煙草をなくし、安全に暮らせる社会を創ろう(表紙に戻る
2003年9月30日 本日の日経、私の履歴書「井植敏」氏を読んで感じたこと 人間、未来に向かって自己を向上させ目標というか希望を実現させるように努力することが大事であるというような感じを受けました。アイアコッカ氏とは電動自転車でシルクロードを走る約束をしているそうです。 そこで、感じたのは以前の分にもありましたが「失敗」というか「不祥事」というかそのようなことが起こったとき、その原因等を見極め、反省し将来につなげる対策を考えることが大事であるという意味合いが込められているのではないでしょうか。 日本人の下手な過去の出来事や今の失敗に対する反省、例えば、日中戦争の出来事に対していろいろ中国とありましたね。本当に戦争について検証した場合の一番の受益者は日本だと思うのですが。中国に多大な損害を与えただけでなく、残留孤児などに見られるように日本人にも多くの被害をもたらしていますね。 その反省というか検証というかしていないので日中戦争に突入していったときの同じようなパターン、バブル期の土地投機、なぜ、あそこまで土地に集中したのでしょうか。あのときは「中国進出」が、バブル期は「土地」は信仰対象みたいになったのかな。日華事変は「陸軍」、上海事変は「海軍」だったかな。 どこかに空港ができると隣の県でもつくる。同じような感覚ですね。それでどちら空港も赤字。 あの時の国民性を検証して同じような失敗をしないようにするという反省ですね。してませんね。 大日本帝国憲法を潰したのは戦争に負けたからですね。少し考えたら負ける可能性の高い戦争に突入し、陸軍と海軍のなわばり争いの合間に戦争していたとも言われてますね。今の各官庁もなわばり争いをしていますね。国が滅びそうでも村を優先する感覚、何とかしてほしいですね。 そのために「歴史」に真面目に向き合うというのが必要ではないでしょうか。日本の未来のために。
2003年9月29日 本日のニュース「中国での旧日本軍の放置した砲弾等による被害のついて」より この手のニュースでいつも思うのは、「どうして放置していたのか」ということですね。後始末をしなければならないことですね。国内的にも多々見られます。 本来は別に今の政府のお役人に責任を取って貰おうというのではないと思います。ところが、する必要があることをしなかったということですね。それで問題が起こったのですからお役人というより政府が責任と取るべきですね。ただ、この時、役人がつべこべ言って必要のあることをしなかった場合はこの前に薬害エイズの裁判と同じように「無作為による罪」に当たるのではと思います。 できるのにしない。する必要があるのに放置している。これは犯罪と同じであると思います。中国の残留孤児の件もこのような理由で救済されるべきだと思います。もっと早く処置をしていれば、本人たちも国も楽になったのではと思います。
2003年9月28日 日経ビジネス9月29日号の監督の目、星野仙一氏で「勝つことで人は変わる」を読んで思ったこと 人間、成功体験が必要なのですね。それも努力が報われるという形の成功体験が。阪神タイガースですが、星野監督曰く「負け犬根性が染みついていた。」それを払拭するのに勝つということ、優勝することが意識改革に必要であるということ。 まあ、プロ野球は優勝が必要ですね。 ところで、普通の学校の児童生徒では勉強において成功体験てなになのでしょうか。順番では、上位の生徒はいいですけど、学習が送れてきている生徒ではそうもいきませんね。今、問題になっているのは学習の水準ですね。それが、全体的に低学力になってきている。順番(相対評価)では、他者より1点でもよければ言い訳ですね。俗にいうできるという生徒のその段階で止まってしまっている。 遅れている子は、良い評価を貰ったことがなくなってくるので勉強を諦めている。留年さえしなければよいとね。 絶対評価で、年月をかけてその能力の延び具合とか何ができるようになったとかを評価し、誉めるということが必要では。 努力すればできるという体験、それの繰り返しが必要では。その時、全員同時に進級なんて止めてくださいね。ただ、繰り返し勉強することに対する偏見をなくしてほしいですね。第2次世界大戦ですが、戦争に日本を引っ張っていって潰したのは、当時最も優秀な人材が集まっているはずの陸軍大学などの出身者ですね。松下幸之助氏は小学校しか出ていませんね。どちらが日本にとって役に立った人材でしょうか。松下氏のほうですね。 単に学校のときの学習が早いか遅いかなどだけで人間の評価をしないでほしいですね。
2003年9月27日 本日の日経教育面の数字は語る「学級の人数、韓国・日本突出」を読んで思ったこと OECD加盟国の平均値が小中学校とも20名少しです。これに対して日本は小学校で28.8人、中学校で34.5人です。韓国はこれより多いですが。日本の学級定員は40人で41人になると学級が2クラスになります。80人まで2クラスで81人から3クラスになります。中学校に比べて小規模の小学校では、この区切りの偶然によってまだ比較的小人数になりやすいと思います。 だから、中学校は40人に近い状態になります。高校は、大抵40人クラスで退学の多いところや希望者の少ないところで1クラスあたりの人数が少なくなります。 この人数では、絶対評価をするのは無理があるのではと思います。ここの学習状態を本当に見れるのかなと思います。そして、相対評価に馴らされた教師たち、ですから、今だに御上の言い付けに背いて「相対評価」をしている学校が後を断たないのではないかと思います。 絶対評価は、御上の項目や評価基準を読んだだけでできる教師なんてどのくらいいるのでしょうか。御上は、実際的な研修を繰り返しする必要があると思います。相対評価で評価することが「厳しく」評価をすると思いこんでいる教師もいますから。 絶対評価をされた経験のない者に「絶対評価」ができるのかなと思っています。その上、この多人数でしょ。表面的には絶対評価、実質は相対評価が蔓延っているのではと思います。
2003年9月26日 咋日の日経、私の履歴書「井植敏」氏を読んで感じたこと クリントン前アメリカ大統領が就任直前のパーティで井植氏を紹介した言葉が出ていました。 「アーカンソー州で15年1000人以上の雇用を創出しつづけている」とありましたね。アメリカでは州同士の競争もある。雇用の場を保ちつづけるということ州の発展にとって大事だという認識があるようですね。工場誘致のため、税収が減ろうが、補助金を出そうが、地元の人の雇用が拡大すれば、いろいろ良いことがあるというのが分かっているからでる言葉なのでしょうね。「道路を作った」持続的な雇用は創出できませんね。 持続的な雇用の大切さを日本は分かっているのだろうか。終身雇用もIBMなどでは長い間行なわれていましたね。別に日本独特のものではないのです。聞くところによると、終身雇用、戦後になってからの話だそうです。土地神話も戦後の話だそうです。 どうして、少し調子がよければそれが日本の伝統のように思いこむ性格になったのでしょう。 帝国陸軍の突撃大好き症候群も日露戦争からだと思います。第4軍の旅順攻撃の失敗を誤魔化すためであったと思うのですがいつのまにか「帝国陸軍は・・・・」となってしまいました。恐い国ですね。このような日本人の国民性、今も直っていないと思います。 昨日のクローズアップ現代、中国残留孤児のことでした。責任は政府にありますよ。まず、満蒙開拓団ですね。国による員数合わせが行なわれたようですね。敗戦時、軍関係、それも上層部ほど先に逃げていますね。置き去りされています。孤児の存在をいつごろ認めたのかな。日中国交回復後、すぐ残留孤児調査を始めたわけでもなく、国が積極的にしていたとは感じられませんでした。国内法を整備せずに受け入れ、日本への同化というか生活のための日本語教育等を4ヶ月だけで放り出している。としか思えません。日本の国ってこんなものなのでしょうか。
2003年9月25日 一咋日の日経、文化面の「私が感動した競技者たち」を読んで感じたこと 障害者スポーツの迫力というか躍動感について写真家の清水一二氏が書かれていました。 このことについて思うことなのですが、日本では例えば「養護学校」ですね。私は「養護学校義務化」が始まったときから、これは障害者の隔離ではないかと思っています。健常者と同じところでなぜ、教育を受けささないのですか。手間がかかる?そんなちんけな理由ですか。 多くのところで同じところで生活することによる利点ですね。お互いの理解が深まるという利点です。これより大きな利点が他にあるのでしょうか。知らないことによる差別、疎外の例はそこらに多数ありますね。交流が無いからです。 スポーツでも障害者が排除されてきすぎたのでは思います。今、漸く欧米に近づいていっているところですね。 もっともっといろいろな人が自力で活躍できる環境を整備してほしいですね。
2003年9月24日 咋日の日経、スポーツ面の「国立スポーツ科学センター本格稼働2年」を読んで感じたこと 私にとって情報が遅かった? 日本にもできていたのですね。そして、2年で結構成果が出ているようですね。ということは、今までのスポーツの指導が良くなかったということになってきますがいかが思いますか。 まだまだ、アメリカなどのレベルの施設には追いついていないようですが、今後の予算等の配分でさらに成果が上がることを期待したいですね。 となると、旧態依然たる指導をしている指導者に対する研修ですね。こちらにもお金を回してくださいね。でないと、多くの小中高校生がケガなどでスポーツができなくなっている例がまだまだあります。 スポーツは、健康増進用も含めて「科学」的に行なう必要があるはずです。 指導者は、スポーツにとってというか健康に害のあることをしないという見本を小中高校生に見せてほしいですね。 びわこ成蹊大学の学長のことば「地域、社会にスポーツや健康を広める大学に、たばこはいらない」ということばをかみしめてほしいですね。カッコの中の大学を者というか指導者に変えて考えてみてください。
2003年9月23日 本日の日経、最終面の「交友抄」を読んで感じたこと 今日の著者は、伊徳社長の伊藤氏でした。流通業界のコンサルタントでチェーンストアの研究団体「ペガサスクラブ」を主宰する渥美俊一氏について書かれています。 教えに「経営者の仕事は方針を変えることだ」というのがあったそうです。ちょっと考えてみたらそうだなあと思います。なぜって、方針に変更がないときは社長なんて要らないですね。 指導者たるものは、常に時代の流れを掴み、的確に対応するための判断が求められているのではないでしょうか。人間も変化し、時代の変わってきている。このような状態で旧態依然たる方針で運営されてはたまりませんね。 どこかの国も、日本も特に政府の機構で目立ちますね。今回の内閣改造で国土交通省については少しは前進するかな。あの戦争に突入していったとき、方針については議論されていないのではないですか。いつ、開戦するかだけ。 戦後、あの戦争についての検証もしていませんね。だから、「皆がしているから皆がいっているから正しい」なんて思いこんで同じ失敗(何も考えずに突っ走る。最近ではバブル期の土地投機)をしていますね。教育なんてずーとみたいな感じがします。順番信仰による秀才信仰。何ができるかではなく順番。
2003年9月22日 昨日の日経文化欄「コラムランド」を読んで思ったこと 大学生にもなると、人にわかってもらえる文を書くことができるようになりたいと思うものが多くなるということであると思いました。 しかし、これには自分の書いた文が批評され、また、誤解されたりすることの経験を積むことが必要であるということが読み取れました。 匿名性を保ったままでの批評で良いようです。その代わり、その場で本人に判るようにやっているわけですね。他人に分かって貰える文なんて簡単に書けるものではありません。 私のこの日記も誤解されているかもしれないのです。ところが、この日記に対して批評はあんまりないですね。ですから、自ら点検して考えるほかないのです。 学校では、同級生などがいる、先生がいる等、切磋琢磨する機会があるのですが、選択語句式や穴埋めの対策ばかりではその機会もないですね。 表現力がないのは、表現練習をさせないからです。もっと、論述させましょう。
2003年9月21日(今日は2つです) インスリンの話、糖尿病の話 よく、新聞などや話で血糖値が高くなったから糖尿病になったということがいわれますが、これって、「原因」と「結果」と取り違えているのではないでしょうか。カロリーを取り過ぎれば何を食べていようがいろいろな問題が起こります。人間、食べ過ぎてよい食べ物なんてありませんよ。 糖尿病の原因ですが、先ず、カロリーの取り過ぎ、このとき、特に繊維質のない肉や脂肪分を多く取る人ほどなりやすくなります。運動不足です。肉や脂肪には糖分はほとんど含まれません。でも、肉や動物性脂肪の摂取量が増えると炭水化物を減らしても糖尿病になります。 どうしてでしょうか。「からだの科学」の増刊号「糖尿病2001」の中に、インスリンの分泌についてありました。まあ、グルコース量に応じて増加しますが、グルコースがなくても何種類かのアミノ酸は単独でも(グルコースがなくても)インスリンの分泌を促進するとあり、さらに脂肪もグルコースと併存の状態で促進するとありました。 炭水化物を摂取せずに肉などでカロリーを摂っているも、インスリンが分泌されますね。すると血糖値が下がります。これって下がり過ぎのほうかな。すると、血糖値を増加させる仕組みが働きます。続けて、タンパク質や脂肪を主成分とする食事をすると、やはり、インスリン分泌→糖分を摂取していないのにインスリン分泌→血糖値の低下し過ぎ→血糖値を増加させる仕組みが働くの繰り返しになり、ランゲルハンス島のβ細胞がくたびれて分泌できなくなったり、肝臓、筋肉、脂肪細胞がインスリンに対して抵抗性を持ったりして血糖値の調節ができなくなり、糖尿病になった結果として、高血糖が症状として出てくるのではないかと思っています。 日本では、ここ何十年もカロリー摂取量の減少、炭水化物の占める割合の減少が続いています。にもかかわらず、糖尿病が増加しているのは、タンパク質や脂肪によるカロリー摂取の増加、運動不足によるものではないでしょうか。アメリカなどに移住した日本人は日本にいる日本人より糖尿病の割合が相当高くなっています。 タンパク質は摂取過剰やその種類によっては「痛風」にも気をつけてくださいね。ものすごく痛いそうです。 脂肪分やカロリーの摂取過剰は高脂血症もありますよ。糖尿病に高脂血症併発、血管の破損が恐いですね。 本日、2回目です。日経の私の履歴書を読んで思ったこと 中毒事故のとき、悪い情報がすみやかに上層部に伝わらない風通しの悪さ、部門間の責任のなすり合い等あり、危機管理の甘さなど会社の問題点が明らかになったとありました。 「悪い情報がすみやかに上層部に伝わらない風通しの悪さ」なんて日本では常識みたいなものですね。今だに悪い情報に「蓋」をしているところが「官庁」を筆頭に多く見られますね。幾つかの企業は、これで潰れたりしましたが「官庁」等は潰れませんからね。 道路公団の「財務諸表」の問題も、まず、「資産のほうが多くないと困る」でそれに合わせて作った節が見られます。これではどこかの国と同じではないでしょうか。年金も厚生労働省が誤魔化しているいうコラムを日経で読んだことがあります。 誤魔化しているうちにうそにつじつまを合わせるため、さらに誤魔化すということが起こっても不思議ではないですね。政府等の文書、全て保存してアメリカみたいに長くても30年とか短くてよいものはすぐに公開するようにすべきですね。公開した後、廃棄できるものは5年から10年保管した後廃棄すればいいと思います。
2003年9月20日 日経9月20日の私の履歴書を読んで 本文中に「従流志不変」の書の話がありました。意味は「時代の流れをよく見て的確に対処することが大切です。ただ、立てた志は絶対見失ってはならない。」ということです。 今の日本やブッシュ大統領や北朝鮮などを見ていると時代の流れをよく見ているのか、疑問です。まあ、日本は、以前から時代の流れというか世界情勢や歴史的教訓を得るという点では不得意でしたね。不得意というより、どこかの国と同じように常に「今日、耳、日曜」を実行しているとしか思えないのですがね。 なぜこうなったのか。いろいろ理由があると思います。ですから、今日の自民党の総裁選挙での各候補の政策内容、1人を除いて同じようなものに感じました。旧態依然たる仕組みを残したまま、公共事業などですね。高速道路を造ってもその地域の産業構造をどうするのか、国際競争力の面からどのような助成をすればよいのか、日本全体なかでの位置づけなどがあるのですか。 今の地方は、多くのところで本社機能の東京移転や工場の海外転出、もともと低い農業の競争力で、土建に従事している割合が異常に高くなってしまっているのではないでしょうか。 ところが相変わらず、過去の延長線上の政策を戯言のようにいっているように感じました。時代の流れ、世界情勢、その他の要素を総合的に考える力がないのですね。そう思いました。 インスリンのことについて近日中に書いてみたいなと思っています。
2003年9月19日 日経ビジネス9月22日号の深層を読んで 日本マクドナルドの事が書いてありました。マクドナルド初めての商品回収があったそうです。 これは、多くの企業や行政、学校等でも起こりうることかな。どういうことかというと「マンネリ」というか、規則依存症かな。規則があるから大丈夫という盲信かな。常に現状を点検し問題点があれば改善するということを怠っていた。 まあ、それでもなにか問題の起こることはありますがね。その対応の問題になることがありますね。 あの雪印乳業の時もですね。あの雪印乳業、創業者は、「食品を扱うから現場はもちろん事務も禁煙」でした。1970年ごろまでは就職の際、誓約書まで取っていたそうです。その後、気がゆるんだでしょうね。それで、あの事件かな。いつまでも創業時の気持ちを保ち、常に向上に心がけるのは難しいようですね。 今の教育も何を教育しているのでしょう。気をつけないと「何も考えずに戦争」のあの時と同じようになっていったりして。
2003年9月18日 日経「私の履歴書」井植敏氏「米国生産を機に禁煙」を読んで感じたこと 今日の分の中ごろに、アメリカでの煙草に対する感覚も含めて日本人に雇われることが面白くなかったのかアメリカ人部下が井植氏に「あなたはヘビースモーカーですね。健康によくないとわかっていながら平気で吸っている。そのような意志の弱い人間に社長が務まるでしょうか」と言ったそうです。それで井植氏は禁煙しました。いまは、そのアメリカ人こそ、健康の大切さを教えてくれた恩人であると書いています。 さすが、本当の意味で企業を育てた経営者だなと思いました。悪いことの指摘を耳を塞がずに聞いて良い方向に生活を改めていますね。そして、その時は鬱陶しかったかも知れませんがいまでは恩人であると感謝している。 小物は、これができませんね。うらみつらみだけが残るようですね。 アメリカでは、喫煙者と肥満者は「意志の弱い経営者に不適な人物」と見なされているようです。なら、煙草を吸っている医師は、「意志の弱い・・・に不適な人物」なのでしょうね。日本医師会は「禁煙運動」を繰り広げています。これは、医師は非喫煙者が当たり前であるという前提だと私は解釈しています。 そのほか、健康やスポーツに関る人も非喫煙者であるのが当たり前だと思います。 子供は、大人の姿をみて育ちますので教師も非喫煙者であるのが当たり前ではないでしょうか。
2003年9月17日 朝のNHKニュースの「京都市役所禁煙化」を聞いて 市役所で禁煙化は良いことだと思います。副流煙の問題もありますし、相当しっかりした換気装置でも副流煙の問題解消は困難のようですね。 喫煙室を設置する場合、この換気をどのように考えているのかで「副流煙対策」への取り組みが判るような気がします。そんなのより、多数の人が集まる場所ですので全面禁煙の方がいいと思います。 このような取り組みを他の自治体でもしてほしいですね。健康増進法が施行されて4ヶ月と17日になります。公共施設は全面禁煙化をしてください。
2003年9月16日 日曜日の日経sundayNikkeiの「超長寿企業に学べ」を読んで感じたこと 毎度毎度、日が遅れましてすみません。今日、新聞休刊日でしたね。 老舗が守ったものでは「のれん」も高い割合を占めていますがそれより高いのが「家訓」企業理念だそうです。 ところが事業内容や仕入先や販売エリアなどは結構変えています。これは、日経ビジネスであったイビデンの事業内容の変化と共通するところがありますね。 何を守る必要があるのか、変化しなければならないとき、どこを変えるのか。変えるときでも皆がすることを真似せず、よく考えてやっていますね。 事業の継承ですが、養子でうまくしているところが多いですね。相撲部屋も養子のところが多いと聞きました。 ただ、どこも変化すべきところ、守るべきところについて他に流されずに独自性をもってやっているようですね。他人の真似ばかりですと競争というものにさらされ大変ですからね。 今日は、取り留めがありませんがここらで終わらせていただきます。
2003年9月15日 土曜日の日経教育面のテンプル大学の学長の記事を読んで感じたこと 毎度、日が遅れましてすみません。 ようは、アメリカと日本との違いは勉強をさせるか遊んで卒業できるかが大きいですね。その他、アメリカでは小規模校から大規模な研究大学まであるというのは日本と似ていますが中身でどうなのでしょう。アジアからの留学生がまずアメリカを目指しているということから考えて評価はアメリカに比べて悪いのでしょうね。 どうしてこのようになったのかを考えることは、小中高での学習の意欲に関しても考えることになるのではと思います。 テンプル大学の学長は、生涯教育についてはアメリカのシステムのほうが良いというようなことを言っていました。日本の仕組みは巧く機能していないように思います。それより、大学入学→勉強終了みたいなところがまだ残っていたりして。 もっと、海外との競争を考えて海外の良いところは取り入れられるようにする必要がありますね。 それと、医師は「電話」で診療行為ができて、薬剤師は「電話」では法律違反になるのですね。どうしてなのかな?誰か教えてください。。
2003年9月14日 日経社会面の記事、生活保護、最多の87万世帯」を読んで感じたこと 毎度、「感じたこと」ですみません。 生活保護が急増して財政が逼迫しているそうですね。もっとも多いのは高齢世帯ですが、急増しているのはどうもリストラに関係あるような分類にはいる世帯のところです。 一面の「円と元」のところと一緒に考えてみると、工場や事業所の誘致について日本政府と中国の積極性の違いその他で工場などが日本から海外に出て行き、失業しているというのも多いのではないかと思います。 最近、犯罪が増えていますが景気が悪い(失業者が多い)と増えるのでは。これで警察経費も増やさないといけなくなりますね。その他、もっといろいろあると思います。 そんなこんなでどこの国も必死になって工場等の誘致に奔走しているのでしょう。それに比べて一部地方を除いて日本の大らかなこと。これからは「第三次産業」の時代とか言って「第一次産業」の競争力の向上、「第二次産業」の引き止めおよび誘致を本気でしているのか疑問です。 欧米をみれば、基本は「第一次産業、第二次産業」であるということが判ると思うのですが。極論すると第三次産業だけでは日本みたいな人口の多い国では雇用の確保は無理ではないでしょうか。 その第三次産業の優位性も一部を除いて危うかったりして。
2003年9月13日 WTOの農業分野の関税引き下げについて感じたこと 今日の日経の教育についても書きたいのですが明日にして本日は農業です。 日本と比較するのにイギリスが良い例かなと思うのですがいかがなものでしょうか。 どちらも島国で工業国です。あちらは日本より平地が多いですが北海道より相当北に位置します。 イギリスも一時は食料は輸入で賄っていたときがあるようです。その後、第二次世界大戦などを経て今の100%に近い自給率にまでなり、大陸諸国には食肉の一大輸出国になっていましたね。ですから狂牛病のとき大騒ぎになったのだと思います。 日本は、第二次世界大戦までのほうが自給率が高かったのでは。今は30%台でしたか、主要国にでは最低ですね。その間、農業分野は手厚い保護や補助などがありましたね。イギリスと大違いですね。イギリスでは、大規模農家を育成したのでしょう。日本は、小規模農家の転業を支援せずに土建の日当を頼りにするような政策をして、地方に農業以外の産業基盤を、そして進出したくなるような優遇処置をしませんでしたね。 欧米の工場誘致の条件などから考えると日本は何もしていないのに等しいですね。その結果、弱い農家が多く残り意欲のある大規模農家が育たなかったので競争力がつかなかったのではと思います。 今、地方で公共事業がなくなると失業者がでて他に就職できませんね。土建以外を育てなかったからですよ。もっと、いろいろな産業があれば、農業からの転業もスムーズに進んだのかもしれません。
2003年9月12日 日経の一面の連載「円と元」でしたかなを読んで思ったこと 新聞を職場に置いてきたままなので、連載の題名もうろ覚えですみません。 量産品の生産は中国に任せて日本は先端技術の部分がある製品を作って生き残りを図るようなことが書いてあったと思います。 でもね、今の教育では相当部分は早い時期に中国に抜かれるのではないかと危惧しています。教育に緊張感あるのですか。そんなの一部の先端的な研究と教育の意義が判っている教授の研究室だけだったりして。 文部官僚や企業の経営者や人事担当者の中には未だに判っていないのが多くいるのではと思います。 第二次世界大戦線に突入していったときの軍部は例えば「帝国陸軍は世界一」と本心で信じていたのではないのでしょうか。だから、兵器等の近代化をせずに日露戦争当時とほとんど変わらない兵器で平気で戦争を始めましたね。そんなんと同じような気がするのは考え過ぎなのでしょうか。
2003年9月11日 日経「私の履歴書」井植敏氏を読んで感じたこと 創業者の意気込みというか、使命感というかそういうものもありましたが、今日の最後のほうで協力工場の件が出ていました。テレビのキャビネットの仕上げが何回指導しても納得できる品質に届かないというものです。 このことに関しては、アジア各国の製品の品質に対してケチを付けていたのと同じだなと感じました。時代が早いか遅いか、国内の業者同士か過去外貨の国外かの違いがありますが、本質は同じかなと思いました。 日本は、アジア諸国より早く通り抜けただけですね。車でも戦前はアメリカ車のほうが品質が良かったのですが戦後の切磋琢磨で逆転したわけですね。いま、アジア各国に追われる立場ですね。 気になるのが、国内でのもの作りの雰囲気が悪くなってきているような気がします。第3次産業の時代だと浮かれ過ぎていたり、政策が悪くて工場の海外流失が止まりませんね。。 日本は、第2次産業が頑張らないと1億3000万人生活できないと思います。今の製造業が国内にとどまっても海外との競争に勝てるような税制とかが必要ではないでしょうか。海外では工場誘致に多額の補助金などを出しています。 全世界と競争しているのですよ。人材の面も競争ですね。海外との競争に打ち勝てる大学教育を願いたいものです。
2003年9月10日 日経社会面にあった禁煙の効果について 新聞を職場に置いてきたままなので、うろ覚えなところがあります。 徳島のたしか、赤十字病院の医師団が「非喫煙者」「喫煙者」「喫煙していたが禁煙した者」に分けて心臓の冠動脈に対する薬の効果(確か回復作用かな)を調べて比べていました。 一番効果のあったのは当然「非喫煙者」、煙草は全く吸っていないグループですね。「喫煙者」は効果があまり見られずでしたが、「禁煙した者」は相当な改善が見られるということです。 煙草の害というと「ガン」ばかりが強調されるときがありますが、循環器に対する悪影響もすごいですよ。こちらは、いつ発作が起こるかもわからないので恐いですね。 吸っていても禁煙すれば、リスクが確実に減少するのですがね。あの7月26日(土)の朝日新聞の土曜論題に煙草の件で執筆した医師の方はこのようなことを理解していたのでしょうか。未だに疑問に思っています。
2003年9月9日 野中元幹事長の引退のニュースを聞いて思ったこと 今日は、日経の一面の連載について書こうかと思いましたが、このニュースでこちらにします。内容的には重なるのではと思います。 小泉総理の再選を阻止するためにとか、言っていましたね。他の3人の誰かになればということだと思います。でも、他の3人の言っていることって、旧来の公共事業重視、規制ありの政策だと思います。それが破綻して今の状況になったのでしょ。その点を反省すれば、旧来の政策では駄目であると判ると思います。 今することは「規制緩和」というか「規制撤廃」かな。兎に角、意識の構造改革をして、実際の行政なでの規制を撤廃ないし緩和する必要があると思います。ただ、この効果、すぐにはでないと思います。アメリカでは、レーガンの規制緩和の効果がクリントンの時代(初当選で12年後)ででましたね。イギリスでも何年もかかっていますね。 ですから、「今さら寝言」という感じがします。必要な規制をせずに産業の近代化や国際競争力を向上を阻む規制を残しているのが今の日本の状態ではないでしょうか。企業が海外に脱出してしまってからでは遅いですよ。
2003年9月7日 日経ビジネス2003年9月8日号の特集「さらば本業」から感じたこと この逆は、「本業にこだわる」ですね。どちらにしろ、「世界で一つ。Only One」であれば、競争にさらされることがまずないのですが、そうそうできるものではありませんね。 そうすると、常に今を点検し、素早く変身する力が必要になるわけですね。このとき、役に立つのが過去の事柄を調べ、それの良いところ、悪いところを見抜く力ではと思います。 「過去に対して目を閉ざす者は未来に対しても盲目になる」これは1985年に西ドイツの大統領の演説の一節です。同じことが至る所で言えるのではないかと思います。 今の教育ではその力を付けられるようなことをしているところは少ないのではないかと思います。記憶だけの勉強は人間を駄目にするのでは、ものごとを深く考察するような勉強の方が結局はよく覚えていますよ。
2003年9月6日 日経ビジネス2003年9月1日号「有訓無訓」を読んで感じたこと この号は指揮者の岩城宏之氏が執筆されました。大見出しは『「記念」という澱を誇るな 昨日までの己を全否定せよ』です。 組織は、時間がたつとマンネリになっているかもしれないから、ということだといっています。岩城氏の語る「伝統」とは、昨日までの全てを壊してもう一度作り上げたらたまたま前と同じになったという意味に感じました。 これは、人間は日々成長し変化しているのにいつまでも前と同じというのはおかしいのではという意味合いも含まれているのかな。 養老孟司氏の著作の中にも、人間は変化し続けているというのがありました。今日の私は、昨日の私ではない。紙に書いた情報は、書かれたときのままである。紙に書いたといいましたが「情報」は発信されればいつまでもそのままで変化しない。次は新しい情報が発信されているだけであるが、人間は変わると。中には悪い方に変化する人もいますけどね。 しがらみを潰し新しいものを作るときに幅広く過去を調べ、良い点悪い点を見極めて新しいことをする必要があると思います。今の日本の状況は過去にしがみつきすぎています。それも、都合の悪い情報は排除して都合の良い部分を皿につごう良く解釈しているだけの場合が多すぎるのではないでしょうか。
2003年9月5日 自民党総裁選のニュースより、続報? 日本の不況の原因についての認識があまい?かな。 メダカの学校みたいに誰ともなしに群れて同じような行動をしてします。同じような考えを持ち、それにしがみつく。だから、不況が長引いているのではと思います。 だから、本来は「意識」の構造改革からやらないといけないのではないかと思います。私からみるとどの候補もその点では物足りないのですが、小泉総理がもっとも構造改革に積極的な感じがします。 イギリスのサッチャーの構造改革は結構長くかかったと記憶しています。レーガンのもです。アメリカではレーガンの改革の成果をクリントンがもらったのではという気もしないではないです。 いま、構造改革を断行しないと、なにも考えずに突入していったあの戦争の二の舞になるのではないかと思います。意識の構造改革も同時にお願いします。
2003年9月4日 自民党総裁選のニュースより 小泉総理に対抗して立候補を予定している候補者の記者会見がニュースでありました。 その中で「構造改革より・・・・・などのデフレ対策や・・・」という考えを述べていました。 私が思うに構造改革を断行しない限り今の閉塞状態からは脱却できないと思うのですが。社会の変化に対した旧来の仕組みが対応できなくなってきたのが原因だと思います。 それならば、新しい仕組みに移行する必要があるわけですね。ところが、日本人の感覚は「取り敢えず目先のリスクも取らない」というが多数派を占めているようですね。 大企業でも倒産しているところがありますね。そうでなく、発展している企業は常にどこかで「リスクのある分野」に挑戦していると思います。日本社会も発展させるためには「リスク」に挑戦していく必要があると思います。それが、「構造改革」だと思うのですが。 イギリスでも「サッチャー首相が、まず構造改革」だったと思います。アメリカでも「リーガン大統領の構造改革」ではと思います。
2003年9月3日 昨日の日本経済新聞の社会面「大学経営に評価指標」を読んで思ったこと いままで評価の基準みたいなものもなかったようですね。基準も無しに比較するとかされていたのにどうしてそれを放っておいたのかな。 「大学の使命」の項目で10項目挙げられていました。そのなかの「入試の多様化」ですが、現状では、悪くすると入試レベルの低下に繋がりかねないような危惧をもちます。ある大学がAO入試を始めると翌年には予備校が対策講座を開いている。アメリカでのAO入試って簡単に対策講座の開けるようなものでしたか。誰か教えてください。今までの推薦入試と変わらないようなところあるようですね。手を広げすぎてどれもだめになるという例かな。 このようなものがありますので「評価基準」というのが大事になると思いますのでより良いものを作ってほしいと思います。教育レベルに関する基準を是非お願いします。日本の大学生の教育レベル、高いとは言えませんね。中国やアジア各国からの留学生の主力は、今、アメリカに向いていますね。この留学生が日本に目を向けてもらえるような基準ですね。お願いしたいです。 今は「世界の中の日本」ですね。食糧の自給率、その他多くの物資の自給率から考えて日本という国の中だけで生活できませんからね。世界基準に達するようになってほしいですね。その指標の一つが「留学生のレベル」ではないかと思います。
2003年9月2日 日本経済新聞連載「働くということ」第4部 中流幻想を超えてE を読んで思ったこと この中に「リスクを負わないことが最大のリスク」という一文がありました。これは、個人でも企業でも「リスクを負わない」というのは新しいことは何もしないで以前と同じままで過ごすということかな。ところが、社会は変化しませんね。人間も成長とは変化していくことですね。 そのとき、予測できるとおりには変化しませんね。未知の要素が混じりますね。変化しないという前提のときリスク無しということが言えあるかもしれませんが、銀行の土地融資、昔は、担保に土地があれば「リスク無し」いまは「リスクいっぱい」ですね。いろいろなものが勝手に変化してくれますので、人間、常に新しいことに挑戦していく必要があると思います。 昔の懐古趣味にだけ、とらわれているととんでもないことになりますね。第2次世界大戦に突入していった日本なんてそんなものだったのかもしれません。「神風」これ蒙古襲来の時でどのようにして「神風」が来るまで持ちこたえたかが、授業では触れられていない。日露戦争のことでも都合の悪い部分には蓋をしたり、誤魔化したりしていたのがいつの間にか「日本軍」の神髄みたいになっていったようですね。 そしてリスクという概念が抜けてしまって・・・・で、敗戦ですね。 リスクについては、イギリスの賭け事、あれ参考にならないですかな。何事につけても「賭」の対象にしていますね。その時、レートが出ています。あれってリスクの原点みたいな気もしないではありません。 リスクについて本気で考察する必要があると思います。いまの日本は「リスク無し」を求めすぎて「リスクいっぱい」の状態になったのではないでしょうか。
2003年9月1日 定住在日外国人の年金などについて 最近の裁判で定住在日外国人の障害年金受給についての判決がありましたね。それを聞いて不思議に思ったのは、定住外国人の方は、日本人以上にしっかり税金を徴収されているのですがね。それで、福祉関係も長いこと除外されていましたね。ひょっとしたら今もかな? 国政への参加については、幅広く認めている国からほとんど認めていない国までいろいろあるようです。でも、社会福祉に関しては、特にヨーロッパでは外国人に対してももっと充実してますね。日本は、税金だけがっぽり取って長い間除外していた。相当なものだと思います。日本人と同じように税金を徴収しているのなら同じ福祉などの権利を与えるべきではと思います。その昔、今のダイエーの王監督も税金対策が大変だったと聞いたことがあります。 日本に今いる在日外国人についてですが、強制連行で日本に連れてこられた人の子孫が少ない理由は、強制連行された人の多くが、死んでしまっているという現実があるのです。このあたりの点については各自、まともな資料で調べてみてください。都合の悪いことに蓋をするようなことを続けていたため、負け戦争に突入して大日本帝国憲法を変える羽目に自ら追い込んでいったのでしょ。あの戦争をしていなければ、今でも大日本帝国憲法のままだったと思います。 都合の悪いことから目をそらし続けると今度は、天皇制も危なくなるかもしれません。日本を潰すのには直接攻撃しなくてもできますからね。この食糧自給率の低さ、ほかの物資も自給率低いですね。その上、在庫も少ない。だから、アジアで、太平洋で、世界のなかで生きていくためには、あの戦争までのことについて、都合の悪い部分から目をそらすことなく検証し未来につなげていく必要があると思います。