煙草をなくし、安全に暮らせる社会を創ろう(表紙に戻る

2003年8月31日
昨日の朝日新聞朝刊にあった「高脂血症予防 食事のポイント」を読んで思ったこと
大きく『「日本食」に予防効果』とありました。動物性の脂肪などの少ない、炭水化物主体の食事ですね。これが、欧米に比べて、心筋梗塞等が少ない理由だそうです。
糖尿病も高カロリー低繊維食の欧米型になると増加しますね。昔ながらの繊維質の多い炭水化物主体の日本食のときは少なかったようですね。実際、いろいろな民族で、動物性の蛋白、脂肪の摂取が増加するとそれに連動して糖尿病や高脂血症などが増加しているとの報告を多数、読んだことがあります。
この記事の右側に「1日あたりのエネルギー摂取量と栄養素の比率」のグラフがあります。それによりますと、2001年は1975年よりエネルギー量では減少していますが、炭水化物の減少はもっと大きくなっています。炭水化物の割合が減少しているのに高脂血症は増加しています。炭水化物が減少しても糖尿病も増加しています。
ところが、なにか炭水化物を「悪者」のように思っている人が多いですね。例えば、正常でも食後血糖値は普通、160前後ぐらいには上がりますよ。問題は、いつまでも下がらない人ですね。
タンパク質でも脂肪でもインスリンの分泌は促進されます。栄養多かでそれですい臓の細胞がくたびれて分泌できなくなったり、肝臓、筋肉、脂肪細胞がインスリンに対して鈍感になって効かなくなったりして糖尿病になる。繊維質の多い炭水化物主体の食事をしていたときには糖尿病は少なかった。
食後の血糖値だけに注目して、誤魔化しても糖尿病は防げませんよ。全体のエネルギー量、繊維質の量、運動量など全てで管理しないとね。炭水化物減らして蛋白、脂肪分を増やせば、糖尿病や高脂血症に一直線ですね。蛋白を取り過ぎると「痛風」という問題も起こりますよ。

2003年8月30日
朝日新聞の昨日の夕刊の記事「国立大学に外国人教授を」を読んで思ったこと
年金などで書きたいことがあるのですが、またまた本日もこちらにします。明日も怪しいですね。
日経の「私の履歴書」で小柴さんが書かれていた、「戦後すぐアメリカ海軍の研究費を使った実験の主任役になってしまった。海軍は、相手が少し前まで戦争をしていた日本人でも話を聞き、継続して支出してくれた。」という話がありました。敵国の人間にですよ。
ヨーロッパでも大学では外国人教授、珍しくないそうですね。
ところが、日本ではその昔、ある国立大学で夫が日本人で日本国籍とアメリカ国籍の両方をもっている人を教授にするとき、非常に問題になったそうです。二重国籍も駄目であったそうです。
最近は、国公立とも増加しているとのことですが身分的には欧米とはまだ比べ物にならないようですね。公立大学では、教授の半数ぐらいを「外国人教授」にしてところがありましたから。まあ、日本人の意識問題でそこも外国人が減ってきているようです。
国際化に対応するのに「世界史丸暗記」では何もなりません。人材の多国籍化が必要です。それも正規の教授などの教官としてです。
中高の英語助手、正規の教諭にできないのですか。それほど、ずさんな採用をしているのですか。

2003年8月29日
日本経済新聞の連載「働くということ」第4部 中流幻想を超えてCを読んで感じたこと
年金などで書きたいことがあるのですが、本日もこちらにします。
見出しに「求む 経験不問 先着順」というのと「平均像より異端に手本」というのがありました。
今の日本の閉塞感の原因として「中流意識や旧来の良い社会への執着(古き良き時代への郷愁)が発想の転換を妨げ、働く人を萎縮させ、企業や経済の活力をそぐ。」とありました。( )内は私の解釈です。
今までも再生(活力)の原動力は強い個性だったような気がしますがね。景気が全体的に伸びているときは「人並み」でも伸びることができますね。ところが、停滞してしまっているときに「人並み」では、じり貧ですね。
「人並み」でないことといえば、「出る杭」ですね。個性的であることですね。今の教育や世間一般の価値観はいまだに「人並み」であったり、単なる記憶力競争みたいですね。現在は「個性」が潰されているのではないかと思われます。「個性」「個性」といいながら、非常に「人並み」であることを求めているのではないでしょうか。
価値観や成功モデルが多様化しているということを感じ取ることができなければ旧来の仕組みにしがみついてじり貧の道を歩むことになるのでは思います。
そのとき、教育の評価では「絶対評価」というか、学生や生徒がどのようなことが「できること」のかを証明できるような評価が必要になると思います。順番では「できること」の証明にはなりませんからね。

2003年8月28日
日本経済新聞の社説「避けて通れない憲法論議」を読んで感じたこと
年金などのことも書きたいのですが、本日はこちらにします。
論議をするとき、次のことを必ずしてほしいと思います。それは、「なぜ大日本帝国憲法から今の日本国憲法に変えなければならないような戦争をしたのか」です。
日本人の国民性から考えて、戦争がなければ今も「帝国憲法」のままのような気がします。昭和天皇に死を覚悟させるような戦争をなぜしたのか。
どうして、あのような戦争に突入していったのか。戦争でどのようなことをしてしまったのか。などなど。
また、司馬遼太郎の「雑談 昭和への道」のなかに、「そろばん勘定」の話が出てきます。そろばん勘定にも合わない戦争でしたね。
これも「「雑談 昭和への道」にある話です。昭和初期でしたか、あるイギリスのジャーナリストが帰国するとき、「このままでは日本は戦争に突入して・・・・そして負ける」とかいうようなことを言っていたそうです。予言ですね。当たりました。
あの戦争に対して本気で反省しないと次は天皇制自体が危うくなるかもしれません。天皇制を存続させたいのであれば、過去をしっかり反省して未来につなげていってほしいと思います。

2003年8月27日
国立大学のセンター試験の科目増についてのニュースから感じたこと
勉強しないから、学力低下ですね。それで科目増、よい方向だと思いますが、大学が卒業生のレベルについて常に注意してある水準以上に保つようにしておれば低下現象なんかなかったかも。
相対評価や適当に成績をつけてきたとがめですね。企業も企業ですがね。そんな大学生を「青田買い」していた。だから、学生が勉強しなかった。いまは、少しずつ変わってきてるようですが。
例えば、中途採用の増加。新卒でも即戦力になる能力をもっているかとか。ある企業ですが、外国の大学に目を向けていますね。はっきりと海外の大卒の求人枠をつくった。
日本の大学も、山梨大学の工学部みたいにやってほしいと思います。勉強しない学生は、勉強をする学生にとって「邪魔」そのものですからね。勉強しない学生がいろいろ経験して再び、本気で勉強したくなったときのサポート体制の確立も必要ですが。
大学を名乗る限り、卒業生の質を国際的にみて遜色のないレベルにしてほしいですね。そうすると、進学希望の高校生はもっと勉強するようになると思います。
試験の内容ですが、マーク式より記述、記述より論述のほうがよいと思います。採点の楽なのは、確認テスト程度に留めてください。評価の絡むのは「論述」でね。

2003年8月26日
ある教育現場から聞いたこと
勉強をしない生徒や学生についてはこの話から除外して考えてください。勉強に取り組んでいる生徒、学生のことになります。
授業中や放課後等に質問に教師のところに行ったとき、「こんなのも解らないのか」とか教師が生徒等に言うことがあると聞いたことがあります。そのとき、生徒が「解らないから学校にきている。解るように教えてくれ」と言ったらどうするのでしょうか。
生徒は、解らないから学校にきているのではと思うのですが。
小中学校ですが、「義務教育」と言っていますが誰に対する義務なのですか。国、地方公共団体および親に対してですね。子供には、「教育を受ける権利」があるのでは思います。
勉強しようする児童、生徒、学生に対しては教師は解るように教える義務があるのではと思います。あくまでも自発的に学習しようとする者に対してだと思うのですがいかがなものでしょうか。
単に記憶するだけは勉強ではないと思っています。
初めから賢ければ「学校」で質問しになんかいきませんよ。バカやから賢くなるために「学校」に、より良い大人になるために「学校」に通っているはずですね。単に「文字列」(丸暗記)を覚えるためではないはずです。
私も、小中高大学と通って、ある程度賢くは成れたかなと思います。世間には「上には上」がいますからね。(相対評価的になってしまった)
それと、勉強には「終わり」はないと思っています。普通の日常生活でも常に新しい変化を感じ取れるともいます。それに対して「勉強」。いつまでも続きます。勉強は、「楽しい」ものです。
勉強をしない生徒や学生などが、真に勉強したくなったときの援助体制を整える必要がある。どのような年齢になってもできるようにする必要がある。
国立大学のセンター試験の科目増と年金問題、覚えていたら近日中に書きたいと思います。

2003年8月25日
日本経済新聞の社説を読んで、日本について思ったこと
この日記で初めてですね。社説ですよ。以前から読んではいましたが、他になくて今日は社説より。
『「FTA大競争」に後れを取るな』です。この自由貿易協定で問題になるのが農業ですね。日本の農政(No政)は実際何をしてきたのかと思うくらい自給率が低下していますね。保護政策をしていて海外に負けている。
大規模化が必要だといわれながら、大規模農家の足を長い間引っ張っていましたね。最近、漸く判ってきたみたいですが。そのツケが自給率の低下、FTAを結んでいないために障害が出てきているということですね。
ひょっとして、中国が、アメリカが、EUが、アセアンがFTA締結交渉を加速しているのは、「日本除外」が底流にあるのかも。
結果的にですが、メキシコで政府調達から日本が除外されたそうです。1億3000万人が生きていくためには、今の自給率では、工業製品の輸出で稼ぐほかないと思います。農業の自給率の向上は年月がかかると思います。工業製品の輸出で稼げなくなったら、今の状態では飢え死にかもね。
世界日本が存続していくためには世界情勢からみるといろいろな国、地域とFTAを結ぶ必要があると思います。
農業政策は強い農家がより強くなれるようにを一番にしてください。国際競争に勝ち残れる農家を育ててください。

2003年8月24日
昨日の日本経済新聞の教育面の「大学改革へ学生が授業評価」を読んで思ったこと
著者は、大見出しで「実施運用面で改善余地」と書いています。読んでいると確かにそのように感じました。
そこで、アメリカなどの評価とその運用と比べてみるのも面白いかも。あちらは厳しいらしいですからね。学生に対しても教員に対してもね。
あちらの学生は、留学生も多くいて「勉強」しに大学に入学しているのですが、日本の場合、入試が終わって「やれやれ」の感じの学生が多いのでは。そうすると「評価」がどのようになるかな。学生に甘い教官も良い評価が得られたりして。熱心でも上手でも評価が厳しいと・・・・。
評価を実施するなら、評価項目、記入時間、その回収方法、結果の取りまとめ、開示、フィードバックについて改善の余地が多いと書いてました。その通りかなと思います。
話は変わりますが、ある大学で聞いたのですが、推薦入試(面接ナシ)に面接を取り入れただけで「AO入試」になるとかのたまっていたところがありました。教官の意識改革、絶対要ります。すでに努力されている教官を多数いますが、まだまだの教官も多いのでは。
これは大学だけに限ったものではなく、いろいろなところで見られると思います。

2003年8月23日
消費税の税込み表示について
財務省が「消費税の表示を税込み」にする方針を出しましたね。まあ、増税へのカモフラージュが目的かな。
その前に、役に立たない支出をあぶり出しましょう。高速道路をつくる前に、工場が海外に出て行かなくてもよいようにするとか。行政が意欲のある農家の足を引っ張らないようにするとか。
とにかく、国の基礎は、人口増加であり、農業であり、工業であるというのが欧米の基本みたいですね。スイスには、時計産業以外にも世界的な製薬会社や食品会社がありますね。
農業もしっかりやっていますよ。国を支えているのは、観光や金融より第一次産業や第二次産業ですね。観光とか金融の割合も大きいと思いますが。
道を作ってもトータルコストが海外より高ければ、工場は海外にでますよ。
それと、子供を育てやすくする気が政府は本気で考えているのでしょうか。育児休業なんて、企業に対しては「飴と鞭」で誘導せな。育児休業を真面目に制度化している企業には優遇措置(金銭的にも子を育てている親と企業の両方に)を、そうでない企業には罰則(多額の罰金を取りましょう)を。
フランスでは、御上の児童手当だけで生活できるとかいう話も聞いたことがあります。子供が増えれば消費も増える。但し、工場の国内への誘致も税制面を含めて考え直してください。世界との取り合いですからね。負けたら、工場が減ります。すると、失業者が増えます。消費が減少します。景気が悪くなります。税収はさらに減少します。
いままでと同じタイプの公共工事では景気は良くなりません。この10年ほどで実証済みだと思うのですが。工場を海外から国内へどのようにすれば誘致できるか考えるのが政府の仕事でしょうが。


2003年8月22日
「法科大学院の教員の資質」についてのニュースから
このニュースを聞いて思ったことは、ほかの学部でも資格審査をやってほしい。機関としては、技術者教育評価機構や病院の評価機構みたいな団体で、できればその結果を公表してほしい。
まあ、いままでしてきていないので、最初から厳格に審査し結果の公表のところで、ぼちぼちで年月をかけてすべて公表に移行して貰いたい。いつから全て公表するかはあらかじめ決めておくこと。
今までの私の経験から見て、「よくこんなので大学教官が務まるなあ」と思うときが時々ありました。
話は少し違うかもしれませんが、ある大学(商学、経営などの系統です)である教授の講演を聴いたとき、俗に言う理系科目を軽視しているのですね。今の普通の経営ですが技術のおかげというのがどの分野にもあると思うのですが。このとき、あんたも「生物(なまもの)」でしょうが。POSとは俗に技術系からでしょうが。脱工業化社会になるからとかいっていましたが、その脱工業化社会を支えているのが「農業」であり、「製造業」でしょうが。今年も気象を含めた自然環境に振り回されていますね。こんな視野の狭いのを大学教官にしておいていいのかなと思いました。
その教授は、もとどこかの銀行に勤めていたらしいので、銀行が潰れそうになる理由も納得できましたけど。反面教師では困るのです。
大学の卒業の資質の審査を技術者評価機構みたいなのを全学部に広げてほしいですね。

2003年8月20日
養老孟司の<逆さメガネ>を読んでいて思ったこと(その3)
結局、3回目になりました。でも、内容は本の内容にどこまでこだわっているのかな。
「個性」のことがでています。個性とは何か。今、この日記の字はPCのなのでフォントが同じなら、同じ字になりますが自筆なら、もう「個性的」ですよ。ですから、「署名」というのが意味を持つわけですね。いまは見分けがつかないほど真似できるようになってきましたが。
イラクのフセインの声の声紋判断をアメリカはやっていますね。どうしてですか。声紋が非常に「個性」的だからでしょ。完璧に他人の真似をする方が難しいですね。ですから、物まねが商売になるのです。
存在していることで本来「個性」を発揮しているはずですね。その存在を認めないような評価を下せば、どうなりますか。そのようにされた者は怒るでしょうな。同じようになるように教育してきておいて「個性」をだせと言われて出せますか。出せなければ個性がないという。こうなると人格も存在も認めてないということになりますかな。そら、ぐれますよ。
この前、NHKで「私が一番」とかいう番組があったようですね。人間、親から貰った遺伝子が違いますからね。そうすると、体に違いが出てきますね。もうそれだけで「ある分野」で世界で1人でしょうが。「個性」とはそれを認めることだけで良かったりして。
この違いからいろいろな才能、能力が出てきますからね。

2003年8月19日
養老孟司の<逆さメガネ>を読んでいて思ったこと(その2)
やはり、2回目になりました。でも、内容はどうかな。
この本、教育についても書いていることになるんですね。またぞろ、「知る」ということについてです。
「ある知識を知った」ということについて考えてみると、多くの場合、今は「データベース」に付け加えているだけというのをいっているようですね。
新しいことを知って理解するということの意味が以前と変わってきている。とあるのですが、日本は、大昔から「覚える」ということだけで「評価」をしてきたものだから、「君子豹変」や「朝に知れば、夕べに死すとも可なり」の意味が分からないのですね。
「人間、日々変化しているのですよ。」ということが解っていない。ともありました。このような状況では、教育とは「覚えるだけ」になりますな。
人間、変わらないという前提なら、就職の内定ですね、卒業の1年前に出せるのですね。本来、卒業研究の指導を受ければ学生は変わるはずです。変わらないなら、それは指導が悪いからだと思います。

2003年8月18日
養老孟司の<逆さメガネ>を読んでいて思ったこと(その1)
まあ、何回か続くと思うので「その1」としておきます。
まだ、途中までしか読んでいないのですが、「日本人は思いこみが強い」という理由が少しは解ってきたような感じがします。昨日も書いたことですが「土地投機」これも村社会の「皆と同じ」をよいとする思いこみですね。何も考えない、他の人と同じことをする。農業では、周りと同時に稲作をした方がよい理由があるそうですね。1人ずらすと病虫害を一手に引き受ける羽目になることがあるそうです。たまりませんね。
だから、皆と同じ。これがあらゆる面に染みこんでしまったのではないでしょうか。稲作の青田買い、大体土地の条件が判っておればできるでしょうね。今年は東北地方やばいですね。でも、その中での良し悪しは本来の土地の良し悪しと関係があるのではと思います。
その発想で企業が求人活動をするからいくらでも早くなりますよ。ところが、人間は土地より見込み違いが大きいと思うのですが。それは、「教育」や生活体験によって大きく変化するからだと思いますね。まあ、変化しないような教育をしているところは、教育機関ではないと思いますがね。
人間はほんの少しずつでも日々変化していますよ。養老孟司の「バカの壁」に書いてあった「君子豹変」は、君主たるもの新しい良い物事を理解すれば行動を変える、とかいうような意味だそうです。今の教育でこの点を理解している教員はどの程度いるのかなと思います。
ですから、はい、日々勉強ですね。自己の向上に対する投資を。

2003年8月17日
日経新聞のマネー4(12頁)の連載「日曜日の人生設計」を読んで感じたこと
見出しに「住まいに縛られていませんか」というのがありました。私も感じていたことなのですが、日本人は持ち家に拘りすぎていませんか。
企業や銀行も「土地」に縛られていましたね。その結果が「バブル」のときの土地投機ですね。土地は利用してこそ価値のあるものですね。
江戸時代、山持ちがどうしてよかったのか。入山権がどうして重要だったのか。生活していく上で必要なものを山から得ていたためですね。
煮炊きのための木は山からですね。家を造るときの木も山からですね。その他諸々合ったと思います。だから、農地だけではなく山も大事なものだったのですね。
利用していたのです。ところが、戦後、利用もしないのに「所有している」だけで資産と見る風潮ができたと思います。
普通の住宅についても実際に住むのであれば、持ち家でも賃貸でもそこに住む人の意識次第だと思います。ただ、持ち家にすると、大抵は「住宅ローン」などでそこに縛り付けられます。そこの点を覚悟する必要があると思います。
大人は、通勤で自動車も選択できることがありますが、子供の通学は「徒歩」、「自転車」、「鉄道」、「バス」のどれかかこれらの組み合わせですね。過酷な通勤通学を強いられることがあります。
土地を「絶対視」している人がまだまだ多いように思われます。土地、住宅を利用するという観点から「持ち家」「賃貸」を上手に使ってみるという考え方が必要ではないかと思います。

2003年8月16日
日経一面の連載「日本語力 上」を読んで
日ごろから思っていることなのですが、小学校の低学年のころは未だしも上級になるにつれて、感想文や作文は書かせても、他の人を説得するための文を書かせませんね。
感想文などだけでは、語彙力はつかないかも。仕事に必要な言葉、日常生活に必要な言葉、生活を楽しむのに必要な言葉、これらの正しい使い方を、こどもに家庭や学校、地域で指導していくのですが、この中で学校が論述的な指導では大きな役目を果たすと思うのですが試験が「○×式」、「択一式」、「穴埋め」や「細切れの記述」では役に立ちませんよ。
敬語等や日常会話については、家庭や地域も大きな役割をもっていると思います。もっと、理詰めの文を書かせる機会を増やし、添削してあげましょう。

2003年8月15日
終戦記念日かな?敗戦記念日では。
これも誤魔化しかな。確かに「負け」は認めたくない。でも、現実を見る必要があると思います。
ノモンハン事件でも帝国陸軍は、現実を直視せず口止めで誤魔化し装備等を近代化することもしていませんね。
「どこが良くなかったのか。」とかの原因を直視し、そこから将来になすべきことを考えるのが政治家の役目ではと思います。
「過去を見ないものは、未来に対して盲目になる」これはドイツの大統領が1985年に行なった演説の中にあります。
日本は過去の歴史の暗い(都合の悪い)部分から目を逸らし過ぎではないでしょうか。

2003年8月13日
糖尿病に関係しているからかな
最近、広告で食事直後の血糖値の急激な上昇を押さえる食品なるものや、糖分の摂取を押さえるような話をよく聞くのですが。
日経にも書いてあったのですが、糖尿病の原因としてはほとんどが「運動不足と過剰な脂肪の摂取」とありました。どちらもカロリーの過剰をもたらします。なにせ、脂肪は糖分の半分以下の量でカロリーは同じになりますね。さらに糖分は多くの場合、植物性繊維と同時に摂取ということが多いですね。脂肪分は、繊維質がまずないですね。
糖尿病になりやすい食事というのが「高カロリー低繊維食」です。
脳は、エネルギー源として「グルコース(ブドウ糖)」しか使いません。糖分を摂取しないと肝臓で盛んにタンパク質などから合成してますよ。
「からだの科学」の「糖尿病2001」に書いてあったのですが脂肪分もグルコースと共存するとインスリンの分泌を促進するそうです。そうすると脂肪細胞も頑張りますね。
この本によるといくつかアミノ酸もインスリンの分泌を促進するとのことです。
糖分をぼちぼち摂取しないと肝臓に負担をかけることになると思うのですがいかがなものでしょう。
だから、糖尿病の名前を、例えばインスリン分泌不全症とかインスリン抵抗性機能不全症とか高脂肪摂取性インスリン機能不全症とかにしましょうよ。
8月7日の日記の「80カロリー」は、正しくは「80キロカロリー」でした。訂正させていただきます。

2003年8月12日
一昨日の日経の社会面(34頁)の「語る現代史」ブラジル日系人を読んで
見出しに「ルーツ求めて初期移民を映画に───女性監督、今の日本もどかしく」というのと「黄金郷は幻、過酷な生活」という見出しがありました。
日本の移民政策、その後の移民に対する取り扱い、棄民政策そのものという感じがするのですが。
だから、こちらで移民された方々は自力で今の社会地位を作り上げていったのです。
情報開示ですね。これが昔からずさんだった。この移民の例もそうです。記述からそれが読み取れますね。どうして、隠すのでしょうか。戦争前および戦争中の大本営もホント、隠蔽と誤魔化しですね。そして現実も判らなくなってしまった。
昨日に日記の内容と同じようになってしまいましたね。

2003年8月11日
昨日の日経のSanday Nikkei の「内外時評」求められる歴史的洞察力を読んで
「国の進路を説明できるか」という見出しがありました。
書き出しは、映画の「スパイ・ゾルゲ」を見てということから始めています。ゾルゲに情報を与えた尾崎秀実の場合についてはどうなのかとかいうことが書いてありました。「尾崎の見たのは、見通しも決断もなく各国の最後尾からずるずると戦争に突っ込んでいく惨めな祖国日本の姿である」とありました。
当時の日本の日露戦争以来の誤魔化しの体質、情報を活用できない体質、歴史的事象を洞察できない体質がそのまま出ていますね。
現代の日本はどうか。変わっていないですね。同じ失敗、または失敗を隠蔽するためにおこなったさらなる失敗、このような事例が多数見られます。このようなことを起こらないようにするには、情報操作をしないこと。
今、イギリスで大変なことが起こっていますね。イラク戦争に突入することを決めた情報についてです。ただ、イギリスの国会、凄いですね。時の政権であろうと「間違い」があれば、徹底的に追求していますね。
その点、日本は「道路公団」の財務諸表や、その他諸々のことで「誤魔化し」や「隠蔽」などがよく起こっていますね。あるいは、間違いを認めないとか情報の歪曲がよくされていますね。
アメリカは、次の大統領選挙では今度は民主党かな。政権が入れ替わると、政府の高官も入れ替わりますね。日本は、変わらないですね。下っ端には関係させずに高官は政権が変われば入れ替えてみるのもいかがなものでしょうか。
今の状態では、日本は沈んだままですね。

2003年8月10日その2
大学卒業について(本日2回目の日記)
朝の大学入学資格は、大学教育を受けていくうえでの必要を満たす学力ですね。
卒業資格については、大学卒として相応しい能力を身に付けたかどうかですね。
どちらも、相対評価では出てきませんね。よく考えて基準を決めなければなりませんね。日本人は、苦手だったりして。
まあ、技術者養成に関する日本技術者教育認定機構(JABEE : Japan Accreditation Board for Engineering Education )に習って他の分野でもやりましょうや。
ああ、それと教育とは本来「人間になるため」では。だから、入試にでるとかでないとかは関係なく勉強しないといけないと思います。そのためにも、学校内で教育していることと矛盾するような行動を教師はしてはならないと思いますが。

朝の分「いっそのこと、大学受験資格はどこを卒業しようがしまいが資格試験として高校卒業予定の生徒全員に受けさせたらいかがなものでしょうか。難易度はぼちぼちですね。高校で真面に3年間授業を受けてきたらできる程度。レベル的にはセンター試験なんかがいいと思うのですが。センター試験では、受験資格の有無のみにして合否はその後の試験のみで判定するとか。推薦合格の場合でもこの資格試験で成績不良の場合は入学を取り消さなければならいようにするとか。」のですが、科目数は最低でも5教科7科目でね。60%以上でね。

2003年8月10日
大学入学資格問題について
春頃から議論を再び呼んでいた外国人学校の大学入学資格について文部科学省の見解がでましたね。春のときは、時代錯誤の感覚、「脱亜入欧」そんな感じの案でしたね。
外国人学校より、日本の普通の高校生の学力のほうが平均すると悪いのでは。
いっそのこと、大学受験資格はどこを卒業しようがしまいが資格試験として高校卒業予定の生徒全員に受けさせたらいかがなものでしょうか。難易度はぼちぼちですね。高校で真面に3年間授業を受けてきたらできる程度。
レベル的にはセンター試験なんかがいいと思うのですが。センター試験では、受験資格の有無のみにして合否はその後の試験のみで判定するとか。推薦合格の場合でもこの資格試験で成績不良の場合は入学を取り消さなければならいようにするとか。

2003年8月9日
昨日の日経一面の連載「農業ルネサンス下」を読んで
「変わる流通経路」という副題と「広がる直販、信頼築く」という見出しがありました。
読んでみて感じたことは、生産者が消費者を直接的に意識し始めたということですね。この仲介をしているのがインターネットと宅配業者だったりして。
この流通経路の変化はほかの業種でも見られてきています。冷蔵あるいは冷凍での宅配ができるようになったので「生もの」も送れますね。アイスクリームが送れるのですから。
インターネットは、受注活動には電話や郵便より便利ですね。私もネットショッピングをよく利用しています。楽ですし、安い、結構早い。
この話、別に農業だけの話ではなく、全産業に通じるところがあると思います。生産者と消費者が直接、応対できるということですね。
政府の大規模店舗の規制とか何だったのでしょうか。特に地方では大規模なショッピングセンターができると相当広い範囲の昔ながらの商店街が寂れていったと聞きます。だから、ある時期から取り合いになっていたようですね。隣の村にできて寂れるよりショッピングセンターに優先的に入居できる方がましだと。
時代の変化と共に人間の行動も変化します。それに合わない規制は変えましょう。廃止しましょう。新たに必要となる規制もあるかもしれませんが、消費者の立場に立ったものにしてほしいですね。

2003年8月8日
昨日の日経一面の連載「農業ルネサンス中」を読んで
「加速する農地集約」という副題と「後継者難 改革の好機」という見出しがありました。
読んでみて感じたことは、大規模化の進展しているところが出てきていると言うことですね。大規模化すれば、農機具等の活用が促進され、以前の農機具貧乏から解放もされるわけですね。
この中に農林水産省の資産ですが、海外の1200万ヘクタールもの農地を借りて食糧需要を満たしていることになるわけですね。海外は、一般に大規模です。ところが、日本は長らく零細でした。その上、農機具等も各自が購入していたようですね。貸し借りすれば間に合うものでも、どこかの空港建設と同じで隣が購入してからウチも。そのようなこともあって、生産性が上がらなかったのですね。
後継者難から、それも言っておれなくなって漸く大規模化に進んでいる面もあると思います。この好機に規制をさらに緩和して大規模化しやすくする必要があると思います。大規模化や高生産性、高付加価値を追求しないと日本の農業は潰れると思います。大規模化等で欧米並みの自給率を目指すようにしてください。

糖尿病の名前を変えようよ。例えば、インスリン分泌不全症とかインスリン抵抗性機能不全症とか高脂肪摂取性インスリン機能不全症とかにしましょうよ。
詳しくは、昨日の日記を見てください。

2003年8月7日
日経一面の記事「糖尿病 予備軍含め1620万人」を読んで
糖尿病を疑われる人は可能性を否定できない”予備軍”を含め成人の6.3人に1人に達することが、厚生労働省の「糖尿病実態調査」で分かったと言うことです。
「糖尿病」、まず名前が悪い。誤解の一つが「糖」ということから、甘いものを食べないからということです。実際は、酒飲みに多いですね。一部、遺伝的に発症する気の毒な人たちがいますが、大部分は、「脂肪の取りすぎや運動不足」が原因とされるということです。
いろいろな地域で、食事内容が伝統的な高繊維、低カロリー(デンプンが多く含まれている。糖尿病は少ない。)から低繊維、高カロリー(動物性主体)に変化するのと時を同じくして糖尿病が増加している。
名前を変えようよ。例えば、インスリン分泌不全症とかインスリン抵抗性機能不全症とか高脂肪摂取性インスリン機能不全症とかにしましょうよ。
糖尿病の治療というか食生活の改善等をしている人の割合が低いのは、たばこの害が判っていても止められない人が多いのと同じ理由によると思います。まともな想像力の欠如、これに尽きると思います。
ここで、また、教育の問題も出てきましたね。暗記が勉強という風潮を潰して、真に自分で調べ、考え、より正しい判断ができるようになる教育にする必要があると思います。
女子栄養大学の食物80カロリーガイドブックで調べたら、80カロリーのエネルギーを摂取するのに必要な量はサイダー220g、みかん天然果汁200gなどですがビールは210g、あまり変わりませんね。ところが清酒75g、焼酎(25度)60g、ウイスキー(特級)32gなどお酒は高カロリーですね。酒飲みはジュースを飲む者の心配をするより自分の心配をまずしなさい。

2003年8月6日
日経一面の連載「農業ルネサンス上」を読んで
「芽吹くビジネス」という副題と「新開発 企業と組む」という見出しがありました。
読んでみて感じたことは、市場性と大規模化ということですね。日本の今までのNo政(農政への当てつけ)は、財産保全の範疇と横並びで説明できたりして。
規模の拡大に対しては、長らく農地法で妨害したり、これは農家の横並び意識が災いした点もありますがね。輸入制限している間に大規模化や市場化ができておれば良かったのですが、あまり進んでいないようですね。その結果、元気の良い農家が減ったようですね。
企業化、大規模化を推し進めて自給率を向上させてください。そのためには余計な規制は撤廃してほしいです。

2003年8月5日
日経一面の連載「法廷が変わる」を読んで
知財財産に関する訴訟の増加で技術などの分かる裁判官の増員が必要ですね。今の裁判官、一部を除いてどこまで分かるのかな。我々が、法律について分からない以上に技術について分からないのでは。なぜなら、日本では文系での自然科学の基礎が非常におろそかにされているということです。逆に、理系における社会科学や人文科学などの分野が非常におろそかにされていますね。
これが、技術などの分からない裁判官を生む原因の一つですね。それと、最高裁が「技術の陳腐化が早い分野では数年後には専門家の優位性が失われる」とか言っていますが、数年で専門家でなくなるような者は、もともと専門家ではないのではないでしょうか。専門家とはその分野について常に研修に勤しんでいるはずですから。
兎に角、特定の分野に凝り固まった人材を裁判官にしてほしくないですね。

2003年8月4日
日経サイエンス 2003年9月号「疾走する中国の頭脳」を読んで感じたこと
感じられることは、中国は政府自体からして本気で真面目に縄張り意識無しで科学技術の水準の向上に取り組んでいるということであり、学生らもそれに答えようとしているということかな。
日本は、官僚的な制度によって機動的な研究環境の整備等ができていないようですね。だから、科研費(文部科学省が支出する研究費補助、そのほかの助成も年度末に近い時に支給らしいです)を裏帳簿を使ってプールし本当に必要なときに利用できるようにしたいという誘惑が起こるのですね。
必要なときに使えないという点は何とかならないでしょうかね。政治でも経済でも教育でも、まずやってみて、効果と結果を分析し、問題があればスピードをもって次策を練るというのが中国流だそうです。日本は、過去の形式を引きずり、改革をしても検証せず、あるいは結果をごまかし繕い次策を行わないかな。
だいぶ前に書いたことですが、アメリカの恐れていること、「中国人科学者などがアメリから中国に一斉に帰国すること」だそうです。
日本の制度、教育の中身、評価の質など根本的に考え直す必要があると思います。

2003年8月2日
日計ビジネス2003。8。4ー11合併号 編集長インタビュー 戸塚洋二氏 を読んでいて感じたこと
大きな見出しに「日本にないのは評価軸」とあります。これはどういうことなのでしょうか。日本の評価といえば、「相対評価」ですね。例えば、入試難易度が上だから、とかですね。
評価というのは、「何がどうしてどのようになっていてその結果が・・・」だからというようなことを積み重ねていって正しいとか間違っているとか、あるいはランクでどのあたりかをだす。絶対評価というのは、評価の基準みたいなものをださないと付けれない。相対評価は、基準ナシでも何か試験、作業などをさせて差がでれば付けれる。その相対評価にどっぷりつかってきた咎めが今出てきているのではと思います。
先ず大学から厳格な絶対評価に取り組んでください。
文部科学省は、相対評価をしている学校が残っていないか調べ絶対評価に変えるように指導してほしいですけどね。

2003年8月1日
本日、その2 FTA(自由貿易協定)に見られる日本の反応
本日の日経、一面の「世界を覆うFTA」を読んで感じられるのは、日本の現状、世界との関係の両方に目を閉している官僚などの体質ですね。
農業で、自給率についてですが、穀物のうち食用では日本は61%、アメリカ174%、イギリス117%、ドイツ137%、フランス181%、イタリア75%です。
穀物全体についてでは、日本28%、アメリカ133%、イギリス112%、ドイツ126%、フランス191%、イタリア84%です。
供給熱量総合では、日本40%、アメリカ125%、イギリス74%、ドイツ96%、フランス132%、イタリア73%です。(資料、日本国勢図絵第61版より)
ひどいですね。単純な主食のみでも主要国の最低です。今でも食料貿易が止まると日本は破滅ですね。農家の大規模化を妨げる規制を多く起こしたままにしてきたことに起因していると思います。農地の貸借も戦争前と逆の関係が多くなってきても感覚で制限していたようですね。
農地保有の面積制限等で長いこと大規模農家の足を引っ張ってきて、競争力を付けれないようにしてきたのは官僚と・・・・です。その結果、農業の魅力が薄れ、結果として・・・も苦境に立っていますね。
いま、自由民主党の議員の多くが旧来型の公共事業による景気回復を求めているようですが、旧来型は景気回復の効果は限定的ですぐその効果がなくなるということに気がついていないようですね。道路だけを造っても活力ある産業がなければ利用されません。産業創造のための規制緩和等を実行するのが先ではないでしょうか。