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UNISOL-BRASIL UNISOL-BRASILの全国本部は、サン・ベルナルド・ド・カンポ市にある。サンパウロ市の地下鉄南北線の南端ジャバ グアラ駅で、EMTUという電気バスにのりかえて(乗り換えは簡単で便利、きれいな誘導地下道が完備)、50分ほどでサン・ベルナルド駅(バス・ターミナ ル)に到着する。途中、Diadema, Piraporinhaの2つのおおきなターミナルを経る。ターミナル間にはたくさんの停留所があり、バスは各停で、すべての停留所で止まる(乗車ないし 降車のお客さんがいる限り)。全路線バス専用道路となっており、一般道とはフェンスで完全に仕切られている。鉄道に近い。サン・ベルナルド・ターミナルか ら、タクシーで10分ほどで、UNISOL Brasilの本部に到着した。本部事務局のアレックスさんが、対応してくださった。現UNISOL Brasilの代表(diretor-presidente)であるArildo Mota Lopesさんもおられ、握手だけだが、ごあいさつすることができた。 写真は、左は製品の1つ(民芸品と思われる)、右はオフィスの1角。 (1)概観 「連帯経済」というのは、新自由主義的な経済政策運営にかわる、オルタナティブな(代替的な)資本主義経済のありかたを模索する動きのことだと、さしあた りここ では記しておきたい。資本主義をこえるシステムを模索している面もあるかもしれないが、1つ1つのケースをみていかないと、一般論はまだかける段階ではな いと思われる。メキシコにもあり、アルゼンチンにもり、ラテンアメリカ全体にみられる運動だと思われる。英語では、solidarity economyだと思うが、ポルトガル語では、Economia Solidáriaという。Empreendimentos Solidários(連帯起業)という表現も、ある。 「連帯経済」の具体的形態の1つとして、協同組合をあげることができる。UNISOLは、1990年代の中半に生まれた運動である。当時、90年~92 年のコロル大統領時代の経済自由化の影響で、多くの企業が倒産した。倒産した工場を、解雇された労働者による自主管理経営体に切り替えた運動が、 UNISOLである。アルゼンチンでも、「回復工場」という動きがあり、今年の初旬日本のTVでそれを紹介する番組が放映されていた。 多くの企業倒産に直面して、ブラジル労働界のリーダーであったルーラ氏が(当時は大統領候補、現ブラジル大統領、二期目)、イタリアとスペイ ンの協同組合運動を 見学にいった。1997年のことである。随行したのは、Tarcísio Secoli(ブラジルの労働組合のナショナル・センターの1つであるCUTのメムバー)と、Luiz Marinho(ABC地区金属労協代表)らであった。その後追加調査で、さらに何人かが欧州へ飛び、6ヶ月ほど滞在して法律や協同組合の組織などについ て学んだ。そこから得たアイデアを活かして始められたのが、このUNISOLの運動で、当初はサンパウロの南にあるブラジル最大の工場地帯、 ABC地区(今日では、Diadema市をいれてABCDという呼称もあるようだ)で展開された。 1999年にABC地区で国際セミナーを開催し、UNISOL-São Pauloの設立が議論された。そして13の「連帯企業」からなるUNISOL-São Pauloが設立された。「連帯企業」のポルトガル語はempreendimentos solidáriosである。企業だけでなく、起業、冒険の意味がある。 最初のケースは、ヂアデマ市(Diadema市)にあるConforja社(金属部品とくに板状の製品)の倒産であった。これによって1997年のこと だったが、600人の従業員が解雇された。そこから4つの組合からなるUniforja社が生まれた。設立は1998年である。これが、労働者による工場 の自主経営(autogestião)、つまりempreendimento solidárioの最初の例である。 この経験をふまえて1999年にUNISOL-SPがうまれ、2004年にサンパウロ州内での組合数は13団体から24団体へとふえた。そこで04年の 8月に全国大会を開催し、UNISOL-Brasilが設立された。その段階では全国で82の企業が参加していた。分野は多様で、金属加工、繊維、リサイ クル、民芸品、化学、フルーツなど農業、サービスなどである。04年8月の全国設立総会には、各企業から代表1人が代表者として参加した(つまり代議員数 は82人)。2006年に、今後どうするかについて考える自己評価のための全国大会を開催し、その段階で企業数は182社へと増えていた。182人の代議 員の参加で、UNISOL-Brasilの継続が決定された。その後は3年ごとに全国大会を開催することが決定されたので、次回大会は2009年に予定さ れている。 2008年6月時点では約230社、11,000人の労働者が参加している。売上高は総額$R10億である。 (2) 分析ないし疑問点 まずおこる疑問は、倒産した企業の財産(工場機械)をいったいどうやって労働者が入手したのかである。これは法的な手続きが必要で、実際に交渉は何ヶ月 にも及んだらしいが、CUTやいろいろな組織が支援したようである。労働者は無給で数ヶ月間、再建の努力を続けた。2002年にルーラ労働者党政権が成立 し(就任は2003年1月)、そのときにBNDES(ブラジル経済社会開発銀行)から$R3000万の融資を得ることができた。その後も、BNDESから 融資があり、それが資金源の1つである。当然再建計画を提出している。この過程で活躍した弁護士として、Marcelo Mauad氏(法学博士)をあげることができる。また、現在はSEBREA Nacional(中小企業支援をする連邦機関)も支援している。 つまり、「連帯経済」は野党的な社会運動ではなく、すでに国家的事業に位置づけられている。 いずれにせよ以上の説明では不十分で、労働者自主管理経営体に進んだ法的手続きの細部がわからないが、その点は今後の課題としたい。Marcelo Mauad氏が書かれた短い記事によると("Por Uma Nova Legislação para o Cooperativismo" em Programa de Inclusão e Organização Produtiva dos Empreendedores Cooperados -- Parceria UNISOL Brasil - SEBRAE Nacional, 2008)、ブラジルではまだこうした協同組合方式による工場経営についての法整備が不十分で、それは今後の課題だそうである。 工場労働者しかもたたき上げのライン労働者が、この厳しいグローバル競争のなかで生き残るための経営ノウハウをはたしてみにつけること ができるのかどうか。いやらしい質問かもしれないが、アレックスさんになげかけてみたが、まだこれからのはなしなので、明確な回答はなかっ た。帰宅後、ホームスティ先のPくんとも話した。かれは、ブラジル人だが、USPの数学科を優秀な成績で卒業し、米国のMIT大の世界的に有名な Media Laboratoryでcomputer scientistとして活躍し、その後いくつも賞(prêmio)をとっている研究者だ。かれは今computer関係では世界でもっとも 有名 な巨大多国籍企業の1つのブラジル支社に勤務して、重要なプロジェクトにかかわっている。彼曰く:「でもさあ、労働者が経営者になれるかどうかっていうけ どさ、多国籍企業の経営者が優秀かどうかも、わからないぜ」とシニカルにいった。冷静なご意見であった。 (3) 労働組合活動の新地平 いずれにせよ賃金や労働時間といった職場の労働条件の改善のための闘争を専門とする労働組合にとっては、こうした企業経営は新しい経験である。とくに、 UNISOL-Brasilは、闘争的な労働組合であるCUTが支援しているわけだが、CUTにとって新しい挑戦である。かんがえてみれば、そもそもPT (労働者党)という野党がいま大統領を出して連邦国家の政権をになっているわけであり、労働者階級に体制批判をこえた経営能力がもとめられているのは、当 然といえば当然かもしれないが、労働者による経営への挑戦が、「上」だけではなく、工場の生産現場のたたき上げの労働者を巻き込んで展開している点が興味 深い。 その他予定 *アルミランテ・タマンダレ市のゴインスキー市長へのインタビュー 市長さんとは、2回ほどあって、挨拶をかわす機会があり、今インタビューの日程調整中である。 *パラナ州政府交通局DETRANへの訪問 DETRANの長官で、policia militarのcolonelという方と、あう機会があり、訪問して取材していいよとのことだった。現在日程調整中。 *パラナ州政府環境局SEMAへの訪問 環境局長(長官)のRasca Rodriguesさんとあう機会があり、訪問取材OKとのことだったので、現在日程調整中。 |