煙草をなくし、安全に暮らせる社会を創ろう(表紙に戻る

2003年10月31日
日経経済面「けいざい心理学 4 企業の生き残りゲーム」を読んで思うこと
見出しに「仲間づくり 怪しい 日本人の和」というのと「再編劇、くすぶる摩擦」というのがあります。
みずほと三井住友建設の例が書かれていて、旧の出身企業のしがらみというか身内意識が抜けないことの問題点があげられていました。
これ、昔の村意識そのものですね。市町村合併で問題となる点とよく似ているような気がします。ある条件で一旦仲間意識(村意識)が出来上がると新参者に対しては排斥すらしかねない意識というものがいまだに見られるということですね。
中国から帰国した残留孤児の方々の問題のいくつかもこの意識が大きく影響しているのではと思います。
東京都知事の発言の中にもこの意識を感じるときがあります。日本人は、ひょっとしたら世界のなかで「変化」に対して一番抵抗する民族かもしれませんね。
どうしてこのような国民性になったのでしょうかね。
身内の行動を無批判に肯定しようとする言動もいくらかは説明がつくのではと思います。このような性格が「歴史を鏡とする」という中国の首脳の発言の意味が理解できない原因なのかもしれません。
日本を潰さないでほしいですね。

2003年10月30日
久しぶりに歴史教育について思うこと
まあ、内容は日記に時々登場させていますけど、今日はこの件についてだけに絞りたいと思います。
以前のドイツの大統領が戦後40年の演説{荒野の40年」でしたか。その中で「過去に眼を閉ざす者は未来に対して盲目になる」という意味合いのことを言われています。
日本の歴史教育はこの点から見ると全くなっていないですね。明治から昭和にかけてアジア諸国は混乱状態などにあったため、日本軍は対した反撃も受けずにやりたい放題をしていたのではないでしょうか。
その中には多くの教訓(どちらかというと失敗例)が含まれています。ところが、小中高校では、事実?の羅列ですね。
大学に行かない生徒も多いわけですから「過去の事象」から問題点や良い点を見つけ出し討論しそれを未来につなげることための学習というのが必要だと思います。大学ではもっと深い授業をする必要があるわけです。
その時、論理のすり替えやごまかしをしないで日本に取って都合の悪いこともありのまま教えるというのが必要ではないでしょうか。そこから日本の未来を切り開くために必要な事柄が見えてくるので思います。
最近、このすり替えやごまかしがひどくなってきているのではと思います。
大日本帝国憲法を潰すことになる戦争にどうして突入していったのかといいようなことですね。
今の状況を見ていると、過去の失敗例を無視しているとしか思えないのです。もう一度、日本を潰す気ですか。極端なことをいうと昭和初期、日本共産党のいうように「戦争」をしていなかったら日本の憲法は今も「大日本帝国憲法」であったと思います。

2003年10月29日
日経一面の中小企業経営者の借入時個人保証についての記事を読んで思ったこと
前から思っていたことを書くと「銀行の審査能力」、これに尽きるかも。
発想や技術などの市場価値や将来性に対する審査能力があれば、今みたいな経営者の個人保証はいらないと思います。審査能力がないから「バブル」が起こったのではとも思っています。
あの時、地価とそこでの事業による収益性を考えればある段階で融資できなくなっていたはずです。考えずに昨日書きました「群衆なだれ」的な融資をしたわけですね。その後、審査能力を高めたような感じを受けないのは私だけでしょうか。
大体から、理系科目を無視してきていますね。それがデリバティブなどの開発競争に負け、企業の融資でも技術が解らないから「土地担保」でしょ。個人保証は結局、土地担保みたいなものですね。
今、その土地で痛手を被っていますね。銀行などの審査能力を向上させない限り、中小企業への融資は増えないのではと思います。
ベンチャーキャピタルも審査能力を持つところが少ないのが日本の問題点ですね。
大学入試で、経済学部で数学Vを必修にしたからと文句を言うような教育界も問題を抱えていると思います。
教育界も文系、理系とか分けるのを止めましょうや。大学の文系学部では理系科目を、理系学部では文系科目をもっとしっかりやりましょう。
高校も選択減らせ、何も勉強していないのに「選択」ですよ。これ、「当てもの」と同じですね。基礎的な科目をせずに「選択」、解るわけないでしょ。

2003年10月28日
日経経済面連載「けいざい心理学 企業生き残りゲーム 1」を読んで思ったこと
まずは、今日から総選挙ですね。二重帳簿的な公約をやっている政党があると一面にありました。その結果については投票した有権者の意識によると思います。
そこには、この連載1回目の「群衆なだれ ー 売れ筋 こぞって参入」と同じような精神構造が見受けられると思うのですがいかがなものでしょう。
例として、スーパーの深夜営業、あの店がやったからウチも。隣で空港ができたからウチも。どちらも採算とかよく考えているのでしょうか。スーパーの方は閉店すれば住むかもしれませんが、空港の方は・・・・です。
「讃岐うどん」の例もポイントカードも「こぞって」ですね。
セブンーイレブンの鈴木敏文会長は「他社の物まねはするな」と言い続けているそうですね。まあ、初めてのことにはリスクがつきまといますが、他社の後追いより良いと言うことですね。
日本のこの手の「群衆なだれ」は欧米に比べてひどすぎるのでは。これは、教育に於いて「考えさせるより記憶」をあまりにも優先させ続けてきた結果の一つですかな。
人と違うことを極端に嫌う国民性も関係しているかな。多くの経営者が「他社のしていないこと」と言いながら、現実は「他社の真似」に走っていることがこの「群衆なだれ」を加速する原因では。
これが「バブル景気」を生み、過去では「戦争」へと突っ走っていった原因の一つですね。だれかが「おかしい」といっても「皆と同じ」の方に傾いていく国民性ですね。何とかしないといけないですね。
年金の問題でも「少子化対策」が一番効果があるかもしれないのですが、全く「少子化対策」なっていないですね。公共事業の一時的な景気より企業進出による長期的な雇用の方がいいと思うのですが、相変わらず、公共事業誘致に走りそうですね。

2003年10月27日
憲法や教育基本法の問題で思うこと
毎度毎度となるのですが、あの戦争をしていなければ、今だに「大日本帝国憲法」であったと思います。今の憲法を押しつけられたと考えて改定すると今度は天皇制のない憲法を押しつけられるようなことになりませんかな。心配です。
あの時、日本共産党のいうように戦争をしていなければ、今だに共産党は「非合法」扱いもしれないく国なのですよ。自らの行なったことに対する反省ですね。これをきっちりしてほしいですね。それが死をも覚悟された昭和天皇に報いる道ではと思います。
あの時の文部省、何をしましたか。日本の破滅への道の手助けだけだったのでは思われてもよいようなことをしていたのでは。
今の官僚もあの当時と同じように「縄張り争い」に明け暮れ、自己の身内の利益を優先し、国民のことを第一に考えているのか疑問に思っているのは私だけでしょうか。
ですから、いろいろあるかもしれませんが内閣と官僚の関係では、何を言おうが官僚は内閣の意向の実現に努力するのが当たり前でしょ。

2003年10月26日
日経本日の経済面「経済財政白書から@」を読んで思ったこと
見出しに「出産は8500万円の所得逸失」というのがあります。このような現状を放置しているから少子化が起こるのです。
その結果、年金財政のみならず国の活力まで減退させていますね。いま、実行する必要があるのは、徹底した子育て支援では。所得補償はもちろんのこと、妊娠や結婚で退職を迫るような企業からは多額の罰金や経営者の処罰を。その代わり、子育ての支援制度がある企業には財政面を含めた支援を。片方だけではだめです。
高速道路を造る前にその地方に製造業を誘致できる体制と企業への補助金でもいいではないですか。兎に角、職場を確保する。海外からの投資、進出がしやすい制度、税制を。
また、同じ話になりますが、クリントン前大統領が就任の記念のパーティーで三洋電機の井植氏をスペシャルゲストとして来場者に紹介したのか、考えてみてください。一時的な雇用より継続的な雇用の大切さをクリントン氏は理解しているからでしょ。
空港は、もう、新しく作る必要はないと思います。今のを拡張か、統合、または移転のみですね。中部、集約するのでしょうね。神戸空港、余分ですね。伊丹、廃止しなさい。国際競争に負けますよ。港はすでに完敗してますね。
教育負担ですが、教育の受益者は誰ですか。その点をよく考える必要があると思います。欧米を見ると「受益者は国全体」を考えているのでは。アメリカは、奨学金で対応していますね。中国人はその奨学金で留学している割合が高いようですね。
子育て支援と職場確保が、最も有効な年金対策でとも思います。
今日の埼玉の参議院の補欠選挙の投票率が低いですね。棄権した人は「白紙委任」したのと同然だと思っていないのかな。制度上の欠陥で投票できない有権者は文句を言う権利を持っていると思います。

2003年10月25日
日経の教育面「数字は語る」を読んで思うこと
今日は、主な項目は「法科大学院」についてですがこちら(数字は語る)にします。
今日の内容は「進学校、推薦より一般入試」です。グラフもありまして、そのグラフに高校から大学への進学で国公立大学への進学数で分けてみて、推薦入試をどのように指導しているかがありました。
国公立大学は推薦入試をしていますがその定員の配分は少ないですし、まったくしていない大学もあります。私学でも俗にいう有名校は推薦の比率は低い場合が多いですね。
推薦を積極的に利用するという指導方針の高校は、国公立進学が少ないところに多い。国公立が多いところは一般入試主体であるとあります。
俗に言う学力の低い生徒ほど勉強が下手のようです。そして、勉強を試験のための暗記としか思っていないようですね。そうすると勉強は「しんどい」。早く終わらせたい。でも、大学に進学したい。
推薦は一般入試より大分早い時期ですね。さらに試験科目も少ない。そりゃ集りますわ。勉強への諦めも早い。
指定校制推薦というのがあるのですね。大学が特定の高校に推薦者を依頼する推薦制だそうです。聞くところによると、全国、津々浦々の高校に出しているような大学もあるようです。
これの時期は普通の推薦より少し早いことが多いみたいです。指定校の要項というか指定校の情報は多くの高校では、学校内の特定の期日まで完全に非公開にしているようですがね。大学側はどう思っているのでしょうか。
どちらにしても卒業は楽(こちらは少しずつ変化がでてきてます)、入試も楽、どうする気ですか。企業が3年生の終わり頃に就職内定を出す理由が判るような気がします。

2003年10月24日
本日のニュース「藤井総裁」解任について思うこと
まず、公務員は本来「国民の幸福」のために仕事をしてるわけですね。スト権はないですが、人事院が民間の賃金を調べて勧告しているわけですね。これについてはいろいろありますが今回は止めときます。
このたびの騒動の原因は「民営化」の可否について考えるのに必要な資料を提出しなかった公団側に問題があると思います。そうするとそのトップの総裁が責任を取る必要が出てきますね。国民のためのはずが「組織」のために働いていたのですから。
今後、他の省庁、公団等の運営も「国民」のためになっているのか、そして民営化したほうが良い部分も多くあると思います。そのあたりの議論を煮詰めていく必要があると思います。そして、省庁の縄張り争い等ができないようにしてほしいですね。
そのためにも今回、国会議員との癒着についてご存じのようですので、この件については日本共産党が言っているように「国会での証人喚問」でお願いしたいですね。
族議員を無くして国全体をしっかり考える議員、官僚に衣更えしてほしいです。

2003年10月23日
日経本日の社会面「決戦の秋 改革の狭間で」を読んで思ったこと
今日の副題というか見出しは「安全優先と言うけれど」です。
思うに「安全」とは何なのでしょう。絶対安全なんてないと思います。日本は「安全」ということの言葉にとらわれて「危険」を無視しているのでは思うことがあります。
まあ、事故の報告ですが昔は「事故無し」という報告ですね。それを求めて誤魔化してでも「事故無し」をよくやっていたと思います。これは、事故を報告すると(公表すると)根拠のない悪評がすぐ立ちますからね。
事故がやたらと多いのは問題ですが、人間のすることに「完全」はないですね。ですから、「事故」という危険性を考え、その可能性を最小限にするためにどのようにしたらよいかを考える仕組みが必要ですね。
この仕組みが正常に機能しているところはまだ少ないですね。それと、まともな科学(自然科学、社会科学、人文科学など)的な知識や考え方、調べ方をせずに安全とか危険とか言っているのを時々聞きます。
数年前の東海村の「臨界事故」のとき、1週間ほどしてから、ガイガーカウンターで人間からでる「放射線」を測定していましたが、あの状況ですと被爆者から放射線がでるということは中性子線によって体内に「放射性物質」だできたときですね。専門の方、どの程度浴びれば、体内で核反応が蓄積してガイガーカウンターで測定できるようになるのか教えてください。
ひょっとして、死ぬほど浴びて核反応が起こっていたりして。普通は、検出されなくて当たり前。現場での被爆線量が問題になると思うのですが、その資料、公表されていましたら教えてください。
放射性物質が漏れていなかったようなのに、農産物や海産物に対する風評、めちゃくちゃですね。
いったい、何を考えているのか分からないときが多くあります。そのようねことを減らして、真に危険と安全の意味を考えた「安全優先」になってほしいですね。

2003年10月22日
日経本日の社説「”官僚統制教育”脱却の方向が見えない」を読んで思ったこと
国民自身の教育への努力で今まではなんとかなってきました。昭和の戦争へのとき、文部省のしてきたことを考えると「官僚統制」は、また、日本を滅ぼすのではという心配が常につきまといます。
最後のほうに「ゆとり教育」について記述があるのですが、欧米系は小中高校は結構ゆとりがあるみたいですね。
大学に入ってから勉強がすごいようですね。ゆとり教育でもいいとは思うのですが、評価の仕方でどうにでもなると思います。
大学が基準をもって評価をつけるようになると変わってくるかなと思います。そのとき、企業も3年生の終わり頃に採用内定を出すというようなことは止めてください。
大学が卒業認定を厳しくして中途半端の学力の学生を卒業させないようにすれば、企業も採用内定を出す時期を遅くするのではと思います。
すべての企業は大学卒業生を採用するなら、何らかの最低限の学力があるかないかぐらいのテストをしてほしいですね。どのような学力というか能力を持った人材が必要かということをはっきり明示する企業が増加してほしいですね。
この2者が変われば高校生も変化してくるのではと思います。大学に進学してからの勉学に耐える学力をつける必要が出てきますからね。
評価は絶対評価でね。基準を作るのが相対評価より面倒なので日本では避けてきたのかな。「職人」の世界は絶対評価ですね。
教育の世界も絶対評価にしてほしいです。相対評価は問題の作り方やそのときの生徒の集団の状態から見て明らかに違うものでも同じ評価になりますからね。どこそこの学校で1番の生徒や100番とか毎年常に同じ力を持っている生徒を卒業させることができますか。

2003年10月21日
本日の日経の一面の新しい連載「脱 低価格」を読んで思ったこと
まず、「マクドナルド ダイニング」の撤退理由ですが、これを書いた記者は自社の「日経ビジネス」を読んでいるのかな。読んでいないのではと思います。売り上げ的には成功していたようです。ただ、世界統一ということで「撤退」と日経ビジネスには書いてありました。
まあ、あまり高くしすぎると余程のブランド品でない限り売れなくなりますね。そこで普通より「少しこだわった」点を出して少し高めで消費者の注目を集めるということかな。
少し高めでも納得できる要素を商品に盛り込んでいるものが受けているようですね。安さだけでは消費者は買わなくなってきていますからね。
結局は「付加価値」をどのようにつけるかということかな。これ、物まねではできませんね。他社のやらないことで消費者の需要ににあう商品作りですね。
このようなことは、他人に言われたことを覚えることが勉強などと思っている人というか答えは誰かが用意してくれていると思いこんでいる人にはできませんね。
また、他の人の気持ちが全く分からない人もこのような商品は作れないのでは。
子育てというか教育というかそのような点も問題になってくるのではと思います。これだけではないとは思いますがいかがなものでしょう。

2003年10月20日
本日の日経のオピニオンの「インタビュー 領空侵犯」を読んで思ったこと
今日はソニー名誉会長の大賀典雄氏です。
見出し2つ。「道路も空港も港もだめ」と「無策の交通網 重い足かせ」です。別段、無策はこれらだけではありませんけどね。他にもたくさんありますが。
高速道路の受益者ですね。どのように考えるかです。物流の効率化が起こると国民全体かな。でも、今は二酸化炭素の排出量を減らす方がいいので高速道路より鉄道の利用ですけどね。
そうすると、高速道路、どうするのでしょうか。
空港についても書かれています。神戸空港などがあげられています。どうして地方に複数いるのかということですね。需要から考えると関西や名古屋などは一つでいいですね。それを関西は3つ。中部はいくつにするのでしょうか。
全国レベルで考え、さらに国際的にどうなのかを考えてきたのでしょうか。中国や韓国の経済力の発展の度合いによっては、まず関西国際空港の地方空港化、次に成田の地方空港化もあり得るかも分かりません。
港ではすでに日本の港は、釜山、香港などの地方港みたいになっているのでは。コンテナの取扱量の差は凄いですよ。どうしてこうなったのか。日本と海外の港の運用の違いについて真摯に調べて対策を取る必要があると思います。空港もです。
藤井総裁の言動などを見ると官僚や政治家に「世界を見る」というか世界の中の日本を考えるという習慣が全くなかったというような感じを受けているのは私だけでしょうか。

2003年10月19日
道路公団の聴聞について思うこと
総裁側は「当て」が外れたようですね。公開を要求したら困るのではとでも思ったのでしょうか。
政府側との今までの長いやり取りのなかで今回の解任が出てきたという認識があったのかな。政府側には国民のついているという思いもあるというのを読み違えたかな。
過去の癒着の件も本当にあるのなら今の小泉、石原ラインでは出してほしいかも。そのあたりの世間の常識が分からなくなっていたのでは。これなど、第二次世界大戦に突入していった昭和の20年までの軍部などの状況と同じですね。
本来、学習するとかいうことは「人間が変わる」、行動や人格などに変化がですことですね。ところが日本の教育は、「覚える」ということですので、人格変化等が無く「知識」を文字列として記憶することを推奨してきたように思います。
職場という「ムラ」に入るとそのムラの掟、慣習、言い伝えのみしか目に入らなくなるのでは。日本の官僚の体質を変えるには荒療治が必要だと思います。別に、政府との関係を理解しその原則を守って仕事のできる人を首にしろとはいいません。
あのときの軍部は「国体を守る」といいながら潰しましたね。アメリカの都合で天皇制が存続できたのでは。そこまで日本を追い込んでおきながらと思います。今の官僚もあれと同類の臭いを感じるのは私だけでしょうか。

2003年10月18日
中国の有人宇宙飛行成功で思うこと
中国が遂に達成しましたね。今の勢いなら高齢化社会をものともせず発展を続ける可能性がありますね。
日本人は中国を甘く見ていませんか。独自の古代文明から現在まで続いている国家、民族ですよ。
現在のアメリカに於いて中国からの留学生がいなくなること、今いる技術者が中国に帰るということだけでアメリカに経済的打撃を与えることができる存在だそうです。
優秀な人材を輩出しているのですから今後日本の競争相手の時代はそれ程長く続かないで日本が取り残されたりする可能性がありますね。
それを回避するためにいろいろな方法があると思いますが、その中の一つが国立大学などでおこなわれている、おこなわれつつある教育内容の充実と単位認定の厳格化ですね。
教育の目的は何なのですか。序列をつけるためではないでしょ。児童生徒、学生がどのように成長し何ができるようになったかが問題なのでしょ。
このためには、評価の絶対評価にすることとその厳格な運用、教える側も絶え間ない勉学に励む必要があると思います。その時、教える側では勉学に割ける時間の確保を考えなければならないと思います。
欧米では学力の低下が起こらないように昔から厳格な評価をしていたようですが、それでも国民が低下してきたら留学生で質の確保に走っているようですね。
評価の時ですが、当てもののような問題では評価になりませんよ。共通一次やセンター試験、マーク式、穴埋め、択一式では「当てもの」ですよ。こんなので評価するから「答えを覚える」の勉強という雰囲気を広げたのでは。記述では生ぬるいです。論述試験みたいなので評価や入試をしてほしいですね。

2003年10月17日
日経 一面に連載中の「年金を問う」を読んで思ったこと
もう3回目です。まあ、その場しのぎでやってきたことがありありとしていますね。国民年金ですが、加入しない人は障害年金は?ですね。昔は制度上の問題もあって訴えられたかもしれませんがね。
現在問題の中心になっていると思われているのは将来の掛け金と給付の関係についてですが、その場しのぎに受給者(受益者)に受けの良いようにだけしてきたの咎めがでているかなと思います。
これらの点は、官僚の性格なのかな。道路公団の件は明日にでもします。自分(ムラ)らに利益になることはするが後は野となれ山となれという感じですね。
年金の問題点、少子化でしょ。子供が多ければここまで不信感を持たれなかったはずです。これは、経済界も含めて子育てを支援してこなかった咎めですよ。
根本は高齢者と現役世代の比率の問題ですね。ヨーロッパでは、少子化対策は日本より格段に進んでいますがそれでも不十分みたいですね。何もしてこなかったに近い日本で、そらー子供が減りますよ。
子供が減少しても、若年の失業率が減少しない。工場等が海外に出て行っているためですね。
年金問題の解決のためには、子育て支援と工場等の国内への誘致が必要と思います。高速道路を造るお金があるのなら、そのお金でこの2つを実行すればと思います。
前にも書きましたが、クリントン前大統領がアーカンソー州の三洋電機の工場にこだわったのか。考えてみてほしいですね。
関空、落ち込みひどいようですね。この感じでは中部国際空港に負けてぺんぺん草がはえるようになるかも。
名古屋空港は止めて全て新空港にするといいのではと思います。関空から国際線を奪い取れるのでは。

2003年10月16日
本日の日経 第二部「中部 次の飛躍へ」を読んで思ったこと
ネタにするのは「新空港」です。トヨタ式で経費を大幅に節約していますね。成田や関空とは比べものにならない感じです。
気になったのは、小牧にある「名古屋空港」をどのようにするのでしょうか。成田はほぼ国際線だけですので乗り継ぎに不便ですね。
関空は廃止するといっていた大阪空港を残したため、乗り継ぎが不完全ですね。
名古屋は大阪(大阪+関空)ほど便数は無いのですが、全てが今度の新空港に集約されれば利便性は高くなるでしょうね。
この空港の国際線と国内線の乗り継ぎがうまく軌道に乗ればソウルまで行く必要は無くなるわけですね。
そうすると日本の主要国際空港はここと成田に集約される可能性があると思います。
関空の方はどうするのでしょうか。関西人が中途半端な目先のことだけをした咎めが出てきつつあるように思います。
ただ、国内および国際的に見て中部空港をどのように位置づけているのでしょうか。
多くの地方空港が国際線の誘致をしたとき、大抵ソウル線でしたね。その結果、海外旅行は「ソウル経由」でも良いという意識を日本人に広めたような気がします。
こんどこそ全国各地から利用しやすい空港になってほしいですね。そうなると関空は沈むと思いますけどね。まあ、自業自得だと思います。

2003年10月15日
道路公団の総裁解任の件です。
聴聞を公開にするように言ったようですね。それに対して石原大臣は「公開しましょう」という感じですね。
総裁側は、国会議員との癒着みたいなことをネタにするようですが、まあ、自分で自分の首を絞めてください。癒着が明らかになれば国民にとってはこの選挙にその議員を落選させればいいわけですから。願ってもない機会となるわけですね。
もともとは、行政上の最高責任者たる総理大臣の意向に添うようにより正確な資料等を出さなかったり、どうもでっち上げの資料みたいですから公団側が悪いわけで「解任」は当然だと思います。行政の制御下にあって当然の業態ですね。それを無視したのですからね。
これを機会に「族議員」というのが無くなることを期待します。もっと国全体を見て考えてほしいですね。
「族議員」ろくなことがないですね。悪い意味の「村意識」そのものですね。総裁の感覚もこれなのでしょう。そして「世間の常識」とのずれが分からなくなったのでしょう。第二次世界大戦に突入していった軍部と同じような感覚ですね。身内の部分しか見えなくなっているという点ですね。それも思いこみによるものだけ。
そういえば、ブッシュ大統領も「思いこみ」がひどいですね。今度、戦争、戦後処理の感じからみると「ブッシュの戦争」という感じがしているのは私だけでしょうか。
行政の責任は内閣にあるわけですから、内閣が責任を持てるような行政機構であるべきですね。ところが、今の状態では、行政の責任を内閣も官僚も取ろうとしない。内閣は、官僚の言いなりみたいになっていますね。ですから、うるさいのがきたら排除しようとする。それを、以前の総理は排除していた。今回は、逆ですね。これを機会に責任も取るが行政の実権は内閣にあることを官僚に示してほしいですね。
話は変わりますが、医学系の学会の専門医の認定について「診療技術の向上」を目指してやっているところと「研究に対する箔付け」でしているところを調べてみたいです。日本循環器学会みたいな不届きなのがどの程度あるのかです。
専門医制度は、実際の診察治療の水準向上のために使ってほしいですね。「研究」の方は、博士号があるのでは。使い分けてください。

2003年10月14日
医療問題です。その2
昨日の日経の医療面の「医師の目」を読んで思ったことです。昨日は「国立札幌病院放射線科医長 西尾正道氏」でした。
西尾氏は、前々から「日本の放射線治療の問題点」の提起をされていました。今、ガンの放射線治療の分野でも最先端の物理工学とコンピューターテクノロジーによって、照射技術のめざましい進歩がもたらされていると述べられています。
つい最近、青森県でしたか国立病院での放射線治療で線量の計算ミスが発覚しましたね。どうして、計算ミスが起こったのでしょうか。なぜチェックできなかったのか。
機械の管理が悪ければ、放射線発生装置からの線量がずれてしまうそうですね。各個人に応じた正確な線量の計算、これらは、医師や診療放射線技師ではなく専門の職員がする必要があるそうです。
ところが、診療放射線技師が余分な仕事として医学物理師と線量計算士とコンピューター技師の4役もこなしているとのことです。専門外の仕事であり、種類が多いので間違いがあっても仕方がない状態では。
治療用装置でも国立病院は、厚生労働省の現場知らずのお役人のおかげで不十分なものしか購入できないそうです。大学病院は研究費からの支出等でなんとかなっているようですが。
放射線治療は、ほかの治療もそうですが必要な状態の時適切におこなえば、非常に有効な治療法だそうです。ところが、装置?人的?では怖いですね。

2003年10月13日
医療問題です。
本日の日経の医療面の「駆ける」を読んで思ったことです。今日は「大和成和病院心臓病センター長 南淵 明宏氏」です。磨き上げた技術で心臓手術を年間200例されています。
ところが、来年度日本循環器学会の専門医の資格を失うそうです。外科の分野は「職人芸」みたいな能力が必要ですね。最近の腹腔鏡手術の事故は、論文書きでは習得できない技術が未熟なためでしたね。
学会は、未だに論文等の方に重点をおいて肝心な手術能力についての審査というか向上を目指していないのかな。こんな学会の認定医より技術の確かな医師の方がよっぽどましです。
この学会の幹部は「専門医資格は研究中心の医師に与える箔付け」だそうです。日本循環器学会の「専門医」には実際の診察治療の能力はないのかもね。何のために「医師」になったのか。「ヒポクラテスの誓い」を今一度、かみしめ直してほしいですね。
その点、欧米は医療の原点を理解した上で教育をしているようですね。研究主体ならそれでもいいのですが、診察治療の現場に出てきてほしくありません。もっと真に臨床分野の実績でも「学位」が取れるようにしてください。そうすれば、今の変な研究ではなく、臨床分野の研究から今の多くの医学部で盛んな研究のどれでも評価されるようになれば良いともいます。
臨床の経験の質と量にもっと精力を費やしてください。臨床技術の向上に役立つ方法が分かれば積極的に取り入れる体質になってほしいですね。
誤診で被害を受けかけた者の願いです。

2003年10月12日
いま新聞週間だそうです
新聞とは、世界中からいろいろな情報を集めてきてその中から大事だと思われることをわかりやすい記事にして読者に届けることかな。
新聞での問題は、いくつもあると思います。まず、情報をどのようにして集めているのか。このとき「色眼鏡」をかけて集めるとどうなりますか。これによる失敗は今までにも多くの事例がありますね。新聞ではありませんが帝国陸軍のソ連に関する情報ですね。意図的とも思えるぐらい受け付けていないようですね。
情報の価値判断、これも「色眼鏡」の問題が出てきます。どこかの勢力は「偏向」とかよく言いますが、あの戦争で日本を潰したのは、そのどこかの勢力だったのでは。日本共産党の戦争反対を実行しておれば、いまでも「大日本帝国憲法」のはずだと思います。
今日の日経の新聞週間特集で豊田氏が述べられているように、「読者に解る書き方」ですね。これをお願いします。欧米の言葉を「カタカナ書き」にしたものは止めてほしいですね。載せるならそのままアルファベットの綴りで、それとどこの言語かということと。ええかっこしい、止めてくださいな。官僚や政治家は「日本語」を解説にしましょうや。
官僚や政治家は、国民に説明義務があるのですから「誰にでも解る」ということを考えてほしいですね。新聞社は、その点もチェックしてほしいです。
新聞に載った情報は、「変化しない」。今日の12日付けの新聞は、いつみても書いてある文字に変化はありません。ところが昔の新聞を読むと発行された時より面白いですね。これは、読み手が変わっているからです。情報は変化はせず新しい情報が次から次と出てくるだけです。
教育ですが、これは新聞などの情報の価値判断を自分でできるようにすることが一番大事だと思います。

2003年10月11日
昨日の衆議院の解散について思ったこと
昨日、衆議院の解散がありましたね。いつも思うのですが、どうして「万歳」なのかな。戻ってこれない人が結構出るのにと思います。
それはさておき、今回の選挙ですが「政策論争」が各政党間で繰り広げられることを期待します。いまは、以前の地域利益誘導型(おもに土建型)は利益誘導にならないのでは。そのとき、一時しのぎになるかもしてませんがね。
日本全体としてどう活性化するのか。東京ばかりですと日本は沈みますよ。地方あっての東京であり、東京あっての地方、各地方もほかの地方があるからこそ存在できると考える必要がありますね。
ただ、今は東京に集中しすぎています。それも官僚の体質のおかげで。欧米諸国は、結構全国に広がって活性化の努力をしていますね。いまをときめくアメリカのウォルマートの本社(発祥の地)はアーカンソー州(どこなのかな)、DELLコンピューターはロッキーの山の中、など。
日本も地方発の企業は多いのですか、なぜか多くが本社を江戸に移したがりますね。それらの企業が本社をそのままにできる環境を作ることが必要だと思いますが、今回の選挙では争点にも上らないでしょうね。
年金対策も目先の金の話ばかりで少子化対策で実効が上がり子供が増えれば、年金財政が改善されるのですがね。この組み合わせを考えた実効ある政策の論争をしてほしいですね。
少子化対策を実効あるものにするには、結婚退職や妊娠退職がないように厳重に取りします。その代わり、育児等に配慮している企業には「飴」を。そうでない企業には「罰」をで徹底させ、国の育児手当の大幅増額や保育園などの整備、小児科医が増えるような環境整備をする必要があると思うのですが。
ただ、今みたいに工場の海外流出を奨励するような税制のままでは失業者の増加しかないのでそのあたりの政策との突合せが必要になると思います。

2003年10月10日
日経本日の社説を読んで思ったこと
まず、「住宅ローン減税の継続を早期に決めよ」ですが、財務省の体質ですね。税が景気などに大きな影響を与えているということが理解できないのでしょうか。
今日は住宅でしたが、先月にも書きましたが欧米の工場誘致の例ですね。税を減らせないなら補助金で進出企業の負担を減らせて誘致しようとしてます。さらに、クリントン前大統領にとってアーカンソー州で長年操業している三洋電機を高く評価してしますね。
見かけ上税収減になってもトータルでその分以上の利益がもたらされば良いわけですね。工場が進出する。→継続的な雇用が増える。→消費などが増える。関連産業も。→失業手当等が減少する。所得税等が増える。治安が良くなる。警察経費などが減少する。
まあ、さまざまな要素が変動しますね。
私の感じでは、財務省は「税収」しか考えていないのではないですか。そのようなことで景気が回復しますかね。
次に、「学力重視を明快に示せ」です。
これ、どんな学力ですか。答えを丸暗記してもできるような学力ですか。自分で他人の助けがなくてもある程度は調べてより正しいと思われることにたどり着ける「学力」であってほしいですね。
そのために必要な基礎力とはなにか。その解答例(あくまでも例)を大学で実践してほしいですね。例えば、日本技術者教育評価機構の認定のように。
その基準に達しない学生は卒業させない。これをしばらく続けると大学入試も良い意味で楽になると思います。そうすると高校では大学入学後の学習に耐える基礎力の養成に力を入れられると思います。
そうすると中学校は、中学校卒業だけの場合の基礎力とは何か。高校等に進学するときの基礎力とは何か。考えてほしいですね。
学校教育の中身、実生活に役に立ちますが、今の学習方法や大人の態度を見て育つ子供はそうは思っていません。そこにも大きな問題があります。
現状では知的好奇心を非常に早期に失っている子供が多数出てきています。知的好奇心を失ってしまっていると教育効果は上がりませんよ。その子が自分から学習したいと思うようになるまでは。そして、学習の仕方が分からないまま間違った方向に進む場合も多いと思います。
「学力重視」でどんな学力を重視するのですか。

2003年10月9日
今年のノーベル賞経済学部門の受賞者の記事を読んで思ったこと
今年もノーベル賞の季節になりましたね。各部門の受賞者が発表されていますね。
経済学部門ですが、またもや統計学等をフルに利用した研究が対象になっていますね。
日本の経済学ですがどうなのでしょう。
2004年度入試である大学が2次試験で数学Vを必修にしたことについて文句を言っていた高校教員がいました。今の経済学の状況を理解していないのですね。
これとよく似た話でだいぶ前に聞いたことですが、ある薬学部の入試説明会でどこかの高校の教員が「化学で有機化学の出題の割合が多い」と文句を言っていました。この教員、薬学部の内容を分かっていないのですね。薬学では化学の分野のなかの有機化学が主体になるということがです。
過去(相当昔になるかな)には多くの国公立大学の経済学関係の学部でまたは学科で数学Vが必修であったと思います。
それが、変なゆとりというか効率主義というか負担軽減というかけったいな考え方の下で、経済学は文系という誤った考えで数学が受験科目から消えていったように思います。
統計数学ですが、これは、調査や実験、観察などを行う全ての学科で必要なはずです。
法学部では、法が研究の主体ですが「裁判」では何を扱うのですか。理数の教養がないと理解できないことを扱っているはずです。経済などの仕組みや人間についての理解がないと法は作れないですね。また、工業や農業についての理解がないと本当に実情にあった法は作れないですね。
理系でも人文科学や社会科学の教養を必要とします。
理系、文系と分けるのをやめましょうや。

2003年10月8日
日経一面の春秋を読んで思ったこと
文部科学省の指導要領のことを話題にしていますが、基本は「官僚の体質」ですね。
道路公団の件も田中元外務大臣と外務官僚との関係もこれですね。身内意識、現状を守る、あるいは「決定したことは何が何でも正しい」として押し通す。そこには国民なんて無いですね。
これは、官僚の出世の決まり方をなのですが、以前、公務員試験での合格順と4月1日付け採用というのでほぼ決まるというものです。そして、失敗すると出世できない。ただ、前任者と同じことをしている場合はそうでもないのかもしれません。
それで、事例参照して同じパターンの政策にしかならないのかもしれませんね。そうすると、今の学習指導要領は、ここ何回かの改訂で順々に易しく骨抜きになっていったという道筋が出てくると思います。
この前は、それ以前より易しくなったから「今回も」です。
厚生労働省の薬害の繰り返しもね。農林水産省の土木中心の農業政策も。建設省からの血を引く国土交通省の土建も。すべて、何も考えずに前例主義といわれても仕方がないようなことをしていませんか。
教育に関してですが、これは企業が社員の採用の時、真に大学教育を求めるものを発し、最低基準に満たないものは採用しないという姿勢をもっていたら変わっていたかも。
大学教育をないがしろにしているから、3年終了時に内定できるのだと思います。大学も大学です。卒業の条件が単位数のみみたいな大学が多いですね。いま、ある程度、はっきりしているのは卒業後国家試験に合格しないと意味のない学部と日本技術者教育評価機構の認定を受けているところぐらいですね。
卒業資格をはっきりさせると小中高の教育内容も自ずと出てくるはずです。そうすると、文部科学省の学習指導要領の不当性がはっきりすると思います。

2003年10月7日
道路公団の藤井総裁の解任手続き開始のニュースを聞いて感じたこと
まあ、選挙目当てがあったとしても大したものですね。今までの内閣ではできなかったのでは。
昨日も書きましたように、高速道路をどれだけつくるかとか、あるいは計画の中止は政府の仕事ですね。官僚は助言はできても決定権はないはずですね。
それと今回は任命権者に対してというより国民に対して背信行為と見られてもよいものを含んでいると感じました。村社会の維持。この「村」は悪い意味です。そのことしか考えていない。
あの戦争のとき、陸軍は海軍に対して、海軍は陸軍に対して対抗意識というかなわばり意識がすごかったそうですね。内輪もめの合間に戦争をしていたなどといわれることがあるようですね。
兎に角、毅然とした態度で手続きを進めてほしいと思います。いつもは、政府の批判ばかりしていますがこういうときもあります。

2003年10月6日
石原国土交通相と藤井総裁の会談のニュースを聞いて感じたこと
久しぶりですね。大臣があそこまではっきりいうのは。坂口厚生労働相も毅然としていたところありましたが。
行政機構は内閣によって運営されているはずですね。ところが、官僚に支配されていた。内閣がだらしなかったからかな。
人それぞれあると思いますが、小泉首相になってから大分頑張っているようですね。でも、アメリカなどに比べると物足りないですね。
その一つが、国会議員の勉強不足、それの解消に党首討論は役に立つと思いますがもっと時間を長く取らないと意味がないですね。
それと官僚のおらが村意識、この意識によって日本は一度、戦争に負けていますね。あの軍部と同じ発想のままですね。
高度経済成長のときは取り分が増えていたからなんとかなりましたが、今はどうしようもないですね。重点配分ができていないですね。
なわばりを守ること、隣と同じことがしたい(地方公共団体も含まれる)など日本全体をみた運営ができていない。
議員が各省庁の応援団になっているというのも官僚支配を助長する原因ですね。
議員は誰のために働かなければならないのか。国会議員は、国民全体にたいして、その次が・・・・かな。
今回の話に戻ると、昨日の日記に書きましたように高速道路をつくることがその地域の発展につながる保証がないわけですね。
実際、多くの県で、人口の自然減と社会減に見舞われていますね。
高速道路がなくても誘致できる継続的な雇用の発生する産業を育成することですね。その時、欧米の工場誘致などの例が参考になるのでは。
トータルコストの問題なのです。その点さえ越えることができれば日本国内でと考えている日本企業はたくさんあるはずです。
継続的雇用の場をつくることが地域の発展につながると思います。高速道路の建設、結構よそ者が工事のため地方を点々としているということです。

2003年10月5日
日経一面の連載「欧州 下  揺らぐ成熟社会」を読んで思ったこと
見出しに「狂う人生設計 少子化対策 充実急ぐ」とありました。年金や医療などの世代間の負担の違いは多かれ少なかれあるのですが、その対策として一番有効なのが少子化対策です。
フランスでは、「子供は国の将来を支える戦力」と唱えて出産や育児の手当を充実してきて成果として1人の女性が生涯に生む子供の数(出生率)はEU内で首位を争う1.88です。日本は1.32ですね。どこが違うのでしょうか。
少子化対策として、お題目を唱えている国と出産や育児の手当などを充実してきた国との違いですね。そして、ここには書かれていないですが、妊娠したから解雇なんてEUではできないと思います。日本では、いまだにそのようなことを聞きます。
地方の疲弊の一つの理由が若者の流失ですね。そして、国全体として若者の減少、国の活力が無くなりますね。にもかかわらず、予算配分の硬直化、土建では長期にわたる雇用が創出できない状態になっているのにしがみつき少子化対策への予算が回せない状態を作っていますね。
児童手当などは、消費支出に結びつきやすいと思います。もっと、思い切って児童手当などを増やし、企業に対しても「飴と鞭」で女性従業員が安心して子供を作れる環境を整備するのが最も安上がりの年金対策であったりすると思うのですがいかがなものでしょう。
嘘か真実なのか調べていないので分からないのですが、「フランスでは4〜5人も子供を作れば児童手当で生活できる」ということを聞いたことがあります。
子供は、親の宝だけではなく国、地域の宝であるといういうことを認識して、土建の予算を子供に対する予算に振り向けてほしいです。
中国の一人っ子政策の結果はどうなるのでしょうね。一人っ子政策をやらないと人口が増えすぎる。やった結果、将来の高齢化の割合は凄いものになると思います。まあ、日本と違って今の中国は乗り切るのではと思います。
話は変わりますが、高速道路とか新幹線ですね。地方に伸びるとどうなるのか。観光は幾分増えるかなと思います。しかし、支店等の統廃合が実際に起こっているそうです。日帰りができるようになると必要なときだけ出張で対応するということです。
そうすると、定住人口が減少しますね。このようなことで一部の都府県を除いて人口減少ですね。そしてこの中のいくつかの県では自然減と社会的減の両方ですね。その原因に高速道路が考えられる事態にもなっていると思うのですが。いかがなものでしょうか。

2003年10月4日
本日の日経、生活経済の「けいざい探検」より
今日は、一宮女子短期大学といでしたクリニックが取り上げられていました。
一宮女子短期大学のほうを読むと、教職員の意識改革、それと卒業生の学力保証というか能力の向上ですね。明確な目標を定めて学力等がその基準を越えるように、教職員の意識を改革して学生の指導に当たっている様子が書かれていました。
先ず、実行したのが授業内容の改善、当然、評価の方法、基準の検討改革も含まれていると思います。評価が旧態依然のままでは授業内容を改善しても効果はしれていると思います。授業後の反省、日本の行政には見られない姿勢ですね。この時、適切な助言をできる体制がこの短大にはあったのでしょう。
まあ、学校教育の目的ですね。それをこの短大は明確に、その目標を達成するために必要な改革を実行したということですね。
クリニックのほうも、患者さんの流れをストップウォッチまで使って研究して時間を短くするのに成功しています。この時も目的の明確化が大きな役割をしていると思います。
教育の目的って何なのですか。順番ではなくて、それぞれ各人のもつ潜在能力を引き出して人間性を高めることが目的では。一宮女子短期大学の試みも、このようなことが根底にあるのでは。教育は選別が目的ではないはずです。相対評価は「選別」のためにするものです。本来、教育に不必要なものではないでしょうか。

2003年10月3日
本日の日経、社会面より
愛媛大学が「受験資格」に関する規定でフリースクール等も認めることがあるという記事が出ていました。
いいことですね。大学が審査して学力に問題がなければ認めるというのはいいことだと思います。
ところで、俗に言う日本の高校卒業生の学力のほうが心配なのですがね。gaiax系のHPを作っている高校生が多数います。そのHPの日記などを見ていますと、「授業中、寝ていた。」、「欠点だ!!!」、「宿題まだしていない」とかよく書かれているのですね。私、日記しか読まない。
これは、大学も含めて「絶対評価」をしていないので「なんとなく」卒業できてしまうからでは。一部の大学をのぞいて卒業生の学力というか能力というかそのようなことに関してほとんど全ての学校はなんら責任を持てるような教育をしていないのでは。特に「相対評価」にご執心のところはね。
大学受験資格ですが、日本の高校を卒業しても「センター試験」を全教科受験させ、どの教科も例えば50%以上必要とかにしてください。但し、センター試験の得点は大学の合否判定には使わないでください。
今は、昔と違って勉強しませんよ。欧米みたいに留学生を入れるわけでもないのですから、高校の卒業レベルも大学の卒業レベルも歯止めをかけてください。

2003年10月2日
続けて久しぶりに教育について思うこと
三日目ですね。今日こそ、教育全般についての思いだったりして。
現在、大学のある部分が卒業認定というか、各科目での認定基準を定めようとしてきていると感じてます。それも、一大学ではなく複数の大学間での格差をも念頭において。
大学間の単位互換が増加すればこの傾向はさらに進むのではと思います。ところが、相変わらずの大学も多いのではと思います。
この手の絶対評価ですが、評価するほうに力(学力や研究能力など)がないときはできないと思います。ええかげんな絶対評価をしているところが多いのでは。大学で「絶対評価」が広まってくれないと小中高校での絶対評価が本当の意味でできないのではと思います。
でも、相対評価より「絶対評価」の方がいいことは確かなので文部科学省は「各学校の教務規定やその内規、申し合わせ事項に及ぶまで」調べて相対評価をしているところ指導してほしいですね。今の豊かさの状況では、特に中学校で相対評価では勉強しない子がではじめるのではと思います。高校進学等への諦め、緊張感のなさ、学習への興味の消失、学習の意味に対する誤解などかな。小学校、高校もですがね。
ただ、学年制を解消したほうがいいかな。人間、発達の度合がいろいろいあるので遅い子も出てきますね。その子がゆっくり学習できる環境を作ってほしいですね。今みたいに一斉進級でその中のみの評価であれば、絶対評価でも相対評価と良く似た意味合いを持つ恐れがあります。

2003年10月1日
久しぶりに歴史教育について思うこと
昨日もかな。歴史教育としましたが、教育全般についての思いだったりして。
歴史の扱いですね。例えば、織田信長は、やたらと気が短いように捉えられていますね。でも、美濃攻めに10年ほど。石山本願寺とも約10年ですね。三木城の攻撃も長かったのでは。
それと奇襲ばかりが強調されているような面がありますね。桶狭間でも自棄糞ではないと津本陽氏の本にありました。桶狭間以降の戦いぶりからみてそうだと思います。一般的には「自棄糞」説が強いようですね。
鎌倉時代の蒙古の来襲での台風、あれも鎌倉幕府と九州武士が1回目の来襲の経験から土塁を作ったり、戦法を変えたので上陸できず夏の間3ヶ月ほど蒙古は海の上で留まる羽目になったということです。夏ですよ。台風が来て当たり前ですね。ところが、帝国陸軍は「神風」ですわ。幕府などの対応には目を向けていません。それは「ノモンハン事件」のときの処理などにも現れています。
歴史を教訓として未来を考えるという視点が欠けているのですね。そして、今の入試、その対策としての歴史教育はこの視点にはなっていないのでは。単に出題に対応するだけ。大学での教育も生ぬるいのでは。
だから、中国の抗日戦争記念館などを単純に反日施設というのがいますが、あの施設を造るようにしたの日本軍の中国の行状でしょ。日本軍がなぜ、ということを日本人が考え、そこから未来を見据えるためには、日本のためにも見学する価値はあるのではと思います。過去の都合の悪い部分から目を背ける者は未来も見えなくなります。だから、戦争への道の失敗と同じような失敗「メダカ民族的失敗(誰というリーダーがいないのに誰もが同じ行動をなにも考えずに取ってしまうということ」を戦後も繰り返しているではないですか。
より良い日本の未来をつくるために歴史の都合の悪い部分に真剣に真剣に向き合う必要があると思います。
あの戦争がなけれな、日本の憲法はいまも「大日本帝国憲法」のままのような気がします。
ですから、現憲法は押しツケられたのではなく、自らの行動のツケであると思います。そこの反省がないと「近いうちにまた」という危険性がありますよ。