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キーワード 闘病記 視床出血 脳出血 脳内出血 左半身 麻痺 リハビリ 理学療法 作業療法 言語聴覚療法  脳卒中

メール u tmame@@yahoo.co.jp    uとtの間にアンダーバー(_)を入れてください。@を一つに減らしてください。この2つのご足労をお願いします。迷惑メール対策です。2013年の闘病記(視床出血)

2012年12月31日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No21 年末ですが、平穏に過ごせました。

 12月24日(月)、尻餅痛い。前回と同じぐらいの高度からの尻餅です。さらに同じ場所で同じ感じで尻の場所も同じようなところ。筋肉が痛がっているのかな。
 12月25日(火)、冬休み期間になりました。運動不足の方になりそうです。ダンベル体操はしました。久しぶりに屋外や百貨店の階段を昇降しました。はじめ、右膝に違和感を感じましたがそのまま登っていたら普通になりました。運動は続けるものですね。ただ、負荷の大きな運動では「休息」も大切になるとか。負荷の少ない運動は「運動をしていない」に近くなります。まあ、動かないよりはよいですけどね。
 12月26日(水)、午後4時過ぎですが、近所の百貨店5階にいたとき、急に左目が痛くなりました。以前にもあったコンタクトレンズを異物として激しく感じているみたいでした。そして、左顔面の感覚神経も戻ってきたみたいな感じでした。夜には感覚神経の再学習がある程度出来たみたいでコンタクトレンズに対する感覚は穏やかになってきてくれています。今回の痛みを感じているときでもコンタクトレンズが角膜の所定の場所からずれませんでした。お尻の痛みはほぼ解消されました。
 12月27日(木)、特になし。平穏な一日でした。歩数が10000歩越えました。ところで、この歩数計、胸ポケットでは少なくカウントしていました。ズボンのポケットと上着のポケットの違いについては考察中。ただ、胸ポケットは少なくなる。
 12月28日(金)、コンタクトレンズ装着で左手の使い勝手の向上がなかなか進んでいません。うっかりダンベル体操飛ばしてしまいました。筋力維持だけなら週一回でもよいというのはあります。筋トレ全般で言えることに筋力維持を目的とした場合、毎日すると筋トレが出来なくなったら筋力低下が速いと言うことがあるというのです。週一回とかの方が低下が遅いとね。間を開けすぎると筋トレの効果がないし、連日では弊害が、まあ、どの程度の間隔がよいかは各自試してみてください。わたしゃ知らないよ。
 12月29日(土)、長距離を自分のペースとは違うペースで歩くと歩いているにも係わらず、疲れます。まあ、健常なときもそうだったかも。10000歩程度でもです。17000歩の時は展覧会の会場で疲れを感じたりしましたが、休息を取るタイミングとかを決めれたので、まあ、大した疲れとかを感じなっかったのか、今日が特に疲れていたのかどっちだろう?
 12月30日(日)、雨の日はどうしても歩数が減少します。ダンベル体操も忘れずにしました。ショッピングセンターでも階段利用しました。エレベーターを待つより気楽です。エスカレーターは今一好きになれないです。どちらもそれなりに危険性はありますね。絶対安全なんてないですよ。犬の散歩は雨でも出ます。理由はおしっことうんち。
 今年の闘病記アップはここまでです。御愛読?ありがとうございました。多くの方に助けていただき、ここまで回復することができました。妻に心配をかけ一番迷惑を掛けた上に一番助けて貰いました。ありがとうございます。

2012年12月24日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No20 県外の美術館に行ってきました。

 12月17日(月)、特になし。
 12月18日(火)、前回とは違う市にある美術館の特別展に行ってきました。実質交通費のみ。昼食代込みで1480円。入場料は障害者手帳を提示すれば付き添いも。最寄り駅から美術館までや鑑賞等で歩数は17000歩を越えました。鑑賞を立位(杖歩行)でしました。前回より空いていたのかマシでしたが、座って鑑賞したい思いがやはり出ました。簡単にいうと車イス鑑賞、大抵の施設では貸し出し用に何台か用意されています。数えてみると10台中7台はまだ貸し出されていませんでした。
 12月19日(水)、先週感じていた左目のコンタクトレンズに対する反応が穏やかになってきました。昨日の17000歩にも係わらず足は両方とも元気です。ダンベル体操もしています。ふらつくのは感覚神経の再生が終わるまで続きそうです。
 12月20日(木)、昨日、尻餅をつきましたが、本日異常なし。転けたりとかでも異常なし。ダンベル体操の効果か、麻痺したにも係わらず骨がしっかりしているみたい。でも、何ヶ月分かは弱いと思うので筋肉を使って骨芽細胞の尻を叩いて頑張らしたいです。働き者の破骨細胞を上回るようにね。
 12月21日(金)、急に左足のふらつきが酷くなりました。やはり、よく歩いたので感覚神経で復活した部分がまた出てきたのではと思います。他の部分では特にないので神経復活と見ています。それでも10000歩を越えました。使うしかないですね。
 12月22日(土)、足運びは結構スムーズ。感じとしてはある程度の速さで歩いている方が遅いや立ち止まっているより楽。だから、展覧会がつらいのもあるのかな。腕の方はなかなか進んでいません。感覚神経が多いのかな、それで再生に暇がかかっているのでしょうか。それでも、ちょびちょびよくなってきている感じもあります。
 12月23日(日)、忙しいとダンベル体操を飛ばしそうになりますが、今日も忘れずしました。「継続は力なり。継続は骨や筋肉になります。」

2012年12月17日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No19 高速バス乗車券の購入

 12月10日(月)、今年一番の寒さです。朝の散歩などでは防寒対策をしました。
 12月11日(火)、来月の旅行で利用する高速バスの乗車券を買いに行きました。ネットで調べると「ネットで購入し、乗車時に障害者手帳持参」というのと「バスチケットセンターや旅行代理店で購入のこと」の2種類が。それも同じ系列のバスで両方あったりします。どう転んでもバスチケットセンターとか旅行代理伝では売ってくれることに、でも、代理店ではJRバス以外は発券手数料525円、これなら往復400円ですみますのでバスチケットセンターに行きます。このバスも単独で乗ります。7月以来の散髪に行ってきました。左半身側の感覚が大分戻ってきていると思えましたが、頬の部分でまだまだと感じた部分もありました。左目瞼の感覚がまた戻ってきたようなのでコンタクトレンズを外すときに痛みが生じています。慣れれば感じなくなるタイプの痛みだと思っています。
 12月12日(水)、高速バスは増便があるのですがどのように決められているのかがよくわからないので不安がつきまといます。本日発売開始の1月13日の分は度胸でいきましょうかな。多くのバス会社はネット販売で乗車時に身体障害者手帳持参でよいみたいです。障害者の方こそ、乗車券を買いに外出がしにくいですからね。
 12月13日(木)、ここ何日か、寒い日が続いています。で、小便の時、寝起き一番も立ったまま用を足しています。寝起き一番の時は今までは座ってしていました。その割に着替えの時のふらつきが少しきつくなっています。開業医での物療のリハビリでのマイクロ波で標的(患部ね)が暖かくなってきているのをやっと実感できました。それと、あごの筋肉の感覚神経かな、復活した部分が増えたみたいで噛み噛みしたとき、かみ合わせがおかしくなり異様な歯ぎしりが、で、動かし続けると音はしなくなりました。前は頬をよく噛んでいました。痛い痛い。全身でこのタイプの学習の繰り返しになるのでしょうね。
 12月14日(金)、4ヶ月ぶりにリハビリ病院に行ってきました。最初に言語聴覚療法のYさんのところにいって話をしました。ひょっとしたら元に戻っているのかなとも思っていただけにリハビリの成果は残っているということなのでほっとしました。次に作業療法のSさんと話をしました。卒業後、どうなったかテストして欲しいといいましたら、「相談します。」で後日連絡するということに。理学療法のUさんはお休み、私がいたときに「何時休むのですか」と聞いたら、「休みません」といっていたのに思いました。入院当時の様子をしている方は想像がつくと思います。病棟で入院時の担当看護師さんと4回目にして会うことが出来ました。
 12月15日(土)、最近ふらつきがどう言うたらいいのか判らないのですが、多い感じがする割に歩行とかはどちらかというとしっかりしている感じもします。でも、各所で感覚神経が戻ってきているようです。その結果としての再学習でのふらつきであったり、瞼の痛みであったりするのでしょう。内部感覚も戻ってきていると思えます。
 12月16日(日)、歩行については割とすんなりと足が出ています。その割には左足が疲れやすい感じです。立ち上がり動作ですが、正座からというのをここしばらく全くしていないですね。で、横着なような立ち上がり方で苦労しています。正座か、教えて貰った方法が楽ですね。左目の感度か、目薬を注すと痛みがあります。コンタクトレンズ装着時にはない、なぜなの?
 薬害の原因の一つが医師の鈍感さにあると思います。相当昔ですが、「スモン病」ですね、「キノホルム」の連続使用による副作用でした。あの時、「効かないから量を増やした」とかで連続多量使用、効かないなら服用を中止して薬剤を変えればよいのに量を増やすというしてはならないことをしていました。そのほかにも同様の事例が、薬事行政での薬品認可の問題を抱えた薬品も発売され、「からだの科学」という雑誌に別冊ですが「薬害大国日本」という特集も組まれてたことがありました。副作用かどうかは投与したのが医師であれば、医師はどのような医薬品でも観察義務があるはずです。副作用の疑いがあれば、対処する必要も。もっとも、最近、肺がんの療法剤で薬害とかいっていますが、化学療法剤は副作用と作用とのバランスから結構副作用が強いのも多いのです。そのあたりの説明や観察は医師の責任でしょうね。
 今回、ラミシール服用開始してから口内炎が出てきたりしました。ラミシールのホームページには副作用の例として口内炎が出ていました。肝機能ばかりに注意がいって他の副作用の可能性のある現象に気がいかなかったのでようね。医薬品はそれぞれ単独で使用した場合は臨床試験の時にほとんどの副作用は出尽くしているとは思いますが、注意書きには「例外注意」的な書き方もあったりします。これは併用医薬品との関係や体質の個人差などで普通では出ないような副作用もあり得るということです。極体な一例が「特定物質に対するアレルギー」かな。薬害はネット販売される前から頻発していたのが日本の状況かな。
 エックスフォージ配合剤とラミシールとガスターの相互作用なのか、ラミシールを服用を始めてからLDLコレステロール値の上昇が始まりました。退院後もLDLを下げる作用を持つという食品を欠かさず食べ、運動もし、摂取カロリー、摂取脂肪の量と種類にも注意しても入院以前と同じような値には下がってくれないのです。
 エックスフォージ配合剤とラミシールとガスターそれぞれでは副作用にでていないので、3剤+体質かも。医師の責任範囲かな。
 LDLコレステロールですが、肝臓から各細胞に必要な物質の運搬役ですね。少ないと十分に運ばれなくなるということです。脳卒中のリスクが高くなる。ということは、脳卒中を起こした人は普通より少しは高めの方がよいのでは。脳梗塞の人は低めですかな。個人差を考えて治療する義務を医師は背負い込んでいると思います。

2012年12月10日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No18 寒くなってきました

 リハビリが延々と続く状況の闘病記になってきています。発症直後みたいな大きな変化とかが少なくなり、チマチマしたことを繰り返し記述するになってきた感じもします。日々のちょっとしたことを中心に書いていきたいです。
 12月3日(月)、一昨日、昨日と雑用とかで出来なかったダンベル体操をしてみると、以外と出来ました。間に休みの日を入れても効果はある程度まで回復したのかも。歩行の方ですが、昨日は5000歩強に激減しました。今日はなぜか歩きにくかった。歩きやすくなったり、歩きにくくなったりの繰り返しみたい。
 12月4日(火)、この頃、顔の違和感のある範囲がほお骨から耳にかけてが主になってきた感じです。眼のあたりは右目と変わらなくなったかも。唇はもう少しという期待感一杯状態。ただ、目薬の時に左腕で瞼を開ける行為の持続時間が短くなってしまいました。痺れや硬直感が強まっている感じです。前にも書いたようなら、痺れなどがあるということは脳神経系で再生がおこなわれているということになります。訪問リハで作業療法士の方が手への再生が最後までおこなわれるというようなことを言われました。まあ、その道の経験からだと思うのです。でも、キツイ。
 12月5日(水)、寒さが厳しくなってくると、左半身の温度感覚が戻ってきつつある部分がつらいですね。右より過敏になっているのです。寒いときはより寒く、暖かいものを持ったりするとより暖かくです。もっと過敏でお風呂の床が非常に冷たくてとかいう方もいるようです。それに比べると穏やかな範囲でおさまっているようです。今日はショッピングセンターから自宅まで歩いて帰りました。3000歩弱ぐらいですので休息なしでも連続できるようになったみたい。まあ、疲れがあるときは休息必要かな。花子との散歩は30分弱ぐらいで帰っています。花子は昼間庭で放し飼い状態なので散歩は仲間との交流とうんちとおしっこが目的になっています。
 12月6日(木)、朝、コンタクトレンズを装着していたとき、左手で持っていた目薬を落としてしまいました。最近は減っていた指の筋力の配分がうまくいかなかったためではと思います。ここしばらくは問題がなかったのでまた感覚神経が少し復活したところが増えたため、学習をし直していたのかもしれないです。今日の歩行の感じはまずまずの足運びでした。油断すると入院中のリハビリで教えて貰った足運びではなく、左足を左外側に振り出している感じで外回しになってしまいます。今日は特に意識をしなくてもまずまずでした。ところが、左足の硬直感とかはちときつかった。
 12月7日(金)、本日の訪問リハビリでの血圧(午前9時過ぎ)は110代/70代(どちらも半ばぐらい)でした。日に1回服用の降圧剤は朝なので、服用以前の早朝は薬剤が切れてきているので素の血圧かな。薬の血中濃度を調べて見たら4時間後くらいが最高でだらだらと3日ほどかけて排出されていました。朝、薬を飲む前や飲んで吸収されるまでに効果を期待するのなら製剤に工夫を凝らした薬が必要と思います。どうも、医師に服用時間と効果が出ている時間とかの意識が低いと思われる人がいます。プリプリ。測定も適当という感じ。ああ、血圧が上がる。夕食後、左腕の痺れが酷い。痺れがキツイというのは神経の再生がおこなわれているからとこともあるので期待したい。
 12月8日(土)、寒波が到来しました。やはり左半身が寒がっています。右半身はそれほどでもないのです。入浴の時、床タイルの温度感覚で左右同じぐらいの冷たさを感じ、お湯も同じぐらいに足の裏では感じていました。LDLコレステロールの検査値が正常範囲内ですが、思わしくない原因がわかってきたような感じです。体質と薬の飲み合わせとかの関係かな。血液さらさらを目指した食事に運動ですね。入院前には引っかかったことなし。ラミシール単独では報告なし、ガスターとか血圧の薬、それぞれ単独では報告はないでしょうね。だれとでもというわけではないと思います。急上昇の開始時期がラミシール服用開始の時期と一致するのです。
 12月9日(日)、寒波なのでセーターを重ね着にして、いつもより防寒状態で朝の散歩に出ました。犬は寒いところより暖かいところの方がよいようですが、元気ですね。昼前に焼き芋を左手に持って食べていて「熱い」と感じました。持ったときはあったか程度でしたが皮をむいているうちに掴むところが変わったので、「熱い」。まあ、ぼちぼちの戻りかな。、
 ぼちぼち、医者の変更を考えないといけないのですが、特定健診で受診したところも現在のところも問題がないわけではない。水曜日に現在のところを受診したとき、忘れていますね、心電図、漸く次回のために手書きの方のカルテにメモです。それはまあよいとして、日々の血圧の記録を見て、朝の最低が少し高いのでとか宣いましたが、夏にもっと高いときには何も言わなかったです。普通の人は冬に高くなるようですが、私はちと違う、変人? どうして、夏に何も言わなかったの?水虫も見ない。なら、これは皮膚科に行ってと言わないの? などなどです。このような原因に「卒後研修」が保証されていないということも大きいのでは。卒後研修であって専門医の研修ではないですよ。専門医は専門医で重要ですが、一般の開業医は常にいろいろな病気全体について見識を高めるということが必要だと思います。

2012年12月3日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No17 特定健診にいってきました。

 11月26日(月)、朝、雨が降っていました。犬にレインコートを着せて散歩に出て公園でなにか雨の日にしては歩きやすいと思ったら、杖を持って出るのを忘れていました。杖が絶対必要というのではなくなっていたのでこういうことになったのだと思います。役にたつときもあるのでまだまだ杖は必要とは思っています。今日はなぜか急に立ち上がろうとしてふらついたり、尻餅をついたりまだまだ安定性に欠けましたが、生まれてから一度も骨折はなし、今日も関係なし。骨を鍛えて記録更新を目指します。犬を捕まえようとして左手から床についてしまいました。感覚は幾分か戻ってきているので、感じとしては今のところ特になし。
 11月27日(火)、特定健診いってきます。ダンベル、ウオーキング、黒酢、納豆、クロスウオーカー(発症時まで、軽い圧迫でも血圧にリスク?)、その他(無塩料理もしょっちゅう)していても出るときは出るようですが、確率は低くできたと思います。しかし、私にとっては「当たり」と「外れ」のどちらかです。50%の確率、2つに1つだから。他から見たら低かったのかも。左半身に寒さが凍みる。左半身側の発熱が多くなっているような感じもするのです??。特定健診いってきました。「2〜3週間後に結果を聞きに来てください。」ということのようです。病院より医院で測定する血圧の方が少し高い?。それでも、水銀血圧計はトンネル型電子血圧計より10〜30低い感じがします。というと、トンネル型で130ぐらいの時の血圧は???。今日、近所の百貨店にリハビリをかねていって階段を下りていたときに従業員の方が声を初めてかけてくれました。「リハビリをかねて下りています。」といったら「気をつけてください。」とかいってくれました。
 11月28日(水)、朝、いつになくふらつきました。また、復活した部分があるのかな。再生される度に「学習」の繰り返しと思います。一気の再生はないのかも。夕方、花子との散歩で久しぶりに走ってみたら、今までより、安定的に少し長い距離を走れました。もう少しで小走りを卒業できるかもしれないです。目標は「ダッシュ」ができるというのと、ある程度長距離が走れるということかな。
 11月29日(木)、朝、右手中指(甲の方)つめの少し下側に小さな切り傷がありました。何時、切ったのだろう?麻痺したのは左です。朝の散歩で少し走りました。足運びが確かによくなってきています。徐々に速くしたいです。距離も伸ばしたいです。左瞼が感度アップ。感覚の復活に「一気」はないみたいです。
 11月30日(金)、朝、コンタクトレンズ装着時にちょっとしたトラブルが。左目の装着のとき、この頃は一発だったのが3回目にして漸く所定の場所に、前2回は瞼の外側にお尻が出ていました。右目は一発です。この頃は一発でしたが、左目の感覚がまた少し戻ったので異物としてコンタクトレンズを認識したのかな。それと、左目への装着時は左手の親指と人差し指で瞼を広げているのですが、角膜に触れるということがなくなってきました。訪問リハの担当者会議をしました。特にやばい話はなかったです。要介護4から要支援1に転落したことなどを話しているときにケアマネージャーさんが「驚異的な回復」とか話していました。そうだから、知らない人から見ると「症状が軽かった」と見えるのでしょう。
 12月1日(土)、午前中は特になし。ただ、防寒対策をして花子の散歩に行きました。午後も特にはないのですが、足の疲れというか硬直感がまた出ています。リハビリ、リハビリで状況はよくなると思っています。
 12月2日(日)、昨日の足の感じはよくなりました。特になしという感じです。雨が降っていましたので花子との散歩の時、右手に傘、左手にリードで出ました。公園のお山にも登りましたので、これを読まれた方の中にはドキッとされた方も。承知で杖なしで出かけました。荷物の種類の多い方が危険とも思います。
 消化管出血の出血時間は症状によって数秒・数分から数年とかあるようです。また、その時の出血の仕方で量は変わってきます。ところで、私の出血時間は夕方5時頃から翌午前2時か3時頃までで長くて10時間ぐらいまでと思われます。それで、出血はほぼ終了だったので助かったのかも。同じペースで続いていたらいくら何でも死んでいたかも。消化管出血では赤血球数がもっと減ることもあるのですが、それは造血量を少し上回るぐらいで長期(さあ月単位かな、年単位かな)にわたったときのようです。これから考えると消化管出血では「一気の出血」とも言えないこともないのです。下血でタール便続々と続いて出ました。まあ、5回から6回かな。回数はもっと多かったかも。俗にいう便は混じっていないという感じです。ほぼ血液のみの便続々なので多量出血かな。今はもしこのようなことになったら近所の総合病院に直行しますが、当時は開業医しか近所にはなかったというときです。止まらなかったら、はい、死んでました。消化管にはがんや潰瘍とかの病変は一切見られませんでした。ストレスでブチッと血管が破れたものと考えられます。今回の視床出血もストレスでブチッかな。
 もう一度、消化管出血の出血量の概算。消化管出血して入院、1週間ほどしたときの血液検査で赤血球数が約300万/1立法ミリメートルまで減っていました。通常は約500万です。私の血液量を推計すると約5リットルあったものと思われます。それが出血し、1週間で点滴等もあるので液体量だけは回復していると考えられます。すると、赤血球数の比率から3リットルぐらいに減少していたのだろうと思うわけです。長くて半日で1.5リットルから2リットル出血したと考えられるわけです。このようなことをここに記したのは医者が話を聞こうとしないからかな。だから、視床出血の時に近くの総合病院に拘ったわけです。医師の診察の第一歩は「問診」ですね。それも具体的に聞けるのならしっかりと聞くということですが、「思い込み」で聞いている医者が多いような気がします。「なら、何も言わないよ。」という気にもなります。
 この度の2月9日の頭の中のがさごそを「脳出血」とは思ったのですが、「脳梗塞」とは全く思わなかったです。それは消化管出血の前歴があったためと思います。
 介助を受ける身になって感じたことに入院中、自分でできないことへのいらだちがコンタクトレンズであったのです。これ、quality of life(QOL生活の質)が天と地ほどの違いが。歩行が出来ないとかよりこちらの方です。はっきり見えるようになるのに判って貰えない。見えない障害(外見でわからない)の一種とも言えなくはないです。歩行の方はリハビリで出来るようになればよいと思っていたのでどうってことはなかったです。実際、私の症状程度の人の中では回復が早いといわれていました。

2012年11月26日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No16 博物館に行ってきました。

 11月19日(月)、昨日からの足の硬直感はよくなってきました。歩きやすくなってます。左半身の気温への高感度は相変わらず続いています。左手の方の皮膚がかさかさに、右手はいつもの潤いが。考えられることは感覚神経の働きの違いによるとですかな。神経系再生に必要な脂肪酸は一応サプリでも補っています。左手小指をまた2回玄関扉で詰めかけました。原因は小指の位置感覚が回復しきっていないことで起こるのだと思います。歩数計電池切れしばらくアウト。
 11月20日(火)、朝、起きてすぐのトイレ行きの時のふらつきは少しよくなったみたいです。小便の時でも着座します。これが立ったまま出来るようになりたいです。小便だけで着座するのはこのときだけです。歩行時の腕の振りですが、右腕は杖を持っているのでそれなりです。左腕の振り具合が自然に近くなってきている感じがしました。ふと、腕の振りをと思って確認したらよくなっている感じがしたのです。足運びはそれほど意識していないのにまっすぐというか普通の歩行時みたいな感じです。歩数計電池交換しました。ねじ山を逆回しで壊しかけました。出血の影響?で方向を忘れていたのかな。歩数の割には腕時計のゼンマイの巻が悪かった。いつもだけど。インド料理を食べに行きました。カレーの方は美味しかったのですが、ナンの方は少し粉っぽい感じがしました。田園地帯にある別のインド料理店のナンの方が美味しかったです。
 11月21日(水)、市街地にある博物館に行ってきました。入場料は身体障害者手帳提示で済みました。交通費は半額になります。このような制度があるのは障害者も健常者も外出し、交流しようという前提だというのです。展示は今回は特別展のため、薄暗い状態だったのです。鑑賞しているとなぜか体の安定性が少し悪いのです。不安定。明るいところにでたら感じませんでした。耳の平衡感覚器が十分に戻っていないのかもしれないです。この前後の歩行とかに特に違和感はなかったです。館内だけ。やはり、視覚という感覚器からの情報は凄いのですね。転落したのも夜間だったというのは覚えています。不思議に感じること。聴覚と視覚については当初、完全に麻痺みたいになったが、意外と早く普通に近い状態に戻ったという感じ。視床を通っているが、今回の出血による影響は長引かなかったという感じです。入院当初の記憶はないのでわからない。聴覚も視覚と同様みたい。ただ、平衡感覚器の不調は未だ続いています。出血して意識不明になった期間があったのは確かなようなので・・・。歩数計復活記念なのか16000歩越えました。
 11月22日(木)、世間が冷えてきて左半身が寒い。右半身は特に寒いとかいう感じはないです。どうも感覚麻痺特有の回復期の過敏感覚だろうと思います。他の人の闘病記に「お風呂の床が異様に冷たく感じる」とかというのもありました。水道水の温感では左手の方が冷たく感じています。歩数は14000歩ぐらいまでなりました。足運びもよい方なのですが硬直感が強い。足の疲れも感じました。
 11月23日(金)、朝コンタクトレンズを装着したら、左目がまた感度よくなってきているのかしばらくの間異物感に悩まされました。しばらくで慣れてくれました。昨日、感じた足の感覚は消えていましたが、夜はどうなのだろうか?(午前8時頃)。どうも、博物館行きの影響が残っているようです。今日は祭日につき、歩数は激減です。それでも、約8000歩に近づきました。
 11月24日(土)、トイレに行く時間が早くなりすぎ、午前2時頃に行ってしまったら、いつもの目覚まし的トイレ行きがなくなり、7時頃まで寝ていました。2時間寝過ごしです。今日はラジオがつかなかった。明日は目覚ましもセットしよう。今日は母校の一つの大学の集まりにいってきました。鉄道乗り継ぎなどをしてきました。当然、付き添いなしです。某クラブの展示で話をしていたら、学科の後輩になる学生であるというのがわかりました。歩数はそんなこんなで10000歩を越えました。ダンベル体操をする時間が取れないのが残念です。
 11月25日(日)、コンタクトレンズ装着時の左手の使用感が少しよくなったみたいです。装着に必要な時間が少し短くなったようです。「少し」ばかりですが、それでも楽になったのは確かです。久しぶりにダンベル体操、まだ、やらない日があると、筋力低下する初期段階そのものの感じです。週1でもよいように鍛える予定です。再び以前のように10kgでできるように鍛えます。昨日のことは、歩数の割には疲れているようです。この程度では疲れを覚えないでよい体調にしたいです。
 視床の存在場所とかはネットで見て貰えればと思います。間脳にあるのですが、間脳は頭頂からも側頭部からも顔面からもあごの方からも一番奥にあるのです。ですから、よほどでない限り、開頭手術はしないということです。間脳とかの部分を脳幹といって生命維持の上で非常に大事な働きをしています。脳死判定の時に重要視されているのです。
 視床下部、視床の前下方にあって自律神経とホルモン分泌の中枢です。普通に視床といった場合は視床下部を含まないようですが、御近所ということです。それでなくても視床出血はやばいのに、こっちもとなるとさらにやばいわけですね。
 毎日の闘病記をホームページ10カ所、ブログ10カ所、日記1カ所、ノート1カ所の掲載や投稿は面倒なので週1回にしています。簡単な書き込みは「つぶやく」と「近況アップデート」に適時しています。

2012年11月19日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No15 穏やかなリハビリ中の感じ

 11月12日(月)、先週より久しぶりのお通じ。適度な堅さでまあ安心。下痢止めを飲んでいたら、便秘になったかも。右半身と左半身の気温の感じ方に違いがあるをはっきりと実感しています。握力用(30kg)で確認したら右手も筋力落ちてます。左手は話にならないほど落ちています。夕刻、足の硬直感が強く出た。
 11月13日(火)、昨日の足の硬直感はどこかへいったという感じ程度まで改善。歩行の足運びもよい感じです。くどいようですが、「感覚神経が復活→脳の再学習→動きが復活」の繰り返しでリハビリが進んでいるという感じです。兎に角、使ってみるしか復活への道はないようです。子どもの時の成長と同じです。顔のしびれている感じの範囲というか、違和感の範囲が今日も狭くなっている感じが。以前と比べると大幅に狭くなっています。ダンベル体操をしました。動作パターンを少しずつ増やしています。筋力が幾分か戻ってきて2kgについては大分気楽になりました。筋力とかは少ししっかりしましたが、感覚では腕の方はそう変化なしという感じですし、よくしびれています。寒さが厳しくなってきましたが、体の左半身の方が寒さが堪えますね。麻痺側の感覚が全身でも徐々に戻ってきているようです。ただ、部位別でのばらつきが大きいです。昨日午後6時過ぎ(もう暗い)、花子と散歩中、公園のお山に登って斜面を降りていたとき、くぼみに足を取られたが、杖で支えることができた。これ、普通の人でもやばかったかな。普通の時は杖なしみたいな状態で歩いていますが、役にたったということです。
 11月14日(水)、午前10時頃ダンベル体操中に2kgのが頭にゴツン。入院中に1kgがゴツンした感じとそうかわらなかったので大丈夫みたい。ただ、感覚が戻ってきている分がどう作用するかでひょっとしたらということになるかもしれないです。寒くなってきましたが、右半身は特に何ともないですが、左半身側が身にしみます。普通の時には特に寒いとも思わなかった気温なので、感覚麻痺から回復しつつあるときの再学習なのでしょう。でも、この高感度はちとつらい。頭にゴツンは午後8時現在、特に異常なしです。衣装ケース(10kg? 深さ40cmほど)の持ち上げは大仕事です。発症前は楽勝でした。持ち上げたまま歩くことも。今日は一度落としました。
 11月15日(木)、昨日のダンベルゴツンのその後は特になし。鉄の塊が頭にゴツンなので骨が脆いとやばいですが、年齢の割には、闘病しているにも係わらず、丈夫だったのですかな。あれ危ない、これ危ないと何もしないのならリハビリもクソないですからね。昨日、昼過ぎ当たりからのふらつきが結構酷かったです。今日はまた安定的に戻ってきました。左半身の冷えは相変わらずです。また、足のふらつきが出ています。感覚神経がいくつか繋がったのでしょう。それで、再学習して筋力のバランスが取れるようになるのかな。過去にも同様のケースがありました。硬直感のときもですが、繰り返し繰り返しがリハビリには必要と思っています。速効は期待していません。ところが、リハビリ関係者からみると私は早いほうらしいです。顔の違和感は上唇から頬骨の上あたりが中心になっています。また、狭くなってきた感じがします。コンタクトレンズのトラブルは3ヶ月連続でなしです。このくらいになると普通の状態の時並みかな。普通の時もトラブルあったりしましたからね。
 11月16日(金)、一昨日、昨日と続いた足のふらつきはおさまってきました。力を入れたときにはふらつきます。歩行に関する程度ではそれほどでもなくなり、今までより歩きやすくはなりました。ただ、走るということについてはまだまだです。ボール投げですが、左腕で無理なくオーバースローが出来るようになりました。投球距離はまだまだです。
 11月17日(土)、今日は雨。ダンベル体操しておきます。動作がそれぞれ日を重ねるにつれてしっかりしてきている感じです。歩行が余り出来ないときなどのため、ダンベル体操とか手軽なトレーニング法をする方がよい。歩行はわりとカッコよかったです。
 11月18日(日)、夕刻、花子との散歩の後、庭を歩いているときに右足にクギみたいなものが刺さっている感じが。靴の裏を探ってみるとクギみたいなものがあったので抜いてみたら「クギ」そのものでした。刺さったのは靴で先端が少し靴底に出ていたのです。怪我はなかったです。左足だったら救急外来に行くような事態になっていたかも。左足の硬直感が強かったです。
 前回の時、「消化管出血の・・・」とか書きましたが、その出血量の概算をしてみます。入院して1週間ほどしたときの血液検査で赤血球数が約300万/1立法ミリメートルまで減っていました。通常は約500万です。私の血液量を推計すると約5リットルあったものと思われます。それが出血し、1週間で点滴等もあるので液体量だけは回復していると考えられます。すると、赤血球数の比率から3リットルぐらいに減少していたのだろうと思うわけです。ですから、このとき一気に出血していたら、今回の脳出血はなかったと思います。このときの検査で問題になるほどではなかったのですが血液凝固が遅めだったという記憶があります。このときも三途の川でおぼれ生きしたのかな。2度あることは3度あるになって欲しいです。

2012年11月12日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No14 感覚神経が少し復活したみたい

 しばらくは日常の報告を主にします。なにかネタを仕入れたときはそのことも書きます。
 11月5日、ダンベル体操とかは昨日より出来ました。3.4kgも差し上げることが。今日の歩行も足の動きは普通に前に出ていました。麻痺とかした際に見られる「回しだし」ではなく「わりと素直にまっすぐ」という感じです。これも、できたりする日と回しになったりする日とかがあったりします。結局は脳の継続的な再学習が必要なことで起こるのでしょう。
夕刻に月1回の通院。で、先月「次の時、血抜きをします。」といっておいて、忘れてた。もう、水虫の薬のこともあるので「血抜き」して貰いました。心電図も完全に忘れてる。「来月します」と言われました。薬だけは前と同じなので忘れず処方してくれました。で、帰りに別の医院で「特定健診」の予約をしました。
帰ってきてから、左足の裏が痛くなった。前から「装具」の当たっていた部分に違和感があったのです。その部分にです。退院して、装具は即使わなくなりました。でも、使用していたときの感覚が残っているのです。何時消えてくれるのかな。
 11月6日、ダンベル体操での左腕の動きは安定的に回復している感じです。まあ、一進一退的な面もあるので明日も同程度ならよしとして継続します。「継続は力なり」。
 11月7日、朝、散歩の時、左足の動きに「回しだし」を感じたので少し意識しただけでほぼ修正できたみたいです。感覚神経がまた少し回復して感覚のアンバランスが生じても脳がすぐ学習して修正できる程度にまで回復したのかな。そうなら、いいのですが。走ってみましたが、こちらの方も以前より安定的になってきました。走っている時に左足の靴が脱げたのですが、難なく止まってはき直すことが出来ました。
ダンベル体操は昨日同様安定的です。現在の重さですと毎日することが重要なのでしょうね。筋トレは「休息」というのも重要になりますが、それは今の重量より一桁重くなったらと思います。夕刻より嘔吐、夜間に嘔吐と下痢、胃腸風邪みたいでぐったりした日でした。
 11月8日、嘔吐は止まりました。下痢は残り分がちびちび。昼には止まりました。夕刻、特定健診を予約した医院に行ってきました。まあ、ぼちぼち。処方された薬の内、2剤は飲みましたが、3剤は薬箱の肥やしになりそうです。
 11月9日(金)、昨日の寝過ぎや早寝で午前4時起き。でも、いつもは5時起きなので1時間早いだけ。昨日いけなかった花子(わんちゃん)とも朝の散歩にいってきました。「お帰りモード」へのスイッチがはいるのがなぜか遅かったです。ですから、いつもの朝の散歩の歩数より500歩ぐらいは多くなりました。今回の件での薬は1剤だけに、前からのと合わせて4剤服用しました。一昨日の歩数は6000歩以上ぐらい、昨日が2700歩ぐらい、まあ、風邪とかいっている割には歩けたと思います。今日は11000歩越えました。しかし、少しキツイ。回復力が衰えたみたい。鍛え直します。ダンベル体操再開しました。
 11月10日、昨日の影響が少し残っていますが、復調してきました。今回処方された薬の内、3剤は全く使用せずに済みそうです。抗生物質はへまに利用すると耐性菌を作るだけになりますので、飲むならすべて、飲まないなら全く飲まないのどちらかですね。顔での痺れや硬直感みたい感じの部分は耳の部分を中心にして残っていますというか、左右の中心線当たりは普通に戻ってきていて耳の方の部分に残っているという傾斜になってきている感じです。
 11月11日、朝、花子の散歩。雨のため、歩数は減少。よってダンベル体操。腕の痺れがいつもより強い。ただ、顔での違和感の範囲が狭くなってきていると断言できるような感じになっている。感覚神経の再生では腕が最も時間がかかるという話です。諦めないということが再生への道だと確信しています。
 次のようなメモをCT写真のコピーの裏面で見つけました。2月11日(土) 15:20  ヨーグルト(125ml)ストローで飲む
                                            ジョア            〃
                                     16:00  いちごヨーグルト 1カップ      のみです。転落はこの後(何時間後かとかは記憶にありません)だったような気もします。
 訪問リハで聞いた話。床ずれ(褥瘡)は有名ですね。前にも書きました「起きましょう」というのを何も考えずにすると椅子でも同様のことが起こることがあるというのです。体にあった椅子で時々座る姿勢というかお尻の椅子との接触部分を変えるとかの必要のようです。第一は体にあった車イスや椅子です。私の場合は体格的に標準品で適合したみたいですし、同一姿勢が長時間になるとよくないことを知っているので、麻痺していない側の足や腕を使って時々、座る位置や姿勢を変えるようにはしていました。トイレに行って用を足すというのもよかったです。リハビリやシャワーとかお風呂とかに行くと姿勢や座るときのお尻の位置が変わりますから褥瘡の予防に効果があると思います。
 また、発症時のことになりますが、出血後(脳に異変)、麻痺を感じ始めたのは数十秒程度。歩行も。数分後には左腕の麻痺確認。10〜15分後程度で一旦意識を失ったようです。これで、自損事故。その後、病院到着直前まで意識があったりなかったりです。救急車がどのあたりを走行しているのかが気になっていました。せめて、病院到着までと思っていたのですが、先に意識不明、で、時々意識が戻るので「コンタクトレンズはずして」とか言えたのです。典型的な視床出血症状のようです。出血量ですが、概算も教えて貰っていないので、よくわからないです。10mlで死亡率に大きな差が、ということで10ml以下だったみたいですが、入院時の状況等からは自立生活復帰割合は低い症例みたいだったと「視床出血の予後について  ー入院時の意識レベルとCT所見の立場からー」(脳卒中13:99−106,1991)という文献から推定しました。消化管出血の100分の1以下の出血量だと思います。納豆や黒酢など血液さらさら対策をしていなかったら出血量はもっと少なかったのかもしれないです。
 冗談話をひとつ。入院して2日目当たりでベッドから転落しましたが、その後の方が意識がはっきりしているのです。これはひょっとして転落事故の時、時を同じくして私の魂が三途の川で渡し船から転落しておぼれ生きしたのではと空想したりしてます。左半身麻痺だから泳ぎは出来ません、当然おぼれ生きしますから。閻魔の庁に向かっていたのが戻ってこれたので、意識がはっきりとしてきたのかな。渡し船の鬼の船頭、後で「始末書」を書かされていたりして。残念ながら臨死体験といわれるような記憶はないです。桂米朝「地獄八景亡者の戯れ」の聴き過ぎの愛好家かな。

2012年11月5日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No13 骨を丈夫に

 10月29日、ダンベル、3.4kg、まだ、動作の種類も少ないですが徐々に安定してきています。目標、1動作10回を目指します。出来たら、増量ですかな。最終目標は発症前と同様にダンベル体操が出来ること。リハビリ病院の目標にはなかったです。
 10月30日、コンタクトレンズ装着に対しては一進一退の感じを受けながら徐々に前進しています。左手の指の感覚と左目瞼の感覚が少々戻ってきているみたいです。発症直後に比べたら格段の違いと感じています。左手にコンタクトレンズを持たせてもまだ存在すら感じていないです。左手のリハビリでの目標達成は何時になるのでしょう。でも、使わなかったら、使えないままになるので諦めるわけにはいかないです。運動量確保のため、回り道とかも始めました。
 10月31日、今日は朝からなにか調子が悪かった。夕方の散歩では足の硬直感が強くなっていた。また、感覚神経がさらに少し復活したみたい。左側の温度感覚も全身的に少し回復したみたいなのですが、感度が右側より少し高いみたいです。感覚の学習のし直し中かな。今日も11000歩越えました。
 11月1日、昨日、左目でコンタクトレンズに結構強い違和感が出たのですが、朝、コンタクトレンズを装着するときに少しずれたのです。昨日のことは感覚が戻ってきたことによるみたいで、眼の筋肉で所定の場所に落ち着いてくれました。感覚神経回復の時にすんなりとはいかないことが多いみたいです。そして、再学習してからが本当の回復ですかな。足の感じもよくなっていますが、よく観察しないとわからないかも。
 11月2日、特に進展はなかった。リハビリは時間がかかりますから、毎日進展が感じられるというのは?かな。
 11月3日、入院中、起こらなかったが恐れられていたこと、「転倒」がありました。大抵、多くの患者さんは骨もボロボロになりますので「転倒」→「骨折」→「寝たきり」に繋がりやすいからですね。また、麻痺側での骨折等は痛みを感じない、感じにくいので骨折等がわかりにくいということもあります。で、転けました。麻痺していない側の方の衝撃の方が強かったです。でも、筋トレなどや早期のリハビリ、歩行等の再開などで骨がそれほど痛んでいなかったみたいです。この前の小指の時も異常なしでした。やはり、筋肉を使うということが重要なのでしょうね。階段昇降は足の筋肉を歩行以上に使うので骨を鍛えるのによかったのかも。
 11月4日、昨日の転倒に関しては異常なし。手足の硬直感が強い。体操とかしてほぐすようにはしています。動きはぼちぼち、歩行は久しぶりに感じよく、ということは感覚神経の再学習かな。2kgのダンベルを今日は差し上げることが出来なかった。昨日は出来た。一進一退ですかな。

2012年10月29日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No12 リハビリとは成長の繰り返し

 3月にリハビリ病院に転院して、ST(言語聴覚療法)のリハビリが始まりました。「深呼吸をしましょう」といわれて、出来ないのです。どのように深呼吸をしていたかを忘れてしまっていました。視床出血なので運動神経は損傷を受けていないはずなのにです。歩行でも忘れているのですね。ですから、「繰り返し」基本の練習になります。筋肉の収縮(運動)は運動神経と感覚神経とがセットになって意味のある運動が出来るのですね。
 乳幼児期には我々は何度も何度も試行しながら動作が出来るようになるのです。それをこの頃の親の中には忘れて「すぐ出来る」とかの不届きなことに取り憑かれているのが結構いるみたいです。リハビリも乳幼児期の成長もはじめは出来なくて当たり前、それを徐々に出来るようにしていくという点でも同じです。あくまでも「徐々に」です。
 10月22日、某百貨店の階段で1階から4階まで1段飛ばしで登ってきました。まあ、ゆっくりですけど、徐々にならしていきたいです。腹筋やダンベル体操は徐々にですから、先週と余り変わりなしです。
顔の痺れの範囲が少し狭くなったみたい。
 10月23日、走りですが、感じとしては大分よくなってきたみたいです。それでも、左足のぎこちなさはあります。これも、毎日繰り返し少しずつ走るということをするしかないようです。朝コンタクトレンズ装着の時、左手の使用感(左目の瞼を開ける)というのが楽になっていました。この感じが続くことを期待しています。今、キーボードを叩くに両手とも「人差し指」に変えてみました。最近は「中指」しか使っていなかったのが不思議です。普通は「人差し指」だよね。ダンベル体操はいつもと同じ程度しました。
 10月24日、花子との散歩でいつもより楽にというか何となく「走っている」という実感が持てるような走りに近づいていました。これも毎日練習している賜ですかな。ただ、左足など左半身側の感覚はまだまだという感じがしています。もっとリハビリに励む必要があるということです。感覚が戻りつつあるのは確かですのであきらめずに続けることです。無理をすると以前より簡単に問題が起こりそうな感じがしています。問題が起これば、この最悪時より悪くなってしまう可能性があるので注意しています。
 10月25日、いつもと同じように花子との散歩、ショッピングセンターへは2往復、階段は普通に1階から5階まで往復など、そして、うろちょろ。歩数は久しぶりに10000歩をはっきりと越えました。この頃は9000歩前後が多かったです。
 10月26日、27日いつものような感じで生活して特に書き記すことはないです。強いていえば、妻との外出では歩数が減少します。階段はほとんど使わないことになったりします。
 10月28日、雨のため歩数減少。痺れは相変わらずで久しぶりに睡眠に影響が出たみたいです。コンタクト装着はいつもより順調でした。
 競技としての運動と体力を維持し少しは向上させるための運動の違いと同じところについての思うこと。
 どちらも全身の筋肉を出来るだけ万遍なく使ってというところは必要でしょう。ボルト選手、上半身も立派な筋肉ですね。あれは走行中上半身を安定させるために鍛えたのでしょう。普通の人は、普通に起きているとか歩行中に上半身が安定していないと寝たきりになってしまいますね。でも、起きているということで鍛える程度でも役にたつようです。ボルト選手は筋トレしたのでしょうね。目的の違いかな。
 さらに筋力の限界とか目指すのではないときには自ずと運動の範囲が制限されることになるのでは。また、以前、日本では下半身を鍛えると称して「うさぎ跳び」をさせていましたね。これ、筋肉や関節を痛めるだけとして、漸く弊害のあることが浸透してきました。いろいろな運動でもさらに強度の強い方が常に有効とはならないのです。その人の状況によって変わってきます。しかし、「普通に歩行できるように目指す」とかいうのはリハビリでは当然、目標に出来ます。「100mを10秒で走る」はほとんどの人のリハビリ目標にはならないです。実際、私のPTでの目標は表向き「犬の散歩が出来る」で犬と一緒に「ドッグラン」は入っていないです。本音にも「走る」は入っていないです。リハビリの範疇ではなくなるのでしょう。
 ところで、階段歩行ですが、今までの研究によれば、「1段飛ばし」まではそれなりに日常生活での有用性がいわれています。ところが、私が今までに調べたり読んだりしたものに「2段飛ばし」はなかったです。足の使い方が「うさぎ跳び」に近くなっていくような感じなので弊害があるので普通は取り上げられないのかもしれないです。普通の階段昇降はその有用性は十分にあります。「1段飛ばし」は普通の昇降と違う筋肉の使い方になるというのです。普通のと併用ですね。そのほか、後ろ向きの昇降もその有用性はいわれていますが、普通はしませんね。

2012年10月22日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No11 毎日やっています。

 前回、左手を出来るだけ使うと書きましたが、パソコンのマウスは右手で使っています。これは発症前も右手でした。発症前キーボードは右手中指打ち、お箸は当然右手のみだった。だから、気をつけないと「左手を使わない」になってしまいかねません。
 階段ですが、10月16日、遂に1段飛ばしに挑戦しました。難なく成功です。但し、連続ではしていないです。普通の昇降での安定度は一時少し悪くなったのですが、最近は入院当時より安定してきています。全体的にはリハビリ効果が出ているようです。病院は運動をする人にとっては結構しやすいところです。広い(長い廊下)し、階段にも手すりがあり、疲れたらエレベーターで戻れます。どこの病院でもとはいかないです。手すりのない病院もありました。その点、リハビリ病院は大抵広く運動しやすいのではと思います。まあ、階段も出来るだけ毎日毎日登り降りする方がいいですね。何日か間を開けると、その分だけ逆戻りしている感じがします。これは、歩行とかいろいろなことでも同様ではと思います。
 10月17日、階段の1段飛ばし、やってきました。14段のところで一気に上れました。まあ、ゆっくりですが。発症前から降りるときは1段ずつにしています。この方が安全で速いですから。降りるとき、踏み外すと転落事故の危険があるので1段ずつ確実にです。とにかく、筋肉を収縮させましよう。そして、筋肉を伸ばしましょう。関節を動かしましょう。力を込めた運動をしましょう。脳を活性化させるためには毎日起き上がり、歩き、ものを持ったりとか筋肉を使いましょう。
 10月17日に3.4kgのダンベルを左で、5kgを右で数回やってみました。左は見ていないと頭の方によってきていました。衝突はしていません。徐々に回数を増やして楽に出来るようにしたいです。ランニングも400歩より少し多いぐらいをやってみました。こちらは以前より大分安定してきている感じです。近い将来、「全力疾走」ができる程度に復活目指します。つま先立ちをしてしまいました。まあ、ぼちぼち出来ました。
 10月18日も3.4kgのダンベルを左で、5kgを右で数回やってみました。左は前日同様、「ローマは一日にしてならず」と言う結果。腹筋は大分発症前に近づいてきたのが実感としてわかります。「継続は力なり」かな。1週間ほど前から再開して毎日していました。過去の遺産(発症前)も役にたっているようです。ランニングも昨日よりしっかりしてきました。階段の1段飛ばし今日もしました。ただ、足の感じがよくないなあと思っていたら、効果覿面、昨日よりふらつきましたが、挑戦を重ねるにつれて安定してきました。どうも、足の感覚神経がさらに一部再生して、その情報も含めた情報で再学習していみたいです。昼食時にサプリを食べたせいなのでしょうか。効きが速すぎるような感じです。
 10月19日、朝着替えは完全に立ったままでしました。靴下穿きもです。犬の散歩で昨日より速めに長めに走ってやったら気分がよかったみたいです。即帰ろうとすることはなかったです。走るのも毎日少しずつ練習しています。だから、走れるようになったのでしょう。注意していたつもりが、玄関の引き戸で左手小指を詰めてしまいました。すぐに外科にてレントゲン撮影をして貰った結果、骨には異常なしでした。麻痺した方ですから、異常を感知できないときもあるというので念のため診察ということに相成りました。入院中に風呂で床にゆっくりと寝転がってしまったときとは衝撃が違いました。鋭かった。
 10月20日、昨日の傷口をみると、薄い皮膜みたいなのが出来ているようです。痛みは感じないです。(笑)ダンベル体操で動作の種類をぼちぼち増やしています。腕の痺れは相変わらずあります。
 運動をしないと高齢者の筋肉はヨボヨボに、骨はボロボロに、感覚器はヨタヨタに退化してしまいます。そして脳が活性化されないので認知症にもかな。防ぐのは「一に運動、二に運動、三に脂肪酸を含む栄養、四に知的刺激と脂肪酸を含む栄養、五に運動」と考えます。知的刺激では、文武両道、入力と出力の両方が必要な行動を伴う刺激かな。知的刺激が二だったりして。ここでいう「文」とは俗にいう「勉強」、「武」とは「文」で学んだことの出力。昔の学問は「兵法」が主だったですかな。両方ないと負けますから「両道」。部活動と勉強の両方という意味ではないのでは。すべての学問は「出力」がないと意味がないですよ。「出力」だけでは、なんで行動しているの?になりますよ。徘徊とかね。
 人類誕生で脳の発達についていろいろ言われています。直立したからだとか(だから、起き上がりましょう。)、両手が自由に使えるようになったからだとか(だから、手で作業をしましょう。)。この二つともからだを動かそう、筋肉を使おう、そうすると、脳が活性化するよと言っているようなものですね。さらに動物の特徴は「動く物」、だから、リハビリも介護も「一に運動、二に運動、三に脂肪酸を含む栄養、四に知的刺激と脂肪酸を含む栄養、五に運動、」かな。リハビリは脂肪酸に特に注意。あ、これ介護でもですね。
 痺れですが、腕に痺れが一番強く出ています。足はそれほどでもなくなってきました。顔の方もです。やはり、感覚神経は腕には沢山あり、顔より遠いので再生に長くかかっているのでしょうか。

2012年10月16日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No10 リハビリ進捗具合

 10月15日に2kgのダンベルを作ろうと思って10kgのを引っ張り出して箱をよくよく見たら、シャフト0.6kgで止め金具0.3kg2個、プレートが1枚1.1kgで普通は2枚一組かな。プレート8枚つけて10kgです。最低では1.2kg(プレートなし)で次は3.4kg(プレート2枚)かな。2.3kgはプレート1枚なのでバランスが悪くなります。筋トレを少しずつ再開したいと思います。足は歩行や階段昇降でも鍛えられますが、足以外の部分や足でも歩行とかのときには余り使わない筋肉もあるのでと思います。
 10月15日現在で顔で違和感のある範囲が前より少し狭くなったようです。また、コンタクトレンズの装着具合から感じる感覚もよくなってきています。ここ2ヶ月はコンタクトレンズでのトラブルなしです。左手と右手の温度感覚のズレ(どちらかというと左手の方が過敏?かも)の解消には相当時間がかかりそうです。リハビリは脳での再生による部分も大きいのですが、その部分を担当するようになった神経細胞を鍛えることでリハビリが進むと考えられるのです。すると、いろいろ体験させたり繰り返し鍛えたりする必要があると思います。子どもの学習と同じことかも。「大事に」と使わない、あるいは介護者がしてしまって自分でさせないというのはリハビリを遅らせることに、あるいは障害の固定化を意味するのかもしれないです。左手で作業させると右手の何倍も時間がかかったりします。でも、出来るだけ作業をさせるようにしています。ただ、利き手が右なもので、もともと左手は不器用だったというハンディがありますが。「痺れ」の範囲は少し狭くなった感じもしますがまだまだしっかりと続いています。
 着替えですが、靴下を穿くとき以外は立ったまま支えなしで出来るようになりました。靴下も左足の時は立ったままでも出来るときがあります。これもやってみてわかることです。試してみるということが必要です。
 小走りも時々やっています。もう、少しで走れるようになりたいです。
 訪問リハビリで左の上腕の筋肉の感覚がある程度戻っているようだと言われました。ただ、前腕のほうは上腕に比べて戻りが遅いとね。眼を閉じた状態でどのような曲げ方とかを答えたり、左右の手を合わせたりする動作で判断しています。これも繰り返しするほかないのでは。
 平衡感覚ですが、ふらつきがあるといえば「ある」です。でも、以前ほどではなく、朝(午前5時頃)起きたらすぐにトイレに歩いて行きます。あるといえばということなどでそれなりにふらついてますが、歩行とかに支障を来すほどではなくなりました。入院中はベッド上で10分ほどからだを起こしてから歩いていたのに比べると著しい改善だと思っています。入院中も日中は車いすか椅子に座っていてベッドには寝ていないです。
 10月15日にmixiで見つけた産経新聞配信の記事『消えた吸引器…個々に合った「車椅子」で介護の質が変わる』というのがありました。読んでみると人間起きている時間帯にはからだを直立させることの大切さが書かれていました。私は知らずに実践していたことになるようです。脳を活動させるには骨格筋からの刺激が必要というのです。「朝からあくび」には運動不足という場合もあるということです。脳が元気に活動していてこそ「意欲」が出てくるのでは。そのためには座りやすい車イス、自分で移動させやすい車イスというのが必要なのでは。実際、病院の車イスは長時間座るものではないですね。でも、私は座っていました。寝ているより脳は働いていたと思います。まず、「リハビリの第一歩は上半身の直立から」ではとも思いました。出来るだけ自然な状態でからだを起こしていることの出来る車イスやベッドや椅子テーブルを。私の経験ではベッドで起きているより座りにくい車イスでも車イスの方がよかったです。

2012年10月8日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No9 高次脳機能検査の雑感

 先日、救急で受け入れてくれた病院に行ってきました。入院時お世話になった看護師さんが「あ、歩いている。」と驚かれていました。看護師さんにとって滅多にない退院後の訪問であったようです。なにせ、死亡率も高く、寝たきりや認知症にもなりやすいという視床出血の患者、麻痺が酷くてベッドから転落した患者が付き添いもなしに歩いてきたということがひょっとしたら珍しいのかも。半年も経っていない時期にです。
 ここまで回復できたのは「ちょっとやり過ぎ」程度で「ここまでできるようになった。」とか確認できたのが楽しかったからですね。ちょっと出っ張らないと違いはわかりにくいかも。それと、前回書いた中にあったように、リハビリ状況というか麻痺の状況を客観的に観察するようにすることがとか思います。「・・が出来るようになった。」と実感できるのがリハビリでは大切なのでは。それも患者自身の努力によってです。
 リハビリの中に私らみたいな疾患では「高次脳機能検査」というのがありました。大抵の患者さんは「しんどい、2度としたくない。」とか言っていました。結構多岐にわたる検査でした。記憶に始まって立体空間認識とか認知力とか等々です。日頃、いろいろ興味を持って多方面に頭を使っているとそれほどでもないと思いますが・・・。検査項目の目的は検査の段階である程度推測できましたので・・・。ただこの検査で「3〜5桁の数字を聞いて逆順で答える。」というのがあって「ずる」を考えているうちに終了。次回はなし(涙)。「ずる」とは手と足の指に覚えさせると記憶が消えないのですが、どう割り当てるか考えているうちに終わりということです。大抵の患者さんは素直に覚えて答える努力をしたのでしょうね。そりゃ疲れますわ。この検査も遊び心で受けている分には楽しいですよ。どうも、「真剣に」とかで精神的に「余裕なし」とかいうのが嫌いでした。状況をその時々に考えれば「楽しみ」とかはあるか、他のことをする余裕がでてくると思います。ただ、こっちの方ばかりになると本命の方がメチャクチャになりますよ。それと、「受け身」だけの娯楽というのはよくないかも。
 リハビリと虐待とは全く別物なのですが、患者に「元通りになりたい」とかの希望がなければ、単につらい時間になってしまうのがリハビリでしょう。STでちょっと冗談で「いじめている」といったことが。一例ですが、私は「ぞ」と「ど」と「ろ」の発音は気を入れてしないとメチャクチャになっていたのです。STの発音リハビリのなかに「ロードローラー」なる単語がありました。私をいじめているみたいな単語です。その時に冗談で「いじめてる」とね(笑)。おかげで楽に発音できるようになりました。まあ、これ以外にも沢山発音のしにくい組み合わせをよく考えたものですね。よくなっているはずですが、STのリハビリがなくなって元に戻っているかもという気もします。これが「リハビリは続けるものだ」という根拠の一つに。
 闘病中(現在も含まれているはず)結構早い時期からネットが出来るようになっていたのですが、「闘病記」というよな感じで記録を残そうと思ったのは9月になってからでした。mixiのつぶやきには近況報告みたいなのを書いていましたが。次回は出来るだけ早くから「闘病記」を記録していきたいです。(笑)

2012年9月29日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No8 血圧の測定について

 視床出血、脳出血、脳卒中、脳梗塞などの医学的なことについては他を検索していただければと思います。ここは、私自身、一人の患者をある程度、客観的に時には主観的に見て記述しています。参考になる点があれば幸いです。今回は漏れる以前の状態について記述したいと思います。
 この2月に視床出血したわけですが、例年は12月に胃カメラ検査をして貰っていました。ところが、直前の昨年12月のは今年の4月にでもと思い飛ばしてしまいました。例年は検査日の前に2ヶ月ほど血圧測定をしていました(ぼちぼち正常)が、やらなかったのです。一応「白衣性高血圧」みたいなので。ですから、直前の血圧状況は???です。その前年とかそれ以前の血圧はある程度わかりますが。相当前の血圧測定でトンネル型電子血圧計で170ほどたたき出したので呼ばれて医師が直接水銀の血圧計で測定して「まあまあかな」と様子監視の処分になりました。それで、血圧測定を始めたのです。でも、直前はしていなかった。だから、血圧が普通でも出血していたかもですが、高血圧の対策をしていたら出血はなかったかもといわれました。
 ただ、電子血圧計にしろ、水銀血圧計にしろ測定現場での測定方法(大抵は姿勢)がええかげんな場合が多いですね。測定姿勢で血圧は結構変わります。測定を続けておこなうだけでも面白いデータが得られるとか。1回目と2回目で2回目の方が高い人が高血圧になると下がりにくいとかがあると某大学(経済などで有名な国立大学)医学部で聞いたことがあります。手首式とか上腕式とかがありますが、正しい姿勢で測定するのが大切なのでは。入院中に同室の方が上腕式で毎朝自分で測定されていました。そして、テーブルを変えたら(高さが少し変わった。)血圧が10ほど変わったといっていました。血圧測定はデリケートなのにプリプリ。ああ、血圧が上がる(笑)。
 以前の病歴などから、ここ10年ほどは「体のどこかで血が漏れるのでは」という意識はありました。ただ、脳でそして視床で漏れたのは想定外だった。最近も右腕で出血跡が。麻痺したのは左側です。いつ出血したのだろう???
 exciteのブログ http://paralyzed.exblog.jp/page/2/ に書かれていたこと。「思い込んじゃって」がその日の題です。他の日の分がありますのでスクロールして読んでみてください。リハビリのヒントが他にもあります。

     思い込んじゃって

  自分を よく観察してやることです。

  些細な変化も見逃さないようにする…

  そうすると、案外「前に進んでいる」ものです。

  人差し指の「掌」側だけでも何百のグリッドがあって
  そのうちの2?3の感覚が戻っているのかもしれない…

  怪しいと思ったら確認してみて
  「ああ、やっぱり戻ってる」なんて
  そういうことが重なって、やがては「面的な変化」に繋がる。

  それなのに「変化しないや」って
  ロクに確認もしないで、思い込んじゃって
  リハビリ止めちゃうから

  症状もかたまっちゃうんじゃないでしょうかね。

 というのがありました。そうだと思います。そして、他の人が回復していたら「あの人は症状が軽かった」と決めつけてリハビリのつらさのいいわけにしている。わたしは他の人のリハビリの状態を考えたことはないです。自分自身のリハビリを如何によくして機能回復に繋げるかは考えましたが。
 まあ、症状をしゃべってくれる人が細かく話してくれたときは見当はつきましたし、「この人、リハビリ遅れちゃっているのでは」と思った患者さんもいました。ただ、リハビリは「自分は自分」と楽しく取り組みました。
 車いすを使っていた頃、4月だったと思います。車いすに乗ったまま一人でエレベーターを利用してもよいとの判断が出されました。ようは事故防止の観点から車いすの操作およびエレベーターの操作が安全にできると判断されたということです。で、1階に一人で降りて、探索が始まりました。そして、「散歩」もです。その時の楽しみの一つに「暴走」というのがありました。どのようにするかというと、足ブレーキを使わないでよさそうなところで「加速」し、あとは惰性で走行ですね。これは病室のあるところでは危険で出来ません。足ブレーキで急停車できる速さにしておく必要があったからです。それでも「暴走族」ですからね。他の患者さんが遅いということか。その時わかったこと。病院で使っていた車いすは左にカーブしながら走行しているということが。そして、この散歩とかで出血後、初めて一人で外気に触れることが出来るようになったのです。やはり、外はいいですね。5月になって杖歩行でもエレベーター可になりました。探索の範囲が広がり、歩数も多くなってきました。1日10000歩達成。そして、階段可で常に1日10000歩達成。1日15000歩もちょくちょく出しました。朝6時頃の散歩、当然階段昇降です。朝食後の散歩、リハビリには階段、間食の買い出しにも階段。夕方の散歩とかですね。手のリハビリの方はコンタクトレンズのことがあるのでそれなりに取り組んでいました。普通の患者さんは「外泊」の方が運動するというのですが、私は歩数激減です。病院は広いですから歩数を稼ぎやすかったです。
 どこまで回復できるかに挑戦中ということかな。完全麻痺状態から考えると「劇的」らしいのですが、まだまだ回復の余地はあります。そこを小さくしていくためにリハビリは続けます。リハビリを止めると逆戻りということもあるのではと思います。

2012年9月25日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No7 痺れの解釈 その2

 脳で出血等で失われた機能を回復しようとすると、周りの細胞の活動が活発になって、それが「痺れ」としてあらわれるとhttp://okwave.jp/qa/q4363497.htmlで回答されている方が書かれています。神経細胞は死んでもグリア細胞など周辺細胞は生き残っていたり、分裂して増えたりするのでは。また、何年か前の日経サイエンスにグリア細胞が神経細胞のような働きもしているというような論文が出ていました。http://okwave.jp/qa/q4363497.htmlで答えられていることが十分考えられるわけですね。そうすると「痺れ」がおさまったというのは脳での再生が終わったという可能性が出てきます。また、「痺れ」がはじめからないというのは脳の再生がおこなわれていない???ということも可能性として考えらられるわけです。私の経験では「痺れ」をより強く感じたのは背の青い魚を食べたとき、そしてサプリメントを取り始めてからと思います。ただ、筋肉の硬直感が時々起こるのです。脳の再生では脳の再学習がおこなわれて使いものになると思うのです。硬直感だけですから、その直前と同様に動きます。ですから、硬直感が出ても動かします。ひょっとしたら、患者の中にはこのような感じでも騒ぐのがいるのかな。それで、ω3系の必須脂肪酸を少なくしているのなら本末転倒ですが。
 あるサイトで「見えない障がい」について読んでいたら「わたしのフクシ。」(http://watashinofukushi.com/)というサイトがあるのに気がつきました。そこでは「見えない障がいバッジ」というのを販売というか頒布されています。わたしですが、リハビリ病院の退院間近の頃より「杖」をよく使っています。ある意味「障がいを見えるように」という意味合いでもあるのです。感覚障害というのは見た目にはわからないと思います。「痺れ」があるというのも。歩行などから見かけ上はわかりにくい程度に回復しましたが、障がいは残っています。上肢は作業させればもろ出てきます。右手と左手の格差は大きいです。ただ、体操みたいなのでは差を感じてもらうことは少ないです。体操では下肢の方が障がいの程度が出やすいです。単に立っているとか座っているときは他の人にはわからないでしょうね。それで、「杖」です。そうすると、障害の種類によっては見た目ではわからないのが結構あるのです。普通の人にはなかなかというか場合によっては「まったく」判って貰えないことになります。それで作られたのが「見えない障害バッジ」です。わたしの場合は下肢にも障害があるので「杖」を使うことで目印にしています。「杖」があると未だにふらつき(感覚障害なので)が出たときなどにつかえますので助かっています。
 筋肉等の動きはリハビリで改善されますが、バランス感覚は「脳の再生」でしかリハビリが出来ないのではと思います。そして、ふらつきながらでも「立つ」「歩く」「階段を登る」「階段を下る」などで学習させるしかないのでは。普通の人のこのバランス感覚(内耳にある前庭での平衡感覚)の強化法は「裸足で土のところを歩く」のが一番と聞いたことがあります。ここでも、実際に体を動かしてがリハビリの基本みたいに感じています。

2012年9月20日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No6 救急車で病院に到着したときの状態

 もともと脳に脂質は結構あると思っていたのですが、ネットで調べていると「脂質50%」などというのに出くわしました。結構、まじめな感じのサイトで信頼性は高いと思います。高くなる原因は「樹状突起」や「神経線維」が沢山あるからだと思います。前にも書いたようにこれらは細胞膜の塊。細胞膜の主成分は「脂質」。脂質が多くて当たり前か。そうすると、リハビリにはω3系(リノレン酸やDHAやEPAなど)の必須脂肪酸をかな。ω6系(リノール酸など)は大量に出回っているし(マーガリンやそこら中の食用油の多く)、飽和脂肪酸は体内で大量生産出来るからね。
 話は2月9日に戻りますが、救急車から病院、病院に私のカルテがあるので、そこの電話番号で妻に連絡が入って救急車到着前に病院に行っていたというのです。私の方は「意識不明」になっていたということかな。時々、意識が戻るときがありました。コンタクトレンズを外して欲しいと頼んだのは覚えています。ここでお願い。コンタクトレンズの外し方を看護師さんに教えておいて欲しかった。非常に簡単に外せるのですが、やり方を間違えると角膜障害が起こりかねません。「目薬を滴下して浮かす」のと「まぶたの活用」などで簡単なので練習を看護学校かどこかで1回お願いします。それで十分だと思います。
 意識がない期間はそう長くではないと思いますが、転落事故が2日目か3日目はわからないです。やはり、視床出血の典型的な症状になっていました。高次脳機能検査では特になにもないのでが、しっかり視床に出血していたということかなと思います。左半身完全麻痺といってよい状態だったし。
 No1〜5に誤記がところどころありますので笑いながら読んでいただければ思います。重要な点への誤解が生じない程度だと思っています。済みませんがよろしくお願いします。

2012年9月15日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No5 痺れの解釈

 左腕の痺れは相変わらずですが、7月上旬頃より少しは楽になった感じがします。この痺れも脳出血の結果、神経細胞がやられてその代償機能を周りの細胞がしようとして起こるようですね。ネットでは脳出血後1年半ぐらいまでは酷くなっていく場合が多いとか。「繰り返して言いますが、後遺症ではなく、脳は自分を直そうとするための反応だからです。」とhttp://okwave.jp/qa/q4363497.htmlで質問に答えられている方が書かれていました。そうかなと思います。兎に角、何か作業をさせているとそれほど痺れを感じないときもあります。麻痺からの回復には「運動する」というか何か作業などをし続けるのも方法かなと思って腕や手を動かしています。1歳8ヶ月の雌の柴犬と戯れるというのもしています。なでるというのも多いのですが、家族が仕事に行った後の駐車場で簡単な追いかけっこなどもするようにしています。これは「走る」ための練習にもなります。犬は適度に相手していてくれているようです。別段訓練はしていない犬です。
 リハビリ病院で「痛い、死にたい」とか叫んでいた患者さんがいましたが、今となって考えると「視床痛」だったのかも。もしそうなら、関係者がメンタルヘルスするべきですよ。していたのかもしれないでが???です。しているなら私に「動くようになるのですか」と聞くような患者さんはでないのでは。メンタルヘルスが出来ていないところは病院に限らず多いですからね。でも、多くの患者さんは私みたいに「リハビリで復活するぞ」と思って病院に向かったわけではないです。前向きにさせるのも病院の役目かも。入院当初、症状が落ち着いた頃に担当医は家族に「一生車いす生活の可能性もある。」といったといいます。これをいっておかないと訴えられる可能性があるので仕方がないでしょう。でも、この一言があっても私は「復活するぞ」でしたが、大抵は「動くようになるのでしょうか」などの方になってしまいます。入院当初に私が引き起こしたベッド転落事故ももし頸椎損傷とかなら「病院の管理責任」が問われているでしょう。どうしても最悪の場合で対応しないといけないことになりますが、病気治療でもリハビリでも患者のモチベーションを下げることになります。私は入院する毎に回復への意欲は強くなったように思います。
 最初の入院の時は「消化管出血」で、出血が止まってからですので特に意欲についての記憶はないです。ただ、このときの出血中は「死」が頭をよぎりました。後の検査結果から推計してみると、ほんの2〜3リットルの出血だったようです。「一気」の大量ではなかったので死ななかったということかな。私はお酒は飲まないので関係ないですが、お酒の一気飲みはダメですよ。次の肝腫瘍は不安が少しかな。まあ、良性でしたし肝臓なので特にはないですが、入院中の散歩を始めたのはこのときでした。階段の利用もです。退院後思ったのは「もっと体を動かしておけばよかった。」です。この後、ダンベル体操などを始めました。次が肺がん。喫煙歴なしです。綺麗な肺でした。入院した日から病棟9階から2階とかに階段で往復です。「死」とかは思わなかったですね。「治るのだ」。このときに転移があるかどうかで脳のCTを撮り、血管が鬱陶しいので「脳血管造影」でこちらは異常なしですが、CTすれば写りますよということです。手術後もうろうろ出来るようになった日から用もないのにうろうろ。そして、手ぶらになった日からは階段復活です。この3日目かに主治医と9階階段扉を開けたところでばったり、「まだ早い」のお言葉を頂戴しました。妻にいわせると「気楽な性格」とかに見えるみたいです。だから、4回入院したのですが、後になるほど楽しかったです。
 今回はリハビリということで回復状態が目に見えますので回復していくことで非常に楽しく感じました。急性期の病院では看護実習生がついてくれたし、理学療法士、作業療法士の各セラピストさんとは楽しく話しながらのリハビリでした。リハビリ病院でも理学療法士、作業療法士、言語聴覚療法士の各セラピストさんと楽しくリハビリに励みました。どちらの病院でも当然、医師、看護師、看護補助員さんのお世話により、リハビリが楽しく感じられるようになったと思っています。どれかが面白くなかったのなら、全体がつらいものになっていたかもしれないです。
 2012年9月13日に再確認したこと。左手の感覚が戻ってきつつあるのですが、感じ方が右手と違うのですね。水道水は右手より冷たく感じます。食器洗い乾燥機で洗い上がったのは右手より温かくです。学習させておく必要を感じました。結局は子どもの成長と同じような感じの部分もあるということかな。
 要介護度の認定ですが、先日結果がきました。要介護4から転落して要支援1になりました。別段頑張ったわけではないのです。それだけリハビリが進んでいたということですかな。

2012年9月11日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No4 脳の再生について、軸索や樹状突起など

 ネットで信頼性の高いサイトを探してリハビリに関する情報を集めています。そして、私が過去に読んだ本や雑誌の内容とつなぎ合わせたり、確認してみたりしています。読んでいた雑誌には日経サイエンスや日本生化学会発行の「生化学」なども含みます。リハビリでは脳での機能再編が起こるというのが常識ですね。その仕組みは死んだ脳細胞が担っていた役割を残った脳細胞で分担し直すというものです。このとき、樹状突起や軸索を伸ばしてこの作り替えをおこなうわけです。前にも書いたようにどちらも細い管なので細胞膜だけに近いですね。さらに軸索の周りにある「髄鞘」がありますね。これはシュワン細胞が巻き付いたものですが図を見ていただければ、非常に薄くなったもので皮膜を作るという感じです。これも細胞膜だらけです。細胞膜の主成分は脂質です。ここに前にも書いたように必須脂肪酸が必要なのです。脂質が不足すると細胞がボロボロになりますからね。
 ところで、人間にとって摂取しすぎてよいという食べ物はないです。どの食べ物でも摂取しすぎの病気がありますね。そして、必須の食材が不足すると病気になります。そして、リハビリの時にはリハビリの効果が期待できなくなります。ですから、脂質の種類にもっと注意が必要だと考えます。リハビリは、脳や筋肉などの再生と本人の意思と医療関係者の取り組みで効果が大きくなるのですが、どうも、そうではない感じのところがいろいろ見受けられます。以前は病院では「安静」が主止められていましたが、今は大分変わってきていますね。それは、本人に活動させるということが病気治療でも役立つことが多いとわかってきたからですね。お年寄りが大腿骨骨折などになるとねたきりになることが多いですね。これは、からだを使わないからです。本人がからだを使いたいと思い、動かない手や足を動かそうとする努力が脳の再生などを進めることになると考えます。リハビリの基本は本人の意識かな。
 「本人の意識」ですね。私の場合は勉強してきた分野にある程度関連してました。大学の専門からはずれていますが、その後の独学部分ですね。父のリハビリなどの様子から、出来るだけ早く手足を動かそうとしたり、力を加えてみたりとか、筋肉の伸縮、関節の屈曲とかをするようにしました。脂質が必要というのはすぐ感じました。病院食では不足かもと思いました。。ある程度元気になってきてから、調べ直して種類に問題があると考え、入院中にサプリを購入ということもしました。量は少しでよいと思うのですが、私から見たら脂質については医療関係者の関心度は低いと思います。コレステロールとかには意識がいっているのですが、細胞膜の成分という意識、量は多くなくてよいけれど重要だというのが抜けている感じがしました。
 リハビリには、リハビリ関係者の手助け、あるのとないのでは大きな差が出ます。前に書いているようにどのように自主学習すればよいのかとか、時間外での取り組みに大きな違いが出てくると思います。これも担当者の当たり外れありかな。一番の違いはより短時間でかっこよくリハビリが出来るように指導してくれることです。リハビリの手順を独学では無理があるかも。
 必須脂肪酸にはいくつかあるのです。有名なのがリノール酸とリノレン酸かな。ところが、リノール酸は植物から工業的に大量に安価に精製されるようになりました。どうも、それでリノール酸の大量使用が始まったようです。必須脂肪酸なので必要なことは確かですが、「食品でいくら食べてもよい」というものはないのです。どうも、この限度を超える使われ方もされている脂肪酸です。リノレン酸はわりと局在しているようなのです。動物では背の青い魚に多く含まれています。肉には少ないというか・・・です。病院食のメニューを調べて見て下さい。朝食がパンの場合、あのトランス脂肪酸を含むマーガリンが使われている場合は大抵リノール酸。普通の市販の食用油もリノール酸のが安いので使われていると思います。とすると、リノール酸だらけ?。まあ、人間には精製した工業食品は使わない方がいいと考えます。マーガリンは工業食品になると思います。ここがバターとマーガリンの大きな違いと考えます。
 2012年9月11日、肩の張りが穏やかになっているのに気がつきました。痺れは相変わらずですが、肩を怒らせて歩くというのは減っていきそうです。

2012年9月7日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No3 視床痛が出ないように

 感じなくなっていた左半身側の感覚も徐々に戻っています。出血で入院した病院で「感覚が戻ってきたとき、痛みだけというのはイヤです。」といっていたのです。そして、調べたら「視床痛」が出ることもある。これ、治療法が・・・だそうです。出血後7ヶ月になりますが、視床痛は出ていないみたいです。視床痛の出てくる時期はもう少しで過ぎ去るようです。ただ、しびれは引き続き出ています。このしびれは睡眠に大きな影響を与えるほどではないのですが、やはり生活には影響が出ています。いまのところ、よかったと思っています。視床痛が出ないことを祈っている毎日です。
 私の場合、平衡感覚が寝起きの時に悪いですね。リハビリテーションセンター入院中でリハビリの始めにマッサージがありますね。その後の歩行練習にも響いてました。一晩寝て朝起きたときほどではないですが。朝起きたときは10分ほどベッドで起き上がって上体を立てた状態にしてから歩行していました。最初の病院でも起きてはいても、椅子に座っているとかベッドに座っていても「字が書けない」ほどふらつくことがあったのですが、朝から夜まで起きたままで過ごすということをして、平衡感覚は大分戻ってきています。リハビリとか食事とかの時だけ起きていたのでは、戻りは遅くなったのではと思います。
 足の方ですが、(2012年9月6日現在)以前より左足での片足立ちの持続時間が伸びてきた感じです。左足がしっかりしてきたのと平衡感覚が少し以前よりよくなったためではと思います。
 2012年9月7日に訪問リハビリをして貰いました。腕の関節などの動きがよいといって貰いました。これは、右腕で左腕の運動を助けたり、左腕だけでも動かしていたからですね。足の方も左足の筋力とかは右に比べてあまりおちていないとも。入院直後からの足の筋肉に力を入れてきたり、歩行、階段昇降を続けていることなどによるようです。後は、足のふらつきが少なくなるようなリハビリもしますということです。どちらも「動かさないと錆びつく。」ということです。「錆落とし」には時間がかかり、リハビリの妨げになるということです。関節も錆びつきますからね。注意しないといけないです。

2012年8月31日
闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No2 リハビリへの取り組み

 2012年8月22日記録の続き2012年8月31日記録
 2012年8月22日記録の記述と重複する部分が多いと思います。
 視床出血で半身麻痺になったわけですが、病院に行こうとしたときから「リハビリで復活する」と決めつけていました。視床出血とわかって、「運動神経」は無事であると確信しました。気になったのは不随ということで筋肉が減少すること、筋肉が固着してしまわないか、骨の密度の低下などです。「動かないままならどうしよう」とは一度も思わなかったです。どこまで復活できるかは確信が持てないのですが「必ず復活するのだ。」という意識は強かったです。ですから、自宅リホームに際して「歩いて帰る」とか思っているのですがいえなかったですね。入院中に15000歩達成でしたし、退院した翌日から近くの駅までの往復を歩いています。それで、出来るだけ「平常」に近い生活、例えば、朝6時頃に起きて夜9時頃に寝るとか。日中はからだを起こして車いすに座っているとか、それなりに筋肉を使うようにしてました。
 リハビリの遅れる原因の一つに「動くようになるのでしょうか」と入院中に私に聞く患者さんがいました。動かすのは「あなたです。自分でやってみたください。」とはいえませんでした。返事に困りました。私は決めつけているみたいなものですから、「リハビリは楽しい」でしたがつらかったのでしょうね。入院中に「リハビリはしんどい」とかよく聞きました。自分の現状の受け入れが出来ないのもあったのでしょうね。「役にたつ」とすぐに実感できることを期待しすぎていたのかも。今の風潮が「即効性」ですからね。そのようなことを考えるとリハビリは「蟻の歩み」や「カタツムリの歩み」より遅いかもしれないですから。人間は寿命が長いからいろいろなことが起こるのです。そして、ゆっくりと回復していくはずなのですが、使わないとなると結構速く「退化」してしまいます。
 今までの私の勉強したことから考えると「本人の意欲」ですね。それと周りの環境ですね。もし、同じ病室に「沈没傾向」の患者さんだけだと回復は遅くなったりするのでは。13年ほど前の入院の時、私より後から入院してきた患者さんが私と見て落ち込まずに手術を受けられ、退院されたようです。私より後なので、回復されているはずですがわからないです。私と同程度なので今も近所で生活されていると思います。入院当初は落ち込んでいました。肺がんでしたから。
 ところで、今回、入院中にあった「服薬指導」役立たずでした。血圧の薬、これはその人の血圧変動に合わせて服薬の時間が指定されるものなのですが、「朝食後」ですが説明なし。過去に私自身の血圧測定では日中が高かったのでまあよいか。ということは朝食後ではなく「朝・時頃」ではと思います。朝抜きや朝食時間が大きく変動する人には意味がないかも、あるいは弊害が。爪白癬の薬、これは毎日同じ時間にのはずなのでまあよいか。服薬で「食後」が多いのは飲み忘れを防ぐためだそうです。あと一つは胃薬なので「食後」でよいかなと思いました。
 

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活 No1 発病、入院、リハビリ開始、転院

 記憶だけを頼りに書いてみます。2012年8月22日記録 リハビリはまだまだ続きます。俗にいう6ヶ月を過ぎたのですが、復活していると感じられることが日々起こっています。また、追加をしたいと思います。
 2012年2月9日午後6時頃職場のトイレで尿放出中に脳の中で出血が起こったような感じがしました。以前からもし脳で異常を感じたときは自宅近くの総合病院に行こうと決めていました。理由は13年ほど前に脳の血管造影をしていたからです。その時に脳の中に動脈瘤によく似た形の悪い血管があると。異常ではなく、形が鬱陶しい。ですから、その時も手術などという話は造影検査結果で消えていきました。今回は他へ行けば当然騒動になるので、すぐに車で向かいました。これは自損事故に済みましたのでほっとしています。
 事故の音で助けに来てくれた方に「脳内出血」なので救急車を呼んで貰いました。救急隊の方には血管造影の件もお話ししたら、診察券を探し出してくれて、番号を言ってくれたので目的の病院に受け入れて貰えました。すぐにCT、で視床出血であると判明しました。造影の写真のある病院なので点滴だけで経過観察という普通の視床出血の治療になりました。その結果、早期にリハビリを開始して貰えました。脳卒中の治療などと同様にリハビリも早期に開始するのがよいのです。そして、その時、本人が回復するのだという意欲に満ちて積極的であるということがあればより効果が高くなると考えられます。そして、「リハビリは楽しい」と思えることが大事です。
 入院して2日目かな、持病のひとつ、鼻づまり、で鼻が詰まったので上半身でも直立に近い状態にしたいと思ってベッドの上半身側をリモコンで(左半身完全麻痺の時です。右手で)起こしていったら、背もたれにベッドがあってもバランスが取れなかったのです。さすがに感覚麻痺です。これほどの症状とは思っていませんでした。ベッドから頭を下にして落下したのですが、さすがに感覚麻痺で動かない左足がそのままベッドに残って頭の先端が床に接する程度でとまりました。命拾いですし、受け入れてくれた病院に迷惑をかけずに済みました。頸椎損傷もなかったのです。ただ、部屋替えでナースステーションから一番監視のしやすいところに移動と相成りました。
 しばらくして車いすに座れるようになりました。出来るだけ長時間車いすに座るようにしました。簡単に言えば「夜に普通に寝たい」これにつきます。病院の深夜はホント退屈です。そして、何日かしてからは朝6時半頃から夜8時過ぎまで車いすでした。当初、トイレは行っていないですね。尿は管を入れていましたので。それをとってもらってトイレに行くようになりました。ただ、看護師さんによる送り迎え、服の上げ下ろしです。でも、「車いす取ってきますね」を離れた隙に左足の鍛錬を非常に短時間ですが始めました。但し、トイレの介助用の棒を右手でしっかり抱きついてました。そのうち、左足も幾分か役にたつようになったころ、看護師さんと一緒だったのですが、トイレで急に左足の力が抜けてしまいました。床に落ちはした。元に戻るのに苦労しました。今は正座から支えなしで簡単に立ち上がれます。
 また、車いすに座っているときに左足に力を入れてみたりしていました。ベッドサイドでの車いすの位置でなかなか思う位置に止めてくれないので、右足と右手を使って移動をするようにしました。方法は右足でからだを少し浮かし、落ちてくるまでに右手で椅子を持ち上げ、右方向に引っ張るということをしました。これ、失敗はなかったですね。物理学的には倒れない程度にしかできないと思っていました。
 リハビリですが、理学療法で平行棒の他端に姿見を置いて「見えますか」で「見えません」。翌日からコンタクトレンズをして貰えるようになりました。コンタクトレンズ以外で視力矯正の出来る人はそちらでということです。担当のセラピストさんからみると「回復が早い」部類に入るようです。理由を勝手に考えると、発症前、階段好きや犬の散歩、ダンベル(10kg×2)などで足腰を鍛えておいたからかな。車いすを動かすとき、右足でおこなっていたのを、あるとき、左足も参加させたら、左足の鍛錬になるよと言われました。ところが、左足を使うと右足だけより時間がかかるのです。でも、使っていくうちにぼちぼちの使用感になってきました。「使えるようになってから」ではなく、「使えないのなら使えるようにしてしまえ」という感じだと思います。
 作業療法で、「指を伸ばせたらものを掴めるようになるよ」といわれて指を伸ばす運動を開始しました。そういえば、麻痺したら勝手に指は曲がっていました。それと腕を上に上げる運動ですね。特に腕で出やすいのが「硬直による筋肉痛」。これを防ぐのは「筋肉を伸ばす。」これしかないですね。右腕と同じような範囲で曲げ伸ばしできるはずである。痛くても少し我慢しておこなう。これを繰り返すと、普通に屈伸が出来るようになるはずであるとね。そうこうするうちにものが掴めたり出来るように。そうしたら、ようもないのに車いすの手すりとかベッドの手すりとかを掴ませました。そして、腕に力を込めてみました。また、リハビリ用に小物を持ってきて貰っていじくりました。感覚の復活は出来るだけ多くのものを触ってみる見たいです。左手で握手しても未だに鈍いです。
 そうこうしているうちに急性期の病院から回復期のリハビリ病院への転院となりました。3月13日です。
 当初の入院期間3ヶ月というのを聞いたので「爪白癬」の治療を依頼しましたら、開始して貰えました。こちらでは、理学療法(PT)、作業療法(OT)、言語聴覚療法(ST)の3つを受けました。PTのUさん,OTのFさんは男性のセラピスト、STのYさんは女性のセラピストさんで感じがよい上、冗談が通じるのです。
 当初にそれぞれ「目標」というのをいうのです。表の目標をまずいいました。その後、徐々に本音の目標をね。STは裏表なく「発症前より美声に」です。3月13日に転院して、その月末に見舞いに来た人と私の妻とSTのYさんにあって貰いました。そして、「もう発症前に戻っている」と2人はいいました。誕生から今までの生育歴の中での発声の悪さの矯正ということに相成りました。でも、ここの病院は発症による障害のリハビリなので本来の目的とは???。発症による障害のあるということで退院まで続くことになりました。途中、存続の危機をYさんが乗り越えてくれました。PTは「犬との散歩」が表、本音は「近所のスーパーに水4リットルもらいに行って、それを担いでその近くの百貨店の1階から5階まで階段を昇降し、家まで担いだまま、歩いて帰る」というものです。この「階段」というのが病院の階段を利用するというのに繋がります。OTは「コンタクトレンズを左手も使って装着できる」、私は両手使いで装着していました。本音は右手と同様に左手でもコンタクトレンズが扱えるということです。STとこれが実質で面倒では。
 PTは、当初前の病院と同様にリハビリが進みます。時間はこちらの方が10分長いです。杖を使ったり、平行棒を使ったりしながら、そして、階段の模型で階段昇降の練習も始まりました。土曜日に重症者相手の「土曜リハ」というのがありました。これが問題だったのです。Fさんという女性のセラピストさん。終わったとき、「月曜からもよろしく」。この手の話が退院まで続くことになります。PTのUさんは妻にいわせると「美形の男性」で同じ受けるのならおばさんより断然こっちという美形です。
 OTは、感じが違ったタイプのリハビリでしたが、ようは麻痺した方をこき使うというのに変わりはなかったです。そうこうしているうちに4月になりました。PT、OTともセラピストの新人が入ってきました。「見学してもいいですか」あるいは「見学させてもいいですか」。PTは違うセラピストになるのですが、OTはSさんにほぼ固定。そして、担当セラピストの代休の時、「私の代わりにSさんでいいですか。」と「その時だけの担当変更票」を渡されたので、「これがなかったらずーと変わるですよね」とかいってしまいました。そりゃ、私は男、セラピストは女性の方がいい。冗談で言ったのが、4月の下旬に5月上旬からSさんと変わりますがいいですか。御の字で承諾しました。で、PTへの風当たりがきつくなったのはいうまでもありません。
 5月上旬からは病棟内歩行可(杖使用)になりました。4月には車いすの暴走族みたいないわれ方になっていました。これは転院当初に車いすのこぎ方を診てもらったら、「つま先ではなく踵を先につけた方が歩行にも役にたつよ。」といわれたので、踵からつけてみると姿勢も前屈みに出来足に体重が乗せることが出来ました。そうしたら加速できるのです。それから、加速するには足の回転を速くしないと事故の元になります。で、左足を鍛錬して右足にある程度ついて行けるように出来たため、「暴走族」になったようです。それで、観察してみると、脳血管疾患者は優雅ですね。若くても優雅にこいでいます。整形外科系の若者は速いですね。私は整形外科系の方の近づいていたようです。一人で歩行が出来るとなると用もないのに病室とナースステーションの間を往復。日に数十回はしました。こちらも速い。主治医が私を追いかけるのに少し苦労したと言っていました。
 そして、階段練習要求をするようになりました。練習を重ね、5月下旬頃、一人で階段昇降の許可が出ました。その次の日にOTに行ったら{・・さん階段できたのでしょ」とSさんが言ったので「はい」と答えました。前々から「階段使いたい」と言っていましたので。そして、1日に1階から5階までの昇降を7〜8回ぐらいを毎日するようになりました。6月には「小走り」の練習やボールけりなどもしました。階段を使い始めてからの歩数は10000歩を優に超え15000歩ぐらいが普通になりました。PTでFさんが他の人を指導していたりすると「よそ見」したりするので「よそ見しない」とか「ついて歩かない」とかいわれました。リハビリは楽しみながらするものですね。
 OTは「感覚が戻ってこないことには」という部分が大きいのでPTとかみたいな目立った進歩は感じられないのですが、徐々に出来ることが増えていきました。Sさんのお陰です。STはSTのYさんが引き延ばしてくれて退院の少し前までできました。
 今回のことで病院食に注意が向きました。その一つは「リハビリは脳神経系の再生」でもあるのです。この再生は脳細胞を増やすのではなく、死んだ細胞などが作っていた回路を生き残った脳細胞が樹状突起を伸ばしたり、軸索を伸ばしたりして再構成することでおこなわれます。樹状突起や軸索は非常に細い管です。早くいえば「細胞膜の塊」ですね。細胞膜の特徴は「流動モザイク説」で示される柔軟性にあります。柔軟に且つそれぞれの部位での働きをさせる上で必須脂肪酸というのが非常に大切な働きをします。それで、食材を見ると???。ω3の脂肪酸を無視している感じがしたのです。ω3の脂肪酸の一つがDHA。これ、「子どもの脳の発達に」とかありますね。リハビリの時の脳も子どもの脳も軸索や樹状突起を伸ばすというのでは同じなのです。そのあたりを考慮していないという感じの食材でした。リハビリは保険制度とは関係なく「時間との勝負」なのです。それの足を引っ張っているという感じです。私はサプリメントを買いました。
 リハビリはいくつもの面で「時間との勝負」ですが、患者、医師、栄養士、セラピストなどの意識が低いですね。それは、患者の意識を高めるということ、栄養面のことなどです。
 コンタクトレンズを装着ですが、最初の病院では、当初看護師さんにして貰っていました。そして、まぶたを持って貰って私の右手で装着、外すのは右手の指で外します。ケースへの収納とかして貰っていました。いつ頃から、左手でコンタクトレンズケースを保持できるようになりました。転院後はまぶたを開けて貰うということで装着していました。紛失騒動やズレによるトラブルもあるのですが、視力の確保という点でコンタクトレンズを装着する必要があるので看護師さん等は諦めですかな。早く左目のあたりの感覚と筋力の回復を期待しつつ面倒を見てくれました。
 4月にSTのYさんと患者さんのNさんと私で敷地内の桜の花見に出かけました。その時、歩道と車道の間の溝に右側の車輪が少し落ち込んだので右手と足を使って、おしりを浮かし、車いすに座ったまま持ち上げたら、Yさんが「車いすが浮いている」とかいって慌てて私の方にきてくれました。車いすに座ったまま、椅子の片側とかを浮かすことは出来ます。
 人間は常に可能性を持っています。それを引き出せるかどうかは本人の意欲とそれを支える周囲の力添えによります。「リハビリも楽しい」に出来ます。楽しかったです。「入院生活も楽しい」に出来ます。「楽しい」から「頑張る」ことができるのです。これは子どもの勉強とかと同じだと思います。
 視床出血→感覚神経麻痺であるが、運動神経無傷のはず。→運動神経をなんとかして使う。→感覚がなくても動くのでは。→そう、動いた部分もあるようです。
 病気療養中に「退職」となりました。どのような形の退職か想像してみてください。答えは書かないことにします。
 完全には回復できませんので、上肢7級、下肢7級の障害が生涯残ると診断されました。発症してすぐに「要介護認定」を受けました。その時の認定は「要介護4」です。先日、6ヶ月後の認定を受けました。どこまで転落すのか。介護保険から転落して「即介護保険適応外」はないという話なのでどこで止まるかはらはらものです。