写真で巡る日本一周(西日本編T 第1日目〜第6日目)
(四行一口メモは本文より抜粋)

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【第1日目】  横須賀(東海道)⇒浦賀⇒(鎌倉〜小田原:別項)⇒熱海⇒伊東⇒熱川⇒下田⇒石廊崎⇒松崎大沢温泉

横須賀港 日本海海戦の大勝利と講和発行の日露戦争終結から今年は100周年に当たる。日本海軍の旗艦であった「三笠」の等身大のレプリカが横須賀港の三笠公園に停泊している 浦賀 「太平の 眠りを覚ます 蒸気船 たった4杯で 夜も眠れず」  嘉永6年6月9日(1853年)、アメリカ合衆国東インド艦隊司令官ペリー提督が 日本上陸の第一歩をしるしたのがこの記念館公園である。 熱海の海岸 と言えば海岸にある”お宮の松”と“寛一・お宮”の像であろう、尾崎紅葉の「金色夜叉」から模じったもの・・、その前に砂浜のサンビーチが広がっているが、これは人工的に形成されたものという・・。
下田 2度目のペリー来航、外洋と接し安全かつ容易に出入りが出来る下田湾を、「天然にしてこれほどの良港は望めない」と絶賛した。遂に艦隊を集結させたペリーは乗組員と共に、この地に上陸する・・。 了仙寺 海岸から300m、通称「ペリーロード」と呼んでいる、その先に寺は在った。紫色の花木鉢が並んでいる。「アメリカジャスミンでこの寺の名所名物だよ・・中庭は今が盛りだよ・・、」と木戸係 日米和親条約締結地 松崎 道の駅「花の三聖苑」がある。三聖とは、幕末の漢学者土屋三余、明治期の実業家依田佐二平、弟で北海道・十勝平野の開拓者である依田勉三をいう。公園入口に直径11mの花時計があり、時報ごとに曲が流れる


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【神奈川・鎌倉編】   鎌倉の古(いにしえ)の史跡、寺院、神社を訪ねると、往時の鎌倉の様子が浮かび上がり、時代背景が甦ってくる
八幡宮と大銀杏 源頼朝が開いた鎌倉の鎮護神として京・石清水八幡宮より勧進の「鶴ヶ岡八幡宮」、この八幡宮は本社・宇佐神宮の孫にあたる・・。左の銀杏の木で三代実朝暗殺、源氏血統は絶やしたのである。 安養院 北条政子の法名、政子ゆかりの観音寺院 「汝らは、昔のみじめさや、辛さを忘れたか、そこからなんじらを救い出した幕府の恩をわすれたか・・。」頼朝の妻、明晰な女、政略の女、尼将軍といわれた。 満腹寺 「源義経おそれながらもうしあげます・・・」名な義経が兄頼朝への嘆涙の「腰越状」を弁慶と共に書いた寺。読むに当たって頼朝は情に流されず、確乎たる信念のもとに冷徹な「断」を下したのであった・・
高徳院大仏 鎌倉の大仏・阿弥陀如来坐像、凡そ700年前の鎌倉期に建造された青銅の大仏。世情は大飢饉など、飢えや苦しみの惨状の中、時の権力者の援護を得て、大衆・庶民の要求に答えて創建したもの。 建長寺 鎌倉五山の第一位が建長寺、第二位が円覚寺、第三位が寿福寺、第四位が浄智寺、第五位が浄妙寺である。時の権力、政治と強く密接、僧たちも政治に活躍の場を広げ、その影響を強めていった。 明月院とアジサイ 別名、「あじさい寺」 「花の寺」として有名。本堂の名前も「紫陽殿 (しようでん)」(あじさい殿)と称している・・。地域一帯を「山ノ内」という地名になっていて、戦国初期、関東管領「山ノ内上杉家」の所領。 


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【神奈川・湘南編】  江ノ島⇒茅ヶ崎⇒平塚⇒大磯⇒二宮⇒小田原
 
江ノ島 島は近年、関東大震災で島全体が隆起して以降は常に陸地と地続きとなったが高潮や台風のときは潮で洗われる。今は歩行者用の「江ノ島弁天橋」と自動車用の「江ノ島大橋」と二本並行して架かる・・。 江ノ島神社(中津宮) 江ノ島弁財天は日本三大弁才天と称され滋賀県宝厳寺(竹生島)、広島県厳島神社とも穏やかな海や湖に面す。現在は岩屋本宮(奥津宮)・上之宮(中津宮)・下之宮(辺津宮)の三宮がある 寒川神社 相州・一の宮とされ、相模国を中心に広く関東地方にまで知られ関八州総鎮護の神として古くからの信仰が厚い。祭神は寒川比古命、寒川比女命と兄妹神で、いずれも「水の縁」のある神様である。
湘南平 平塚湘南海岸の標高僅か180m程度の山であるが、海岸に接して高度感がある。山頂には東京タワーをミニ化したようなテレビアンテナ塔が立ち、湘南周辺の家庭のテレビ電波の中継基地である。 
川勾神社(二宮) 町の中ほど境内の奥まった階段上の高台に立派な社殿がある。相州では一の宮は「寒川神社」(寒川町宮山)、三の宮は「比々多神社」(伊勢原市三ノ宮)、四の宮は「前鳥神社」(平塚市四之宮) 小田原城 北条氏政、氏直父子の時代まで戦国大名・後北条氏の五代95年にわたる居城として、南関東の政治的中心地となった。豊臣秀吉によって滅亡した後は北条氏の領土は徳川家康に与えられた
2日  松崎⇒土肥⇒戸田⇒大瀬崎⇒伊豆長岡⇒原⇒三保の松原⇒久能山⇒焼津⇒御前崎⇒浜岡⇒浜松⇒伊良湖⇒田原

土肥・恋人岬 西伊豆の展望抜群地、手形のモニュメントの横に駅風の案内板があ途中に愛の鐘がある。若いカップルが、おて手つないで思いに耽り、ゆっくり散策しながら、愛の鐘を鳴らして下さい・・!! 戸田岬 江戸末期、この戸田の港にロシア人が大挙して訪れ、この港でこれらのロシア人を帰国させる為に、日本で初めての洋式船「戸田号」が完成し、無事ロシア人を祖国へ送り届けた・・、ロシア人47人の命を救った。 原の松蔭寺 「駿河には 過ぎたるものが 二つあり、富士のお山に原の白隠」 白隠は駿河・原に生まれた江戸中期の名僧、臨済宗十四派(京及び鎌倉の大本山寺院)は全て白隠を中興としている
三保の松原 羽衣伝説の地、美穂神社は大国主命が姫と新婚旅行に来た景勝の地で三保の浦に降臨し三保の森に鎮座されたのが起こりという。一般民衆より三保大明神として親しまれる。 御前崎灯台 日本は島国で四方が海に囲まれ、従って海の航路の安全を守るために灯台は欠かせない・・。陸地の端にポツンと立って一晩中クルクルと海を照らす灯台という存在に、殆どの人は意識してないが・・ 伊良湖灯台 伊良湖の海峡は伊勢湾、三河湾の広大な海域で激しい潮が流れる、日本三大潮流 昔は「安房の鳴門か音頭の瀬戸か伊良湖度合いが恐ろしや」と船頭衆の歌にも唄われている。

【第3日目】   豊橋⇒蒲郡⇒吉良⇒南知多⇒名古屋⇒亀山(近畿道)⇒津⇒伊勢⇒鳥羽
知多羽豆岬 南知多の先端の港、師崎港は左手。羽豆岬周辺の海岸線は古代より政治的・軍略的・経済的に海運交通を統制・監視する上において地理的に重要な位置を占めていた。 羽豆神社が岬の高台にあった。 中部空港 中部国際空港の開港は2005年、名古屋における日本国際博覧会と並ぶ名古屋圏2大事業として話題を集めた。空港以外の機能も充実していて、空港の立地形態は大阪湾に浮かぶ「関西国際空港」と類似している・・。 名古屋城 名古屋城は大阪城、熊本城と並ぶ日本三大名城、伊勢音頭にも「伊勢は津(港)で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ」と歌われた。戦国期、駿河の今川氏親が尾張進出のために築いたのが最初
伊勢神宮(遷宮敷地) 伊勢神宮では20年ごとに内宮・外宮の御正殿を始め、全ての建物・鳥居・宇治橋を建て替え、御神宝(調度品の品々)も造り替える。そして、ご神体を新神殿に遷ることである・・。 二見夫婦岩 荒波に揉まれて泰然として昔の姿で在る。程よい距離間で大小の岩に七五三縄(シメナワ:注連縄・シメは占めるの意)が掛かる。夫岩の頂きに鳥居は猿田彦大神を祀る「二見興玉神社」 鳥羽港 穏やかな内海を成し深い入り江と優美な景観を見せてる。昔から真珠の養殖が盛んで、入江に「真珠島」が浮かぶ、御木本幸吉は20代の頃、英虞湾で真珠母貝(アコヤ貝)の養殖を始める

【第4日目】  浜島温泉⇒紀伊長島⇒熊野⇒御浜⇒新宮⇒那智勝浦⇒串本⇒白浜温泉(南紀編は次項)
紀勢・神武台  錦浦の鄙びた漁港、ここから明るい峠に「神武台展望所」の真新しい看板があった。「神武天皇上陸記念地」としてある。錦地区は神話の時代、神武天皇が東征の際に上陸した地点であるという・・。 鬼ヶ城 鬼は修験道に通じるそうで深山幽谷、波濤打砕の地は・・妙に納得。鬼ケ城は、紀勢リアス式海岸の南端、熊野の山塊が熊野灘に突き出た絶壁が、永久の時の波蝕作用で出来上がった洞窟である 熊野新宮大社 熊野三山の一宮 速玉大社とも言い、もともとは近くの神倉山に祀られていた。神倉山の古宮に対しここを新宮と呼ぶ。熊野三神が熊野において最初に降臨した聖地が神倉山とされる・・
玉の浦 那智勝浦の下里から神浦に到る海道は深い入り江を成した静かな海域である。古来、この地は熊野海道・大辺路の中でも風光明媚な地として知られ、万葉歌人らも多くの詩・和歌を残している・・。
串本橋杭岩 対岸の大島に向かってあたかも橋脚を並べたようにそそり立つ岩列、橋を造る時の杭のようにみえるので橋杭岩と呼ばれてい。弘法大師と天の邪鬼(あまのじゃく)の説話が面白い・・。  白浜白良浜 弓なりの美景な浜、南紀白浜町とはこの浜の様子から命名した・・真っ白な砂浜と、青く澄んだ海、その美しさと華やかさは、沖縄かハワイの南国リゾート地にいるかのような感覚、錯覚させられる。


【南紀エリアT】  南紀白浜 串本・潮岬 那智勝浦 熊野古道 那智大社 那智の滝 紀の松島 太地 那智勝浦
円月島 南紀白浜のシンボル、正式には「高島」といい、臨海浦の南海上に浮かぶ南北130m、東西35m、高さ25mの小島であるが、島の中央に円月形の海蝕洞がぽっかり開いていることから「円月島」と呼ばれる。

大門坂 熊野那智大社への参道で熊野古道・「中辺路」の一部である。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の登録物件であり、克って坂の入り口に大門があり通行税を徴収していたことが名称の由来とされる。

那智大社 大門坂の頂上には鳥居が屹立し、煌びやかな朱色の社殿、拝殿、本殿、八社殿と並ぶ。 先ずは拝殿に額ずいて拝礼を致す・・、特別な祈願はないが、先ずは道中安全と家族の平穏を祈る・・。

  
三重塔と那智の滝 青岸渡寺の塔が艶やかなうえ、右手山腹に、かの名瀑布、日本一の那智の滝が望観できる。この配置・フレームは一服の絵であり、多くの観光用パンフレットでお馴染みである。 紀の松島 越の湯の「らくだ島」、確かに背中にコブが有って似たはいる・。 その向うに露天風呂が有るようで水着を着けた男女数人が入浴を楽しんでいる・・。浴場は渡し船でなければ行けない場所である・・。

H・浦島忘帰洞 熊野灘に向って大きく口を開いた景観で、本日は波浪も高く、ゴウゴウと波浪音が聞こえてきて、時折、波頭が岩場に当たって飛沫となり湯船の中まで飛び込んでくる、イヤー、実に爽快爽快・・!。 



【南紀エリアU】  瀞峡 本宮大社 熊野古道「中辺路」 湯峰温泉 清姫塚 御坊道成寺 紀三井寺 和歌山

熊野川・瀞峡 瀞というのは河水が深くて流れがユッタリと静かなところで、大抵の場合急峻な岩場が競り合っている所で、流水が深く淀み、それらの岩塊や断崖が多くの表情を表し、自然の造形美を造っている。

湯の峰温泉 日本最古の湯、その開湯は古く奈良期以前の古墳時代とも言われる。熊野御幸の時代には、皇族や貴紳が参詣の傍ら、この地を休養として訪れているし、一遍上人もこの地で修行したと。

本宮の旧社地「大斎原」 元の社殿は熊野川とその支流の音無川と岩田川が合流する“中州”にあったとされる。明治22年(1889)の大洪水で倒壊したため、神像とともにこの地に移され、現在に至っているとのこ
中辺路・牛馬童子像 道の駅のR311号から上りきった所に石造が祀ってあって、50〜60cmの極小さなもの。一説には花山法皇の像・・?とも言われるが・・、やんごとなき宮家の童子であったとも・・。

道成寺 寺には三つの伝説があるという・・。一つは有名な安珍清姫の物語、二つは髪長姫(宮子姫)の物語で、これは寺の創建に関する物語でもある。三つめは鐘の再興・供養の「鐘供養」の物語である。

紀三井寺 名称は「紀州にある三つの井戸のある寺」に由来しているといい清浄水、楊柳水、吉祥水とがある。「三井水」は昭和60年に日本名水百選の一つに選定。開基は奈良時代の1230年前も昔のこと・・。


第5日目】   田辺⇒南部⇒和歌山⇒大阪市内⇒尼崎⇒宝塚⇒有馬⇒淡路
和歌山城 天正13年(1585)に紀州を平定した豊臣秀吉の豊臣秀長が築城、家康十男・「徳川 頼宣」が紀州・和歌山55万5千石に転封され、紀州徳川家の家祖となり、徳川御三家が成立する。 大阪四天王寺 仏教伝来は538年、百済(当時、古代の朝鮮半島の国名)から伝来。聖徳太子が出現するに及んで、仏教を世に知らしめ、布教するために、四天王寺の先ず金堂を建立した 大阪城 築城者は「太閤はん」、名古屋城、熊本城と共に日本三大名城の一つ。大阪城の石垣用巨大石材は約百万個、採石場所は加茂(京都府)、六甲や小豆島(香川県)など瀬戸内一円から切り出された。
尼崎列車事故現場 2005年4月25日午前9時18分頃、JR西日本福知山線(JR宝塚線)塚口〜尼崎駅間で発生、107名の死者を出した列車脱線転覆事故である。事故の犠牲者は、運転士を含む死者107名、負傷者は555名・・合掌。 有馬温泉・銀の湯 有馬温泉の由来は神代に遡り、三古泉・三名泉の一つである。太閤はんが愛した温泉地としても有名で、近年秀吉の湯殿跡も発見された。金の湯、銀の湯の立ち寄りの湯が在る 明石海峡大橋 本州淡路四国の連絡橋 今朝は霞の中にボンヤリと見えているが、昨夜は眩いばかりの光の中での明石海峡大橋であった。本州側・明石は日本の時間の標準地である。(子午線・東経135度) 

【第6日目】  東浦⇒洲本市⇒福良(四国道)⇒鳴門⇒徳島⇒日和佐⇒海南市⇒宍喰温泉⇒室戸⇒田野⇒南国市

大鳴門橋  本州四国連絡橋の淡路〜鳴門ルートに属し、渦潮で有名な鳴門海峡を結ぶ。昭和51年7月に着工、工事費約1千億円で建設でされた。1985年6月に開通して、本年で20年の節目でもある。 1番霊場・霊山寺 空海(弘法大師)が88か所の霊場を開くことで、21日間留まって修行したという・・、そして「ここをその一番とするように」との仏のお告げを受けた寺院、「発願の寺」「一番さん」などと言われる 23番霊場・薬王寺 医王山薬王寺である、年配者には有難そうな厄除けのお寺。誰が詠んだか、こんな文句がある。 「皆人の 病みぬる年の薬王寺 祈願のくすりを 興えましませ」 御本尊も、薬師如来である。
24番霊場・最御崎寺  大師は、この四国でも最も僻地の室戸岬を修行の地と定め、お寺を建立した。岬 一帯は若き日の弘法大師が修行を積んだ場所といわれ、至るところに大師ゆかりの遺跡が残っている。 室戸岬・灯台  岬の先端からは大きな岩礁や奇岩がが連なり無限の太平洋に延びている。背後は山腹が覆っているように、室戸岬は太平洋に突き出た山地がそのまま海に落ち込んでいる様子が分かる。 道の駅・キラメッセ室戸  国道横に大きな鯨の剥製の模型が目に入った。室戸は捕鯨で栄えた歴史があり、ここには鯨の資料館があり、鯨の生態、勢子舟や捕鯨図などが展示されている。
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