世界遺産・「知床」T
詳細目次 目 次 (こちらは「ブログ」へリンク)

 1頁目
知床(1) 「はじめに」
知床(2) 「流氷について」
知床(3) 「世界遺産について」

 2頁目
知床(4) 知床の玄関「斜里」
知床(5) 「ウトロ温泉」
知床(6) 「知床五胡」

 3頁目
知床(7) 「五湖とヒグマ」
知床(8) 「知床五湖」(3)
知床(9) 「カムイワッカの湯」

 4頁目
知床(10) 「カムイワッカの湯」(2)
知床(11) 「カムイワッカの湯」(3)
知床(12) 「カムイワッカの湯」(4)

 5頁目

知床(13) 横断道路「知床峠」
知床(14) 「知床八景」
知床(15) 羅臼「露天・熊の湯」

 6頁目
知床(16) 羅臼「知床旅情」
知床(17) 羅臼「羅臼八景」


知床(1) 「はじめに」
知床(2) 「流氷について」
知床(3) 「世界遺産について」

知床(4) 知床の玄関「斜里」
知床(5) 「ウトロ温泉」
知床(6) 「知床五胡」

知床(7) 「五湖とヒグマ」
知床(8) 「知床五湖」(3)
知床(9) 「カムイワッカの湯」

知床(10) 「カムイワッカの湯」(2)
知床(11) 「カムイワッカの湯」(3)
知床(12) 「カムイワッカの湯」(4)

知床(13) 横断道路「知床峠」
知床(14) 「知床八景」
知床(15) 羅臼「露天・熊の湯」

知床(16) 羅臼「知床旅情」
知床(17) 羅臼「羅臼八景」


知床:part1(はじめに、流氷、世界遺産)     part2(斜里、ウトロ、知床五湖)     
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世界遺産・知床(1) 「はじめに」


知床半島全景(資料)


知床はアイヌ語で「シリ・エトク」(大地の行きづまり、地の涯)を意味する・・、


北海道・知床が「世界遺産」に選定される以前に、何度か「知床」へは訪れている。
2003年9月北海道の道東旅行で、ウトロから知床観光船に乗って「知床半島」の東面の一部を観光した。

大勢の観光客を乗せて港を出た観光船「おーろら」は、サケ・マスなどの定置網を避けながら沿岸を行く。 
まもなく、幌別の海岸に断崖を背にへばりつくようにポツンと取り残されたように漁業用の番屋が見えた。
ブユニ岬を過ぎると、いよいよ200メートル近い断崖絶壁、奇妙な形の海食洞などが続くようになる。 
地表に湧き出た地下水があちこちで滝となって流れ落ちている。 
観光遊覧は、西海岸の一部にすぎなかったが、半島の峻険な地形を認識できたように思う。
知床半島の海岸線は、切り立った断崖が続いている。  
そのため、今でも人々を寄せ付けない、大自然や野生生物のみが生息する世界である。


知床はアイヌ語で「シリ・エトク」(大地の行きづまり、地の涯)を意味し、言葉を和名に当てはめた地名である。 
江戸時代には東と西の蝦夷地の境界とされるなど、名実ともに北海道最果ての地であった。このオホーツク海に突き出た長さ70km、幅20〜40kmの細長い半島は、遠隔地で地形が険しく開発が進まなかったことから、国内で最も原生的な自然が保全された場所である。
この人跡を阻む海岸線は、長い時間をかけて波や「流氷」に削られ誕生したとも云われる。

冬、知床の海を覆いつくす流氷は、一緒に運ばれてくる栄養分であるプランクトンを養い、知床の海を豊かにする。
その豊かさは、アザラシなどの海獣類、海鳥やオオワシなど鳥類、海に生きる命がつながる糧となる。 回遊して海の豊かさを体一杯に蓄えたサケの仲間は、ふるさとの川に遡上し、そこで山の生き物の餌となり、死体は土に返り知床の森を豊かにする。
生きるものと死んで行くもの、海と山の栄養の循環である命の輪が、知床の価値を高めているのである。
それは知床半島の独特の地形にもあった。
知床半島は長さで約70キロ海に突き出し、幅は基部で40キロあり、中央部には1500メートル級の山々が屏風のように連なっていて、豊かな森林を造り出している。そこの中央帯には硫黄山のような活火山も在り、海岸線には「カムイワッカの川」などの温泉も噴出している。


知床の東海岸にしても西海岸に比べ、まだまだ厳しい自然のままの素朴な知床をかいま見る事が出来る。 
羅臼から道道87号(知床公園羅臼線)が細々と延びているが、そのどんづまりが「昆布沢」辺りで、この先は道も人家もなく、有るのは断崖と漁師の番屋だけである。タラ、レバで申し訳ないが、


「知床半島」が、もし海岸線に砂浜もある平坦な地域が含まれているならば、人々が容易に近づくことができ平凡な半島になっていたのかも知れない。 
海岸を掘れば浅い所で温泉が湧きだし、奥に入れば珍しい自然が広がり、近海は豊かな漁場が広がっている。人々はこの地に生活環境を整い、温泉地を造りあげて観光客を招き寄せ、次第に自然を侵食するようになるのは必定であろう。

「シリ・エトク」で大自然が残され、流氷によって生物、動物の自然循環が生かされている「知床半島」は「世界自然遺産」に登録された。

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世界遺産・知床(2) 「流氷について」


アムール川より流れ出る流氷群の流れ(資料)


最近は紋別や網走の流氷観光船が有名なため、流氷=紋別、網走と思っておられるが、以前は流氷と言えば「知床」だった。
びっしりと流氷が来ると、船は出られなくなる。
逆に、船が出られるということはそれだけ流氷の密度が少ないということである。 

知床・ウトロでは、流氷のシーズンになると船はすべて陸に揚げられ、出航はおろか、港に留めておくと船が流氷の圧力で潰されてしまうという。このことからも、流氷が相当の圧力で知床半島の陸地を押し付けているかが察せられる。 知床半島の海岸の断崖絶壁は、地球的年齢の流氷による侵食作用によって生成されたものといわれる・・。


ところで、その「流氷」について・・、


流氷が見られるのは日本では北海道のオホーツク海岸だけであり、時期ともなると北の方から次第に流氷が押し寄せてくるのである。 
樺太最北部、間宮海峡のアムール川(黒竜江)河口付近で流出してきた汽水域が氷結し、寒気とともに海流、風向によってやって来る。 
北海道沿岸への流氷が襲来するのは、ほぼ一月の中旬ころであると言われ、そしてオホーツク海海域に現れるのもこの時期である。 
2月の初めには流氷は千島列島の南端(北方四島)に達して、その一部は太平洋に流出を始める。 3月の初めか中旬には、流氷域が最大となって、オホーツク海の80%を覆ってしまうこともある。4月中旬には流氷は、オホーツク沿岸から去っていき、5月下旬にはオホーツク海から完全に氷がなくなる。


少し大業な数字を並べると・・、

氷の厚さは、計算上、北海道沿岸では40〜50cm、オホーツク海では70〜80cmという。 
因みに、オホーツク海の面積は153×10の4乗平方キロメートルと計算され、80%が厚さ 70〜80cmの海水に覆われるとなると、その量は、9×10の11乗立方メートルもの大量になるという。 
毎冬これだけの氷を融かすのに必要な熱量は、極端な話、日本の原油輸入量の25年分にも相当するといわれる。
ところで、流氷の状況の変化は早い・・、特に春の解氷期に著しいという。1日のうちに見渡す限りの流氷原が流れ去ってしまったり、逆に青海原が一日のうちに流氷で覆い隠されてしまうことは珍しくない。 流氷の動きは速くても一時間に1kmか2kmくらいである。(風速の 2〜3%で動くと言われている)。
流氷は近海漁業者にとっては厄介者であるともいわれるが・・?、 
漁業は出来なくなるし、流氷から吹き付ける寒風は身を切り裂く、又、防波堤など護岸設備をも破壊する。 しかし流氷は漁民にとって貴重な「食」をもたらしてくれる大切な存在でもある。 

流氷は植物プランクトンを大量に運んできて、春先、太陽光に当たるとこれが爆発的に増える。
これによって、海底のエビやカニ、ホタテなどを栄養にして育つ。 
又、これを餌に動物性プランクトン(北海で人気のクリオネはこの一種)も増え、この動物プランクトンを餌に北方の魚が集まり、オホーツク海は豊かな漁場となるのである。  
毎年、冬になると北海道の沿岸に押し寄せるオホーツクの流氷は、北の自然の厳しさと、その営みの壮大さを堪能させてくれると同時に、豊富な食を運んできて呉れる。流氷の去った後は、壮大な漁場を約束してくれるのである。


この流氷も近年、温暖化の影響を受けているといわれるという・・、
 

オホーツク海では、年々、流氷の到着が遅くなっていて、しかも、その広がりの範囲は減少しているという。
ある機関の研究によると、50年後には流氷はすべて消えてしまうという予測もあるとか・・?。影響で魚介類の漁獲高も激減し、漁業は大打撃をこうむるとも推測されているが。 

知床半島の海岸の断崖絶壁は、流氷による侵食作用によって生成されたものといわれる。
因みに、「日本の地質百選」というのがあり、知床半島もその一つに選ばれているらしい。
その要旨として・・、

「知床半島」は千島列島から続く火山列の一つで、ドーム型の羅臼岳や硫黄を流出する硫黄山などは活火山であり、温泉も豊富である。  
もう一つに、流氷による侵食で大崩れの海岸の断崖絶壁が形成され、枕状の溶岩質地盤も観察されている。この高アルカリ玄武岩質の岩壁は、現在も崩壊を繰り返している・・、としている。


「日本の地質百選」とは・・、


美しい日本の国土、火山の恵み・温泉、美しい景観の観光地、これらを形作っているのは日本列島の特殊な地質があってこそといわれ、或いは地震や地すべりなどの現象もまた地質の特異性の結果であると。 
日本の地質現象は多岐に渡っており、世界の地質学者もその素晴らしさに注目しているという。そこで日本全体から,地質現象のよくわかるところを百箇所選び出し、そのユニークさを顕彰し、広く知ってもらうために選出したものとである。

平成19年3月、「日本の地質百選」選定委員会は、約1年間にわたり検討を進めてきた「日本の地質百選」の第1期選定として全国83箇所を選定した。
其の中に「知床半島」も選ばれている。 

北海道からは他に有珠山・昭和新山や夕張の石炭大露頭など7カ所選ばれている。

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世界遺産・知床(3) 「世界遺産について」


世界遺産「知床」MAP(資料)


知床の「世界遺産」について・・、


「世界遺産」というのは、各々「文化遺産」「自然遺産」「複合遺産」と三種に分類されている。
「文化遺産」は優れた普遍的価値をもつ建造物や遺跡など、 「自然遺産は」は優れた価値をもつ地形や生物、景観を有する地域、 「複合遺産」は文化と自然の両方の要素を兼ね備えているもの・・、と国連(ユネスコ)では定義している。


日本では自然遺産として、平成5年(1993年)屋久島と白神山地が共に登録されている。現在この「知床」を世界自然遺産としの登録を申請し、まもなく認可されようとしている。

「知床を世界自然遺産に・・」、希少生物の宝庫であり原生的な植生など、太古の姿をいまだ残す「知床」が、2004年1月に「世界自然遺産」として、地元の要望から政府を通じ正式に推薦され、その年、7月21日から7月25日にかけて、世界遺産委員会の諮問機関である国際自然保護連合(IUCN)デビッド・シェパード保護地域事業部長による現地調査が行われた。
そして、平成17年7月17日、南アフリカのダーバンで開催されていた第29回世界遺産委員会において日本政府が推薦した知床の「世界自然遺産」への登録が決定された。
登録に当たっては、流氷が育む豊かな海洋生態系と原始性の高い陸息生態系の相互関係に特徴があること、シマフクロウ、シレトコスミレ等の世界的な希少種やサケ科魚類、海棲哺乳類等の重要な生息地を有すること等が評価された。


遺産領域としては、斜里町及び羅臼町の知床半島の一部で、知床連山の遠音別岳周辺山域から北方「知床岳」までの山岳地帯を核心部として、これらを取り巻く、ほぼ半島全域と周辺海域の陸地から3kmの海域を緩衝地帯として決められた、面積は概ね71,000haである。(1ha=100u)
自然環境の主な特徴として、知床は世界で最も低緯度の季節海氷域であり、海氷に特徴づけられる海洋生態系と陸上生態系が連続することによって複合生態系を形成しており、海洋生態系と陸上生態系の相互関係を示している。

海岸から約1,600m(羅臼岳)の山頂部までの間には、人手の入っていない多様な植生が連続して存在しており、豊富な餌資源と多様な環境を背景として、ヒグマは世界的にも高密度で生息している。
知床は、北方系と南方系の両系の種が混在するなど、地理的位置と多様な自然環境を背景として特異な種の構成、分布がみられるほか、シマフクロウ、オオワシ、オジロワシなどの国際的希少種の重要な繁殖地や越冬地となっており、これらの種の存続に不可欠な地域となっている。

尚、海域が世界遺産に選定されたのは日本では初めてである・・。


当時の北海道知事の話として・・、


「北海道が誇る知床が人類共有の遺産として評価され、世界自然遺産に登録されたことに言葉に表せない幸福を感じている。
これは、知床の海域から陸域に至る比類なき生態系や各種の希少生物にとっての貴重な生息地が、世界に認められた証しであり、地元の人たちの世界自然遺産への熱い思いや国をはじめとする関係機関や団体等の熱心な努力のたまものだ。

今後とも、先人が愛した豊かな自然環境を持つ知床の保全に努め、これからの世代に引き継いでいくとともに、管理に全力を傾けていく」と談話をだしている。


【国内の世界遺産と登録年】


登録年   世界遺産   所在
 ≪文化遺産≫
93年   法隆寺地域の仏教建造物  奈良
93年   姫路城  兵庫
94年   古都京都の文化財  京都、滋賀
95年   白川郷・五箇山の合掌造り集落  岐阜、富山
96年   原爆ドーム  広島
96年   厳島神社  広島
98年   古都奈良の文化財 奈良
99年   日光の社寺  栃木
00年   琉球王国のグスクおよび関連遺産群  沖縄
04年   紀伊山地の霊場と参詣道  和歌山、奈良、三重
07年   石見銀山遺跡  島根

 ≪自然遺産≫
93年   屋久島  鹿児島
93年   白神山地  青森、秋田
05年   知床  北海道



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白馬連峰登頂記(2004・8月)
八ヶ岳(1966年)
南ア・北岳(1969年)
北ア・槍−穂高(1968年)
谷川岳(1967年)
丹沢山(1969年)
西丹沢・大室山(1969年)
八ヶ岳越年登山(1969年)
西丹沢・檜洞丸(1970年)
丹沢、山迷記(1970年)
上高地・明神(2008年)

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