本日の記録・データ

本日・年月日 平成16年10月4日 延日数 15日目
出発地 松島「湯の原温泉」 出発時間 6時30分
到着地 水郷「潮来」 到着時間 19時20分
天 候 雨のち曇り 体 調
走行道路名 R45・R6・常磐道・R245・R51、
主移動地名
松島「湯の原温泉」 ⇒塩釜 ⇒岩沼 ⇒相馬 ⇒富岡 
⇒いわき湯本 ⇒大洗 ⇒潮来 
現在(宿泊)地 道の駅「潮来」(車中)
道の駅(R) 「いたこ」
温 泉 いわき湯本 「さはこの湯」
名所・旧跡 相馬野馬追い   湯本温泉  勿来の関  大洗海岸  水郷「潮来」
走行関係(km) 燃料関係(L) 金銭関係(現金円) 金銭関係(カード円)
本日表示 5008 今回入油 37.0 本日支出 10965 本日支出 4257
昨日表示 4645 前回累計 419.3 前日累計 75086 前日累計 82616
走行距離 363 今回累計 456.3 本日累計 86051 本日累計 86873
総距離 5008  . . . .

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紀行(105)塩釜 「鹽竈・・?」


「鹽竈」・・・?、


昨日から相変わらずの小雨模様であった。日本周遊の旅に出て、幸いにして殆どの期間が秋日の好天に恵まれてきたが、旅の終わり近くになってどうやら雨に遭遇したようである。 

四季晴雨の豊かな国土・日本である、雨も良しとしよう。
松島の「湯の原温泉」を早々に後にした。
塩釜市の繁華街で・・、とは言っても街は未だ朝の寂の中だが、小生の好物、「吉野家」で朝定を食し、人心地がついた。


塩釜市は、「鹽竈神社」の門前町である・・、


地域名は、現在の通称文字である「塩釜」であるが、本来は鹽竈神社から由来しているので、「鹽竈」が正しいともいわれる。 
しかし、現代の用語としては、余りにも字画が煩雑難解であり、従って、鹽と塩は同意語であることから、鹽を塩と変えて「塩竈」としているようである。 


公の機関の官公庁、公文書等、本来の意味を尊ぶ呼称としては「塩竈」としているが、竈の字も、これまた字画・字形としては難解であるので、一般的な書き方は「塩釜」になっていて、これで良いことになっているらしい。 

しかし本来「釜」は、ご承知ご飯を煮炊きする「かま」であり、「竈」は「かまど」と称して「釜」を載せて下から火で焚くものである。 
「釜」と「竈」は、類似語のようで同意語ではないといい、疑問を呈する人もいる。

「鹽竈」を「塩釜」としたのは、些か無理があったようだが、それにしても、昔の人は難解な字を平気で使用していたものである。


鹽竈神社は文字通り製塩の神様で、御神体に塩の神が祀られている。 
製塩が行われた地域には全国に何箇所か、この名称の神社があるという。 

因みに、鹽竈神社は奥州一の宮である。 
一の宮、二の宮というのは、平安期に朝廷が社宮を核付けしたもので、その国で最も社挌の高い神社のことをいい、宮中央(朝廷)から各国に国司が赴任したときなどに一の宮、二の宮、三の宮と巡拝しなければならなかったという。


塩釜の隣町が「多賀城市」である。
多賀城は奈良・平安期に朝廷の国府「多賀城」が築かれた地であり、東北の中心地であった。 
坂上田村麻呂が蝦夷(エミシ)の人々との争いを封じるため、都よりはるばる遠征して来て、北の拠点としたのも、この地であった。
陸奥国の総鎮守、多賀城から見て北東の方角に位置する鬼門として建てられのが「塩竃神社」であったという。


塩釜神社のイラスト(資料)


その塩竈神社は、塩釜市街地の西、その名も宮町に広大な境内を有して鎮座している。
陸奥国の一宮であり、全国にある塩竈神社(塩釜神社とも表記する)の総本社でもある。

塩土老翁神(シホツチノヲヂ)を主祭神とし、武甕槌神(タケミカヅチノカミ)、経津主神(フツヌシノカミ;いずれも古事記、日本書紀に登場する日本の神々)を相祭神としている。
塩土老翁神は、海や塩を神格化した神と考えられ、神武天皇や山幸彦(火遠理命:ホオリノミコト・神武天皇の祖父)を導いたことから、航海安全・交通安全の神徳を持つものとしても見られる。また安産祈願の神でもある。

境内に、「志波彦神社」が同座している。 
祭神は、志波彦神(しはひこのかみ)とされているが、志波(しは)と鹽(塩・しほ)の読みから塩土老翁神とする説もある。

神社の由緒は、武甕槌命・経津主神が東北を平定した際に両神を先導した塩土老翁神がこの地に留まり、現地の人々に製塩を教えたことに始まると伝えられる。
奥州藤原氏など歴代の領主からも崇敬され、伊達政宗は仙台城築城の際に社殿を修造し、以降、歴代の仙台藩主が手厚く保護したという。

塩釜神社境内には「シオガマザクラ」という貴重な桜の一種があり、毎年メディアに取り上げられるほど有名である。塩竈神社の主各殿、志波彦神社及びシオガマザクラは国、県の文化財に指定されている。

堀川天皇(平安時代後期の第73代天皇)が来訪の折、次のようなシオガマ桜の歌を詠んでいる。

  『 あけ暮れて さぞな愛で見む 
               塩釜の 桜が下の 海士のかくれ家 』


次回は杜の都・「仙台」です

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紀行(106)仙台 「伊達政宗」

伊達政宗
青葉城址の伊達政宗公が仙台市内を見下ろす


伊達者とは・・・?、


国道45はそのまま行くと仙台市内であるが、小生は沿岸部の国道6号線を行くことになる。
杜の都・「仙台市」は慶長5年(1600年)伊達政宗が開いたというのは衆知のことで、仙台といえば伊達藩、伊達藩と言えば「伊達政宗」であろう。

東北の覇者、「伊達者」(だてもの)といわれた正宗は、御存じ「戦国の雄」として名を成し、「秀吉・家康を翻弄した男」ともいわれる。 

「伊達者(だてもの)」とは、朝鮮出兵時に政宗が揃えた戦装束が余りに派手で華美なものであり、上洛の道中において巷間(ちまた)の噂となったことから呼ばれるようになったといわれる。 
これ以来、派手な装いを好み、着こなす人を指してと伊達者と呼ぶようになったと伝えられる。

だが、正宗の本音は派手好みの秀吉の気に入るよう、危ない橋を渡らないよう計算したものであった。 
この「伊達者」から、人目につくように形を表す意味;侠気を示す意;派手に振舞うの意になり「伊達な若い衆」、「伊達や粋狂じゃない」などと言われ、又、見えを張ること;外見を飾ることで「伊達めがね」などと言われるようになった。


伊達政宗は1567年に「米沢城」で生まれている。 
1567年といえば室町末期に当り、世は戦国期の動乱に入ろうとしていた時期である。
因みに、同時期の織田信長(34歳)は美濃・斉藤家の稲葉山城を陥し、「天下布武」を発して京に上った時期であり、秀吉(31歳)は信長傘下で墨俣城を築城し、美濃攻めで稲葉山城を攻略、美濃の竹中半兵衛を軍師に迎える。 
又、家康(26歳)は、今川義元亡き後、武田信玄と協定して今川氏の領国を割譲し、遠江(とうとうみ)を得ている。


「米沢城」は、米沢藩の主城であり、上杉家の名相・上杉景勝、上杉鷹山(ようざん・治憲、日向国高鍋藩出身)などの居城として有名である。 
築城は鎌倉期、源頼朝の事務方大番頭・大江広元の2男、長井時広が奥州征伐後(奥州藤原氏)に頼朝の命で地頭職になったのをきっかけに築城されたようである。

長井氏は8代・約150年続くが、室町初期(1380年)に伊達宗遠(8代)が置賜地方を攻略すると、伊達家の支配下となっている。伊達政宗(17代)もこの城で生まれ、伊達家の全盛期を築くことになる。
伊達氏は政宗の時代に一時、会津若松城移るが秀吉によってすぐに米沢城に戻されてる。
そして秀吉の「小田原攻め」に遅参した伊達政宗は、岩出山の一揆を扇動したという理由も付加させられて、米沢城から「岩出山城」に左遷されている。

現在の岩出山は仙台市の北、古川市と鳴子の間に位置する岩出山町である。
移封に先立ち、当時奥州の検地を行っていた徳川家康は岩手沢城に約40日滞在し、その間に城の縄張りや改修修築を行っている。 
その後に、伊達政宗への引渡しを行ったとされている。 以後、仙台城築城までの12年間伊達政宗の居城となった。 

その後、正宗が仙台城に移ってからは、岩出山城は仙台城の支城、仙台藩主一門の岩出山・伊達氏が居住する要害になり、明治維新まで続くこといなる。 
尚、岩出山城には仙台藩の藩校のひとつである「有備館」が置かれ、現存する最古の藩校として名所、史跡に指定されている。


「伊達政宗」は豊臣政権時代から隙あらば天下を収奪しようと何度も策略していたとされ、中央から常に警戒されてもいたという。 
彼は「あと20年早く生まれていれば・・、天下が取れたのに)」と悔しがっていたともいわれる。
徳川期の正宗は、後の三代将軍・徳川家光からは尊敬されていたらしい。
家光に「伊達の親父殿」と呼ばれていたこともあり、将軍就任の際に、正宗は率先して頭を下げ諸侯を抑えたともいわれる。 

病床に着いた際も将軍・家光自らが見舞ったり、医者の手配をするなど配慮を見せている。 
将軍の前での脇差帯刀も許されていたが、側近が酔って居眠りする政宗の刀を調べると中身は木刀であったともいわれる。

伊達者・伊達政宗は、1636年(寛永13年)5月江戸で永眠した、享年70歳であった。 

独眼流正宗は、「たとえ病で失ったとはいえ、親より頂いた片目を失ったのは不孝である」という考えから、死後作られた木像や画にはやや右目を小さくして両目が入れられているという。

辞世の句は・・、

  『 曇りなき 心の月を 先だてて 
               浮世の闇を 照してぞ行く 』


次回、は政宗築城の仙台城(青葉城)について・・、

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紀行(107)仙台 「仙台城(青葉城)」



仙台城は、約270年に亘り伊達氏代々の居城であった・・、


主城・「仙台城」は伊達政宗によって江戸開府直前の1601年に築城が始まり、併せて城下町・仙台の建設をはじめ、居城も完成と同時に岩出山から仙台城へ移している。 

政宗は、「大坂の役」では重臣・片倉重長が後藤基次(後藤又兵衛)らを討ち取り、又、真田幸村の攻勢を受けて立つなど大きな功があり、開府後、家康より60万石を安堵されている。
幕藩体制時代になって世情が落ち着いてからは、もっぱら領国の開発に力を入れ、先にも触れたが「貞山堀」と呼ばれる運河を整備し、北上川水系の流域を整理、開拓し、現代まで続く穀倉地帯を造り上げたことであろう。 


この結果、仙台藩は石高62万石に対し、実高100万石を越える米の生産量を確保したという。 
一説には江戸中期には300万石を超えていたとも言われる。文化的にも上方の文化を積極的に導入し、技師・大工らの招聘を行い、桃山文化に特徴的な荘厳華麗さに北国の特性が加わった様式を生み出し、大崎八幡神社や「瑞巌寺」などの建造物を残している。

「仙台城」は、現在の仙台市の青葉山にある山城で、慶長年間に伊達政宗が築造してから、廃藩置県・廃城令までの約270年に亘り、伊達氏代々の居城であり、仙台藩の政庁であった。 
幾度となく、地震などによる損害を受けながらも修復を繰り返し、幕末、奥羽越列藩同盟など戊辰戦争を経るも、一度も戦火にまみえることなく要塞としての機能を終えた。

その後城郭は、明治初期から大正にかけて本丸破却、大火により二の丸焼失、又、昭和期の戦災によってその大半が失われたという。
「仙台城」の本丸は、海抜115〜140mの丘陵台地に立地し、東西約240m、南北260mの広さがあって、東側が広瀬川に臨む断崖であり、西側を青葉山と呼ばれる深い原生林に囲まれ、南側を竜の口峡谷が囲むという天険の要害となっていた。

青葉山に位置する事から「青葉城」という雅称を持ち、一般的に青葉城と呼ばれる事が多い。 
青葉山は、仙台七崎の一つ「青葉ヶ崎」に由来する。
正宗は、仙台城は山城で、江戸期における平和な世の治世には適さぬとして、自分の死後、平城へ移ることを奨めていたともいう。


「仙台城」、「仙台」の名前の由来は・・?


中世期・国分氏の居城があって、その名を「千代城」と名付けていた。
陸奥国の国分氏は、南北朝時代から戦国時代の末まで、陸奥国分寺付近から宮城郡南部に勢力を張った武士の一族であり、戦国時代末に伊達氏に臣従したが、伊達政宗の不興を買って滅んでいる。

1601年、伊達政宗 が今井宗薫(秀吉の御伽衆として仕え、秀吉没後は徳川家康と接近し、家康の子・松平忠輝と伊達政宗の娘五郎八姫:いろは姫の婚約成立に尽力している。)にあてた書状の中に、『去る十四日此地仙台へ相移り申候』と記されていることから、 伊達政宗が「千代」から「仙台」に命名されたといわれる。

仙台土産に有名な「萩の月」が有る。
宮城県の県花「萩」と秋中の名月と正宗の辞世の句の月をイメージしたとされる・・?、 
因みに、20世紀を代表する土産品アンケートでは、全国ベスト10の第3位であるとか。

次回は、「東北楽天ゴールデンイーグルス」   PARTUへ  

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