煙草をなくし、安全に暮らせる社会を創ろう(表紙に戻る)

2005年1月31日
「甘い計画」査定で露見
これは本日の日経企業面の三菱自動車再建計画についての記事の見出しです。
右肩上がりの時であれば「甘い計画」でもなんとかなったのですが、世界中が競争相手の時には無理でしょう。
この事例はお役所の計画では非常によく見られます。そしてそのツケは国民に回されますね。まだ、三菱自動車の方は三菱グループが「甘い計画」の代償を支払うだけでもマシですが。
各地にできた空港、港湾、高速道路などに「甘い計画」の例は枚挙の暇がありませんね。民間企業は最終的には「倒産」というのがあります。でも、ダイエー、潰れないとでも思っているのかという感じの品揃えの時があります。
公共事業の方の「甘い計画」をなんとかしないと日本が潰れますね。一面連載の「平成の開国 第3部 閉じたい誘惑」でもその場しのぎの実質的は「甘い対策」で、あるいは現場の公務員になどのみにしわ寄せがくる制度を導入したりなどがありますね。
第二次世界大戦への道も海外に目を閉じた身内だけの価値観による非常に「甘い計画」でしたね。
これでよく日本がここまで発展できたのか不思議です。庶民が優秀だったからです。その部分が今おかしくなりつつあります。

2005年1月30日
平成の開国 第3部 閉じたい誘惑
これは日経で今連載されている特集の表題です。
昨日は港湾関係がでした。コンテナ貨物での日本の取扱量ですが、1980年代は世界で上位にあった。ところが今では下位もいいところで多くの荷物が釜山などに逃げています。
例えば、神戸港などに運んでコンテナ船で輸送するより釜山に船で運んで輸送する方が安くて速い。その事実を知った荷主は釜山の利用に走っています。
どうして、このようになったのでしょうか。日本の港湾関係者が国内港との比較のみに終始している間に物流の流れが大きく変わったということですね。特に阪神大震災で神戸港が一時的に利用できなかった時に避難的に釜山などを利用してそのまま継続も多いようです。
荷主や海運会社の利用しやすいようにしている海外の港湾に比べて国内は高く時間的制約も多く使いにくいため海外に流れています。結局、時代に合わなくなった仕組みを守ったことで仕事自体がなくなっていっている現実があります。仕事がなくなれば組織自体も維持できませんね。そのあたりの想像力もないようです。
ばらまきの公共事業で小さな港が多数あるので小型船で釜山などに運ぶのも便利です。
空港でもそこら中に作っているので港湾と同じようになるかも。直行旅客や直行貨物以外はソウルや上海などを利用しないと世界の各地に行けなくなるかも。空港も暇になったりしてね。
交通インフラの大競争時代に今の状況では日本は負けると思います。拠点を決め、近隣諸国の施設より安く使いやすくして船や航空機を呼び込む施策が必要です。今までの仕組みなどは潰してしないと釜山の枝港やソウルの枝空港みたいになる恐れが十分にあります。
帝国陸軍なども意識が完全に国内に閉じこもってしまったため、あのような戦争を起こして日本を潰してしまいました。
今度は戦争なしで日本は自滅する恐れがあります。日本は平和で貿易ができる状態でのみ存続できる国になっていることを忘れないで欲しいです。

2005年1月29日
アウシュビッツの話
今年の1月27日はナチス・ドイツが同地に建設したアウシュビッツ強制収容所の解放60周年になります。
当日は、ポーランド政府主催の式典が行われ、各国から要人や元収容者ら約1万人が出席しました。
ドイツもナチのこの行為については認め、このようなことが二度と起こさないように取り組んでます。第二次世界大戦のことについてもです。
ところで、大分前ですが「マルコポーロ」とかいう雑誌がありました。それがあることで廃刊になってしまったのです。そのあることとは「『ナチス・ドイツが同地に建設したアウシュビッツ強制収容所』はなかった。」とかいうようなことを載せたためです。
加害者であるドイツ自身を認めているものをどうして日本人が否定するか私には訳がわかりません。この記事のような考え方の延長線上にあるのが、「南京大虐殺」や「731部隊」や「従軍慰安婦」や「強制連行」などについての国内の動きですね。
ドイツは、漸く周りの諸国に受け入れられいます。日本はどうなのでしょうか。見かけは受け入れられているようでも、なにかがあればこれらの問題についていろいろ出てきていますね。昨年のサッカーの時もね。今は経済力の格差で持っていますが、一人当たりで追いつかれたり抜かれた時どうなるでしょうか。
「歴史を鏡」にしない日本の国民性からいろいろな仕組みが痛んできていますね。過去の忌まわしいことを認めることをしない例として三菱自動車があります。リコール隠しですね。だから、早晩抜かれるでしょう。ドイツと違うところですね。
このままでは国連の常任理事国にはなれないかも。第二次世界大戦の時のことをドイツのように対処すれば、理事国になれるかも。

2005年1月28日
家庭などの喫煙でもクビ
26日の朝日新聞によるとアメリカに於いて会社の外での喫煙で社員を解雇したところが出ました。
理由は、簡単。社員の健康を守ることが将来的には社員は当然として会社も経営上有利にはたらくからである。
医療保険の問題ですが、日本でも喫煙者より非喫煙者を安くするべきですね。病気になる確率が相当低いですから。このとき、今の健康保険組合などの掛け金の比率ですと、当然企業などの負担分も個人とともに少なくのでは。
そして、従業員の休業による機会損失も減少するでしょう。もっとも、団体生命保険を従業員に無断で契約して死んだら保険金を取り込むような不届きな企業にとっては喫煙奨励でしょうね。だから、禁煙に消極的な企業にお勤めの方は疑ってみたらと思います。家族主義とか言う日本の企業体質の矛盾をね。欧米で優良企業は家族的だそうです。リストラもできる限りしないとか。
従業員の健康を本当に守る気のあるところに勤められると良いですね。制度的には同じようでも子育てでも実際の運用で大きな差があります。本当に子育て支援をしている企業の方が従業員を大切にしているのでは。

2005年1月27日
昨日の裁判の判決について
日本の裁判所はどうして強い立場の側についているような感じの判決が多いのか。
管理職任用訴訟での判決ですね。公権力の行使と公の意思形成に携わる公務員の範囲です。それをどう解釈するかです。
世界的には広く認める方向だと思います。それの表れが地方自治への外国籍の人の参加。投票権ですね。
今回の裁判の対象職種は、法で定められた範囲のみで刑罰等を伴わないと思います。それでも、ダメなら昔とほとんど変わっていないという印象を受けました。
桶川の件にしても、先の中村教授の件にしても個人より団体、組織を優先するような判決という印象です。それを中村教授は「日本の司法は腐っている」とかいうようなことを言わしめたのかなと思います。
裁判所は、国や地方公共団体、企業など立場の強いほうに批判的であるべきだと思います。
日本が戦争に突入するのを防げなかったのは裁判所が政権に烏合していたためではとも思います。裁判所は国政などについては政権側に批判的であるべきだと思います。
政権側の意向をくむようでは北朝鮮と変わりはないのでは。

2005年1月26日
スマトラ島沖地震およびインド洋大津波の犠牲者
この災害で犠牲になられた方の数が昨日、大幅に修正されましたね。
インドネシアが行方不明者を除外して埋葬数に修正したからだそうです。
まあ、最近は日本でも国勢調査でも人口が把握できなくなってきているようです。発展途上国はまだまだ誤差が大きいですね。
ですから、最終的には何人亡くなられたかはわからないと思います。死亡した人がすべて名乗り出てくれれば判るかもしてませんが現実では起こりませんし、名乗り出れると言うことは生きていると言うことですね。
殺人は被害者が訴えなくても犯罪になりますね。被害者は訴えることができませんので。
でも、被害は被害です。津波による被害も殺人による被害もなかったことにすることはできません。
被害を受けたかどうかは、基本的には被害者側が判断することであって、加害者側が「なかった」などというのは被害者の感情を逆撫ですることに他ならないことだと思います。
最近、この点が判っていない輩が多くいるような気がします。
拉致被害者などへいわれのない中傷がおこなわれたりしてますが。このようなことを見過ごすというのは民主主義の根幹に関わると思います。
話がそれた気がします。すみません。

2005年1月25日
国会代表質問での小泉首相の答弁
昨日のニュースで小泉首相の答弁を少しだけ聞いたのですが、その部分だけで考えると「オウム返し」的な答弁に聞こえました。
もし、他の部分も同様であれば答弁になっていないと思います。
以前から感じていたことですが、小泉首相の発言には具体性が欠ける時が多いように思われました。それが今回のようなことに繋がったのでは。
でも、具体性をいれると自民党の一部からの批判が凄くなるでしょう。そして、日本が潰れたりするかも。そのことを考えるとオウム返し的でも仕方がない面もあるような気がします。
自民党も含めて日本では「議論」ができない状況のようですね。そこをなんとかしないと国が潰れますよ。潰れたら天皇制も危ういし、靖国神社の危うくなりますよ。
発言を力や暴力で封じ込めるのは「全体主義」や「北朝鮮のような体制」と同じ穴の狢では。

2005年1月24日
規則の手直しを怠るな
これは本日の日経オピニオン欄「インタビュー 領空侵犯」の大見出しです。
元国連事務次長の明石氏が書かれています。
「変だぞ日本人の順法意識」というのもあります。生活や経済活動などと法や規則との関係ですね。変化が起きても旧態依然のままの法体系で軋みが来ているのに変えようとしないということへの提言です。
これに関わることがスクープ欄の「カード犯罪に法の抜け穴」というも同じようなことを言っているように思います。
何時までも古い法体系(価値観)にしがみついていることによって起こる問題です。
新しい情勢になっているのに変化を嫌う風潮ですね。特に官僚やそのような利権にぶら下がっている人々に多いような気がします。その結果、法と現実とのギャップが出てくるわけですね。そして、国民が困る。普通の企業も困る。でも、放っておく。
結局は情報の収集能力、解析力、判断力、将来への予測能力等がないことによって起こるのではと思います。教育にも大きな問題点があることになります。

2005年1月23日
「文武両道、日本になし」
本日の新聞の早川書房の広告にあったマーティ・キーナート氏の著作です。スポーツ界ということで書かれていますが、実際は全分野にわたっていると思います。
読んでみたいとは思いますが、今日は養老猛著「バカの壁」を読んだ時の考えからまとめてみたいと思います。
日本で「文武両道」とは、学校などにおいて勉強と運動の両方、但し、切り離されて考えられています。
私は「知行一致」と「文武両道」とを同じような意味で捉えているのでは。
「勉強」したことが「行動」に現れることをいうのではと思っています。
だから、医療関係者や保健、体育の関係者が「喫煙」するのはこの「知行一致」になっていないわけですね。
また、多くの学校教師や親が学校の勉強は役にたたないと思っていますが、「知行一致」のような考えからすると役にたつ。それを、役にたたないように教え、また、そう思っている人が多すぎる。
役にたつように勉強した方が「記憶」によく残り、活用もされやすいですね。そう思っていないから教える方も学ぶ方も苦労が多いのだとね。
日本は「歴史」に学ぶということがヘタですね。これも「知行一致」ができていないからだと思います。「知行一致」のできている部分は少ないのですが、その部分が頑張ったの今の日本があるわけですね。
「君子豹変」も良いことを知れば行動を変えるという意味だそうです。
じっくりことばの意味を問い直し、考え方、行動を見つめ直しましょう。

2005年1月22日
子供の「読解力」低下
これは本日の日経教育面「まなび再考」の見出しです。
「昨年暮れに発表された学力の国際比較調査(PISA)で日本の子どもの読解力が、前回の2位グループから加盟国平均に転落したことが、危機意識を煽った」とありました。
さらに「注意が必要なのは低下したとされる『読解力』の中身である」ともあります。今の子は表現力というか、自ら論理的に議論し、自分の意見を立論する力や表現力に問題ありと思われる事例に出くわすことが多いですね。
対策に国語という教科だけでは向上は無理でしょう。もっと幅広く調査し考えて立案する必要があると思うのですが、文部科学省は即座に「読解力向上プログラム」を立ち上げたそうです。
「ゆとり教育」などで学力低下はないとか頑張っていた文部科学省だから調査などしていないでしょうね。つじつま合わせで立ち上げたと思いたくなります。
教育学部などの研究者がこの案を官僚とともに作ったようですね。
このようなことで「大人の問題」が浮き彫りにされたとあります。丁寧な分析なしに短絡的な政策を通してしますという問題があると指摘しています。これが「日本の教育政策と教育研究者の水準である。」とも書かれています。
現在の状況になったのは、子どもたちの前に「大人の学力低下」が起こったためではとも書かれています。
そうだと思います。だから、問題は深刻です。「センター試験受験案内」の記載事項を理解できない教師が結構います。深刻です。

2005年1月21日
番組改編問題
NHKが以前教育テレビで放送した戦争に関係する番組で政治的圧力があって内容が変えられた?という問題です。
NHK、政治家、朝日新聞の態度をみると?です。実態は闇の中という感じになってしまったですね。このような内容のことに対する取材なら裏付けを残せるようにしないと正確性がと思います。
NHKの番組ですが、元から自主規制の傾向があるのでは思います。戦争関係については司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」がNHKで放送されたことがありました。これ以外は「記録」として見ています。その記録でも隠されていることが多いみたいですね。ですから、書物などで補完することになります。
だから、特に政治的に圧力をかける必要があるのかという疑問が生じます。教育テレビのETVという番組は元々その方面への関心が高い人が見ることがほとんどかな。政治家が圧力をかけて改編しても真意を取ることのできる人が多く見ていると思うので「余計なこと」をするもですね。ということになります。
「クローズアップ現在」では鋭いテーマを取り上げたりしていますが、戦争に関しては?です。
今となっては延々と論争が続き、裁判が起こされる可能性も高いですね。

2005年1月20日
韓国の元徴用工の損害賠償請求に対する広島高裁の判決
昨日、大東亜戦争中に韓国から強制連行され広島で被爆した元徴用工の損害賠償請求について国に賠償を命じる判決が出されました。
このような事例のときに地裁では国勝訴の裁判がでたとき高裁において逆転判決が出るというのは非常に珍しいと思います。大抵は地裁で原告勝訴、しかし高裁で逆転敗訴というパターンですから。
国には上告して欲しくないですね。
当時、韓国は日本でしょ。日本国民を強制連行したしたということです。それに対する反省がないということは、我々日本国民もいつ同じような目に遭うかわからないということにはならないでしょうか。
そうでないというのなら、民族的な偏見が非常に強かったという証拠ですね。
今日の日経「春秋」欄はアウシュビッツについてです。この両方とも風化させてはいけない歴史であると思います。2度と同じことを繰り返さないために。今度、同じようなことがあれば、日本は当時ほど戦争しないうちに負けることになると思います。自給率などの問題でね。その結果は天皇制の存続にまでおよぶ恐れもあると思います。
ですから、「歴史を鏡」として、大東亜戦争中におこなったことを隠すのではなく、認め、よりよい未来を作るための糧とする必要があると思います。隠したり、誤魔化して一番損をするのは日本です。
「日露戦争のゴマカシ」があとに与えた影響の大きさについては「日本を見ていて思うこと」の中に書いてありますのでそちらをご覧ください。その結果、大日本帝国憲法を改訂せざる立場に日本を追い込んでしまったのですから。

2005年1月19日
センター試験の国語で教科書記載の教材が出題される
某教科書会社の教材が出題されて議論を呼んでいますね。
センター試験を競争試験として使っているから騒ぎが大きくなっているのだと思います。
今のような使いかたですとすべての得点分布域で問題が生じる可能性があります。時間をかければ教科書販売記録から受験生をある程度分けられると思いますが現実的ではありませんね。
このようなことが起こったことを踏まえて得点を合否判定に使うことを止めましょうや。
すべての大学受験生の基礎学力の確認に使い、ある得点以下は受験を認めないとか利用にしましょう。
受験料は徴収せずにおこなうことが望ましいです。

2005年1月18日
喫煙と中高年男性の自殺の関係
これは本日の日経社会面にあった厚生労働省の研究班の報告です。
一日に吸う本数によって自殺率が高くなるということです。特に40本以上になると相当高くなるようです。
まあ、喫煙者はストレス解消として煙草を吸うのではないかと思います。すると、本数が多いということはそれだけストレスが多いということになるのかな。
喫煙は一酸化炭素やニコチンによって血液の酸素の運搬量が減少しますね。頭脳明晰の状態ではなくなります。酸欠状態ですから。本数が多いほどその状態がひどくなるわけですね。
鬱症状がどのような状態なのかよく判りませんが、ヒョッとして酸欠も引き金になるのかな。そうすると「自殺」しやすい状態になるわけですね。
煙草の影響がこんなところにも出るわけですね。
たばこの害はいったいどれだけあるのでしょうか。計り知れないですね。

2005年1月17日
少子に挑む 読者から
これは日経に元旦から始まった連載に対する読者からの声です。
その中には、国に対する子育て支援についてや、仕事と育児についてなど多くあり、教育についてもあります。
その中に「教師の質低い」というのがありました。すべての教師ではないのですが、結構いるようですね。問題教師とかでリストアップされるのは少ないですが、よくよく調べると「教師?」というものです。
記載されていたのは、「遅刻が多い」とか「連絡の遅れ」などです。(子育てによる育児時間をとって遅れるのは除きます。)そのほか、中高一貫の私学でも塾に行く必要がとかありましたが、こちらの方は教師の問題と本人の勉強に対する考え方、取り組みの両方でしょう。でも、教師の要素が大きいかな。
とか、書きましたが、「外れ」結構いると思います。ただ、「外れ」と考えるのはどの段階なのかというのは価値観の問題もあって難しいです。
勉強の動機付けに「校内順位」などを使う教師は「外れ」だと思っています。ところが、これに頼る教師は多いですね。だから、入試対策となると出る事項のみとかを羅列的に教えていることが多いのでは。
ある私学で生徒が別解を見つけて教師に相談したら、「その方法は入試で出ないからやらなくて良い」とか興味を潰すような指導をしたところがあるそうです。
「興味・好奇心」こそ勉強の一番の原動力です。それがわかっていない教師は程度が低いですね。自力で勉強できるようになったところは良く理解できて忘れにくいし試験でも良い得点が期待できることがわかっていないのですね。
それと、教員採用試験の問題を一度ご覧になってみてください。たしか、各教育委員会は公表していないはずです。見れば非公表の理由は解ると思います。

2005年1月16日
なぜ進む 子どもの勉強離れ
これは、本日の日経読書面の「今を読み解く」の見出しです。
私なりの考えも入れて書くと、理由の一つが「個性化」とかいう割に「校則」等による画一化を同時にしていることによる「個性の考え違い」。個性なんて普通に生活しておけばそれで個性は出ますよ。他人の物まねを強制するようなことさえしなければね。そして、急がず徐々に自己への認識を深めていけばいいわけです。仕事の個性とはが一致すれば「儲けもの」程度です。人間結構柔軟性があります。ところが、今の「私捜し」急ぎすぎですね。本当にわかるのは中年を過ぎてからかな。死ぬまでわからない人も多いのでは。
進路変更をやりやすいような仕組みにすることによって「挑戦」という意気込みが出やすくなると思います。
「個性化」とかいう割に進路指導の没個性化。その結果、コラムにあるのですが、「負け組」のあきらめの良さ。感心します。私など「諦め」が悪いもので金銭的に豊かであれば、別の分野で大学に行きたいなどと思っています。今、TOEICを受けてみようと英語の勉強などを自分流でやっています。
学校の教師や親の情報収集や解析力のなさも子どもに悪影響を与えていますね。その結果、学力格差が大きくなっていってるのでは。一部の天才を除いて人間は大して差はないですよ。成長の早さの違いは大きいですがね。そのあたりもわかっていないから余計学力が低下してしまうのでは。
受験勉強も考え方、やり方次第では「役に立ち忘れにくい」のですが、今の主流は「あとで役立たず忘れやすい」方法ですね。だから、面白くないので余計勉強離れしてしますのでは。

2005年1月15日
本日センター試験
2005年度入学者選抜用の試験が行われました。昨年より少し減少しているようです。
ニュースの中で、学費の安い国公立人気・・・とか、資格志向で・・・とかのコメントがありました。
私学の学費はほとんど上がっていないですね。国立は15000円高くなり、格差が少し少なくなりました。自宅通学と比べて文系では下宿をすると国公立の方が大抵高くなりますね。
資格志向ででしたか教員養成系の人気とかいっていましたが、中高校の教員免許はほとんどの私学で取れます。小学校のを取れる私学もありますね。こちらは。国立の割合が大きいですけど。
国立の教員養成系の就職状況については本部科学省のホームページにありますのでご覧ください。
教員になるには、大学がどこであろうと教員免許を取得し各教育委員会の採用試験に合格すれば良いわけです。
国立にするか私学にするかは、目的、大学の内容、学費、生活費、入学できるかどうかなどを総合的に判断して各人の最適なところに進学できれば良いと思います。

2005年1月14日
有明海の諫早湾干拓工事差し止め訴訟
一昨日の佐賀地裁で晃司の差し止めを認めた仮処分が再認されました。良いことです。
ただ、危惧するのは上級審に国は控訴するでしょう。そうすと、「よわきを挫き、つよきを助ける」という裁判所の本領が発揮されるかもしれないということです。
中村教授はこのような現状を「腐った司法」とかいわれてましたね。住友信託によるUFJ銀行グループと東京三菱銀行グループとの統合交渉差し止め訴訟も大きい方に配慮した判決かなと疑いたくなります。
裁判所の本来の「弱いものを保護助ける」という姿になって欲しいですね。下級審はまだマシですが、上級審に進むと「つよき」になっていっていると思います。
だから、農水省も高を括っているのだと思います。最高裁まで行けば「勝てる」とね。

2005年1月13日
もうすぐセンター試験
あと2日ですね。前の共通一次から数えると長い年数になりますね。
センター試験の存在意義はとかありますが、受験生の方は高得点目指して頑張ってください。
共通一次試験導入が「大学序列化」の解消だったのでは。でも、利用の仕方を完全に誤りましたね。共通1次試験の得点を合否判定に利用してしまいましたから。このことで、統一試験による合格者の学力?なるものが世間に知れ渡ることになり、さらなる「序列化」が進みました。
以後も解消される気配なしですね。国立大学間の格差は一部大学を除いて以前より広がっているような気もします。さらに、財政上などの格差は昔のままという感じがします。大学内の各部間格差もあります。
受験生の集まる大学とボチボチの大学に別れつつあるような気がします。倍率が1年ごとに大きく上下する大学、学部、学科、専攻は取りあえず合格したいと受験校を決定している受験生の多いところですね。
センター試験の得点などを合否判定に使うし、出願までの時間が短いため、右往左往に拍車をする受験生が多いです。
センター試験の資格試験化が必要ですね。受験資格の最低限度してのみ利用すること。京都大学理学部タイプですね。すべての大学でこの方向に進むなら、センター試験はあっても良いですが、今の状況では「廃止」にして欲しい。

2005年1月12日
特許権訴訟
日亜化学と中村教授との間の争いは利子分を除くと約6億円で和解が成立しました。
この手の裁判や行政訴訟、企業を相手取った訴訟、医療関係の訴訟などで感じることは裁判所はどちらかというと「弱気を挫き強気を助ける」というような感じを受けます。
下級審では平等か弱者救済的なところがある判決が出ても上級審に移るにつれて、先ほどの「弱きを挫き強きを助ける」の判決が増えますね。
だから、ハンセン病訴訟も長引きました。中国人の強制連行に関する判決もね。
私は、裁判所は少し政府に批判的であったり、弱いものの見方であって欲しいと思います。下級審の判事がそのような判決を出しても上級審で覆されることが多いですね。
世論の力で控訴や上告を断念させた場合もあったと思います。
裁判についてもっと関心を持って語りましょう。

2005年1月11日
大相撲本場所全面禁煙
今年の初場所から全面禁煙になりました。今までは2階席とかなどでしたが、枡席も禁煙です。まあ、枡席が国技館の中心付近ですから、受動喫煙させられていたファンが多かったわけですね。でも、今年からはその被害を受けなくなったということです。
両国の国技館だけでなく、大阪、名古屋、福岡でも全面禁煙にするそうです。
ところで、プロ野球はどうでしょうか。高校野球は?などなど、本来、スポーツに煙草は要らないはずです。特に青少年を禁煙指導(保健という科目で)も含めて運動の指導している保健体育教師には要らないはずです。
なぜ、運動部の顧問の方が文化部の顧問より喫煙率が高いのか不思議です。何年か前に高等学校のある運動部の都道府県大会の会場に行ったことがあるのですが、顧問の喫煙者が多かったです。会場の特定の場所ではく、いろいろなところで喫煙してました。
その同じ月にあった文化部の大会では喫煙者は校舎外で且つ決められた場所だけでした。だから、その場所でもほとんど吸っている教師はいませんでした。
学校敷地での全面禁煙が広がりつつありますが、文化施設や運動施設も全面禁煙にして欲しいですね。青少年の健康を守り、その意識を高めるためにね。

2005年1月10日
少子に挑む その9
これは日経に元旦から始まった連載の表題です。
本日の連載からです。
見出しは「働く母育てる欧米流」でした。
この例として、アメリカのニューヨーク州ロングアイランドであるIT関係の会社があがっていました。会社は保育士を100人以上を雇い、室内プールまで備えた施設を1200万ドルかけて作ったりしています。
その理由は、「育児支援の環境を整えないとIT産業では優秀な人材を失う」ということだそうです。
男性のみに拘って優秀な女性を日本の企業は取り逃がしていませんか。昨日も書きましたが、現実に「育児」で外資系などへの転職が起こっているそうです。大分前にNHKの特集番組にこういうのがありました。
別のIT関係の会社では「在宅勤務」を活用しているし、「フレックスタイム」はそこの会社の社員はすべて一度は利用しているようです。
ヨーロッパの方は、休業補償などで育児に専念できるようにしているようですね。スウェーデンでは480日の育児有給休暇があるとのことです。
復帰もしやすくしてね。アメリカなどは退職しても再就職が「能力」で評価してもらえるので日本みたいなことがないようですね。だから、育児休暇が短いらしいです。
日本は「継続」に拘りすぎているので、制度として復帰ができるということが必要ですね。それも「実効」のある制度でね。

2005年1月9日
少子に挑む その8
これは日経に元旦から始まった連載の表題です。
本日の連載からです。
見出しが「未来描けば廃墟の山」でした。
いままでに作ってきたものの維持ですね。高速道路や空港、あるいは制度ですね。それをどのようにするのか。今の少子化の現状で未来を描くと廃墟であったり、制度破綻ですね。
高速道路にしても、新しく作るのを止めたとしても「維持費」、これをどうするのか。首都高速道路公団ではないようなのです。年間通行料収入が4割ほど増加できればなんとかなるようなのですが、利用者が将来的に減少傾向の今、どうするつもりなのでしょう。瀬戸内海の架橋も収入不足が凄いですね。佐賀空港の例も出ていましたが「過大な需要予測」でつくって利用が伸びず、「赤字」。
健康保険でも若い世代がぼちぼちおれば、まだ、なんとかしやすいでしょうが。年金のことは有名ですね。
学校の廃校の利用例も出ていましたが、少子化が進んでいなければ「廃校」になっていないわけですね。結局は、人口増加を前提にいろいろ造りながら、少子化対策をせず、人口減が現実となってきたことから起こっている問題ですね。

2005年1月7日
インド洋大津波
多数の犠牲者があり、物的にも被害は甚大でした。お見舞い申し上げます。
ところで、前回のあるニュース番組で地震があれば「津波」を考えて避難というのがありましたが、震源に近いところはこの原則を当然守るべきだとは思います。
ただ、今回、インドネシアなどの住民の方の意識は地震だけで終わっていたようですね。それが人的被害を大きくしてしまったとは思います。
しかし、スリランカでは地面が揺れたのでしょうか。アフリカ諸国ではどうでしょうか。揺れていないのでは。さらに、地震報道もなかったのでは。人々は平常のままで被害に遭ったと思われます。
1960年のチリ地震の日本みたいですね。
モルジブは逃げるところがないような国ですね。
現実にインド領で震源に近いアンマダン諸島で全滅に近い被害を受けた島があるのではともいわれています。
被害を少なくするには津波警報システムと津波に関する知識の普及が必要ですね。今回のことで始めるようなので以後は被害は減少するでしょうが、プレートの境界で地震は起こり続けるでしょうから早急に警報システムおよび地震についての知識の普及を進める必要がありますね。
人的被害は減らせても建物などは避難できませんね。

2005年1月6日
少子に挑む その2
これは日経に元旦から始まった連載の表題です。
本日の連載からです。
大きな見出しが「出産 今こそ国の支え」です。簡単に言うと、日本の市場が狭まりつつあるのは「人口減少」の可能性があるからです。現実に近々起こるでしょう。そして、余程の対策をしないと増加に転じることはないと思います。
高速道路を造って、誰が使うのですか。新幹線、誰が乗るのですか。空港は。干拓して農地を作っても耕作をする人がいないと原野となっていきますね。
せめて、人口が減少しない程度に子どもを増やそうと各国は施策をしています。フランスでは、3才以下向けだけで支援に2兆円を使っているとのことです。オーストラリアは2004年度から新生児に円換算で24万円を支給し始めた。
ノルウェーには公立保育所を使わず家庭で1〜3才の子どもを育てる親に月6万円を超す国の手当がある。その他にも色々あるのです。
また、これらの国では、「雇用主が子育てを支援しない時には・・・」だと思います。支援している時には、それなりに企業にも支援があったはずですし、イギリスやアメリカでは、子育てで退職しても復職がスムーズにおこなわれているとのことです。
人材を「能力」で見ているからでしょう。ですから、日本でも子育てのため、外資系に転職する女性が結構いるようですね。日本の経営者もそのあたりをよく考えましょう。
本日の総合面の「日本車、海外で稼ぐ」というのも少子化が原因です。国内では売れないからです。そして、企業自体も海外移転ということが頻繁に起こるようになるかもしれません。そうならないためにも、子育て支援(子どもと作って育てやすい環境)をするべきです。制度を作るだけではダメです。実際に利用できる制度をね。

2005年1月5日
少子に挑む
これは日経に元旦から始まった連載の表題です。
そして、3日の分の中に「沈む公教育」という見出しがありました。私学でも一部を除き公教育と変わらないかも。
日本の教育自体がおかしくなっているのでは。
勉強の目的も問題ですね。何のためなのか。自己の向上のためか。単に試験の得点のためなのか。
人格の形成や能力の向上などで将来の自己実現の基礎を形成することが公教育の目的かなとも思うのですが、人間の成長は人それぞれですね。それの考慮を全くしていない。これは、親の意識の問題もありますが。
記憶力を鍛えるだけではダメですね。ところが、記憶力でしか評価しようとしない教師が多いですね。その異常さがわからないようです。国も国ですが。このような状態を放任し続けてきた。
まあ、フリーターとかが増えてきているのは、自己について正常に考える力すらつけられない教育というものが背景にはあるのでは。総合学習の取り組みで改善される可能性は幾分かあるとは思うのですが、現場で骨抜きにされている例が多いのでは。
論理的に思考できる訓練を。そのために必要な経験ができるように。
今日は、支離滅裂だったりして。すみません。

2005年1月4日
努力の尊さ刻むべき
これは昨日の日経社会面「賀詞交換 学校教育」欄の東京大学学長佐々木毅氏のお話の見出しです。
学校教育は、無限の可能性を持った世代を対象にしており、この可能性を高いレベルで実感させ、努力の大切さを刻み込むことが大切だと言われています。
「勉強」もこのための手段ですね。
今、社会的影響が検証もされずにだらだらと流れ込んできています。その中の一つが「即戦力教育」ですね。無原則にすぐ役にたつといわれるものだけを教えており、この効果の検証も無責任ですね。
なにがどのように役にたつかは、実際の場面に遭遇しないと解りませんね。でも、基礎基本をしっかりして探究心、向上心、忍耐力を努力してその成果を実感させておく方がよほど良いのでは。
そのとき、評価には「マーク式」や「択一式」「穴埋め」みたいなものは使わないで欲しいですね。評価が良くないことも現状を悪化させているのだと思います。
学習の動機付け、ひどいケースが多いですね。校内の順位などを平気で考える教師が結構多いようです。これって、無限の可能性を摘み取っているようなものだと思います。

2005年1月3日
少子化 その3
さらに昨日の続きです。
企業経営者や管理職はよく判っていないようですね。
例外的にいくつかの企業では、何人でも子供を作っても育児のしやすい環境を整備していますね。
制度を作ってもその運用で嫌がらせをすれば、その制度がない時より悪質では。子どもを作れるからと制度だけで選ぶと騙し討ちみたいなものですね。
実名が出ているのは、本当に子どもを育てやすい環境を作っているところです。
そして、これらの企業は「会社の社会貢献」の一つというような意味合いももっているようです。
子育てをいびるような企業は結局優秀な人材に逃げられて損をしていると思います。そして、日本を潰す気のようですね。日本が潰れれば企業もね。

2005年1月2日
少子化 その2
昨日の続きです。
以前は、赤ちゃんが多数いたのでその様子をよく見ることができました。ところが、核家族が極端に進み「誕生」のときやそのすぐ後ののことを知らないとか、いろいろなことが出てきているようです。
一面の記事の中に小児科でもらった水薬に「よく振ること」とあるのを読んで、赤ん坊を揺さぶった母親がいるそうですね。
これって、子育て以前の問題では。要するに、「普通の日本語」の意味がわからないということですね。生活の実体験が減少し、ことばと動作や物事との対応ができていないから起こるのでは。
教育においても、もっと実体験を記述させ、他の人に説明する訓練が必要では。今の教育での問題は「読解力」がない。「論述力」がないということも大きな問題です。この結果、自らの思いや考えを伝えることができなくなってきているだけではなく、他の人の言っていること少し込み入るとが解らなくなるようです。
マークシート式(択一式)や穴埋めのテスト、止めましょうや。確認程度なら許せますが、入試では使って欲しくないですね。
センター試験は、京都大学理学部のような基準点としてのみの利用にして欲しいです。

2005年1月1日
新年あけましておめでとうございます。
この「諸々の言いたいこと」も3年目を迎えました。
つたない文ですが、これからもよろしくお願いします。
いつも私の諸々に対するブツブツ(言いたいこと)を読んで頂きありがとうございます。
今年もブツブツやりますのでよろしくお願いします。

少子化
本日の日経一面と特集は「少子化」についてです。
「少子化」対策に特効薬はないように思います。少子化に悩んでいる国々はいろいろな施策を講じていますね。その中で、日本の取り組みは遅れており的はずれではと思っています。
イタリアのある村が「公共事業」を削って「出産奨励金」を増やしました。その理由は、例えば「道路を造って誰が利用するのか」ということです。日本ではこの手の議論は全くと言っていいほど聞かれません。今日の一面には「社会資本の利用者不在」ということで取り上げられています。
空港や高速道路、干拓など過大な利用見通しなどで兎に角造るというのが日本のパターンですね。それも借金で。後の世代はたまりませんね。
継続的にお金をそこで使っているのは子育てしている世帯でしょうが。公共事業ではなく、子育て支援の方がその地域でお金が使われますよ。そのあたりがわかっていないのでは。
活気の国々は、子どもが多いですね。親が子育てしているところですよ。特集の方で「子持ちは職場で優遇を」とあります。
子どもがいなくなれば、企業はやがて海外に出て行くほかないはずです。日本で企業活動を続ける気があるのなら「子持ちは職場で優遇を」をです。これは行政なども同じです。
子持ちをいびるような職場には重罰を。優遇する職場には手厚い保護を。この保護費、公共事業を削れば簡単に出てきますよ。子どもがいなくなれば公共事業もなくなりますよ。