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日本周遊紀行(213) 能登 「能登金剛」


ヤセの断崖
能登金剛のヤセの断崖(東尋坊より高い・・?)

世界一のベンチ
世界一長いベンチ(ギネス登録) 


気多大社から海岸道の国道249を行くべきを、勘違いで県道から七尾湾に出てしまった。仕方なし有料道の七尾・輪島線の徳田大津インターから輪島へ向かう。
“勘違い”で能登の内陸を行くことになってしまったので、ここで、能登の西海岸について述べておこう。 

志賀町の福浦港から関野鼻までの約29km区間は、断崖絶壁が連なる海岸線が続く。 
この辺りを「能登金剛」といわれている。 “荒ぶる”日本海の波濤が岩を削り、浸食しながら岩塊の芸術品を造り上げている。

岬の先端まで行くことができる関野鼻は、松本清張の『ゼロの焦点』の舞台にもなった「ヤセの断崖」というところで高所恐怖症の人は足がすくむという。 
又、二つの岩が太いしめ縄で結ばれた「機具岩」は、能登二見の夫婦岩ともいう。
高くそそり立つ「鷹の巣岩」、 更に、波の侵食により岩に大きな穴が開いた「巌門」の姿も圧巻だという。

更に近くには、かぶと岩や義経一太刀の岩、弁慶二太刀の岩などが見応えあり、「義経の舟隠」という源義経主従が奥州渡航の際に隠れ場所とされる岩棚の溝も圧巻だという。
能登金剛」の名前は、北朝鮮にある金剛山が海に張り出し、千変万化の岩礁美をもっていて海金剛と呼ばれているところから、その景勝にも優るとも劣らぬ日本の国定公園として名付けられたものという。

烈しい景勝地である能登金剛の中にあって対比され、もっとも美しい海岸といえば、「増穂浦海岸」(ますほがうらかいがん)という。 能登金剛の北側、高岩岬に囲まれた地域で、緩やかに弧を描く海岸線が美しく、この海岸は、「日本の水浴場55選」にも選ばれ砂浜が実に美しいところという。
ここ、増穂浦の小高い丘の上に、海を見下ろす様に作られている世界一長いベンチがあり、何と長さが460mもあり、過去に1346人座った記録があるとという。 これはギネス・・?、ここからは増穂浦海岸が一望、特に夕日が美しく、気分リフレッシュにはよいとか。

ところで、小生が若年の頃、読書、特に推理小説にのめり込み、当初に読んだのが松本清張の「点と線」や「ゼロの焦点」などであった。勿論、その内容については全くの忘却の彼方だが・・。
ゼロの焦点」の筋・・、


『 北陸の金沢や能登半島を舞台に、新婚早々失踪した夫の足取りを訪ねるうちに、ヒロインの禎子が事件に巻き込まれていくというミステリー、 夫の秘密の領域に徐々に踏み込んでいく妻の疑惑がサスペンスをかき立てられる。 とともに、日本海に面した北国の12月、暗くもの哀しい風景が、この作品の雰囲気や色調を決定づけている。夫の自殺現場である能登金剛の絶壁・「ヤセの断崖」の頂上テラス(平坦地)から花を手向けに来た主人公は、そこで意外な話を語りはじめるのだった。 暗い過去を隠ぺいするための悲劇、後の名作「砂の器」を彷彿とさせる先駆的作品となり、冬の北陸の荒涼たる風景をバックに、哀しい人間のドラマがあぶり出されて行く・・ 』
 

又、能登半島の後頭部に相当するのが、奥能登の外浦海岸であろう。 

以前は人が近寄れない秘境と言われたが、最近になって観光用の道路が整備されつつあるようだ。 それでも、猿山岬灯台などへ向かうには、娑婆捨峠辺りまでしか行けず、あとは遊歩道を歩むようになる。
こちらも、海岸の景勝地であるが「雪割草」の群落原生地で有名だという。 

荒々しい日本海の風景と可憐な雪割草の花との対比が対照的で、観光地としては喜ばれているという。 だが、今でも秘境の地に変わりはなく、日本の秘境100選の一つでもある。

次回、「門前町」
    
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日本周遊紀行(214) 門前町 「曹洞宗・祖本山」


総持寺山門
写真:豪壮な総持寺祖院の山門


この辺りの地域名で、「門前町」というのは一寸な奇異な感じもするが・・?。

一般に、地域区割で門前町といわれる市町村は多々あろうが、門前町をそのまま行政名にしているのは極めて珍しい。 能登・外浦に面する門前町はこんな町である。 その門前町の本院は「総持寺」である。 
外浦の八ヶ川を少々内陸部に入った地に、大本山総持寺が在り、この辺り、門前町門前というからご丁寧である。

1321年に瑩山禅師(けいざんぜんじ)が開き、永平寺と並ぶ曹洞宗の修行寺として栄えてきた。 
その後、明治31年(1898年)の大火で多くを焼失し、本山は神奈川県の鶴見へと移された。 

現在では、祖院として、大本山のおもかげを偲ばせる幽玄な寺院となっていて、焼失を免れた経蔵、伝燈院、慈雲閣などが境内にたたずみ、また、七堂伽藍も再建され、威厳と風格を今に伝えている。

私事ながら、横浜・鶴見は母の実家であり、小生が若かりし頃一時住んでいた地域であった。 
鶴見・総持寺は、首都圏である京浜工業地域の真っ只中にあり、東海道、京浜、京急などの各線が走る鶴見駅の駅前という、好立地・・?にも恵まれている。 
山門を入った広大な境内には幾つもの伽藍が林立してたのを覚えている。

因みに、近くには「生麦事件」(江戸末期、薩摩藩主の行列にイギリス領事館員が馬で行列を妨害し斬殺された。薩英戦争のきっかけになる)で有名な生麦地区があり、又、1963年(昭和38年)11月9日、国鉄・鶴見事故が発生し、死傷者300人を出した地域でもある。


「曹洞宗」の本山は、現在はこの鶴見・総持寺と御存じ越前福井の「永平寺」である。
大本山永平寺は、高祖・道元禅師(どうげんぜんじ)が鎌倉期・1244年に開いたのが始まりで、今では全国に1万5千の末寺、檀信徒は800万人といわれている。 
無論、禅師が入滅した地でもある。 
道元禅師の後、数えて4世にして瑩山禅師に受け継がれ、師は、58歳にして、能登国の諸嶽寺(もろおかでら)を寄進されたのを期に、名を総持寺と改称し禅寺に改め、瑩山禅師教えの「大本山諸嶽山総持寺」とした。

今でこそ、半島の外れの片田舎にあり、八ヶ川が造りだした小さな小さな盆地、清流と新緑に囲まれた幽玄の地に忘れかけたように大伽藍群が静座しているが、大本山当時は、時代が遡るに従って信徒をはじめ多くの人物が往来し、隆盛の極みであったという。
福井の「永平寺」を「越本山」と称したのに対し、こちらは能登の総持寺「能本山」と称した程である。 曹洞宗の拠点寺であったためか、鶴見への移転には多くの信徒達から反対された経緯もあったらしい。

曹洞宗を開いたのは、道元禅師であるが、今一つの中国禅宗の流れをくむ臨済宗(りんざいしゅう)は、幕府や貴族階級など時の権力者の信仰を得たのに対し、曹洞宗は地方の豪族や一般民衆の帰依(きえ)を受け、もっぱら地方へと教線を伸ばしていったという。 この辺りにも、庶民相手とする大本山が能登の僻地へ構えたのも納得できる。

2006年2月1日、門前町は隣接する輪島市と新設合併し、新しい「輪島市」となった。


【追記】  平成19年(2007年)能登半島地震・・、

2007年(平成19年)3月25日9時41分58秒、日本海の輪島市西南西沖でマグニチュード(M)6.9(気象庁暫定値)の地震が発生し、門前町(輪島市)も震度6強を記録したという。 
幸い死者は無かったが、門前町地区(旧門前町)の中心商店街(総持寺通り商店街)では主要な各商店も傾き、崩れた商品がいたる所に散乱、特に160年にわたって続く造り酒屋の酒蔵も崩れ、「のれん」を下ろすという。
避難した住民の中には、「もうこの町は元には戻らない」と焦りの声も聞かれるという。

頑張れ・・!、門前町民・・!!。


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