日本周遊紀行



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24日目:Part7(松江、玉造)  Part8(玉造、美保関)へ      写真集W  日本周遊ブログ
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日本周遊紀行(184) 松江 「小泉八雲」

小泉邸
写真:松江城のお堀端に面する旧小泉八雲邸


小泉八雲が「神々の国の首都」と言わしめた松江・・、

お城を下って堀川の北部、その名も「北堀町」の古い屋敷群をのぞいてみた。 
堀川をレイの遊覧船が水面をゆっくり滑って行く。 お堀端には古齢の松が、幹をくねらして水面に掛かる。 だが、路上にある松の幹根部を良く見ると、舗装に覆うわれていて、植物に対する細心さが無いようで、これはチト残念ではある。 
全体としては、趣のある良環境を造りだしていて、この辺りは時間がゆっくり流れているようでもある。

この一角に「塩見縄手」という看板がある。
「縄手」とは城郭の構えを定めるとき、先ず、縄張りをして塁壕や形態を定めるもので、今の基本測量のことである。 城下町では縄のように糸筋に伸びた道路を「縄手」と称した。 
藩祖・松平氏の町奉行「塩見古兵衛」が城を縄張りし、改修したので、その名が付いたという。 彼の旧屋敷が路の反対側に屋敷群と共に在り、やはり、長屋門を構えた豪勢な屋敷である。

付近に旧小泉八雲邸があった。
しっかりした門構えで表に「史跡小泉八雲旧邸」とあり、只今公開中の札が下がっていた。 純和風の建物で、表庭には枯山水の庭園が施してある。 
彼が如何に日本贔屓の彼であったことが判る。
小泉八雲(こいずみ やくも)は、本名はパトリック・ラフカディオ・ハーンという名でいなじみであろう。 アイルランド人で1850年、40歳とき日本に帰化している。 日本研究家として知られ、一方で紀行作家、随筆家、小説家でもある。 

名前の「八雲」は、一時期当人が松江に在住していたことから、そこの旧国名(令制国)である出雲国にかかる枕詞の「八雲立つ」にちなんだとされる。
さすがに日本贔屓のハーンであった。

我々は、小説「怪談」の中の「耳なし芳一」、「ろくろ首」、「雪女」などでお馴染みであるが、実は妻・セツの昔話が小説の元になっていることや、幼い頃の暗闇体験の恐怖が基になって、数々の名作が生まれたという。

「耳なし芳一」は先に記したが、平家滅亡時の壇ノ浦での話である。


小泉八雲の随筆文・「神々の国の首都」より・・、

『 松江の一日は、耳朶の裏でどくんと搏つ脈拍のような音で目覚めることから始まる。 厳かでやわらかな鈍い低音は――規則正しく奥深い心臓の鼓動に似ており、聞こえるではなく感じるという方が相応しい様子で枕越しに震える。 何のことはない、米搗き杵を使って雑穀する音だ・・・、その次は禅宗の洞光寺(とうこうじ)の大釣鐘がゴーン、ゴーンという音を町の空に響かせる。 次に私の住む家に近い材木町の小さな地蔵堂から朝の勤行(ごんぎょう)の時刻を知らせる太鼓の物悲しい響きが聞こえてくる。 そして最後には朝一番早い、物売りの呼び声が始まる、「大根やい、カブやカブ」と大根その他、見慣れぬ野菜類を売り回る物、そうかと思えば「もややもや」と悲しげな叫び声は炭火をつけるのに使う細い薪(まき)の束を売る女たちである・・・、 』

洞光寺は八雲の好きな寺であったようで、明治6年(1873)に松江で最初の小学校が洞光寺に置かれていた。


2005年3月、松江市は八束郡鹿島町・島根町・美保関町・八雲村・玉湯町・宍道町・八束町の1市6町1村が合体合併し、新制による松江市が発足している。

次回は、玉造

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日本周遊紀行(185)玉造 「八坂瓊の勾玉」



「三種の神器」の一つ、八坂瓊の勾玉(ヤサカニノマガタマ)の製造元・・、

松江の南に、玉造温泉がある。

小生、若かりし頃(20代)出張仕事のついでに山陰を旅行した際、宿泊した温泉であるが記憶は全く無い。

宍道湖へ注ぐ玉湯川沿いに、数寄屋造りの高級和風旅館が多く並び、歓楽色は一切なく、歴史を重んじた落ち着いた風格を見せる。 
出雲国風土記にも記載があり、奈良時代開湯といわれる古湯で、神の湯として知られる。
ところで、玉造という名の由来は「三種の神器」の一つ、八坂瓊の勾玉(ヤサカニノマガタマ)が櫛明玉命(クシノアマルタマ・出雲国玉作祖:ニニギと共に降臨したとされる)によってこの地で造られたことに由来するという。

玉造の温泉街のはずれ、玉作湯神社にはその櫛明玉命を祀っており、多数の勾玉や管玉が社宝として保管されているという。 


玉作湯神社の縁起的資料には・・、


『 櫛明玉神は豊玉、玉祖神などの異称をもち、天岩戸の前で神々のお計らいで神楽を奏せられた時、真榊の枝に懸けられた「八坂瓊之五百箇御統玉」は此の神の御製作であった事は、古語拾遺に明記せられ、玉作部の遠祖と仰がれ、此の地方に居住し、此の地の原石を採って宝玉の製作をお司りになったと伝え、日本書紀に「素盞鳴尊が天に昇りまさんとする時、羽明玉神(古語拾遺には櫛明玉命とあり)は道に出迎えて、瑞八坂瓊の勾玉を進め、素盞鳴尊は之を御姉天照大御神に献上になった」ことが記され、社伝には三種神器の八坂瓊の勾玉は命が御製作になったものと伝えています。
天孫降臨の際、櫛明玉命は随従の五部の神の御一人として、玉作の工人を率いて日向に御降りになり、命の子孫一族は所属の工人と共に出雲玉造郷に留まって製玉に従事し、其部の長たる櫛明玉命の薫督をお受けになったと云われ、古語拾遺に「櫛明玉命之孫、御祈玉を作る。其の裔、今出雲國に在り、毎年調物として、其の玉を進む」と記され、・・・ 』
・・と。

要約すると・・、

「 櫛明玉命は天明玉・豊玉・羽明玉・玉祖神などの御異称をお持ちになって居て、天岩戸の前で神々のお計らいて神楽を奏せられた時、真榊の枝に懸けられた八坂瓊之五百箇御統玉は此神の御製作であった事は、古語拾遺(807年)にも明記せられ、玉作部の遠祖と仰がれ、此の地の原石を採って宝玉の製作をお司どりになったと伝え、日本書記(720年)に「素盞鳴尊が天に昇りまさんとする時、羽明玉神(古語拾遺には櫛明玉命とあり)は道に出迎え給いて、瑞八坂瓊の勾玉を献じ、素盞鳴尊は之を御姉天照大御神にお進め給いしこと等記され、当社々伝には三種神器の八坂瓊之勾玉は命が御製作になり給う由し申し伝えています。

天孫降臨の際には、櫛明玉命は随従の五部の神の御一神で製玉を司られ、又、古語拾遺に「櫛明玉命は出雲国玉作の祖也」と記され、更に同書に「櫛明玉命之孫、御祈玉を作る。其の裔、今出雲国に在り、毎年調物として、其の玉を進む」と記されている・・ 」



八坂瓊勾玉
(やさかにのまがたま)は、長い紐につなげた勾玉のことで、別名を「八坂瓊乃五百箇御統玉」(やさかにのいほつみすまるのたま)という、特別な名前が付いている。

「玉」は、鏡や剣といっしょに古代王権(現在でも・・、)の象徴で、神話では天岩戸に引きこもった天照を引っ張り出すために賢木(さかき=榊)へ鏡や木綿(ゆう)といっしょにかけられたという。

製作者は玉祖命(たまおやのみこと)という神様で、「八坂」は八尺のことをいい、「五百箇」は多数、沢山を意味し、「御統」は多くの玉を連ねて輪にすることをいう。 
玉の質はヒスイ、メノウや碧玉(へきぎょく)製品で、所謂、貴石、宝石であり、貴重な宝物である。
宮中にあっても、たとえ天皇はおろか、何人も眼にすることは許されていない宝物とされている。 

平安時代の頃に伝承が有って・・、
時の冷泉天皇が、箱をあけて中を見ようとしたという伝えがあるが、その時、突然に白煙が立ち上り、驚いて止めたという。

玉造は「メノウ」の産地で特に、青メノウは玉造だけに産出するという。 伝承館には、2トンもある大きい赤メノウの原石が展示されている。 
又、玉造温泉入口の公園には真玉の勾玉が飾られ、温泉街の各所に勾玉のモニュメントが置かれている。
明治以後、天皇即位の式典に際し、この地で作られた碧玉や瑪瑙(めのう)が献上されたという。 

次回は、その「三種の神器」      Part8(玉造、美保関)へ

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