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諸々も言いたいこと
   
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9月分です。ほぼ隔日の追加にします。

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2011年9月30日
海水浴場での喫煙に罰金

 2011年9月30日早朝にniftyで煮付けた神奈川新聞の記事に『海水浴場での喫煙に罰金「大磯町美しいまちづくり条例」成立/大磯』というのがありました。詳しくは新聞でね。
 海水浴場での喫煙については多くの自治体で「禁煙」の方向になってきていますね。大磯町はその効果をさらに高めるために「罰金」を始めるのだと解釈しました。喫煙の害については、今までいろいろと広報されてきましたし、この3月の原発事故に関して、「放射線障害の程度と喫煙の害の程度の疫学的調査結果」も新聞に出ていましたね。
 そこには、以前にも書いたように「受動喫煙」(夫婦間)でも一方が非喫煙の場合、非喫煙者の被害の程度は年間200ミリシーベルトぐらいになるというのがありました。くどいですが、今、問題になっているのは放射線では1ミリシーベルトや10ミリシーベルトなどですね。それから比べると、喫煙の害というのは大きいものなのですね。だから、「罰金刑」なのでしょうね。
 だから、たばこの害への取り組みを放射線と同様な程度まで厳しくする必要があるのではと考えます。ですから、復興財源としての値上げではなく、健康のためへの値上げになるので恒久的にもっと値上げするべきです。どうせ、すぐには喫煙者は急減しないでしょうから、関係業者の転業を進める時間はある程度確保できると思うので、値上げを。

2011年9月28日
中国で信号故障による事故発生

 2011年9月27日に中国上海の地下鉄において設備故障で徐行運転中に停車中の先行列車に後続が追突したというのです。この信号装置は7月に高速鉄道でも故障して、事故を起こしましたね。そして、多数の死傷者が出ました。今回は徐行運転中だったようで負傷者のみですみましたね。
 日本でも、鉄道事故が多発した時期もありましたが、どうも様相が違うようですね。こちらは、世界各地から最新技術を導入してですね。中国国内でも問題になっている「中国4000年の賄賂の歴史」の証明みたいな感じがしています。今回の事故は、ニュースで聞いていて「?」と思ったのは確か「徐行中」でしたね。「なぜ?」。
 日本での乗客を乗せているときの徐行運転では考えられないことですね。先の高速鉄道では後続への連絡がなかったみたいで、今回は指示があっても追突。中国も国を挙げて「金」「金」に突っ走ってしまっている感じを受けてしまっています。それは、国民に不満感を抱かせないようにするためのように感じますが、逆効果になっているみたいですね。この地下鉄や高速鉄道も作られた経緯の中に「対国民」というのもあるでしょうね。
 まあ、一党独裁をしている国の宿命かもしれないですね。今、中東などで起こっているのは、実質一党独裁やそれに準じている体制の国での革命ですからね。

2011年9月26日
小沢一郎の資金管理団体「陸山会」を巡る事件判決

 2011年9月26日に『小沢一郎民主党元代表の資金管理団体「陸山会」をめぐる政治資金規正法違反事件で、虚偽記載罪に問われた元秘書3人の判決が26日、東京地裁であり、登石郁朗裁判長は衆院議員石川知裕被告(38)に禁錮2年、執行猶予3年(求刑禁錮2年)、元公設第1秘書大久保隆規被告(50)に禁錮3年、執行猶予5年(求刑禁錮3年6月)、元私設秘書池田光智被告(34)に禁錮1年、執行猶予3年(求刑禁錮1年)をそれぞれ言い渡した。』という報道がありました。詳しくは各報道で。
 この事件では、領収書や各種の帳票などがあったのでしょうね。証言だけですと、水谷建設の裏金については、水谷建設の関係者からのぐらいかな。小沢側は「否定」しているのでということになります。陸山会の土地購入の際の資金の流れについては何らかの書類が残っていたのでは。その結果、どう考えても普通の人には理解の出来ない資金の流れというか、購入の手続きの流れになったのでしょう。それで、一般市民の感覚でおこなわれたのが先の検索審査会での評決になったのではと思います。
 今回の判決について、状況証拠だけで裁判所が物語を作り上げているかもしれないということも考えられるというジャーナリストの発言もありました。もし、そうなら怖いことが起こる可能性はあります。ところが、陸山会は政治家の資金管理団体ですね。起訴されるされないに関係なく、国民に説明する義務をおっていると思うのです。それをしていないのが小沢一郎氏であり、陸山会であると思うのです。 

2011年9月24日
光速より速い?ニュートリノ実験結果「検証求める」

 2011年9月23日に名古屋大学などの国際研究グループが発表した「ニュートリノが光よりも速いという実験結果。」というものです。その時間差は700km以上離れた欧州連合の巨大加速器からイタリアの検出施設まででもわずかだったというのですが、何回実験しても同様に結果になったら「発表」ということですね。ただ、他の施設とかでも検証をして欲しいということです。自分たちだけでは確定できないというのですが、実験の世界は基本は他の施設等で追認されて確定ということですよね。だから、発表して「検証を」ということです。
 今回のデータで換算すると、東京大学鈴木洋一郎教授によれば「昭和62年に小柴昌俊氏がニュートリノを検出した実験で、超新星爆発で出た光とニュートリノがほぼ同時に観測されたことを指摘。「両者の速度に今回のような違いがあるとすると、ニュートリノは光よりも1年は早く地球に到達していなければおかしいことになる」というのです。確か、16万光年離れていたところの超新星爆発でしたね。それほど、差は少ないということです。「16万分の1」、だから「検証を」して貰いたいので「発表」ということだ思います。
 それに引き替え、教育の世界では「検証」なしで「俗説」が流布されていますね。そして、それに乗ってしまっている人の多いこと。子どもたちは基本的には勉強好きですよ。ところが、「順位」とか「得点」の数字に拘らせると学力伸び悩みは有名ですが、無視されますね。子どもたちは勝手に競争をしていますよ。煽る必要ななく「成長」を手助けすればよいのですが、「平均点」とかに拘らせて「皆でサボれば怖くない」状況を作っていますね。
 今から、20数年前に日本経済新聞に出ていた記事に「中国の超童教育」というのがありました。まあ、早期英才教育です。精華大学とかがおこなっていました。定員は30名ほどでした。小学生対象に募集しており、一次は筆記試験で、たしか100名ほどを選び、二次は1週間ほどかけておこなうとあったのです。方法は合宿だったかな、そこで「勉強が趣味」、本来の楽しんで学習している姿かどうかを基準にしているとね。そう、「勉強は楽しい」が普通なのですが、それは、小学生の時から成長を喜んで貰える雰囲気ですね。「怒られる」「叱咤激励」とかのない世界の話だと思います。
 新聞によれば、ある年度の卒業生30名が「同窓会」を卒業10年目に開いたというのですが、場所はアメリカだったとか。ほとんどが海外留学し、アメリカとかで活躍しているからだというのです。日本でもいくつかの進学有名校が脱落しませんね。学校内順位や模試の順位とかで受験先とかを強制していないのではと思います。友人とのよい意味での競い合いの世界を構築しているのではと思います。それがでるのが「科学オリンピック」などですかな。普通の高校教師の指導できる範囲を超えてしまっていますからね。高校卒業の頃には、大学院レベルの専門書を教えられることなく読みこなせるようになっていました。
 ですから、非常に難しい状況になっている教育の現場でも「検証」が必要では。親や教師は順位とかではなく、どのようなことができるようになったとかの方に注意を向け、「褒める」ことを基本にするべきだと思うのですが、「順位漬け」とかされて、勉強が「work」になってしまっていたら、効果が出るまで時間がかかると思います。

2011年9月22日
国債の発行に暗雲

 2011年9月18日読売新聞配信の記事に「国と地方の借金、個人資産1110兆円上回る?」というのがありました。詳しくはサイトか新聞で。
 ここでいう個人資産とは個人の記入資産から負債を引いた「純資産」ということです。この純資産と国・地方の中長期債務残高に政府短期証券などを加えた「借金の総額」の比較です。
 この20日の日本銀行が発表する6月末の統計を見ていないので何ともいえないのですが、今回越えなくても近い将来、個人資産を越える可能性があるということですね。そうすると、国債などの日本国内消化が難しくなっていくということでしょうね。
 ギリシャとかより、日本は借金財政のはずです。そして、国内消化が出来ているということでもっといるのですね。国内で売れなくなってから慌てるより、この五十嵐文彦財務副大臣のいうことが現実になる前に国債などの総量の削減策を考えるときがきていると思います。
 ギリシャより高率の消費税とかになる前に行動に取り組むべきですが、「原因と結果」の因果関係が理解できないようね教育をしていては「日本沈没」ですかな。

2011年9月20日
日本の為政者に多いパターンかな。「固定観念」

 2011年9月19日に毎日新聞のサイトで見つけた記事に『福島原発事故:「回避する機会逸した」…米誌電子版に論文』というのがありました。内容的には、想定東海地震に固執するあまり、他地域での地震を過小評価したり、過去の経験のみに囚われ、新しい知見を無視続けたためとありました。
 以前から、1960年のチリ地震や2000年代になってからのスマトラ沖地震などでマグニチュード9以上の地震がおこったり、過去の津波などの調査から巨大地震の存在が明らかになってきていても目をそらしてきたようですね。これって、第二次世界大戦に突入していった時の状況をよく似ていませんか。
 そして、財政破綻してでも「マニフェスト完全実施」を喚いている議員さんたちとか。民主党は4年で政権の座から降りるつもりだから、「即完全実施」なのですね。
 「税」に関しても「行政改革」にしても「構造改革」にしても「教育」にしても、不確かな根拠で「虚構」が作り上げられて、それを信奉している姿はどうみても正常ではないですね。
 そして、固定観念を潰そうとする人たちを何となく排除してしまう状況には寒気を覚えます。あの当時と同じですからね。
 で、よくここまで日本が発展できたなと思います。

2011年9月18日
スポーツの怪我

 2011年9月18日の日本経済新聞のSUNDAY NIKKEIの健康面にスポーツの怪我についての記事がありました。
 その一番の見出しが「自分の体力知り 念入り準備」でした。例として中高年での事例がありました。ある方がマラソンを始めて、しばらくして「膝痛」を訴えて受診されたというのです。そこから、話題を広げています。詳しくは日本経済新聞でね。
 それで、「スポーツ版人間ドック」もあるということです。伝承で対処するより、非常にいいのではと思いますが、どの地域でも受診できるというのはないですね。ストレッチの重要性も書かれていました。ほか、テーピングも。
 日常的にスポーツをしていても、スポーツ障害は起こることがありますね。そして、中高校生では、レギュラー獲得かと絡まって無理をしがちになる場合が多いみたいですね。最近は、指導者に障害発見義務をと考えられてきていますね。高校野球で連投禁止などはこの方向ですね。
 ところで、日常スポーツをしていない人の場合はどうなのでしょうか。特に中高年などですと、「歩かない」「階段登らない」などが多いですね。近くでも「自動車」、階段があっても「エスカレーター」「エレベーター」とかですね。一部の方は日頃から、「歩く」「登る」とか足腰を鍛えていますが、多くの方は「楽」な方を向いていて、「運動」と「日常活動」とは別物とでも思っているようです。ですから、フィットネスクラブとかの経営が成り立つのですね。
 フィットネスクラブとかに通っている方はよいのですが、そうでなく日常の運動量の少ない方は「スポーツ障害」になりやすいというのです。そして、心筋梗塞なども出やすくなるとか。特に日常、運動していないのに休日等の時に頑張る方ほど障害になりやすいとありました。
 ですから、よくいわれている通勤では一駅分余分に歩くとかですね、何らかの運動を日常的に取り入れる方がスポーツ時の怪我は少なくてすむのではと思います。
 日頃、運動していない人が準備なしに急に運動するとか、マラソンや山登りみたいなのに長時間取り組むのがよくないみたいですね。日頃からの鍛錬が大切ということです。

2011年9月16日
どうするの、復興増税

 2011年9月16日に政府の税制調査会の総会が開かれたということです。東日本大震災の復興財源を確保するために「臨時増税」が必要でその内容について検討しているのですね。
 その中に「たばこ税」が出てきているのですが、税収増目的の増税はぼちぼち出来なくなってきているのでは。たばこ税は本来の目的「喫煙の減少」と「国民の健康維持」のためにするべきだと考えるので、復興増税とは切り離して増税するべきだと考えています。
 その他の増税案ですが、ぼちぼちかなと思ったりするのですが、直税主体というのは企業の活力を削ぐ恐れが強いですね。行財政改革を推し進めるともいっていますが、必要なところに人材や予算が回らなくなってきています。増税なしにそれらを捻出するには、それこそ、政治主導で省庁のどれかを解体するぐらいの人員削減をする必要があると思うのです。
 昔、ニュージーランドで、日本でいうところの運輸省の人員を一気に10分の1ぐらいにしたという話です。解雇対象者は再就職先を斡旋したというのです。日本みたいに官庁の中での転任とかではなくというらしいです。これぐらいを実行できないのなら「消費税」にも手をつける必要があると思います。その時には、大胆な規制緩和と開国とがセットになって欲しいです。
 復興だけではなく、社会保障とかの関連も復興増税の後に引き続いて、すぐにおこなって欲しいですね。赤字国債(建設国債を含む)の発行は即時停止して欲しいと思います。

2011年9月14日
ユーロについて思うこと

 2010年頃からユーロについての動揺が酷くなってきているように思います。
 ユーロは2000年少し前から始まり、2001年とかに完全にユーロに移行したという感じですね。
 それで、ユーロの設計は、1ドルが1ユーロぐらいになるようにだったと思うのです。まあ、円とでは1ユーロ100円ぐらいかな。それが、なぜ、ドイツマルク程度の高値になったのかが疑問のままです。あのサブプライムローンを含む証券化商品が高格付けを得ていたのと同様に???でした。
 大体が「寄り合い所帯」ですね。そこに「南欧諸国」も含まれているのですね。地下経済の方が大きいかものイタリアとかですね。その後、南欧諸国が増加しています。もっとも、ユーロ圏で問題が早かったのはアイルランドだったですね。
 高価格のユーロの時代にリーマンショックがあったのですかな。そして、世界同時不況、その打開のために各国の財政出動ですね。でも、リーマンショックの元をみれば、不適切な格付けになり、「格付け信仰」もその引き金になっていると思うのです。で、世界的に国債の大量発行ですが、銀行の融資先がそれほどないので「国債購入」かな。
 でもね、ユーロが実態に即した相場なら、これほど悲惨なことになっていなかったのではとも思います。そして、ギリシャですが、国家としての粉飾決算があったようですね。ギリシャはユーロ。ギリシャの国債はユーロ建て。自国通貨ではないですね。「インフレ償還」という手が使えないのです。今まで、国債でデフォルトのあったところはたしか「外貨建て」で「自国通貨建て」が引き金にはなっていないと思います。
 ギリシャの国債を同一通貨ということで、ドイツなどの銀行が購入していたようですね。それで、デフォルトになると銀行とか広範囲に影響が出るということで、そして、イタリアやスペインなどが第二のギリシャ候補と目されていることなどがありますが、要は「通貨統合」を急ぎすぎたのが今回の大きな失点ですね。統合による大きな利益もあるのですが、不利益の方が大きくなったということかな。

2011年9月12日
震災から半年

 2011年9月11日で震災から6ヶ月が経ちましたね。被災地では、復旧・復興が進みつつあるというのが現状でしょうね。復興したというの先の話でも、歩みが遅くても進んでいっていると思っています。
 政府と被災地地方自治体との間の連系がぎこちなく感じているのです。まあ、国会が復興そっちのけで「政局」に邁進しているように感じたの私だけではないと思います。一応、野田新内閣が発足したので、政策で国会で議論されることを期待しています。でもね???印かな。
 今回の震災では、「想定外」というのをよく聞きました。そして、豪雨でも「想定外」的な雨量が日本国中で降っていますね。この「想定外」というのは、何か政策を実行するときには必要なのですね。でないと、工事費とかが算定できないからですね。でもね、「想定」した範囲内でしか、ものごとが起こらないというのをいまだに考えているのでしょうか。
 津波対策でも、「防潮堤」は過去の津波経験から想定された強度でしたね。破られていますが、避難の時間稼ぎになって役にたっていたそうです。そう、想定と違うことが起こっても、慌てず対処する方法等を考えておく必要が理解されてきているようですが、どうでしょうね。新幹線での災害対策で「隕石」は入っていないでしょうね。でも、落ちたときのことを考えておくとかすると,対応が早くなると思うのです。
 原発では「想定外」について一切考えてなかったといわれています。なにかしら、行動を起こすときは「想定」をするのですが、その時、「想定外」のことも考えるようにしてほしいですね。そして、出来るだけ早い機会にその「想定外」に対する行動を起こして、「想定外」を少なくするようにして欲しいものです。

2011年9月10日
職場での受動喫煙対策強化

 2011年9月7日に毎日新聞で報道された記事に『職場の受動喫煙:対策強化 「全面禁煙か分煙」義務 厚労省、法案提出へ』というのがありました。内容は毎日新聞でね。
 『厚生労働省は6日、職場の受動喫煙対策を強化するため、一般の事業所や工場では全面禁煙か、一定の条件を満たす喫煙室以外での喫煙を認めない「空間分煙」を事業者に義務付ける方針を固めた。』というのですね。客が喫煙する場合は換気装置などである一定値以下の浮遊粉じん濃度にするようにとか。
 3月11日の東日本大震災で原子力発電所の事故がありましたね。そして、放射線の影響についてどの程度かという目安の報道がありました。原爆被害者の発癌率や喫煙・受動喫煙での発癌率などから算定されたものですね。その中で、受動喫煙について、配偶者の一方が喫煙者の場合の相手方のリスクについて、「年間200ミリシーベルトぐらいになる」というのがありました。
 前々から書いていますが、今騒がれている1ミリシーベルトや10ミリシーベルトに比べて、圧倒的にリスクが高いですね。ですから、厚生労働省は「職場の受動喫煙対策」を強化することになったでは。求めるのは「完全禁煙」か「一定の条件以上の設備を備えた喫煙室のみでの喫煙」にということですね。そして、将来的には「罰則規定」もということのようです。当然ですね。
 放射線のリスクが低いとかではなく、非常にリスクの高い喫煙が放置されてきていたというのが日本の現実ですね。喫煙では、臭いがあることもあるのですが、発がん性物質すべてが臭いを持っているわけではないのです。放射線と同様に目に見えない、臭いもない、音もないというようにしてからだに侵入してくるのです。その上、放射線と違って、肺の中などに残留物を残していきます。この残留物による害も計り知れないものがありますよ。
 まあ、喫煙は認知症にもなりやすく、脳梗塞や心筋梗塞などの血管系の病気にもなりやすく、COPD(慢性閉塞性呼吸器疾患)にもなりやすく、その他の病気にもなりやすくなり、その上、発がん性も高いのです。これらは受動喫煙でもリスクが高くなるのです。ですから、全面禁煙が一番よいのですが、少なくとも「完全分煙」を実現させるように法令を整備し、実行させるのが厚生労働省の務めであると考えます。

2011年9月8日
想定は変化しますよ、民主党さん。災害に備えましょう。

 2011年9月3日に四国に上陸した台風による大雨で紀伊半島に甚大な被害が出ましたね。そして、9日未明あたりに紀伊半島に雨が降るということです。それで、被害は心配されています。
 今回の豪雨では、3日間で2500ミリが降ったというのです。熱帯多雨林はたしか、年間4000ミリ前後の雨量かな。それの7ヶ月分程度が3日間で降ってしまった量です。梅雨の時の宮崎などの豪雨でも1000ミリを越えていますね。昨年の山口県、今年の新潟福島豪雨と数え切れないぐらいになっています。
 今までの官僚が想定していた「100年に一度」程度の災害の雨量を近年は簡単に超えてしまっているように思うのです。気象庁はしょっちゅう「観測史上・・」をよくいっています。それだけ、気象現象が変わってきている感じがするのです。「水蒸気をたくさん含んだ気流」が次々に供給される状態になってきたということかな。
 このような状態で、今までの「100年に一度」程度を起こらないと考えていたのが、民主党かな。マニフェストの財源確保にかな。このような民主党の事例は他でも見られますが、政権党とは思えない政治運営と感じています。もっと、謙虚に政治経済財政や自然現象などを学んでください。そして、次の総選挙で過半数を維持したいなら、「出来ない」ことが「今は出来ない。将来・・する」とかしたほうがよいのでは。
 水害で被害が多発している状況で防災予算(河川改修などを含む)を減らして、マニフェストに予算を回すのはどうかと思います。ですから、先の3党合意の方が現実的だと思うのです。災害は待ってくれないのです。

2011年9月6日
健康維持のためにはたばこ大幅値上げを

 2011年9月5日に今度の森内閣の小宮山厚生労働相が「たばこ、最低でも700円」とかいうことを記者会見でいいました。すると、他の閣僚から、「・・」とかですね、あったので「政府税調で検討して」とかということを記者会見でいったようです。
 たばこ税を税収として、使うのは間違っていると思うのです。たばこ税は、たばこ消費を減らす目的で設定し、それでいくらかでも税収があれば、健康維持や医療等の目的税と設定するべきものだと考えるのです。最終は「たばこ消費ゼロ」を目的とするための手段の一つとして、「たばこ税」であって、他の諸税とは性格が大きく異なるように法令を作り直す必要があると考えるのです。
 あの原子力発電所の事故で、報道された中に「放射線の発癌リスク」と「喫煙の発癌リスク」というのがありました。たばこは自身の喫煙ですと、5〜6本同時ぐらいが限度かな。吸い続けた場合は1日で何本ぐらいになるのかな。まあ、このことでの即死はないかもですが、喫煙の蓄積で心筋梗塞や脳卒中などによる即死があります。放射線でも多量になると即死状態がありますね。
 でも、今、ほとんどの地域で問題にされている放射線量は年間1ミリシーベルトや10ミリシーベルトです。配偶者が喫煙者で配慮がない場合の非喫煙の妻(あるいは夫)のリスクは年間200ミリシーベルトぐらいになるというのがありました。喫煙者のリスクはもっと大きいわけですね。増税はこのような危険物を減らすためであって、税収のためではないのですから、政府税調はガタガタいわずに増税を認めるべきです。
 喫煙の害は、がん以外にも即死のある心筋梗塞や脳卒中、これらは即介護もありますよ、酸素ボンベが必要になるCOPD(慢性閉塞性呼吸器疾患)とか数え上げれば切りがないですよ。
 喫煙閣僚がおれば、禁煙させる意気込みで頑張るべきです。 

2011年9月4日
「体罰=愛」の誤解

 2011年9月3日の日本経済新聞夕刊「こころ」面に「児童虐待を生む土壌 川崎二三彦さんに聞く」という記事がありました。川崎二三彦さんは現在「子どもの虹情報研修センター研究部長をされているということです。
 記事の中の大きな見出しに『「体罰=愛」の誤解いつまで』と「子の行動、親は熟知を」というのがありました。「体罰は法則的にエスカレートせざるを得ない」というのです。民法にある親の子どもへの懲戒権ですね。これに体罰も含むという意見があるというのです。このようにいっている人は自身どうなのでしょうか。はじめは軽い体罰でも、普通はしてしまうと子どもは大きくなっていくので、次はより強くとエスカレートするというのです。まあ、全員が全員ではないですけどね。でも、多数がエスカレートしているというのが現状かも。
 躾とかからの体罰は、ほとんどは「子への無知」からきているとも思えるのです。「なつかない」→「殴る」というのはよく報道されているパターンです。また、例えば、食事の時の躾でも「早すぎる躾」を判っていないとかですね。子どもの成長と行動に対する無知状態ということです。親は子どもを熟知しなければならないのですが、基礎的教養がなければ難しいですね。今の教育のように順位とかのめり込んで、本来必要な教養が無視されている感じがするのです。授業があっても「授業した」というだけで「教養」になっていないのですね。
 体罰は虐待へと繋がります。そして、この「体罰」も「虐待」も「見えない」というタイプもあるのです。「見えない虐待」とかになりますと、子どもの親も気がついていないことが起こりうるのです。俗にいう「勉強」ですが、一見進んでしているようでも「見えない虐待」状態の場合はどこかで切れることがありますよ。大人になってからの「家庭内暴力」とかもね。DVとかいう形で問題が出てきたりします。問題が出てこない家庭が「理想的」とかいわれているのが現状でしょうか。親子とも気がついていない状態だけなのにです。
 これにあるのは、基礎力を十分につけてより発展的にではなく「取り敢えずその場しのぎ」になってしまうことが多いみたいですね。ですから、勉強時間の割に効果がなかったり、昨日も書きましたが、大学入試センター試験「生物」で考察問題を増やすと平均点が下がるような勉強になってしまうのですね。
 順位競争の見えない虐待に落ち込んでしまったら、子どもが家庭内暴力を起こしても親は気がつかないでしょうね。これは、世間一般がそうなってしまっている感じがします。あの大阪府知事の橋下氏などはその典型でしょうね。子どもそのものを親が受け入れなくなってしまうとも思うのです。子どもにとっては居場所がなくなるということになります。
 おかげさまで、世間に間違った子育て家庭が多かったようなので、家でゴタゴタいうことなく難関大学に進学してくれました。

2011年9月2日
教育には飛び級や待ちとかが必要なのでは

 2011年になっても、大阪府の橋下知事などの教育への話しぶりですと、同一学年での順位争いをさせるのを想定させるような言いぐさが耳につきます。
 そして、飛びや待ちとかが出来ない硬直した教育状態にしているのに気がつかないようですね。「飛び級」ではなく、「待ち」そう児童生徒の成長を手助けしながら待つわけですね。ところが、今の日本の教育への意識ですと「待つ」というのは「原級留置」も伴うこともありますし、そうでない場合は補習とかですね。これ、「平等」というをどう捉えるかです。待たないときは、判らなくても進級ですね。判らないから「丸暗記」とかになっていきますよ。それと、教育の意味の取り違えが深刻になっていきます。
 本来、子どもは勉強好きです。それを自発性のない義務感覚の受け身の教育にしていくのは、親や教師が子どもの成長ではなく、ただただ「順位」で見ているからでしょうね。ですから、「丸暗記」大好きが多くなってきているのでは。「丸暗記大好き」生徒とかには、覚えることだけで考えさせずに覚えさせ、トレーニングすると取り敢えずは覚えています。ですから、大学入試センター試験で考察問題とかを増やすと平均点が下がるのですね。考察問題は出題教科によっては作りにくいのがあるみたいですね。
 元々日本人は「覚える」というのが好きだったりしているのかな。「読書百遍」とかいう言葉もありますね。でも、以前は「遊び」が自然を相手であったり、多学年で構成されていたりでした。どちらも減ってますね。クラブ活動は多学年ですが、多くの場合は管理されていたりしてね。
 「飛び級」の方ですが、飛び級が出来るほどというのは「優秀」なのですが、単純な順位でのみの評価を続けていたらどうなるのでしょうか。親がしっかりしていないと「慢心」というのが起こりやすいですね。ですから、出来る子にとって「相対評価」は「皆でサボれば怖くない」の入り口になる恐れがあり、その時、たまたま順位が悪いのが続いた子にとっては,さらに順位の子、点数の悪い子があれば、「ラッキー」になってしまうようです。勉強内容も発展性のない記憶中心に向かってしまう恐れが多いですね。
 教育とは、子どもがどう成長したかであって、何番になったかではないのです。何番とかは「入試」の本番だけでいいのでは。それも、出来るだけ「アバウト」な判定で、入学後、勉強させて卒業基準を守って貰う方がよいのでは。そして、何浪しようがいいではないですか。どれだけ、「飛ぼう」がいいではないですか。そうすれは、今よりは「勉強」に向かってくれるのではと期待しています。
 私の家庭では「何番?」とかいうのは、塾通いの時でもほとんど出ませんでしたね。大学入試の時もね。俗にいう「難関大学」に進学してくれました。「勉強しろ」といったこともほとんどありません。親が見本をみせればよいのですし、幼児期とかには本読みとかの遊びのお相手はしました。俗にいう早期教育はしていません。「勉強は楽しい」を実感させるのいいですし、順位競争を親とかがけしかけると「勉強は義務」になりますよ。