国)へ留学する決心をしました。

 延暦23年〔804〕7月、唐に渡り勉学修行して、密教の全てを学び、翌年6月より長安・青竜寺の恵果和尚(けいかかしょう)から、両部の灌頂(かんじょう)を授かり、正当な後継者となりました。

 密教の伝授を受ける一方、文章、書道、絵画、彫刻、建築、音楽など多くの知識と技術を身につけ、 大同2年〔806〕帰国しました 。

 その後、日本での布教の地を求め、まず高雄山寺(京都)に入りました。そして高野山を修行の根本道場として開き、 のちに東寺を賜って真言宗の教え、真言密教を広めていきました。

 またお大師さまは、四国満濃池の改修工事や、日本初の庶民の教育機関「綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)」を開くなど、人々の幸せを願って活動しました。

 すべての人々を仏国土(ぶっこくど)より見守り、再び弥勒菩薩(みろくぼさつ)と共にこの世に戻ると誓って、高野山奥の院に入り、 承和2年〔835〕3月21日、ご入定されました。時に62才でした。そして今も私たちを守って下さっています。

 ご入定から87年後、延喜21年〔921〕醍醐天皇より、「弘法大師」の諡号(しごう)を賜り、以来多くの「大師号(だいしごう)」を持つ高僧の中で、単に「お大師さま」と言えば「弘法大師」を指すようになりました。

*大師号は朝廷から賜る諡号で866年に最澄に伝教大師、円仁に慈覚大師を賜ったのを初めとして、多くの大師号がおくられています。


年 譜

和暦 西暦 日付 年齢 事柄
延暦11年 792年 18歳 京の大学寮に入り、明経道を専攻する。
延暦17年 798年 24歳 聾瞽指帰を著した。
延暦23年 804年 31歳 東大寺戒壇院で得度受戒した。
延暦23年 804年 12月23日 31歳 第16次遣唐使留学僧として長安に入った。
延暦24年 805年 5月 32歳 密教の第七祖・青龍寺の恵果和尚に師事。
延暦24年 805年 8月10日 32歳 伝法阿闍梨位の灌頂を受け、遍照金剛の灌頂名を与えられた。
大同元年 806年 10月 33歳 20年間の予定を2年間で帰国したため、帰京の許可を得るまで太宰府に滞在することになった。
弘仁7年 816年 7月8日 43歳 朝廷より高野山を賜る。
弘仁12年 821年 48歳 満濃池の改修を指揮した。
弘仁13年 822年 49歳 太政官符により東大寺に灌頂道場真言院を建立した。また、平城上皇に潅頂を授けた。
弘仁14年 823年 正月 50歳 太政官符により東寺を賜り、真言密教の道場にした。
天長5年 828年 12月15日 55歳 京に私立の教育施設「綜芸種智院」を開設した。
天長9年 832年 8月22日 59歳 高野山において最初の万燈万華会が修された。
承和2年 835年 3月21日 62歳 高野山奥の院にてご入定した。
延喜21年 921年 10月27日 東寺長者観賢の奏上により、醍醐天皇から「弘法大師」の諡号が贈られた。


 

 


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