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写真:有村溶岩展望所よりの「さくらじま」


日本周遊紀行(158) 桜島 「火山島・桜島」



垂水から桜島へ渡る大橋は、「早崎」なのに「早咲」と命名したのは何故・・?

油津、南郷、志布志を経て、小生が昨日辿った道を逆方向へ進み、垂水から向かうは火山島・「桜島」である。
途中、きのう見過ごした都井岬へ寄ろうと提案したが、時間の都合上やはり素通りすることにした。 
串間辺りの220号沿線には「大黒」という大きな看板が目立つ。 
ホテルや温泉施設、式場等の広告看板であろうが、たぶん“だいこく”と読むんだろうけど、我々はどうしても“おおぐろ”と読んでしまうのである。 

車中は、次にサッカーの話で盛り上がる、一昨夜、W杯のアジア地区最終予選で北朝鮮との決勝戦で、「大黒」が決定的と思えるゴールを決めたからである。


志布志、串良から鹿屋の錦江湾へ出た・・、 

既に海上から錦港湾に浮かぶ桜島が見え隠れしている。 
垂水の変哲もない市街地を通り抜けると、海岸に沿って家並が続く、所々に廃隧道や線路跡らしきものが望める。 そう、克っての国鉄大隈線の跡であった名残である。

先にも記したが、大隅線は志布志町(現・志布志市)の志布志駅から同県国分市(現・霧島市)の国分駅までを結んでいた、国鉄の鉄道路線である。 国鉄再建の特定地方交通線に指定され、1987年に廃止された鉄路で、志布志から大隈半島を横断して古江から錦江湾沿いを北上して国分に到っていた。

海潟(あいかた)温泉は錦江湾、桜島を望む温泉宿数軒の鄙びた温泉地であるが、泉温は大隅半島唯一の高温温泉で46〜52度の天然温泉で地域の人たちの人気が高いという。 
和田辺りまで来ると、桜島がチラホラ見えているので、思い切って和田の海潟の波止場へ出てみた。 

案の定、忽然と煙たなびく桜島が海上に浮かぶように現れた、実に迫力あるポイントである。 
もしかしたら、この地が桜島のビュウポイント・ナンバーワンではなかろうか・・?、おまけに、波止場岸壁のすぐ横には、懐かしい「江乃島」がこんもりと浮かぶ、実に気が和む風景であった。


写真:垂水市と桜島を結ぶ「早咲大橋」


いよいよ桜島へ向かう、国道220号の垂水市海潟〜牛根間は「早咲大橋」いう海岸海上の大橋を渡る。それにしても、右岸は急斜面の山肌が迫り、錦江湾の風景と相まって中々美事な橋である。 

なんでも右手の早崎山・火山が噴火の時、火山岩や火砕流が錦江湾に向かった流れた際、急激に冷されて急な崖になったところらしい。 
山裾にはかって旧道があったらしいが、過去の集中豪雨や台風の異常気象時に土砂災害を多く受けて、その度に斜面崩壊が発生して交通が途絶遮断した。 
そのために、早咲大橋を急遽、建設、開通させたという。


ところで、「早崎」なのに「早咲」と命名したことは何故・・?、

役所の職員に、そそっかしい人がいて正式書類に早崎を早咲と書き込んでしまい、それが認可されてしまった・・?、などど邪推するが、定かでない。 全長は888mと実にキリが良い・・!、この数値には懐かしい思い出がある。

小生20代前半の頃、実家である田舎町(いわき市湯本)に、888(ぱぱや)という名称の小奇麗な飲み屋(昔のバー)があり、そこのホステスと相思相愛・・?の仲に成ってしまったのである。(これは余計)

渡りきると鹿児島市桜島町である。 桜島は、今でも活発な火山活動を続けているが、1914年(大正3年)の大噴火の際、桜島と大隅半島の間の瀬戸海峡が溶岩で埋まり、大隅半島が今のように陸続きになった。 


現在の垂水市であり、その市境を「戸柱鼻」という・・、

ここからは国道224号線になり、斜面の山肌は特有のゴツゴツした火山岩で覆うわれていて、別称、溶岩道路(Lava Road)の名が付いている。 
桜島が陸続きとなった戸柱鼻から2キロくらのところに「有村展望所」があり、道の内陸側に駐車場、みやげ物屋が数軒並んでいる。 
展望所は、1946年(昭和21年)の大爆発で流出した溶岩原の小高い丘にあり、正面に桜島本山を始め、360度に広がる眺めである。 
全長1kmに及ぶ溶岩遊歩道の途中にあり、世界的活火山「桜島」の迫力と錦江湾を手にとるように望むことができる。 

東屋のある展望所は三か所あり、周辺は溶岩石や火山砂といった荒涼とした風景が広がっている。 
溶岩地帯は遊歩道を散策でき、徒歩5分〜20分くらいで、時間に合わせて自由にコースを設定できる。桜島山を正面に望める溶岩原の中に、「霧島・屋久国立公園・さくらじま」と標板が立ち、撮影ポイントを示しているのだろう・。 


「桜島」(桜島町)は鹿児島県の自治体として、町制施行30年余を経過しているが、平成16年11月1日に1市5町(鹿児島市、吉田町、桜島町、喜入町、松元町及び郡山町)と市町村合併を行うこととなり、新鹿児島市として発足、その長い歴史に幕をとじている。


桜島山は、鹿児島市の東方わずか約4km先、鹿児島湾(錦江湾)上に位置し、現在も活動を続けている活火山がこの半島を形成している。 
整った山容を静かな錦江湾に浮かべ、湾に面する各地域から眺められる秀麗な姿は、全国に例を見ない景観でもあり鹿児島県民の心の拠り所であろう。

桜島の大きさは、周囲52キロメートル、北岳の高さ1117mで、円錐形の上半分が切断された半コニーデ式の火山である。 
外周する道路は、北部は県道26号(桜島口=袴腰〜早咲大橋)と南部の国道224号で、国道は島内だけの僅か14km足らずの短い路線であり、袴腰−赤水の2キロ余は一直線に駆け抜ける「溶岩直線道路」と言われ、桜島避難道路としても使用されている。 
海側を通っていた従来の国道は観光用道路として残されている。

引き続き、火山島・「桜島」

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日本周遊紀行(158) 桜島 「火山島・桜島(2)」




写真:現在の桜島の様子
写真(下):大正年間の大噴火の様子(家並みは鹿児島)、東部埋黒地区、黒神神社の埋没鳥居
(資料提供:鹿児島市)



島名の由来は、ニニギの嫁さんの木花咲耶姫を祭る神社があり、咲耶島(さくやしま)か転じて桜島となった・・、

活火山・桜島の噴火・・、
桜島火山は、姶良(あいら)カルデラという南部に生じた成層火山で北岳、中岳、南岳の三 峰と権現山、鍋山、引ノ平などの側火山からなり、人口が密集する鹿児島市の市街地に近接している。 
有史後の山頂噴火は南岳に限られるが、山腹や付近の海底からも噴火はしているという。 
江戸中期そして大正、昭和等の各年間に発生した大噴火はすべて山腹噴火であり、多量の溶岩を流出し、火砕流や泥流の発生もあった。 


大正3年(1914年)の大噴火について・・、

未だお屠蘇気分覚めやらぬ正月12日の午前10時、桜島南岳が轟然として噴火を始め、鹿児島市内にも大量の降灰が始まった。 
噴火は次第に熾烈になり、桜島全島が黒煙、白煙に包まれ、更に、上下動の激しい地震が発生、鹿児島市内では家屋や石塀が倒壊したという。 更に、噴火は拡大し、夜になって爆発音は更に激烈になってきて人々は混乱し、逃げ惑ったとされている。 

そして、この噴火で流出した溶岩は、それまで錦江湾に浮かぶ文字通り島だった桜島と大隅半島の間の幅400m、深さ72mの海峡を埋め尽くし、半島と桜島は陸続きとなったという。 
今も、東部・黒神地区の神社の鳥居は、上部を残す埋没した姿で痕跡を残し、そのすさまじい降灰の量を端的に物語っている。 
この時の噴煙は上空8,000mに達し、遠くカムチャッカ半島にまで灰を降らせたといわれる。 当時の様子を誌書には「その状況は筆舌に尽くし能わざる・・、犠牲者は死者35人、行方不明23人・・、」と記されている。


桜島は東西10km、南北8km、周囲40km の島であったが、1914 年(大正3 年)の大噴火で山腹から流出した溶岩により大隅半島と陸続きになった。 
南岳山頂火口は、1955 年10 月の爆発以来今日まで長期間にわたって活発な噴火活動を続けており、噴出物(火山ガス・火山灰・火山礫・噴石など)や爆発時の空振、また、二次災害としての土石流などにより各方面に被害を及ぼしているという。

南岳山頂火口から2km 以内は、現在も立ち入り禁止となっていて、平成の現代になっても尚、活動は活発といわれる。 
平成12 の爆発では火山灰、噴石が噴出する被害を出し、年間の爆発回数も169 回にも及び、鹿児島市周辺でも直径2 〜 3mm の火山礫も飛散したという。 尚、平成14年以降は比較的静穏が続いているという。


この激しくも恐ろしい火の山に、どうして、優雅な「桜島」という名がついたのだろう・・?、

島名の由来については、島内に木花咲耶姫命と夫:瓊瓊杵尊(コノハナサクヤヒメ、ニニギノミコト)を祭る神社が鎮座していて、当初は、島の名を祭神に因んで咲耶島(さくやしま)と呼んでいたが、いつしか転訛して桜島となったとする説がある。
一方、10世紀中頃、大隅守として京都から赴任してきた「桜島忠信」の名前からとったという説の二つが有るという。


桜島は時に、雨が激しいときには大隅半島(垂水方面)から桜島へと渡る国道が閉鎖され、又、常に噴火する可能性があるので、飛来する(かもしれない)噴石避けのための「避難壕」が島内の各所に設置されている。 
そして定期的に、人口4,700人の桜島町では、噴火を想定した島からの避難訓練が行われているらしい。 
尚、国立公園は何処もそうであるが、桜島の溶岩類は許可がなければ持ち出しはできないという。

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