煙草をなくし、安全に暮らせる社会を創ろう(表紙に戻る

2004年3月31日
昨日の日経社会面の連載「大学が変わる」を読んで
「百花繚乱の専門職大学院」という題です。例として、助産師の大学院とITの大学院の話が出ていました。
日本の教育が「単純技能」か「理論」のどちらかに偏り過ぎていたのでは。その結果、「理論」のほうは実務がだめ。「技能」のほうは融通が効かないなどの弊害があったのでは。
さらに、今までの大学教育が生ぬるいという問題もね。理論も実務の中途半端であったというツケですね。
「日本技術者教育認定制度」のような制度がある分野は、専門職大学院はできにくいでしょうね。普通の大学教育がしっかりしているということになりますから。
ただ、すき間的な分野については、今後専門職大学院は増加すると思います。

2004年3月30日
アイルランド「全面禁煙」
アイルランドがやりましたね。「全面禁煙」。個人宅などを除いていますけど、パブ(居酒屋)でも禁煙です。要するに不特定多数が訪れるところは禁煙と言うことですね。
違反者には、3000ユーロ(約40万円)の罰金を科すそうです。喫煙を見逃した場合、店も取り締まるということです。
ノルウェーも今年の6月に同様の規制を導入することになっています。
日本ではどうかな。医療関係者の喫煙率、高いようですね。タバコの害を教えている教師が吸っている。このような状況の改善も必要ですから、一般の人に「喫煙の害」を理解してもらうのは大変ですが「政府」が率先して「禁煙」できるように、「禁煙」したくなるように施策を講じる必要があるのに生ぬるいです。
多くの人に「たばこの害」についての理解を深めて貰い、全面的禁煙が望ましいですが、場合によっては「分煙」の確立をしてほしいですね。設備上分煙できないところは「禁煙」で、学校は「全面禁煙」にしてほしいですね。

2004年3月29日
本日の日経「主要病院本社調査」総合評価の問題点
問題点は、相対評価であるということです。上位100番までを「A」というようにしています。基準は?なのですかね。基準より良ければ{A」を増やしてもよいと思いますし、悪ければ、極端な話、「A」なしでもよいのでは。
企業の格付け、相対評価でしたか。いくつもの項目を調べてそれぞれどのランクに位置するかということから「総合的」な格付けを出していると思います。相対評価では、意味がありませんからね。
病院も同様だと思います。例えば、患者への対応が良いところばかりですと、良くても「B」とか「C」が付き、悪いところばかりでは「悪く」ても「A」が付くことになります。
ほかより「まし」程度でしか利用できない『日経「主要病院本社調査」総合評価』ですね。
基準をつくるのは面倒だと思いますが、まず絶対評価をしてそののち並べて見る程度にしてほしいですね。

2004年3月28日
日経ビジネス2004.3.29日号「有訓無訓」を読んで
今号は三鷹光器会長の中村義一氏です。「考え抜く訓練が独自の工夫につながる」と見出しがあります。
自身の経験などから「もの作りの楽しさ」、そしてそれが自分で考えることにつながると言われています。
「もの作り」を子供の時にさせるためには、今の受験というか教育に対する価値観を変える必要がありますね。最後のほうで「教わって得る知識は偽物です。自分で考え抜く訓練が大切で、工夫する努力を重ねると、壁にぶつかってもあの手この手が出てくるようになるのです。」とも言われています。
今の教育にかけている「失敗できる権利」や「ゆっくり試す権利」が必要になりますね。
大学入試を難しくするのではなく、卒業の要件の厳格化をすると、このための余裕が出てくるのでは。また、闇雲な「暗記中心」学習も少なくなって「考える力」を養う余裕ができるのでは。
今後の日本は、「独自に考えたもの」を多く発信しないと世界から取り残されてしまうような気がします。そのためにも教育に対する価値観を検討しましょう。

2004年3月27日
大学改革について
国立大学は4月1日より独立行政法人化されますね。
競争原理を導入することも一つの目的ですね。
教育や研究の質はもちろん、経営の効率性なども含めて大学ごとの個性も問われる「大競争時代」に入っていくことになります。私学は、以前から競争原理がはらいていましたね。
競争するということは無競争よりいいのですが、「評価」の問題が出てきます。競争というのは「順位付」があるわけですね。
どのような基準で評価するのか。絶対評価で評価してから「順位」を付けてみるのか。取り敢えず「順位」を付けて上位の一定割合を例えば「Aランク」にするのか。
それによって今後の大学教育が今までより悪くなる可能性も持っていることを忘れないようにしないといけませんね。イギリスでは、競争原理がひどすぎて優秀な研究者や学生の海外流出が多いそうです。
アメリカでは、研究費の配分において「将来、大きな成果が出るかもしれない研究」(今の感覚では採択されそうもない研究)に如何に配分するかということに腐心しています。
日本での競争原理では、イギリスみたいになりそうな感じがします。官僚に近いほど基礎的な「学術研究」の内容を理解できないみたいですので。
結局、個性が潰されて同じような研究や教育を行う大学だらけになりそうに思います。まあ、日本人の習性ですから。
そして、海外に流出した人材が戻って来なくなる日が近いかな。

2004年3月26日
言いたいこと、お休み
今日は時間がないので休ませていただきます。

2004年3月25日
日本帝国陸軍などの失敗隠しや三菱自動車のリコール隠しなどにみられる日本人の体質?
日露戦争での旅順攻撃をした第四軍の作戦は失敗というより戦術も戦略もない無謀な突撃で多数の将兵の方々が戦死されたり負傷されました。
この件について日露戦争後、何らかの検討がされた様子がないのですね。その証拠に太平洋戦争での「突撃」が多かったですね。また、無謀な作戦が非常に多かった。
日露戦争での状況を他の戦場を含めて公表検討し反省をしていたら昭和の戦争はなかったかも。そうすると今でも大日本帝国憲法だったのでは。
ところが、都合の悪いことは軍の中でも隠していますね。日露戦争史を編纂された方は将軍等の圧力を受けながらできるだけ正確に書こうとされた。その結果が「左遷」です。
これは、官僚機構でも見られますね。データを出さない。公表の仕方を都合のよいように変えている。多いですね。企業も国内的には消費者を誤魔化していたことが多かったですね。国際的なこともあり減ってますけど、どうでしょう。
三菱の大型車の「ハブ」の欠陥問題は、これらと類似していると思います。
隠す原因は幾つもあると思いますが、その内の一つは「責任の取らせ方」に問題があるのでは。そして、一度ことを起こすと「敗者復活」がほとんどできない日本の慣習もこれに拍車をかけていると思います。
「敗者復活」ができる環境を作ってほしいですね。

2004年3月24日
本日の日経社会面「外国語で授業318大学に」を読んで
文部科学省の調査によると、語学以外の科目を英語などの外国語で実施している大学が、国立では前年度比12大学増の79、公立では1大学増の20、私立が49大学増の210と増えており、私立での増加が目立つ。
外国語で鍛えるのもいいですけど、その前に「日本語」をもっと鍛えてほしいですね。専門分野についての日本語による理解の程度が低い場合、あまり効果がないのでは。もっとも外国語では解らないということから日本語での学習により取り組むきっかけになるかも。
丸暗記でない日本語での知識が深くなると、外国語での文献などが読みやすくなりますからね。
この記事の後半分は、学業成績を見る際に不合格科目も平均点を出し厳格な評価を目指すGPAを導入している大学が109になっているということです。大学によっては、留年だけではなく「退学勧告」に利用しているところもあります。
「日本技術者教育認定制度」のような絶対評価的手法を取り入れてGPAをしているところはどの程度あるのでしょうか。日本の全大学が絶対評価になってほしいですね。
まだまだ、相対評価が蔓延っています。大学から絶対評価を広めてほしいです。

2004年3月23日
言いたいこと、お休み
今日は時間がないので休ませていただきます。

2004年3月22日
本日の日経、科学面「大学革新 第4部 手探りの評価制度 4」を読んで
大学に研究に競争原理を持ち込もうと、国は公募型研究費を約2割増やしたしたそうです。
そして、研究費配分を支えるのがアピレビューと呼ぶ研究者による相互評価だそうです。
この評価、徹底するほど「独創的な研究が選に漏れる」と評価の落とし穴を懸念する声が出てきたとのことです。
中村氏の「青色ダイオード」も研究中は冷遇されていたみたいですね。
東北大学で学長もされた西沢名誉教授も相当長い間冷遇されていたようです。どちらも、あとで脚光を浴びることができましたが、そうでない場合、研究が続けられなくなり成果の出る前に打切りにされる自体も考えられる。あるいは、独創的すぎて一部の研究者にしか理解して貰えず研究費が出ないことも考えられますね。
そうなると、誰が見ても無難なテーマ(独創性無し)に落ち着いてしまう恐れが十分にあります。
アメリカではこのような点を改善するため研究費の一定額を別枠にし、うまくいけば「化ける」研究テーマに投じる新制度を研究中だし、研究費配分の担当者が自らの責任と判断でテーマを選別し、研究費の一部を充てることのできる制度を新設したそうです。
どうすれば常識破りのテーマを見つけ発展させることができるのかということが大きな問題であると思います。
いろいろなテーマの研究が進められてこそ社会は発展するのだと考えています。

2004年3月21日
日本の歴史について、そして現状認識について
特に日露戦争あたりから考えてみましょう。
日露戦争史ですね。軍にとって都合の悪いことが隠されているのですね。特に第四軍ひどかったようですね。その失敗を誤魔化すために「爆弾三勇士」などが作られたのだと考えています。そして、それにも係わらず、参謀長は出世してますね。乃木神社なんかができていますね。
日露戦争の日本軍は、「世界の先端装備」で戦争しています。このことも抜け落ちていますね。
ノモンハン事件でも、その状況を検討し後に反映させることをしていませんね。
それと、何か事情があると「軍神」がやたらと出てきています。これも「指揮の失敗」や「装備の悪さ」などを誤魔化すためだったようです。
時代は古くなりますが、元寇でも「神風」が強調されていますが「土塁」を築くなどした結果、博多沖などで三ヶ月も上陸できなかったため、台風に遭遇したのです。この点についても長いこと無視されてきていたのでは。
日本の国体を潰すような太平洋戦争にどうして突入していったか、真面目に検討されていませんね。そして、自らの失政で大日本国帝国憲法を潰したことに頬被りしています。あの戦争さえなければ、大日本帝国憲法のままだと思います。
このあたりを真面目に取り組まないとまた同じ失敗が行われるような気がします。そして、今度は日本が立ち直れない可能性もあると思います。
現在の改憲論もこのことについての検討無しにされていると思います。今まで、日本に攻めてきたのは「元帝国」だけですね。それ以外は日本から出て行っていますね。
そして、アジア諸国に多大な損害を与えた戦争の反省ですね。これを真剣にしてもらわないと、また、日本が潰れると思います。

2004年3月20日
日本のマスコミ
マスコミ関係者全員のことではありません。少数ながら「立派なジャーナリスト」もおられます。
しかし、主流派は「ゴシップ」タイプだと思っています。だいぶ前の話になりますが、某放送局の○ー○ステーションで埼玉のダイオキシンの報道をしたときの状況とか、ニュース番組での報道の仕方に疑問を感じることが多くあります。
まだ、テレビやラジオはマシです。問題は、週刊誌などですね。それも部数の多いものです。どうして、個人のプライバシーが好きなのでしょうか。出版物をどのように考えているのでしょうか。もっと大事なことに使ってほしいですね。
今回の出版差し止めになって当然のような記事の掲載を続けていると映画の「映倫」みたいな「検閲」が必要になるかも。そして、最も大事な政府等に問題があったときの本質をつくような記事まで差し止められては国民が困ります。
それでなくても、日本人は「議論」の本質を逸らすのが上手なようです。国民の目を単なる一個人に向けさせるのではなく、国政全般を含む社会の矛盾点やよいところに向けさせるような記事を主体にしてほしいですね。

2004年3月19日
言いたいこと、お休み
なぜか書く気がしません。済みません。休ませていただきます。

2004年3月18日
本日の日経第2部「日本再生への処方箋」より
楽天会長兼社長の三木谷浩史氏が「当事者意識とプロ意識」について述べられています。
まず、「1人ひとりが当事者意識を持つよう意識を変える必要がある。」と言われています。そして、「過去の成功体験に基づく発想法から脱却しなければならない。」とも言われています。
第3者的立場でものごとを見ることが大事なときもありますが、自分に掛かっていることまで常に第3者的にみるのは無責任というかそこから逃げていることになると思います。だから、当事者意識ですね。
「過去の成功体験」を引きずって失敗している例は多々ありますね。いつまでも「過去の栄光」のみですね。「歴史」には学ばなければなりません。「過去の成功体験」より「過去の失敗体験」の方が役に立つと思います。日本はこれの利用の仕方が悪いですね。
「プロ意識」とは何なのでしょう。「プロ」だからこそ、スポーツの選手でも「試合に勝つことだけでなく、スタンドに観客を集め、喜んで帰っていただくという発想が必要だ」と述べられています。
三木谷氏は最後に「人生は有限資源。仕事に限らず、やらなければ後悔する。『迷ったらやる』を行動原理に、これからもチャレンジを楽しんでいきたい。」と述べられています。
何事も行動に移さなければ意味はない。宝くじも買わなければ当たらない。

2004年3月17日
本日の日経、一面「松下の新卒採用 日中が逆転」を読んで
松下電器産業の2005年度の新卒採用数が国内と中国で逆転するということです。
大手電機会社にとって生産、販売両面で中国の重要性を改めて示した形だとありました。
配置なのですが、中国で採用した人材は、研究拠点や開発拠点に配置するとのことです。これは、なにを意味するのでしょうか。
国内の大学卒業生のレベルとの比較で中国に研究開発拠点を移す方が良いと判断したためとも考えられます。
現状の大学教育では、このように製造現場だけでなく研究開発も海外に流出していく事態が続くのでは危惧します。
もっと多くの大学が卒業生に日本技術者教育評価機構の認定レベル以上の基礎力を付けた者のみ卒業させるような仕組みになってほしいですね。
1億3000万人を第3次産業だけで養うのは無理であると思います。
そのためにも大学の技術者教育のレベルを高めてほしいですね。
それと文系での自然科学関係の教育をもっとしてほしいです。そうでないと「技術の解らない」経営者などが続出して優秀な技術者の海外流出を促進してしまいますからね。
大学教育が卒業基準を重要視して卒業が難しくなれば、今みたいな入試は影を潜める可能性があります。卒業できなければ意味ありませんからね。
それと企業の新卒採用活動の時期、卒業後になりませんか。現状なら内定したら卒業できなくても採用しなさい。大学教育で一番大事な卒業論文に掛かる前に決めているのですから。

2004年3月16日
本日の日経、私の履歴書より
今月はイオン名誉会長の岡田卓也氏です。今日の見出しに「流通業に対する規制と戦う 全国1000万人超す署名運動」と言うのがありました。
この規制ですが、昔は百貨店法、次に大規模小売店舗法、そして、今の法律というように変わってきています。
これらの規制ですが、常に現場の変化に対応した国民のためであったかどうかというと疑問が大いにつきます。それが、署名運動であったりするわけですね。
消費税導入や今回の総額表示についても現場で係わっている分野の代表が入っていないため混乱が起きていると書いてました。
日本の官僚などの現場知らずは今に始まったことではないですね。昔から言われています。いまはどうなったのでしょうか。例えば、国家公務員T種合格で警察庁採用の幹部候補の現場体験が署長、税務署もでした。今は変わっていることを期待したいです。
本当の現場が判るわけないでしょ。
それと教育の問題ですね。現実感がないのでしょうな。司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」の第2話の言われていたことです。
ノモンハン事件の時の現地の日本軍の指揮官が「日本の兵隊さんは強いと聞いているから・・・」といったそうです。
自分で指揮している兵隊に対しての認識ですね。現実感がないのですね。伝承として覚えているという感じです。
今の教育の大して変わらないような気がします。
養老孟司氏の「バカの壁」に書いてある現象とも繋がりますね。知識として持っている。でも、現実には役に立たないという覚え方ですね。
このあたりが放置されたまま、今日に至っていると思います。
バブル経済の時の土地投機も現実感(この時はそこで事業をしたときの収益性)が全くなかったのでしょう。だから、あのようなアホみたいなところまで価格が上昇したのだと思います。

2004年3月15日
咋日の日経Sunday Nikkeiのスクープ「法が定めた『配置基準』の不条理を読んで
現実と法で決められた配置基準のズレの話です。どうしてズレるのか。「医師の名義貸し」では、俗に言う都会に医師が集まり、それ以外のところでは医師不足の状態になっているためです。基準を満たさないと診療報酬が減額されるため、それを回避したいということですね。
問題は、都市集中にありますね。もっと地方でも医師が働きやすい環境をつくる必要があると思います。なぜか、他の多くの分野でも江戸集中がますますひどくなってきておるような気がします。官庁の持つ許認可権を都道府県に移し、地方を活性化すれば相当解消されると思うのですが。
児童養護施設の過重労働も「配置基準」が原因だそうです。仕事の内容が大きく変わっているのに法律をそのままにしている。あのハンセン氏病の法律と一緒ですね。その原因の一つが予算の硬直化では。硬直させているのは官僚や政治かですね。土建ばかりしているからね。
まあ、一度決めた制度で見直し条項があっても見なおさないような国ですから、これらの問題が解消されるのはいつになることやら。

2004年3月14日
本日の日経社説「三菱ふそうは企業の社会的責任が欠如」を読んで
度重なるタイヤの脱落事故や総会屋への利益供与などです。
50件もタイヤの脱落がありながら「整備不良」と言ってきたのが、ドイツのダイムラーから社長が派遣されて風むきが変わり、「設計の不備」を漸く認めたものです。
事故の拡大と信用低下をもたらした今回の件で「三菱」ブランドに大きな傷がつきましたね。
これは三菱の「責任」の取らせ方に問題があったのかな。官僚機構と同じなのかな。
消費者というかユーザーなのな、企業のその場の利益のどちら向いているのですかな。
総合的のものごとが考えられない典型例ですね。
もっとも他の自動車会社でも安全対策の技術を持っていながら国の規制がないから使わないというのと50歩100歩の感じがします。
車に関してはさすがドイツですね。

2004年3月13日
日経ビジネス2004年3月15日号時流超流を読んで
この最初にあるのが「東芝訴訟、桝岡氏が鳴らす『知の空洞化』への警鐘  技術立国の現場が危ない」です。
東芝の話になるのですが、桝岡氏がフラッシュメモリーを発明したにもかかわらず、会社はその可能性を見抜けなかった。そして、インテルや韓国サムスン電子に技術供与して両者に独走させる結果になったそうです。
また、光ファイバーでは、西沢順一氏が開発しているのにアメリカのコーニング社から技術導入した企業がありましたね。
多くの経営者はどうして発明とか技術に疎いのでしょうか。また、日本人に独創性がないと思いこんでるのでしょうか。
発明に対する対価の問題もありますが、発明が認められない。研究活動に対しての評価が正当にできないと言うことも大きな問題ですね。
経営トップとか官僚などのトップになるほど、技術などに疎くなるのは日本の特質なのでしょうか。
古い話ですが、ノモンハン事件のとき、ソ連軍との機械力の圧倒的な差を見せつけられても改善しなかった帝国陸軍と通ずるものがある気がします。日露戦争当時の兵器で何とかなると思っていたようです。日露戦争のとき、日本は世界の最高水準の兵器を持っていました。
もともと、日本は新技術の吸収、発展させる能力が高かったはずです。それが、どうしてこのようになったのでしょうか。
そこの点を検証する必要があると考えます。
まあ、定期考査に問題集の問題をそのまま出題するような教師をなんとかしてほしいですね。こんなことをされると自然科学系の科目を多く履修していても何ら意味はないと思います。その上、その履修の少ない文系ではなおさらですね。
技術などが解らない経営者が多くなるのは今の教育の現状では仕方がないような気がします。

2004年3月12日
日経サイエンス4月号の「いまどき科学世評」を読んで
今月号の表題は「200億円 法外論の浅慮」です。
1月30日の東京地裁が下した発明者の中村教授への200億円の支払いを命じた判決に対するいろいろなところの反応に対して書かれていました。
この反応の多くが発明内容の評価などする能力も知識もない経済評論家なる人物みたいなところからでている。
マスコミに登場する評論家ですが、見識のある人物はどの程度いるのでしょうか。今回の場合、発光ダイオードの世界的な位置づけをする能力がないのがほとんどだと思います。
情報の分析もできていないわけですね。このようことは、他の事例でもよく見ます。
これは、そのような評論家を起用するマスコミにも問題はありますが、文系で自然科学が、理系で人文科学や社会科学が判らないと言うことを自慢できる風土に非常に大きな問題があると考えます。
これを助長しているのが、教育、高校での「文系」「理系」分けであり、大学の入試制度や入学後の認定の甘さなどですね。これが長年に渡ったため入試に出ないのは「しなくて良い」から「判らなくて良い」になってしまったのでは。その結果、本来の自分の専門の方にも悪影響が出ているのに気がつかない。
それと、大学での「卒業研究」の指導が十分にされているのでしょうか。この問題点も考える必要があります。企業が3年の終わり頃から採用活動ができると言うことは「卒論」の価値を認めていないということですかな。
分析力が養われていないわけですね。だから、見当違いのことを根拠にいろいろ出てくるわけですね。
日本の企業の全てが「家族的」でしたか。団体生命保険に加入させておいて企業の方が保険金を全額取ってしまっていた例が多数ありましたね。それで生命保険会社はこのような契約をそこの従業員に通知するようにしたわけでしょ。
いろいろなところで、従業員いじめみたいなのがあるわけですね。労働や発明等に正当な対価を企業が従業員に支払うのが当たり前なのにされていなかっただけです。
今回の判決は、単に正当な対価を認定しただけだと考えます。

2004年3月11日
本日の日経の社会面、ハンセン病問題を検討していた第三者機関の中間報告より
ハンセン病は、伝染力などは非常に弱いのに「見た目」による差別を生んでいました。特効薬ができてからは「完治」する病気でした。
にもかかわらず、強制隔離政策が特効薬ができた後、50年間も続いたのはなぜでしょうか。
厚生省ニ対しては、「(入所者の)処遇改善に必要な予算を獲得するために隔離政策の存在を強調、利用していた」とした熊本地裁判決を補強し、法改廃を先送りし続けたと指弾した。
これは、官僚の惰性による政策そのものですね。そして、予算配分の硬直性にも関係するのでは。予算が減ると言うことを避ける目的だけであったのでは疑いたくなります。大蔵省の責任にも触れてほしかったですね。
隔離政策をやめる世界の流れに逆らっていた国に制度見直しを働きかけなかった医学界・医療界の責任も大きいですね。
医師の役目は、何なのでしょうか。無意味な隔離を続けさせることなのですか。患者の方を向く必要があるのに体制というか制度の方にのみ目を向けていたのですね。
「わが国のハンセン病医学は独善と非科学性に満ち、行政の道具に成り下がった」と報告で断じています。威張りたいのなら医学部以外に進学するか医療に係わらないでほしいですね。
法曹界やマスメディアの責任も大きいですね。マスメディアの方ですが、ほかの面でも「良識」を疑いたくなるような報道によくお目にかかります。正しい意味で欧米みたいに「賢く」なってほしいです。
教育の問題も大きいですね。覚えるだけを「良し」とする評価を続けている限り、順番にのみ拘る評価を続けている限り、同様の問題は後を絶たないと思います。

2004年3月10日
「タバコ規制枠組条約」に署名へ
日本政府にしたら、意外と早いかな。この手ではいつも後手後手でやってきてますからね。
署名するということは、タバコの害をはっきりと認めるということですね。そして、その対策に取り組むということですね。
例えば、タバコの箱表示部面積の30%以上に「健康警告を明確に表示」するようになるわけですね。JTなどにさせないとなると条約に署名した意味がなくなります。
国としては、これ以外にも分煙対策や健康被害についても啓蒙をよりいっそう進める義務が生じるはずですね。
ですから、宣伝広告についても規制されて当然だと思います。
タバコ会社は、タバコの使用に関する費用を負担する責任が生じるとは当然であると考えます。
署名して、条約が発効すれは拘束力を生じますので早く 発効させてほしいですね。

2004年3月9日
本日の諸々のいいたいこと、お休み
すみません。今日は「新聞ネタ」では書けません。ほかのことでは書くことはできるとは思うのですが休みます。
「タバコ規制枠組条約」への署名については明日、書きます。

2004年3月8日
本日の日経、科学面「大学革新 第4部 手探りの評価制度」を読んで
見出しに「広がる産学連携」と「企業の目が変身迫る」とがありました。
まあ、企業にも変身してほしいところもあるのですが優良企業は大学よりマシかな。
研究や教育について外部の目で評価されるということですね。企業が「産学連携」で大学を選ぶとき、そこにあるからでは選びませんね。幾つかの大学の研究内容などを調べて選ぶということになるわけですね。これも、まあ「評価」ですね。
該当分野の研究者がいて選ばれないということは、研究能力などが低いと見られていることになります。
幾つかの大学では、「入試難易度」とは関係なく優良企業に卒業生を送りこんでいます。これは、企業のほうにそこの大学教育を「評価」する能力があって実現できる訳ですね。
どちらにしろ、「評価」という問題を真剣に考えてほしいですね。そうすることによって、大学も企業も発展できるのではと思います。
賃金の成果主義が上手くいかない原因のほとんどが「評価」の問題です。従業員を納得させれないわけですね。まあ、難しい問題ですが、それを乗り越えた企業は巧くいっているようです。
単純な相対評価に慣れ親しんだ者には辛い時代になってきていると思います。
今あげた例は、基本的には「絶対評価」をして、そしてその中で最良と思われる相手と組んだり、採用したりしてるわけですね。

2004年3月7日
本日のNHKーFMの「お昼の喫茶室」を聞いていて
マーティ・キーナート氏らでした。日本のスポーツについて多面的に話をされていました。
いくつか感じるところがありましたが、プロ野球の解説で「走り込みが足らない」という一つ覚えのようにしか人がいたとか、「根性」論も出てましたね。
スポーツは完全に「科学」になってしまっていますね。また、「ビジネス」の対象ですね。それに全く気がつかない人がいるとか。
普通の人がいくら練習しても「イチロー」には成れませんよ。それぞれ、練習方法やレベルがあるのに「根性」でやってしまう無謀さなんかも言っていました。根性で猛練習すると「筋肉」を消耗するだけです。日本の選手はアメリカの選手より数年引退が早いそうです。中高の猛練習も響いていると思います。
アナウンサー等についても話していました。
日本のスポーツ(特に野球ですね)をよくするのにはどのようにしたらよいのかも話してました。現状のままでは、ジリ貧のようですね。
いろいろなところにも見られる「思いこみ」による慣習がスポーツでも「ガン」になっているのではと感じました。

2004年3月6日
本日の日経教育面「起業家精神育成は幼稚園から」を読んで
大見出しに「自ら考え実行する力を」があり、中見出しが「成長に応じた段階教育」と「方法より『なぜ』問う姿勢」です。
詳しくは、日経を読んでください。
高校で実験授業をされた結果、高校生たちが、自分の知識や経験をアイデアづくりに応用するのが不慣れな様子が色濃くですとのことです。出されたアイデアも「思いつき」にとどまっているものも多いとのこと。
これは、学習において「方法」が重要視され、「なぜ」が軽視されるからと考えられているようです。そして、これは大学だけでの努力では解決できない教育上の問題が積み重なってきているためで、社会や家庭との連携が不可欠であると書かれています。
「自分で考え、実行する」ことからの退行現象が目立っている。
原因には企業にも大学にも小中高や社会、家庭に有ると考えます。最初にしてほしいのが企業の採用姿勢の転換です。なんで大学の3年の終わりあたりで採用活動ができるのですか。卒業研究を無視しているわけですね。
次に大学です。もっと厳しく上手に学生を鍛えてください。勉強しない者は留年でいいではないですか。採用内定があろうが卒業の基準に達していないのなら留年でよいと思います。そして、企業も3年次に採用内定だすのなら卒業関係なしに採用しなさい。
小中高も大学とある意味同様です。入試を簡単に、卒業を難しく、学習のやり直しのしやすい環境を。学業の評価には「なぜ」を考えさせる要素と他の人を説得できる能力を含めましょうね。専門をよく理解していないと本来は「説明」できないはずですが。
人間の評価の多様化を。そして基準の明示を。
順番では、能力は全くわかりません。

2004年3月5日
本日の日経社説「国民の期待裏切る道路公団民営化法案」を読んで
この法案、民営化検討委員会でしたか、その委員が呆れて辞職した後での政府与党の合意に基づいていますから、予想通り骨抜きの法案であるということです。
予定している高速道路をすべて建設するとかね。
昭和の始め頃からも「日本の生命線」は満州とか言っていたのと同じような感覚ではないかと思います。
それと「隣の芝生がよく見える」という感覚、「皆と同じ」ことに極端にこだわる感覚ですね。
これらには、国全体としての発想も地域独自の発想もないですね。以前にも書きましたが、高速道路がなくても立派にやっている地域もあります。
大分県の村おこしで有名になったところは、高速道路のないときから有名でしたね。
ただ単にできればよいというだけでは、完成しても大都市に活力を吸い取られるだけの危険性を含んでいるのではと感じました。

2004年3月4日
司馬遼太郎の「雑談 昭和への道」を見て
だいぶ前に放送されたのを録画していたので、最近また見ています。
同じのを何回見ても感じるのは、「明治維新」のときの政府の中心として活躍していた人たちと日露戦争あたりを境に出てきたテストにより選抜された人たちの落差の大きさです。
そして、教育のシステムはその後いろいろ変遷しましたが、「秀才」に係る概念は今も変わっていないのではと思います。
さらに「秀才」ではない部分の層の能力の低下が著しいような気がします。
第二次世界大戦のとき、イギリス軍では次のようなことが言われていたと「雑談 昭和への道」でありました。
「日本軍で一番愚かなのは参謀肩章をつけている連中」であると。参謀肩章を付けることができるのは、当時日本で一番秀才が集まる陸軍大学でです。
イギリスと日本の認識の差はどこから来ているのは検討してみる必要があると考えます。

2004年3月3日
昨日の日経の企業4ベンチャー面の「起業する大学」を読んで
慶應義塾大学の取り組みが出ていました。やはり、医学部等を含む総合大学の強みみたいな書き方でした。
国立の法人化による競争激化に私立大学がどのように生き残りに対応するかについて慶應義塾大学の取り組みが試金石になるそうだとありました。
それより、よく聞いていたのが「教育の現場に金もうけ」は相応しくないというものがあります。
でも、貨幣経済の世の中になってからは「金もうけ」は良しにつけ悪しきにつけ必要なことになりましたね。このことに関する体験を早い段階からさせておくのも必要ではないと思います。
儲ける為にはリスクを考えなければならないということですね。そのリスクについて考えさせることが非常によい勉強になると思います。
今の学校教育では「リスク」という概念を無視しているような気がするのですが。その結果、多大なリスク(ものごとを多面的に考え判断することをしないという)を背負うことになってしまっているという皮肉な現象が見られます。
問題集の答丸暗記でできるような定期考査を作ったり、全て択一式の定期考査であったりでは「考える力」はつかないと思います。そうすると、「リスク」などに関しても判断できないのでは。
今回の京都府の鳥インフルエンザなんかの問題もかな。経営者はどう考えていたのでしょうか。「リスク」ということを。

2004年3月2日
昨日の日経科学面の「大学革新」を読んで
昨日はこれの「第4部 手探りの評価制度」その2でした。
見出しに「自己評価 改革の手段に」と「教育の質 底上げ」の二つがありました。
日本は英国の評価制度や競争原理を見本にしています。
そこで、オランダの例があげられていました。
政府系の評価機関による評価に大学が反発して結束し大学協会を組織して評価活動をしているいうことです。
審査は、研究活動の質は高いか、論文や優秀な人材を多く生み出しているか、研究テーマの妥当性、実現性を5段階で評価して公表しているということです。
ただ、すべての大学をランキング付けしたり、評価結果に連動して研究費が増えたり減ったりするいった派手さはない。
この目的は「大学を淘汰するのではなく、底上げするのが大切」ということです。そして、実際に効果が出ているようです。
日本で問題になるのが、評価の基本理念そしてその基準でしょうね。今までなんとなく相対評価になれ親しんできましたからね。
しばらくの間は、ゴタゴタするのではと思います。
オランダの評価内容は妥当だと思います。
日本はどうなるのでしょうか。相変わらず、順位付に一喜一憂するようなことにならなければよいと思いますが。順位は、評価によって出てきますが単なる副産物であるということを認識しておく必要があると思います。
評価の目的は最終的には「基準に達して越えているかどうか」につきると思っています。

2004年3月1日
日経の「インタビュー 領空侵犯」を読んで
今日は、JFEホールディングス会長の江本寛治氏でした。
中頃あたりからトイレの話がでていました。
日本の駅などのトイレが汚いという話です。私も実感しています。旅行中、トイレの為だけで百貨店に行ったこともあります。
最近は少しはマシになっていますね。
ところで、日本は「トイレ=汚い」というイメージがあるようですね。
私も江本氏と同じように「トイレは綺麗」でなければならないと思っています。
ですから、よくトイレを見ればその家の人の人柄が判るとかいいますね。
学校も同じだと思います。トイレの綺麗な学校は生徒も落ち着いていることが多いですね。汚いところほどトイレの破壊も進んでいて生徒も荒れているというか勉強もしないようですね。。そんな感じを持っています。
公共の場を汚すか汚さないのかというところに人格がよく現れている場合が多いと思います。