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紀行(95)久慈、野田 「琥珀と塩」


琥珀の「久慈」と塩の「野田」といわれた・・、
 

国道45線は、別名「浜海道」と称している。
実際の国道はかなり内陸へと進むようになる。 山間の上下曲折を繰り返し、国道395と合流すると間もなく久慈市街、久慈湾が望まれた。 
 
久慈市は、日本で唯一の「琥珀」の産地であるという。
「琥珀」というのは数千万年前の松や杉などの樹液が、石のようにカチカチになって化石状になったものをいう。 
色は多様であるが主に黄褐色を帯び、ネットリした水あめ色が一般的である。 

久慈地方の琥珀は、中世代白亜紀後期のいわゆる「恐竜時代」に属するもので、およそ8500万年前のものといわれる。
琥珀の中には、植物や虫の死骸が閉じ込められた、所謂、「虫入り琥珀」と呼ばれるものもあり、数千万年という気の遠くなるような時間の経過を感じさせない状態でその姿を残しているのもあると。 


虫入り琥珀には、生物のDNAも保存されているといわれ、昆虫などの進化をはじめ、太古生物の生活環境さらには、当時の地球の様子などを知る手がかりを与えてくれる極めて学術的価値にも高い貴重な化石といえる。

そう、あの大ヒット映画、マイクル・クライトンの『ジュラシックパーク』(Jurassic Park)において、琥珀に閉じ込められた蚊から恐竜の血液を採取し、その中に含まれているDNAを採取することで恐竜を蘇らせるという設定を用いた。だが、実際にその年代の蚊が琥珀に閉じ込められていたとしても、長い年月の間に石の中で化石化するため、現実にはそのアイデアは実現し得ないともいう。
これはあくまでも小説の世界である。


琥珀のパワー・・?、

古来、琥珀は「パワーストーン」、「マジカルパワー」を秘めてると信じられていた。 
昔は琥珀を称して「悪魔的なものに対する強い防御能力」、「生命を高揚する能力」、「心の奥に秘めた想いを伝えるテレパシー能力」、「物事に対するサクセス能力」などがあると信じられ、古代の貴人達に重用したといわれる。 

昔から珍重されてきた人類最古の宝石・琥珀・・、
久慈地方の琥珀を使った勾玉・なつめ玉・丸玉などが、奈良県を中心とした有力者たちの古墳から数多く出土しているという。
交通手段のない古墳時代に久慈から奥州路・東山道を通って、大和朝廷に運ばれた琥珀、この道を「アンバーロード」とも呼ばれている、アンバーとは琥珀(こはく)のことである。

英語の電気(electricity、electrum など)の語源は、琥珀を意味するギリシャ語のelektronであり、琥珀を擦ると静電気が発生することが由来とされている。 
しかし、琥珀そのものは電気を通さないため、この性質を利用し戦時中は絶縁体として使われていた。

現在、市街地の南西部の山麓に、国内に一箇所だけの「久慈琥珀博物館」があり、館内では琥珀のアクセサリーなど手づくり体験もできるという。現在では、琥珀は宝石やペンダント、ネクタイピンなどの装飾品や装身具として利用されているのは周知である。

久慈の市街地から再び国道45は山間地に入る。
そして又海岸へ出る、それらを何回か繰り返す。 そう・・、ここは「三陸沿岸」である。

久慈市から宮城県塩釜に至る太平洋岸は、大断崖や海食による洞窟や洞穴、奇岩に白波の立つダイナミックな「リアス海岸」が続くのである。 

久慈市から宮城県気仙沼市まで約180kmが陸中海岸国立公園に指定され、気仙沼から塩釜市付近まで約130kmを南三陸金華山国定公園域とされている。 そのためか・・?、
透明度が高く透き通った青い海が続く。


その海岸線を国道45号線が走る、間もなく「野田村」である。
この海岸沿いには野田村、普代村(ふだい)、田野畑村と県内では比較的小規模な村域が連なる。 
何れの村も、昨今の「平成の大合併」にも頓着せず、堂々と自主村域を維持しているところ立派と言えるだろう。
是非、頑張ってほしいものだ・・?。


野田村について・・、

そちこちの古い峠道には、かつて「ベコ(牛)の道」と呼ばれた狭い山道が残っているという。 
塩の道と言われる「野田塩・ベコの道」で、先人が築いた足跡は、現在は追分けの庚申塔や道祖神だけが、その歴史を刻み込んでいると。

野田村の海岸では、古くから製塩が行われていたという。ここで造られた塩は北上山地を越えて雫石や盛岡近在にまで運ばれ、米、粟、そば、豆などの穀物と交換されていた。 
この地方の塩を運ぶ人々は、牛の背につけて運ぶことが多かったので「野田ベコ」と呼ばれ、この塩を運んだ道を「塩の道」と呼んでいる。


又、私事ではあるが・・、

信州白馬村の別宅に面したところにも「塩の道」が走っている、日本海に面した糸魚川から内陸の信州松本へ至る街道である。 

戦国期、塩に窮した武田信玄が、敵将でもある越後の上杉謙信に信濃の国に塩を送りよう要請したところ、快く引け受けてこの街道より塩をおくった、とされる。 ここも当時の面影である、庚申塔や道祖神など数多くの史跡が残っているが、その他にも日本各地に「塩の道」は存在しているという。

海のない内陸部の人たちは、塩行商の野田ベコが来るのを待ちこがれていた。 
長くて厳しい東北の冬を過ごすには、塩漬けの保存食は必需品であり、塩は生活に欠かすことのできない貴重品だったのである。

それに塩の道は、東北の内陸と沿岸部を結ぶ重要な交易の道であった。 
これには背景もある、野田の海岸で早くから鉄の生産が行われていたともいわれる。 
日本有数の砂鉄の産地でもあったこの地方では、塩を煮る鉄釜を容易に手に入れることができたのである。
「塩の道」を通して、野田村の歴史と文化が各地に伝えられている。 
塩の道とは、当時の一般庶民の生活の道でもあり、庶民文化の道であり、文化を伝える道でもあったといえる。 


「南部牛追い唄」 岩手民謡
田舎なれどもサーハーエ
南部の国はサー
西も東もサーハーエ
金の山コーラ サンサーエ

沢内三千石  (以下繰り返し)
お米のでどこ

つけて収めた 
お蔵米


さても見事な
牛方浴衣

肩に籠角 
裾小ぶち


今度来るときゃ 
持って来てたもれ

奥の深山の 
ナギの葉を



南部牛追い唄」は、南部の人里離れた奥山路を二晩も三晩も野宿を続けながら、ゆうゆうと旅する牛方達のよって歌われた「牛方節」である。
哀調溺々たる中に落ちつきと気品を備えた陰旋の美しい唄である。 
小生の好きな民謡の一つでもある・・。

野田の十府ヶ浦は、紫色の小豆砂に覆われ、山陸地には珍しい緩やかな弧 を描いて続く3.5kmの海岸線である。 
夏には、ここで村のビッグイベント「野田砂祭り」が行われるという。

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紀行(96)田野畑 「無医村・・?」


無医村だった・・?「田野畑村」
 

十府ヶ浦の海岸線から再び山間に入ったところは「普代村」である。 

普代村は、丁度北緯40度にあたるという。 

「東北・西沿岸編」でも記したが、日本海側の大潟村(旧八郎潟)を通った北緯40度線は、秋田・岩手の北部を横断してこの村に達していた。 記念碑のシンボル塔が海岸に建っている。 

又、この村の「鵜鳥神社」は平安時代の初めに開山し、 後に源義経によって建てられたと言われている。
義経は、実の兄・頼朝に追われ、平泉で自刀したが、人々は、義経は平泉から逃げ延び、蝦夷地を目指した、という「義経北方伝説」を残した。 
その途中、ここ鵜鳥神社に立ち寄ったと伝えられる。
平成17年度、NHK大河は「義経」が放送された。



田野畑村」も海の山岳地・海のアルプスと言われ、かっては陸の孤島であった。

沿岸に在りながら、大絶壁に阻まれ、周りは重厚な山地に囲まれている。 深い谷、山地が人々の往来を遮った。あまりの道の険しさに、このまま行こうか、それとも引き返そうかと思案したという「思案坂」や「辞職坂」と言った呼称の地が国道45号の界隈に残る。 
このように陸の孤島といわれる村で、当然と云うにはおこがましいが、この地区は無医村というか、医者が来ても直ぐ辞めてしまうという。


この無医村だった田野畑村に医師として赴任し、19年にわたり地域医療に貢献した人物がいた。 
将基面 誠(しょうぎめん まこと)という、チョット珍しく印象的な姓名であるが・・

昭和57年4月、千葉県がんセンター婦人科医長の要職にあった将基面氏は、医師が不在だった村の診療所に赴任し、以来、19年間にわたって村民の健康を守り続けてきたという。 

在任中は医療の傍ら、幼児から高齢者まで一貫した健康管理に取り組み、また、医療と保健、福祉の体制を強化し、三者を総合的に推進する「ほっとピア構想」というのにも取り組んだ。 


平成8年には、これらの地域医療に対する功績が高く評価されて保健衛生と社会福祉の分野で最も権威のあるといわれる「保健文化賞」を受賞されたという。


彼は医療の分野だけでなく、多方面にわたり村の振興に献身し、「花笑みの村」など「亡くなった妻が好きだった梅の花で、村を一杯にしてほしい」と副賞250万円を村に寄付、診療所や公園などに約200本の梅の苗木を植樹してきた。 
今、これらの梅の木が美しい花を咲かせ、成長しているという。平成13年、田野畑村での村医を辞め妻の故郷・千葉県木更津に帰っている。

地域医療のあり方を描いた感動の人間ドラマとして、『無医村に花は微笑む』がフジテレビ系で2006年1月に放送された。 
医師・将基面氏を演じるのは三浦友和、その彼を支え続けながら45歳の若さで亡くなった妻・将棋面 春代さんを伊藤蘭が演じている。


北山崎
断崖絶壁が続く「北山崎」


田野畑の海岸線は、この山地をギザギザに切り裂いた様な断崖絶壁が連続する。 
この一角は「北山崎」といわれ、陸中海岸の中心的スポットでもある。 

JTBが自然資源・海岸の部で、国内で唯一最高ランクの特A級に評価し、名実ともに日本一の景観を誇る海岸であるという。 
更に、北山崎と並んで「鵜の巣断崖」と言われるのもある。
200メートルの落差の圧倒的なスケールを誇る絶壁、中腹には「ウミウ」の巣があることから名づけられた。 
五列に連なる断崖は巨大な屏風の様だといい、展望台からの大パノラマが楽しめるという。

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