法話全集〜その1〜 |
喜べば 喜びごとが 喜んで |
「喜べば 喜びごとが 喜んで 喜び集めて 喜びに来る」 同じ言いまわしで、 「悲しめば 悲しみごとが 悲しんで 悲しみ集めて 悲しみに来る」とよめたり、 「憎しめば、憎しみごとが 憎しんで 憎しみ集めて 憎しみに来る」ともよめたり、 「施せば 施しごとが 施され 施し集めて 施しに来る」とよめることもあるのです。 身から出たサビではありませんが、地獄にするのも極楽にするのもあなた次第です。 |
未 熟 |
「未熟者」とか「未熟なくせに・・・」と言われると腹が立ってしまうあなたへ。 未熟は「未だ熟さず」と読みます。熟さないというのは、まだまだ学ぶべきものや知らなければならないものがたくさんあるという意味です。まだまだやらなければならないことややりたいことがあれば、未熟でいいじゃないですか?それだけ向上しようという智慧が残っているのですから。 |
「障害は不便です。だけど、不幸ではありません。 |
書店で見つけた、印象深い本の帯に書いてあった言葉です。 |
「親が子を生む」のではなく「子が親を生む」 |
最近、「子」をつくるという「親」が特に増えてきました。授かりものであった「子」が、つくりものになって行くようです。 |
ともかくも あなた任せの 年の暮れ |
小林一茶の「おらが春」にある一句です。 「今の暮らしが地獄になろうと極楽になろうと阿弥陀さま、あなたさまに身をゆだねる心のあり方なのですね。年の暮れにこういう心でいれば、 この身このままで幸せが見えてくるのでしょうね…。」 そういった思いで一茶は文政二年(一八一九)五十七才を送られたのでしょう。しかし、この「阿弥陀さま」は「あなたさま」でもあるのです。一緒に暮らす家族、ご縁の深い方、たまにしかお会いしない方も「あなたさま」です。 2000年問題に踊らされる前に、身近な幸せに感謝したいものです。 どうぞ、良いお年を・・・。 |
怒(おこ)れば地獄 |
「地獄」とか「極楽」というと、よく、あの世のことと片付けられがちですが、 「地獄 極楽 紙一重 心の納まり所」 と言われます。「極楽の行き方」の前に、「極楽の生き方」を心得たいものです。 |
命の運び方が運命 |
「運命」や「宿命」と聞くとはじめから決められたレールの上にあるように思いますが、命の運び方と命の宿し方だったんです。 「運命」は命の運び方ですから、その場、その場の運び方で状況が変わるんです。たとえば、今日一日、外に出ない場合と、外に出る場合では運命は変わります。人に逢った時、声をかける場合とかけない場合では運命は変わります。落ち込んで生きる一日と晴れやかに生きる一日では、これまた運命が変わります。運がいいとか悪いとか言いますが、これも運び具合です。 「宿命」は命の宿し方です。生まれてから変えられないものってありますよね。 そして、「使命」。大変なことを成し遂げるように思えるこの使命も、命の使い方です。たった一度の人生、たった一人しかいない自分。命をいただいて、死んでいるようには生きたくない、生き生きと生きたいと願う使い方です。 それに気づかせていただいたなら、この命あっての人生だったと命への願いが込み上げてきます。折角、授かった命です。命を大切に。幸せはなんでもないところに転がっているものですから・・・。 |
参りました |
「参りました」は勝負に負けた時、 そんな風に感じ取りやすい言葉ですが、こう受け取ることもできるのです。 「参る」はこちらの方からのはたらきかけなのです。しかし、それ以前に自分のまわりの大きなはたらきかけを忘れてはいませんか。「あなたのおかげで、ありがとう」というお参りは少なく、「参ってやったんだから」と云わんばかりの態度はお参りと呼べるのでしょうか・・・。 |
道 長い人生にはなあ そんな時はその道を 黙って歩くんだよ そしてなあその時なんだよ ( 相田みつを ) |
人にはどうしても避けられない道がありますが、 辛い時、苦しい時にこそ、人の本当の優しさ、
喜び、お慈悲が身にしみてわかる気がします。 いのちの根をしっかり張らなければ、風に倒れやすく、雨に足をすくわれる、頼りない人間に見えそうです。そういう私も弱い人間ですが・・・。 |
お・い・あ・く・ま |
「おいあくま」って「おい!悪魔!」と覚えた方がいいようです。 おこるな の頭をとってのことですが・・・。自分自身の「心の休日」を邪魔する悪魔には、「おこること」「いばること」「あせること」「くさること」「まけること」が原因で、引き起こすことが、気づいたら多かったなぁと見つめてください。 |
人は坐して黙すをそしり (法句経〜二二七) |
世間はとかく何かあると「そしる」ものです。 小さなことにむきになり、腹を立て、弁解したり、文句を並べるよりも、 |
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