日本周遊紀行

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紀行(131)横浜 「横浜ベイエリア」



山下公園と氷川丸とみなとみらい21地区とランドマーク



首都高速道の湾岸線から、美景な「横浜ベイブリッジ」を渡る・・、

横浜の名所にもなっている「ベイブリッジ」は横浜港湾口部の航路を、本牧ふ頭から大黒ふ頭を全長860mを横断するもので、支柱を立てて、そこからワイヤーで両方から突っ張る「斜張橋」という工法で世界最大級の湾口吊橋といわれる。

橋は珍しく上下2層の構造をなす道路橋で、上層は首都高速湾岸線と下層は国道357号線になっている。
又、大黒ふ頭側の「スカイウォーク」といわれる海上50mからは、片道320mの展望遊歩道になっていて、海上の様子や山下公園、横浜の新しいシンボル、「ベイエリア」などが見渡せる。



昭和期における横浜の顔といえば、日本で始めての臨海都市公園として完成した「山下公園」であろう、そして、その一角にある展望塔の「横浜マリンタワー」や氷川丸、新大桟橋などであった。
ところで、マリンタワーは、横浜港開港100周年記念行事の一環で建てられ、本年(2004年)横浜マリン

横浜マリンタワーが45周年を迎えるという。 

高さ106m、円形の灯台を意識したデザインとなっており、実際に頭頂部には灯台としての機能も併せ持っていたらしい。
しかし、このタワーも老朽化が進み、本年末をもって目出度く引退することになったといいい、5年後の開港150周年には、リニューアルオープンする予定である。 

2009年の横浜開港150周年まで、しばしお別れである。 


ところで、マリンタワーは市ではなく「氷川丸マリンタワー」という会社が経営していたらしい。
この度、マリンタワーのリニューアルに併せて会社も解散する事になり、マリンタワーは横浜市へ、「氷川丸」は日本郵船(株)又はその関係先に譲渡する予定だという。

氷川丸は、元々、日本郵船で活躍していた豪華客船で「北太平洋の女王」と呼ばれ、喜劇王チャーリー・チャップリンや秩父宮夫妻乗船したことでも有名である。 

太平洋戦争時には病院船、、終戦を迎えた後は復員輸送に従事し、再び改装工事をしてシアトル航路で再度活躍した。 
そして、1960年(昭和35年)、70年の現役生活を引退し、横浜市の「横浜港開港100周年記念事業」の一環として、1961年(昭和36年)生まれ故郷の横浜港・山下公園に係留されているのは周知である。
日本郵船に譲渡され、更にリニューアル保存される見通しだが、再公開の詳細は決まってないという。


この「三菱横浜造船所」は横浜再開発の要望を受け、昭和58年(1983)に、この地を離れている。

この跡地に出来つつあるのが、「みなとみらい21」といって、今や横浜の新しい顔とも言える「ベイエリア」になっている。

日本一高いタワー棟・ランドマークタワー(高さ296m・70階建てで69階に展望台がある)を中心とするオフィス、ホテル、ショッピングモールを核に、展望フロアや多目的ホール、さらには復元活用した赤レンガ倉庫広場など、多彩な施設を併設し、魅力ある一つの街を形成している。

次回は、「横浜開港」

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紀行(131)横浜 「横浜開港」



横浜開港・・、


江戸期の「横浜」は、東海道の宿場として神奈川宿それに保土ヶ谷や戸塚が賑やかであったにすぎず、当時の横浜(横浜村)の港は、砂浜が広がる戸数100戸足らずの小さな漁村だったという。

横浜の地域は、隣地・鎌倉に幕府が置かれた華やかな鎌倉時代においても、せいぜい北条氏により称名寺や金沢文庫が建てられ、また小机に水田が開かれた程度で、さして注目はされなかった。
その主な理由は地域全体が丘陵地、山坂がかなりの部分を占めていて、農作物の作付けにも適さず、人の往来の自由をも阻んでいたと思われるのである。


江戸時代には、幕府が置かれた江戸に近いため幕府直轄地や旗本領が大部分を占め、横浜市内唯一の藩として三浦半島を拠点に六浦藩がおかれたのみであった。
また、大きな港を持たない鎌倉の海の玄関口として六浦湊(金沢区六浦)が、江戸湾(東京湾)内海交通の要衝として神奈川湊(神奈川宿、神奈川区神奈川)が早くから開けていた。


江戸末期には大型船や外国船受け入れの為の大型の港が必然となってきた。

こんな時期の19世紀半ば、神奈川湊沖で締結された「日米修好通商条約」にって、港としては現行の神奈川宿の湊が取り敢えず開港場に指定された。
しかし、東海道に直結する神奈川宿・神奈川湊は避けるべきだとの合意で、向こう岸の横浜村に新規に港場を新設することを、改めて幕府の指令によって決った。

実際に開港したのは対岸の横浜村(現在の中区北側近辺)であり、港やその周辺の工事は突貫工事の急ピッチで行はれたという。
これらの事業や初期の町作りを担ったのは、神奈川宿、保土ヶ谷宿や周辺の村々の人達の所謂、民間の人々であったと言われる。


1853年,アメリカのペリーが来航して以来、日本は鎖国政策を取り止めて、神奈川(横浜),長崎,箱館(函館)を開港し外国との自由貿易が出来るようになる。

横浜港が開港した当時は、現在の大桟橋の付け根付近に二か所の波止場が造られたが、それでも大型の船は波止場に直接に付けることができず、沖に停泊し「はしけ」や「汽艇」とよばれる小さな船が陸との間を往復して荷物や人を運んだといわれる。

1859年7月1日(旧暦:安政6年6月2日)、横浜港は開港し実際に貿易を開始した。 
開港に先立ち、幕府は横浜への出店を奨励する御触を出し、江戸の大商人や神奈川湊など江戸湾内の廻船問屋のほか、全国から新しい港で一旗揚げようと意気込む商人が集まり、横浜港は急速に発展したという。


2009年は開港150年にあたる・・、


その後の横浜港は「金港」とも呼ばれ、開港当初から昭和初期に至るまで綿花などの原料・鉄類・機械の輸入と生糸・糸・絹織物の輸出を主とし、特に生糸の貿易港として発展していく。
更に、京浜工業地帯の発展に伴い、鉄鋼・機械類・油脂の輸入と、機械類・金属製品・鉄鋼の輸入を主とする工業港となる。

現在では、コンテナ貨物取扱や倉庫物流の拠点としても重要な役割を担い、日本有数の貿易港となって東京港、川崎港と併せて京浜港群のスーパー中枢港湾として発展していくのである。

尚、横浜市は6月2日を開港記念日としている。 そして、来年の2009年は開港150年にあたり、横浜市としては盛大に「開港記念祭」を計画しているとのこと。



横浜湾岸道路から国道16号・保土ヶ谷バイパス経由、国道246にて、待望の我が家に到着した。

時に、平成16年(2004)10月5日18時20分、突然の帰宅でカミさんもビックリ・・!!、直ぐにニッコリ・・!、「!お疲れさんでした・・!」・・と


次回、最終(東日本編)は、 PARTVへ で、小生の地元「厚木」について述べます。

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紀行(132)厚木 「相模の国・厚木」



最後に我が居住地・地元「厚木」について書かねばなるまい・・。


相模の国、神奈川県のほぼ中央、南に相模平野を望み、北、西の丹沢山地に抱かれた緑豊かな土地柄である。
更に、富士五湖の一つでもある標高凡そ1000mの山中湖に水源を持つ「相模川」の畔に位置している。 

厚木は県央地域の物流拠点となっており、東名高速と小田原厚木道路のインターチェンジや国道129号、国道246号、合同バイパス、国道412号などの主要国道が交差する交通の要衝となっている。
又、東京・横浜からそれぞれ直線距離約60km、30kmに位置し、東京都心までは電車で約45分から1時間前後のところに在り、首都圏郊外都市として発展してきた。 

人口は22万を超え(平成19年)、首都圏の業務核都市に位置づけられ、2002年4月1日付けで特例市にも指定されている。
住宅や産業においては東京・横浜の衛星都市として知られる一方、多くの山間部や農業地帯を有している。 
山懐の地でもある厚木は丹沢・大山方面登山への入口となっている他、古来より市内には複数の温泉地を抱えている。

そして、江戸期には「小江戸」と呼ばれていた通り、古い時期から発展した地域でもある。
この厚木の歴史的意味合いを次回より追々と述べたい。
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