法 話 (みのりばなし) |
あえて、法話(ほうわ)を「みのりばなし」と読んでみました。
受け取り方を変えると気が楽になるものです。
気が楽になれば、心が豊かになります。
「心の休日」の三原則は「あせらず」、「おこらず」、「かたよらず」です。
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「凡夫のこころ」 |
み法聞く身となるまでは 己が心のおろかさを |
「弥生」 とは・・・ |
立春(2/4)を迎えても春という気がなかなか起こりませんね。
しかし、暦の上ではもう「弥生」です。この「弥」には「だんだん」「いよいよ」「ますます」「あとからあとから」「次々に」という意味があるそうです。だんだん生き生きしてくるのが弥生の意味合いでしょうか…。 私達も人生の花を咲かすためには色々な準備が必要です。 |
「信 仰」 とは・・・ |
信仰と聞くと信じ込んだり、信じ込ませたり、拝み倒したりするものだと思っていませんか? 信用、信頼できるものに出逢い、信用、信頼できる自分になり、他のもののおかげと仰ぐ心をいただくことを「信仰をいただく…」というのです。 |
「はたらく」ということ… |
「はたらく」という心得を知っていますか?
ともすれば「自分が働いてやってる!」とは思っていませんか?人が動くと書いて「はたらく」ですが、自分勝手に動けば良いものでもありません。言われた事だけやっていてもダメです。 |
「休む」ということ 矢崎節夫氏の講演で味わったお話 |
休みの日には何をしていますか?かえって自分の時間を使いすぎて、休むということを忘れてはいませんか?身体を休めるばかりが、休むことではないそうです。心も休めてみると人と木の関係がわかってきます。人は二酸化炭素を吐いて酸素を吸い込みます。木はというと酸素を出して二酸化炭素を取り入れるのです。つまり、木は外にある肺のはたらきをしてくれていたのです。人は木のおかげで生かしていただいていることに気づくことが「休む」ということなのです。 |
「忙しい」と「忘れる」 |
大人から子供まで使う「忙しい」ですが、りっしんべんは心をあらわします。忙しいは心を亡くした状態。この頃ではご多忙と言わず、ご多用と言う事が増えて参りました。忙しい、忙しいと口にせず、少し心を見つめてみてはいかがでしょう。自分のことが精一杯で他人のことが構ってられないという「忙しさ」から、多い用がある中でも、都合をつけて相手のことを思いやる心を忘れたくないですね。 |
渋柿の 渋そのままの 甘さかな |
渋柿は知らずに口にすると顔がゆがむほどの渋さですが、その渋柿も秋冬の風にさらされ、太陽に照らされますと柿が本来持っているタンニンのはたらきで、渋みを甘味に変えてゆきます。 |