本日の記録・データ

本日・年月日 平成17年6月16日 延日数 第26日
出発地 芦原温泉 出発時間 7時分35分
到着地 和倉温泉 到着時間 17時40分
天 候 曇り時々小雨 体 調
走行道路名 R305、北陸道、能登道、R249、県1、県28、能登島道、
主移動地名
金沢⇒志賀⇒輪島⇒珠洲⇒内浦⇒能都⇒穴水⇒能登島⇒和倉
現在(宿泊)地 和倉温泉フローイント和倉
道の駅・PASA R249輪島  千枚田ポケットパーク  
温 泉 芦原温泉、和倉温泉フローイント和倉
名所・旧跡
金沢(兼六園城址東茶屋街)  輪島  曽曽木海岸
禄剛岬  狼煙・禄剛灯台

写真集W

走行関係(km) 燃料関係(L) 金銭関係(現金円) 金銭関係(カード円)
本日表示 6915 今回入油 37.0 本日支出 1320 本日支出 16120
昨日表示 6555 前回累計 51756 前日累計 96927 前日累計 125401
走行距離 360 今回累計 554.56 本日累計 98247 本日累計 141521
総距離 6915  

26日目:Part1(芦原、三国)  Part2(吉崎)へ    写真集 W  日本周遊ブログ
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日本周遊紀行(208) 芦原 「芦原温泉」


温泉駅
写真:あわら湯のまち駅


九頭竜川の清流を渡り、今夜の泊まり宿「芦原温泉」へ急いだ。
普通、温泉場の立地といえば山懐、河川際、湖の畔、海辺と何かしら自然とマッチした、それなりの雰囲気を持った環境に佇んでいるのが普通・・のように思っていた。

芦原温泉は、そんな意識とは別に平凡な田畑に囲まれた平地に在った。  
後で知ったのだが、北陸・芦原温泉は明治16年、農民が灌漑用の井戸を掘っていたところ温泉がいきなり湧き出したのがはじまり・・というから、さもありなんであった。 
今では、北陸屈指の名湯として知られるようになり、人気も誇っているのである。

先刻、観光案内所より紹介をして頂いた宿屋へ向かう。
駅前のT字形の突き当たりにその旅館はあった。 駅は華やかな温泉街のわりには意外と、こじんまりしてて「あわら湯のまち駅」とあった。 
鉄道は北陸本線ではなく、「えちぜん鉄道」という第三セクター方式の鉄道会社であった。 2キロメートル東方に、本線である北陸本線の「芦原温泉駅」があるが、地域として金津町に属するようである。

旅館は紹介によって、便利な駅前にある政府指定の一流旅館のはずであった・・が、印象としては極めてゾンザイな感じが最後まで拭えなかった。


その某旅館の顛末をしたためておく・・!。


先ず、玄関で訪問の呼声を掛けたが、返事が無くなかなか応対に出てこない。 
車を置くところへ案内されたが狭くてやっとのところ。 
案内された建物は継ぎ足しの迷路のような部屋組であり、部屋係り女性の御客への対応も扱いも気だるそうで、迷惑そうでゾンザイそのものであった。 そして、館内の様子からも泊り客が居るのか、居ないのかシーンと静まりかえっている。 何かしら、否〜な予感がした。
何はともあれ、何時ものように待望の温泉浴室を目指した。 

人っ子一人居ない浴室、大きな湯船には湯がトウトウと流れ込み、大いに期待したところまでは良かったが、湯を浴びると、これがまた熱い・・!!。 我慢して静かに浸かると数秒も浸かってられない程の熱さである。 
元々、温湯(ぬるゆ)の好きな小生にとっては、到底我慢がならない・・!。 
気が付くと外風呂も有るようなので、仕方なく露天風呂へ向かった。 ここなら何とか入れるだろうと思ったが、これが又甘かった、こちらも同様でアッチッチ・・!!、だめだ、こりゃ・・!!。

結局、掛け湯と洗身のみで間に合わせ、女将にこの事を話して善処置をするように申し入れた。 

食事の後(食事に関しても不満充分であったがここでは省略)、就寝前に再び入湯に出向いたが、いっこうに以前と全く変わりなく、そして次の朝も入湯に出向いたが、善処された形跡は無く、昨夕と全くの変わりはなかった。 

帰り際、旅館の女将に厭味たっぷり言ってやったが、なにやら涼しい顔をしていたようにも思い、後はソソクサトと逃げるように宿舎を出奔した。

芦原温泉の善し悪しを全く味わうことなく、後味悪く温泉場を後にする始末であった。

芦原温泉は、北陸、福井屈指の温泉街として「関西の奥座敷」とも呼ばれ、昔から多くの文客にも愛されてきたようで、温泉医療師がすすめる名湯百選にも選ばれているという。
この名湯を堪能すべく期待を持って、一流旅館を紹介していただいたのに・・!。 この旅館の対応は、お客のサービス以前の問題で、全く期待はずれであり、終いには腹が立って仕方が無かった。

思えば、こちらの芦原温泉でも、昨年(2004年)に発生した温泉偽装問題が発覚している。
温泉の利用表示に問題がある旅館および源泉の無断開発の疑いがある旅館が、複数軒あったとして、ニュースで大きく取り上げられていた。 
ひょっとしたら当の旅館も温泉偽装の関わった宿では・・?、と疑いたくなるほどである。 
その後、あわら市では独自の温泉表示に関する基準を設けたようであるが・・!。

これが政府指定の一流旅館の顛末であり、不満タラタラの芦原温泉、否、温泉宿であった。

東尋坊へ出かけます・・、

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日本周遊紀行(208)三国 「東尋坊」


東寿坊1


東寿坊2
写真:東尋坊2枚



芦原から三国の、あの「東尋坊」までは一投足であった・・、

案内に従って進み、道路側帯が松の緑の覆われている間をぬって行くと、お土産屋や宿舎のある賑やかな一角へ出る。 東尋坊岬であった。 

観光看板に荒磯遊歩道とあり、そこの岩盤の上をソロリソロリと行く、間もなく絶壁の端へ立って下を見下ろすと、全身ザワザワとして、下のほうがキーンとなって緊張感に震える。 
高さ50mにも及ぶ断崖絶壁は約1kmも続き、絶壁には日本海の荒波が打ち寄せる、実に豪快であり、周囲は迫力ある眺望が展開する。


東尋坊は、安山岩(火山岩)とかいう岩塊の柱状節理(マグマが冷却固結する時に生ずる柱状の割れ目、多く岩脈・岩床・溶岩などに生ずる)、地質学的にも貴重で日本ではここ一ヶ所のみ、世界でも韓国の金剛山、ノルウェーの西海岸とあわせて三ヶ所しかないという。 
冬になると、季節風による日本海特有の烈風が吹きすさび、波濤のちぎられた波屑が泡となって岩礁の間にたまり、再び風に舞い上がる「波の花」が見られるという。 ふわふわ飛ぶ姿はまるでシャボン玉のようで、この模様は冬の東尋坊のお薦めだという。

日本海に面して衝立する一大観光名所・国定公園「東尋坊」にはもう一つの顔があるという。 
実は、ここは自殺の名所でもある。 

平成13年の統計によると、30人が投身自殺し、保護された人は62人にのぼるという。 
自殺決行者は、綿密に場所、天候を選択するそうで、豪雪や台風時には人は死なないといい、快晴の日は危ないという。 
尤も、福井地方は「弁当を忘れても、傘を忘れるな」という言い伝えがあるほどの多雨地域でもある。


小浜署の、あるベテラン刑事に忘れられない体験があった・・、

昭和53年7月初の快晴の白昼、男性2人が署内に駆け込んできた。 挙式を控えたカップルが七夕の夜、小浜市の海岸のレストランを出た後「行方不明になっている・・」という急報であった。  
二人は地村 保さんと浜本雄幸さんで、不明者は息子の保志さんと娘の富貴恵さんであった。 
刑事は「ただ事ではない」と緊張して聞きいった。 

「何かのトラブルに巻き込まれたか・・?」

スワッ・・!とばかり、小浜署や福井県警、その他の関係者達は東尋坊の海さらい、近辺の山狩りなどを続けたが手がかりは無かった。
その後も両親たちは長期間あきらめる事なく、新潟から島根に至るまで足を延ばし、情報を集め、探索を続けたという。 


後年、北朝鮮による拉致事件と判明した・・!!。


刑事は、改めて命の重さ、それに拘る(かかわる・こだわる)ことの大切さを学んだという。
その地村さん、浜本さん(ご夫婦)は、過ぐる日、家族と共に北朝鮮から幾星霜ぶりに帰国した。しかし、 北朝鮮による拉致事件は、未だ、未解決のままである。 
平和ボケ日本、ひ弱な日本の国情が、ここにも一つ在る。


ともあれ、昨年の自殺者は3万2千余人、ここ数年、3万人を超えたままである。 
東尋坊の自殺志願者の多くは、金銭苦か夫婦間のトラブルといわれるが、昨今、元刑事に当る方が当時の東尋坊の自殺志願者に対して、13人にも及ぶ人々を諭し、善意の施しをして救命したという。

現在、地元では各所に自殺を思い止める為の句碑や看板を設置し、また、公衆電話にテレホンカードや「お経の書かれた紙」を常備し、自殺防止と東尋坊のイメージダウンを避ける努力をしているという。 

又、家族や民間団体など誰かに相談ができるようになっている「救いの電話」を設置し、自殺を思いとどまらせるようにしている。 かつては、飛び降りても簡単に死なないことをアピールするため敢えて飛び込みを実演する者もいたという。
 

東尋坊」という地名の由来は、昔、越前・勝山の平泉寺に東尋坊という横着な僧がおり、自分の怪力を誇って暴れまくり、民・百姓をいじめていた。 
そのため、寺院から破門され岬に飛び込んで自殺したか、或は、あまりの悪僧なので他の御坊が岬に誘って突き落とした、という言い伝えがあるという。 

後年、やはり平泉寺の御坊が東尋坊をいたく哀れみ、

『 沈む身の うき名をかえよ 法の道 
                    西を尋ねて 浮かべ後の世 』


という歌を詠んで、これを海に流し供養したという。
  
2004年3月1日、坂井郡芦原町は金津町と合併して新規に「あわら市」が発足している。
又、2006年3月20日に同じ坂井郡に属する三国町は丸岡町、春江町、坂井町と合併し「坂井市」となっている。

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