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サンパウロ市の南部の森林地区内の別荘地区(2008年6月14日~16日のようす) サンパウロ滞在中に、 知人のお母さんの別荘で、1泊させていただいた。サンパウロ市の南部のビリングス湖の近くにある、Clube Campestreという別荘地区である。セントロから自動車で2時間半くらいの距離にある。大西洋森林帯(Mata Atlântica)をふくむ森をようする大別荘地区で、約80戸の別荘がある。わたしたちのとまった別荘は2階建で、トイレとシャワー室が 各階に1つ、台所+ダイニング(K+L)、居間、ベッドルームが2つという、余裕のある広い家である。お庭がものすごく広い。目算でも、 200m×300mはあったと思う。面積にすると6万平米だが、坪になおすと2万坪弱(あくまで印象)。中に、森があり、井戸があり、野外の バーベキュー施設 がある。 この土地は使用権のみを購入する仕組みになっており、所有権はない。家屋は所有物である。1戸の敷地がこれだけ広い。 このような広大な別荘(家屋+土地)が約80戸分もあり、さらに共用施設として管理棟、レストラン、プール、テニスコート、子どもの遊びなどがある。さ らに森林があり、散歩道の一部を歩いただけで1時間以上を要した。さまざまな自然植物を観察することができて、遠いアマゾンまでいかなくても、熱帯林の散 策を経験できたような気がする(アマゾンはアマゾンで、大西洋森林帯とは少し異なるであろうが)。 おどろくべきは、この広大な別荘地を所有(土地については使用権のみ)しているのが、わたしの知人のおかあさんだが、中流であり、決して富豪層ではない ということである。わたしの知人をふくめて、わたしと同じようなマンション生活をされている。 日本も、地方都市へいけば、東京や大阪とちがって、もっと広い家に住めるが、とにかく、人口1000万をこえるメガシティのサンパウロの市内で、中流の 人がこれだけの別荘生活を享受できるのだから、ブラジルは実に豊かだと感じた次第である。 ただしご苦労もあるようで、とにかくブラジルの自然の力は強く、しばらくいかないと、家が植物にうもれるほどに植物が育つらしい。自然は保護する対象で あるが、しかし同時に闘う相手でもあると、痛感されるらしい。 夜は、しずかに暖炉でからだをあたためた。薪は、庭からたくさんとれる。quality timeとはこういうひとときを意味するのだろう。 写真:左はXaxim(シャシン)の木(花瓶をつくるのにつかわれる貴重な木で、乱伐された、大西洋森林帯に特有の種)、真ん中は別荘地区 内の大きな池、右は森の中の散策路(ポルトガル語はtrilha、辞書には「脱穀」という意味ものっているが、ここでは「細道」)。下は、左のが、散策路 の途中の古びた橋。木がくちているようにみえて、渡ると落ちるかとおもったが、まったくの杞憂であった。真ん中も散策路の中の橋。右は、別荘地区内の道路 (子どもは長男)。ちなみに冬で、この緑の量である。春(日本とは反対の時期)はもっときれいらしい。 --- この別荘地区へいく途中で、ビリングス湖周辺のinvasão(不法侵入による住宅地域、最貧地区)をとおった。この最貧地区からの大量 の生活排水がビリングス湖の水質汚染の一因になっていることは、いろいろな文献で報告されており、わたしも25年ほど前から知っていることであったが、 現場を通るのは初めてであった。たいへん広い範囲にスラム地区が広がっていることを自分の目で確認することができた。ブラジルの開発の課題とくに公共部門 による行政投資(とくに下水処理)のニーズは途方もなく大きい。と同時に、ビリングス湖の汚染は、貧困が環境破壊をもたらす事例でもある。 59 サンパウロでの移民100周年事業 6月18日に、Anhembi公園にある会議場で、移民百周年のイベントがあった。宗教各派合同の法要のイベントであったが、非宗教的なイベントや、一 般的な展 示ブースもいくつか出ていた。わたしたちは結局、午前中のUNISOLの取材が長引いて、2時間半遅刻してしまい、法要の終わりの部分しか参加できなかっ た。この大会議場を見学できのは、よかったと感じた。左は、ブラジル仏教界代表の僧侶の、閉会のスピーチ(法話)。 60 クリチバでの移民祭 サンパウロのはなしと、クリチバの話がいりくんで、読者は混乱されるかもしれないが、すでにクリチバに戻っている。 平成20年6月22日(金)の夕方から日曜日にかけ て、クリチバのバリグイ公園の中で、移民祭が開催されている。わたしたち家族も、あるグループの活動(春巻きをつくって売る活動)のお手伝いをさせていた だいた。しかし子ども(4歳児)が、「ぼくも、揚げたい。ぼくも、バナナを切りたい」とか、さわぎはじめ、泣きじゃくり、みなさんの作業の大変な邪魔に なったので、途中で引き揚げた。バナナというのは、バナナをこまかくきって、春巻きの皮にまいて、揚げる食べ物のことである。これもおいしい。 さてバリグイ公園の中の移民祭では、ブラジルの軍の展示もたくさんあり、わたしははじめて、戦車の中にはいった。4mくらいの高さのロケットや、その他 大小のロケットの模型が展示されているブースがあったので、いくと、知り合いの知り合いがおられた。そのかたは、ITA(ブラジルの防衛大学、最難関大学 の1つ)のご出身の日系人で、東大にも留学もされている。ロケット工学の専門家で、名刺の肩書きは、英語版では、Command-General of Aerospace Technology, Ministry of Defenceとある。みたところ、腰の低い、サラリーマン風(営業マン風)の紳士で、高位の軍人のイメージからは遠い方である。紹介されるまでは、軍人 とはわからなかったが、あとで軍服をきた幹部に指示を出されているのをみて、最高幹部の一人だと納得した。それにしても、このような重職にまで日系人が進 出しているという事実は、ちまた言われていることで驚きに値しないが、わたしにとっては新鮮な経験であった。 |