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メール u tmame@@yahoo.co.jp    uとtの間にアンダーバー(_)を入れてください。@を一つに減らしてください。この2つのご足労をお願いします。迷惑メール対策です。2012年の闘病記(視床出血)

2013年9月30日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No60   手足のブルブル(暴れるほうね)   視床出血の前兆は? 私の実感→諦めてね。予防ぐらいかな。  介護やリハビリなどでの休息→やすまにゃ草臥れるわい    パソコンの不都合、で、パソコン、手段と目的、どっち?  皆さんDHA(ω6系)などの不飽和脂肪酸をぼちぼち摂取していますか   原因と結果、その関係は。一番のダイエット食は糖尿病食   病気の原因で本人分はどの程度?

 9月23日(月)、またまたまた、ある方のブログに「暴れるけれど」というのがありました。腕がかってに震えているとね。私の場合は入院中ですと、自立浴や展望風呂での入浴時にいすに座ったときに足で震えを。そして、退院後は中途半端な力を加えてやると、そこら中で。腕の震えはだいぶん治まったようです。コンタクトレンズ装着が楽になってきたのでね。腕が震えると、指先も震えますよ。私の解釈では筋収縮の度合いを脳に知らせる感覚神経がちょっと復活するたびに忘れっぽい脳が調節具合を求めて試しているから震えるみたいに暴れているのかなと思っています。筋肉の収縮具合は筋紡錘などで感知しているようです。出血後、代わりに働くようになった神経細胞が練習しているためかな。代わりの神経細胞に働いてもらうためには、「つなぎ替え」が必要です。これは、動かなくても動かそうとするとか、健常側の助けを借りて動かしてみるとか、脳に働きかけるしかないと思っています。そして、早ければ早いほど筋拘縮とかになる前に少しは動かせるようになる可能性が高いです。そうできたら、リハビリによりよく取り組めますよね。だから、「時間がない」のです。待てないのです。悲嘆に暮れる暇はないのです。待てないというのが私の思いでした。いつ回復するかわからないですが、待っていたら回復しなくなります。続けることも必要です。人間の足や腕などは筋肉の収縮具合などの感覚情報があって、脳は安心して筋肉に収縮命令を出せるのです。ですから、代替の何らかの情報を与えることで幾分かは動かせるようになるのでは。そのひとつが、「視覚」からの情報かな。思い出してみると、指が動かせるようになったときは「じっと手を見る」状態だったです。はい。手の感覚は戻っていなかったと思います。いまでもかな、コンタクトレンズを持たせても無感覚です。歩行練習の時も健常側で麻痺側の感覚を補うように感じてやってくださいと教えてもらった記憶が。
 9月24日(火)、ほかの方のブログを読んでいると、「脳梗塞の前兆」とかを投稿されている方が結構あります。ならば、私の視床出血の前兆をかければよいのですが・・・。出血したのは夕方6時頃職場のトイレでほげーと気を抜いて放尿中でした。頭の中で異様な感じが。手を洗ったときにすでに左手がおかしかったです。即、病院に行こうと行動を起こした次第ですが、あとあと救急車の方がよかったとね。脳外科で掛かり付けでもあったのでそこに救急車でも連れて行ってもらえたようです。知らないというのは恐ろしいですね。当日とか前日など全く違和感とかなしです。突如ブチューと漏れたようです。ただ、20数年前の一晩2〜3リットルの消化管出血やその後のちょろちょろ漏れていたので、そのうち、体のどこかでドバッと出血するかもとは思っていましたが、いつものちょろちょろ漏れで鼻血より少ない量だったもしれないですが、視床に。視床は10ミリリットルを超えると死亡率がグッと高くなるような出血だというのです。20ミリリットル越えは全滅みたい。リハビリ病院で50ミリリットルほど頭のどこかに出血された方が居ましたが、視床では完全に葬式の量だと思います。動脈瘤破裂の場合は前兆があるとかいいますが、視床出血とかでは前兆がないみたい。なにか悪いですが、出血してから慌ててくださいね。それから、よく漏れている場所みたいなので、皆さん、出血しても困らないような生活をするしかなのかな。「視床出血の予後について ー入院時の意識レベルとCT所見の立場からー」などの論文も参照してね。視床出血は今は血抜き程度を行う施設もありますが、しないところもあります。、脳圧亢進時に水抜きをするとか。視床は頭蓋骨の中心、頭の中心、そして、脳の中心にあるので手術の難しい場所だとか。漏れたら治療は諦めて、リハビリに励みましょうね。
 9月25日(水)、一昨日、「待てない」と書きましたが、「休息が取れない」とは思わないです。ただ、どのぐらいの休息期間なのか、1日?2日?3日???で話は変わってきますし、1日の中でも休み時間は必要だと思います。健常側の腕で麻痺した腕を1日中動かし続けれると思いますか。私はできませんよ。実際していなかったし。「奇跡的回復」とかいわれた私でもです。まあ、諦めずに継続的にくたびれない範囲でかな。わんちゃんは家族が言い出して飼い始めました。生き物の世話に休みはないですね。子育ても休みなしですが、こちらは成長すれば・・だし、今回ひょんなことでちょいちょい助けてもらえました。ところで、「介護」になると、多くの場合、徐々に徐々に重症化していくことが多いですね。介護している家族に休みなしでは倒れてしまいますよ。「休息」というのがどのようなことにも必要では。プロ野球の選手がどうしてゴルフ? 好きで好きで野球選手になったのでしょ。人間一つのことに没頭しすぎると弊害が出てくるようです。それを防ぐのが「趣味」であったり、「「ボケッとするだけの休息」であったりとかが必要になるのでは。私が「奇跡的な回復」ができていなかって、車いす生活でしたら、家族の負担はもっと大きいものになっていたでしょうね。「世話をする立場の人に休息を」取れるようにしてあげることも必要です。わんちゃんとの朝夕の散歩で1日4000歩前後になっています。世話をしているのやら、リハビリにつきあわせているのやらどっちかな。勉強も仕事も休息と笑いが適度に必要と思っています。歩行練習リハビリの休息をとりすぎるとあとあとず〜と車いすに座って休息状態とかになってしまう恐れもありますよ。適度な休息を。これはある方のブログを読んで思ったことです。
 9月26日(木)、またまたまたまた、ある方のブログで「パソコン不都合・・・」がありましたので、ちょっと趣を変えて、パソコン趣味の話を。私は俗にいう「パソコン自作派」で、最盛期は年に1台ぐらいは増殖していました。ここしばらくは大人しくなり、Windows7のファミリーパック(3台分ライセンス)もまだ1台分余らせている体たらくです。この8月までメインで使っていたビスタマシーンがしょっちゅう硬直してくれるようになってしまったので、小遣い銭稼ぎにも支障がでそうなので、Windows7マシーンに乗り換えました。1〜2ヶ月ぐらいかけて移行ね。故障の理由は?手な感じなのですが、マザーボード交換か電源交換かな。視床出血していなかったら、原因究明をしているのでが、する気が起こらなかったです。で、今のところ、まともに使えるのは1台もなしみたいな手間はあります。USBの機嫌が悪いとかなどなど。トラブっていないとパソコン使っている感じがしないとかね。修理を考える前に、新しいのを組み立てを考えるかな。今まで、「パソコンで・・」と「パソコンをいじってきたついでに・・」の違いかな。前者は仕事の手段、後者はパソコンが目的?で、私は後者ね。今、手元にあるパソコンで一番新しいのは35000円ぐらいで組み立てたと思います。電源付きのタワー型ケースが4000円ぐらいだったかな。CPUが6000円ぐらい、メモリーが5000円ぐらい、ハードディスクが5000円ぐらい、マザボが7000円ぐらい、DVD−Rドライブ(ダブルレイア書き込み可能)が3000円ぐらいかな、マウスは500円の愛用者だし、キーボードは1000円も出せば高級品ね。だから、マウスなんて消耗品です。あるパソコン雑誌で3万円で組み立てるパソコンなんて記事が出ていたときだったです。これ以前は電源だけでも10000円以上のを購入したことも。今回ぽしゃった分ね。ですので、常に最低2台以上はパソコンが使用できる状態にしておかないと困ると思っています。「メーカー製にしたら」とは思わないです。ですから、マックはないでしょうね。まあ、トラブルを楽しみながら、自作パソコンを使い続けていきます。私の人生もトラブル続き? 思い出したこと、相当以前に調子の悪くなったパソコンのマザボの電源コネクター(受け口)に別のケースにつけたままの電源のマザボ用のケーブルを伸ばしてコネクターに無理矢理差し込んだことがありました。正常に動作するもんですね。ケースをたたいたり、接続しているケーブルを揺するとか抜き差しなどはしょっちゅうしています。ただし、引っ張るとかはしていないですよ。LANケーブルですと、引っ張ると留め具が破損してコネクターに滞在しくれなくなったりなどの被害がありますのでね。また、内部で断線が起こるとか。ケーブルは少しゆったり目がいいですね。パソコンは精密な電子機器ですから、丁寧に扱いましょう。自作のよいところは好みのソフトだけをインストールできることかな。また、特定用途向けを考えることも。手段と目的を取り違えないようにね。あくまでも、リハビリは回復の手段だと思います。パソコンは何かをするための道具のはずですが・・・。
 9月27日(金)、脳梗塞や脳出血でダメージを受けた部分の神経細胞は死んでいるはずですね。神経幹細胞なんて見つかっていますが、まだまだよくわかっていないです。普通は神経細胞体は死んだらお仕舞いかな。だから、感覚麻痺や運動麻痺などが起こるのですかな。脳の中で何らかの修復ができないのなら、麻痺したままになるはずですが、現実には徐々に回復していますね。これは脳で何らかの変化が起こっているのですね。この変化のために必要なのが栄養と刺激かな。刺激とは使おうとする刺激などかな。だから、リハビリね。栄養ですが、脳は脂質の割合が高い。ネットで調べたら50%とかもありました。でも、脂ぎっていない。どうしてでしょうか。脂肪細胞や霜降りの脂肪は人間でも大量生産できる飽和脂肪酸かな。飽和脂肪酸は室温で固体ですね。そのままでは生命作用には使えないですね。適度に不飽和脂肪酸を混ぜてやる必要があるのです。この不飽和脂肪酸で人間が合成できないのがあって、必須脂肪酸といっています。では、脳のどこに大量に使っているのでしょうか。それは主に細胞膜などの生体膜などです。まあ、人間のすべての細胞で生体膜はあるので必要ですが、脳などでは大量に。樹状突起や軸索の構造を考えると、細胞膜がやたらと多いですね。細長い管ですからね。小さいほど、細いほど、体積に比べて細胞膜の割合が高くなります。子供の脳の成長は樹状突起などを伸ばして、神経細胞間の接続を増やすことだともいわれています。我々の脳も樹状突起等を伸ばして、新しい接続をつくることで感じれるように、動かせるように徐々に徐々になっていくのではと思っています。ですから、人間が合成できないω3系(リノレン酸)やω6系(リノール酸)などの不飽和脂肪酸が必要なのです。ぼちぼちの量ね。不飽和脂肪酸を摂取していないと細胞膜が弱くなり、いろいろな弊害が出てくると思います。樹状突起などで新たに接続ができた神経細胞がはたくためには「学習」が必要です。繰り返し学習する必要があると思います。それが、「動き始めたが、できていたのにできない」になると思います。子供の成長を見てください。歩行でどれだけ練習しているのか。話すことでも、お箸を使うというようなことでも。そうそう、以前投稿しましたように病院食に不審を抱きました。で、サプリメントを購入しました。不飽和脂肪酸が足らなければリハビリの効果も落ちてしまいます。脳での修復している最中は痺れが起こるともね。
 9月28日(土)、我々の脳出血では「手や足が麻痺したから脳出血した」とは誰も言わないですね。「脳出血で、その結果として手足が麻痺した」とかいうのが普通ですね。この麻痺したに当たる症状に「尿にブドウ糖がでた」という病気がありますね。それで、糖質制限に突き進むというのはよくあるようです。でもね、血液100ミリリットルあたり100mgぐらいのブドウ糖が含まれるように調節されているのが普通です。炭水化物を食べなくても、肉や脂肪だけであっても血液中には必ずブドウ糖が含まれています。理由は神経細胞がブドウ糖のみをエネルギー源に使っているというためです。そのためか、糖尿病食ではどうも結構炭水化物の割合が高いみたいです。脳に必要なブドウ糖を摂取するか肝臓でつくるかする必要があるのです。インスリンは炭水化物だけではなくアミノ酸などでも分泌されるというのです。インスリンが分泌されれば、血糖値は低下します。そのとき、下げる対象のブドウ糖が摂取されていなければ、血糖でも下げることに。糖尿性昏睡ね。昏睡は困るので血糖値上昇のホルモン総動員して肝臓にブドウ糖を生産させることにかな。肝臓はインスリンの指令を守らなくなっていく可能性ね。炭水化物の摂取なしも過剰摂取もだめだよ。早くいえば、過食はだめね。バランスの悪い食事はだめ。運動不足もだめね。日本人が欧米に長期滞在すると糖尿病の発症率は倍になるとか。アメリカ現地人のビマ族でしたか、アメリカのあるところにすんでいる人は20歳過ぎれは半数以上糖尿病で、同じ民族でも貧しい昔ながらのトウモロコシ主体の食事のメキシコの方は発症率は低いとか。欧米はタンパク質と脂肪の割合が日本より高いそうです。「ブドウ糖が尿にでたので糖尿病になったのではなく、糖尿病と診断された」であって、「何らかの原因があって、血糖値が上昇し、その結果として尿に糖が出てきた」かな。食事の後、ある程度は血糖値を上昇させている方がよいかも。急上昇はよくないかな。インスリンが分泌されている間、ぼちぼち程度の上昇、インスリンが作用できる程度までの上昇ね。「こうすれば大丈夫」などはないと思います。食事や日常生活全般で予防する方がよいかな。このときの食事には「糖尿病食」でね。糖尿病食が健康に一番よいのではとも思います。ダイエットにもね。
 9月29日(日)、病気の原因で本人分ね。例えば喫煙ですと肺がん(扁平上皮がん)は喫煙が大多数ですかな。咽頭がんもね、とか、直腸がんも何割か喫煙由来というし。COPD(慢性閉塞性呼吸器疾患)は「たばこ病」として有名です。これ、根本的治療法なし。肺移植が根本的かな。糖尿病にも影響。書いていたらきりがないので。脳梗塞では喫煙や高血圧など危険因子があります。食生活や生活習慣も要素ですが、喫煙がない場合は本人責任分は少ないかな、またはない場合も。区別できないよ。あるあたりから「遺伝的」や・・などがあって「お気の毒に」の割合が増えてくると思います。脳出血もね。脳動静脈奇形でですが、これは生まれつきの奇形なので本人責任なしね。人間の遺伝子はよくできていますが完全な保証はないです。人間いろいろありますからね。でもね、病気になってしまった本人はどうしたら、よりよいのかな。私は今回の出血では、「なんで」とかは思わなかったです。ある意味、「出血してしまったか」で「リハビリで復活」に切り替えることができました。「出血」にこだわってイジイジしていたら、ここまでの復活はできなかったでしょうね。発病に患者本人の責任はあったり、なかったり、両方だったり、責任なしが大きかったり、小さかったり。でも、まずは「病気を受け入れる」というか「なぜ」とかを思わないようにしてました。もっとも、最初の入院が「消化管出血」で、止まれば治療必要なしの可能性で止まって病変なし。次の肝腫瘍、まだ原因の推定せず。3回目の肺がんは非喫煙なので、原因は「検査の放射線」も可能性があると当時から思っていました。でも、主犯は不明ね。今回の出血は漏れやすい血管が主因かもと思っています。血圧平常時もちょろちょろ漏れてましたからね。ですから、糖尿病などにはならないように気をつけていましたし、今でも血糖値は正常範囲です。この「正常範囲」の決め方は健康と思える人の検査値から統計学的に求めているので「前提」が変わると変化しますよ。昨日は朝の散歩の時、尻餅をつきましたが、異常なし。骨は丈夫みたい。視床出血して気になったことの中に「骨」がありました。骨は骨格筋に力を込める運動の刺激で骨芽細胞が活性化されて強くなるというのです。麻痺したら、筋肉が収縮でないとなると、骨がもろくなります。破骨細胞は働き者ですからね。で、リハビリ関係者は「転倒」にこだわるのです。「転倒」→「骨折」になりやすいですからね。

2013年9月23日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No59  リハビリでできるようになること  「あなたは軽かったのでしょう。」という方は読まれない方がいいですよ    病棟の外へでることができたときなどの感じ   上肢のリハビリの今までの思い出   リハビリの目標の思い出   病気自慢をしておかないと   「美味しくない あれは 美味しくない」

 9月16日(月)、昨日夕方、雨の中散歩。うんちはでなかったですね、おしっこだけでした。「リハビリでできるようになること」ということですけど、普通はよくて以前できていたことができるようになるですね。そして、私のリハビリ病院等での目標で、「犬と散歩ができる」とか、意味の取り方で大きくずれがある「コンタクトレンズ装着ができるようになる。」などね。私のコンタクトレンズ装着とかの目標は「左手でコンタクトレンズのケアができるようになる」という意味です。あのハードコンタクトレンズを左手の指で洗ったり濯いだり右手同様に作業ができるね。いつになることやら。でも、発症前はできていたことです。散歩も表向きで、入院中から出てきたのが「階段昇降」ね。これも発症前は普通にしていたことです。そして、発症でできなくなったことを悔やむのか、リハビリでできるようになた部分が増えていくことに喜びを覚えるか、皆さんどうなのでしょうね。私は子育ての時の基本は「ほめる」というか「怒らない」というか「見守っている」という感じで、後は「親の背中を見て子は育つ」でこのの部分について、最近下の子に話をしました。ところで、我が家の子は男のみ。よって、わんちゃんは雌。また、我が家は「女尊男卑」の傾向があるので、「知人が男出産」というのを聞いて、嫁さんが「まあ、かわいそう。」たいていの場合、男はムッツリだし、・・・できないしとかですね。大学の時、下宿しても男なので、心配の度合いは女の子より少なかったかも。子供にとって勉強とは「好奇心からするもの」とか意識づけれたら、下宿させても問題はないです。これと同じようにリハビリも動機付けが大切かも。勉強もリハビリも権利であって、義務ではない。権利はこちらか積極的に行使していくと効果が出ると思います。自身の取り組み次第でできることが多くなっていくと思いますが、人それぞれでどう足掻いても無理というのもあるかな。でもね、大抵はぼちぼち程度はできるようになる可能性を持っています。諦めたらお仕舞い。別の手段とかをとる方がよいかどうかはよく相談してね。別の方法の方がよいこともあります。人間は誰一人として同じ人はいない。一卵性双生児でも厳密に言うと同じではない。ましてやクローン人間などをつくっても核の提供者と同じではない。別人です。だから作成の意味がないです。何か別のところにずれてしまいましたので今日はお仕舞い。
 9月17日(火)、昨日、ある方のブログにて「脳卒中、リハビリについて!!(すみません、ムカついています)」で、その方のブログへの投稿に対して、ある方がコメントされていました。そのコメントを読むと「ムカつきます」。どういうことかというと「あなたは軽かったのでしょう。」というコメント。私がほかの患者さんに言ったことない言葉「あなたは軽かったのでしょう。」です。普通、患者にとってほかの患者の症状なんてわからない。それでも、時々、発症期のことを書くのは私は直接「あなたは軽かったのでしょう。」と言われたことがあるからです。いった方の症状はわからない。同様にわからないはずです。ですから、なにかほかの方のをもとにするときにはそのブログを読みまくります。発症したときの状況を知りたいからです。どうも、私みたいな視床出血は出血時に生き延びれて(死亡率が結構高いから)、そのときに主治医からどう言われ、どのような状態だったか知りたいからです。この方も書かれているように、脳梗塞や脳出血の症状は千差万別ですね。ただ、いくつかの条件があれば、割と早く意識が回復したとか、脳卒中だけであって、ほかの外傷等がないなどね、ですと、「リハビリへの取り組み度→回復度の違い」となってくると思います。リハビリ病院入院中にほかの患者さんから「動くのでしょうか」と聞かれて困りました。私の考えでは「動かせるようにするのはあなたです」けど、傷つけないように答えるのに苦労しました。人間の初期の発達状況やそのほかを考えれば、動作を起こそうとし挑戦し続けることがリハビリの基本だと思っています。人間の体は健常者でも使わないと衰えます。「あなたは軽かったのでしょう。」というのはそういう自分を誤魔化す「合理化」(心理学用語)として使っているようです。
 9月18日(水)、昨日、一昨日とは別のある方のブログで「入院中の思い出」で花見の話があって、私の入院時の様子を思い出していました。病棟の外へどのような感じででることができるようになったのか、そのときの感想も少し交えてみました。昨年2月9日に視床出血で入院、そこの病院では「要監視人物」(ベッドから頭を下にした転落のためね)だったので、リハビリとお風呂以外は病室の中だけ。4人部屋でしたがトイレ付き。外の空気はリハビリ病院への転院の時までお預けでした。3月13日転院では当然介護タクシーで車いすに乗ったまま。リハビリ病院では付き添いがあれば、車いすでうろうろできますが、5階病棟以外にいくのはリハビリの時だけみたいなものでした。4月になって、車いす使用で一人でのエレベーター使用が許可になりました。その日以来、朝の外出、といっても車いすに乗って、自分の足で漕いで出入り口から数十メートル程度の範囲でうろうろですが、気持ちよかったのを覚えています。そして、1階のリハビリ室の前で誰もいないときに「暴走」、足漕ぎで加速して惰性で走行するというのしました。自己満足に浸っていたのかな。花見にはSTのYさんとYさん担当の患者さんと病院内敷地のを見に行きました。そのとき、やってしまったのが車いすの片方の車輪を持ち上げてしまって、Yさんを慌てさせたことかな。凹みに車輪を落としたのでバランスが取れれば、片方を浮かせることはできますよね。5月の中頃だったかな、杖歩行でエレベーター利用許可になりました。この許可で病院の敷地内は単独杖歩行可になり、毎朝、毎夕などの敷地内散歩を始めました。午前6時頃の散歩は気持ちがよいですよ。次が5月30日あたりだったと思う階段利用許可ね。で、1日に5〜7回ぐらいだったかな、5階から1階、1階から5階へという往復昇降が始まりました。「運動せな大損」「体を動かしてなんぼ」というのがリハビリの極意だと思っていました。危険を伴うと思われる部分は病院の指示を守っていた私かな。看護師さんらにとって病棟内うろうろの時期は鬱陶しかったでしょうね。用もないのに病室と看護師詰め所前の往復だったからね。暴走や階段昇降は散歩などとともに歩行のために役に立ったと思っています。
 9月19日(木)、腕のリハビリで覚えていること。ちょいちょい思い出しておかないと「記憶が嘘をつく」状態になってしまう恐れがありますからね。「本人は嘘をつく気がなくても記憶が・・・」というのが日経サイエンスにでていたことがありました。高次脳機能検査では、この「記憶が・・・」を調べることも目的の一つでしょうね。冤罪の多くは誘導で「記憶が・・・」もあったでしょう。記憶は変化していくことがありますよ。で、本題。左腕は当初ぶら下がっているだけでした。感覚は当然全くなし。そこで、健常側の右を使って、持ち上げたり、肘関節部で曲げ伸ばしをしていたのを覚えています。リハビリが始まった当初は「拭き掃除」、「ものをつかんで移動(何回目からかは覚えていない)」など(OT)や「手をついて体を支える」(PT、棒状かな、少し体重をかける程度)で、つかむ動作のとき「麻痺すると曲がっているから、伸ばしてものの側に手を持ってきたら掴めるよ」といわれ、そうだと確信して病室に戻ってから、左腕の肘、手首、左手の指を伸ばす試みを何回も何回も繰り返しました。すると、伸ばせるようになってきたのです。主治医に「指を曲げてみて」といわれて試みたら曲がり、指指定でも曲がるようになりました。伸ばし特訓の時は夜熟睡できました。腕の持ち上げはOTでぼちぼちしていましたが、あるとき、PTのセラピストさんが私の車いすを押しながら「腕を上げてみて」といわれたのであげたところ、もう少しで「パンチ」できるところまであがっていたようです。結構真上にストレートとしてあげれていたようです。感覚が戻っていないので私には状態がわかりませんでした。指伸ばしができるようになったら、「グッパ」や「小物つまみ」を病室でもしました。暇だったのでリハビリでもするほかないでしょ。リハビリ病院では、1kgのダンベルを持ってきてくれていたので左でもしていたら、「頭にゴツン」1回ありました。それから1年以上たちますが、異常なしね。退院後はダンベルでは3.4kgまで徐々に増やしましたが、腕の痺れがきついので中断中、コンタクトレンズ装着はリハビリ病院の4月当初ぐらいだったかな、そのあたりから悪戦苦闘しながらも左手も使って自身で装着をしています。それ以前は看護師さんに装着してもらっていました。最近はだいぶん楽になりました。看護の勤務態勢のことを考えると朝はどうしても遅くなります。だから、「自分で」ということに。リハビリの極意か。
 9月20日(金)、リハビリの基本的な指導内容はそう変わらないと思います。前にも書いているのですが、「リハビリの目標」ね。OTとPTはぼちぼちのほどほどの目標、読み返してみてください。STの目標が大笑い対象に。どうしてかというと、脳神経外科の主治医は発症前をご存じではないというところからかな。まあ、深呼吸の仕方を忘れていたとか、舌、頬などの動作がおかしいとかはありました。問題は「発声」ね。リハビリ病院に転院した頃には家族にいわせると「元に戻っている」、3月末には知人も「元に戻っている」てな感じ。なので、STの目標には「発症前より美声に」とお願いしました。普通は発症前程度がリハビリの限界だと思いますが、「発声」は前々から気にしていたのでよい機会と思いリハビリを受けることにしました。STで笑い声が絶えないのは私がリハビリをしているときかな。同じリハビリをするのなら、楽しくする方がよいに決まっています。こんな風にリハビリを見ているということは、勉強も楽しく、仕事も楽しくの方がよいと思っています。OTもPTもよく笑いました。STですと、ほかの部屋は静かな感じでした。映画「ローマの休日」でヘップバーンがストローの包装を吹き飛ばしていましたね。このSTでもストローを使うのがあったので、その都度毎回「どこまで飛ぶかな」と吹き飛ばしました。この動作もリハビリにあるのです。担当者は4月の後半あたりから継続で苦労されたみたいです。なにせ「発症前より美声」ですからね。届けの目標は何にしてくれていたのでしょう。今度、遊びに行ったときに聞いてみようっと。昨日、お風呂で左腕を上方に振り上げると、いつもより痛みが強い。角度などは右腕とぼちぼちみたい。左だけが痛い。拘縮でも始まったのかな。毎日振り回しているのに? 昨日、足の爪を切りました。右足は順調に切れましたが、左足では悪戦苦闘も、やはり、麻痺の影響が出ています。
 9月21日(土)、またまた、ある方のブログで「病気自慢はしたくない」というのがありました。私のここは「復活の様子」ということなので、ちょいちょい病気自慢をしておかないと、「軽かったのでしょう」とか思われたらインパクトがなくなると思っています。重症でも復活できる可能性がいくらかはある(本人は結構復活の可能性があるのではと思っていたりね。)ということを知ってもらいたいとね。ところで先日投稿した中にショッピングセンターで看護師の知人と会ったことを書いたかな。そのとき、いわれたのが「闘病の武勇伝」です。はい、棺桶に足を入れかけたことがよくあったのでね。その入院歴、今回を含めて4回ね。以前の3回でも「落ち込む」ことはなかったですね。それと、その知人の知人というても、私も直の知人ですが、「嫌な患者」ともいわれました。知っていて何も言わずに値踏みみたいなことを思っているとね。看護師にとってはある意味「嫌な」かもしれないですね。で、武勇伝ね。でもね、1回目はおとなしい限りですよ。このとき最もやばかったのは消化管での出血中かな。止血できないもん。ほんの2〜3リットル程度を一晩でね。初めての入院だったし、一応緊急入院だったしね。それと、私は「様子見」をしますので、様子見の間は大人しいです。というか、普通は大人しいですよ。2回目の入院時から「階段」、「病院の階段」ですね。それと、朝の散歩ね。詳しく書いているとあれなのでこれはこの辺で、肝腫瘍でした。3回目が今回(4回目ね)救急車で搬入された病院。この3回目で脳神経外科も「掛かり付け」になってしまいました。肺がんでした。でもね、手術後、ほかの階にいってもよいとなってからは2階から9階までの「病院の階段」ね。それも途中に中4階付き。それと、朝食時、到着を待ち構えて受け取り、ほかの患者さんに配布中に食器返却ね。この入院のときに、「筋肉は使うもの」「筋肉は伸ばすもの」という体験をしています。こうことは同じ失敗を二度しないようにしているかな。脳の方は血管造影ね。だから、受け入れてもらえたのでは。「武勇伝」にはほど遠い概略だけですみません。患者業をちょくちょくしていると、看護師さんの前で裸になるのは慣れてきました。そうそう、発症して半月ぐらいでの介護認定では「要介護4」、重症の方から2番目ね。それが、この半年後の更新認定では「要支援1」まで転落しました。週1回の訪問リハビリで介護保険を使い切っています。月5回の時だけどね。4回の時は少し余っているのかな。でも、使いようがないです。今年の更新でも「要支援1」、そのままです。
 9月22日(日)、犬川柳の今年のに次のような感じの川柳がありました。「美味しくない あれは 美味しくない」と柴犬がある食べ物を見ている写真のところにでね。写真はかわいい柴犬がリードとかで食べにいけないところに食べ物があるというものです。これをリハビリに当てはめると「あの人は軽かったのだ。回復しているのは、きっと軽かったからだ。」と派手な字余り川柳ね。自分を納得させようとする思いですね。そこにあるのは「諦め」かな。ある方のブログでボトックス利用ではなく、拘縮から解放されそうだとの喜びの投稿がありました。この方は、字余り川柳とは無縁の取り組みをされたのでしょうね。リハビリでセラピストさんがほかの方と比較しましたか。比較しなかったですね。そして、諦めない。決めつけない。ですよね。子育ての基本でもあると思います。脳卒中だけですと、筋肉や関節、骨などには異常がない。使えるような状態を維持しておく(これが難しいようです)。脳は以外と作り直されているようです。死んだ神経細胞は生き返らないですが、樹状突起等でつなぎ替えが起こっているようです。だから、私でも感覚が徐々に戻ってきているのです。脳のこのような作り替えがないのなら、感覚は戻らないはずです。「きっとおいしくない」とかみたいに思い込んで脳への刺激を与えなかったら、作り替えは起こらないですよ。脳の発達の過程を考えると刺激というのが必要ですよ。「絶対に歩いてみせる」と思い、そのための動作をしようとし、体の各部を動かしてみようとすることかな。ただ、いつになるかは私はわからない。これでリハビリに取り組んだ結果が半年で完全麻痺から杖歩行ですが、1日10000歩とかになったのです。「要介護4から要支援1への転落」もね。麻痺したときに感じたこと、足は重たい。右腕だけではびくともしない。右足が頼りでした。

2013年9月16日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No58  視床出血で入院した当初のリハビリへの取り組みの考え方  昨日の取り組みを補完する考え  後で調べてみたら、効果のあった方法でひとつ  愛飲中の玄米黒酢がいつもの75%ぐらいでしたので購入してぶらぶらしながら帰宅  続けています、1日10000歩  昨日、夕方の散歩でうんちをさせようと某所の歩道を行ったり来たり  昼夜をはっきりさせることも大切ですね。くどいですが「脳が動作を忘れている」ね

 9月9日(月)、今日は救急の日ですね。救急で病院にもう二度と担ぎ込まれたくないですね。自分で歩いて行きたいものです。ところで、私みたいな状態で病院に送り届けられた場合、症状の悪化があった場合、対処してくれるということですよね。視床出血の場合は、原則様子見ですよね。くも膜下出血みたいに血抜きの手術なんて危なくてできないものね。前置きが長くなりましたが、新しいカテゴリーをつくって、また発症の時の様子とその後のリハビリへの意識ついて書いてみたいです。ブログ村のポイントは当てにできない内容になると思っています。発症して、後で「無謀」と指摘されたことをして、道路標識と喧嘩しました。この時点で1回目の意識不明ですね。助け出してくれた方に「脳出血なので救急車を」とお願いしました。梗塞とは思いませんでしたし、実際出血でした。診察券を救急隊の方が見つけてくれて、無事目的の病院に行きましたが、ほとんど意識なしです。一度、「コンタクトレンズを外して」といったのを覚えています。視床出血についての論文の中に病院到着時の意識レベルと生存率や回復状況についてのがあり、それを読んでみると「ぞ〜」としました。死亡率がある程度高い状態で病院に着いたみたいです。このやばい状態から4ヶ月後にはリハビリ病院の階段を上り下りしていました。最初の病院で手の指を伸ばしたり曲げたりだけはできるようになっていたかな。入院して、しばらくの間は完全に左半身は麻痺状態でした。入院時の意識状態とその後の身体状態ですと、「一生車いす生活」とは家族が言われたことです。このずれはどこから来たのでしょうね。前にもちょくちょく投稿していますが、私の場合、視床出血で感覚神経は大ダメージを受けましたが、筋肉、関節、骨などや運動神経は異常なしです。でも、使わないと錆び付くのが人間の体です。リハビリが始まる前から俗にいう「自主トレ」していました。感覚神経の代用がほかの感覚でできれば、少しは動かせるようになるのではという期待もありました。皆さん、アイマスクをして歩けますか。感覚情報がなくなると人間の体は代用がないと、感覚が元に戻るまでは動かせないみたいなのです。人間の脳での再構成修復はとにかく動かそうとする、なにか触ってみようとするとか能動的に活動しようとする必要があるようです。これは子供の成長でも同様だと思います。ということなので、使えるように使えなくても動かしました。車いすでは健常側だけの足の方が当初は速かったですが、麻痺側も使いました。そりゃ危険性もあります。でも、使いました。車いす暴走族といわれるところまで速くなりました。今日のは脳出血や脳梗塞になって、すぐの段階で私にとって効果のあった考え方です。出血や梗塞の場所、範囲で状況はいろいろあると思います。もっと時間のかかることも多いのではとも思います。でも、筋肉を固めない、関節を錆び付かせない、脳に刺激を与え続けるというは有効ではと思います。
 9月10日(火)、昨日、7ヶ月ぶりにリハビリ病院に行ってきました。通院ではなく、ご機嫌伺いね。やはり、少しずつ入れ替わっていますね。担当の看護師さんが変わっていました。リハビリの方では、PTの担当者が変わっていました。これで、再入院の障害(この方、男ね)がいなくなりました。すると、帰りのバスの中で頭の中の雰囲気が・・・。STとOTの方では40年先ぐらいまで勤めていてねと。STさんとはリハビリ中も冗談で笑いが絶えなかった状態が続いてました。OTさんはまじめですね。でも、話し好きなのでリハビリは楽しかったです。最悪はむっつり男性でのリハビリかな。こんなのはなかったです、はい。昨日の投稿の続き、脳の再生について。脳の再生といっても、死んだ神経細胞は元に戻りません。生き残っている部分で失われた部分の働きの代わりをできれば再生といえるかも。ところで、視床出血で視床の細胞がダウンしたはずね、だから、感覚がなくなりました。それが、今は感覚がある程度戻ってきているのです。脳のどこかでダウンした視床の代わりをしていることになると思います。方法は配線のつなぎ替えでしょうね。この配線とは樹状突起などかな。樹状突起は非常に細い管ですね。細ければ細いほど、細胞膜の割合が高くなります。軸索の方でも同様です。脳はこのような配線の集合体かも。で、脂質の割合が高い臓器でもあるということかな。この細胞膜の合成や働きに大切な物質は脂肪酸です。それも不飽和脂肪酸が必要です。病院食への不信感からサプリを購入しました。でも、ω3系の不飽和脂肪酸が役に立つためには脳に届くような刺激を与え続ける必要があると思いました。それで、リハビリを積極的というか、自主トレのみではなく闇トレもしました。問題点は脳での再生中は痺れるという話を聞いていましたが、延々と続くことになりましたが、視床痛のお世話にはならずにすんだみたいです。ω3系の不飽和脂肪酸、特にDHAが脳に吸収されているということです。ですから、子供の脳の成長にDHAなのです。リハビリ中も原理的には同じことが必要なはず。だから、子供みたいに手足を使うとかの動作が必要なのです。
 9月11日(水)、後で調べてみたら、効果のあった方法。いくつかあると思うのですが、一つだけ取り上げてみます。状態が落ち着いたときから、日中は上体を直立させていたということです。退院後、ネットである新聞社の記事を読んでその効果を確認できたということかな。もともと、鼻づまりという持病?がある私、でも、上体を直立させているとつまらないのです。寝ると鼻が詰まる。視床出血で左側が麻痺しても左側が詰まりました。入院してすぐあたり(記憶が定かではない)に動かせる右手でベッドのリモコンを操作して、単に上体側を起こしていっただけで、はい、頭を下にぶら下がるように転落しました。左足が動かなかったので途中で止まったのではと思います。右手で探ってみると、頭頂部が床と仲良くしていました。喧嘩をしていたら、頸椎損傷かも。で、ナースステーションからの監視が一番きついところに移動させられました。寝ると、鼻が詰まるので、上体を起こしている。それと、夜、やはり寝たいです。病院の夜は退屈です。それと、点鼻薬を愛用しているのですが、日中は使いたくない。できるだけ使いたくない。ということもあって起こしていました。考えると、背筋や腹筋などの筋肉を使うことになりますね。脳を活性化させるには筋肉を使うということが必要です。ホーキング博士、どう活性化させているのだろう? 脳が起きている方がリハビリに効果があると思います。監視ついでに様子を見ているのですね。後日、訪問したときに「よくリハビリしていたよ」といってもらえました。起きていたら、リハビリでもしないと暇ですしね。私、テレビをぼんやりと見る習慣がない。ほとんど、見ないという方かな。ノートパソコンを持ってきてくれたのでそれで、ハリー・ポッターや寅さんなどを見たり、ネットなどね。このときに気づいていたら、「闘病記」を始めていたと思うのですが、SNSでつぶやきに投稿する程度でした。上体を起こして、パソコンに向かっていると、最初の病院でも自分から何か働きかけないと退屈ですから、ごそごそとね。左腕のリハビリは寝ているより、起きている方が楽でした。ベッドから車いす、車いすで踏ん張ってみるとかで左足にも力を加えてみたりしてみました。まあ、動かなかったか。でも、転院前には車いす漕ぎで左足も幾分か役立ってきてたみたい。人間は直立二足歩行をしているので、上体を起こしておくということが大切だったようです。
 9月12日(木)、一昨日、いつものショッピングセンターのドラッグストアで、愛飲中の玄米黒酢がいつもの75%ぐらいでしたので購入して歩いて帰ってきました。持参のレジ袋(100均の)にいれてぶらぶらと。健常側の手は杖、よって麻痺した方で720ml入りをぶらぶらで、1km以上は歩いたと思います。以前は血圧対策やなんやかんやで、黒酢、納豆、赤ワイン少々と血液さらさらに邁進していました。漏れやすい血管なのにね。で、漏れたわけです。ねばねば血液なら、ここまで重症になっていなかったかも。にもかかわらず、懲りずに黒酢と納豆は復活させています。漏れやすさと血液凝固が少し遅いのは消化管出血時から気にしていたことです。視床で血管が分厚くなっていたら漏れなかったかなと思いました。動脈硬化ね。動脈硬化は梗塞の危険因子ですね。この黒酢、訪問リハビリの方が「5000円?」と思ったものです。化粧ケース入りで298円でした。食品売り場の酢より安かったりして。写真はやめておきます。入院中のことで自慢できること、リハビリ病院では消灯してから起床までの間、ベッドで熟睡みたいでほとんど途中で目が覚めることもなく、当然、トイレにも行きませんでした。おしめをされていたときも中に出したことはないです。心残りの一つにおしめの中に出して、看護師さんに世話をしてほしかったということね。今でもトイレで途中で起きることはないです。まあ、日中、活動量を増やすと深い睡眠ができるようになるはずですね。でも、しびれとかで睡眠が少し浅い感じがします。なにか、ドミノ倒しみたいにいろいろなことが連鎖していて、それによってリハビリの度合いとかがいろいろ出てくるのかもしれないですね。認知症を防ぐためにも活動ね。わんちゃんとの散歩は朝夕それぞれ2000歩程度を目安にでています。多いときも少ないときもあります。昨日の夕方は3000歩コースでした。昨日の日中なぜか寒い、左半身が寒い、寒かったです。
 9月13日(金)、一昨日、昨日と10000歩前後の歩行になりました。が、なぜか、昨日の方が楽でした。歩行の安定感といい、左足首あたりの痛みといい、どちらもよかったです。杖は持っているのですが、荷物になっているときがやたらと多く、時々ついているという感じでした。歩幅も以前より広がっている感じなので同じ区間では歩数減かな。以前報告した歩数計のことは、たとえば、2000歩ぐらいのところでも1000以下だったりしていましたが、昨日は素直でした。まあ、いつ何時、ごねられるか心配です。目安にも使えないものね。どうも、上下動を大きくすると素直みたい。早くいうと故障かな。歩数計の三次元センサーにも寿命があるとは思います。で、どのくらいなのでしょうね。500万歩以上にはなっていますが、健常者で歩数の多い人なら1年にもならない回数なので・・・。ようわかりません。普通の道や歩道、遊歩道は水捌けのためでしょうか、傾斜がありますね。足の感覚が戻ってきたためか負担を感じています。リハビリ室とかはこのような傾斜はないですね。水平ですよね。なんらかの対策を考えねばと思います。「痛い。」と感じるときもあります。「痛い。」。足首に異常がでなければよいと思うのですが・・・。「続けています、1日10000歩。」となるようにね。発症後の最高は17000歩強でした。
 9月14日(土)、ぼちぼち、わんちゃんの名前ですが「花子」と呼んでいます。アイコンを見てもらえるとわかるように柴犬です。昨日、夕方の散歩でうんちをさせようと某所の歩道を行ったり来たり、普通は一往復でするのですけど、行ったり来たり。しませんでした。今日の朝、別のところで割とあっさりと。昨日夕方の散歩はおかげさまで4000歩を超えたようです。割と早足が多いので歩幅も広かったかも。何キロ歩かされたのかな。一日合計ですと12000歩越えです。でもね、今日から3連休。これがくせ者で歩数減になると思います。リハビリ病院入院中でも外泊(自宅ね)すると歩数減。他の方は運動量は増えるというのに私は減。リハビリ病院で後の方の1ヶ月半ぐらいは1日10000歩を超えていましたからね。そして、最後の1ヶ月ほどは1日に5〜7回ぐらいは「階段1階から5階までね」往復していました。自分のいる病室のある階のみの自由歩行ができるようになった日以降、その階だけで4000〜5000歩以上は行ったり来たりしていました。入院中は暇ですからうろうろするしかないと思います。
 9月15日(日)、昨日は案の定、歩数減でした。ぐすん。雨だとさらに減かも。ところで、入院中はある意味暇ですね。その暇なときに何をするのかということかな。日中はまだ、起きてごそごそできますが、深夜帯はベッド灯をつけられるだけでも睡眠の妨げになりますね。足下灯があるところはまだましですが。消灯時間以降は何もできない。寝るだけ。いかに昼間に疲れるかということですね。なら、入院当初は疲れがたまらず、深夜2時頃だったかな、トイレ行きをいっていました。全介護かな。日中、車いすに座る生活に、当初、腰が痛かったです。少し睡眠時間が延びたみたい。そして、リハビリも始まってしばらくしたときから、指伸ばし(腕もかな)の練習を始めました。動かない腕を動かそうと、どうでもよいから動かして前から後ろにふるみたいに繰り返し繰り返しね。このとき、全身の筋肉が収縮した感じになって夕方にはくたくたに。筋肉の収縮制御の方法を脳が忘れてしまったためですね。すると、翌朝6時頃までぐっすり寝ることができました。視床出血なので感覚神経麻痺です。ほかは無事なので踏ん張れたことかも。伸ばす特訓の理由は「麻痺すると腕や指は曲がった状態だから、伸ばせたらものがつかめるよ」という作業療法士の助言があったからです。伸ばせたら、ようもないのに握ったり伸ばしたりで今も続けています。足の方は車いすを健常の方の足で漕ぐというのをして、さらに理学療法士の助言で「麻痺側も使うとリハビリになるよ。」というので両足で漕ぐようにしましたが、当初は麻痺側が当然もたもたです。でも、続けました。リハビリ病院で観察してみたら、歩行練習をしているのに健常側だけの人が結構いました。この車いすでもようもないのにうろうろしましたよ。暇な時間には結構トレーニングしていたみたい。それとね、歩行練習で強く感じたのは「脳は歩き方を忘れている」ということです。どうしても「練習」が必要になるとも思いました。理由は運動を覚えていた神経細胞がダウンしたものね。運動の感覚情報もダウンかな。だから、再学習が必要にね。動き出したら、すぐに前と同じことができるとは思わないことね。不届きなことを思うからリハビリが辛くなるのでは。人間のいろいろな動作はすべて学習によって体得されます。我々のような疾患でのリハビリは、再学習あるのみかな。この学習も脳に刺激を与え続けることが必要と考えて入院当初からゴソゴソしていたわけです。

2013年9月9日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No57  こう雨が続くと運動不足になるかも  脳卒中とかで麻痺側を動かさないと・・・   いつまで続くのかな、感じは徐々によくなってます  いつも夏場に少し高かった血圧が少し低下?   わんちゃんとの散歩の時の歩行速度の推定?  骨折したくない→骨を鍛えるには

 9月2日(月)、こう雨が続くと、運動不足になりかねませんね。気象庁ホームページのレーダーナウキャストで雨の状況と予測があるので、雨の合間や弱そうなときにわんちゃんを散歩に連れ出したり、一人散歩に出ています。ところで、わんちゃんとの散歩の時は傘を右手でリードを左手でというやばい状況になるので、できる限り雨の切れ目にでるようにしています。足を鍛えるのには、階段というのがいいのですが、家の階段の手すりは貧弱ですね。それに比べるとショッピングセンターなどのところは丈夫ですし、このごろは階段を使う人がほとんどいないのでゆっくり一歩ずつ足取りを確認しながら登れます。また、降りれます。病院も家に比べると広かったですが、ショッピングセンターも広いですね。私らみたいな普通の速さでの歩行とかには最適かも。ついでに買い物もできますし。買い物がリハビリかな。ヒスタミンH2受容体の阻害剤、ご存じのない方のために、一番有名な医薬品は「ガスター」かな。いろいろでています。口腔内崩壊錠のガスターですと服用しやすいです。
 9月3日(火)、歩数計の調子が少しよくなってきたみたい。早くいえば、猛暑から普通の夏の気温になったからかな。で、昨日はわんちゃんにうんちをさせるためにあっちにうろうろ、こっちにうろうろと朝夕で6000歩になってしまいました。うちのはうんちをするとき、速歩でしばらく歩いてしますので、鍛えられます。ほかに気をとられるとうんち中止、また、一からです。ですので、今日の朝、速歩で散歩の方とぼちぼちの速さで歩く羽目になりました。併走(笑)が昨日のうろうろよりは短い距離だったので助かりました。崖の上り下りもしますが、こちらは45度ぐらいかな、1m程度ね。2〜3mかなの程度の公園の盛り土のところの上り下りも。リハビリ室での歩行練習なんて楽勝ですよ。でも、一度も転倒はしていないです。小走りはできるのですが、ドッグランは無理なので、今の目標の一つがドッグランができるような走りができることかな。目標はいろいろありますよ。手の届きやすいところから遠いところも目標までね。目標設定を間違うとリハビリが地獄になる可能性を持つと思います。日々、クリアできそうな目標と壮大な目標ね。
 9月4日(水)、私のブログにお越しいただき、コメントをいただいていることがあります。すぐに気がつくべきところ、読まないという変な習慣づけになってしまっています。どうもすみませんでした。今後はもっと気をつけていきたいです。ブログ村のあるブログで「手足の左右差が起こる原因」について、投稿されていました。その通りだと思います。ところで、リハビリ病院に入院中に感じたことは多くの患者さんが麻痺した方を使わないというか、私から見ると、「動かす気があるの」という感じで動かさない様子でした。たとえば、歩行リハビリをしているのなら、車いすでの移動の時、両足漕ぎをすれば、麻痺側のトレーニングになりますね。セラピストさんは勧めていると思います。私もそうでした。そのとき、健常側だけより手間ですね。それでも、繰り返し繰り返しトライしているうちに健常側とぼちぼちになっていきました。そして、車いす暴走族にまでなりました。多くの患者さんは「使えるようになってから」とか寝言みたいな願望にとりつかれているようでした。乳幼児の頃の発達段階をよく見てください。リハビリと同様「繰り返し繰り返しトライ」しているのです。脳出血や脳梗塞ですと、この訓練済みの神経細胞を失うことになりますね。どうも、別の神経細胞が肩代わりしているようですね。ですから、一から訓練する必要があるのです。そのとき、麻痺した部分を使おうとする、使うということが大切だと思います。早く使おうとしたり、使ったりすることで左右の差を拡大しないようにできるのではと思います。
 9月5日(木)、最近、左腕に安定感が以前より少し増したみたいです。コンタクトレンズ装着時、左手人差し指にコンタクトレンズをのせ、右目を近づけるのですが、そのときの「ゆれ」がぐっと減った感じなのです。指が揺れるとレンズも揺れる。顔はつきあってくれない。ですので、目から外れるとね。右目は左目と違って、瞼の内側に入ってくれれば「眼力?」(瞼ね)で落ち着くところに持って行ってくれます。左目の方の装着でも、左手親指と人差し指とで左目瞼を以前より幾分か上手になったみたい。思うことは必要に迫られてもよいですから、ともかく使い続けることかな。私のこの件はハードコンタクトレンズでのみ矯正可能なのです。装着するしないで見える世界は大きく違います。で、右利きなのですが左手の復活も大切なことなのです。足の方も朝の散歩時は感じのよい歩行ができっる時間が長くなっているみたい。かっこよく歩くのです。意識をせずにかっこよく歩いているときは、歩くというのが楽ですね。リハビリの時はこの「かっこよく」の方が面倒ですが。どれだけ、自主トレもしたことか。
 9月6日(金)、血圧ですが、いつもはというか発症前から、夏場の方が冬より少し高いという傾向があったのです。昨年の夏も血圧の薬を飲んでいて少しこの傾向がありました。最近、低めになり始めました。あのヒスタミンH2受容体阻害剤が効いた?なんて思ったりもしています。この薬は状態がよくなったのでやめようと思いますので、経過を見れば何かわかるかも。血圧計とかの説明書を読んでいると最高血圧がいくら以上ですと、境界型、もう少し高いと高血圧とかや、最低血圧が云々とかはあるのですが、最低血圧だけが低下している状態については読んだ記憶がないのです。最近、日本経済新聞の健康面に最高血圧がぼちぼちで、最低血圧だけが低下している場合などでは「動脈硬化」の危険性があるとの記事がありました。心臓から押し出された血液で動脈は広がり、心室に血液をためているときは血液を動脈に押し出していないですね。このときに動脈が収縮して血液を先の方に送り出しているというのです。最高血圧と最低血圧の差が大きすぎるというのは「動脈硬化」が起こっているシグナルと考えられるということでした。両方高いのも問題かな。差が小さすぎるのは心臓に問題があるかも。私のこの頃の血圧は、朝(起きてすぐ、薬を飲む前ね。)、110〜120/80あたりをうろうろで差は30〜40です。差が50を超えたことはほとんどないです。
 9月7日(土)、毎日、朝夕2回わんちゃんを散歩に連れて行っています。それぞれ30分ぐらいで長いときは1時間ほどにもなるときがあります。普通は2000歩程度までで収まるみたいです。このほかのショッピングセンターまで歩行との違いは歩行速度を常に自由にできないということがあります。立ち止まりが長くなると歩数減ですし、・・・。走りかけてもそれは抑えます。ところが、わんちゃんのうんちの時は、まず、すたすたと歩くのです。そう6〜8km/hにはなっていると思います。ただ、住宅地の歩道や公園、遊歩道などなのでそれほどの距離にはなっていないと思います。わんちゃんについて行けるのは、リハビリ病院でのリハビリ時にPTで「足をまっすぐ前に出す」というのを仕込んでくれたおかげだと思います。麻痺された方に多いあの足の回し出しですと、距離も速さも出ないでしょうね。確かに病院での練習の時、「回しだし」の方が楽でした。しかし、「回しだし」が楽なら、健常者もそうなってよいのに、健常者はまっすぐ前に出します。まっすぐの方が後々楽ですね。私の場合、感覚が戻るたびに「回しだし」の毛が出てきますので、修正に努めています。そのときに単に「楽」というが後々障害の固定化につながる可能性があるのではと思います。
 9月8日(日)、昨日、尻餅というか後ろ向きにごろりと転びました。感覚がある程度戻ってきているのと、左右同程度の衝撃にもかかわらず、痛みなしなのでどうってことなしと判断しました。昨年、左手小指を玄関扉に挟んだときは大丈夫と思いつつ、レントゲンで調べてもらったのに比べると、え〜加減になったものです。骨を鍛えておかないと昨日みたいな軟着的な転びでも骨折という危険性が出てきます。骨の強化には栄養分もあるのですが、骨格筋にがんばってもらう、力を込めた収縮による刺激が必要だというのです。発症時に麻痺で筋肉が使えなかったときに気になったのが骨の劣化でした。筋肉を使わないと骨がぼろぼろになっていくので高齢者が大腿骨骨折とかすると筋肉がやせるとともに骨もさらにもろくなり、の悪循環になり、寝たきりになっていくと思います。リハビリで以前と同じように動かしたいというのもありますが、骨折したくないという思いでリハビリ的に筋肉を使っています。

2013年9月2日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No56   リハビリ、諦めたら終わり。セラピストさんのいうことも聴きましょう   左半身が寒がっています。「慣れて脳が左右で同じように感じてくれる」のを待つしかないのかな   結構すぐに役に立つことも教えていますよ、学校での勉強も   もう繰り返し繰り返しですよ、硬直感ね   最近、胃液が食道に逆流しているみたいな感じ   今日もまだ、胃液が食道に逆流しているみたいな感じ  見た目の常識というか思い込みから脱出を

 8月26日(月)、脳出血や脳梗塞など脳血管系が原因でほかに麻痺の要因が考えられない場合、初期からの取り組みがあとあと大きく影響するようですね。意識不明期間とかが絡みますが、早期に意識が回復した場合などですと、本人の取り組み、これの影響が大きいようです。そのときに目標をどのように設定するかも要因の一つになります。「片麻痺が教えてくれた人生のヒント」さんの「目標を設定するときに?」というと投稿にあった適切な目標というのも非常に大切だと思います。ただ、症状とか諸般の事情で改善が足踏みしているとき、「我慢してそのときの必要最低限のリハビリ」に継続できるのかどうかと言うのも大きいと思います。私は脳出血を意識し、麻痺を感じたときから「リハビリで完全復活を目指す」でした。まず、第一段階の目標「筋肉や関節を固めない、錆び付かせない。」で取り組んでいました。歩行練習とかは先の先の話と思えるときにね。自身の経験とかで筋肉を普通に使えるようにしておこうと。それと、人間の動作はすべて経験する必要があるということ、脳卒中などで神経細胞が死んだ部分があるので麻痺したこと、新しい神経細胞間の接続ができたとき、学習が必要であること、新しい接続は練習によってできることですね。人間生育の時、環境が大切というなかに直立歩行はそれを見て「歩きたい」と思い、練習してできるようになるのです。「使わないと使えなくなる」というのもあります。で、これらを意識して、リハビリを取り組んでいました。いつまでに歩行ができるようにとかの期限は考えてなかったです。リハビリにも順序があるのですね。普通はその順序でしてくれます。ですから、セラピストさんのしてくれたことは、私の思っていた順序の通りだったことになりました。それで、左半身完全麻痺から5ヶ月でリハビリ病院退院しました。そのとき、病院の階段を1〜5階まで往復でき、一日10000歩以上も歩けたり、コンタクトレンズを自分で装着できたりとか。ただ、右利きなので回復には不利だったようです。
 8月27日(火)、昨日、土曜日曜の大雨の後という曇り空、気温も上昇せず、30℃まででおさまっていました。当然、クーラーも扇風機も使わなかったです。で、左半身寒い寒い病が復活しました。こちらは、手足のリハビリと違って、「慣れて脳が左右で同じように感じてくれる」のを待つしかないのかな。前にも書いたように、私より感覚のずれの大きい方もおられるというのです。昨年の夏は手での感覚にアンバランスを感じた程度にすんだのにです。ここでも、脳が発症前を忘れているという現実に直面することになったということかな。視床出血なので感覚が途絶えただけで、大脳感覚中枢にはダメージはないはずですよね。汗の方は中枢の視床下部がすぐそばなので影響は十分考えられます。寒い暑いの感覚は大脳のはず。結局は忘れているという言い方で済ませますけど、つなぎ替えられた部分も含めて対応できていないことからかな。学習がすむまで続きそう。で、いつまで学習が続くのだろうか。
 8月28日(水)、昨日、全国学力テストの結果の一部が公表されましたね。どうも、解答を文章表現したり、文章題の問題文の意味の解釈とかが苦手のようですね。これは日本の伝統かな。よう「学校の勉強は役に立たない」とかほざくのがいますね。でもね、新聞が読める力とかは学校の勉強でですよ。ただ、歴史の勉強は「悲惨」の一言に尽きますね。年代と事件名だけとかを覚えて役に立つのでしょうか。これは理科でもいえるかな。そして、選択で生物の勉強をしない。しても歴史と同じような勉強では。保健や生物で人間の体について、いくらか勉強しているのに、病気になるとあたふたで、ちまたの戯れ言を信用してしまったりね。脳卒中とかですと、筋肉や関節や骨には障害がないのに気が回らない。勉強の知識がばらばらになっているのなら、ばらばらで考えれば、動かそうという気になってもいいのに変なところで一緒くたにしている。筋肉や関節とかにも障害が起こったとかね。症状とかいろいろなのですが、それらを整理して考えれたら、もっともっと回復できていたはずの人が多いように感じています。その原因の一つが教育での評価というか教育の成果をどう受け止めるかです。いろいろな分野のことを調べて、考え、活用できる力がリハビリでも必要のようですが。結構すぐに役に立つことも教えていますよ、学校での勉強も。順位争いとかになってしまうと無意味になるかも。
 8月29日(木)、今日は朝というのに足も腕も筋肉の硬直感に悩まされいます。早朝(午前6時頃ね)にわんちゃんを散歩に連れて行ったときは、快調でした。会心の一歩の連続だったのです。帰宅後あたりから、やばくなりました。今日はいつもよりストレッチをしたり、右手でもみもみしてみるほかないのかな。硬直感があっても夕方の散歩には行きますよ。それと、目指せ10000歩に。ところが、最近歩数計が計測できなくなってきているのです。今まで1500歩ぐらいのところで100歩以下とかになったりしています。どうも、使いすぎでセンサーがおかしくなってきたようです。ところが、無茶でなかったら、適正な使い方なら、人間の諸器官は使う方がよいようです。筋肉に力を込めて運動するとかですね。消耗性でない運動であれば、骨が強くなるか、もろくなるのを遅らせることができますが、筋肉を使わなかったら、どうも骨はぼろぼろになっていきますね。だから、運動するしかないのです。もう繰り返し繰り返しですよ、硬直感ね。
 8月30日(金)、ヒスタミンH2受容体阻害剤の服用をやめて6ヶ月、順調でした。ところが、最近、胃液が食道に逆流しているみたいな感じなのです。嘔吐とかの経験から類推してみると「胃液」が食道ですね。回復してきているようで、視床下部の制御のバランスが狂ったのかな。2月に処方してもらっていて服用していなかった阻害剤があるので試しに服用しました。前にも書いたようにこの薬、取説では「朝食後と寝る前」なのですが、医師の指示は「朝食後」と「夕食後」です。就寝中の胃液の逆流防止ということでは「寝る前」だと思うのですが・・・。で、寝る前に服用しました。やはり、視床下部にも影響があったのですね。このような意味では視床出血は怖いですね。視床下部は自律神経中枢であり、ホルモン分泌中枢でもあるのです。やばい、やばい。
 8月31日(土)、胃液の逆流ですが、寝る前服用で昨日はぼちぼちだったです。昨日も寝る前服用しました。ところが、朝食後、少し逆流しているみたいなのです。明日から、しばらく朝食後と寝る前に服用してみます。ところで、医薬品の長期服用は基本的にはよくないと思います。また、複数の医薬品の服用もね。医薬品は副作用をどの程度目をつぶることができるかで、主作用の方の医薬品として認可されていると思います。ですから、「気休めに服用」というのは副作用しか作用が起こらないという状態になります。医薬品は必要最小にしていきたいと思っています。結局は、主作用による利益と副作用による害との程度によって服用するかどうかになります。日本ブログ村の病気カテゴリーの中のあるカテゴリーで医薬品の長期服用についての投稿がありましたが、その医薬品、ネットで調べただけでも長期はやばそうだったです。私の現状は逆流性食道炎とかのリスクを避けるためにヒスタミンH2受容体阻害剤を服用しています。ヒスタミンH2受容体阻害剤も副作用があって、その中に「心疾患を持つ患者には処方しない」とかがあるようなのです。これは、胃のほかにも心筋にもヒスタミンH2受容体があるからです。
 9月1日(日)、毎日毎日投稿していて、個人情報を楽に悟られないようにとか、ほかの方の中傷とかをしないようにとか、もろもろを考えながらしていると書くことがないことがありますね。で、今日は・・・。やはり病気的かな。何かを継続的に行うということですね。そして、効果とかがわからなくても続けている。織田信長みたいに気が長いのかな。織田信長、美濃攻め10年、石山本願寺攻め10年、秀吉の兵糧攻めを結果が出るまで気長に待ち続けている。これと同じように待ち続けてもその間も一応コツコツリハビリを続けています。織田信長のすごいところは戦いの下準備に精力を投入していたことかな。リハビリも下準備が大事かな。私らみたいな視床出血だけですと、筋肉、骨、関節などには問題はないです。感覚が少し戻れば動かせるようになりますね。それまでの間、筋肉を固めない、関節を錆び付かせない、骨をできるだけ保っておくとかいう、一見効果のでていないリハビリが必要ですね。見た目の常識というか思い込みから脱出を。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人ですと、織田信長が一番慎重で待ち続けることができる武将だったと思います。

2013年8月26日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No55  規則正しい早起きかな  規則的な生活を送る必要のある意味合いについて。  「筋肉を固めない」「関節を錆び付かせない」などの対策をしておく必要、脳に刺激を与え続ける必要  今日も左手のふらつきでコンタクトが  視力障害の一種、円錐角膜  久しぶりに自室でクーラーを使ってみました。  またまた足のふらつきについて

 8月19日(月)、朝はいつものように4時半頃起床。すぐPC開始。「いつものお勤め」で1台目は順調、楽天のログインしたままのはずも鬱陶しい状態、なんでログインしていないのだ。infoseekから回ってログイン状態にね。邪魔くさいことの多い楽天かな。購入していくときの認証は必要かも思いますが。コンタクトレンズ装着順調。6時頃わんちゃんとの散歩にですが、わんちゃんがくしゃみをしました。寝冷えでもしたのかな。いつものところでうんちね。場所は秘密。朝の散歩の時の歩行状態は良好かな。「会心の一歩」という感じは大抵この散歩です。杖を持っていなかったら普通と変わらないような感じね。徐々に注意はしているのですが、左足首に弱い痛みを感じるようになります。休息するとおさまります。PCでメインに使っている方でのトラブルが頻繁に起こっています。この朝もです。今週中には別のに移行してしまおうと思っています。邪魔くさい。
 8月20日(火)、規則的な生活を送る必要のある意味合いについて。体内時計という話がありますね。その時刻を刻む仕組みついてある程度理解されつつあります。仕組みがどうレあれ、人間の場合は朝ある程度以上の強さの光を浴びて、時計がリセットされて、そこから1日が開始されるというのです。強すぎる光はだめね。普通のところでの日の出の時刻はよくずれて1日2分ぐらいかな。体内時計の補正できる範囲内です。日の出とともに起きて活動するというのが昼行性の人間みたいです。次に基準ができるのでいろいろな行動もできるだけ毎日同じ頃の方がよいのです。で、薬の服用も体の活動に合わせての方がよいので、本来は時刻指定のはずです。ただ、症状などで適宜食後とかや時刻などを指示されるようです。「食後服用」の指示が多いのは飲み忘れ防止だそうです。入院中の食事時刻は一定なので「食後」で一定時刻と同様になりますが、・・・・。ガスターなどは、基本が「朝食後と寝る前」だったと思っていますが、「夕食後」は・・・。ブログ村のブログを読んでいると、起床時刻とがばらばらの方も見られます。「朝食後」とかの服用薬がないか、食事に対する関係薬なのでしょうね。
 8月21日(水)、回復度合いを長期的にみていると、「回復している」と実感できることがありますね。最近、台所の流しの水道栓の操作で、微調整が以前よりできるようになったということもかな。もちろん左でですよ。右手に食器とかを持ったまま、その食器などに水を入れたり、汚れを軽く流したりなどするときは左で水道栓を操作します。以前は、ドッと出してしまうか出せないかだったのが、ぼちぼち出せるようになったと言うことです。まあ、性懲りもなく「挑戦し続ける」ということでできるようになったと思っています。人間の脳は「練習」を繰り返す必要がありますね。脳卒中などでは以前できていたことも忘れているようなので「繰り返し練習」というのが必要のようです。このような練習ができるようになるまでは、「筋肉を固めない」「関節を錆び付かせない」などの対策をしておく必要、脳に刺激を与え続ける必要があるようです。
 8月22日(木)、筋肉の動きが安定しないですね。これで、困るのが「コンタクトレンズ装着」です。両手使いで装着する私にとって、左手が安定しないというのは、コンタクトレンズを左手人差し指先に乗せた場合、ふらふらしてタイミングよく瞳を外してくれるのです。角膜等を傷つけずにするためには短時間でも定位してほしいのです。左手の親指と人差し指で瞼を開けるというのも肝心なときに指がずれて、瞼が閉じることに。ただ、感覚神経が復活しつつあるとも考えられるのです。筋肉の感覚神経が復活するたびに「再学習」かな。感覚神経はどのぐらいあるのでしょうね。乳幼児の発育時の試行錯誤回数のことを考えると、延々とこのふらつきが続きそうな気もします。でも、いつかは収まるでしょうね。
 8月23日(金)、日本ブログ村病気カテゴリーの中の視力障害で見ていたら、私と同類の円錐角膜がいました。円錐角膜、結構発見が遅れるようですな。視力障害で障害者手帳申請云々とありました。私の場合はハードコンタクトレンズ装着で0.5あたりの視力があるので弱視ではないことになるのかな。コンタクトレンズなしですと、視力検査で最上階専属で近づいて云々とかも。でもね、診断は40年ほど前で、それ以来ハードコンタクトレンズ装着です。ベテランですわ。そのベテランでも、左目への装着時はいと怖い。感覚が、特に痛覚が戻っていると、痛い痛い痛いですから。そのブログの人、ソフトコンタクトを試したことがあるようです。「視力は回復しない」という前提ならよいかも。視力回復はハードコンタクトレンズのみですよ。どこの藪医者なのかな。ただ、角膜を少しずつ傷つけますので常に定期検診が必要になります。
 8月24日(土)、昨日、午前の訪問リハビリのため、クーラーを作動させました。28℃設定ね。その終了後、いつもはオフ、扇風機なのですがクーラーのままでやってみました。設定温度は30℃で、31℃ですと汗が。それでも、左半身側で寒気が、いつまで続くのだ。28℃はセラピストさんのためです。まあ、30℃で夕方までね。その後はオフ。夜はだいぶん不用心な窓で寝ました。怖いのは盗られるようなものがないというので居直られることね。盗られるものがある方が少しは安全かな。いつものように寝たのです。そして、朝、いつもより疲れている感じでした。昨日のクーラーが効いたのかもしれないですね。まあ、熱中症の危険性をとるのか、クーラー疲れをとるのかその人の考え方だと思いますが、生きていて言えることでもあるのは確かです。つべこべ言う前に死なないようにしましょうね。今も扇風機です。
 8月25日(日)、またまた足のふらつきについて。足に中途半端な力を込めたり、風呂で足をできるだけだらんと伸ばしたり等々の時、ふらふらと結構大きく揺れるのです。理由を推測すると、感覚神経が徐々に戻ってきているため、そのたびに脳が学習をして学習をしているとね。本当かな。そのうち、安定したら「この推測で正解」かも。つま先立ちで少しだけ歩けるように、踵から着地を極端に意識しても歩けるようになりました。距離は短いですよ。長距離をすると足を痛めると思います。1日10000歩もちょくちょく。そして、左足に体重をほぼ乗せた状態(片足立ちに近い)で左手で壁のスイッチを押せました。時々、これらをしています。人間の体や脳は若くても「使わないと使えなくなる」ので、常にいろいろな動作を少しでも取り入れるようにしています。腕の振り回しは入浴の時に短時間ね。その割にグ・パはしょっちゅうとか、この頃は足首の運動もよくします。左手を足で挟んで、背筋を使って左腕を伸ばすというのもよくやってます。麻痺すると屈筋が優勢になるようですね。それで、「曲がったまま」になりやすいようです。ホームページ数を2つ減らしたと思っていたら、業者の再申し込み受付のメールを今度は気がつき、復活させました。これで、SNS2カ所(友達のみなどの制限)、ブログ、11カ所、ホームページ10カ所に戻りました。この方面の病気かな、ただ、ページ構成とかはずぼらです。(大笑)

2013年8月26日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No55  規則正しい早起きかな  規則的な生活を送る必要のある意味合いについて。  「筋肉を固めない」「関節を錆び付かせない」などの対策をしておく必要、脳に刺激を与え続ける必要  今日も左手のふらつきでコンタクトが  視力障害の一種、円錐角膜  久しぶりに自室でクーラーを使ってみました。  またまた足のふらつきについて

 8月19日(月)、朝はいつものように4時半頃起床。すぐPC開始。「いつものお勤め」で1台目は順調、楽天のログインしたままのはずも鬱陶しい状態、なんでログインしていないのだ。infoseekから回ってログイン状態にね。邪魔くさいことの多い楽天かな。購入していくときの認証は必要かも思いますが。コンタクトレンズ装着順調。6時頃わんちゃんとの散歩にですが、わんちゃんがくしゃみをしました。寝冷えでもしたのかな。いつものところでうんちね。場所は秘密。朝の散歩の時の歩行状態は良好かな。「会心の一歩」という感じは大抵この散歩です。杖を持っていなかったら普通と変わらないような感じね。徐々に注意はしているのですが、左足首に弱い痛みを感じるようになります。休息するとおさまります。PCでメインに使っている方でのトラブルが頻繁に起こっています。この朝もです。今週中には別のに移行してしまおうと思っています。邪魔くさい。
 8月20日(火)、規則的な生活を送る必要のある意味合いについて。体内時計という話がありますね。その時刻を刻む仕組みついてある程度理解されつつあります。仕組みがどうレあれ、人間の場合は朝ある程度以上の強さの光を浴びて、時計がリセットされて、そこから1日が開始されるというのです。強すぎる光はだめね。普通のところでの日の出の時刻はよくずれて1日2分ぐらいかな。体内時計の補正できる範囲内です。日の出とともに起きて活動するというのが昼行性の人間みたいです。次に基準ができるのでいろいろな行動もできるだけ毎日同じ頃の方がよいのです。で、薬の服用も体の活動に合わせての方がよいので、本来は時刻指定のはずです。ただ、症状などで適宜食後とかや時刻などを指示されるようです。「食後服用」の指示が多いのは飲み忘れ防止だそうです。入院中の食事時刻は一定なので「食後」で一定時刻と同様になりますが、・・・・。ガスターなどは、基本が「朝食後と寝る前」だったと思っていますが、「夕食後」は・・・。ブログ村のブログを読んでいると、起床時刻とがばらばらの方も見られます。「朝食後」とかの服用薬がないか、食事に対する関係薬なのでしょうね。
 8月21日(水)、回復度合いを長期的にみていると、「回復している」と実感できることがありますね。最近、台所の流しの水道栓の操作で、微調整が以前よりできるようになったということもかな。もちろん左でですよ。右手に食器とかを持ったまま、その食器などに水を入れたり、汚れを軽く流したりなどするときは左で水道栓を操作します。以前は、ドッと出してしまうか出せないかだったのが、ぼちぼち出せるようになったと言うことです。まあ、性懲りもなく「挑戦し続ける」ということでできるようになったと思っています。人間の脳は「練習」を繰り返す必要がありますね。脳卒中などでは以前できていたことも忘れているようなので「繰り返し練習」というのが必要のようです。このような練習ができるようになるまでは、「筋肉を固めない」「関節を錆び付かせない」などの対策をしておく必要、脳に刺激を与え続ける必要があるようです。
 8月22日(木)、筋肉の動きが安定しないですね。これで、困るのが「コンタクトレンズ装着」です。両手使いで装着する私にとって、左手が安定しないというのは、コンタクトレンズを左手人差し指先に乗せた場合、ふらふらしてタイミングよく瞳を外してくれるのです。角膜等を傷つけずにするためには短時間でも定位してほしいのです。左手の親指と人差し指で瞼を開けるというのも肝心なときに指がずれて、瞼が閉じることに。ただ、感覚神経が復活しつつあるとも考えられるのです。筋肉の感覚神経が復活するたびに「再学習」かな。感覚神経はどのぐらいあるのでしょうね。乳幼児の発育時の試行錯誤回数のことを考えると、延々とこのふらつきが続きそうな気もします。でも、いつかは収まるでしょうね。
 8月23日(金)、日本ブログ村病気カテゴリーの中の視力障害で見ていたら、私と同類の円錐角膜がいました。円錐角膜、結構発見が遅れるようですな。視力障害で障害者手帳申請云々とありました。私の場合はハードコンタクトレンズ装着で0.5あたりの視力があるので弱視ではないことになるのかな。コンタクトレンズなしですと、視力検査で最上階専属で近づいて云々とかも。でもね、診断は40年ほど前で、それ以来ハードコンタクトレンズ装着です。ベテランですわ。そのベテランでも、左目への装着時はいと怖い。感覚が、特に痛覚が戻っていると、痛い痛い痛いですから。そのブログの人、ソフトコンタクトを試したことがあるようです。「視力は回復しない」という前提ならよいかも。視力回復はハードコンタクトレンズのみですよ。どこの藪医者なのかな。ただ、角膜を少しずつ傷つけますので常に定期検診が必要になります。
 8月24日(土)、昨日、午前の訪問リハビリのため、クーラーを作動させました。28℃設定ね。その終了後、いつもはオフ、扇風機なのですがクーラーのままでやってみました。設定温度は30℃で、31℃ですと汗が。それでも、左半身側で寒気が、いつまで続くのだ。28℃はセラピストさんのためです。まあ、30℃で夕方までね。その後はオフ。夜はだいぶん不用心な窓で寝ました。怖いのは盗られるようなものがないというので居直られることね。盗られるものがある方が少しは安全かな。いつものように寝たのです。そして、朝、いつもより疲れている感じでした。昨日のクーラーが効いたのかもしれないですね。まあ、熱中症の危険性をとるのか、クーラー疲れをとるのかその人の考え方だと思いますが、生きていて言えることでもあるのは確かです。つべこべ言う前に死なないようにしましょうね。今も扇風機です。
 8月25日(日)、またまた足のふらつきについて。足に中途半端な力を込めたり、風呂で足をできるだけだらんと伸ばしたり等々の時、ふらふらと結構大きく揺れるのです。理由を推測すると、感覚神経が徐々に戻ってきているため、そのたびに脳が学習をして学習をしているとね。本当かな。そのうち、安定したら「この推測で正解」かも。つま先立ちで少しだけ歩けるように、踵から着地を極端に意識しても歩けるようになりました。距離は短いですよ。長距離をすると足を痛めると思います。1日10000歩もちょくちょく。そして、左足に体重をほぼ乗せた状態(片足立ちに近い)で左手で壁のスイッチを押せました。時々、これらをしています。人間の体や脳は若くても「使わないと使えなくなる」ので、常にいろいろな動作を少しでも取り入れるようにしています。腕の振り回しは入浴の時に短時間ね。その割にグ・パはしょっちゅうとか、この頃は足首の運動もよくします。左手を足で挟んで、背筋を使って左腕を伸ばすというのもよくやってます。麻痺すると屈筋が優勢になるようですね。それで、「曲がったまま」になりやすいようです。ホームページ数を2つ減らしたと思っていたら、業者の再申し込み受付のメールを今度は気がつき、復活させました。これで、SNS2カ所(友達のみなどの制限)、ブログ、11カ所、ホームページ10カ所に戻りました。この方面の病気かな、ただ、ページ構成とかはずぼらです。(大笑)

2013年8月19日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No54  看護実習で私を担当した学生と会います。  会って話をするというのは楽しいですね。  視床出血で「なんでボトックスが必要なの?」   暑さの中にも秋の気配が  尻の感覚も戻ってきつつあるようです   コンタクトレンズ装着で一苦労   腕の振り回しをご覧あれ

 8月12日(月)、今日、看護実習で患者の私を担当した学生と会います。普通、このようなことですと、実習終了で終わりのようですね。どうして、会う理由があるのか。本来は医師も看護師も療法士もというように「その後」について、知っておく方が役にたつと思うのです。実習中の私は左半身完全麻痺の状態から、ぼちぼち歩行練習や指が動き始めたようなときだったと思います。指や腕は病室でも自主トレができますね。足は闇トレでないとうるさくいわれる状態かな。その後、昨年の8月に階段登り降りとかの回復状況を見てもらいました。そして、その1年後、ある意味回復が逆戻りみたいな部分も出ている現状を見てもらうことになると思います。理由は感覚神経が回復してきて、痛みやあるいはアンバランスな回復で筋肉が安定しないからかな。他の方も書かれているのですが、「できるようになたみたいだが痺れが・・・」とかいうことですかな。てな状況をね。看護実習の担当患者になったときは「昼間は起きていて話を楽しむ」というのが最低限の礼儀かも。
 8月13日(火)、昨日は、いろいろと話をしました。ペットの話もね。感覚の戻り状況で左手で握手をしてくれたのですが、まだなにかものを持ったという程度なのです。指の曲げ伸ばしとかできるのに、何かに触れているというだけなのです。リハビリの目標の一つの「コンタクトレンズが扱える」はまだまだ先のようです。最初の病院での様子を見てもらっているので、どのようにするとよいかの一つのヒントにはなったと思います。病状は人それぞれですものね。入院時に私の家族に主治医が言ったこと、「一生、寝たきりか車イス生活になる可能性がありますよ」というのは実習の時、聞いていなかったみたいです。昨日はいつもと違って、日中、喫茶店とかスーパーとかクーラーのあるところで過ごしたのに夕方調子がおかしかったです。やはり、クーラーなし扇風機で水分を十分に補給しながら汗タラタラの方がからだにはよいみたいです。でも、普通の人は真似しないでね。本当、昨日「ありがとうございました。」と思いました。
 8月14日(水)、日本ブログ村の病気、脳卒中のカテゴリーである方のブログを読んでいて、また、「なんでボトックスが必要なの?」と思ったのがありました。視床出血という同じようなことで、病院まではご自分でたどり着いたそうです。入院当初で私と比較すると、私は左半身の存在すら意識から消えていました。その方はなんか・・・で、読んだ感じでは私より左半身の存在感がいくらかあったみたいです。で、私は動画のように左手は動かせるようにしました。歩行は入院中に小走りも教えてもらいました。もう、入院当初への時間の後戻りはできないので、今後の方のためという感じでこの闘病記を続けています。歩けなくなったとか、手が使えなくなったとかは原因によって対処法が変わると思います。でも、脳出血や脳梗塞だけが原因と考えてよい場合は、筋肉、関節、骨は正常ですよ。ところが、歳を取るにつれて「使わない」→「錆びついて動かなくなる」というのが駆け足で迫ってきます。私は入院して、落ち着いたとき、筋肉や関節をよい方(右ね)で伸ばしたり、曲げたり、などをしましたが、時間との勝負という意識もありました。どう、勝負なのかというと、「なんとか脳の指令で動かせるように早くしたい。そうでないと固まってしまう。」固まるまでの時間をどう延ばすかですね。それと「医療保険制度の問題、6ヶ月問題」、この期間内に使えるように、目途をつけたい。そのためには「脳は刺激を必要としている」というのと栄養分の問題ですね。入院中にサプリを購入するということもしました。病院食を見ていると、脂肪酸の種類で疑問を持ったからです。脳は体を使うことで活性化されます。高齢になっても樹状突起などを伸ばしているみたいです。だから、私でも感覚が戻ってきているのです。でも、そのためには脳への働きかけが必要です。すべてがうまくいったわけではないと思いますが、意識が戻って落ち着いた頃からごそごそしていました。日中は車イズで過ごして、上半身を直立にね。PCですと、椅子にもたれかかるでは利用しにくいので完全に起き上がりね。脳への刺激になってたはずですよ。テレビは情報を受け取るだけみたいなものです。PCですと、操作して、場合によると「探す(検索ね)」とかで能動的部分がより出てきます。テレビより高齢者には不親切ですよね。でも、脳をテレビよりはよく使えたかも。
 8月15日(木)、暑い日が続きますが、やはり朝夕には少し前日よりは穏やかという雰囲気が出てきていますね。これはクーラーガンガンの室内で生活しているとわからない程度の少しの変化です。視床出血などによる麻痺でのリハビリの効果も「劇的」なんてないと思います。ほんの少しずつね。ところが悪化する方には不意打ちで「劇的」というのがあると思います。熱中症でもなってしまうと死ななくても回復には数週間の入院とかですね。「悪くなる」というのを「衰える」という変化で捉えると、成長期以外は「劇的に衰える」というのがよく起こると思います。骨ですが、多くの人は一度できたら変わらないとでも思っているのかも。でも、骨は日々の鍛錬の程度によって作り直されるときに強度が変わってきます。体を使わなくなると脆くなっていきます。筋肉も使わないとやせ衰えます。体のいろいろなところで「劇的に衰える」ということが考えられるのです。ですから、できるだけ「動かして動かして働かせて働かせて」して、衰えを遅らせるしかないのかも。よい方には「少しずつ」しかいかないのでは。ですから、感覚を研ぎ澄ませて変化を感じることができるようにしておきたいです。
 8月16日(金)、尻の感覚も戻ってきつつあるようです。椅子の座り心地のよくないこと、よくないこと、座りにくい。そうそう、左足での痒みがわかるようになっています。そして、左手で掻き、?き。最初の病院で、右腕の痒いところを左手で掻こうとしてできませんでした。最初の病院で左腕や左手が徐々に動かせるようになっても感覚が戻っていなくて役立たず。でも、動かせたのは眼からの情報でしょうね。人間の動作は必ず、感覚情報で動作の情報を感知する必要があるようです。ですから、感覚神経が麻痺する視床出血で動かせなくなると思うのです。でも、普通は視覚の情報で運動を幾分か制御できているのでしょうね。それが、感覚が戻る前に幾分か動かせた理由かも。今は見ていなくてもグ・パできますが、始めの頃は「見ている」というのが必要でした。感覚が戻りきっていない証拠は物を掴むとき、「探って掴む」というのができないということにあらわれていると思います。コメントを書かれた方へ。過去に経験したコメントで、「放置する」というので対応しちゃいました。その癖で「コメント」を気が向かない限り、見に行かないのです。このブログの最近のコメントはすぐに読んで返信した方がよかったと今頃、思っています。すみませんでした。
 8月17日(土)、今日の朝、コンタクトレンズ装着に時間を費やしました。左が安定しないのです。いつもより不安定。洗面所の流し部分は広い、これは私にとっては無意味。それより左右の作業台の広さの方が重要になります。両手使いでのコンタクトレンズ装着なのですが、左腕を作業台に全体を載せないと安定しにくいのです。肘部分だけですとグラグラ。その点、病院は流しの手前が広かったような記憶が。腕を載せることができるのですね。水を使う部分はそう大きくする必要はない、というか、最小限でよいと思います。右は麻痺していないからと水量調節装置を右にしてありますが、右手にはコンタクトレンズですがな。前方遠からずのところに横向きの調節装置でないと使いにくい。左手でコンタクトレンズ洗いができるのは麻痺していない場合ですがな。麻痺したらコンタクトレンズみたいな小物は扱えないですよ。だから、リハビリの目的に使えるのかな。ただ、右手と同様にとなると・・・。何回も何回もやり直して装着できました。実際は台所の調理台で装着です。平らで広いですから、左腕を置きやすいのです。手の甲の部分も台の上に載せることができるというのがよかったかな。
 8月18日(日)、腕の振り回しをご覧あれ。この腕ですが、夜、痺れというか筋肉の違和感というかごちゃごちゃで眠りが浅くなっていたみたい。その割には午後9時半頃から朝の4時半まで途中短時間眠りが浅くなったような感じの時があったという程度かな。でも、いつもより朝の目覚めがよかったというのか、寝てられないという方かな。で、起きました。暑さの方は関係ないです。朝のコンタクトレンズ装着は昨日に比べると楽勝。痺れている割には、使い勝手がよくなったり、戻ったりで徐々によくなっているのかな。

2013年8月12日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No53  脳に必要な栄養分とは何か  今感じている痺れや痛みは原因は何なのかな?視床痛ではありません   貯蓄より投資へ、その根拠とは?  医薬長期連用による害、複数医薬併用による害  痛い、痺れる、硬直感がキツイ   リハビリも勉強も「やらさせられている」状態では効果なし   だから、動かし続けますよ、何時までも。動画もね。

 8月5日(月)、昨日の続きね。脳での再構成に必要な栄養分とは何か。通常、エネルギー源には「ブドウ糖」を利用しています。通常以外はしらな〜い。ですから、血液中のブドウ糖(グルコース)量はできるだけ100mg/血液100mlに調節されています。極端に低くなると低血糖で昏睡、そして死にますよ。高くなるとその程度によりますが、尿にブドウ糖が出てくることに、ここから、「糖尿病」という名がついたようですが、血糖調節不全症とかのほうがいいと思うのです。高いとその人の弱い部分に合併症が出てきます。場合によると全身ね。タンパク質、脂質などなどね。脳が他の臓器と違うところは細い細い管(軸索や樹状突起)を伸ばしまくっていること。その管のうち、細胞に一つは長く、管の周りを平たい細胞で包まれていることね。長いのは軸索ね、他の多数は樹状突起ね。このことから、細胞膜の割合がやたらと大きな臓器であるということがいえます。脳での再構成とかは細胞膜をつくる仕事になるかな。細胞膜の成分は「リン脂質などの脂質」と「タンパク質」と「糖鎖」などのうち、脂質が量的にも大きいかな。この脂質には人間のつくれない脂肪酸も必要なのです。飽和脂肪酸も使いますが、これは人間も大量生産できます。不飽和脂肪酸という方で生産できないのがあるのです。例えば、サプリで有名なのがDHA(脂肪酸の一種のω3系のリノレン酸よりつくる)とかね。これ、子どもの脳の発育促進とかでも有名ですね。ω3系の不飽和脂肪酸で多く含む食品には結構偏りがあります。背の青い魚とかね。ω6系はリノール酸(これも脂肪酸ね)なので普通では不足しないと思いますが、飽和脂肪酸とごちゃごちゃに思って摂取制限すると場合によっては不足するかも。どの栄養素も取りすぎはダメですよ。不足もダメですよ。万遍なくぼちぼちがよいのです。積極的にリハビリをおこなって、脳に刺激を与え、栄養分も不足しないように摂取していく必要があると思うのですが、脳での必要脂肪酸の種類と量について、病院関係者が十分理解しているかについては??????????です。
 8月6日(火)、リハビリとかで感じることがあるのに、筋肉の痛みや痺れなどがありますね。肺がんの手術の後で背中の筋肉が痛くなったことがありました。どのようにして痛みから解放されたか。簡単でした。このときは痛みをこらえて、背筋を伸ばしました。数回、ほんの短時間ね。痛みは消えてました。今回の麻痺した時みたいに筋肉が縮み上がっていたのでしょうね。ですから、今回は麻痺した側の筋肉を右側を使って伸ばしたり曲げたり、腕は伸ばしたり伸ばしたり、指もついでにね。この手の痛みは鎮痛薬で解消できるのなら、鎮痛薬使用時に動かしましょうね。私はわからないです。鎮痛薬未使用のためね。痺れの方はあるサイトで脳での再生が起こっているからというのがあり、最初の病院の関係者も「痺れがおさまったら、再生も終わり」とかいっていました。この話を聞く前にω3系の不飽和脂肪酸を摂取したら、痺れが出てき始めました。ω6系はマーガリンでもね。マーガリンはトランス脂肪酸を高い割合で含むので摂取には注意を。退院後も不飽和脂肪酸摂取にはサプリとかで少し余分に摂取しています。全脂肪中の数%にもならない量です。感覚神経とかが復活する度に脳は学習をします。それが温感のズレを起こしたり、筋肉の硬直感だったりします。学習をして平常になったいくことになるのかな。感覚の戻りが終了すれば、足の貧乏揺すりみたいなふらつきもおさまるのではと思っているのです。リハビリは、このような通常でない感覚がおさまるまで続ける必要があると思っています。いつまでだあ。それと、痛みや痺れの理由が私が今日、投稿した理由という前提です。これが外れて、他の原因だとしたら、怖〜いことも。
 8月7日(水)、片腕のエンジニアさんが「株式投資」を投稿されていましたが、その通りと思います。株価が低迷していたときはもっと利回りはよかったですよ。株式投資を始めて、これから「稼ぐぞ」と思ったとたん、リーマンショック、これ、欲の皮の突っ張っているのがリスクを考えずに投資していたアメリカのサブプライムローンの焦げ付き、CDSの焦げ付きですわ。普通の感覚なら投資しない分野に投資したためかな。でも、堅実な企業は自力で生き残りましたね。配当も継続していました。暴落で購入した株は漬け物です、「塩漬け」。個人ですと、この漬け物をつくることもできます。次が欧州金融危機ね。国債乱発による国家の信用力低下。これと同じなのが日本と思うのですけどね。アベノミクスで含み損はなくなりました。この期間、配当は結構よかったと思います。銀行金利はほぼゼロだったし。これから、稼げるかというときに脳出血、ゆっくり値動きを観察する気力が・・・。日本は本気の日銀引き受けもできますけど。徹底した日銀引き受けは「国債暴落」に繋がるはずです。すると、金融システムはガタガタになるかな。第二次世界大戦で国家は潰れましたが、企業は生き残りましたね。日本やドイツなど。日本の財閥系企業やベンツなどは生き残りました。他にも多数の企業がね。確かに「倒産」とかもありますが、このように考えると現在の国債の危うさは「選挙がある」ということかな。不人気な緊縮政策と大胆な構造改革をセットでおこなうことができるかです。至近では「農業改革」に取り組むことができるのかですね。開放とか関係なしに必要です。年金医療分野もかな。開業医がいろいろな難病、私らみたいな脳出血や脳梗塞、癌などなど、救急や高額医療機器も備えて高度治療の入院も含めて面倒見て貰えるのなら、病院がいらないことになるので勤務医の条件は今のままでもと思いますが、開業医が面倒見ないからという理由で病院がどうしても必要なら、俗にいう勤務医の勤務条件を恒常的によくして下さい。医療費総額は限度がありますよ。国民の稼ぎ総額から出てくると思います。日本みたいな国では医療だけでは国は維持できないですよ。投資ではドルコスト平均法的な方法と塩漬け法で、株価が底値近いとかここ何年かの平均で低いとかに併用して投資すると、ボロ儲けはできないですけど損をすることはほとんどないと思います。年単位で含み損を抱える覚悟も必要かな。こんなのでも預金金利よりよかったです。
 8月8日(木)、薬害で化粧品のを先日投稿しましたが、あの化粧品、1〜2日のみの使用ではなく「長期連用」ですね。普通、薬事法での治験でも年単位はなかったと思うのです。だから、継続的に投与した医師などに報告を求めているはずです。私も血圧の薬をぼちぼち止めたいと思うのです。それは「長期連用」になってきているからです。複数の薬による害と長期連用による害、単独短期で出る害のうち、いくつかの複合的な組み合わせ以外は単独短期が治験の対象かな。個々の薬で副作用がそれほどでなくても、複合作用で大きく出たり、長期のため徐々にあらわれたりとかで薬害というのは、何時出るかわからないと思って常に注意する必要があると思います。インスリンは俗にいう薬害はないと思います。これは人間の膵臓のランゲルハンス島から分泌されるホルモンそのものですからで、人間が通常作らない物質、摂取しない物質による薬はすべて薬害の可能性が、そして、アレルギーを考えると・・・。ですから、薬は常に薬害の可能性を考えるべきでしょうね。別の高血圧薬で、副作用の報告がありましたね。400万人で40人ほど。発売10年ぐらいでも出てくるのですね。「報告した医師は立派」なのですが、立派な医師が少ないような気もします。副作用が絶対でない薬なんて造れないはずです。ところで、よく「絶対安全」とかほざいているのがいますね。宇宙をうろついている巨大隕石でも降ってきたら、一巻の終わり。飛行機は引力に逆らっているのでちょいちょい落ちていますね。新幹線も安全対策を取っていますが、南海トラフで直下型になると保証はないですよ。そのほか、もろもろの事情で「絶対安全」なんてないですよ。どの程度の危険率を許容するかだけですよ。薬もね。予防接種では「集団免疫」という考え方があるので、「国家補償」を取り入れ充実させる必要があるのに「個人負担」のみの感覚ですね。薬害には国の責任、企業の責任、医師薬剤師の責任等があります。指示された服用とかで薬害が生じて後遺症や・・などの被害が出た場合は「救済」、それも一生に渡る「救済」を国がおこない、その後、すぐに原因究明と治療法を見つけることなどをし、責任等の追求はすぐでなくても。原因が究明されたら、責任の所在も明らかになると思います。うやむやの好きな日本、その割に弱いものいじめ的な責任追及もある日本。うやむやにしていっているのは巨大な力を持っているところですかな。
 8月9日(金)、痛い、痺れる、硬直感がキツイ。昨晩から、凄いです。久し振りにいつもより眠りが浅かったです。手のグッ・パの繰り返しでもキツイ。これから訪問リハビリなのでマッサージ、マッサージ。指の爪を切っておく方がよいみたいなのですが、どうしようかな。コンタクトレンズの取説には「切っておくこと」とかあります。確かに爪は短い方が装着には楽です。そうそう、歩数計で安物も試してみたり、さらに安い100均で購入したものですと、歩数のカウントをしないのです。原理的には重心の上下動でのカウントなのですね。どうも、上下動が弱くなってしまっているみたいです。というか、リハビリで上下動の少ない歩き方に変わってしまったのかな。上下動の少ない方が足には負担が少ないかと思うのですが。
 8月10日(土)、「片麻痺が教えてくれた人生のヒント」さんの「やらされるリハビリに効果なし?」を読ませていただきました。その通りと思います。効果があってもわずかでしょうね。でも、「やらないよりはマシ」かな。ところが、日本人は結構「やらさせられている」状態でも能力を発揮できる精神状態の人が多いみたいですが、リハビリはそうはいかないみたいです。子どもの勉強とか部活とか「やらさせられている」という状態からでも熱心になっていったりしていますが、最終的には自発的に好きなり、自分で考えながら勉強しているとか、練習しているとかの子の方がよいようです。やらさせられているのと自発的では本心での目標設定が違ったりしているのでは。リハビリには順位付けはないですね。また、順位なんてつけられないですよね。誰かと比べるものではないですよ。あくまでも自身の内なる挑戦によって切り開かれるものですね。これは、リハビリ以外の分野でもなのですが、比較好きの日本では前提条件(症状や個体差など)も考えずになってしまいやすいかもね。
 8月11日(日)、最近ネタのヒントに他の方の投稿を参考にしています。本日は「七転び八起き」で投稿されていた方がおられました。で、私は「七転八倒、でも起き上がるぞ」をモットーにしております。でもね、起き上がるとき、その場で起き上がれるときと別の場所、方法でというのもありかなと思います。脳出血でのリハビリでは、脳の再生(脳での配線の付け替えね)が起きて進むと思うのです。その時、これ、期間がどの程度かかるかは「神のみぞ知る世界」かな。そうすると、失敗しても失敗しても、繰り返し繰り返し繰り返し繰り返すべきか、別の道を考えるべきかの判断をどこかでする必要があると思うのですが、早すぎると「回復できていたのに車イス」とかであったり、遅すぎると別の方法で人生楽しむというのができなかったりで難しいですよね。諦めるまでに七回も転んでいないのではという感じ方も見受けられました。そして、「あなたは症状が軽かったのでしょう」と合理化(心理学の用語)して、自分を納得させているのではと思ったりもしています。何回転ぼうが諦めないぞ。「人間の体は動かしている」のを止めると退化します。脳も筋肉も関節もその他臓器もね。だから、動かし続けますよ、何時までも。昨日、動画を http://toubyou-sisyou.blog.so-net.ne.jp/ にアップしました。手のグッパグッパです。動くのですが、感覚の戻りが不十分なため、信頼性はないです。今日は撮影者が不慣れなため、わかりにくいですが、左手で電池を掴み、元に戻している様子です。

2013年8月5日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No52  リハビリは行ったり来たり、今日は腕の痛みがキツイ  闘病記を投稿し始めて1年、ブログ村に参加して4ヶ月、いつまで続く毎日投稿   なんで、こんなに麻痺したままなの???  麻痺がわかったとき、最初にどう思うのかな  感覚も運動の様子も行ったり来たりしながら   更新された介護保険証が来ました。 人間の脳、柔軟性がある?ない?どっちと思いますか

 7月29日(月)、26日(金)の訪問リハビリの時にぼちぼちだった左腕のひねりの具合が、今日は痛い。痛い、痛い、痛い。とかいっても右腕で痛みのない程度には左腕でもできるようにしておきたいですよね。右半身側では普通なのに左半身側では「痺れがあるので感覚が鈍い」とか「硬直が今日はきつくて痛い」とか耳の感じも今は普通ですが、突っ張っている感じがよくします。腕や足は痛みなどがあるので「使わない」とかにすると「使えなくなってしまう」と思うので、今日の左腕は風呂でやってみます。なぜか、湯船でお湯に浸かって動かすと日中できなかったことができたり、痛みが穏やかになってできたりします。暖め効果ですかな。なら、この灼熱地獄の中、クーラーもつけずに水分、塩分補給でしのいで体が冷えていることはない状態で「なぜ、痛い?」。今は左半身ガタガタ中、震えているので筋肉の硬直がきつくなっているのかな。ガタガタ中でも左半身も汗が、なぜ、誰か教えて!!! 点眼時に左手が役立たずに戻ってしまった。回復するのは何時、何回ぐらい往復するのかな。
 7月30日(火)、ブログ村に参加用のブログをつくってから4ヶ月と少し、欠かさず毎日投稿しています。ひょっとして、何かの発達障害的要素を持ってたりして??? それ以前からの闘病記では1年ほどになります。最初の頃はドバッと一気書きであったと思います。読みにくい、すみません。途中から、日付入り、箇条書き的にしました。その一日分を日本ブログ村用につくったブログではその日(つくった日ぐらい)あたりから毎日毎日毎日途切れることなく今のところ投稿継続中。「ドバッと1週間分まとめて」はブログ等12カ所、ホームページ10カ所月曜日にアップアップしています。昨日もね。一昨日、各ブログのアクセス解析をみたら、平均すると「継続は力なり」ですね。「リハビリも継続は力なり」ね。ただ、ホームページの方はトップページにしかカウンターをつけていないのでわからないです。ブログ村用につくったブログはたくさんの方に訪問されているのは確かです。ありがとうございます。検索で「闘病記(視床出血)」を使ってして貰えると、ドバッと引っかかってきます(最近はヒット率が低下しています。以前は上位100に50〜60ぐらいありました。)。内容を見て貰えればどれか見当がつくと思います。
 7月31日(水)、「日本ブログ村」の「脳卒中」で面白そうかなとブログへとクリックしていって読んでいます。そして、時々「なんで、こんなに麻痺したままなの???」と思う方のブログにであうことがあります。視床出血で傾眠状態であるような感じで救急車で病院に搬送され、左半身がほぼ完全麻痺状態になった私の状態と比べてみると、どうして麻痺がこれほど残っているのかなという方のブログです。ある方のブログですと、読み取ると「傾眠」で死ぬ危険性もある程度あると思いましたが、私もだよ。急性期の病院に約1ヶ月、その後、リハビリ病院で3ヶ月半の入院で足漕ぎ車イス暴走族に、退院時には、歩く歩く歩く、杖歩行で1日で10000歩、退院したら装具は取りました。でも、1日で10000歩。その方は装具が必要だとか。同じ視床出血でも出血した血液の漏れた方向が違ったのかな。腕は救急病院で、少々物を掴み移動させることができる程度にはしました。こちらも当初は完全麻痺。ベッドの頭側をあげていっただけで、頭を下にしてベッドから転落、よくこれで頸椎損傷もなしですんだのは奇跡的かも。何せ、首を少し縮めたら、頭が床からはなれ、少し伸ばすと、頭頂が床に接触状態でベッドにぶら下がっていました。こっちの方が出血よりやばかったかもね。頸椎損傷なら、それこそ、寝たきりですね。おおこわ。しっかりした視床出血です。これで、「危険人物」としてブラックリスト記載、監視がきつくなったこと、きつくなったこと。場所も病棟で一番監視のできる場所に強制移動。強制ですよ。この後のことはわりと記憶にあるのです。三途の川に嵌っておぼれ生きできたのかな。看護師さんにこのとき言ったこと、「大きな音をたてたら、ナースコールなしでもきて貰えるのですね。」とね。不届きな患者ですね。救急病院で杖歩行の練習ができ、指は曲げ伸ばしだけならできるようにはなっていました。伸びたら、ものの側にもっていって、勝手に指が曲がるので掴める。麻痺したら、自動的に曲がっていましたね。どうしてでしょうか。リハビリ病院で同室の方や他の方と話をしていて思ったことは、リハビリへの取り組みにおいての「前提」が違っていたということに、そして、最近、前提の違いからか普通の回復の私が「奇跡的」といわれていることに気がつきました。どう違うのでしょうね。
 8月1日(木)、昨日の続きね。多くの方は「動かせるようになるのでしょうか」だったと思います。私は「動かせるように絶対する」でした。リハビリに励んでいても疑いか諦めが混じっているような方がいました。リハビリ時間だけのリハビリもね。自主トレもなにか義務的とか。リハビリが発病後すぐに始まっても「半信半疑」だったようです。それと、使わないと筋肉や関節が固まるということを甘く見ている感じも。私は脳で再構築が始まり、ある程度再生して使い出せるようになるまではと、入院直後、意識がはっきりしたときから右手で左腕を曲げたり伸ばしたり、指もしていたかな?。当然、足の曲げ伸ばしも。寝たきり状態からは早く脱出できたみたい。そして、車イス生活にね。これ、日中は車イスでという生活で、上半身を直立ね、足は曲げてますね。寝たきりは足は伸ばしきり。始めの頃は腰が痛かったですが、トイレ行きやリハビリで凌ぎました。皆さん、人間の体は「動かしてこそ、人間の体」という意識が薄いみたい。動かせるようになるまで待っていたら、筋肉は固まり、関節は錆びつきで「動かせない」。使わなかったら動かせる筋肉もやせ細るしね。骨はスカスカに、だから骨折しやすくなるので、リハビリなどでは転倒をものすごく気にするのですよ。これ、結構短時間で起こるみたいです。脳も体を使うとか使おうとする行動とかで再構成の進み具合が違うかも。「手を使ったので脳が発達した」という進化説がありますね。体を使うと脳が目覚めるのです。使わな損ですね。だから、早くから「闇トレ」を始めていました。始めの病院入院中トイレで補助棒を麻痺した手で持たせていたら(無茶苦茶かな)、お尻を少しあげただけで左腕が棒と壁の隙間にストーン。間だったので命拾いです。棒のこちら側なら便座から転げ落ちていますよね。ブラックリストに載っているので見つかれば、それこそ、ベッド縛り付けみたいな状態にされるかもしれないからね。家族にも内緒ね。家族は思い込んでいたみたいです、一生車イス生活だと。医師は保身もあってか最悪状態をしっかり言いますからね。楽観させて寝たきりになってしまったら、訴えられかねませんね。リハビリは患者側の要素が大きいですし、「歩けるようになるかも」が「歩けるようになる」と「かも」が消えて記憶に残ったりされるとね。だから、ポジティブの可能性はいいにくいのかな。それと、症状は誰一人として、本来全く同じなのはないですよね。
 8月2日(金)、感覚が戻ってきている、戻ってきている、戻ってきていると思っています。歯の噛み合わせは左右そう感じの違いはなくなってきました。先日、舌の左側を噛んで、痛かったこと痛かったこと痛い。耳のあたりの感覚も行ったり来たり。入院中もこれだけ強い硬直感はなかったと思うぐらいの足や腕の硬直感、で、ストレッチなどで動かしていると翌日にはぼちぼちに、しばらくしてまた・・・。繰り返しね。腕や手の皮膚感覚、足などの皮膚感覚も復活中とおぼしき変化が起こっています。左手の指は、用がないときは「にぎにぎ」(グーとパーの繰り返し)、足の指は気が向いた時ね。足の裏の皮膚感覚も出てきていて、様子がゆっくり変わっているみたい。毎日、足首や手首の関節もぐるぐる回しているのに、足首は歩くと痛みが。近所のショッピングセンターへの散歩は、「階段」ね。家の階段より安全かな。理由は「手すりが丈夫」につきます。犬の散歩も毎日ね、アイコンのわんちゃんね。こちらの散歩は雨の日もですが、雨の日は少々やばいことをしています。筋肉は硬直感であっても、硬直しているわけではないと思って、ストレッチなどをしています。動かさなかったら、真性の硬直になってしまうと思っています。でも、キツイ、痛い。何時までかな。
 8月3日(土)、今週介護保険の更新認定した保険証が届きました。今と変わらずの「要支援1」でした。発症後すぐの認定では「要介護4」、その6ヶ月後の更新認定で「要支援1」に転落した実績そのままの更新でした。介護保険では訪問リハビリをしています。完全復活を目指して、自主リハしていてもよくないことをしているかもしれないのでチェックしてもらっています。それと、マッサージね、「リハビリのマッサージを」ということです。なぜか、認定調査の時、よたつくは、腕は曲がったままとか、演技するまでもなく本性が出てしまいました。でもね、リハビリ止めたら「要支援2」にはすぐ近づくだろうなと思います。リハビリは「諦めが悪く」「根気よく」かな。ですから、週1回でもよいですから、リハビリができるようにして貰えれば、介護保険の仕組みが少々変わってもよいかなとも思います。介護程度が重症化しないように支援して貰える中身の充実した制度、改悪でない制度ね。
 8月4日(日)、ちと、生物学的話を。「脳の発達」について。いろいろあります。そのうち、人間の脳について、誕生してからの発達というか成長についてね。誕生直後の人間の脳は、神経細胞の数はできあがっていますが、各神経細胞間の連絡は基本的な基礎的な最小限だけのようです。それが、外部からの刺激とかもあって、樹状突起を各方面に伸ばして複雑な大人の回路に何年もかけて作り上げていっています。脳の善し悪しの一つにこの回路網の出来具合というのもあるのですね。すべてではないですが、「練習すれば上達」とかいうことに繋がっていきます。脳梗塞や脳出血では、神経細胞がダメージを受けて回路網がガタガタになることになります。部位によっていろいろね。残った部分で失われた部分の働きを代償的に受け持つように再構成されることも。このとき、樹状突起が新たに伸び、新しい回路がつくられていくことになるようです。そう思っています。そうでないと視床出血では再び感覚が戻ることはないことになります。実際は、戻ってきているというのが私の実感です。この実感を説明するのはこの原理しかないと思います。それで、脳の連絡経路が変わったり、別の部分が役割を分担して持つことができたら、リハビリの効果が出るわけですね。でもね、軸索の方が損傷したら、つらいみたい。脊髄損傷ね。それと、どの部分の神経細胞かもね。代わりができない部分もあるのかも。ただ、皆さんが思っているよりは脳は柔軟性に富んでいるようです。視床ですと、そこを通る感覚神経すべてがダメージを受けます。出血量に割に被害甚大。でも、杖を使っていますが、歩けるようになりました。1日に10000歩ほど、でもね最近は足首が痛い。腕も屈伸とかできますし、指の曲げ伸ばしも、ですから、信頼性は低いですが左手で作業もできるようになりました。脳では神経細胞は増えていないはず。樹状突起などが新たに伸びて、回路が再構成されたのでしょうね。このとき、外部からの刺激があれば活発になるはずです。それが、ニギニギであったりかな。「動かそうとすることが脳への刺激になる」かな。脳の発達には刺激が必要なのです。脳の活性化も刺激が必要なのです。当然、「受け身」ではなく「能動的」な刺激が必要なのです。特に大人になってからはね。脳出血や脳梗塞では、大抵障害は脳だけですので、「諦めない」、「最初から目一杯リハビリに取り組む」かな。普通、筋肉、関節、骨には障害はないのだからいつでも使えるように準備を。

2013年7月29日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No51  顔の違和感、痺れとか耳のあたりからの感じがなくなったときも  ルンバ君の意地悪動作?  リハビリテーションと脳卒中のカテゴリーでの記事ランキングのズレで思ったこと   最近、口の中の感覚が戻ってきているみたい  リハビリのペースや期間ってどのくらい?   薬品の効果の出すぎ?でも、困りますよね。  にほんブログ村でのポイントランキングで思ったこと

 7月22日(月)、この頃、顔の違和感、痺れとかですね。耳のあたりからの感じがなくなった時も出てきました。その時、聞こえやすくなったかは??????というような感じで何とも云えないです。PCで音楽を聴いたり、落語を聞いたり、映画を見たりしているのですが聞こえ方が違うのです。聞こえ方といっても音量ですけどね。桂米朝の声は良く聞こえます。同じ言葉のはずなのに映画のはなにか聞きにくいのです。音楽ですとフリーのソフトで再生すると結構聞こえますが映画はいまいちパッとしないのです。聴覚関係がアンバランスな回復をしたのかPCがおかしいのかどちらなのでしょうね。音量はできるだけ揃えるようにしています。でも、顔に占める違和感のある部分が減少したのだけは確かです。このように行ったり来たりの感じで回復していくのでしょうね、と思い込んでいます。
 7月23日(火)、居間とかの掃除はルンバ君にさせています。模様替えでテレビのチューナーをソファの下に置いてから、ルンバ君が掃除のついでにチューナーの電源を切ってくれるときがあるのです。そして、チューナーの向きも少し変更してくれます。問題は私だけの時に電源を切ってくれたときです。まず、腹ばいになります。潜っていきます。次に右手を伸ばします。チューナーの電源スイッチを確認して、電源を入れます。一番の問題は、リハビリ病院でも教えてくれなかったこと、腹ばい状態で少し足の方に移動するということをおこないます。これが、以外と面倒です。他の家具もありますので邪魔になるのです。頭がソファの下から外に出たら、起き上がればよいのですが、四つん這いになるとか余分な動作が必要になります。急いでいるときが特に面倒に感じます。匍匐後進邪魔くさい。今日はさらにこのとき、ルンバ君が足元でお掃除中。
 7月24日(水)、ブログ村では記事ランキングというのがあるのです。いろいろなレベルでだと思いますが、一番小さいカテゴリー別で初めて?かな、一番になったのがでました。他にもっと良い投稿が出たりするとすぐ転落ですが。「血圧の最高と最低の差」という21日投稿の記事です。リハビリテーションで1位にです。脳卒中ではまあ読まれた方かなと思ってますが。この最高血圧と最低血圧の差が少なすぎるというのは心臓が血液を押し出す力が小さいということですよね。大きすぎるというのは心臓から押し出せたときの圧力がそのまま末梢まできてしまっていると言うことですよね。普通は動脈の弾力性で末梢までそのままの圧力でいかないようになっているというのです。この血圧の差についてリハビリテーションのカテゴリーからの方は注目されたということですよね。脳梗塞や脳出血も血圧で気をつけるところは多いと思うのです。ただ、血圧が高いとかいうだけではなく、差にもこのような意味を考えることができると思うのです。差が小さすぎるというのは、本当心臓どうなっているのでしょうね。差が大きすぎるというのは大きな力を受けているときと小さい力を受けている時を交互に拍動の回数だけ血管は受け続けることになります。金属疲労と同じようなことが起こりうるかも。
 7月25日(木)、最近、口の中の感覚が戻ってきているみたいなのです。歯の噛み合わせや歯間歯ブラシや普通の歯ブラシでの歯磨き時の感触がですね、右側(普通の方)とよく似た感じに。それで、意識的にかみ合わせてみたり、ギコギコすりあわせたりしてみています。麻痺したままなら、虫歯になっても痛みを感じないでしょうね。戻ってくれば。痛みを感じてくれるのでまだマシかな。この歳になってもすべて自前の歯ですから、虫歯の心配があるのですが、入れ歯とかならなかった心配か。まあ、円錐角膜でのコンタクトレンズというのは麻痺でいろいろ問題がありました。歯も眼も感覚が戻ってきているようなので大事に使っていきたいですね。なぜ、こうチマチマと感覚が戻ってくるのでしょうね。脳が以前の状態を忘れているので一気に戻ると大変なことになるかも。痺れとかなにやらとかで熟睡ができていないみたいです。椅子に座ったときの座り心地の左右のアンバランスとかいつまで続くのかな。この投稿を執筆中の今、左半身のガタガタが消えています。このままガタガタなしになって欲しい。
 7月26日(金)、今日は訪問リハビリの日です。先週からの宿題に目を瞑ったままで、右手の人差し指と左手の人差し指を左右から体の前に移動させて合わせるというものです。右手で左手の親指を掴むというのもしました。大体出来るようになっていたのが先週久し振りにしてみると、ずれているということで。ずれる、ずれる。原因は筋肉関係の感覚神経で復活した分があったということです。足のふらつきが終わらないのもこれと同じ理由かな。私の感覚の戻りが早いのか、普通なのか、遅いのかどうなのでしょうね。ブログ村の「片腕だけのエンジニア」さんが「リハビリの心得」でかかれていたことに「壊れてしまった身体を受け入れる謙虚」というのが出ていました。嘆く前に到達すべき境地かな。私は「麻痺した。→リハビリで動くようにしよう。→期間は?でも動かせるようになるまでの間、筋肉を柔らかく、腕とかが上下できたり、曲げれる状態に保っておこう」で諦めなかったです。もっとも、視床出血と聞いてより確信しました。運動中枢と感覚中枢両方同時だったら??????でしょうね。視床出血なので運動神経と筋肉などは損傷がないと思ったからね。でもね、感覚神経の復活って時間がかかりますね。リハビリがいつまで続くのかは見当がつかないです。
 7月27日(土)、カネボウ化粧品の美白効果の化粧品による障害、白斑のニュースが報道されていますね。ニュースをよく見たり、ネットで読んだりしてみると、美白効果が止まらなくなってしまって白斑までに突き進んでしまったという感じに受け取りました。薬害の一種ですね。普通、薬害とは副作用でとかいわれたりしますが、主作用でも起こりうるものなのです。細胞内の酵素に作用しすぎて白斑になったと考えられてますね。ロドデノールという物質というのですね。見つけたときはその効能に喜んだのかも。でもね、普通の人間の普通の生命活動を妨げるものなのだから、基本的にはよいわけないよね。医薬品には、普通の人の普通の生命活動に作用を及ぼすものが多いから、注意が必要ですよ。単独服用でも薬害は起こりえますが、特に「薬の飲み合わせと体質と・・・」とかで今までに報告されていないような害が出るかもわからないということを常に医師、薬剤師、そして、製薬会社、国などは情報網を張り巡らせて、注意深く処方したりする必要があると考えます。今回のは美白効果が出すぎたため、日常生活に支障を来す事態になったのだと思います。
 7月28日(日)、毎回、バナーをつけていますように「日本ブログ村」の「脳卒中」と「リハビリテーション」のカテゴリーに参加してランキングとかを毎日見ています。ランキングには「IN」、各ブログにあるバナーをクリックして「ブログ村」に入っていく方、「OUT」はブログ村のリンクをクリックして各ブログに出ていく方、「PV」が最近始まったページビューポイントの3つがあります。このうち、ページビューは、私の場合はso-netで見るアクセス解析とは???状態です。他のは調べようがないのでそのまま見ています。結構読んでいただいているのだなと思っています。ありがとうございます。so-netでは26日ですと訪問者数91名、ページビュー202回になっているのですが、ブログ村ではPVポイントは23でした。ブログパーツの張り方はよいみたいなのでポイントが出るようになったのですが、今一???状態、ヘルプを読んでも???。でもね、どのポイントも増えると励みになりますね。できるだけ公平になるようにされているということですし、減ったからといっても損にはならないし、増える方がよいに決まっていますが、多い方には悪いのですが、ポイントが多いということと内容とは好みもあるので関係はあまりないですね。でも、多い方のは引きつけるのは上手ですね。参考にさせていただいています。

2013年7月22日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No50  コンタクトレンズ装着での悶着?  足が痛い、歩きにくい   鼻づまりでベッドから転落したことがありました。  退院から1年が経ったのですね  足が痛くなるのは終わりにして欲しい  コンタクトレンズ装着での悶着?その2  血圧の最高と最低の差

 7月15日(月)、やはり、温暖化の影響かな。暑いとすごく暑いし、雨となれば豪雨ですからね。ところで、左手で左目の瞼を開けるというのができなくなってきています。発症後、数ヶ月してコンタクトレンズ装着できる程度は開けれていたのができなくなってきちゃいました。動きとかは変わらないのですが、痺れとかで接触感覚が隠されてしまっているのかな。左手での細かい作業の練習が滞っています。ですから、左手の人差し指にコンタクトレンズを載せて、右手で瞼を開けて、顔を近づけるという方法で装着しています。まあ、変に早く痺れがなくなると脳での修復はそこまでらしいし、延々と痺れが続くというのもつらいし、ω3系などの不飽和脂肪酸の摂取を減らす気はないし、どうしたものでしょうね。
 7月16日(火)、足が痛い、主に足首あたりが痛いです。歩行の時、左足も右足同様にまっすぐ前に出すように心がけています。そして、できるだけ踵からの着地も。最初の病院でのリハビリでの歩行は良く覚えていないのですが、杖を使い出したあたりから、左足を左前方に放り出して感じがするのです。そして、転院後、普通に前に出す練習をすると疲れたのは覚えています。まだ、回しだしの方が取り敢えずは楽なのかもしれないですね。ただ、実感としては普通にまっすぐの方がかっこよく速く歩くことができました。そして、小走りの練習もしてくれたのだと思います。でも、でも、痺れるは、歩けば痛いというのはつらいですね。1日10000歩は前後になっています。昨年6月の入院中やその後の退院後などは普通に10000歩だったのに。どうして、誰か教えて。
 7月17日(水)、点鼻薬が切れた。といっても使っていたのがからになっただけで、予備を出してきました。鼻づまりは入院何日目かな(本人は2日目と思い込んでます。)、寝ていて鼻づまりで苦しいので、動く右手でベッドのリモコンで背もたれ(上半身側)を上げていっただけで、はい、頭を下にベッドから転落したということがありました。視床出血って凄いですね。ある意味、一番大事な薬かも。その割に薬局で一番安いのを買います。説明書には「4時間は間を開けて下さい。」とか「1日に4回まで」とか書いてあります。鼻腔の毛細血管を収縮させて開通させるようなのです。この鼻づまりの治療法には血管切除というのがあるそうです。「鼻炎」とか診断して・・・ということで医師不信の根源の一つかな。私は寝る前だけにしていました。そして、日中は上半身を直立させておくことで鼻は詰まらない。ということで、出血後、車イスに移動しても良くなったら、腰が痛くなろうが車イスで起きていました。どうも、この起きているというのもリハビリには有効だったようです。人間、なにが災いになり、何が役にたつかは予測できないですね。でもね、転落は一歩間違えば頸椎損傷で一生寝たきりだったかも。鼻づまりはどうなるのかな。頭からの転落で翌日、ナースステーションからの一番監視のできる場所(場所であって部屋ではないです。この部屋でも見えないベッドもありますから。)に移動です。まあ、その時々の状況を上手く受け入れ、最善を尽くすということもリハビリには良かったようです。出血後、麻痺がわかったとき、「なぜ?」とか「どうなるのかな」とか「麻痺したままでは」とかは思いませんでした。「リハビリで復活するぞ」とは思いましたが。
 7月18日(木)、昨年2月9日の視床出血、ベッドから転落もした急性期の病院への入院、3月13日にリハビリ病院への転院、そして6月30日に退院してから1年になるのですね。1年前挑戦していて今は止めていることに階段1段飛ばしで登ることとか(数回で止めました)、立ったままで靴下を穿くとか、正座から立ってみるとかなどがあります。退院後少ししてからのダンベルも中断中。普通に歩くのとか、普通に階段の昇降とかはしています。それと、わんちゃんとの散歩もね。正座からは立ち上がれたのですが、あぐらからは無理で補助が必要でした。今は正座からもしていないのでできるかどうか???ですかな。少なくとも、退院時よりは状態は良くなっていると思います。感覚で復活してきている部分もあるのですから。ただ、脳が出血前を忘れてくれているので学習に手間取ったり、痺れとかで一時的に逆戻りしているのもあるのかも。先日投稿しました「足が痛い」は今日もです。1年前はこうは感じなかったです。1年前は「左半身ガタガタ」もなかったです。左右感覚のアンバランスがあるので、熱中症には注意しながら扇風機頼りで生活しています。クーラーを必要とするような灼熱地獄にはまだなっていないと思ってます。で、大停電が起こったらどうするのでしょうね。先日、川崎市で停電がありましたね。エレベーターは危険ですね。特に景色の見えるのは。
 7月19日(金)、最近になって感じたことに、朝は機嫌良く歩けているのに夕方になると、足首あたりが痛くなり、筋肉の硬直感も出てくるというのがあります。朝のわんちゃんとの散歩は2000歩前後です。そして、夕方、4時半頃から近所のショッピングセンターまでの散歩?は5000歩前後で百貨店での階段昇降付ですが、途中で休息、以前はなしだったりして。この帰りあたりから良くないですね。帰ってから休息して夕方のわんちゃんとの散歩、2000歩前後かな。他なんやかんやで10000歩越えになるはずですが、なかなかそうはいかないです。その日によって歩幅が違う。最近は広がり始めたみたい。予測より歩数が少ないのです。歩数稼ぎもは歩幅は狭い方がいいです。毎日のコースは大体同じなので広がれば歩数減です。リハビリ的には無理なくある程度歩幅が広い方が良いとは思います。かっこよく速く歩くことが大切と思うので、歩行時間も短くなりますよね。でも、足が痛くなるのは終わりにして欲しい。
 7月20日(土)、今日の朝、コンタクトレンズを装着したら、じんわりと痛みが。ゴミとかによる痛みではなさそうなのでした。しばらくすると落ち着いてきましたが、痛みは続いたまま、左目も使わないことには歩行でふらつくのです。ぼちぼちになってから、わんちゃんとの散歩に出かけましたが、左眼が使えない?というのはつらいですね。でも、散歩から帰ってきたら、楽になり、今はコンタクトレンズの存在をいつもより強く感じています。やっぱり、感覚が戻ってきているのですかな。そして、脳の学習。ハードコンタクトレンズは使用開始の頃は、異物感に悩まされます。私はすぐになれたのですが、異物感が消えない人は諦めるという代物です。その初めての装着みたいなことを繰り返し繰り返し繰り返し体験させられている今日この頃です。
 7月21日(日)、血圧を朝晩測定しているのですが、まあ、血圧の薬の影響かぼちぼち良いあたりをウロウロしています。適度なときに薬は止めたいのですが、また、頭で血が漏れたりしたら困るので、ガスターの時のように中断してみるというのが怖いのが実状です。ガスターは切れても胃液が食道に顔を出すぐらいですから、出てきたら飲むという使用法ができますが、血圧の方は漏れたら飲むでは遅いですよね。最高血圧と最低血圧の差があるのは心臓の心室から血液がぐっと押し出されたときが最高で、心室に血液を溜めていて押し出していないときが最低だそうです。この差が小さいというのは心室の押し出す力が落ちてきている時かな。では、差が大きいときはこの圧力差が血圧測定部位までそのままきているということかな。どの程度がいいのでしょうか。30〜50mmHg程度の差がぼちぼちだと聞いたことがあります。小さすぎるのは心筋が?かな。大きすぎるのは動脈硬化が進んでいる可能性大というようなことです。このほかにも血圧の要素はあると思うので何とも云えないですが、動脈硬化を指摘されていて差が大きい場合は、ガチガチの動脈硬化なのでしょうね。

2013年7月15日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No49  よい汗をかくには  血圧が少し高めに  今日は水とともに塩分も取るぞ  暑い日が続くので、またまた汗ね  扇風機で十分だったから  睡眠が浅い  期日前投票に行ってきました

 7月8日(月)、どうも、東北とかより南はどこも梅雨明けみたいな感じですね。昨日、熱中症で少し投稿しましたが、「クーラー嫌い」で熱中症になる人が絶えないですね。確かにクーラーの使い過ぎもよくないですが、汗が出なくなってきている場合はクーラーの適度な使用が必要になると思います。脳出血とかで感覚麻痺を起こした場合などですと、温感のアンバランス、視床下部にも出血が及ぶと発汗に影響が出るでしょうね。いろいろあるのですが、汗腺の働きは訓練によって維持されているということだといいます。最初が乳児期での汗腺の開通、これがされていないと汗腺の働きが悪かったり、偏った部分でのみ発汗したりとかで体温調節にはたいして役にたたないとか。それから、発汗をしはじめたときなどにクーラーによって強制停止も汗腺の能力を損なうとか。「汗臭い」とかが嫌われる原因の一つに汗をかかなくなったことがあるかも。汗をかけば、汗臭くなるのは当然ですが、それは長時間連続して発汗できる証明かも。短時間で臭い人は汗腺の能力低下です。低下した人は汗そのものが臭いのです。汗腺の能力のよい人は臭くなるまでに時間がかかります。汗腺は訓練によってのみ能力を保つことができるのかな。
 7月9日(火)、昨日梅雨明けしましたね。本格的な夏に、ただ、紫外線は晴天なら夏至の頃が一番かな。徐々に徐々に弱くなっていきますね。ところで、血圧なのですが、どうも例年通り、少し高めになってきているのです。普通は暖かくなると低めらしいですね。どうも世間と同じということを嫌う性格が災いしているのかな。ですから、冬場での血圧上昇ということはないという感じです。どうしてなのでしょうね。以前、胃カメラ検査は冬場にしていました。血圧測定で嘘を申告するのがいやだったためです。なので、冬場での脳出血なので???という感じが。出血したときに血圧上昇はクッシング現象で起こりますから、その通りになっていました。まあ、人間いろいろいますから、想定通りにはいかないという一例かな。
 7月10日(水)、昨日も暑かったですね。ただ、室温は32度ぐらいになったのですが、湿度が以外と低く結構な時間60%ぐらいの時もあったりしました。紫外線が怖いので午後4時半頃に近所のショッピングセンターにいった帰り、体調がどうもよろしくないので帰宅後すぐに塩飴レロレロ。塩分補給です。今日は水ではなくスポーツドリンクにします。水をガバガバ飲み汗はタラタラ出しているのでどうも塩切れみたいでした。ナトリウムが不足すると神経が働かなくなるので注意注意。でもね、左半身寒さの感じで震えながら、汗はタラタラ、さすがに脳出血感覚麻痺の効果抜群です。
 7月11日(木)、ネットで汗について調べて見ると、塩分(塩化ナトリウム)が0.3〜0.9%ぐらいとか。0.9%は血液より高いのでは、血液はいろいろな塩類などで0.9%生理食塩水と同等になっていますからね。汗腺は躾け次第で働き者にも怠け者にもなります。日本クリニック株式会社の「健康コラム」第41回良い汗・悪い汗(http://www.japanclinic.co.jp/consult/consult_03_41.html)を読んでみましたら、わかりやすく書いてありました。クーラーでガンガンは汗腺に良くないともね。ここにはないのですが、血液中のナトリウムイオン濃度と神経細胞中のカリウムイオン濃度のバランスが良いと神経活動がスムーズに行えます。ところが、汗をかいてナトリウムを失っていくとバランスが崩れます。それで、スポーツ飲料には食塩が含まれています。熱中症になる原因の中にはナトリウム不足で神経が働かなくなるのもあるのでは。神経が働かなくなったら、汗なんて出ませんよ。水分摂取量に応じたナトリウム摂取は必要でしょうね。私はクーラー嫌いで汗かきですが、汗を拭いたことはほとんどないです。年に数回かな。全身から薄く万遍なく発汗されているようです。ですから、体温低下には都合の良い汗腺に躾けることができていたようですが、発症で躾が行き届かなくなったようです。それでも、全体的にじんわりと汗がわかるほど出てしまうこの頃の暑さかな。ここまでくると、はい、数時間したら汗臭くなります。
 7月12日(金)、眼が痛い。といってもコンタクトレンズ装着したらですが。どうして、感覚が戻ってくるときに都合の良いように戻ってこないのでしょうね。この猛暑でもガタガタ震えていますから。今日、訪問リハビリがあるのですが、汗でもかいてもらおうかな。エアコンをつけようとしたらつかない。ふとみると、コンセントが抜かれたままに。リホーム工事の時に抜いたんだっけ。リハビリの最初の仕事に頑張ってもらいます。コンセントの場所が天井側の壁、エアコンの横ね。扇風機で十分だったから気がつきませんでした。
 7月13日(土)、今日の朝の気温はまあ、今週にしたら低いようですね。湿度は高めで熱中症の方では結構やばい気象条件のはずですが、たっぱり左半身がガタガタ震えています。昨日より、震えは大きい感じ。左半身の痺れや硬直感とかで睡眠が浅くなっているように感じています。発症して、リハビリとかが始まって体を使うようになってからはわりと良く熟睡できていたみたいなのです。病院での看護師の夜間巡回とか気がつかなかったように、結構熟睡しているみたいでも、最近は眠りが浅いようなのです。リハビリとしての動作や歩行も良くしているようなのですぐ寝ることができるようなのですが、睡眠が浅い。エアコンはつけていませんが扇風機には静かに穏やかに頑張ってもらっています。弱ね。
 7月14日(日)、期日前投票に行ってきました。ろくでもない政党ばかりで不毛の選択かな。でも、投票をしておかないと調子に乗るバカが出てきそうです。体の調子が良くないですね。感覚を研ぎ澄ましてみると、案外回復しているようですが、その過程の副作用か、「痺れ」や「硬直」、「動作時の筋肉の痛み」とかは消えないです。「痺れがおさまる」というのは脳での再生が終わったということといわれていますね。「酷くなったり、良くなったり」の繰り返しで鬱陶しいところに選挙での寝言を聞かされると精神的に良くないです。TPPとかと関係なく農業分野では改革が必要とアメリカの識者が日本経済新聞に投稿してました。日本の農業を強くして持続可能な農業にする必要があるとね。今の全農体制とかですと、「自滅」だと見抜かれていますよ。医療関係も改革が必要でしょうね。改革に反対するのなら、よりよいと考えられる仕組みとかを取り入れる体制を作るべきかな。なにが「よりよいのか」を国会のだるい論戦ではなく、「実のある論戦」をして、必要とあれば改革出来る体制にしてほしい。とか、思いつつ期日前投票をしてきました。立って記入ができないので座って記入して投票箱に入れてきました。

2013年7月8日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No48  無事生き延びてます  暑いはずですが、また、ガタガタ  1日置きなのガタガタ、今日は寒いですが左だけね   「ゴミ出しルールが守れない」というのは認知症チェックの大事なポイント  「使わないと衰える」ということを実感   朝のお勤めについて(起きてすぐではないです)  熱中症に注意かな、汗腺に働いてもらいます

 7月1日(月)、無事7月になりました。元気で偉そうなことを投稿していますが、人間の寿命とか考えると、この瞬間でもやばいことがあるかも。その時は運命と諦めるほかないかも。まあ、今回の視床出血でも、「起こってしまったことは仕方がない。リハビリで復活するぞ。」とは思いました。それが、よかったのかも。なにかした後の悪くいうと「居直り」、よくいうと「肝が据わっている」?、ぼちぼちなら「明日はまた明日の風が吹く」、すみません、調べるのが邪魔くさいもので。まあ、このような性格が災いしたのか、リハビリも楽しく楽しく取り組んでいます。よく「苦労したでしょうね」とかいわれますが、確かに日常生活とかでは不自由なところが多々ありますが、リハビリで回復していく様子とかがわかるので楽しいですよね。どうも人間の遺伝子による保証期間は「子育て終了」までかな。だから、その後は「保証期間外」になるのではと思います。保証期間外の出血ですから、生き延びることができ、ここまでリハビリで回復できたことを幸せと思い、さらなる回復を目指して、楽しくリハビリを続けます。皆さん、よろしくお願いします。
 7月2日(火)、昨日、晴れていたようですが、左半身が震えていました。どうして? 6月下旬とか結構低温だったのですが、震えをそれほど感じていなかったです。暑いはずの昨日はガタガタ。どうなっているのでしょうね。片足立ちとかは左足もぼちぼち少しは耐えれるようになってきたりしていますし、左足のふくらはぎあたりの痒みも判るようになったりとかで感覚がまた幾分か戻ったのは確かなのですが、脳が学習を完了するまではまたガタガタかな。水分の補給も十分にしており、右半身側の感覚で汗はたんまり出ているので熱中症にはなりにくいと思っています。このガタガタでクーラーを使うと凍え死ぬかも。
 7月3日(水)、昨日はそう感じなかったガタガタ(左半身の震え)が今日は朝から出ています。ガタガタ、ガタガタ。まあ、天候的には昨日より寒いですよね。右半身側は普通、心地よい感じ。この頃、感覚で戻ってきている部分がいつもより集団で起こっているような気もします。樹状突起や軸索で新たに繋ぎ直しが完了した部分が増えているのかな。このガタガタ、この夏の間に終わって欲しいですね。冬になっても続いていたら、暖房費が大変なことになったり、暖房で熱中症とかでは洒落もならないですからね。
 7月4日(木)、この頃、あることを調べていて、以前から思っていて見つけたことに「ゴミ出しルールが守れない」というのは認知症チェックの大事なポイントのようです。『ゴミ出しはまず「日時」が判っていることが必要ですね。「燃えるゴミ」なのか「不燃物」なのかの区別ができる。ゴミステーションはどこか。』等々脳で判断する必要があります。「今日の日付が判らない」のは認知症の可能性あり。「よく知っているところで迷う」は重度の可能性ですね。「適当に捨てる」というのも認知症の可能性ありだそうです。ところで、ブログ村の脳卒中村でブログを投稿されている方は認知症の危険因子の脳梗塞や脳出血を乗り越え、認知症とは無縁の感じを受けている元気な方が多いですね。私も皆さん同様に「認知症と無縁」で生きていけるように生活をしていきます。クリックお願いします。おまけ、認知症というのは65歳以上のようです。それ以下は若年認知症と呼び、18歳以上が対象になるということです。40代、50代で発症するとある意味高齢者の場合よりも大変だいわれています。早期発見・早期対策で症状の進行を遅らせることができる場合もあるといわれています。というか、放置するよりは遅らせれるようです。
 7月5日(金)、昨日3日ぶりぐらいで近くの百貨店の階段を昇降しました。歩行だけでは鍛えることのできない筋肉も使えるという利点があります。少しの間、昇降をしてないだけで、登るときの足の引き上げが不十分と思えることが何回か起こりました。前から投稿しているように「使わないと衰える」ということを実感してしまいました。普通の歩行でも歩数が少ない日が続くとよくないですね。「若さ」を保つのも苦労しますね。お肌の張りに関係するコラーゲンは自身で合成するしかないですが、若いとき以外は「筋肉を使う」ということで合成が活発になるとか。コラーゲンを食べ物で取り入れるのは材料として効果は少し期待できますが、あくまでも「素材」であって、体内でコラーゲンになる保証はないです。人間の体は使って、そして経口摂取した食べ物で自身で骨やタンパク質や細胞膜をつくっていくほかないのでは。いろいろな動作とかをしてみましょう。いろいろ考えて見ましょう。とか書いている私は?
 7月6日(土)、昨日も百貨店での階段昇降をしました。一昨日より楽でした。今の私のしている程度ですと毎日するのでもよいようです。激しいトレーニングは「休息」が必要ですけど、ヨタヨタ歩きですと毎日でも可かな。ところで、感覚神経がぼちぼち戻ってきているのですが、発症前からよく判らない感覚に「大便の大きさ」というのがありました。そして今もです。出たかどうかは判るのですが、あとで実物を見て、大抵は「感じているのに比べて大きい」のです。脳出血の危険もあるので「気張る」とかはしていません。消化器官は順調そのもののようで、便意とかも普通だと思うのです。大きさの感覚は??? やはり、適度に運動をするというのもよいようですね。トイレの便座とかウオッシュレットとか一式交換してから、洗浄ミスが無くなりました。新しいのはいいですね。
 7月7日(日)、昨日は介護保険の認定調査がありました。その項目の中にもろ認知症関係もありました。過去の病歴の説明では西暦では発症年をメモとかを見ずに思い出せます。関連づけ記憶というものかな。下の子の誕生年からの計算です。歴史の勉強で語呂合わせで覚えたこともありましたね。それの応用編みたいな感じかな。どうも梅雨明けになりそうですね。できれば、7月下旬に穏やかな雨で100mm弱ぐらい降って欲しいですが。PCの側に置いてある温度計で30度ぐらい、湿度計で80%ぐらい。熱中症警報計ですと、大分やばそうな感じです。で、左半身は寒さで震えながら、全身で汗たらたら。そう、汗たらたらになるように毎年汗腺を鍛えてきたので水分補給に心がけておれば、滅多なことで熱中症にはならないと思います。もう一つが高めの体温、これ、汗を蒸発させるときに大事だと思います。熱が籠もって高くなったのと、元々代謝が高くて体温が高いのでは意味が違うと思いますが。今日は、すでに1リットル以上水などの水分を飲んでいます。クーラーは汗が結構出てからでないと、せっかく仕付けた汗腺をぐうたらにしてしまいます。使い方が難しい。

2013年7月1日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No47  鬱陶しい。  少し遠出の散歩  雨だと歩行のリハビリが   毎朝のお勤め、「コンタクトレンズ装着」  感覚の戻り(コンタクトレンズ紛失)   「骨のカスカス化」  脳の再構築で思うこと

 6月24日(月)、鬱陶しい。梅雨空もあるかもしれないですが、鬱陶しい。人間というのはどこか「抜けています」ね。人間というのは程度の問題ですが、「自己中」。そして、あるブログの日記で「知らないことはまだまだたくさんあるし」というのがありましたが、この方は自覚していると思いますが、「無自覚」というのも。偉そうにしゃべりはするが、「知らないことはまだまだたくさんあるし」とか自覚なしというのも。疲れます。
 6月25日(火)、昨日、わんちゃん仲間の一人と一緒に少し遠いところの公園まで散歩に行ってきました。日中の歩行数では10000歩には足らないかなと思っていたのですが、4000歩ほどの散歩になってしまいました。合計で10000歩越えに。他のわんちゃんもきているのですが、いろいろですね。わんちゃんの寄り合いをしているところもあったのですけど、ちと数が多いので避けてしまいました。ゆっくりと40〜50分ぐらいかけてかな。ブログ村に参加されている方で「脳卒中と性欲」とかで書かれていましたね。まあ、普通でしょうね。結局はどう処理?しているかと思います。脳卒中でなくても看護師さんの前で裸みたいな状態になることは治療上避けられないですからね。私など、消化管出血の時は、大腸検査関係でね。肝腫瘍とかですと、カテーテルを使った検査のためね。今より、当然若くて元気なときですよ。今回はへまに興奮状態になって、また出血とかになったら大変ですからと、過去からの経験で「慣れ」てしまった。
 6月26日(水)、よく雨が降りますね。やはり、梅雨なのですね。まあ、7月20日頃にも適度な雨があってから梅雨明けといって欲しいですし、今のはちと降りすぎかな。熱帯のスコールが止めどもなく続いている感じがします。となると、散歩とかが少なくなってしまいますね。一人でのリハビリを兼ねた歩行に近所の百貨店の階段を上り下りするというのも入れています。104段かな。日によってはこの後、ショッピングセンターの階段も1〜4階分に相当する階段も。これらが雨が降るとパス状態になります。一日10000歩の歩行リハビリには階段も含むようにしています。筋肉は使わないと衰えるし、骨も弱くなるのでせめて、発症後すぐも使い勝手のよかった足の筋肉を使うしかないかな。何回か転んだり、尻餅をついたりしましたが、骨折、骨のヒビとかはなしです。ダンベルも再開していたのですが、腕の痛みがキツイので今は少し中断中。でも、腕も使い勝手は少しよくなった部分もあります。使ってこそのリハビリかな。
 6月27日(木)、毎朝のお勤めに「コンタクトレンズ装着」というのがあります。ブログ村で糖尿性網膜症の手術のとかがありますが、私の場合は「円錐角膜」というもので、角膜移植だけが根本治療のようです。対処治療は「ハードコンタクトレンズ装着」かな。どうしても、角膜の先端を普通の状態の人に比べて,傷つけるのでいろいろいわれますが、「QOL(クオリティー オブ ライフ)生活の質」の観点からすると、コンタクト装着できる状態なら、装着した場合と装着してない場合では格段の違いがあります。発症当初はして貰えず。リハビリに支障がでて、して貰えるようになりました。自力でできるようになるというのが、目標の一つになりました。自力ですと、自分で時刻等を選べて、QOLが向上しました。ただ、両手使いだったので、足の方が日に10000歩とかになっても、左手はコンタクトレンズの存在を感じてくれない。今でも、右手で左手の人差し指に載せます。大分、感覚が戻ってきてくれているのですが、小物はまだまだということです。そして、左半身麻痺とは、左の瞼の感覚も麻痺ということです。装着し損なうと右眼みたいには戻せず、入院中は看護師さんの、今は妻の厄介になっています。でも、最近は少しなら、瞼が所定の場所に移動できるようになったみたいです。
 6月28日(金)、感覚の戻り具合ですね。左半身の各部で日々ぼちぼち戻ってきています。ところで、昨日、コンタクトレンズのことを書きましたね。夕方、わんちゃんを連れて散歩に出たときに、急に瞼の痛覚に戻りを感じました。何回か過去にもあったのです。それで、瞼を閉じたのですが、右手には杖、左手(コンタクトレンズの時にはまだ実用には耐えません。)にはリード。はい、どこかに吹っ飛んでいったようです。恐れていたことが起こってしまいました。18000円泣き別れです。このコンタクトレンズは京都に本社のあるサンコンタクトレンズというメーカーのなので高いです。そう、いつどこの部分のどのような感覚が戻ってくるのかということが判らないです。そして、全部戻るわけでもなく、ちびちびという感じなのです。よく比べてないとわからないかもね。今日は右眼サンコンタクトレンズ、左目はメニコン(サンより安い)で目の色が違います。カーブの度合いはサンの方に合わしてもらっているのですが、度数はサンがプラス0.75、メニコンは度なし。コンタクトレンズ屋さんで予備を作ってもらっておこうかな。
 6月29日(土)、ブログ村のある方の投稿を読んでいて、私が発症したときに気にしていたことの「骨のカスカス化」というのがありました。そして、今も気にしているのです。「カスカス」になると、簡単な衝撃で骨折してしまいます。そうすると、その部分は当然、「固定」とかですよね。そう、筋肉や関節の固着とかが出てきます。発症して左半身麻痺になって、ベッドと車イス生活、これでは筋肉は衰え、骨はカスカスになってしまいます。骨は筋肉に力を込めて収縮させることが刺激になって骨芽細胞の働きでつくられます。筋肉を使わないことには骨はカスカスに。麻痺で左半身は使えない。少なくとも、右をできる範囲でこそこそ筋肉を使ったりとかしていました。歩行練習での私は筋肉を強く収縮させているとは思ってなかったです。自転車こぎとかもありますが、やはり、階段。階段では片足に全体重を載せることになるので筋肉はどうしても頑張る必要が出てきますよね。そうすると、骨芽細胞も頑張ってくれると思ってます。それで、PTでは「階段」にいこうよと頼み、階段使用許可が出たら、ほぼ階段のみを使いました。このときの昇降方法は普通の人と同じように左右交互使用です。ダンベル体操は左右の違いが大きすぎるのですが、こちらもまた再開したいです。筋肉を使うことで骨を維持し、筋肉を使うことで脳での再構成の刺激にもなると思います。骨折したくないので筋肉運動です。寝たきりの原因に「大腿骨骨折」などもありますね。それも、ちょっと転倒したとかが原因になることも、このような事態にならないように筋トレ、筋トレ、筋トレ。
 6月30日(日)、脳の再構築、脳梗塞や脳出血、頭部外傷などで脳に障害が出たときにどこまで再構築されるのでしょうね。神経幹細胞が見つかっていますが、リハビリでの利用はされていないですね。神経成長因子についても同様かな。動物実験では効果があるという報告を読んだことが。軸索突起誘導因子、これは外部からの使用は無理かな。世界中の事例から考えると驚くようなことも起こっているようです。その理由は生き残った神経細胞が樹状突起や軸索を伸ばしたりして、繋ぎ直しをして、新たな役目を担うようになるからのようです。特に成長途上の乳幼児ではこの再構築が目立つようです。年齢を重ねるにつれて、隠れ脳梗塞とかが起こっても気づかないのは脳がこのような再構築をしているためと考えられていますね。詳しく調べると微小な脳梗塞だらけの脳もあるとか。ただ、頻発すると障害が出てきます。脳というのは以外と柔軟性に富んだ臓器とも考えられます。この柔軟性を引き出すのが、「意欲」であり、「行動しよう」とする動きかな。そうそう、昨日の骨、働き者の破骨細胞、サボリ気味の骨芽細胞と思ってね。だから、骨芽細胞に発破をかけましょう。何年かで破骨細胞で骨が破壊され、その後を骨芽細胞が修復します。全部作り替えられるのです。ある年齢以降は破壊の方が多くて、修復の質は低下するのが普通です。だから、骨芽細胞に発破を。放っていると骨は脆くなり、青年期の丈夫さはなくなります。骨は作り替えられているのです。お忘れなく。

2013年6月24日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No46  私の思う2型糖尿病の発症原因の一つ  進化説の用不用論とリハビリ  脳の活性化  左目の瞼などの感覚が高感度に?  腕とかのリハビリについて  相変わらず硬直感や痛みが   左腕を捻ると、どちらに回しても痛みが

 6月17日(月)、2型糖尿病の発症原因は一つだけとかいう単純なものではないと思います。あくまでも可能性です。人間は食事をするとインスリンが分泌されますね。日本評論社の「からだの科学」の特別号で「糖尿病2001」というのが出ていました。その中にインスリンを分泌させる誘引物質が上げられている論文があったのです。当然、グルコースが上がっていましたが、グルコース以外の物質としてアミノ酸、種類によってはグルコース同様に分泌させるようです。グルコースと一緒にあるということで脂肪酸も上げられていました。膵臓のランゲルハンス島は体内ですね、そして血管と接していますよね。血液中には常に血糖としてグルコースがありますね。ですから、ある程度以上の濃度になるとインスリンが分泌されることになるのですが、グルコースがある程度以下でもアミノ酸や脂肪酸が過剰になると血液中ではグルコースと一緒にあるということでインスリンの分泌が促進されることになるのでは。日本人が欧米に長期滞在すると2型糖尿病の発症率が日本国内の時より高くなるという疫学調査があります。昔は酒飲みの男に多かったようです。まず、カロリーオーバー、そして、耐水化物を余り食べないということかな。炭水化物を同時にそこそこ摂取していないとタンパク質や脂肪で分泌されたインスリンの対象物質がないことになります。血糖値の低下し過ぎはやばいのでグルコース分泌促進関係のホルモンが多種類分泌されることになるのかな。とすると、肝臓などはどちらの命令を聞けばよいのでしょうか。多数決ですと、インスリンの負けですから、インスリン無視かな。インスリン抵抗性の糖尿病かな。高血糖は結果であって、原因ではないですよ。糖尿は結果であって原因ではないですよ。ですから、糖尿病患者用の食事には炭水化物が結構な量指示されているのでは。結局は栄養バランスのよい適当量の食事と運動でしか予防できないかも。どうも日本人は炭水化物抜きの食事には弱い体質の人が沢山生き残ったみたい。北極圏に長年住んでいる肉食だけで生きてきた人々ではすでに淘汰されている体質ですね。炭水化物主体の食事を長年続けてきた民族なので、遺伝子的には炭水化物を必要とするのでしょうね。
 6月18日(火)、「進化説の用不用論とリハビリ」ですね、どちらもよく使う、あるいは使いたいと努力すると発達するとか、使えるようになるということですかな。「人間が空を飛びたいと努力を重ねた結果が、自力は諦めて飛行機に」というように別の方法を見つけましたね。原理的に無理があるからです。ところが、「走る」というのは100m10秒を切るところまで速くなりましたが、多くの人は諦めてぼちぼちですね。このぼちぼちも自身の足を使って、「歩く」「走る」とかをしていないとダメでなりますね。歩くことすらできなくなります。このことは寝たきり状態になっていく大きな要因です。「使わないから使えなくなる」。リハビリは「使えていたのが使えなくなったので機能を回復させて使えるようにしよう」ということかな。健康そうな様子でも鍛え方によって筋肉に強弱が出てきます。「使うからさらに強く」とかね。ここにあるのは自分の脳の命令で行動して使うということかな。進化にはまだまだ謎が非常に沢山あります。「用不用説」にしても「適者生存説」にしても「突然変異説」にしても、その他もろもろの説においてもです。リハビリはごく不幸な例を除くと、長〜い時間がかかる場合もあると思いますが、「使おうとするものは救われる」みたいな感じかなと思います。この長〜い時間を短くするためにはリハビリにしっかり取り組みましょう。
 6月19日(水)、「脳の活性化」としましたが、脳が寝とぼけないためにはどのようにすればよいのでしょうか。リハビリでも大問題のはずですけどね。脳が普通に起きていてくれるのと、朝からあくびで寝ぼけているとのでは子どもの学習にも大きな影響が出るというのです。寝不足というのも要因の一つといわれていますが、入院中ですと、普通寝不足というのはないですね。夜間不眠ですと、すぐに睡眠導入剤とか出してくれますしね。私は1回睡眠導入剤をのんで大変な副作用があったので怖くてのめないです。不眠対策は日中からだを直立させておくを徹底しておこなうことで、そして、今回は自主リハビリの動作等で夜寝られるようになりました。「昼間、寝転がっている」とかですと、筋肉を使わないですね。「子どもの朝からあくび」の要因に運動不足というのがあるのです。大脳の命令で筋肉を使った運動をすると、筋肉からは感覚神経を通じて戻ってくる刺激が大脳を起こすといわれています。だから、「ガム噛み噛み」や「おしゃべり」や「大きな声で笑う」などなどが効果的という理由の一つかな。大脳への刺激が減少してきて、気力が低下すればリハビリに響きますね。「ネガティブサポート」、危険やなんじゃかんじゃと理由をつけて、運動させないというのはリハビリできないだけではなく、認知症などへ向かう危険があると思います。脳の活性化のために筋肉を使いましょう、考えて行動しましょう。
 6月20日(木)、この頃、左目に装着したコンタクトレンズの様子が感じられるようになってきました。夜、コンタクトレンズを眼から外すときに瞼を使って外すのですが、その時、「痛い」と瞼での痛みを感じるように、右眼では何ともないのです。結局は「感覚麻痺」→「痛覚などが麻痺」→「存在が判らない」→「感覚復活」→「過敏」→「痛〜い」かな。口の中の感覚も戻ってきていますし、洗髪後のドライヤー使用でも左側で温風を感じられるようになりました。どのようにして、感覚が復活してきているのでしょうね。感覚麻痺といっても、感覚器、眼、耳、皮膚感覚の感覚点などは無傷です。これは確かです。結局、脳での配線の組み直しや分業のやり方を徐々におこなっているから、復活してくるのだと思います。その時、「使いたい」とか「動かしたい」とか筋肉からや感覚点からの刺激を脳に送り続けることが必要なのでしょうね。コンタクトレンズは私にとって「QOL」(生命の質)に大きな位置を占めているので、なんじゃかんじゃといわれながらでも使い続けてきたので左目の瞼などの感覚復活に繋がったのかな。
 6月21日(金)、今日、訪問リハビリがありました。筋肉の痛み対策について指導を受けました。結局は、伸縮させるのですが、その動かし方です。下手にすると、固着になってしまうかもということです。まあ、できるだけ、いろいろな向きに伸ばしたり縮めたり、腕ですと、ねじるという動作も。脳が忘れてしまった感覚を覚えさせるということです。子どもの成長の時は無意識にできていたことを意識的に動作することになってしまったということかな。まあ、痛いからといって、筋肉を使わないのは固着に繋がるし、無理矢理すると脳が拒絶しそうだし、少し痛みが出る程度にはする必要があるということです。
 6月22日(土)、今日も筋肉の硬直感と痛みがあります。朝、起きたときはそれほどでもなかったのですが、時間の経過とともにというか、なにか動作をして筋肉を伸縮させていると強まってきたという感じです。どうしても、「力」がかかりますからね。単に腕だけを動かしているとかですと、そうでもないのですが、「洗濯物を干す」や「わんちゃんのリードを持つ(結構力が必要)」とかすると、腕の筋肉が、歩くということで足の筋肉が。一応、「かっこよく歩く」ということに心がけているのでしばらく歩いていると硬直感や痛みとかが出てきます。使うことによって生じる痛みなので「視床痛」ではないと思っています。一時期より、酷くなっているようです。乗り越えるしかないのではと思います。
 6月23日(日)、左腕を捻ると、どちらに回しても痛みが。夜、入浴中に回したら、それほどでもないのですが、朝、起きてわんちゃんを散歩につれて行くと、右手に杖、左手でリード、盲導犬みたいには訓練していないわんちゃんですから、左腕に力がかかります。できるだけ、腕を伸ばしたままにするようにしていますが、不意に力を込めて曲げたりしていることが起こります。それが、よくないのかな。

2013年6月17日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No45  左半身の震えは終了?  人生の目標を明確に   「近藤誠著 医者に殺されない47の心得」を読んでみて  医療用放射線の被曝で思うこと  誤診と思われる経験  雨の予測が外れました。  通説と正確さとの関わり

 6月10日(月)、先日も報告しました左半身の震えはほぼ止まったような感じです。感覚のアンバランスが和らいだ感じです。どうして、脳はすぐに忘れてしまうのでしょうか。確かに感覚細胞からの情報が途絶え、別経路なのでしょうね、また、情報が入ってくるようになってきたときに前と違うと感じてしまうためですかな。それから、左腕と左足で硬直感や痺れの感じ方の違いは感覚点の数の違いなのでしょうね。そうそう、皮膚感覚の感覚点の分布は体の部位で違いが大きいですからね。口内炎は大きく感じますが、鏡などで見たら、それほどでもないことがよくありました。背中などは小さいようでも鏡で見たら、大きかったりとね。どこまで感覚点が戻ってくるからかな。そのためには適切な刺激を与え続ける必要があると思います。
 6月11日(日)、にほんブログ村のマイページを眺めていてもアクセス数は増えないですね。書かなあかんは。昨日、NHKクローズアップ現代で「老いてこそ挑め 〜三浦雄一カ 80歳のメッセージ〜 」というのを放送していました。そこにあったのは「人生の目標」をどうもって、その実現に向けての取り組みを紹介していました。私が視床出血で入院して感じたことは、周りの「ネガティブサポート」と「それとともに沈没していく」患者の姿でした。一部、私みたいに張り切っているのもいましたが。「ネガティブサポート」と「ポジティブサポート」とでは機能回復では大きな違いがでると思います。「ポジティブサポート」は手間暇が掛かります。それより、「年寄りの冷や水」というような言い方がありますね。そのあたりの「思い込み」を打破する必要があると思います。三浦さんはお父さんの実例もあるので周りの人の見る目が違っていたかも。私の時は「私だけポジティブ」が結構長かったです。脳血管障害では基本的には筋肉や関節には問題はないのです。「ネガティブ」になって錆びつかせてしまうというのが問題だと感じています。
 6月12日(水)、先週infoseekのラッキービンゴで1000ポイント当たりました。楽天のは有効期限が短いのが多いのですぐに本を購入しました。「視床痛」さんが紹介していました「近藤誠著 医者に殺されない47の心得」です。内容的には生物学的心得が少しあれば、よく理解できると思います。以前にも書きました「風邪で抗生物質を処方する医者はヤブ」というのもありました。この件は日本評論社の「からだの科学」にもあったと思います。風邪などの時の発熱ですね。「体温をあげると健康になる」という本にもありました免疫の働きを高めているのですね。「解熱剤は免疫力を低下させる」ことになります。水分補給に注意して汗かかせるのがよいようです。いろいろわかりやすく書かれていました。この本のように治療すると医者は儲からないかな。製薬会社も儲からないかな。そうそう、医薬品の臨床試験では多剤同時服用による副作用試験はないのでは。日本の医者は多剤投与が大好きみたいなのが多いので、この本に書いてあるように「服用中止」というのもよい考えですね。実際、「服用中止」して1剤、1剤と徐々に様子を見ながら増やしていくという方法をとる病院もありますよ。適度なところで増やさないというものです。医薬品に安全なものはないです。主作用と副作用とのバランスで成り立っています。抗がん剤などはこのバランスが下手すると副作用というてる方の方が強いのも多いのでは。今一度、患者も医者も勉強かな。
 6月13日(木)、「医者に殺されない47の心得」にもあったことですが、「医療用放射線の被曝」についてです。ある程度まとまった被爆はあの消化管出血のときの出血場所探しかな。胃はカメラでしたので被爆なし。小腸は管を十二指腸あたりまで入れてバリウムかな、これを流して、「透視」、はい、放射線です。検査の間中は照射されっぱなしだったです。大腸は10万人に数名突き破って死ぬこともある大腸鏡、被爆なしと透視(検査中被爆)、両方で結構な被爆でしょうね。次が肝腫瘍での血管造影検査とCT、造影検査は検査中被爆かな。CTね、これも結構な被爆。この後、検診車の胸部レントゲンはしないようにして、病院の直接撮影、これは医療用では少ない方です。というか、これより少ない被爆のがあるのかなという感じです。検診車の間接撮影は多いですよ。それで、見落とし多しね。間接からは逃げました。次の肺がん、見つけたのは直接撮影。CTで何回も。で、肺の検査と肝臓の部分で2回だったのをこちらから申し出て両方同時にしてもらいました。二重被爆が起こっていたのです。肺がんはひょっとしたら、「医療用放射線障害」かもという疑念は以前から持っていました。はい。骨シンチレーションは放射性同位体を体内に入れての検査です。半減期の短い人工放射性同位体を使っています。でも、排出されるまで被爆です。脳の血管造影も全身に近い感じの被爆でしょうね。カテーテルを血管に入れる直前から抜き出されるまでね。被曝量多いと思います。非常に運が悪いと直接撮影でも発がんの悲劇が起こるかも。運の強い人は何ともないとか、運不運ですね。放射線障害は確率の問題なので、線量が多くなるにつれて「害」が出やすくなります。だから、検査による利益と害のバランスを考える必要があります。常に「リスク」を考えておく必要があるということです。
 6月14日(金)、「医者に殺されない47の心得」に関連して大分前の経験ですが、「誤診」と思われる経験を一つ。肺がんですね。これ、誤診とかではないですが、もう当時「縮小手術」というのが出ていました。でも、「標準手術」をされることに。まあ、腫瘍を迅速検査で調べて、「悪性」なら「標準」ということでした。「悪性」という判断でした。手術の1年後、放射被爆たっぷりの一つの判定で「解析で骨の折れる検査」の骨シンチレーションを受けました。骨転移の有無を調べるためです。1カ所、集積があったのです。で、主治医は「転移」と判断。でもね、調べたら、骨転移は普通、「多発」、「結構激しい痛み」、「単純X線撮影で溶骨像か骨硬化像」とかがあるというのです。すべて、該当せずでした。放射線治療をいうのをのらりくらりと半年やり過ごしましたら、立ち消えに。主治医はどこかへ移動していってしまいました。その半年ほど経過したときの診察で整形外科の先生の「ほっとした顔」は忘れられないですね。「放射線治療をしなくてよかった」という顔でした。確かに放射線治療は癌治療でよい方法ですが、「がんがあってこそ」の治療法です。何もないところにたいしてですと、放射線障害だけになりますよね。骨シンチレーションは微小骨折とかの検出にも使われるのですが、「判断の難しい」と評判の検査です。翌年は同じ検査で1カ所の集積があって、「虫歯」を指摘され、実際に虫歯でした。もし、「転移」なら、その後も骨の箇所で出てきているはずですが、この虫歯で最後でした。すると、あの集積は何だったのでしょうね。「生検」をする予定を転移という思い込みで潰されたので、判らずじまいになったままです。
 6月15日(土)、久し振りに雨が降りました。天候と体調の関係を取り上げられている方もおられると思います。ところで、天気予報で降水確率が午前50%、午後30%とかになっていました。朝、外出時に降っていなかったので「折り畳み式の傘」を持って出ました。途中で小雨にあって、傘をさしてみたら、麻痺した方の手で持つとしんどい。柄が短すぎるのですね。そして、午後も降り続かれています。これだったら、柄の長い傘にするべきでした。気象庁のレーダー・ナウキャスト(降水・雷・竜巻)の降水図と降水確率からの私の予測が外れてしまいました。「午後も降るでしょうが、夕方には止むか小雨」というものです。
 6月16日(日)、「医者に殺されない47の心得」を読んでいると、私が思っていた通説に対する感覚を強めてくれる部分が多々ありました。で、他の世間一般での通説に「織田信長と豊臣秀吉と徳川家康では織田信長が一番短気である。」とかいうのもありましたね。気長者の戦法に「兵糧攻め」がありますね。有名な兵糧攻めをさせたのは、織田信長かな。桶狭間の戦いでは織田信長は2年ほど準備をしていたとか。織田信長の基本は、相手の情報を探り、相手より多い兵力、相手よりよい武器を揃え、自分に有利な時期、場所におびき出すというのがあるというのです。これ、短気ではできないですね。美濃攻め10年、石山本願寺と10年とか10年単位の戦いをしています。それに比べたら、秀吉の短気なこと。朝鮮攻めをしてしまいましたね。家康は弱かったから、待つしかなかったようです。変に強かったら、武田勝頼みたいになっていたかも。健康法にも眉唾物が多々あります。コラーゲンをサプリで摂るとどうなるのか。体内でのタンパク質合成の盛んな人はコラーゲンに合成される確率は高くなりますが、合成力の低い人は下手をすると、内臓脂肪、もっと悪いと筋肉の霜降りに使われる恐れもね。それは、コラーゲンは消化される対象タンパク質だからです。お肌プリプリにしたければ、しっかり運動もしましょうね。カルシウムを摂取するだけでは骨は強くなりません。しっかり運動するとという前提がありますが、CMなどではきれいに抜け落ちていますよ。もう少し深く調べて、考えてみるという習慣が必要ですね。「人の言うことを鵜呑みするな、よく調べ考えてから判断すること」ということだけは鵜呑みにして欲しいですね。

2013年6月10日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No44  Windows7マシンを増やそうかな。  力まずに無理せずリハビリを『クローズアップ現代「“最弱”チームは変われるか 〜桑田と東大野球部〜」』をみて  どこか度胸がなくなったような感じの部分が増えたような  左腕が痛い痛い  ゴミの分別(ぶんべつ)と分別(ふんべつ)  今からWindows7インストール  今日も左腕が痛い

 6月3日(月)、昨日それほどでもなかった左半身の震えが今日は凄いです。すると、左腕の筋肉が収縮したままになりやすく、伸ばすときに痛みを感じるのです。で、右半身は汗が出ているぐらいの厚着をしています。リフォームしてPCの場所を移動させたら、PCの調子が凄く悪いなってしまったかもと思っていたら、もう一台の調子のよい方でも・・・。いろいろ試していても突然画面が真っ暗に(しょっちゅうね)。しばらくしたら、ついている。大きな理由は、モニターの電源の差し込み不良でした。もう一台別のPCをWindows7にしようかなと思っています。7なら2ライセンス残っています。8は購入していないです。
 6月4日(火)、昨日のクローズアップ現代で「“最弱”チームは変われるか 〜桑田と東大野球部〜」というのが放送されました。その中で「練習のし過ぎ」がよくないというのもありました。ある投手が「コントロールが定まらない」と桑田氏に聞いたら「力みすぎ」、力の入れすぎがよくないよといわれたというのです。リハビリでは筋肉の頃合いの収縮というのが難しいですね。「力みすぎ」も多いのでは。以前に書いた「リラックスを忘れた脳と筋肉」といのがよくないというのですね。固着は論外で、ボトックス療法をですが、固着させないということが力みすぎを防ぐために有効ではと思ったりしています。それと、「勝ったときのうれしさ体験」とか言っていましたので、再びなにか動作ができたとき、ほめて貰えるというのも大切ですね。私などよくほめて貰いました。そのほかに車イス利用中に車イスに座ったまま片方だと思うのですが、車輪を持ち上げたことも。このときはセラピストさんが「車が浮いている」といって慌てて駆け寄ってくれました。笑い話的楽しさというのも必要ですかな。私からみたら皆さん何名か熱心な方をのぞいて自主トレ、サボリ気味に感じました。
 6月5日(水)、度胸というか気が弱くなったような感じがします。以前はもっとリスクを取っていたような気がします。入院中に「入院費を稼がな」といっていたのですが、退院で時間ができたはずが入院前みたいにリスクが取れないのです。儲けが小さく小さくなっています。入院前は仕事で時間が取れなかったのですが、休みを取った日にはもっともっと挑戦していました。この挑戦していた時期がカブ価低迷期で、このときに買い込んで売り損なったのを「カブの塩漬け」の漬け物にしていたら、はい、含み損から含み益にかわり、いくらかは益出しもしました。それでも、庶民の投資ですから、生活費の足しにするにはまだ足りないです。その程度の金額でも「損(含み損を含む)」を避けるようになってしまいました。ハイリターンするにはハイリスクで挑戦する必要があると思っています。ローリスクハイリターンの金融商品なら他人に勧めませんよ。自分でこっそりしますが、そのようなネタはないし、病気したということでやはりどこか気が弱くなっているみたいです。リハビリについては強気一点張りです。完全回復を目指しています。「おいでよ どうぶつの森」での「カブ」はわりと確実だったけど。楽天市場で「カブ 塩漬け」で検索しましたら、売っていました。漬け物でした。
 6月6日(木)、朝になってみないと判らないこと、「その日の調子」ですよね。昨日、お風呂上がりにそこそこの感じでした。ところが、朝、わんちゃんと散歩に出る前あたりから、「左腕が痛い」といっても、収縮させたりしたらですから、視床痛ではないと思います。作業をする妨げになることおびただしいです。また、自己マッサージとお風呂での筋肉伸ばしかな。ここで、筋肉を硬直させてしまうと堪らないですからね。明日、訪問リハビリですのでよくマッサージをしてもらいます。原因は「感覚が戻ってきている」ことかなと思っています。新聞が読みにくい。昨日の冗談みたいな「成長戦略」で含み益がなくなっていっています。一つか二つぐらい抵抗勢力の強い部分での規制緩和策なども添えていたら違っていただろうと思います。電力の送発電分離には東京電力のお陰で抵抗勢力は激減しましたからね。
 6月7日(金)、昨日、なぜか左半身の震えが止まりました???。ところが、今日の朝、しっかりと復活してくれています。ブルブルブルブル。で、汗たらたら。今日、プラゴミを捨てようとみたら、「だれだあ スプレー缶を入れたやつは」「だれだあ、缶を」「だれだあ、ゴムを」で分別に時間がかかりました。犯人はある程度見当がついています。一人暮らしになったら、どうなるのでしょうね。分別が歳とともに高くなる人と歳とともに置き忘れていく人などいろいろいますね。最近はいろいろな年代で「分別(ふんべつ)」を置き忘れている感じのニュースを聞きます。どうしてでしょうね。昨日は湿度が高かったようですね。梅雨のはずが今日は乾燥している感じです。汗の蒸発がよいというのも関係しているのかな。よく、天気と体の調子の話を聞きますが、それと同じことかな。早く感覚が戻りきって欲しい。昨日から、桂米朝の落語を聞けるようになりました。ただ、古い大全集とかなので現在の感覚では「放送禁止用語」だらけです。
 6月8日(土)、遂に主に使っているPCでPS2タイプのマウス、キーボードが使えなくなりました。USBタイプで今使用していますが、いろいろ不都合が出ていますのでWindows7を別のPCにインストールします。久し振りのインストールです。2000年前後あたりでは、年に1台くらいPCが増殖していたときと比べると減りました。
 6月9日(日)、最近、左腕の痺れと痛みが酷くなってきたというたらそのような感じです。痺れているというのは脳で再生がおこなわれているからということのようです。筋肉の痛みというのは何か動作をしようとすると感じることが多いです。ですから、時間をかけてゆっくりとか、回数を減らしてでも筋肉を伸縮させています。そして、筋肉を伸ばして、縮んだ状態で固まらないようにしていますが、なかなか脳が筋肉のリラックスしている状態というのを覚えてくれないですね。PCの方はWindows7インストール済まして、アップデートをしてからウイルス対策ソフトを導入、ブラウザーを3つほどインストール。各種ソフトのインストールはこれからです。できるだけ、信頼のあるフリーソフトを使う予定です。広く使われているソフトです。オープンオフィスも使うつもりです。マイクロソフトオフィスは「高い」です。でも、2007はあるのでどうしようかな。日本語を使っているので「一太郎」の方がよいのですが、「ワード」の真似で使いにくくなりましたね。「皆が使っているからよい」とは一概に言えませんね。かといって、信頼の置けないサイトのソフトは怪しいし、場合によると信頼のあるはずのサイトからでもやばいことも。「最新版には飛びつかない。」に限りますね。

2013年6月3日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No43  私の思う自主トレの範囲  私の思うリハビリの基本  「病の起源  ・・・」を少し見て思ったこと、「世代交代」をさせるため?  久し振りの5階と昨日のクローズアップ現代「幼い命を守れ 〜小児在宅ケア・地域の挑戦〜」をみて思ったこと   階段使用許可から1年 感覚の戻りが、でも、腕の筋肉が痛い  昨日の続き、感覚が戻ってきている

 5月27日(月)、私の過去の「自主トレをしましょう」にコメントをいただきました。ありがとうございます。で、「自主トレ」をどう捉えるのか。私の自主トレは意識が回復し、安定し始めたときから、始めていました。リハビリが始まってからではないです。理由は「筋肉が固まらないように」です。私みたいな脳血管障害ですと、筋肉や関節には問題はないのです。これはすぐに判りました。「脳の可塑性」の概略も承知していました。「脳に出血」という感じを覚え、左半身に麻痺を感じた時点で「リハビリで復活するぞ」という意識でした。私らみたいなのは復活して当たり前、筋肉の固着や関節の錆び付きを起こしてはならないとして、「自主トレ」を開始しました。ですから、始めの頃は左腕を右腕で伸ばしたり、曲げたりや左足に力を入れてみたりなどです。日中車イスなので足も曲げ伸ばしの機会がつくれました。トイレで用を足すようになってから、看護師さんが「車いす取ってきますね。」と目を離したときに介助棒にしがみついて体重を左足に徐々に移動させたりもしました。見つからなかったし、失敗もなかったです。失敗していたら、ベッド転落の時と同様「完全監視」下になっていたかも。ベッドから頭を下にして転落してすぐ、ナースステーションから一番よく見えるところに移動させられていました。よく頸椎損傷しなかったとほっとしています。状況はブログのはじめの方に書いてます。少し歩行練習ができるようになってからは「車イスこぎを両足で」とか言われていると思います。急性期の病院では保護者同伴みたいな条件でした。リハビリ病院では一人で。ちょこちょこ病室から出て行きました。当然トイレには一人で行き、便座乗り移り監視の下。しばらくして、ベッドからとかの車イスへの乗り移りが一人でしても可になったら、うろうろが増えました。スピードアップにも取り組みましたよ。踵からつける方が歩行の時に役だつと聞いてからは1段とスピードアップ、病棟の暴走族になりました。腕の方も用もないのに動かしてみたり、腕や指の曲げ伸ばしは日常茶飯事的に。病棟内(病室のある階のみ)歩行が許可されたら1日に5000歩以上とか。他の階に一人でエレベーター利用可になったとき、車イスでは本式の暴走も。歩行では10000歩以上にも。階段利用可になりましたら、エレベーター利用は原則なしになり、一日5〜7回ぐらい1階と5階を降りたり登ったりです。一番有効だった自主トレはひょっとしたら朝から晩までからだを起こしていたことだったかもしれないです。人間は上体を垂直に保つというのが大事なことだと思いました。
 5月28日(火)、リハビリの基本はあるのかな。私の原点としては過去の手術後の筋肉の痛みを「筋肉を伸ばす」ということで解消したのと、父が「痛い痛い」といって可動範囲を狭めていったことかな。どのくらいで回復すかという目途は全くなかったです。でも、症状から考えると「回復して当たり前」と踏んでいました。他の人と比較されない、比較されることのない取り組みだったこともよい方向に働いていたと思っています。私の子育ての時の基本は「待ち」と「比較しない」と「親の背中」です。子供の世界は狭いですよ。これで子達は旧帝国大学に進学しました。これと同じように患者にとって世間は狭いですから、「沈没」がいると「沈没」傾向の感じでした。私は他は気にしない、自分に合わせてリハビリするとね。私のこのブログを読んで一番役にたちそうなのは「発症直後」の方かな。症状を考えながらリハビリを。ある意味、入院生活は楽しかったです。一番は「回復」が実感できていたことか。今頃になって「痛み」とか「痺れ」が少し酷くなって、手足の屈伸の時、少し困っています。左半身の震えは日曜日は凄かったですが、昨日はほぼおさまったような感じです(冬装束?でね)。よく観察していると毎日毎日変化があるのでリハビリは退屈しないですね。昏睡みたいな感じの状態であったときに救急車が病院に到着したのですが、このような状態ですと「死亡率」や「寝たきり率」は高く、「外を歩いてウロウロ率」は非常に低いというデータも見つけています。すみませんね。初期症状を時々書いておかないと、どのような状態から「家の外を歩いてうろちょろ、アイコンのわんちゃんを連れて朝夕に散歩しています。」ということがわかりにくいと思います。このようになれたのも、「諦めない」「休まない(リハビリね)」「筋肉や関節をいつでも使えるように保つ」「筋力を落とさないように」「骨が脆くならないように(すでに何回か転んだり、尻餅をついたり、ダンベルを頭とけんかさせたりしましたが異常なし)」を心がけていましたし、心がけています。
 5月29日(水)、最近、NHKで「病の起源  ・・・」が放送されています。しっかり視聴していないので詳しいことは・・・ですが。「がん」は長寿国に多いですね。小児癌とかもありますけど、多くは長生きしたから、感染症とかで死ななくなったから、目立つようになったと思うのです。それなりに人間のDNA修復機構は精巧にできていると思います。それでも、DNA複製時に100億塩基対に1対ぐらいでミスがあるというのです。人間の持つDNAは30億塩基対といわれています。1回の細胞分裂で60億塩基対複製かな。これは、細胞分裂1〜2回で1対はチョンボが生じるということですね。ネズミなど寿命の短い生物は早い時期から(その生物では生存期間の後期かな)ボンボン「がん」が発生しているというのもそれなりの確かな本で読んだことがあります。しかし、生殖腺での修復機構はしっかりさせているとか。種が絶滅しかねないですからね。人間は1個の受精卵から約60兆個の細胞の固まりまで増えます。これだけでも約60兆回の細胞分裂です。実際はもっともっと多いのです。ある意味、これだけ細胞分裂をしてもやばい細胞がほとんど出てこないという凄いシステムだと思っています。寿命に応じて修復機構も進化してきているのですが、人間の場合は長寿になってしまったためかな。どのような機械でも普通は使い続けると故障しますね。機械ですと部品取り替えとかで復活しますが、人間の場合は部品取り替えは難しいですよね。心臓は一生で10億回ぐらいのレベルで休息なし部品取り替えなしで働いています。そりゃ、傷みが出ておかしくないのでは。血管も使い続ければ傷みますよ。世界の死亡統計をじっくり見れば、「がん」も「脳卒中」も長寿になったことで目立つようになったと思うのです。「サイボーグ」とかの概念ですね。これぐらいしないと「がん」や「脳卒中」、「心臓発作」から逃れることはできないのでは。部品の総入れ替えができない限り、病気から逃れることはできないと思いますが、発症を遅らせたり、早期に治療開始ができ、重症にならないようにすることは可能だろうと思います。そして、「寿命です」でという言い方な。「使い続けていると故障するのは当たり前」ということを忘れたことを宣言しているような番組かなと勝手に思って消して寝ました。私にとっては「時間の無駄」で、「ためしてガッテン」の脳梗塞などの番組の方が役にたちます。このような番組を放送したのだから、人間の部品総入れ替えができるような治療法を提案してください。故手塚治氏の「火の鳥 復活編」だったかな、「1+1=1」というのがありましたね。iPS細胞とかが出てきていますけど、総入れ替えってできるのだろうか。NHKさん教えて。人間のというか、動物のシステムは自分の遺伝子を受け継ぐ子を作り、その子がある程度成長する間は「健康的」に生きていけるように、その後までは面倒を見ていないようです。「がん」や「脳卒中」、「心臓発作」、「骨粗鬆症」などなどは、本来は子育てが終わっているはずの年代で発症していますね。免疫機構と同じで世代交代をさせるためかもしれないですね。でないと新しい個体が生きていけないですよ。「病気」というのは「進化」をさせるためのシステムなのかもしれないですね。でも、健康で活動的に生きていたい。だから、リハビリにも励んでいるのです。「不老長寿」ならリング状のDNAの方が有利です。人間は紐状。
 5月30日(木)、昨日、このブログへの投稿のカテゴリー分けをしました。「その2」とあるのが日々アップで、ついていないのが初期の1週間まとめてとかや書き始めの頃のです。昨日、久し振りに近所の百貨店とショッピングセンターに歩いて行ってきました。疲れました。リフォーム中で外出を押さえていた効果がバッチリ出ました。「使わないと錆びつく」や「使わないと衰える」ということを体験することになってしまいました。わんちゃんとの散歩は欠かさずしているのですが、百貨店での1階から5階の登り降りができなかったとか総歩数が減っていたとかの効果が抜群ですかな。ダンベルでのトレーニングをしばらくしていないためか、「腰が」。なんとかしたいです。それと、睡眠が浅いというところにも影響したかな。そうそう、昨日のNHKクローズアップ現代で子供の病気と退院後のケアについてがありました。この子供は乳幼児の方です。やはり、同じぐらいの年齢の子供と一緒に生活することの重要性をいっていました。この子供の中に治療の影響で脳梗塞になった子が出ていました。医師曰く「歩くことはできないでしょう」だったというのです。歩いていました、というか、飛び跳ねていました。乳幼児の脳の可塑性は凄いなと思いました。成長の途中ですからね。成長期だから、筋肉の固着や関節の錆び付きもなかったみたい。でも、高齢になってもリハビリで効果が出てくるというのは、幼児期ほどではないですが、脳の可塑性が残っているからでしょうね。がんばらにゃあ。我々は脳が回復してきたときのために筋肉の固着防止と関節の錆びつき防止が必要です。諦めが麻痺の固定化に繋がります。人それぞれ症状が違いますのでどこまで回復すかはやってみないと判らないという世界かな。医師の奥歯に物が挟まるような言い方はこんなところかくるのかな。「回復する」というとサボって回復するはずの者もしなくなって訴えられたり、「ダメです」というと回復できる可能性の高い症状でもほぼ確実に回復しないでしょうね。患者や家族への丁寧な説明が必要になると思います。「思い込み」による即断をさせないようにするにはどのようにすればよいのでしょうね。
 5月31日(金)、丁度1年ぐらい前になりますか。リハビリ病院で一人での階段利用の許可が出ました。5月になってからというのか、PTの度に「階段、階段」と階段をリハビリ場所にもっともっと使うように「要求」してましたか。「お願い」ではないですね、要求レベルだったと思います。片足に全体重を載せる、持ち上げるという動作を必要とされるので足を鍛えるのには都合がよいと思っています。ぼんやりと時間を過ごすとかできるので、「待つ」というのはそれほど苦にはならないのですが、エレベーターだけは「階段で昇降すればよい」と思っているので、待つのが面倒なのです。エスカレーターは別の理由で好きにならないです。許可を聞いたのが夕刻だったので、翌日は早朝から階段。この時期になると模型の階段で初めて練習したときの感慨は消えていました。もうこの時期には一日10000歩以上にもなっていました。家族がきたときとかにはエレベーター。一度、リハビリに行くため、急いで降りていたら、PT(土曜リハで見てもらった)のセラピストさんが偶然後ろについたので、「抜いて欲しい」と思ったのですが、最後まで後見人的についてこられました。降りにくかったです。このセラピストさん、この病院で一番足が長いという感じの女性でした。階段は足を鍛えるのにいいですよ。
 6月1日(土)、昨日、訪問リハビリで気になっていた左腕の状況について見てもらいました。左腕への感覚が戻ってきていることもあり、筋肉の様子に注意してくれとのこと、特に曲げるというより伸ばすということに重点をといわれました。「筋肉を伸ばす」ですね。前にも書いているように私も麻痺した結果、自動的に収縮しているような感じになりました。それを最初の病院でも意識的に「伸ばす」ということをしてきたのです。収縮させてしまうと「ボトックス療法」になりますので、収縮させないようにということです。固まると関節も錆びつくようになりますしね。筋肉を収縮させようとするときに痛みが出るとかは感覚が戻ってきていることらしいと。実際、感覚テストをしてもらうと感度が高くなっていました。
 6月2日(日)、昨日、指を動かしていて、???。爪が当たったとき、痛覚が、物に触れたときに痛覚が、以前より敏感になっている感じがしました。痺れは相変わらずですが、その痺れを上回る感覚です。口の中の感覚も戻ってきています。このような感覚とともに筋肉の感覚も戻ってきているのでしょうね。左腕が痛いと昨日書きました。今日もだったのですが、お風呂で背中を洗っているとき、いつもの痛みがなく、左腕を肩の辺りで方向転換したり、力を入れても痛みをそれほど感じなかったです。湯船での伸筋も楽にできました。

2013年5月27日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No42  久し振りの現状報告  椅子の組み立て   脳出血や脳梗塞に備えて調べておきましょう。  「クールビズ」は汗腺の訓練から、麻痺した左半身が心配  自分のリハビリのために、他の方の経験を。  バリアフリー改修減税についての雑感  熟睡したい

 5月20日(月)、左半身の寒さへの感度は高いですが、暖かくなったりすると感じにくくなります。お風呂ではぼちぼちよい感じになっています。手や足の感じですが、硬直感が強く出ることがよくあり、足の方はその後、歩きやすくなっている感じをよくしています。つま先立ちで少しうろちょろもできるようになりつつあります。手の方の感覚は戻ってきているという感じは最近していないです。顔の方ですと、左目でコンタクトレンズを感じている度合いが少し戻ったようです。ずれてしまったとき、目尻の方に行っていたのが2回続きました。うち1回は目頭の方で失敗したときもです。唇当たりの感覚も戻ってきつつあるようです。そうそう、手足での硬直感、痺れ、筋肉の痛みとかを感じていますが、お風呂で筋肉を伸ばしたり、収縮させたり、手も足もしています。なぜか湯船の中ですと痺れとか痛みとが凄く和らぎます。ですから、特に感じていないときも屈伸などをしています。ここまできて硬直などさせたら元も子もないですからね。
 5月21日(火)、今まで使っていた椅子が座りにくいので、事務用椅子を展示しているところでいくつか座り心地を確かめてから、購入しました。この椅子の問題点は「組み立て式」、はい、自分でする必要があります。家族に頼んでいたのですが、完成がいつになるか判らないので挑戦してみました。できるだけ床に置いた状態で空中戦(浮かした状態)の作業がないようにしました。できました。この頃のは組み立てやすくなってはいますが、昨年左半身完全麻痺の状態から見ると、「やった」という気持ちでした。何事にもできないではなく、少しずつ、新しいことに挑戦したいです。でないと、手助けがないと何もできない状態になってしまいます。挑戦する気持ち、そして、実行ですね。また、なにか挑戦してみたいです。
 5月22日(水)、昨日、テレビで脳梗塞についてしていました。発症時の症状とどうするかのところを少し見ただけなのですが、梗塞とは別の要因を原因と考えて手遅れになる可能性や梗塞と思われたら「してはならない」行為などでした。私の場合は脳出血と始めから決めつけ、病院に行こうとしましたが、結果的には目的の病院に行けましたが、「しない方がよい」ということをしてしまっていました。できるだけ早く専門医に治療してもらう方がよいので「初期症状」を知っておき、「してはならない」行為をしないように知識を高めておく方がよいですね。一番は「予防」ですけど、どうしようもない感じで発病することもあり、日頃から考えて調べておく必要があります。身近で「脳梗塞」に気がつくのが遅れたのがいました。別の原因と思い込んでいたというのです。
 5月23日(木)、昨日は世間は初夏というか25度を超えているようですが、左半身が寒い。右半身主体の汗が出ています。一昨日に比べて少し薄着にしました。一昨日は汗だく(笑)になるくらい着込んで左半身の震えが止まっていました。そうそう、今年は「汗腺のトレーニング」を十分にする前に冬から、即、夏になるようですね。私は毎年、「汗腺のトレーニング」ということを意識して春あたりから徐々にならしていました。ですから、真夏でもクーラーなし(風通しがよいところ?)で過ごしております。昔から「クールビズ」をしていたのです。水分補給は2〜3リットルになることもざらでした。全身から割と均一に汗が出ました。俗にいう「汗ふき」が使えないぐらい薄くですが、全身均一的に持続的に出ていました。昨年も難とかしのいだので今年もと思っています。ところで、「汗腺」も毎年毎年毎年訓練が必要なのです。最初は乳児の時に「汗腺の開通」が必要とか。これが不十分ですと、汗が出にくいとか特定部位だけとかなるというのです。次に汗の質ですが、上手な汗腺では「水と塩分」が大部分ですが、へなちょこ汗腺は「水と塩分と栄養分」になるというのです。汗臭くなりやすい汗です。クーラーで汗腺のはたらきを止めるというのは「へなちょこ汗腺」養成コースといわれています。それと「クーラーによる温度感覚麻痺」の可能性も。あるデイリハビリの施設で23度ぐらいでないとクーラーが効いていると感じない人がいました。冷やしすぎ。私の父も、職場でも、まあ、ここまで酷いのは少ないですけどね。今一度ですが、「私の経験としては視床出血で感覚中枢などの中枢が麻痺前の経験を忘れてくれている」という感じを持っています。覚えていたら、こんなこと(左半身ガタガタ)はないのではと思います。
 5月24日(金)、昨日は着込みました。汗だくで左半身の震えはほぼ解消。真夏を例年通りのクールビズ(クーラーを使わない)で過ごせば、アンバランスが解消できると期待しています。停電が起こってもよほどの猛暑でない限り、生き残れると思っています。今日は訪問リハビリの日です。ただいま、私の部屋を改装中なのです。段差解消を一番の目的で和室を洋間にという改装。リハビリ病院でも上体を起こしたまま、マッサージをしてもらったことがあるので椅子があればできると思います。先日つくった椅子に座ってしてもらおうと思っています。この訪問リハビリの目標とかいろいろあるのですが、通所リハ(通院リハではないです)と違って担当者との会話を楽しんでいます。認知症予防ですね。その時に私の調べた知識と作業療法士さんの学んできたり、担当して経験されたこととかのすりあわせも重要なリハビリだと思っています。私にとっては退院してからは他の患者さんと会う機会などないですからね。実地経験というのも大切だと思います。
 5月25日(土)、住宅のバリアフリー改修などの戻し減税がありますね。このほか、省エネとかも。共有の場合は契約時から共有者全員の名前で契約し、実質的な場合も含めて金銭も共有割合に応じて負担した場合に減税のすべての割合を受けることができるようです。共有者に資金負担能力がない場合にバリアフリー改修以外の同時にした手直し改修でひょっとしたら「贈与税」負担が発生する危険性が伴う減税だと思います。このようなことについては業者が契約時から注意して説明する義務があるかも。このような住宅改修では最後の手段として共有持ち分変更ということで贈与関係は解消できるかも。住宅取得時の税金とかは皆さんよく考えられていますが、「改修」とかですと、主契約者1名のみの契約になっている場合が普通だと思います。どのような減税や公的補助が利用できる可能性があるかとか、その利用時の問題点について,業者は説明をしておく必要があると思います。利用するかどうかは契約者の問題ですが、利用したいという意向があったものについては詳しい説明をし、問答集を渡すようにしてほしいですね。なかには詳しく知っている人もいるかもしれないですが、「知らない」という前提で、まずは軽く紹介し、必要とされそうなのを順次詳しくしていって、ある部分当たりからは税務署や役所に説明してもらうように助言してほしいです。まあ、いろいろあるのですが、夫婦共働き世帯ですと、住宅購入の時、共有は普通ですね。でないと、「贈与」という危険が発生することになりやすいです。バリアフリー改修の上限ですと、「贈与」の危険は非常に低いですけど、普通のリホームですと注意が必要になることもあるのではと思ったりもします。住宅価値の上昇のないバリアフリーなどの住宅改修でも契約時から、持ち分、お金の出どこ、工事内容等、十分に注意する必要があると思いました。
 5月26日(日)、睡眠、熟睡できている感じなのですが、どうもできていないみたいなのです。左半身側の痺れが原因なのかと思ったりしています。最初の入院中でリハビリを始めてしばらくした当たりから痺れを意識するようになるまでの間の方がぐっすり睡眠ができていたような感じです。まあ、入院中、睡眠に落ちると朝まで起きないということでした。今もね、若いですから。入院中は看護師さんの夜間巡回などに気がついたのは数えるほどです。患者の状態によっては深夜でも病室に駆け込んできますね。同室者は気がついているようなのですが、私は夢の中。でも、熟睡ではない。熟睡したい。痺れとかがおさまるまでは無理なのでしょうか。(涙)

2013年5月20日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No41  今一度、人間の体について、「使わないと錆びつきます。」という言葉で云えられるかな。ドッグランを目指して。  感覚の復活のアンバランスと子育て  体の構成要素の維持、例として「骨」と子育て  リハビリと教育、どこが同じで、どこが違うのか???   ブログでの初期の病状についての必要性あり、なし、どっち と 人格障害   脳卒中のブログですが、今回は人格障害だと思う「アル中」  私の回復度がなにか「奇跡的」ではなく「普通の」の感じが。

 5月13日(月)、今一度、人間の体について、「使わないと錆びつきます。」という言葉で云えられるかな。「錆びつく」とは「使えなくなる」という意味です。脳出血や脳梗塞では、筋肉や関節などは普通無傷です。ただ、制御する脳が一時的に、あるいは再構築されるまで指令を出せないだけです。結果として「使わない」になってしまいます。すると、筋肉は固まり、関節は癒着し、脳は発症前を忘れてしまいます。脳の再構築がリハビリの目的だとしたら、それは筋肉や関節が使える状態であるということが前提になります。脳が回復してきても筋肉が固まっている(痙縮)と動かせません。それで、出てきたのがボトックス療法かな。ただ、普通の寝たきりですと、筋肉が減少しますね。ある程度以上減少すると動作に支障が出てきます。ですから、どちらにしろ、「動かし続ける」ということが必要になってきます。「動かし続ける」といっても程度の問題だよ。基本的な動作練習を続けることかな。腕だと「伸ばす。曲げる」とかですね。凍りつきそうになったときは「休息」。揉みほぐしてもらったときもあったと思います。単純な動作が幾種類かできるようになると、組み合わせかな。「物を掴む」とかの練習は指が伸ばせるようになったら、楽になりました。小さなボールやパチンコ玉でも掴めるようにね。私の感覚からすると、「どう考えても筋肉硬直させているだけだよ。」というリハビリ?に取り組んでいる方もおられます。麻痺で脳と筋肉がリラックスするのを忘れたのが問題なのですね。筋肉をリラックスさせて動かせば脳への刺激もより多いと思うのは私だけでしょうか。私はこのような考え方で、左半身完全麻痺から復活してきたのです。使い方を間違うと動作が固着してしまうのでは。指が曲がったままですと、指を伸ばせなくなり、歩行の時、足を回し出しをしているとまっすぐ出せなくなると思います。どちらも、治せたはずの障害を固定化することになるのでは。歩行の方は隠れた目標として「ダッシュができる。ドッグラン(リードなし状態の柴犬の成犬のわんちゃんと並んで)ができる」ようになることです。回し出しでは絶対無理な走り方が必要になります。健常者のように足をまっすぐ前に出せる歩行がほぼできつつあるから云えることです。ここに来て「すみません。筋肉を固めてしまった方は筋肉をほぐすことから、関節を固着させた方は関節がなめらかに動くようにされることを第一にした方がよいと思います。すみませんでした。」
 5月14日(火)、視床出血を調べていたら、以前から気になっていたことがあるサイトでありました。運動神経との位置関係、図とかではなかったのですが、脳幹部なのでやっぱり、ご近所でした。出血がどの方向に広がるかで回復の早い遅いが少しはでてくると思います。他の部分の出血でもどのような働きの部分かで違ってくると思います。視床出血は基本的には感覚麻痺ですね、視床出血は。感覚には温覚、冷覚、圧覚、痛覚、そして体内部での感覚、筋肉の収縮状態の感覚などがあります。今、一番堪えているのが「冷覚」かな。過敏すぎるのです。一昨日(日曜日ね)など右半身は良い季節を満喫中で、左半身は「真冬」みたいに震えています。真冬と大体同じ服装といえるような着込みかたで「ガタガタ、ガタガタ」。朝、コンタクトレンズ装着作業が辛かったです。筋肉が貧乏揺すりするので、左手が安定してくれなかったです。両手使いなもので片手では装着できないのです。手の感覚で冷覚や温覚が過敏なのは昨年わかっていたのですが、冷覚がこれほどとは思いませんでした。どの程度で馴れてくれる(右と同じぐらいに)のでしょうね。寒い、寒い、寒い、寒い、寒い、寒い。話は変わりますが、子どもの育て方は一昨日投稿したような感じでしました。おかげさまで二人とも旧帝国大学に進学しました。どこを、受験せよとかはいっていないです。「親の希望を押しつけるのは虐待」ですからね。学校の成績とかで「順位」がどうのこうのや、通知表が・・・とか言ったことはないです。「勉強しなさい」も他の家庭に比べたら言っていない部類に入ると思います。高校生の頃は「早く寝なさい。」が一番よく言ったことかな。
 5月15日(水)、体は成長の時に作り上げられていきますが、その後どうなるのでしょうか。また、成長の時もどうなのでしょうか。一例として「骨」ですね。堅いですが、これ何年かですべて作り直されています。古いですが、NHK「驚異の小宇宙 人体」では約3年で作り直されているとか。その番組では、破骨細胞は働き者的に、骨芽細胞は怠け者的に紹介されていました。バランスをとらせるためには筋肉を力込めて使うときの刺激が必要だとか。とすると、私らみたいな脳出血などで麻痺して筋肉が使えなくなると,骨芽細胞がサボリ出す?。サボられると骨が弱体化します。それでなくても年齢を重ねると骨は弱体化してきますが、より促進かな。それで、リハビリ等で「転倒」などを極端に恐れるのですね。転倒で骨折しますからね。すると、使えなくなって、さらに骨と筋肉が弱体化します。筋肉の強化は荷重が必要です。適度ですと、ぼちぼち筋肉が傷つき、修復、回復時に以前より強くというのが普通らしいですが、過度に傷つけると回復しないそうです。弱すぎると強化にはならない。難しいですね。筋トレは回復時の休息が大事なのです。まともな筋トレなら間隔(24〜72時間ぐらい)をとってトレーニングしています。健常者ね。我々ではどのくらいの間隔がよいのでしょうか。筋トレみたいなのは筋肉がリラックスしている方がよいでしょうね。脳などの神経細胞以外は常に作り直されていると思った方がよいですね。脳も含めて「活動させている」という方がよいようです。昨日の子育ての続き、「家族会議」については私は虐待だと思っています。だいたいが親の意向に従わせるためにするのからです。まあ、上手に育てればそう会議などする必要はないはずです。親は子供を存在するだけで愛することができるはずですが、「他との比較」にのめり込み出すと愛せなくなるみたいです。結局は「親の自己願望の実現」のためかな。子供に一番よくないと思います。成績を見るのは難しいですよ。どう解釈するのか。どこがよいところか。どこを復習すればよいか。などなどで、「何番」とか関係ないよ。ところが、「何番」とかの方がわかりやすく感じるみたいです。子供の通っていた高校の平均点程度の生徒はほとんどの高校で上位者でしょうね。なんで平均点なんで見るんだよ。私の子についてはその高校の先生が「優秀」といっていたみたいです。「平均点あったよ」とか平気でいう生徒は「その高校の平均点程度までしか勉強しないよ」を宣言しているようなものですよ。だから、順位や平均点とかを子供にいったことがないのです。問題は「理解しているかどうか」で、それも「自己の思考で」ね。これ、つきっきりでないとむりかな。まあ、子供の足を引っ張らないようにしました。
 5月16日(木)、月曜日とかは朝は冬のセーターにジャンパー、さすがに日中は暑くなりました。左半身の震えがおさまったのですが、火曜日の午前9時あたりから再び出てきました。室温27度程度です。リハビリでも勉強とかでも、企業活動とかもしれないですが、自分の経験した範囲内、もしくは想像できる範囲内から考えられることで思考が止まっている感じの人が結構いるのです。「義務教育」の意味は、「国民に普通教育をうけさせる義務ある。」の義務です。そう、国や地方公共団体、親にね。子供は権利です。固定観念の「・・しなければならない」とかと思い込んでリハビリを受けると回復が遅れると思います。私の回復スピードが普通で他の患者さんが「義務的」に捉えて遅れただけでは。それは、皆さん落ち込んでいましたからね。歩行での足の回し出しも多くの人がそうなってしまっているのでそれが普通と思い込んでいるのかも。想像ができないようです。学校の教師もこの例に綺麗に入ります。科学オリンピックに参加して上位に入賞するような生徒は学問分野では教師の手には負えないですよ。大学レベルを独学で勉強できます。ところが、そのような生徒を知らない教師は「特訓」だけでできると思い込みやすいですね。特に大都市圏の公立高校にはこの意味での「教師の手に負えない生徒」は行かないですからね。「順位」「順位」で育てられた教師は「順位」しか評価基準を持たないといっていいかも。その点、リハビリのセラピストさん達は各個人をよく見ている人が非常に多いですね。まあ、リハビリでの回復度はその人の発病の状況によって違ってきますからね。私なんか「意識不明」の時もあった視床出血みたいです。病院到着時も意識はっきりの視床出血もあるようですが、意識なしなので家族がきていたのは記憶がありません。この状態では、どうも「一生車イス」が一番多いみたいなのです。死というのもね。だから、「奇跡的」みたいになったのですが、私としては「生き延びて」、「割と早く意識が回復」すれば、という条件が満たされたみたいなので、こんなものかなと思ったりもします。過去の経験や学習してきたことなどを上手くつなぎ合わせて思考回路を働かせることができるかどうかということかも。教育の目的は「自分で情報を集め、過去の経験などと合わせて、思考回路を働かせ、新しい価値を創造できるようにする。」ことだと思うのですが、「暗記」ばかりで思考回路の使い方の練習ができていない人が多いですね。
 5月17日(金)、数日前に日本ブログ村の病気のカテゴリーの中の「脳卒中」に「私の病名と症状…今さらですが…」というのが投稿されていました。最初の頃から読んでいるブログですと、そう「病状」がでていることが多いので経過とか頑張りとかが理解しやすいです。ブログの投稿の分類分けをしっかりされているところでも、どういう症状だったの?と思うことがたびたびあります。個人情報の問題もありますので、どこまで公開してよいのかという問題もありますが、初期の病状がないと理解しにくいのがこの病気ブログでしょうか。ですから、「私の病名と症状…今さらですが…」というのは途中から読者になった者にはありがたいです。このブログ村のブログでは、最初に遡って読ませていただいたのが結構な数になりました。私の現状だけを見た人は「ちょっと悪くなったようだ」という感想を、だから、「あんた、軽かったのでしょ」になります。リハビリ病院で他の患者さんと話をしていて、発病当時の様子からみると私より重症と思える人でも回復していたり、同程度だと思うのですが、今考えると固着させてしまったような患者さんもいました。結局はリハビリなどの参考にさせていただくためには必要な情報が初期情報や背景でしょうね。ちょっと読んで良さそうだからではよくない場合もあるのでは。ここからはここ数日の子育ての方です。教育にも影響するのが「家族」や「親族」ですね。「毒になる親」というのはそこら辺にもたくさんいますよ。親の面倒を見ない子供もね。これは家族関係が病んでいるからです。学校関係で「親は子供のことを考えている」とか思い込んでいる教師も多いのでは。学校によったら、奨学金などを子供に渡す学校もあります。理由は親に渡すとギャンブルや酒代などに使われてしまうからです。親に金銭的能力があっても子育てできないことが結構あります。教師の子供にもその影響がでていると考えられることもありました。「人格障害」ですね。これ、いろいろな程度でいろいろな発現パターンがあります。「真性のアル中」はわかりやすいですが、高学歴の「素面のアル中」は、同じ高学歴でも周りに与える悪影響は非常に大きくなります。AC(アダルトチルドレン)とは、アルコール中毒の親によって育てられた子供ということで非常に親の影響(まあ悪影響ね)を受けているとか。教師をすると、児童生徒もに悪影響をまき散らします。では、アル中とはどのようなのかは明日アップしたいです。飲んだくれているのだけがアル中ではないですよ。
 5月18日(土)、アルコール中毒についてですが、斉藤学氏の定義によると、アル中らしさの性格があって、酒が飲める人が昔からのアル中であり、酒は飲めないがアル中的性格をしっかり持っている人を「素面のアル中」と定義されていました。アル中には金持ちもいれば貧乏人も。男もおれば女も。年寄りもおれば若者も。高学歴者もおればそうでない人も。詳しくは斉藤学氏の「アルコホリクルの物語」を。この著書のなかで「アル中らしさ」として、「人付き合いが下手である。」、だから、疲れて一杯といことになりやすいとか。「怒りっぽい」なのですが、「恨みの感情を持ちやすい」とも。「自分の過去を自慢したがる。」や「権威主義」であり、「有名人でも知っているとその話ばかりする」とかなどなどで、すべてがそろっていなくても「立派なアル中」は存在するのです。酒の飲めない人は「仕事中毒」、「ギャンブル中毒」、「買い物中毒」などなど何か嗜癖をもっているというのです。これらを弱い程度から真性アル中までいろいろな状態でいると思います。教科書みたいなアル中はまだ一人しか見たことがないです。どこかそうらしいというのは結構いますよ。教師の場合は児童生徒に威張れますから、目立ちにくいかも。どこかでこの生活がしにくいつらさを解消できると酒にのめり込む必要はないですね。官庁での出世競争をしているエリート官僚が出世で挫折したら家庭内暴力とかいうのも聞いたことがあります。有名人を知っているから、私は偉いのだと威張ったという話も聞いたことがありました。「虎の威を借りた猫」そのものね。話し相手より、どこかで威張れたらそう本性は出ない人が多いようなので気がつきにくいようです。でも、その子供にはしっかり影響が行きますよ。ACね。このことを切っ掛けにこのような関係の心理学とかの書物を読み始めたら、私も含めて、程度問題ですが、「人格障害」を背負って息苦しく生きている人だらけという感じの世の中だと思いました。このような感じで医療関係者を見るとリハビリ関係が一番まともかも。医師がやばい感じの人の割合が高いように思います。教師は結構やばいと思います。大阪で子供2人を部屋に置き去りにした母親の父親もやばい感じの報道がありました。教師である競技の部顧問で有名だとか。あの堀江氏を「平気で他人を傷つける人々」で取り上げた作家がいました。読みますと、堀江氏が心を傷つけられてきたということを感じました。再生産されるのです。、
 5月19日(日)、ブログ村で他の方のブログを読んでいて感じていること、「奇跡的回復」とかいわれたと紹介文に書いているのですが、どうも「奇跡的」ではなく、私の症例ですとリハビリへの積極的な前向きの取り組み、自主トレをしていたら、「回復して当たり前」という感じがしてきたのです。最近は発症後早い時期からリハビリを始めて貰えますね。どうも、その意味を理解できたかどうかの違いという感じが。発病して数週間での取り組みが非常に大切だという感じのブログが多かったです。昏睡状態が長かった方は本人の意思でリハビリはできないですが、家族で取り組まれていた方のもありました。高次脳機能障害が出てきた方も回復が遅れるようですね。ですので、読ませていただくとき「予断」ではなくできるだけ正しく理解させていただくために「病状」が大切になってきますね。私は視床出血なので開頭手術なしでした。意識が回復したらリハビリをはじめることができました。その時から「筋肉の固着」、「関節の錆び付き」を防ぐ動作をしていました。だから、感覚がどこか少し戻っただけで徐々に動かせるようになったのでしょう。入院中にボツリヌス菌毒素を使ったリハビリ(ボトックス療法)があるというのをテレビで見ました。この毒素は筋弛緩作用で有名な毒素です。破傷風菌毒素を打ち消すためにもつかわれることがある猛毒です。固着させなかったら必要のない療法です。初期の取り組み当たりから、ほかの患者と意識が違っていたためと思ったりします。本当に左半身が完全に麻痺しました。それから、4ヶ月後には病院の1階から5階までの階段昇降や一日に10000歩、作業療法ではパチンコ玉をつまんだり、小さな円柱を回転させたりとかできるようになりました。コンタクトレンズはまだ右手が独占的に扱っています。筋肉や関節がいつでも使えるようにしてきたからだと思っています。痙縮させてはダメなようです。症状によってその待ち期間はいろいろあると思うのですが、筋肉と関節、いつでも使い始めれるように常に整備点検しておきましょうね。

2013年5月13日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No40  リラックスを忘れた脳と筋肉   「諦めずに頑張りましょう。」死に損なった視床出血により左半身完全麻痺になった者より。 お肌を紫外線から守りましょう。  リハビリをする意味合い  リハビリ効果の定着に必要なものは?  自慢はしたくないですが。それなりに特訓をしました。  自主トレをしましょう。

 5月6日(月)、昨日もこの頃の硬直感に悩ませました。視床出血ですと、大脳の感覚中枢や運動中枢、小脳も無事のはずです。当然、筋肉、骨、運動神経、感覚器官などもね。視床なので感覚情報が入ってこなくなっただけですよね。それなのに、昨日の投稿に書きましたように「脳が平常を忘れてしまっている」ということです。ですから、感覚が少し戻るとオタオタしてしまうのでしょうね。であるから、なにか悪化したとでも思う人もでるのでしょうか。このオタオタしているときは疲れます。お風呂で筋肉の曲げ伸ばしを念入りにして、脳に以前を思い出して貰おうと思っています。腕の方はしっかり伸ばして右腕とよく似た感じぐらいまで回すことができました。目標の一つに右手(肩の方から)と左手(左脇腹付近から)を背中でがっちり握り合わせることを目指しています。で、歩きにくいとか思っていましたが、9000歩以上になりました。連休中なので歩数は大分減るのは覚悟していましたが、昨日はまあまあということになりました。暖かくなってきましたが、左半身がまだ寒がっています。いつになったら、右半身と同じような温度感覚になってくれるのでしょうか。
 5月7日(火)、昨日漸く5月らしくなってきましたね。気温も平年並みになのかな。ところが、このような気温でも左半身は震えています。右半身は快適なのです。汗が出ていても左肩あたりを中心に震えています。この違いも平常を忘れてしまっった脳の感覚中枢のなせる技かな。どのくらいで左右が同じように感じてくれるのでしょうか。私の場合は「寒い」とか「冷たい」をより感じています。まあ、ある意味、少し低めに感じているということのようです。人によってはもっと大きな違いを感じている場合もあるとか。お風呂に入ったら、洗い場の温度(洗う前ね、使用前)では極端に冷たく感じるとかがあるそうです。そのほかにもね。熱く感じる人とか。徐々にならしていくほかないでしょうね。昨日ブチブチ書いた足の硬直感は解消に向かっていて、楽になり、歩行も楽になりました。結局は、一進一退みたいにして回復していくのでしょうね。そして、早いか遅いかの問題はありますが、「諦めたらお終い」の世界と考えてます。ですから、「諦めずに頑張りましょう。」死に損なった視床出血により左半身完全麻痺になった者より。だれかと競争するものではないですよ。期限を区切るものでもないですよ。コツコツとね。最善を尽くすのが「まだ死ぬのは早い」と戻して貰った者の努めかな。
 5月8日(水)、最近晴れのよい天気が続きますね。ところで皆さん日焼けに注意されていますか。紫外線の強さは太陽高度に比例します。夏至(6月20日頃かな)の頃が最高かな。すると今は1ヶ月半前(90日ほど)です。夏至から90日ほどというと8月10日付近かな。皆さん、8月ならバリバリ日焼け対策をしますよね。全く同じ強さというのではないかもしれませんが、「同等」ぐらいは覚悟した方がよいと思います。ひょっとしたら、春の方が強い?なんていったりして。気温が低い分露出部分が少ないことが多いので日焼けする皮膚は少ないかもしれませんが、日当たりのよい部分はこんがり焼き上がりますよ。お肌の健康を保つために過度の紫外線は避けたいものですね。
 5月9日(木)、その昔は脳卒中による片麻痺は回復しないとか思われていたのですね。とすると、私みたいなのは麻痺したままだったのかな。リハビリの知見の集積から、脳卒中でも早期からのリハビリが有効となってきたようです。脳の可塑性がこの取り組みの一つの要因ですね。破壊された神経細胞は回復しないですが、その細胞の担っていた役割を周りの細胞が肩代わりしていくというのかな。まあ、隠れ脳梗塞などでは障害が表面化しないですね。この手の脳梗塞も頻発すると、障害が出てきます。少しだけなら障害が表面化しないといわれています。これは脳の修復機構によると考えられています。どのように修復するのでしょうか。生き残った神経細胞が樹状突起や軸索を伸ばして回路を新たに作って、失われた働きを補うといわれています。軸索の伸長については「促進因子」や「抑制因子」とかいわれていますし、なが〜い軸索は再生しないともいわれています。なが〜いというと脊髄部分で軸索が損傷すると脳までや筋肉までとかはとお〜いですね。視床部分で損傷が起きる視床出血ではどのように改修しているのかな。感覚が大分戻ってきているのです。全く無感覚になった足の裏とかもです。軸索が再生したのかな、それとも他の神経の軸索を借用?(こんなことできるの?)。軸索の伸長に抑制因子とか促進因子とかあるのは当たり前かな。視覚の軸索が聴覚部位にいっても無駄だからです。軸索突起誘導因子が「おいでおいで」と働いているとしたら、使おうとする必要がありますね。樹状突起や軸索は細胞膜の塊ですね。では、伸ばすのに必要な栄養とは何なのでしょう。以前に書いたことを再び次回投稿します。
 5月10日(金)、リハビリの成果が脳の再構築で現れるとすると、それは樹状突起や軸索が伸びているということですね。樹状突起とか軸索とかは細い細い管ですね。管は細くなるほど表面積の割合は高くなります。だから、細胞膜ね。軸索は髄鞘をもっています。シュワン細胞が平たく平たくなった細胞が神経突起(軸索のもとね。細い細い管です。)に巻き付いています。薄く平たくなるほど体積に対する表面積の割合は大きくなります。だから、細胞膜だらけですね。ですから、脳は細胞膜の割合が非常に高くなります。だから、構成成分で脂質の割合が高くなりますが、見た目は脂ぎっていないです。どうしてかというと、細胞膜の主成分が脂質で、細胞膜はその表面は水と仲良くできます。水と仲良くできる親水部と水が嫌いな疎水部からなるリン脂質などのタイプの脂質からできています。この脂質は人間が造れる飽和脂肪酸も原料に使いますが、人間が造れない不飽和脂肪酸を必ず使う必要があります。飽和脂肪酸だけですと、ラードみたいに脂ぎって固体になってしまい、細胞膜の特徴の柔軟性(流動モザイクモデル)がでなくなってしまうからです。それで、必須脂肪酸と呼ばれるのがあるのです。必ず食事で摂取する必要のある脂肪酸です。不飽和部分の位置とかでω3とかω6とかなどの系統があります。普通サプリでよく出ているのがω3系列でDHAとかEPAかな。DHAが脳の発育で有名なのはこのような理由だろうと思います。そして、食材に偏りが結構ある脂肪酸です。ω6系統の例としてはリノール酸、これ、工業的に大量に安価に穀物から抽出できるようになりました。まあ、サプリで摂らなくても、普通に食事をしていても細胞を食べていたら、極端な不足はないかも。ただ、樹状突起や軸索等の再生時には結構な量が必要とも思います。リハビリ効果の定着が脳の再構築によるとすると考えられることだと思います。しっかりと万遍なく栄養を摂りましょう。偏りとか、食べ過ぎはダメですね。
 5月11日(土)、リハビリ病院入院中で記録を記憶しているのが2つあります。一つはリハビリ病院に転院した直後の歩行時間、杖をついて10mを何秒で歩けるのかというものです。38秒でした。時速ですと947mぐらいになります。但し、数十m歩くのがやっとの時です。それから、100日ぐらいのち、退院前の測定ですと、6分間で420mでした。時速にすると4.2kmです。当然、ノンストップです。まあ、この頃には「散歩」で2000歩ぐらいを一日に3回は歩いていました。今一度、振り返ると発症時は完全左半身麻痺、視床出血ですから「感覚麻痺からの麻痺」です。このことは、視床出血と聞いたときに思いました。筋肉や運動神経には障害がないということも理解しました。ただ、感覚(入力ね。これを「文」とする。)がなくなると、制御情報がなくなるので動作(出力ね。これを「武」とする。)できなくなりました。文武両道で体の動作ができているのですね。「物を掴む」という動作は、物の形状を判断し、手の状態を掴みやすいように筋肉を使って調節する必要がありました。物の状態は視覚及び触覚などですね。触覚は麻痺して使えません。文の一部(視覚)でしました。物の状態に合わせて、手の位置を合わせたり、手のひらを広げて、掴めるようにするわけですが、腕の筋肉を使うことに(武ね)、ところがどの程度の位置かとかは筋肉感覚(当時は戻ってなかった)と視覚(文ね)で調節することにね。ところで、腕や手の指が曲がったままではものは掴めないです。それで、特訓しました。はい、指を伸ばして、且つ、特定の指を曲げる動作もできるようになりました。歩行についても足の筋肉感覚や皮膚感覚がない分を補うようなリハビリを当然しました。歩行に対しては「車イスを麻痺した足も使って漕ぐ」というのが役にたったと思います。リハビリ病院でみていたら、麻痺していない足だけを使ったり、押して貰ったりだけの患者さんを結構みました。事情はあると思いますが、歩行練習ができるのなら麻痺した足も使おうよ。
 5月12日(日)、昨日、特訓とか書きましたが「自主トレ」ですよね。これ、公認の自主トレとヤミの自主トレがありました。公認の方はリハビリ室でできますので、危険の度合いは低かったです。自転車こぎで自転車と一緒に倒れそうになったりしたこともありました。倒れていたら、退院はもっと後になっていたでしょうね。PTでは平行棒を利用しました。足運びの練習です。足運びが悪いと疲れるわ、格好悪いわ、速度は出ないわの三重苦になりますので。今でも足運びに問題が出そうになるので矯正を意識して歩いています。自主トレで他の患者さんをみていたら、「足の回しだし」の方を結構見かけました。これでは自主トレになっていないのでは。私は今は6000歩ぐらいは休息なし(少しの立ち止まりあり)で歩けます。急性期の病院では原則、看護師が車イスを押しますので「漕ぐ」はできないので、車イスに座ったまま、麻痺した方の足を踏ん張ってみるとか、トイレで介助棒にしがみついて体重を幾分かけてみるとかしました。しがみつく方は失敗すると床落ちになります。こっそりで失敗なし。車イスに乗り移るときに床に落ちたことはあります。看護師さんも慌ててました。私も想定外でした。階段の昇降練習は危険が伴うので許可が出るまではセラピスト付ですので、リハビリの時間のみ。で、「階段練習」をしつこく要求しました。足を鍛えるのに階段は有効ですよ。許可が出てからは、エレベーター使用は激減しました。これも自主トレに入ると思います。作業療法の方は、まず、腕や手を伸ばすや広げる。夜よく寝れるようになりました。これ以降夜9時ぐらいに寝て、朝6時頃起床になりました。若いですから、一旦就寝すると翌朝まで起きる必要なしです。指を伸ばせるようになったら、必要に応じて指を曲げる練習、作業療法の自主トレね。筋肉と関節が固まらないようにトレーニングしていたのが自主トレの始めかな。麻痺していない側の助けを借りてもよいですから、麻痺した方の筋肉を伸ばしたり、関節を使ったりしましょう。注意、私の場合の自主トレなどはすべて自発的意志によります。これを読まれて、無理強いすることのないようにお願いします。例えば、子供の教育で一番よいのが「自発的に」であり、「知的好奇心を満たすため」です。自己の向上心が不可欠です。誰かと比べたり、義務的に勉強させるものではないです。「知的好奇心」がないのなら「進路目標」とかでも仕方はないと思いますが、満たされれば勉強しなくなりますよ。持続的に自己の向上に取り組むのが楽しいと思えるように育てることです。

2013年5月6日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No39  脳の可塑性  症状の理解度とリハビリの効果  まだまだ回復させる、完全復活をするつもり 汗腺も使わないと錆びつきます。筋肉などもね。 寒さはリハビリの敵なのかな  当初の症状とリハビリへの取り組み  久し振りに会った医療関係者からみても「回復が早い」と思うみたい  脳と動作器官、感覚器官のあいだが繋がるまでしておくこと

 4月29日(月)、ブログ村病気脳卒中のページでいつも上位の「自分の脳をほめてやりたい」というのがあります。そこを読んで感じるのは脳の可塑性を信じて挑戦している姿です。私も「脳が障害を受けた部分の代わりを樹状突起や軸索でつなぎ直して働きを取り戻すことができる」ということを信じてという感じです。脳では「神経成長因子」が働いています。「軸索突起誘導因子」も働いています。でも、これらは「脳を使う、使いたい」と手足などを使おうと悪戦苦闘をするから、分泌されるようです。人間の体は使わなかったら退化します。今回の視床出血で麻痺して怖かったのが、筋肉運動ができなくなって起こる筋肉の退化と骨の密度低下です。筋肉が退化すれば、骨も脆くなります。骨折が起こりやすくなります。筋肉が退化すれば、筋肉収縮による脳への刺激もなくなります。「あくび」の原因の一つに「運動不足」もあげられています。脳の活動レベルの低下ですね。この低下が起こるとリハビリ効果は低下するでしょうね。脳というのはどうも使えばそれなりに答えてくれるようです。それを実感すると「自分の脳をほめてやりたい」になるのでしょうね。脳出血や脳梗塞ですと筋肉などの動作器官は損傷がないのですが、「使わないと錆びる」ですね。脳からの命令があって動作でき、その状況が感覚神経で戻ってくるのです。脳が再構築しているのを助ける取り組み、その間動作器官が錆びつかない取り組みが必要になります。脳の再構築で重要な働きをしているのが「軸索突起誘導因子」(樹状突起でもあるようです。)だと思うのです。これは成長因子みたいに注射とか(動物実験の段階)での投与は無理だと思います。必要な部分から分泌して貰うしかないのでは。そのためには、やはり、日中はからだを起こして、手足を屈伸したりなどリハビリ時間以外も筋肉や関節を錆びつかせないようにし、いつものリラックスしている状態に近づけてあげる必要があるのでは。
 4月30日(火)、先日、姪夫婦が生後6ヶ月の赤ちゃんを連れてやってきました。その時、子供を作ってノイローゼになった母親の話を聞いて、不安になって産むのを躊躇っていたという話を聞きました。産んでよかったが今の実感だと。今は情報が溢れているようで普通の情報が得にくくなっているように感じるのです。以前はそこら中で子育てがあり、身近で新生児から育てている様子がみれたのです。今は、各戸に分離され、手伝う機会などがなくなってしまっています。「わからない」→「不安」→・・・となりやすくなります。チンパンジーでも、人間が隔離して雌を育てて大人になるまで、他の雌が子育てしている様子に接する機会がない場合は子育てできないといいます。人間はもっともっと学習して生きている動物です。闘病も学習効果が出てくるようですね。そこで、重要になるのが医療関係者の説明では。悪いですが、症状の説明はなかったです。「視床出血」→「感覚麻痺」→「筋肉、関節、骨や運動神経などには損傷なし」→「感覚が戻れば動かせる」→「感覚を取り戻すために刺激など」→「脳を活性化して、再構築を促進」→「筋肉や関節、骨を使えるように維持しておく」(安静はダメ)→「動き始めました。」。以上、視床出血ときいて、考えた道筋かな。ちょっとちぐはぐがあると思います。私の学習が「知識のバラバラ記憶」ではなかったという証拠になると思います。ところが、学習の道筋が悪いと「感覚がない」→「麻痺」→「どうなるのだ」で止まっているようなのです。リハビリ病院で他の患者さんをみて感じたことです。「状況がわからない」→「不安」→「何もしない」→「筋肉硬直、関節さび付き」→「動かせない」→「固定化」となるようです。ただ、医療関係者にとってはいえないでしょうね、「歩けるようになりますよ」とかは。歩けないと訴えられますからね。「車イスのままかも」の方でしょうね。理由は患者の状態がいろいろだかだと思います。視床出血で出血量がぼちぼちまでで、意識不明に一時なっても、半身完全麻痺になっても、ともかく死に損なって意識が戻ってきた私みたいなのは心掛け次第で私みたいに「奇跡的回復」といって貰えるようになるはずです。前提条件に注意ね。あるいは他の患者から「軽かったのでしょ。(あんたのリハビリへの取り組みが悪かったのよ。くそったれ。)」とか嫌みを言われたりね。医療関係者の方々は後で訴訟を起こされないようにしながら、患者のモチベーションをあげて下さい。
 5月1日(水)、少し近況を。この頃、顔での違和感の範囲が少し狭くなった感じがします。腕の痺れは相変わらず続いています。硬直感はお風呂での体操の効果か、引きずらないようです。足の硬直感はよく出ますが、お風呂で足を伸ばすということ、腕同様に痛みとかは浴槽では余り感じないですね。翌日になると硬直感が弱くなって歩きやすくなります。そして、また、硬直感が強くなって・・・の繰り返しですが、基本的には回復してきていると思っています。完全復活を目指して、日々ごそごそしたり、うろうろと歩き回ったりして、腕や足の感覚刺激を与えたり、筋肉を使うようにしています。使わないことには退化してしまいますからね。感覚のない部分を動かしてみたり、他のものに触れさせてみたり、怪我をしないように注意しながらごそごそしてみましょう。「使ってなんぼ」ということを忘れないように頑張りましょう。
 5月2日(木)、5月だというのに寒い日が続きますね。日経サイエンスにあった「温暖化で冬が寒くなる」を証明するような冬であった感じだけではなく、春がなくなってしまうのかという感じも。ところで、リハビリには筋肉が緩むということが大切と感じています。寒さで収縮してしまうと硬直しているのと代わらないですからね。暖房をして、室温を上げるというのもぼちぼちぐらいでないと気持ち悪くなりますね。暖房はこの程度と乾燥による問題程度ですむみたいです。室温を上げすぎると弊害が多くなるのでは。夏の冷房で強すぎると、「体温調節能力」がはっきり低下するようです。特に発汗できなくなることによる弊害です。人間の汗は、自然に一応は出ますが、体温調節に役にたつような発汗は練習と訓練によるところが大きいといわれています。体を使わないと退化して使えなくなるのと同じだそうです。昨年、視床出血した後、気になったことのなかに「汗」というのもありました。例年は今頃にその年の夏に向けて「発汗の練習、汗腺の訓練」をし始めるというのが普通だそうです。汗腺は訓練によって能力が維持されているのです。脳梗塞や脳出血では、制御する神経系がダメージを受けている場合もありますね。私の場合はそれでもなんとかなったようです。電気料金も東京電力のアホのお陰で値上げですね。損害賠償を請求したいです。例年以上に二酸化炭素で暑い夏になりそうですが、汗で熱中症にならないようにしていきたいです。ブログ村からOUTポイントをつけないで参加サイトに行く方法を漸くしました。邪魔くさいですね。普通にします。自分のサイトは書き込んでいるから、ほとんど見に行かないですよ。訪問して下さっている方々にはお礼申し上げます。
 5月3日(金)、症状の重症度とリハビリとの関係ですが、症状の方の程度は発症時は軽く軽くみていたと思います。「死」はまったく考慮外でした。麻痺の方は左半身にでていたので覚悟していました。「リハビリで復活だ」とね。その後、意識不明やベッドから頭を下にしての転落とかありました。視床出血の死亡率の高さや後遺障害の深刻さはネットで調べることができるようになってから、追々わかってきました。リハビリの方は確信犯的に「筋肉を伸ばす。関節を使う。筋肉を使う。」などが絶対必要と考え、やっていました。後で調べることができるようになってから、やっていてよかったことが結構ありました。死亡率は生き延びてしまえば関係ないですね。意識もはっきりしてきたら、他の人の例は関係なしかな。回復例は役にたったはずですが、入力なし。家族は医師から「一生、車イスかも」とかいわれたりしますよね。それで、「がっくり」を患者に悟られたら、患者が沈没するかも。私も「一生・・・」は聞きましたけど、「馬耳東風」、それと「かも」とかいうのは可能性をいっているだけです。結局はやってみな判らない。前にも書いたように判断をしていたので、リハビリが早く進むことになったのかも。脳梗塞や脳出血での障害がどのようなものでどのような回復例があるかを例示してやればよいかも。但し、失敗例も必要かも。何もしなくても、間違った方法でも回復すると思う不届き者もいると思います。私の回復が結構早いのでこのような「復活」とかの信用度を上げるには「発症時の症状」というのが絶対必要と考えています。歩行ですと、麻痺したとは見えないような歩行になってきています。あの麻痺した人特有の足の回し出しではなく、普通の人の足運びの感じになってきていますから。腕も伸びています。モーツアルトを聴きながらの血圧測定は聞いていないときより低めになっていると感じています。
 5月4日(土)、近くのショッピングセンターで看護師をしている知人に会い、杖と歩き方で感知され、さすがです、視床出血というのでで話は早かったです。ただ、回復の度合いについてはびっくりされました。「早い」とね。リハビリ病院でも「階段」というと、「それで、追い出されたのでは(笑)」。回復が早いので入院している必要なしかな。腕の方も伸びていますしね。また、時間ができたら、武勇伝でもという話になりました。今の困りごとはちょくちょく書いています筋肉の硬直感や曲げ伸ばしの時の痛み、これはお風呂でするときには痛みはないです。痺れはいまだに続いていますが、後しばらくしたら顔の部分は終了するのではと期待しています。各所で感覚が回復してきているのがわかるのです。いつ頃からかは別にして、感覚のなかった部分で感じることができるようになってきています。このような再生が起こっている間は痺れは続くようです。完了すればおさまるということですが、再生が起こらなくなってもおさまるみたいです。この再生というのは脳でです。脳での再生というか再構築を起こさせるにはどうすればいいのでしょうか。方法はいくつもあるかも。どの方法を使うかですけど基本はあるみたいです。そうそう、発症直後の介護認定で「要介護4」、次の更新で「要支援1」。このまま回復が続くと「介護保険からの転落」かもとかいわれました。
 5月5日(日)、手や足の動作を観察してみると、「曲げる」という関節を介して屈曲させるということで作業ができるようにできていると思います。ところで、麻痺すると勝手に曲がりっぱなしになってくれますね。私もそうでした。例えば、コップを掴むという動作をするためには指を伸ばす必要があります。伸ばして曲げて掴むになるのです。筋肉はなぜか麻痺すると収縮したがります。俗にいう緊張状態かな。さらに脳が普段のリラックスした状態を忘れてしまっているようです。その結果、腕や手が固まってつかえないのだと感じました。それで、発症後1〜2週あたりから必至になって腕と手を伸ばす運動をしました。伸ばせたら、指は簡単に曲げることが、そして割と早く指定の指の曲げ伸ばしができるようになりました。後は感覚神経の復活待ちに、それまでの間は手や腕が固まらないようにしています。手や腕を伸ばす動作を始めた頃は全身の筋肉が収縮している感じになりました。そう、脳が忘れているという感じです。これは以後、頻繁に感じています。私みたいな視床出血では、脳での再構築と再学習が完了するまで筋肉や関節を動作できる状態で維持する必要があると思うのです。どのようにすれば、脳の再構築が進みやすいのか。これは、進化の歴史と日常の普通の生活を考えたら出てくると思います。最近、ブログ村のいくつかのブログで脳についての投稿がありました。それで、私のリハビリへの思いをくどくど書きたくなりました。人間の脳は直立して、手を自由に使い始めたから、それに連れて発達したというのが今の一番確からしい説です。だから、手を使うと脳が活性化されるのですね。ただ、足も使う方が当然いいです。そして、人間は言語を使うようになりました。聞くというのもありますが、「誰かと話をする」ということも脳の活性化にはよいようです。そして、脳に受け身としてではなく主体として「・・をしたい」とかを感じさせることが必要のようです。認知症予防にも効果がありそうな気もします。人間は普通直立しているのですから、入院中も上体を起こせるようになったら、上体直立。ベッドから移動してよいのなら椅子へ。等々、できるだけ普通の活動をすることが脳への刺激になります。脳に刺激を与えて活性化を、再構築を。脳と筋肉や感覚器官をつないで、はじめてリハビリができたということになるのでは。繋がるときまで、動作器官や感覚器官を維持しましょう。

2013年4月29日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No38  術後体操はしっかりしましょう。「ヤブ」に注意、殺されるかも。  腫瘍はもう1回です。開業医でも「ヤブ」がありました。 脳出血や脳梗塞時の血圧上昇現象「クッシング現象」   繰り返し繰り返し 履き物の底の厚さと平衡感覚  リハビリでの目標「発症前より美声に」等、以前よりよりよい状態に  悔しくてもより改善しているリハビリを参考にしましょう

 4月22日(月)、手術したときはできるだけ運動した方が治りがよいようです。無茶はダメですよ。このとき、背中の筋肉痛が激しかったので、困って主治医に聞いたら「背中の筋肉も切ったからね。」といわれ、背中の筋肉を痛みをこらえながら伸ばしたら、はい、痛みが消えました。この後で、もらった「術後体操」の冊子をみたら書いてあるではないか、読んでおくものだと思いました。で、予定通りに近い感じで退院しました。こちらはタイミングが悪かったら、「棺桶」に収まっていた可能性のある病気でした。退院しても、転移や再発の可能性があるので定期検査が続くことになります。年に一度、頭部と胸部、腹部のCTと骨シンチレーションがありました。翌年のこの骨シンチで1カ所、集積した場所があったのです。骨シンチは放射性物質を血液に入れて、骨新生が盛んなところに集積するという性質を利用したものです。ですから、骨新生が盛んであれば集積します。がんが転移しておれば、溶骨作用があるので、骨は再生しようとします。つまり、骨新生ね。でも、骨折とかでも「骨新生」が起こります。だから、「この検査は解析で骨の折れる検査」ともいわれているのです。「骨転移は普通複数箇所」、このときは1カ所のみ。「骨転移は激しい痛みを伴う」らしいのですが、痛みなし。「骨転移は単純エックス線撮影では溶骨像か骨硬化像」だそうですが、これもなし。執刀医のみが「転移」で「放射線治療を」でしたが、のらりくらりでしのぎました。しばらくするとなにもいわれなくなりました。翌年の検査では別の箇所、あごに集積。前年のは?のままで消えていました。虫歯の指摘。歯医者で治療しました。虫歯検査にも使えますよ、「骨シンチ」。どこの病院でもいる思い込みの激しいタイプのヤブだったかな。この後、すぐにいなくなりました。柔軟に考えたら「転移」には行き着かないと思いますけどね。他はよいお医者さんです。CTなどの検査は5年間続きました。胸部レントゲンと血液検査はその後も5年間、計10年間続きました。それで釈放されました。でもね、健康診断のうち、胸部レントゲンを検診車でするようになったのは痛かったです。胃部検診は肺がんの時から、今の主治医(開業医)のところで夕方にしています。朝食食べて、お昼にはスポーツドリンクやあめ、キャラメルを適度に、午後3時ぐらいまででしたら水分補給してもよいですということなので、病院の食わず飲まずより楽ですし、モニターに映し出される映像は綺麗です。だから、あの食わず飲まずは何なのでしょうね。
 4月23日(火)、以上のほかに2002年に左足親指付け根あたり(裏の方ね)に皮膚科該当の良性腫瘍をやっています。紫外線、怖い。お肌に単に悪いというだけではないので。良性腫瘍と悪性腫瘍の違いは「転移」の有無だそうです。日経サイエンスの2000年ごろの論文に良性腫瘍から悪性腫瘍に変わるものもあるというのもありました。まあ、腫瘍ですが、御近所の総合病院、入院した病院で通院ですみました。この件で初診で言った日に「生検」をしましょうということになり、処置して貰っていたら、「取れちゃった。」という声が。摘出手術になってしまいました。その後で肉が焦げる臭いがしたので聞いたら、「止血処置です。」と言うのです。レーザーメスと同じ原理を利用していました。何回か通院してお終いです。そうそう、肝臓の手術もレーザーメスだったようです。輸血ゼロでできたと言っていましたかね。レーザーメスができるまでは血管の塊の肝臓手術は「出血との戦い」だったと聞いたことがありました。2006年頃かな。飛蚊症でこの総合病院に通院が始まります。半年に1回ぐらいです。ここに飛蚊症でいった理由は近所のヤブ眼科医が連休中にさらに連休をとっていたため「休診」だったのです。飛蚊症は今はコンタクトレンズを処方して貰っている別の眼科に通っています。このヤブは近視が遠視になってきていて(こういうことがあるのです。)見にくくなったので行ったら、コンタクトレンズの度数を聞かないというアホでした。遠視が近視のコンタクトをしたら視力どうなると思います?見えるわけないでしょう。基本的な問診もしないというアホ。評判よくないようです。だから、セカンドオピニオンが必要なのですね。ただ、この眼科医、厄介なのは他に丸投げみたい。この点はよいといえばよいですが・・・。現在の私が罹りそうな病気はこの総合病院で面倒みて貰えそうです。このあたりの地域の中心病院として設立されているので近所の開業医からの紹介は大抵ここです。救急もしています。がんセンターは救急はしていないです。がんセンターのあの消化器科の医師の一言「自分で予約して」がありがたい一言になったということかな。
 4月24日(水)、先週の金曜日の訪問リハビリでセラピストさんがいうには、脳出血や脳梗塞の直後は血圧が上昇して、最高血圧が200mmHgになることもあるというのです。「クッシング現象」と言うようです。日頃から高血圧でなくても脳出血や脳梗塞などでみられる血圧上昇のことだそうです。調べて見てね。ということは、脳出血直後の高血圧はこの現象によると考えられますが、そうすると、怖いのが「高血圧でないのに出血した」と言うことになります。血圧の薬を飲み続けているとどうなるのか、なにかこわ〜い感じもします。
 4月25日(木)、ここ数日の間は足の硬直感が強かったです。で、屈伸運動を意識的に日中もしました。毎日、お風呂では足の屈伸、ストレッチ、腕のストレッチ、屈伸をしています。なぜか、湯船で浸かりながら運動したときは痛みとか痺れが軽くなっているので、欠かさずしています。もう少し湯船が長かったら、全身を伸ばせるのですが、足はしっかり伸ばしています。硬直感が強くなるとその後、歩行とかがしっかりしてくるようです。理由は筋肉の感覚神経が復活して、筋肉を緩めるという状態を理解するまでの間頑張ってしまうからかな。緊張したままですと大変ですよ。毎日、ちょろちょろの分もあるから、ふらつくのでしょうか。リハビリをしていて感じたことは脳が普通の状態も忘れてしまっているということでした。前にも書いたように「運動は感覚神経と運動神経の共同作業」だと思っているので、私みたいな視床出血では感覚神経がダメージを受けての麻痺なので、回復した分がある度に脳が学習しているのでしょうね。つくづく脳の回復力は凄いなと思う日々です。ただ、本人が回復したいと何らかの活動をしている場合に限るようですが。人間の能力は使わなかったら低下してしまうようです。この出血があった後、思いもつかなかったこと、「動かないままになるのかな」ということです。出血で手で物が持てなくなったことがわかったとき(入院直前ね)、「リハビリで復活する。」とは思いました。当て外れは結構復活に時間がかかるということですかな。
 4月26日(金)、ブログ村病気脳卒中のページで他の方の記事をクリックして読みに行くというのはそのページの「OUTポイント」を増やすのであまりしたくない(大笑い)のですが、毎日どなたのところにはいっています。歩行と靴の底の厚さの関係について書かれているのがありました。失礼ですが、「当たり前だよ。」です。ふらつくのは平衡感覚の問題と脳卒中による筋肉制御の問題の両方かな。平衡感覚は健康な人でも鍛えるためにはできるだけ裏の薄い履き物がよいと。地下足袋なんか最高かも。本当は土の上を裸足で歩き回るのがよいそうです。だったら、脳卒中等で一度麻痺して、再学習(リハビリ)をしているのだから、薄い方がいいですよ。普通の場合は程度の問題ですが。私のリハビリの体験では、歩けるようになる→ふらつきとかがきつくなる→以前より安定的→またふらつく→以前より安定的→またふらつく→・・・と繰り返し繰り返しです。その度により長距離に、少しずつ速くなったりしています。この頃は5000〜6000歩ぐらいなら休息なしに歩けるようになりました。歩いているときに横を健常者が歩いていたら、遅れないように歩いて見たりだったのが、この頃は遅い速さの健常者なら追い抜いていったりもしています。目標は「わんちゃんと一緒に走る」ですから、今の状況はまだまだリハビリ途上です。昨日の投稿に『思ったことのないこと、「このまま動かなくなるのでは」ということ』というのは人間について、ぼちぼちまともな知識があったからかなと思います。
 4月27日(土)、昨日の続きで「リハビリでの目標」、どの程度まで回復したいかということです。最初の病院でのリハビリではこの件についてはなかったですが、PTで「病院からの逃亡」とかを冗談で言っていました。OTは「コンタクトレンズを自分でしたい」が暗黙かな。リハビリ病院に転院したら、この目標というのを聞かれました。PTでは、表向き「わんちゃんとの散歩」、裏では「近所のスーパーに3.8リットルの水をもらいに行き、それを担いで、側の百貨店の1階から5階まで階段を登っており、家まで担いで帰る」とかをいっていました。OTでは「コンタクトレンズを自分で装着できる」としましたが、この意味は「左手でも右手と同様にコンタクトレンズが扱える」という意味です。感覚が戻らない限り無理かも。いまだにコンタクトレンズを左手では感じないです。コンタクトレンズを触ってわかるような感覚が戻ってきたら、なんでもできるかも。STでは、「発症前より美声に」ということにしました。家族は発症から1ヶ月半ぐらいで「元に戻っている」でしたからね。リハビリして貰えるのなら、「以前よりよりよく」を目指したいですよね。PTでの歩行でもリハビリで「発症前より格好いい歩き方」というのが家族でした。リハビリで教えてくれる歩き方は「美しく足に負担をかけることなく歩けようになる」という感じでした。「ともかく歩けたらいい」というものではないです。だから、しんどいかもしれないですね、後が楽なのに。「その時楽だったらいい」でしているとよい方の足を痛めることになるようです。片足を痛めるとその後、よい方の足を痛めてしまう例が非常に多いのは足の使い方がわかっていないからだと思います。
 4月28日(日)、ブログ村から他の人の闘病記を読んでいて、思ったこと。私が勝手に思っていることなので見当違いもあるかも。症状とかは人それぞれなので違いは出てきます。私の場合は間脳視床出血でした。病院到着時意識なし(これやばかったようです。)なので、多くの割合で死、もしくは寝たきり、もしくは車イス生活だそうです。高次脳機能障害も多いらしいです。今はこれらにはすべて非該当です。左半身は完全に麻痺しました。このような状態からの私のリハビリ体験を元にしますのできつめの思いになります。ある人のお手玉を麻痺した方の手でつまみ上げて隣の机に移動する様子の写真がありました。その写真を見ると腕や手が障害を受けた証明みたいに曲がっているのです。私も曲がっていました。発症後、2週目あたりからだったかな、「伸ばす」という運動を繰り返ししました。OTのセラピストさんが「伸ばせたら掴めるよ。麻痺したら曲がっているでしょ。」の一言が切っ掛けでした。曲がっているというのは屈筋が硬直しているからです。緩めないと作業ができないですよね。写真は退院後のリハビリのようなので、「伸ばす」ということをどう思っていたのかなと思います。今でも思うことは「筋肉がリラックスしてくれない。」ということです。リラックスさせようとするのですが、曲がりたがりますね。脳からの命令で筋肉が収縮するように普通の時は「ゆるゆる」でいいではないですか。必要な時に必要な部分の筋肉が収縮できないとか収縮しっぱなしとかなので、練習あるのみですが、練習時でもできるだけ、筋肉を休めた方がいいのではと思いました。死の底から完全復活を目指している者からみると、もっと勉強されたらと思うブログでした。

2013年4月22日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No37  視床出血は感覚麻痺   リハビリや病気治癒にはどのような精神状態がよいのだろうか  三途の川で溺れた病気かな  肝腫瘍 その1 肝腫瘍 その2 肺がんの発見 肺がんの手術と脳の血管造影

 4月15日(月)、感覚が徐々に戻ってきつつあります。そう、完全にはまだ戻ってないです。戻り方の順序なんて私にはわかりません。戻ってきて困ったことの一番は右半身と左半身の温感の違いです。これを感じ始めたのが昨年の秋頃だったかな。右半身は何ともないのに左半身は震えています。右半身の感覚で服とか暖房とかをしています。温風器は左半身側に置いているのですが、効果なし。冷たいものを左手と右手で触ると左手の方で冷たく感じます。両方の感度が何時ぐらいになったら同じぐらいになるのでしょうか。他の感覚は単純に左の方がまだ悪いです。不思議なのが視力では以前と同様な左右の視力の感じです。それでも徐々によくなってきてくれていたので視床痛みたいなのにはならなかったようです。再生中ということで痺れは続いていますし、筋肉からの感覚の問題か足や腕、手が安定しないですね。感覚は触ってみるなどの刺激や軸索や樹状突起が伸長しやすいように必須脂肪酸などの栄養にも気を遣っています。感覚細胞と脳の感覚中枢が繋がらないことには感覚は復活しませんからね。感覚神経が麻痺したことで手足などを動かせなくなりました。そう、動作は運動神経と感覚神経の共同作業だったのですね。
 4月16日(火)、リハビリに確実な方法はあるのでしょうか。あるのでしたら教えて下さい。意識の問題としては「リハビリで復活するのだ」とか思っているのと、「ダメだ。もうお終い。」と思っているのとでは大きな違いが出てくると思います。がんなどと違って戦うものではないですね。私は肺がんで肺の一部を摘出しています。こちらは生死にかかわりますから、ある意味がんとの戦いです。治療をするしないもあるのですが、「治すのだ」とかの意識がかかわっている感じがします。免疫細胞は意識を感じ取るようなのです。私の視床出血は出血時が一番やばくて生き延びたら、がんみたいに生命を脅かさないですね。自分でどう体の機能を向上させていくかということであって、戦いではないと思います。棺桶に何回か入りかけて外に転げ出た者としては生きながらえたことをありがたく思い、家族や関係者の助けを受けているのですから、「向上」していくというのは戦いではなく、生きていくための義務かもしれないですね。障害と闘うのではなく、障害と付き合いながら機能回復をはかっていこうと思っています。ブログ村の病気のカテゴリーには入りますが、脳出血・脳梗塞のカテゴリーから外れる過去の闘病記も書いてみようかなと思っています。死に損ないのあっけらかんの闘病記です。
 4月17日(水)、棺桶に入る可能性のあった病気としてはまず1987年9月の消化管出血がありました。こちらは今回の視床出血ほど短時間の出血ではないですが、夕方4時ぐらいに下血、6時過ぎに下血、さらに何回かの下血で翌朝午前2〜3時が最終だったと思います。死の恐怖がよぎりました。朝、近所の内科医にいったところ、そこのトイレでのこりカスを出すことができたのでそれをみた主治医は「即入院」ということで隣の市の市民病院に入院ということになりました。結構元気な感じだったと思います。入院した時点では実際はもう止まっていました。今回と同じかな。ただ、1週間後の血液検査で赤血球数が300万ぐらいまでに減少していました。そこから、推計すると結構短時間でほんの1.5〜2リットル程度の出血かなと思います。病院の主治医もびっくりということです。短時間出血ではどのぐらいの量で三途の川を渡れるのかな?。血液量は体重から考えると5リットル弱かな。すでに生きながらえているので病院で「死」というものと向き合うこともなく大人しくしていました。赤血球数の増加など血液が平常に戻ればよかったということですが、病変を探してみるという検査がいろいろとありました。胃カメラ、小腸の透視検査、大腸鏡、大腸透視などなど。何もなかったです。主治医が検査機器を使えるかどうかでその日の検査の順が決まっていた病院でした。ちょっと一気にドバッと出血しただけだったので血液状態が戻ったらそれで完了でした。原因は「ストレス」だと思っています。今みたいなネットの利用ができていたらここまでストレスがかかることはなかった事例であったと思います。このときから、若い綺麗な看護師さんの前で裸になるとかが検査の都合とかで必要になりました。だんだん慣れていくことになりました。大腸検査のための浣腸は準看護学校の実習生だったかな。若いよね。三途の川は無事に渡ると地獄の庁に行けますね。溺れたら戻ってくるしかないのでは(笑)。次回は棺桶からは遠い病気の予定です。
 4月18日(木)、私としては棺桶から遠い病気と感じています2回目の入院についてです。1992年だったかな。職場の友人の母親が脳梗塞で亡くなったということで人間ドックにいきたいけど「付き合え」ということで申し込んだら8月にドックにいくことになりました。ドックでエコーの時、担当者が仲間を呼んで確認して貰っていました。結果が郵送されてきてみると「エコー→肝に陰」『肝臓と肝(きも)を一応使い分けているつもりです。』で精密検査をということなので、隣のがんセンターを受診しました。CT、よくわからない。MRIも確定できない。エコー陰がある。というので肝臓の血管造影検査を受けることになりました。前回の入院でスリッパは懲りたのでサンダルにしました。音の出るのはダメですよ。股の動脈からカテーテルを入れて肝動脈に造影剤を直接注入して撮影するという検査です。この下準備に股のあたりの毛を綺麗に剃っておくというのがあって、外泊したときに風呂で剃ったのです。そこを若い知り合いの看護婦さんが状態を見て、「そり直し」となりました。そのそり直しの時、息子が元気になってきたため一時中止などもありました。検査時は局所麻酔をするので痛みは麻酔注射の時ぐらいでした。こちらは寝ているだけですが、検査後は「動脈を切開」したということなので止血のため翌朝まで切開した方の足を伸ばしたまま寝返り不可で寝たままです。事前に溲瓶で練習したときは出たのですが、本番では出ませんでした。結局翌日午前10時頃にトイレに行って漸く放尿です。尿量を測定していたので500mlの容器で受けていたら、溢れてしまいました。人間の膀胱って貯めれるのですね。でも、適度に出す方が腎臓にはいいですよ。ケリが付かないので翌年3月に2回目の造影検査をして、『肝なので「切除しても膨れる」ということもあって摘出しましょう』となりました。まだ、このあたりまでは1階に行くときもエレベーターだったかな。長くなるので続きは次回に。
 4月19日(金)、昨日は表題を入れ損なって、投稿後気がついて入れました。2回投稿みたいになりました。消化器外科に診療科が代わって手術をしました。写真で見た私の肝は綺麗でした。肝臓の大血管を切断するかもということでICUに3泊4日予約されていました。このときは点鼻薬は持ってきていました。手術の翌日、その翌日も執刀医が現れて、診断かな、「戻ってもいいけど、土日なので病棟は看護師が少ないから月曜までおって下さい。」元気になってきたらおる場所ではないICUに滞在させられました。病室に戻ってから、まあ、順調かな。背中に入れていた鎮痛剤の管はちと早めに抜いて貰ったら執刀医は苦虫を噛んでいました。寝にくかった原因はお腹に入れられていた管でした。ベッドから降りてよくなってから、階段利用が始まったというか頻繁に利用するようになりました。朝の散歩も始めました。あるとき、友人がお見舞いに来られたのですが、トイレに行って、そのまま非常扉を開けて階段を下りようとしたときに見つけてくれたので会うことができました。結構回復は早かったです。良性腫瘍だけだったので、早い早い回復をしました。この後、いつ頃からかダンベル体操を始めました。始め3kgからで徐々に増やして10kgにまでしました。もっともエコーでわかったのは「あなたの肝が少し霜降りになっているからだ」と主治医に言われました。次は肺がんです。
 4月20日(土)、肝腫瘍の摘出後の定期検査を受けていました。職場の検診は受けていません。それに相当する検査をこのがんセンターで受けていたのです。一番の理由が放射線の問題です。胸部レントゲンですが、一般の検診車ですと肺結核検診用の流用ですので、初期のがんは見落として当たり前らしいのです。集団検診では意味のない被爆と考えたわけです。で、病院での直接撮影愛用者になりました。その上、間接撮影の方が被曝量が多いという話も聞きました。原理的にそうでしょうね。胃部検診ですが、検診台に乗っている間結構な時間放射線を浴びています。だから、「右向いて」とか「回転して」とかいえるのです。そして、できるだけ撮影条件をよくしてから撮影なので、あの撮影時のみではないのです。肝の血管造影の時も同様でした。で、がんセンターの胃カメラ愛用者になりました。そして、これで異常がなければ治癒放免という5年目(1999年)の定期検査の時も同様に検査を依頼し、撮影して貰ったりしました。結果を聴きに行ったとき、主治医は胸部写真を忘れてしまっていました。「胸部も取りましたが」というと、「室外で待ってて」で、呼ばれていくと右胸に陰が。また、「外で待ってて」で前年のを取り出してきてました。「はい、CTね。」で予約は看護師がしました。CTの後、結果を聴きに行くと「直径2cmほど」で「呼吸器科への紹介状を書いておくから、予約を取っていってね」。この一言が病院変更を決断させました。妻に「次、入院するときは近くの病院にして」といわれていたのです。肝臓の手術後に徒歩圏内に総合病院ができました。そう、今回、救急でかつぎ込まれた病院です。この肺のことで脳もかかりつけ病院になっていたのです。長くなるので続きは次回に。
 4月21日(日)、肺の影ですが、近所の内科に行って、「職場の検診で指摘された」ということで紹介状を書いて貰いました。呼吸器科を受診しました。がんセンターの紹介状はがんセンターの私のカルテに挟まったままだと思います。また、CT、気管支鏡、骨シンチレーションなどをして、入院になりました。手術の前日の説明で担当医から「検診でよく見つけて貰いましたね」といわれました。職場の検診では見落としが多いからでしょうね。特に「初期がん」では。普通は見落とされる大きさだったようです。検診車じゃないから、直接撮影の大きな1枚を前年の大きな分と比較してだから、見つけて当たり前とは紹介状の手前いえなかったです。撮影した時期のタイミングが非常によかったということかな。数ヶ月前なら直接撮影でも写っていなかったかも。翌日、手術でICUは半日だったかな。今回はICUまで点鼻薬を持ってきて貰っていました。手術後、朝食で一度だけ胃から逆流させてしまったことがありました。1週間後ぐらいに肺に入れていた管を抜いて貰って自由の身になりました。管の入っているとき、「寝れない」とかで睡眠導入剤を処方して貰って服用した結果、寝ている間に裸になっていたみたいなのです。以後、導入剤は中止、以前から「夜寝たい」と昼間活動をしていたのをさらに活発にすることにしました。「薬」には副作用がありますから注意しましょう。自由の身になってから、売店のある階まで階段を使うようにしました。病室は9階です。売店は2階。MRIは地下1階。自由の身になってすぐ頭のMRI撮影に呼ばれました。当然、階段を下りていきました。これは、入院前の頭部CTで非常によくない感じの血管が見つかっていたのです。これでも疑問のまま。で、脳の血管造影」をしますかという判断を求められました。方法は「股の血管にカテーテル」という検査です。このときの毛ぞりでは、知り合いではなかったので、その点は気楽でした。でも、息子から「液体」がすこ〜し漏れました。尿に関しては管を挿入して貰いました。この管挿入は簡単なのですね。頸動脈の方まで伸ばすので脳梗塞の危険もありますということでした。造影検査をしました。血流は普通の血管を流れているのと同様で動脈瘤の流れ方ではなかったので一件落着でした。これで、脳の方もかかりつけ病院となりました。こっちは救急受け入れもしています。無理して行こうとした理由です。他の病院では「動脈瘤」騒動も加わることになりますのでね。自由の身になって3日目ぐらいかな。主治医はいないだろうと9階の階段の扉を開けたら、ばったり。「どこから」というので「2階から」、「未だ早い」のお言葉でした。でも、やめれなかったです。何日目だったかな。結果を教えてくれたとき、「5年生存率65%」といわれました。それなりの根拠も説明してよ。「からだの科学」の「肺がん」の数字そのままでした。大きさは18mm×20mmでした。長くなるので続きは次回に。

2013年4月15日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No36  リハビリの効果がある理由  その2  リハビリには日中、できるだけ、からだを直立させておくとよいようです  高次脳機能検査を受けてみて   最近の足と歩行の様子  今回は腕の様子、また感覚が少し戻りました。   もがいて動かしていたら、効果が出てきています。  「発病のどのあたりからリハビリで復活するぞ。」と思い始めたか

 4月8日(月)、軸索の伸長や樹状突起の伸長が脳の再構成に必要になるのです。長さはいろいろですが、ともに細長い管であることは同じです。また、軸索は神経突起(管)の周りを扁平なシュワン細胞がぐるぐる巻きに取り巻いています。管もシュワン細胞も体積の割に細胞膜の割合が非常に大きい細胞であると考えられます。細胞膜が細胞膜として働くためには脂質が非常に重要な役目を持っています。その脂質には飽和脂肪酸や不飽和脂肪酸が使われています。飽和脂肪酸は人間は栄養分、炭水化物やタンパク質から造れます。不飽和脂肪酸は一部を除いて造れません。そして、細胞膜の働きは造れない不飽和脂肪酸を適量使うことによって維持されているのです。だから、必須脂肪酸があるのです。有名なのがリノール酸とリノレン酸などです。リノール酸は工業的に安く大量に大豆などから抽出できるようになりました。ただ、不飽和脂肪酸は常温で液体なので、水素添加で不飽和度を下げることで常温でぼちぼちの固体にしてできたのがマーガリンです。トランス脂肪酸というのも同時に造られています。欧米ではトランス脂肪酸の摂取について規制を始めています。まあ、ω6系の不飽和脂肪酸はリノール酸もですから、普通、不足することはないでしょう。問題は食物で偏在しているω3系のリノレン酸などです。背の青い魚に多く含まれています。他にもあるのですが、偏在です。DHAとかEPAとかもω3系です。そして、DHAは脳にとって大切な不飽和脂肪酸で、細胞膜に沢山使われています。どう考えても病院食では???と思ったのでサプリを買いました。いくら、麻痺側を動かしても、刺激してもDHAなどがなければ、軸索や樹状突起が成長できないと思ったからです。あるときから、麻痺側の痺れが酷くなってきました。これも調べて見ると、脳での再生活動が盛んになると痺れがあると書いていたサイトがありましたし、最初に入院した病院の看護師さんも痺れがなくなったら、再生が終了したというようなことをいっていました。私の場合はこのようなことでちょっとは再生がよかったのか、視床痛は出ていませんが、痺れは続いています。再生しているのという思いは、ちょいちょい実感しています。例えば、足の硬直感が強くなるとしばらく続き、その後、歩きやすくなるのです。ただ、注意しないと歩き方がおかしくなりかねません。これは脳が再学習しているからだと思います。それと、軸索突起誘導因子というものがあると、日本生化学会の和文誌「生化学」に出ていました。この因子が出ていないのでは軸索が伸びないことになると思います。分泌させるには動かすしかないのでは。樹状突起でも同様の仕組みがあるようです。
 4月9日(火)、今回最初の病院に入院してしばらくして、落ち着いてきて尿道に入れていた管をとってもらってからだと思うのですが、朝からできるだけ車イスに座って過ごすことにしていました。理由はベッドに横たわっていると夜間寝れないのです。日中にからだを使って疲れさせると寝られると考えたのです。でも、車イスは長時間座るようにはできていません。その時役にたったのがリハビリであり、トイレ行きだったのです。後でわかったことですが、からだを直立させておくということがリハビリでは大切なことだったようです。でも、このときは単に夜に寝たいということだけでした。人間は直立二足歩行をするようになってから脳を発達させました。「直立」というのがよかったということかな。以前の入院時と今回の違いにパソコンを持ってきてくれたというのがあります。テレビとの違いは、ネットをしても「自分で探し、操作をする」などをしないと邪魔な装置にしかなりません。以前の入院でもテレビは見なかったです。基本はラジオ、CDプレイヤーも持ってきたこともありましたが、映像も見れるのはパソコンで初めてかな。DVDビデオを見ましたが、なかなかお気に入りがそろわなかったです。ハリー・ポッターシリーズで最後の「死の秘宝U」を持ってきて貰いたくて、「死の秘宝」に「U」がついているものをといったら、1回目は「秘密の部屋」で2回目に持ってきてくれました。それで、パソコンでハリー・ポッターシリーズを入院中に何回か繰り返しみることができました。テレビでもチャンネル選びという行動がありますが、これはディスクを選び、ドライブにセットし,再生ソフトで再生するということをする必要があります。どちらの方がよいのかな。ネットでの外部への情報発信もできれうようになっていたのですが、SNSでの発信はしましたが、闘病記という意識はなかったです。退院してから闘病記というのをアップしようと思って、実行しました。ホームページタイプが10カ所、ブログタイプが10カ所、SNSが2カ所、そして、先月から日本ブログ村に参加しました。日本ブログ村参加のためにブログが一つ増えました(大笑い)。参加したことで、もう一度発病時からとかの記憶とかを整理してアップできたことはよかったと思っています。日本ブログ村、ランキングに参加していますのバナーのクリックをお願いします。http://toubyou-sisyou.blog.so-net.ne.jp/ がそのブログのアドレスです。
 4月10日(水)、今日は「高次脳機能検査」について、受けた感じを中心に書きます。担当はMさん、当たりですが、検査の内容が関係したのか「のり」が少しよくなかったです。まじめな日本人は「ジョーク」をいわないというか、何事にも堅すぎるような気がします。もっと話に「ジョーク」を入れてと思いました。図形認識の状況確認、見比べでしたかな。図形認識と図形記憶の状況を図を記憶して、別の用紙に書いてみるというもの。立体感覚については積み木を利用してテストです。動作の状況では、釘を打つ様子とかをさせてみるというもの。このとき、何回か手を打ってしまった動作も入れました。物語の記憶、「・・・区の民家で火事があり、消防自動車が10台出動しました。・・」というものでした。数列を覚えて逆に言うというもの、これは手と足を使えば4つの数字は記憶されます。その割り振りというか1〜5と6〜0をどう区別させようかと考えている間に終わってしまいました。確か最大5桁だったのでずるできますよ。要は手足や感覚以外での脳の障害があるのかどうかを確認しようという検査です。皆さん、「疲れる。2度としたくない」とかいっていました。この検査もその内容に見当をつけて、気楽に受けていたら、結構楽しかったです。ネットで「高次脳機能検査」で調べて貰えれば、詳しい内容がわかると思いますので試してみて下さい。認知症のスクーリング、ごく初期の見分けにも使えるのではと思います。まあ、受け身ではなく、能動的な活動を送っている方はそれほど疲れるような検査ではないと感じました。
 4月11日(木)、最近、麻痺した左足で片足立ちをしてみました。麻痺した直後は、左足だけでからだを支えるなんて自殺行為同様でしたが、右手で壁とかに触れている程度で結構な時間、結構立てるになりました。歩行練習の始めの頃は、体重の掛かり具合が全くわからなかったのがある程度わかるような感じです。ただ、足のふらつきは全く減少してないという感じです。感覚の戻りがあるようなので、以前書きましたように「感覚神経と運動神経の協同作業」で筋肉運動ができると思うのです。で、感覚神経が復活する度に脳が学習していると思います。硬直しすぎるのもこのような学習で翌日には大抵解消しています。そして、また、硬直、解消の繰り返しで、歩き方がおかしくならないように歩行時は注意が必要です。だんだん、杖も持っているだけになってきつつあるような歩行になってきつつです。足を痛めないようにも、かっこよく歩きたいです。「ブログ村ランキングクリックよろしくお願いします。」のバナーをクリックしていただければ、そのページの「脳卒中・脳梗塞参加メンバー」をクリックしてもらうと参加者の画像があります。そこの「あっけらかんさん」の画像のわんちゃんと毎日朝夕2回散歩に出ています。このわんちゃんと私の2人?でです。退院後もう9ヶ月ほど続けています。ドッグランをしたい。
 4月12日(金)、今回は腕の方。当初、完全に動かない、感覚はなかったです。右腕で動かしてみたりしていました。徐々に動くようになってきました。いまだに筋肉の痺れ、痛みが続いています。お風呂の時に筋肉を右腕で伸ばしたりは続けています。感覚が戻ってきた様子は言葉では表現しにくいですね。ドアの取っ手とかをよそ見しながら掴ませてみると案外できるようになってきているのです。取っ手の短いタイプはまだ不得意です。先日、ドンブリを持たせたら、以前より長時間保持できていました。でもまだ、信頼感には欠けます。コンタクト関係では、保存容器の開閉の時は本体をささせるようにはできます。左目の瞼を左手で開けるのも徐々に簡単にできるようになりつつあります。問題は足同様に筋肉の収縮が安定しない部分があるのです。コンタクトレンズは右手で洗ったりしています。左手は人差し指に載せる程度です。まだ、触っているという感覚がないのです。コンタクトレンズに触れているということがわからないと直接は触れないですかな。パソコンのキーの操作はもともと右手人差し指主体だったので、左手人差し指も参加させています。こちらも「継続は力なり」の典型ですかな。全く動かなかったのから考えると「よく回復したものだ」です。今日の訪問リハビリで感覚の戻りがまたよくなっているといわれました。ただ、わんちゃんは私に抱かれると凍り付いています(笑)。時々、落としてますので怖いのでしょう。特に家の中の階段は恐怖のようです。
 4月13日(土)、短距離の小走りはリハビリ病院で退院する頃には少しできるようにはなっていましたが、「走る」ということで「わんちゃんとドッグラン」というのが期待できる感じを持てるようになりました。今はできなくても「回復できる」と思い挑戦し続けることが完全麻痺から1年少しでここまで回復できたのではと思います。あきらめたらリハビリはそこでお終いです。脳での障害の場合は単純につなぐというのではなく、失った神経細胞の代わりを他の神経細胞にさせる必要があるのでは。これができなかったら回復はしないかも。樹状突起を伸ばし、軸索を伸ばし、新たな神経網を作るためには神経成長因子や軸索突起誘導因子を必要な箇所で分泌させるには動かそうともがくこと、物体に触れたり、少しでも筋肉を収縮させたりして感覚が復活しそうな刺激を与え続けることをし続けてきたのが役にたったみたいです。「never give up」とあっけらかんとした精神状態がよかったと思っています。今後もリハビリ状態をアップします。こっちは「アップ」また「アップ」とアップアップしております。なにせ、23カ所ですからね。
 4月14日(日)、「発病のどのあたりからリハビリで復活するぞ。」と思い始めたかということに書きます。視床出血(発病時はわかっていない。)して、1〜2分後に歩行状態が少しおかしかったです。そのすぐ後、左手でものが掴めなくなりました。その時にすぐ思ったのは「リハビリで復活するぞ。」です。視床出血は死亡率の高い出血(病院到着時意識なし→やばい)で、一生車イス生活の患者も多い出血だとは結構復活してからネットで調べて思い知ることになります。私は死ななかったので「車イス」の方は家族から聞きました。これはまだリハビリでもほとんど歩けなかった初期の頃です。それでも、「何を言っているのだ。復活してやる。」とは思っていましたがいえませんでした。最初の病院に入院してバランス感覚なしを思い知らさせられるようにベッドから頭を下に転落しました。危険人物となりましたので監視が厳しくなったので目立たない「もがくように」ともに見える行動として、車イスに座っているときに左足で踏ん張ってみる(マシ)や、トイレの時、体重を左足に乗せてみる(失敗したら床に落ちます。戻れないです。)などがありました。トイレの支え棒を使った試しに麻痺した左手で棒を持たせて、お尻を少し浮かして右手でトイレットペーパーを持って拭いたら、はい、左腕が棒と壁の間に入ってしまいました。手前に来ていたら、頭から落ちていたかも。ぞっとしました。使っていたら使えるようになるのではとこっそりと試したことが他にもあったはずです。ただ、階段はこっそりはしていないです。ダンベルを持ってきて貰って左腕で持ち上げてみるというのはこっそりに入るかな。1kgですよ。発病前は10kgでしたから「軽い」はずなのに左腕では始めは持てなかった、持ちあがらなかったです。持ち上がるようになって、頭に衝突させたことも、骨折とかはなかったです。看護師さんに見つかったら「取り上げ」られますよね。

2013年4月8日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No35 PTのリハビリ その1  PTのリハビリ その2  PTのリハビリ その3  作業療法(OT)のリハビリ その1  作業療法(OT)のリハビリ その2と・・・   言語聴覚療法(ST)のリハビリ  リハビリの効果がある理由  その1

 4月1日(月)、4月になりましたが、未だ冬?という感じが残っています。特に左半身がです。リハビリ病院でのリハビリ、まずはPT、最初に10mの歩行時間測定をしました。杖をついてヨタヨタと38秒かかりました。ここでも歩行距離を徐々に伸ばすのは勿論ですが、足使いを指導して貰いました。本人にとって自分の歩く様子を見るというのは見にくいですよね。体重の載せ方などを含めて「かっこよく」歩行するということです。歩き方を忘れているのです。右足でできることが左足ではできないのです。単純な繰り返し動作の鍛錬が続くことになります。そして、姿見に向かって歩くことで自分でも確認するということの繰り返しです。それでも、徐々にかっこよくなり、歩きやすくなっていくのが実感できました。発症前よりかっこよく歩いているといわれたことも。発症前の歩き方は?。3月の終わり頃にリハビリ室のある階段の模型を使って練習を少ししました。あの足を回し出しという不自然な歩き方で固定しないように、そして、かっこよく歩こうという訓練です。これは一人では非常に難しいと思います。理学療法士の指導というが必要です。階段は1段ごとに両足を揃えるという方法を最初にしました。これですと、よい方の足にばかり体重が掛かることになります。それで、しばらくしてから、普通に昇降するという足使いの練習も始めました。右手で手すりを持って練習だったですかな。そして、右手を手すりに添える程度での昇降、何かあったときに手すりをすぐに握れるようにです。4月中旬頃に病棟内の歩行ができるようになりました。前にも書いているように許可された範囲内を用もないのにうろうろし始めました。5階西病棟内だけで1日4〜5000歩歩きました。どれだけうろついたのでしょうね。
 4月2日(火)、少し春らしくに。ひょっとしたら、しばらくしたら夏なんてことが起こりそうですね。昨日の続き、昨年4月の中頃でしたかな、車イスで付き添いなしで下界にエレベーターを利用していってもよいということになりました。リハビリに関しての自主トレが始まりました。体重移動や足の使い方の繰り返し練習をリハビリ室で一応一人でするのです。単調そのもの、体の方は前日練習したことを忘れているので繰り返し繰り返し。この練習で「かっこよく」の基礎ができたのかな。セラピストさん等はまずいわないこと、「このようなこともできないの?」というようなこと、全くなかったです。よく辛抱して指導してくれました。毎日、同じことを聞いたりしているのですからね。その点、学校の教師に根性なしが混じっていますね。「何回聞くのだ」とか「こんなことも解らないのか」等々です。できないから、解らないから学校に通っているのです。すでにできたり、解ったりしていたら学校なんて行きませんよね。リハビリもできなくなったからしているのです。セラピストさん等はよく解っていましたね。私の場合は、視床で感覚神経がダメージを受けたのです。筋肉や皮膚などの感覚神経からの情報がなくなって動かなくなったのですね。感覚神経が回復するまで残った部分、例えば右足の感覚を頼りに左足の状態を推測することも練習しました。動くように使えるように他の部分の感覚を頼りに動かしてみたということです。5月になると病院の実際の階段を使った階段昇降練習の回数が増えてきました。それとともに階数も徐々に増やしました。そして、1階から5階まで上って降りれるようになったのです。5月には杖歩行ができる範囲が病院全体に広がり、エレベーターも杖でも一人利用になりました。階段は5月の最終日当たりで付き添いなしで昇降許可になりました。これで始まったのがエレベーターを使わないでの病院内うろちょろです。続きは明日にします。
 4月3日(水)、からだを動かさないことには神経の再生が起こらない。感覚神経の再生も感覚がわからなくても使ってみるしかない。6月になると、朝6時には散歩に階段を下り、病院の敷地内をうろちょろして階段を登ってくるという2000歩ぐらいのコースだったと思います。そして、朝食後の散歩、朝と同じぐらいです。リハビリにいくときには5000歩は越えていることが普通でした。5階の病室から1階に行くときも1階から5階に行くときも階段です。階段利用中は余裕がなかったですね。挨拶されると、おっとっとです。気を入れ直して続きになりました。リハビリ中そのものでした。リハビリでは、小走りやボール投げなどをしました。発症前まではかっこよく(年の割には)走っていましたので、もう一度同じように走れるようになりたいと。飼い犬と一緒にドッグランしたい。退院後は、最寄り駅まで歩いて往復とか、そこの百貨店の1階から5階までを階段で往復とか、10000歩ぐらいは歩いています。入院中は10000歩以上楽々達成していましたので、退院後もということです。ただ、セラピストさんに見てもらっていないので、歩き方が悪くならないかという心配があります。下手すると足を痛めてしまいますので注意しています。入浴したときに左足の屈伸を必ずおこなっています。左腕も右手を使って「伸ばす」ということをしています。最初の入院のリハビリの時から車イスは足を使って漕いでいました。割と早い時期から両足使いで漕いでいました。ただ、当初は左足を使わない方が楽でした。左足は足手まといでしたが、使っているうちに使えるようになってきました。転院後、踵からつけるという風に足使いを変えたところ、加速できるようになりました。ブレーキは両足床圧着制動を採用しました。その結果、左足の能力範囲内の速度までということになりましたが、暴走族という異名をいただきました。それでも、整形外科系の若者よりは遅いです。ただ、脳血管系疾患の患者さんは若くても優雅でした。遅い。私は「若い?」ので速いのです。この違いで「暴走族」になってしまったようです。事故防止の観点から病棟では足ブレーキで急停止できる速さに押さえていました。この車イス操作も足のリハビリになっていたと確信しています。次回はOT(作業療法)のお話にします。
 4月4日(木)、OT、作業療法でのリハビリについて書きます。入院初期に自分でできるのは右腕で左腕を伸ばしたり、曲げたり、上に挙げたりなどです。筋肉が固着しないようにと思ってしました。父親のリハビリの様子や自身の手術後の筋肉痛などの経験から、使わなダメになると意識があったからです。前にも書いたように関節についての意識はなかったと同様だったですが、筋肉の屈伸で関節も動かしていたことになりました。最初の頃は、机の雑巾掛けや斜面で錘を持ち上げたり下ろしたりの繰り返し、円錐状の用具を掴んで積み直すとかです。このときに、麻痺したら手が曲がってしまっているから、まっすぐに伸ばせたら、?みたいもののところで曲げたら掴めるといわれて、そうだなと思いました。病室に戻ると、左腕と手のひらとかを伸ばす動作を繰り返しました。この動作でまず感じたことは、全身の筋肉が収縮するということです。麻痺したことで脳のコントロールがおかしくなっていたのです。毎日続けました。お陰で全身運動になり、夜ぐっすりと睡眠できるようになったというおまけが、運動するということの大切さを身にしみました。主治医もびっくりするくらいの早さで指の曲げ伸ばしもできるようになりました。できるだけ、左手でものを掴んでみたり、触ってみたりもしました。腕を頭の上に挙げて伸ばしたり曲げたりもしました。可動範囲が少しずつ大きくなっていったのがわかりました。この動作では腕の筋肉は痛いですが、その痛みが出る範囲が外側へと移っていきました。まだ、車イスの足駆動がおぼつかないときにPTのセラピストさんが車イスを押しながら「左腕を上に挙げてみてください。」といわれたので挙げたら、もう少しで顔面にパンチを入れてしまうほどでした。まだ挙げれないだろうと顔を少し前に出されていたためです。足の方もこっそりトレーニングしていたように腕でもということです。コンタクトレンズを装着しないことには、世間がよく見えないのです。矯正すれば見える、でも、して貰うまでよく見えない。退院後とか自分でするほかないので手のリハビリは足以上に必要に迫られた課題でした。片手装着という方法もあるのですが、常に両手で装着で暮らしてきた者にとって死活問題でした(笑)。ハードのコンタクトレンズでのみ矯正できるので頑張るしかなかったのです。
 4月5日(金)、作業療法の続きです。転院した翌日から始まりました。目標として、コンタクトレンズが左手でも扱えるという意味で装着できるようになることでした。目標達成が困難だったです。最低限、装着できるは達成されることにはなりました。手を、腕を、使ってみるというリハビリであるというのは同じでした。感覚の戻り具合を確かめるというのもありました。日日がこちらの方が経過していますし、リハビリをしていたら感覚神経の再生も起こっているはずですからです。徐々に戻ってきている感じがしました。細かい作業も徐々にできる部分が増えてきました。目標が目標ですから、どうしても、チマチマ作業をしてみるということになりやすいです。もう一つの問題が利き手ではない方が障害を受けたということで多くの作業でたいして支障がないことが多いというのもあったのですが、動かしてみるということ、感覚を試してみるということを沢山してみるとことをしました。4月になるとセラピストさんの新人が入ってきます。こちらでは、新人に見学させてよいですかと聞かれたのでよいですと答えました。ところが、よいことに同じ方に固定されているみたいになりました。3月から担当して貰っている外れ、別の部分で当たりの担当者が代休の時、この当たりの新人のSさんを代理にしますがいいですかと聞かれたので、ずーと代わって貰ってもいいですよと答えました。これでかどうかわかりませんが、4月下旬に5月からSさんと代わりますがいいですかといわれたので、即承諾しました。当たりの当たりになりました。前任のFさんの英断に感謝しています。PTの方は3月に土曜リハで当たりの当たりのFさんにして貰ったとき、「月曜からもよろしく」といったのですがダメでした。これ以降、担当のUさんには土曜はFさんを、とか、OTでは代わってくれたから、交代をとか言い続けましたが退院まで代わらずでした。今年の2月に久しぶりにいったとき、このUさんが「Sさんに会いに来るついでに来て下さい」と。ここまで、しょうもない話ができるということもリハビリでは必要だと思います。ですから「リハビリは楽しい」をさらに楽しくしてくれたUさん、Fさん、Fさん、Sさん、Yさんには感謝しています。
 4月6日(土)、当たりの当たりのYさんによるリハビリ、言語聴覚療法のお話。初日、目標設定の時から、笑いの絶えないリハビリとなりました。もともと発声発音がよくなかったのでよい機会を与えてくれたという感じです。でも、やはり出血による後遺症はあったようです。本人は気にしていなかったので、「発症前より美声に」が私が言った目標です。実際発症前よりよくなったみたい。このときの発音発声がどの程度なのか知りたいというので3月末に家族と知人に会って貰いました。そこで2人とも「もう戻っている」とか「以前と変わらない」とかいいました。この最初のリハビリで深呼吸をしましょうといわれて、どうするだっけと考えてしまったのです。深呼吸できないと呼気不足でリハビリにならないですからね。脳出血や脳梗塞などでは単に動かないというのではなく動作そのものを忘れているということもあるのだと気がついたわけです。初めのうちは毎回、深呼吸、できるだけ長時間の呼気、それも少しずつ連続してはき出すというものです。鼻漏れを減らす練習、唇や舌の動きの練習、発音の乱れやすい語順の言葉の音読練習です。これの自主練習を病室でしているとき、耳の中で「アバダカダブラ」(読みに間違いがあるかも)とか聞こえているといったら、・・・といわれました。5月からは時間を半分にされました。他のメンバーの圧力のようです。退院の近くまで引き延ばして貰ったリハビリでした。いつも笑いのあるリハビリでした。
 4月7日(日)、リハビリに積極的に取り組んだわけは、人間の脳の可塑性というかある意味再生力を信じていること。過去に学んだり調べたりしたことをつなぎ合わせると人間の脳は失われた部分は戻りませんが、残った部分での代償機能を活性化させるにはいろいろからだを使うしかないのです。進化でも「脳が発達したから」というのではなく「両手が自由に使えるようになって作業をしたから脳が発達した」という方のようです。脳で再生を起こさせるにはからだを使うしかないのです。そして、脳にからだを動かしたい、使いたいと刺激を与え続けるしかないのです。そして、使わないと退化するのが人間の体です。実際、筋肉は使わないと固着しますし、関節は錆びついてしまいます。筋肉は細くなります。骨もボロボロになっていきます。そうなると、動くようにするにはものすごく時間が掛かるのです。脳の再生はプラナリアの再生のようにはいきません。軸索や樹状突起を伸ばして、なくなった部分の代償ができるところを探しながら起こっているようです。ですから、時間が掛かります。確実というわけにはいきません。でも、何かが起こっているはずです。それを期待してということです。できるだけ早い時期から取り組むのがよいということです。ところが、リハビリ病院や最初の病院で感じたのは「後ろ向きな気持ち」でリハビリを受けていると感じる患者さんが結構いたのです。私は左半身完全に動かなかったのですよ。ベッドのリモコンを動く右手で使って上半身側を起こしていっただけで、背もたれとしてベッドがあるのに、ベッドから頭を下にしてぶら下がるように転落したのです。感覚器官も左は麻痺していたのです。これで、この視床出血で2回死にそこなったので、復活しないわけにはいかなかったというのもあったりして。それで、復活してきて、「あなたは軽かったのでしょう」といわれるほどになりました。入院当初に食事の栄養バランスをみて、?と思ったのは脂質についてでした。食材をみて思ったこと、「必須脂肪酸」は大丈夫なの?という疑問でした。普通に肉があったら必須アミノ酸は不足することはないですからね。この疑問の根拠は次回にします。
         今週は痺れや筋肉の硬直感、収縮させたときの痛みが強くなっています。お風呂で筋肉を伸ばしたり、屈伸させたりして固まらないようにしています。原因は脳の再生と思っていますので、再生が大体終了したときに筋肉と関節が使えるようにしておく必要があると思っているからです。

2013年4月1日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No34 動作とは感覚神経と運動神経の共同作業 入院時の症状(再掲) 食後服用の薬の多い理由→飲み忘れ防止  「リハビリは楽しい」、これは実感ですその1。 「リハビリは楽しい」、これは実感ですその2。 リハビリ病院への転院の頃に思ったこと 

 3月25日(月)、昨日の足の硬直感が嘘のように消えました。それなりに歩きやすくはなっているみたいです。久しぶりにダンベル体操をしました。左腕の状態も足同様楽になっていました。一進一退みたいな感じです。夕方の犬の散歩で「お帰り」が極端に早くて10000歩のはずが8800歩ほどになってしまいました。
 3月26日(火)、左腕の痛みが強くなりました。筋肉を収縮させたときにでる痛みです。寒さも関係しているのかもしれないです。また、冬に戻ったみたいな気温ですから。にほんブログ村の病気ブログ脳卒中・脳梗塞人気ランキングで『脳梗塞・脳出血 後遺症のリハビリ「動きのコツ」』(http://ugokinokotsu.blog.fc2.com/)というのを見つけました。参考にできることが沢山ありますので、読んでみてください。
 まあ、私はリハビリの早い段階で感覚神経と運動神経の協同作用で筋肉の収縮、動作ができるのだということを実感しました。どうして、ロボットが豆腐をお箸で掴めないのか、にぎり寿司のシャリをロボット化に苦労されたのかというのと同じです。私の場合は視床出血なので感覚神経が復活する度に脳の再学習が必要であるということ。一気にすべてが復活することがないようなのでだらだらと復活、その度に再学習、これの繰り返しになります。神経細胞で軸索の成長促進と軸索突起の誘導因子分泌促進が起こるような生活が必要だと思っています。
 3月27日(水)、発症時の症状の具合について繰り返しになりますが、書かせていただきます。すみません。発症したとき、どうも棺桶に足をかけていたようなのです。どうしてこのように思うのかというと、救急車で病院に到着したときの記憶が全くないのです。到着後、どこかで「コンタクトレンズを外してください」といったのは覚えているのですが、次に気がついたのは何時だったかは?です。
 昏睡か傾眠、半昏睡のどれかです。一番軽い傾眠でも約20%ほどの死亡率になるようです。ですから、このような状態では結構な確率で棺桶に収まっているというの感じかな。ある文献によるとこのようなときの自立生活復帰率は低いです。だから、重症度を低くみられる程度に回復しました。
 3月28日(木)、これも繰り返しになります。すみません。薬の服用で「食後服用」という指示がやたらと多いですね。飲み薬ですと多くの場合、胃や腸で吸収されて血液に入ることによって作用します。血中濃度です。これが高くなりすぎると副作用が出ます。低いと作用が低下したり、効かなかったりします。血液に入った薬は肝臓で解毒されたり腎臓から排出されたりして減少します。こちらは普通血中濃度に比例しているようです。
 現在の私は朝1回と朝夕2回の薬ですので服用の時間間隔はどれをみてもほぼ同じぐらいになりますし、同じにできます。
 もし、毎食後ですべて同じ製剤なら夕食から朝食までの時間間隔は長く、昼食前後がその半分ぐらいの時間しかないことになります。薬の種類、効果、昼夜の活動の違い、体の状態などで一概に言えないのですが、早朝食事前が一番薬の血中濃度が低いことになりますね。それでその薬の効果が十分にあって日中の濃度の高いときに問題がなければよいのですが、このあたりの説明が全くないのが今の日本かな。説明が欲しいです。
 「食後」というのは飲み忘れ防止が一番の目的だそうです。時間医療、一日の生活活動の時刻に応じた医療というのもいわれだしていますよね。代表例が糖尿病でのインスリン注射かな。間違うと死にますからね。血圧管理やら増えてきています。活動に合わせた治療の方がよいに決まってますよね。
 3月29日(金)、最初の病院でのリハビリについて、2回詳しくというかもう一度書いてみます。救急車で病院に到着したとき、昏睡みたいですね。それから、何日かして意識がしっかりしてきて思ったことは「筋肉が硬直してしまわないようにしたい。」ということです。関節のさび付きは、結局筋肉を動かすときに関節も使っていたみたいです。
 このとき実感したことに腕や足のなんと重いこと、重かったです。BMIは平均的な数値で手足は細いといわれていたのに重いと感じました。動く右腕で左腕を持ち上げたり、伸ばしたりをしました。足の方はどのようにしていたかですが、車イスとベッド間の移動とかトイレでの移動とかが役にたっていたような感じです。
 残念なことはおしめをしていたとき、中に一度も排泄しなかったことです。「排泄して世話して欲しかった。」と看護師さんに言ったら「止めてください」でお終い。残念でした。それと食事で他の患者さんは看護師さんに食べさせて貰っているのに、私は右手のみの片手食い。食べさせて欲しかった。これも残念。入院中の病院は3月3日にはおひな様のお寿司がでるので「早く普通食に」とお願いしていたのにおかゆのまま。食い物の恨みは怖いですよ。恨み続けますからね。
 リハビリは入院後数日してからリハビリ室で開始。PT(歩行の方)で、兎に角、まず立ちました。よく立てたと思います。平行棒の間に立って、もう一方の方に姿見を置いてくれましたが、姿が見えないのです。視力が悪く、ハードのコンタクトレンズでないと矯正できないタイプなのです。たいして、リハビリができませんでした。当然OTの方もです。翌日、漸くコンタクトレンズを装着して貰えました。リハビリの進みがよくなりました。
 3月30日(土)、昨日の続きです。PTでは平行棒の片道を補助されながらというのが最初だったかな。数日片道で次が往復です。往復数日してからリハビリ室巡回コースを、日を追う毎に距離を少しずつ伸ばし、部屋一周できるようになりました。杖を他の患者さんからみたら早くから使い始めました。単独で部屋一周できるようになりました。
 OTでは腕を動かす訓練と手でものをつかむ訓練をしました。その時、「麻痺したら手とかは曲がりますから、伸ばして、目的のもののところでもと?の曲がった状態にしたら掴める」と教えて貰いました。実際そう思ったので病室では左腕と左手を伸ばす動作を繰り返ししました。視床出血の影響で運動神経のコントロールもおかしくなっていたようです。初めのうちは全身の筋肉が収縮したのです。疲れて夜がよく寝られるようになりました。
 そうこうしているうちに指の動きまでもが徐々によくなってきているのが判りました。リハビリで意欲がわく理由の一つが「回復の様子が実感できる」ということです。何日か前に書いた「脳が動きを忘れている」の典型だったのですね。だから、「動くようになってから」というのはあり得ないということなのでしょうね。
 もう一つがセラピストさんといろいろ話を楽しくしながらリハビリができるということでここの病院でのセラピストはどちらも「当たり」ですが、さらにもう一つの点では1勝1敗です。次はリハビリ病院でのリハビリの様子にします。
 3月31日(日)、昨年3月13日にリハビリ病院に転院しました。転院前に噂ではリハビリ病院のリハビリは厳しいとか聞いていたのですが、結論を先にいうともっと楽しくリハビリに励みました。ここのリハビリなら通院したいのですが、「入院患者のみ(一部例外あり)」なので普通は退院とともに終了でした。残念でした。
 転院の日に私の障害の程度を調べに外れ3人と当たり1名が病室を訪ねてくれました。外れ3人のうち2人が翌日以降のPTとOTの担当者でした。この2人ともリハビリ中に毎回話をし続けたという感じで当たりでもありました。まあ、ほんまにしゃべり続けたわけではないのですが、退屈もせず、なにか楽しみながらできたということです。
 当たりの1名は担当ではなく「様子見」でした。翌日からは退院間近まで担当していただいたYさんにお世話になりました。いろいろな意味で「当たり」です。Yさんのリハビリで「筋肉の使い方を忘れてしまっている」ということを最初に実感することになりました。だから、リハビリは筋肉等を上手に使えるようになることなのですが、脳にもう一度おぼえ直して貰うという作業があるということにも気がついたわけです。
 前は筋肉とかを動かせるようになったら、普通に使えると思っていた節があるのです。動くだけでは使いものにならないですね。脳での神経の再構築ができたというのは再学習もほぼできたということと同じかも。これは、子どもの成長と同じです。繰り返し繰り返し試してみて行動してみる。そしてできるようになるということです。その学習結果として、リハビリの効果が出てくるとね。そして、使わないと退化するのが人間の諸器官である。「当たり」と「外れ」の意味、ぼちぼちお解りかな。
 最近の歩行感覚がなんとも言いにくい感じです。よりよくなってきているような、いまだにふらつきがあるというなんとも言い難いです。痺れが続いているのでリハビリ効果は出ているみたい。

2013年3月25日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No33 「温暖化で冬が寒くなる」という学説

 3月18日(月)、眼のコンタクトレンズ装着による違和感はまたなくなってきました。少しずつ感覚神経が復活しているのでしょうか。嵐の予報だったので外出を控えました。歩数は減りましたね。
 3月19日(火)、近所の百貨店で階段を登っていたら、私のfacebookやmixiのお友達ぐらいの年齢の女性が座っていました。どうしようか迷っていると立って開けてくれました。ショートパンツで生足の感じでした。私もショートパンツ生足でウロウロしてみたいのですが、昨年の入院中にクオーターパンツを捨てられてしまいました。今は普通のハーフパンツぐらいのなが〜いのしかないです。(涙)
 3月20日(水)、世間が暖かくなるとともに左側の寒さの感じ方が普通というなったという感じです。右側と変わらない。現在の室温は20℃ぐらいですから暖房しているときとたいして変わらない。どうしてなの???。顔の違和感ですが、範囲が狭くなってきたみたい。最近、左腕の痺れ痛みが強いです。痛みといっても動かすことで筋肉を収縮させると出てくる痛みなので視床痛ではないと思います。
 3月21日(木)、「温暖化で冬が寒くなる」という学説(日経サイエンスにでていました。)がありましたが、その通りという感じでまた冬に戻りました。すると、左半身が寒がっています。室温は昨日と変わらない程度には暖めたつもりです。どうして???
 3月22日(金)、今日の訪問リハビリで左腕の筋肉が硬直しているといわれました。まあ、そうだろうと思います。なにか左腕の筋肉が緊張気味なのは確かなのでストレッチに励もうかな。室温は昨日、一昨日とたいして余り変わらないのですが、左半身の震えは昨日より穏やかになりました。世間が暖かいとですが、どうしてなの???
 3月23日(土)、階段に腰掛けようとして左足の踵部分をちょっとぶつけてしまいました。衝撃の程度から考えると強い痛みを感じました。「いた〜い」です。感覚が戻ってきているようですが、鋭敏すぎるということかな。1時間ほど経ちますが、痛みが残っている。やばい、骨に異常か?
 3月24日(日)、最近では一番左腕を動かすと痛い。左足も筋肉の硬直感が凄い。歩きにくいですよ。もう、ストレッチやなんやかんやして筋肉をほぐすしかないようです。上手く過ごせば回復の階段を少し上れたということになると思います。昨日、闘病記用にブログを一つ作りました。http://toubyou-sisyou.blog.so-net.ne.jp/ がアドレスです。こちらもよろしく願いします。にほんブログ村に登録しました。ランキングにも参加しましたのでバナーのポチお願いします。

2013年3月18日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No32 薬の服用方法について

 3月11日(月)、ホワイトデーのお返しは今日済ませました。
 3月12日(火)、今日の朝、左足で痙攣が起こりました。まあ、短時間だったので事なきを得ました。花粉症みたいな鼻水の出ること出ること、そして、くしゃみも。風邪でないことを祈っています。
 3月13日(水)、昨年の今日、曜日は火曜でした。急性期の病院からリハビリ病院に転院した日です。転院した当座は特になんとも思わなかったのですが、しばらくして担当の当たり外れが気になり出しました。STは最初から当たり。上手下手は患者のモチベーションを高めることができれば、上手だと考えております。転院前、「リハビリはつらいよ」とかいう話を聞いていたのでが、急性期の病院同様「リハビリは楽しい」ですね。回復していく様子が目に見えてわかるのですから。「リハビリは楽しい」が神経成長因子の分泌を促進しているのかな。さらに、神経軸索突起誘導因子の分泌もかな。この因子がないと脳での再構築が進まないのではとも思います。神経の話でしたが、筋肉も関節も使わないと錆びつきますね。錆びつくと錆落としに手間と時間がかかります。リハビリ病院で判ったことに「使いものにならない、あるいは失ってしまったなら義足や義手などを使うように勧められるはずである」ということです。ですから、手や足が胴体につけたままでなにもいわれないなら動かせるようにできる可能性があると。ある意味、人間の再生力は凄いです。それを取り出すのは本人の取り組みにかかっているのです。体がだるい、のどが。
 3月14日(木)、ホワイトデーのお返しは月曜日に済ませました。
 3月15日(金)、一ヶ月ぶりに医者に行ってきました。トンネル型電子血圧計で127という今まで一番低い最高血圧を記録しました。薬ですが、処方箋ではなくそこで出しますというのです。ものによりますが単純に医療費は少なくなるようです。その上後発薬に一つを変えたようです。さらにやすくなったような感じです。ところが、帰ってネットで調べたところ、服用は朝食後と寝る前とあるのに指示は朝食後と夕食後???です。以前から読んでいただいている方はどの薬か見当がつくと思います。これ日に1回なら寝る前の薬の方です。胃カメラを何時するか迷っていたら、「どうですか」とコマーシャルも含む解説を聞かされました。過去のカルテを読めばCMがいらないと判りそうなのです。前のも読んでよね。
 3月16日(土)、特になしかな。
 3月17日(日)、朝、コンタクトレンズ装着後、しばらくして痛みが酷くなりました。ゴミとかではないと思います。感覚がまた戻ったのかな。ゴミですと角膜を傷つけるので注意が必要です。それなりの対策はしているつもりです。

2013年3月11日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No31 日帰りの長距離旅行

 3月4日(月)、先週に続いて、急性期の病院に行ってきました。看護実習の最中のはずなので昨年の指導教官が来られているのかなと思って、昨年の同意書をもっていって看護師さんに見てもらったら、「今年は違う先生よ」と言われました。大学で学年進行はないと思うので別の診療科に行ったのかな。視床出血では意識障害とかもよく出るようです。本人はそのようには思っていなかったのですが、やっぱり出ていました。看護師さんの名前を覚えるということですが、記憶に残ったのはOさん、担当でコンタクトレンズ装着をよくして貰いました。Hさん、退院の直前2日間ほどでしたが、非常に印象がよかったのです。今日、Hさんの姓名の名の確認して、入院時、意識が回っていなかったということを思い知らされました。よく知っている方なのに気がつかなかったということです。気がつかなかった理由にもう一つ、以前も感じとかは非常によかったのですが、さらに美しくなられていて、以前の記憶と結びつかなかったのです。そういえば、若年性認知症の診察を促す項目に「人の名前が覚えられない」とかがありました。他の症状は? でも、人の名前が覚えられないは就職したときにすでにありました。
 3月5日(火)、左手の使い勝手がよくなってきているみたいなのですが、逆戻りみたいに感じる部分も出てきています。今日のNHKクローズアップ現代で「沖縄 長寿崩壊の危機 〜日本に迫る“短命化社会”〜」というのが放送されました。脂肪の取りすぎによる弊害についてが主だったように思います。その中で、沖縄の保健婦さんかな、食事指導で脂肪分の量を減らす取り組みをされていて、その効果の中に重症の糖尿病が減少したと話されていました。インスリンは食べ物を摂取すれば、炭水化物でなくても分泌されるのです。このことから考えると高カロリーの脂肪分が糖尿病発症に大きな役割を果たしています。肉類を多く食べるようになってから、糖尿病が増えています。疫学調査ではっきり出てきています。糖尿病は血管を痛めつけますから、心筋梗塞も増えますわ。脳梗塞も増えますわ。いろいろな病気が増えます。バランスのよい食事が大切ということです。ただ、生まれつきの体質によっては防ぎきれない場合もありますが、発症を遅らせたり、重症化を遅らせたりできる可能性は高いですよ。
 3月6日(水)、税金の確定申告をしました。eーTaxでできるのは便利ですね。でも、左手が十分に使えないと資料を見ながら入力、書くより楽ですが、時間がかかります。今回は1月下旬に申告の研修会に行って後で業者が還付請求のための書類を持ってきました。研修会前なら、税務署職員の方にいろいろ質問できたのですが、その後なものでネットで調べ、電話で問い合わせるなどで手間取りました。12月中には持ってきて欲しかったです。障害のある身では「出先で待つ」というのはつらいです。車イスの時はある意味楽でした。リハビリ病院でエレベーター前で待ち人をしていたときに、「しんどくないの」とか聞かれましたが、こちらは座っていますので、病室でも同じ車イスで座っていますのでどうってことはなかったです。入院中の洗面所での会談は長かったです。皆、車イスでしたから。普通の時の外出などは「歩行」の方がいいです。現在は車イスがないので歩行のみです。
 3月7日(木)、遂に花粉症? 今まで、他人事のように思っていたのにこの若さが原因なのかな。自分の細足美脚にほれぼれ、何とか維持できています。足年齢ですと「若い」。血管が動脈硬化でもないのに漏れやすいようです。左右ダブルや連打にならないように注意しております。
 3月8日(金)、調べたら花粉症みたい。がっくり。
 3月9日(土)、破傷風予防接種の2回目にいってきました。破傷風は激烈な治療法しかないので予防に限ります。はい。
 3月10日(日)、甥の結婚式と披露宴に出席してきました。新幹線で約580kmの区間の移動です。乗車券のみ障害者割引で半額でした。トイレは洋式で障害者対策も考えられているのですが、小の時だけ、つかまり立ちでできるようにはできないのかな。どうしても「揺れる」、車両ですから仕方がないですけど。大兼用の洋式で立ってして「外す」と目も当てられないです。小専用なら「外す」は滅多に起こらない程度には回復しているつもりですが、「つかまり立ち」ができる、「もたれる」ことのできる手すりが必要になりますが。ズボンの上げ下ろしより楽です。障害のある身にとって、徐々には利用しやすくなってきています。すべての人にとって使いやすいは永遠の課題になるのでしょうね。より使いやすいように改良を続けてください。

2013年3月4日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No30  1年ぶりに急性期に入院した病院に行ってきました。

 2月25日(月)、ふと気が向いたので、歯茎の感覚を気にしてみました。結果は、歯ブラシの届く範囲では大体戻ってきている感じです。頬の感覚とかはなくなっていたので歯茎もなくなっていたと今となっては思うほかないです。
 2月26日(火)、朝の散歩など屋外での歩行では何となく歩きやすくなっていました。このまま、この安定感が続いてくれるといいのでけどね。ただ、左足の足首あたりのかかる力の感じはまだよくないです。左足での力のバランスがよくなれば、もっと歩きやすく走りやすくなると思います。
 2月27日(水)、朝、コンタクト挿入時に「やばい」と思ったが、後の祭り。ずれてしまい、最近の自力戻しのできないところに、それでも、見つけやすいところには留める眼力?はついてきたみたいです。もう少し経てば右眼同様ぐらいになるのかな。
 2月28日(木)、今日、散髪の後、入院からみると1年となる急性期の病院に行ってきました。当時の看護師さんと話をしてきました。私の入院時の状態を聞きたかったのですが、主治医が通り過ぎてしばらくしてから気がつくドジを。主治医より脳神経外科の主の方をよく覚えている患者です。「完全麻痺」とも言われました。入院していたことも忘れる患者さんもいるとか。私の方は看護実習生がついてくれたことや、その他当時の話をしてきました。その中で「リハビリは楽しい」と思える精神状態である方が回復が早いのではとも。病棟の8階までを2階から階段で上っていきました。帰りはエレベーターホールまでお見送りして貰いました。3階でこちらのOTさんとPTさんとも話をしてきました。手の働きは「歩行より時間がかかる」で辛抱強くかな。散髪の時、顔の左側と右側の感覚の違いを感じました。まあ、当然です。頬の温度感覚はまだ鈍い。耳の触点も鈍い、触点の鈍さは全体的かな。でも、以前と違って鈍いながら感じているのです。感覚がないために起こる怪我の確率は低下してきているのは確かだと思います。
 3月1日(金)、日本生化学会の和文誌「生化学」に「神経軸索突起の進路決定メカニズム」というミニレビューがありました。軸索突起にとって外因的因子があるようですが、それがどのように分泌されているのかはこのミニレビューには書いてなかったです。誘因型と反発型(遠ざけるタイプね)とがあるようです。まあ、何となく思うことは「使いましょう」、これしかないみたいですね。誘因型を反対方向から入れちゃうと必要としない方に伸びるのでしょうね。使わないとか何かがあると神経繊維が消えてしまうみたいですね。成長期はいざ知らず、結構な年齢でのリハビリは使うこと、そして、使えるようになりたいと思って作業をすること、しようとすることかな。作業には「歩く」とかも入ります。リハビリはなくても使い続けることでしょうね。
 3月2日(土)、左腕の痺れとかは相変わらずあります。でも、なにか感覚がまたいくらか戻ってきそうな感じもしています。指を動かすことをしています。
 3月3日(日)、昨日の続きで作業をさせています。兎に角「使う」、これしかないという感じになっています。感覚の回復が近いのではと。百均で温度計を買いました。設置場所の関係でアルコール温度計ではないです。前から使っている電波時計についている温度計と余り変わらないようです。今後、部屋の中で離れたところにおいて温度を測ってみたいです。

 毎日の記録はひな祭りの今日(3月3日)で一旦終了とします。とか言いながら来週も毎日だったらごめん。最初の頃のはNo1を、ホームページでは「2012年の闘病記」でスクロールして一番下の方から上の方に読んでいってください。

2013年2月25日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No29  ラミシール漸く終了

 2月18日(月)、久しぶりに「痺れ」について。顔は中心線より左側で口と鼻のあたりから左耳のあたりにかけて強く感じます左腕は相変わらずで肩の辺りが最近酷い。左手は変わらず感じてます。左足もです。変わらず。ただ、手足は前と比べると使用感は少しよくなっている感じです。
 2月19日(火)、特に取り立ててということはなかったです。
 2月20日(水)、昨日同様かな。歩行にしろ手の動きにしろぼちぼち。でも、寒さには手の動きの方が敏感に反応しますね。コンタクトレンズ装着時に昨日より厚着をしたら、幾分かマシになって少し短時間になりました。左手で左目の瞼を開けるのに今は難渋しています。どうしてだろう。、
 2月21日(木)、久しぶりに歩き回りました。約5000歩ぐらいを1時間弱ぐらいとぼとぼと。そして、夕方の散歩の時、あるわんちゃんの飼い主さんとしばらく話をしていたら、左足の筋肉が固くなってしまいました。同一姿勢の取り過ぎかな。14000歩弱歩きました。
 2月22日(金)、神経調節性失神という病気を調べていたら、排尿の時は副交感神経優位に血圧は低下の方向というのがありました。私が脳でガサゴソを感じたのはトイレで排尿をしているときでした。すると、血圧は低めの方向かな。それでも漏れちゃったわけですよ。その後の高血圧時には漏れていないの? 救急車の中で精神的はある意味、興奮状態かも。事故も起こしているしね。今日の訪問リハビリで「筋肉が固くなっているよ。」と言われました。昨日のは歩きですよ。にも関わらず、上半身も硬いよとね。
 2月23日(土)、神経調節性失神という病気を調べた理由は知人でこの病気と診断された人がいたからです。入院先の某国立大学病院では、まず、開業医の処方した医薬の服用をすべて中止して、服用できる薬を検討しているとか。もし、処方薬が原因と考えられるとの結果になったら、開業医は何を思って多種類、大量に処方したのでしょうね。私の今回の入院時のLDLの上昇の原因は等にシールの服用を止めたのでしばらくしてから血液検査で低下していたら、血圧の薬、ガスター、ラミシールのどれかの飲み合わせの可能性が考えられます。たった3種類です。それでも、そういう可能性はあるのです。医師はそのような特異的な症例にも対応する責任があるはずです。ネット販売もですが、医師の処方薬の方の薬害にも目を向ける必要があると思います。主治医は何も言わずに心電図を取りましたが、ガスターには副作用として不整脈も考えられるのでかなと思っています。
 2月24日(日)、またまた、左半身が寒いです。今世紀一番の寒気が日本を襲っているというのでが、右半身はそう寒くない。この感覚の過敏さはいつ頃まで続くのでしょうか。運動をしたり、何か熱中したりしているとそうでもないです。

2013年2月18日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No28 バレンタインデー、チョコを貰いました。

 2月11日(月)、昨日いった近所の救急病院での応急処置程度でほぼよいようです。助かりました。
 2月12日(火)、昨日までのドタバタでし損なっていたリハビリを再開しました。やはり、休みが入ると少し逆戻りしたみたいな部分も。なぜか、歩くのは毎日なので感じはよかったです。
 2月13日(水)、やはり、右手が使えないみたいな状態になると左手の回復度がはっきりしますね。まだまだだということです。それでも徐々に回復している感じがありますが、コンタクトレンズ装着時に左目の瞼を開けるというはなかなか回復しない感じです。
 2月14日(木)、今日はチョコを貰いました。ここ数日間は途絶えていた一日10000歩を歩けました。まあ、9000歩前後にはなっていたのですが。右手の使い方が判ってきましたが、近日中に平常に戻れるようです。
 2月15日(金)、今日、月1回の方の医者に行きました。トンネル型電子血圧計では最低の131/85という測定値になりました。上腕式電子血圧計なら120/80ぐらいはざらに出てますし、もっと低いのもありましたが、トンネル型電子血圧計は170/120とがよく出ていたのです。なくそう、トンネル型電子血圧計。そういえば、先月おばさんの測定結果が見えたのですが、その数値、160/60ぐらいでした。動脈硬化バリバリ?で医師は特に話しもしていなかった。こんな血圧計役にたつの?まあ、なかには血圧に応じてぼちぼちの人もいるので役にたっている人もいるとは思いますけどね。ラミシール今月より休業。11ヶ月飲み続けて漸くです。長かったです。
 2月16日(土)、今日は眼科に。視力検査で気を抜いていたら、以前より低下。気を抜いた理由が身分証明書としての運転免許がいらなくなったし、医師より運転禁止されたし、車もなくなったから、取り敢えずの付近がはっきり見えていたらよいと。ただ、角膜の状態やその他諸々で悪くなると視力も落ちるので他の病気ということもあるわけですね。それで再検査でぼちぼちにしました。
 2月17日(日)、朝の散歩の時、歩きやすくなっている感じがしました。一進一退みたいなのですが、戻りの方が小さいようなのです。ただ、その差は小さいですね。ですから、前日などとの比較だけではなく相当前との比較が出来ると回復度がよく判ると思います。薬服ですが、普通に食後とかだけではなく、水で飲むより、口の中で溶かして服用というのもあったりしますね。医師はどのような飲み方がより効果が出そうかを指導するべきです。

2013年2月11日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No27 リハビリ病院に行ってきました。

 今回で発病から1年になりました。当初はやはり正しい知識というか理解が不足していた部分もありました。で、「昼間は起きておく(上半身をだいたい垂直にする)。」ということは当時有効性はなんとも思っていなくて、単に「夜寝たい」というのと「鼻が詰まらない」という目的だったのです。体を起こすということが「直立二足歩行」をしている人間にとっては非常に大切だったのですね。そして、足も使うということもかな。
 2月4日(月)、またまた今日も硬直感が強いです。昨日以上に「体操」で足の屈伸を出来るだけしました。腕もおつきあいさせました。なにもしないのなら、麻痺した当初と同じような感じで手足が硬直してしまうのでと思います。
 2月5日(火)、なにか、左半身の状態が逆戻りみたいな感じになったり、改善された感じになったりと右往左往しています。温度感覚の過敏は改善されたみたいです。筋肉のこわばりは延々と続いています。その割に「可動域はある。」という感じになっています。散歩中にも足の屈伸をしました。「可動域」を維持するためです。「こわばるからしない。」では動かなくなるのではと思います。
 2月6日(水)、朝のコンタクトレンズ装着で左手の動きが少しおかしかったです。感覚はまた幾分か戻っている感じなのに左目の瞼を開けるのに苦労しました。キーボードを打つときの左手の震えは相変わらずです。でも、扱き使わないことには回復が遅れる、あるいは回復しないのどちらかになると思います。
 2月7日(木)、この頃、起こっていたことはやや緩和されたみたいです。今日は特にはなかったですかな。
 2月8日(金)、明日で発病1年になります。急性期の病院の方にも行きたいとは思っているのですが、今日はリハビリ病院の方に行ってきました。OTのFさんとSさんに会い、STのYさんにあって、5階病棟に行って担当の看護師のSさんに会うことが出来ました。その後、前回は会えなかったPTのUさんに会えました。歩行を見てもらったら、まあまあということです。装具は当然使っていないといいました。あきらめていみたいですし、なくてもそれほど支障もないようだと思ってくれているようです。OTのSさんに会いに来るついででもいいからまた来てくださいといってくれました。皆さんとわりとゆっくり話が出来ました。OTでは出来なくなっていたが出来るようになったことも見てもらいました。まあ、できても生活には役にたたないことです。それと、「視床痛」はもう出ないのではと言う話に、結局は1年経ってでなかったからということです。STでは入院当初の外れの話などもしました。私のことなので深刻な話はなしかな。5階病棟から階段を下りていったのですが、「ここで怪我をされたら、大変だから気をつけてね。」と階段好きの私に言ってくれました。楽しかったですね。
 2月9日(土)、本日で発症1年となりました。ある意味、よく回復できたのではと思います。発症時はリハビリで回復するのだという思いは強かったです。このことが、後々リハビリをおこなう上で支えになったのかな。ただ、私の担当になってくれたセラピストさん達は皆話し相手になってくれました。誰かと話をし、自分の思いを伝えることが出来るというのがこのリハビリでは大きな支えになったのではと思います。家族の支え、医療関係者の支え、友人、知人の支え、どれも大切です。ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
 2月10日(日)、朝の犬との散歩で犬が拾い食いしたので出させようとしたら、場所が悪かったのか犬の歯がしっかり指に引っかかってくれました。右手中指に包帯をしています。これが、人差し指や親指だったら右手が使えない?状態みたいになるのかな。左手は未だ回復途上で細かい仕事の役にはたたないので大変なことになっていましたが、ほっとしています。歩行の方は結構感じがよいです。

2013年2月4日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No26  「ドッグラン」ができるように

 1月28日(月)、昨日、左足の硬直感が強かったのが嘘のようにこの頃の平常に戻っていました。雪道での歩行もこの頃の平常と同様にこなしました。
 1月29日(火)、手と足のひび割れがまた出てきました。例年通りなら1シーズン中に2回かな。なぜだあ??? 左側の皮膚のカサカサは諦めました。この前、一応の主治医もカサカサでした。なぜ??
 1月30日(水)、左半身の温感が過敏です。昨日はどうってことのない温度で震えています。「繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し・・・」という感じで復活していくのかな。長期的に振り返ってみると「復活」が実感できるところが多々あるのでじっくりやっていきます。今からダンベル体操をしようっと。
 1月31日(木)、朝の足の硬直感が強かったです。一日中という感じですので、10000歩に近づけるのにも苦労する有様です。感覚神経がまた少し復活して、脳がその再学習に苦労しているようです。
 2月1日(金)、今日の訪問リハビリで「長期目標」について話をしました。「ドッグラン」ができるようにを超長期目標にして欲しいと。階段の上り下りは半ば達成されてきていると思いますから。手の方は細かい作業が出来るようになる必要があるのでそのままかな。それと神経の再生についての話も。「神経成長因子」の話をしました。動物実験で効果は確認されています。ω3系とかω6系とかの必須脂肪酸サプリなどで神経の再生に努め、また、運動等での再生のための刺激を多くするようにしていると逆戻りみたいな感じになることがあります。このような感じは理解できない人にとっては「逆戻り」とか「治らない」とかの意識にしてしまうのかもしれないですね。病院で必須脂肪酸が少ないと感じていたのですが、このようなことが起こったのかも。
 2月2日(土)、足の硬直感がキツイです。その他逆戻りみたいに感じる部分が多いです。
 2月3日(日)、今日も硬直感が強いし、ふらつきも強いです。左目の感覚がまた戻ってきたみたいです。足の裏の皮膚感覚は結構戻ってきている感じです。ただ、装具によると思われる変な感覚はそのまま続いています。

2013年1月28日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No25 ずっこけたりしています。

 1月21日(月)、立ったままでの衣服の着脱の時のふらつきが少し激しくなったような感じがします。でも、出来ないというのではないです。また、感覚神経の復活した部分があって、それによる再学習かなとと思います。コンタクトレンズを外そうとして、ずれてしまいましたが、主に瞼の動きで戻すことが今日も出来ました。ときたま、起こっているということです。胃や直腸などの内蔵の調子がイマイチの状態になっています。ガスターの服用量は入院中に半分に減っていましたので、ちょっと戻してみたいと思っていますが、副作用の問題はどうかな。
 1月22日(火)、ダンベル体操は順調に試行数などを少しずつ増やしています。筋力の復活もあるのですが、感覚神経も再生されているようです。そして、骨の強化にも繋がります。このような麻痺が生じた後、転倒などが怖がられています。大きな理由は2つかな。一つは麻痺によって、「受け身」のような回避動作が出来なくなること、実際尻餅は痛いですね。もう一つが骨の弱体化が運動できないということで進み、少しの衝撃で骨折したりしてしまうことかな。結局は骨折なのですが、「骨折」→「動けない」→「さらなる筋肉や骨の劣化」→「より動けなくなる」→「寝たきり」・・・ですね。さあ、鍛えましょう。
 1月23日(水)、左半身の震えが少ないようです。よって、暖房費が節約できるかも。ここ何日かの間にあれもこれもと感覚神経が復活しているような感じがしています。気のせいでないことを祈っています。(笑)左腕の動きはぎこちないですが、右腕と可動範囲が同じぐらいの感じがしています。もう少しで左手が上から右手が下側からで背中側で手が握れそうです。両手ともお腹の後ろですと握れています。いつも試飲させて貰っているコーヒー豆の販売店であるお客さんが「美味しいのはどれ」とか店員さんに聞いていました。さすが、順当に答えていました。「自分にとって」であって、「他の人の味覚」は参考程度ですね。ファミレスや牛丼チェーンが潰れない理由は「いつどこの系列店で食べても同じ味」というのがあります。慣れた味付けを美味しく感じるのです。この典型が「お袋の味」。他の味を知らないことから起こります。いろいろ試してみて、自分にとってより美味しく感じる味を常に探すようにすると、逆に何でも「美味しく食べることが出来る」ようになるのですが、それでも真に不味いものは不味いです。入院中に数回ありました。調理場の管理栄養士からお手伝いの人まで毎食病人が食べるために作った食事を食べてください。試作ではないですよ、実際に入院患者が食べるのと同じものをです。
 1月24日(木)、朝の散歩で少し走りました。ぼちぼちです。歩行感もぼちぼちです。左手の機能が大分前に比べるとよくなってきていますが、まだまだです。寒さに関しては以前の感覚に徐々に戻っていっているみたいです。まあ、無理はしていなかったつもりですし、しないつもりです。他の人から見ると暑さ寒さに強いかも。これ、「慣れ」もあります。過去に聞いた話に北海道から大阪に転校してきた小学生が冬に不登校になった。理由は「学校が寒い。」。もともと大阪の子は普通の状態です。夏場の冷房でも「強冷」ばかりにする人にとって「普通の冷房」は暑いのと同じです。
 1月25日(金)、顔での違和感のある部分は左頬骨のあるあたりを中心にした部分ですが、面積が減少してきているという実感が出てきました。
 1月26日(土)、昨日の訪問リハで左腕の感覚が大分戻ってきているようだといわれました。ダンベル体操では3.4kgの差し上げにも注意しながら挑戦しています。また、5kgでの動作も増やしています。それとともに指を使った細かい作業も復活のためには必要と考えてます。また、右手の指と左手の指を向かい合わせて5本とも押し合わせるというのが出来るようになりました。そして、指をつけたまま、中指の人差し指の前(親指側)に出すという動作が出来かけています。目を瞑ったままの状態で右手と左手の人差し指を接触させるというのも出来たり、側数ミリ以内という状態になってきています。ただ、安定性というがないという難点は解消されていないです。
 1月27日(日)、朝、玄関で四つん這いになっていて、左膝の方が転落しました。怪我はなし。まあ、昨日あたりから、また、左足のふらつきがすこし多くなっていました。端ギリギリだったので少しのふらつきで落ちたみたいです。左手中指で左手首を補助なしに触れました。右手と同じぐらいの屈伸が出来るようになってきつつあるのです。

2013年1月21日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No24 室温を20℃にしても左半身のみ震えています。

 1月14日(月)、感覚のアンバランスが出ています。左半身の温感の過敏状態が酷くなりました。右半身は何ともないのに左半身が震えています。その度合いが酷くなった感じです。足のふらつきも酷くなってきました。筋肉は収縮した感じを感覚神経でフィードバックして微調整し、運動神経に対する指令を調節し、フィードバックし調節というのを繰り返しているので感覚神経の復活部分が増える度に再学習完了までふらつきます。
 1月15日(火)、左半身の過敏さは昨日より穏やかになったみたいです。前にも書きましたが、極端な過敏になっていないのが救いです。脳の発達にDHAというのをサプリで摂取しています。DHAはω3系脂肪酸。ω6系は大豆からで、ω9系は?、まあ、どこかに含まれているでしょうね。左目のコンタクト違和感がきつくなったりするのも感覚神経復活かな。実際、コンタクトレンズの装着感というか眼の核膜上にあるという感覚も慣れると右目と変わらなくなってきつつあるという感じです。。左半身の痺れは続いています。痺れが収まると再生はそれでお終い?みたいですので、まだまだ神経系の再生が続いていると期待しています。で、今日も足の筋肉の感じも感覚がまた戻ってきているという感じです。再学習がすむまではつらいです。
 1月16日(水)、朝、犬の散歩の時に走ってみたら以前より確かな足取りで少し長い距離を走ることが出来ました。昨日のような足の感じは消えていました。やはり、繰り返しながら少しずつ回復していくとうことみたいです。昨日、少しマシになっていた左半身の温感の過敏はまた復活したみたいです。これも、ぼちぼちいくしかないみたいです。室温を20℃にしても左半身が寒い。ところが、運動をして体内から暖めたり、入浴後は16℃ぐらいでも寒くないのです。体温に関しては入浴は運動とよく似た感じもあります。今のところ、一旦「寒い」と感じさせると解消は運動とかをする、入浴するなどが必要のようです。ところが、歩いていて右半身汗かき、左半身震えという事態も起こりました。1ヶ月ぶりの定期診察にいってきました。胸のレントゲンと心電図をしました。心臓がすこし右よりになっているというのです。肺がんで右肺下葉を切除したというと気がついたみたい。既往歴を読んどいて。心電図も正常。ヒスタミンH2受容体阻害剤(ガスター)による副作用はないみたいです。心筋にも同じ受容体があります。医院でも左が震えていました。主治医に爪白癬の話をしたら、もう1ヶ月ぐらいラミシールを服用してみましょうという話になりました。その時、左足の爪を切ってくれました。今日は歩幅が小さくなったみたいです。いつもなら往復5400歩ぐらいが6300歩に。明日の朝には広くに戻っているかな。ダンベル体操で忘れていた動作を一つ思い出して追加しました。
 1月17日(木)、昨日より左半身の震えは減っています。スコスコとした感じはあります。他は特になしです。
 1月18日(金)、寒波でよく冷えましたね。朝の犬の散歩はこの頃の定例の時間に行ってきました。特に感覚には問題点を感じませんでした。というのは「いつもと同じ」なので変化が感じられなかったということです。それより、また、室内での左半身の震えが、いつまで左右の違いが続くのかな。室内では右側の方を窓側にしています。訪問リハビリでは感覚もまたいくらか戻ってきているという感じらしいと。血圧測定ではいつもの数値程度でした。
 1月19日(土)、朝の散歩時、「走る」はしなかったですが、結構歩行の感じはよかったです。前にも「よかった」とか書いているので「繰り返し繰り返しで、徐々に」の通過点の一つかな。夕方も歩行はぼちぼちでした。左半身の寒がりは幾分か楽になりました。このままの状態や改善されることを期待しています。
 1月20日(日)、今日は一日歩行時の感じはよかったです。ただ、スリッパ・サンダルなどの類は歩きにくいです。足の微妙な調整が出来ないので脱げやすいです。顔に出ている違和感のある部分がまた小さくなった感じがします。頬骨あたりがその中心なのです。花の中央線からみるとすこし離れた場所からという感じになりました。不思議感覚に膀胱感覚があります。夜間は9時間とか間隔をとることが出来ます。ですから、夜間、尿意で起きることはありません。入院中、これが「歩行の見極め(夜間も歩いてもよいかどうかという判定)」の障害になりました。ようは就寝時間中寝ていてできないということです。若いですから起きなくてよいのだと思います。ところが、日中は水分を補給すればすぐ出るという感じで苦労しています。

2013年1月14日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No23 宿泊同窓会にいってきました。

 1月7日(月)、今年になって初めての訪問リハビリがありました。いつもより少しだけ間が開いた程度でのリハビリです。筋肉が硬直している感じの部分があるがいつもとは異なる部分であると言われました。ダンベル体操のついでにストレッチもとも言われました。足はお風呂の時にストレッチをしているつもりですが、腕はダンベルで違うタイプでしていたのです。方法を考えて見ます。
 1月8日(火)、ガスターの利用について、ネットで調べると視床出血では視床下部への影響などから、当初は必要のようです。この当初というのはどのくらいなのでしょうか。連用は胃部疾患の発見を遅らせたりする危険があるとも。また、ヒスタミンH2受容体ブロックということで心臓に作用して「不整脈」という可能性も指摘されています。やはり、医薬品の連用は注意が必要のようです。その割に医師が鈍感なのかも。室温を春や秋のぼちぼちぐらいにしていても左半身が震えています。右半身は平気。
 1月9日(水)、相変わらず左半身が震えています。血圧測定にも影響が出ているようです。
 1月10日(木)、歩行の時の左足の足運びが気になりました。まあ、ぼちぼちの足運びにするのに意識的にする必要を感じたのです。以前の時ほどきつくはないのです。左腕を頭の後方に持って行くのが幾分か楽になってきました。ダンベル2kgの上方差し上げも幾分か楽に。
 1月11日(金)、定例曜日の訪問リハビリがありました。腕の曲げ伸ばしの感覚は相当よくなっているという感じだそうです。指先で左右の手を合わせる動作で力を込めて押し合わせるのも幾分かできるようになりました。
 1月12日(土)、朝、いつものように散歩。ダンベル体操もしました。発症後初の宿泊旅行に出発。駅まで歩いて行き、鉄道に乗りました。乗り換えで路線バス。高速バスに乗るまでの時間に「点鼻薬」を忘れたことに気がつき、ドラッグストアにいって購入。ペットボトルの水を69円で近所のスーパーで購入。バス停に戻って、乗車。そのバスの次の停留所で下車。乗車時間46分ほど。後は歩いて宿に行きました。途中、手すりなしの階段を下りることに。遠回りをすれは階段はなかったです。降りる時間がかかりました。宿の階段をみたら手すりなし。エレベーター利用となりました。大浴場は邪魔くさいので部屋風呂を使用しました。洗面所は普通に使えましたし、今時ですから当然トイレはウオッシュレットになっていました。宴会場は畳。正座から直立や直立から正座が支えなしで出来るようになっているので問題なし。座ったとき足は投げ出したまま。特に支障は感じなかったです。
 1月13日(日)、いつものように朝まで途中でトイレに行くことなく睡眠できました。昨日、点鼻薬を買った効果です。発症直後に鼻づまりが原因でベッドから転落したような感じなのでドラッグストアがあったのは助かりました。他の同行同室者はトイレに行ってました。まあ、私の場合、下手な暖房をすると脱水症状になってしまう危険性が高いと思います。睡眠途中での水分補給が出来ないことになるからです。珍しく朝にビックベンが出ました。ある一定時刻になって欲しいと思うのですが、出血の余波かまだ不安定です。最初の見学場所では車イスを使いました。立ち止まって説明を聞くとかなので立ったままというのは歩くより疲れます。後はそれなりに時間が過ぎて、帰宅の時は近所の最寄り駅まで送って貰いました。鉄道を使い、駅から歩いて帰りました。両日とも歩数は減ってしまいました。

2013年1月7日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No22 今年もよろしくお願いします。

 あけましておめでとうございます。昨年の2月9日の視床出血のことからも、もともと血管から漏れやすいみたいので注意していきたいです。
 12月31日(月)、例年なら「掃除」をあっちこっちとしていたのが、限定範囲ですみました。もっとも、私がすると、「危険」や「時間がかかる」などの理由が出てきそうです。洗濯物の取り入れだけでまだ1時間近くかかったりします。ということは、干すのにも時間がかかるということですが、何もしなかったら身体機能が低下すると思うのでやっています。階段昇降をおこなうことが出来ました。一人で百貨店などに行くと基本階段利用ですが・・・。近くのショッピングセンターへも一人の時は「徒歩」です。荷物はない状態ですけれど。
 2013年1月1日(火)、新年になりました。朝、5時半頃に起きて、PCをして、それから犬の散歩に行ってきました。年賀状が届いたので整理をしたら数名出してない方からきていました。チケット屋まで買いにいってきました。郵便局と違って元旦にも営業をしていますし、郵便局より安いです。郵政会社は年賀状の売り上げが「ノルマ」で維持されているとでも思い込んでいるのでしょう。「ノルマ」の流れ品がチケット屋にあるのです。郵便局から直接購入からチケット屋に変わっただけということに気がつかないみたいです。これで、約3000歩分になるはずです。
 1月2日(水)、今日もショッピングセンターのチケット屋に年賀状を買いに行きました。3000歩以上になっている分が加算されることになったみたいです。10000歩を越えました。夕方、薄暗い中を犬の寝床を取りに出て、躓いて手を前でつき、軽く尻餅も。まあ、何ともなかったです。今日はにわか雨が降りそうだとみて、洗濯物を屋根のある部分に移動したり、取り入れたりしましたが、以前より2〜3倍の時間がかかりました。
 1月3日(木)、母親と兄家族との恒例の新年会。豚肉のしゃぶしゃぶを食べに行きました。当然、歩行で杖は使っていません。母親に視床出血したことを知らせていないのです。もう一つ、肺がんも知らせていないです。昨年のお盆の墓参りの時はお墓では杖を使っていません。食後、実家にいってお茶をしましたが、まあ、何となく何もなく歩いて座敷に座り、立ち上がりを補助なしで普通にこなしてばれなかったです。このように出来たのは、「動いて当たり前、動かすようにするのは本人の意思」とばかり、生活(入院中を含む)してきたからではと思います。
 1月4日(金)、今日はいつになく左半身が寒いのです。暖房を強めるというのは右半身の温感をダメにするのではというのと、暖房で温度の高いのが不快なのです。ただ、過敏で寒く感じていても左半身側は震えていますので困ります。ファンヒーターは左側において温風を左半身に吹き付けているのに寒い。今日はしっかりと10000歩以上歩きました。いつもの百貨店の階段も、いつものコーヒー豆を売っている店のいつもの試飲もしました。
 1月5日(土)、案の定、歩行とかが減ったりしました。このようなことがあっても、週平均とかで補えているとは思います。食事とかでも毎食厳密には病人食ぐらいで平均して量とバランスが取れておればよいわけです。健康で長生きしている方が毎食厳密に食べている人ばかりではないと思いますし、厳密にしても不幸にしてということもありますから。でも、暴飲暴食や欠食などはよくないですよ。ぼちぼちですかな。と思います。
 1月6日(日)、昨日のこともあるので運動量には注意しようとしました。朝はNHKで「新ビジネス伝説 ルソンの壷」があるので間に合うように散歩から帰ったら歩数はいつもより少なかったです。ダンベル体操もしました。左腕を真上にあげるとかも意識的にしています。午後の買い物や散歩で歩数はぼちぼちになりました。スーパーの保冷ショーケースの縁の金具に触れてみたら、左手が高感度でした。いつになったら右と同じようになるのでしょうね。