2008年ブラジル滞在日記 その20  by Keiichi YAMAZAKI
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64 カンポ・マグロ市の市議会議場
 ブラジルの貧しい村の中には、市議会の議場がない自治体もあるときくが、カンポ・マグロ市はどうだろうか。クリチバ市のSanta Felicidadeからバスで30分か40分ほどいったところに、カンポ・マグロ行き各停バスの終着点がある。そこに、市議会議場(市会議員のオフィス も併存)が あった。また迎えの建物には、、市民向け行政サービスの窓口が集まっている。市長がいる市役所は、バスで10分ほど離れた場所にある。
 議会内には、市長席がない。市長は出席しないらしい。議員は9名。この9名で議事を進めるようである。住民の傍聴席が、ざっとみた感じで30席以上、設 置されている。
 写真はその市議会議場。前には議員の数の分だけ、つまり9つしか座席がないことが、わかるであろう。
camaramunicipal

65 カンポ・マグロ市の早朝
 カンポ・マグロ市というのは、クリチバの北に隣接する人口約22000人の農村で ある。となりに、カンポ・ラルゴ市もあるから、紛らわしい。もともとは、アルミランテ・タマンダレ市の一部であったが、1995年に「親権解除」 (emancipação)で、独立した一自治体となった。本日、7月4日(金曜日)、ここの「保健委員」(agente de saúde)の活動を見学させていただくことになっている。
 集合は8時であった。そこで5時におきて、5時40分Parotino発の黄バスにのる。朝靄(あさもや)が濃い。6時にPraça Rui Barbosaに到着。あるいても20分ほどでいけるが、タクシーでPraça Tirandentesへ移動。$R6.1だった。そこから6時25分頃発のLigeilinhoにのって、Santa Felicidadeのターミナルへ。リジェイリーニョとは、急行バスで、チューブ駅を利用する路線である。うちの子(4歳児)は「かっとびバス」と呼ん でいるが、そのとおり、速い。Santa Felicidadeというイタリア人地区につくと、カジュル地区よりかなり寒い。6時45分頃発のCampo Magro行きの黄バスにのって、現地到着が7時15分頃だった。写真は、同市の役所のあるエリアにある教会。なんども書くが、朝靄が濃い。
 到着が早すぎた。厚生局へいくと、まだ開いていないが、門番のような人が裏手の駐車場に2人おられた。一人が、話しかけてこられた。「おはよう。」日本 語である。娘さんが、日系人と結婚して、日本のトヨタの工場で働いているらしい。8年になる。あと2年は日本で暮らす計画らしい。ブラジルに送金したお金 で、ブラジルに家をたてたらしい。こんな山奥でも、日本経済の陰を認めることができる。
 カンポ・マグロ市のバス停の小さな飲食店で、カフェ・コン・レイチ(カフェオレ)と肉入りのPastelを食す。あわせて$R2.2。山の中で、霧とい うか、朝靄がさらに濃い。それにさらに寒い。摂氏10度ないだろう。セーターに上に防寒ジャケットを着ているが、もう1枚何か着込んでくればよかった。毛 糸の帽子も忘れたので、頭が寒い。昼間はTシャツ一枚すら脱ぎたくなるほど暑くなる可能性もある。(追記:実際に、そうなった)
 厚生局のとなりの飲食店があいたので、ここでもう1杯、カフェ・コン・レイチ(カフェオレ)を飲む。75センターボ。
 8時00分に厚生局へいくと、扉が開いていた。まだ局長も、保健委員のチームも、到着されていない。いま局内で待ちながら、これを打っている。 
 続きは、次節で。
asamoya 
66 カンポ・マルゴ市のagente de saúde(保健委員)による家庭訪問の見学
 9時前に、Programa de Saúde Famíliaのスタッフが到着したので、自動車にのって出かけた。実は8時すぎに、すでに別のスタッフは出発していたが、わたしを連れて 行くことがつたわっていなかったので、彼らだけで出発してしまっていた。自動車は2台ある。もう1台に、別の運転手とわたしが乗り込んで、SUSの診療所 の1つへと、むかった。そこで若い女性の看護師さんと合流し、3人で病気の方の家へとむかった。
 途中で舗装道路はなくなり、スラムのような地区へとはいっていく。
 車は途中でおりて、ドライバーは車内で待機される。あとはわたしと看護師さんで、さらにスラム地区の奥へとはいっていく。
 この日の午前中は、5軒まわった。
 9時20分、1軒目に到着。この家はまずしいが、しっかりした家だ。男性の高齢者(75才)が、胸の痛みを訴えている。1ヶ月前から、寝たきりのようで ある。娘さんが世話をしておられた。
 2軒目:木の板をならべてつくった家で、3部屋あって、広いといえば広いが、隙間風がおおいとおもわれるような家である。かなりまずしいつくりの家であ る。患者さんは女性で、74才。右足を切断されいて、義足をつかっておられる。旦那さんは農業を営んでいたが、今は退職されている。旦那さんが、過去2年 間この病気の奥さんの面倒をみておられる。
 3軒目:70才の男性の一人暮らし。車いすを利用。薬の飲み方を指導。1回2錠、1日3回飲むようにと。道路から急な斜面をおりて、家の玄関がある。だ から、車いすでは、道路へは出れない。ほとんど自宅の中で、暮らしておられるのだろうか。もうちょっと頻繁に、訪問してくれないかと、看護師さんに頼んで おられた。「わたしが担当する患者さんが48人いてね。毎日はこれないのよ」と、看護師さんが丁寧に説明されていた。
 4軒目:この方の家のつくりは、一番貧しい状態で、暗く、衛生状態もよいとは思えなかった。72才の男性で、一人暮らし。会話がきちんとできないよう で、看護師さんは私を紹介することを省略された。紹介しても、理解されないだろうと判断された。猫がいる。猫のえさが冷蔵庫にあるので、あげてほしいとい われ、看護師さんが冷蔵庫をみたが、えさはなかった。血圧が低いので、あげる薬を飲む必要があるが、今日の分はまだ飲んでおられないようであった。
 食事をつくる能力はないようで、クリチバ在住の娘さんがたまにきて、食事を作りだめしていくのだと、看護師さんは説明してくれた。しかし、同じ食事を1 週間くらい食べ続けるということだろうから、飽きてくるだろうなと思う。娘さんは、クリチバ市にくるように説得を試みているが、ご本人は「ここがよい」と いって、動かないそうである。
 5軒目:山の斜面にある家である。道路に荒い金網をはった玄関があり、それをはずして、斜面へおりていく。山道で、すべりかけた。1分ほどおりると、斜 面の平地に建設された家に到着した。太陽が照らす北をむいているので、明るい。洗濯物がたくさんほしてあったが、すぐ乾くようだ。貧しいつくりの家だが、 太陽のおかげもあるのか、たいへん衛生的にみえる。飲み水は、井戸水(電気でくみ上げる)。下水道はない。井戸水の衛生状態は別途 vigilâ ncia(見回り)のチームがきてチェックすると、看護師さんが教えてくれた。患者さんは、87才の女性。元気そうで、娘さんと一緒にくらしておられる。 ほかにも同居の家族がいるようだ。赤ちゃんもいた。この高齢の女性については、とくに健康上の心配はないらしい。今の生活で、何がたりませんか(ただし行 政について)と娘さんにたずねると、「上水、バス、下水道」だとおっしゃった。ゴミについては週3回の回収があるので、問題ないとのこと。
 4軒目の方は、衣食住の「住」がきわめて不十分で、高齢で、病気で、一人暮らし。四重苦である。3軒目の方は、「住」は最貧レベルとはいえないが、いず れにせよ独り暮らしの老人である。ブラジルの人口ピラミッドはまだまだ若年層が厚い三角形だが(日本は寸胴型に近く、将来逆三角形になる)、高齢者介護の 問題が生じていることがよくわかった。
 いろいろききたいことはあったが、5軒目の方をのぞいて深刻な状況であって、たくさん質問することは控えた。
 このような家庭訪問の制度をagente de saúde (保健委員)というが、看護師さんや運転手は、ブラジル経済の縁の下の力持ちといえよう。
 
 以下、写真の説明。最初の3枚は、看護師さんと、患者さん。プライバシー保護の点から、画素数をおとして、掲載する。次は、4軒目の患者さん宅の天 井。 電気はきていることがわかる。この方の家のつくりが一番粗末であった。次は、カンポ・マグロ市に14ほどある、診療所(SUSの制度によるので、診察は無 料)の1つ。それ以外に、1つだけ24時間の診療所が最近できた。その写真が、右である。サマンバイア地区の診療所である。最後は、家庭訪問につかう自動 車2台。中は、普通の自動車と同じで、座席があるのみ。とくに医療機材が積載されているわけではない。あまり細かいことを書くと、市役所の方に嫌がられる かもしれないが、わたしがのったほうの車の助手席前(右側)の窓ガラス(フロントガラス)には、ひびがはいっていた。

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