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日本周遊紀行(183) 斐川 「宍道湖」



宍道湖
宍道湖から松江方面(秋鹿なぎさ公園から)


日本一のシジミの産地・・、

その宍道湖の北側を進む。
出雲大社から来ている一畑電鉄大社線が並行して走っている。 
布崎駅から園駅辺りから宍道湖の湖面が見え出した、走行してても湖面から緩やかに風が吹き込んでくる。 
湖面を眺めながらの、余所見(よそみ)運転をしながら(危険です・・!!)湖岸をしばらく走ると「秋鹿なぎさ公園」という休憩所が現れた。 
勿論、今の時間帯であるので人の姿は見えない、砂浜に出て 見た、細粒の奇麗な砂浜で、小波に洗われている。湖面は風のせいで、漣(なぎさ)というより、かなり波立っていたが。

宍道湖は、島根県東部に位置する全国第六位の広さを有する天然湖で、東側に隣接、位置している中海は第5位の広さで、海としているが同じく天然湖である。 
宍道湖、中海とも同様に汽水湖(淡水と海水がまざる湖のこと)で、松江を挟む大橋川で繋がっているが、境港の境水道を介して日本海とつながっている中湖の方が、宍道湖に比べて塩分濃度は高い・・、当然である。 
宍道湖の塩分濃度は海水の約5〜10%、中海の塩分濃度は海水の約20〜50%となっている。


歴史的の視ると石器、縄文期前期の頃の宍道湖はまだ存在してなく、付近を網の目のような斐伊川が、今の神戸川と合体して大社湾へ流れていたらしい。 
その後、海面上昇によって大きな出雲湾、入り江ができ大社町、平田市は日本海に面した巨大な半島を形成していったとする。 
そして、海面降下、又、斐伊川、神戸川の土砂の堆積によって出雲平野が形成され、出雲湾は次第に埋め立てられて、今のような宍道湖が出来上がったとする。 
併せて出雲大社南部の海域は「神門水海」という湾又は汽水湖が出来上がったという。 

この頃が弥生後半の時期、つまり紀元が改まる2000年前頃と想定でき、出雲大社創建の頃とされる。 この時期の大社は海に面していたと想像でき、大社本殿の前に昇殿用の階段があるが、階段の下を「浜床」といい、当時、浜の近くに本殿が建てられたのでこの名前が付いたと想像できる。
その後沖積地は、今の湖の東から流れ込む斐伊川の河床に運び込まれる土砂で次第に高くなり、堰き止められて、概ね淡水湖としての今の宍道湖が誕生したとされる。 

又、中海は、弓ヶ浜の砂州が本土側の間と繋がったり離れたりを繰り返し、平安期の頃には砂州が固定化してできたとされる。  斐伊川の東流以降、宍道湖は西からの埋め立てが急速に進み、江戸期より現在までは埋め立てや干拓による自然の改変が進んでいるという。


塩分の薄い汽水湖であり、栄養豊富な宍道湖は日本一のシジミ産地として有名である。 
ヤマトシジミは全国で約2万トンの漁獲があるといわれるが、そのうち約30%〜40%は宍道湖でとられているという。 
宍道湖は全国一のヤマトシジミの産地であり、宍道湖においてとれる魚介類のうち90%以上がヤマトシジミであるという。

因みに、国内の主なシジミに「マシジミ」があが・・、
こちらは河川の砂地に生息するのに対し、ヤマトシジミは河口、淡水と海水が混じる汽水域の砂礫泥底で多く見られる。 干潮になると水がなくなるような干潟でも生息している。 
尚、宍道湖のヤマトシジミは種苗として全国に供給もされているという。

次回は、「松江」

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日本周遊紀行(184) 松江 「松江城」

松江城
写真:松江城天守閣



松江城は、やや小振りだが・・?信州・松本城に類似している・・?、

松江に向かっている。 
松江市街に入り西末端部の宍道湖と大橋川に架かる宍道湖大橋を右に見ながら左折すると、すぐに高めに「松江城」の優雅な姿が見受けられた。 
大手門前の有料駐車場を利用して、高台の本丸に向かう。

先ず目に付いたのが石垣の下に佇む松の緑に囲まれた清楚なお壕、お堀端である。 
そこに、遊覧船、観光船、或いは案内船と言うべきか、ロマンチックな木製の渡し船が船頭さんと共に、静かに待機し、運行していることである。
尤も、実際のお壕の名称は「堀川」といって堀川の渡しであり、それは一種の「水郷」である。 

思えば松江の町自体が、水郷の都、水の都なのである。 
町の中心が宍道湖と中湖の間に挟まれた地域で、そこに大橋川とそれらの支流が編み目の様に流れ、城壕の堀川はその一部のようなのである。
幾多の城を巡ってきたが、お城周りにこれだけ風雅な雰囲気を残しているのは見当たらない。 

松江市は、中国の「松江(しょうこう)」に似ているところから名づけられたとか。
お城の周辺には、古い町並み、屋敷跡、著名人の館が残り、更に、情緒と雰囲気を盛り上げている。 
いわば松江の町のシンボル的存在になっていて、歴史、自然を大切に温存している様子が判る。


さてお城である・・、

中央に手摺を設けた幅の広い、ゆったりした石段を少し登ったところ、よく整備された生垣の庭園が大きく広がっていて、そこに威風堂々の天主城郭が天を指していた。
石垣の上にドンと構えた黒塗りの城壁は一見、やや小振りだが信州「松本城」を思い出した。 

天守閣は望楼様式になっていて、ここから望む風景は絶大で、眼下の宍道湖をはじめ松江市街の向こうに中湖まで遠望できるにちがいない。 
屋根上には雌雄で鱗(しゃちほこ)が天に構える。 

内部は時間的に接見できなかったが、支柱や構造材は木造で、築城当時の様子がよく残しているという。 所謂、戦国時代の特徴を良く残しており、非常に実戦的な天守の構造をした貴重な遺構だという。 このあたりも平城の松本城を彷彿させる。 
天守地階には籠城用の生活物資の貯蔵庫、中央には井戸も残っているという。 

なんでも、全国に城郭が多数ある中、築城当時が現存するのは12ヶ所のみで、松江城はその内の一つであり、山陰では唯一の天守閣であるとする。

その内、天守閣の大きさ(平面面積)では、2番目、古さでは6番目とのこと。
因みに、記録に残っている日本の城と言われる総数は25000にも達すると言われ、その中には、天守閣を備えた立派な城もあれば、柵で囲っただけの砦の様なものもある。
だが、江戸時代の末期にはすでにその数は200を切り、その内天守閣があった城は70箇所程度という。 
その中で、現在も昔の様相、形式、築造方式が残っているのはたったの12城という。 
古くからの形を留めているのはこれだけで、あとは復元、復興等後から建てられた物という。  
12城とは、弘前城(青森)、松本城(長野)、彦根城(滋賀)、丸岡城(福井)、犬山城(岐阜)、姫路城(兵庫)、備中松山城(岡山)、丸亀城(香川)、高知城、松山城(愛媛)、宇和島城(愛媛)そして松江城(島根)である。


松江城の歴史は江戸初期に始まる。

慶長16年(1611)初代城主である堀尾吉晴から三代の忠晴にかけて、5年の歳月をかけて完成したものであり、特に吉晴は加藤清正と並び称される程の普請上手と言われていた武将であったという。

吉晴は16歳の時、木下秀吉(のちの豊臣秀吉)に出会い、その家臣になっている。 家臣とはいっても子飼いに近い存在で、名は茂助、秀吉には大変可愛がられたようで、穏和な人柄に人望があり、「仏の茂助」とも称された。 
以来秀吉に従って戦功をあげ、小田原征伐後は大大名に出世している。 

堀尾忠晴の後は京極忠高(いずれも嫡子無くお家取り潰し)、その後、徳川家康の孫に当たる松平直政が信州松本から移封され、以来明治維新まで松平氏が10代234年間に渡り18万6千石を領していた。
松江城が、信州・松本城に類似しているのは、松平直政の影響が有ったのかもしれない。

次回は、玉造      Part7(松江、玉造)へ

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