煙草をなくし、安全に暮らせる社会を創ろう(表紙に戻る

2003年4月29日
明後日から「健康促進法」
職場に日記のネタを忘れて来ました。他にないのかなとも思いましたが出てきませんでした。
そうそう、明後日から「健康促進法」でしたか施行ですね。情報教育をしっかりしないと健康の意味を分かってない人が多くいます。情報教育とはPCの利用法ではありません。普通の教科の授業でもできます。情報を集め、判断したりする練習ですね。集めた情報の意味を考えたりすることですよ。

2003年4月28日
日本経済新聞より
今日は、21ページ科学にある「大学革新 第1部大競争時代へ」を読んでです。この記事で長浜バイオ大学の入学式でタカラバイオの社長の話した中に「日本の学生の特徴は何でしょう」と新入生に問いかけ、答えは「世界一勉強しないことだ。」といっています。このような勉強しない状況を作り出したの大学の責任が大きいわけですね。何とかしてくださいよ。山梨大学のように外部評価を受けてください。会津大学や沖縄に新しくできる大学院大学のように第1線で活躍する外国人教授に活躍の場を提供してください。
日本が滅びないためにね。

2003年4月27日
日本経済新聞より
今日は、「経済論壇から」です。今日の主題は「日本の技術競争力の課題」です。その中に、「日本は極端なホモジニアス社会である。こういう集団からは、よき進化は生まれようがない。そのあたりから・・・」とあります。固定的な価値観からの脱却が求められているのです。
中央統制システムが行政機構から企業社会、学校などにいたる隅々まで行き渡っています。そこをなんとかしないと若者の本当の意味の独創性は発揮されないと思います。個性化、個性化といいながら、「皆が同じ」を強制している学校現場、学力水準を保証せずに外見だけ強制しています。日本を救うため、「皆が同じ」ということに疑問を持ちましょう。

2003年4月26日
日本経済新聞より
日本経済新聞は、毎週土曜日に「教育」について1ページ使って記事を掲載しています。今日の分の中で「都立高校入試改革をふりかえって」がありました。都立高校に訪問した中学生が増えるなど点については、良い評価をしていると感じる記事ですが、調査書バブルの項目で感じたのは、絶対評価の不慣れによることが原因と思われる現象が取り上げられていました。問題点も出ていますが、評価する側の教師が「正常な絶対評価」を受けたことがあるのかな。評価法の研修をしてもらったことがあるのかな。絶対評価は、相対評価より難しいと思いますが、相対評価のままですと今出てきていおる教育上の問題は解決しません。絶対評価への移行が必要なのです。しかし、落ち着くまでは時間がかかると思います。長い目で見る必要があると思います。
絶対評価のために評価基準、方法等を確立しましょう。不合格や留年、でてもいいのではないでしょうか。人間、皆同じなのですか。違うでしょ。個性化の時代でしょ。

2003年4月25日
日本経済新聞より
4月22日付けの日本経済新聞などに5月1日より施行される「健康増進法」にあわせて、首都圏の大手私鉄の駅ホームなどで全面禁煙になるというのがありましたね。
その後、高速道路のサービスエリアで施設内が原則禁煙にするというのもでていました。こちらは、ガラスで仕切られた喫煙室を設けるらしいです。
「健康増進法」には、「不特定多数が利用する施設の管理者は、受動喫煙の防止に努める必要がある」という意味のことが盛り込まれているそうです。ここでいう特定者とは、全てが喫煙者の場合のみと解釈してほしいですね。一人でも非喫煙者がいる場合は、法律の「不特定多数」というようにです。ですから、喫煙者は、喫煙者だけで閉鎖された空間で喫煙してください。煙を周りに出さないようにね。匂うというのは煙ももれている証拠です。漏らさないようにしてください。自殺行為の巻き添えは嫌ですから。

2003年4月24日
日本経済新聞より
連載「デフレが蝕む 第4部 世界に広がる衝撃波2」を読んでです。副題が『中国「激安」の方程式』です。中国で過当競争して安売りでも何とかなる背景についてありました。13億の人口のうち9億人を占める農村部が供給する無尽蔵の低コスト労働力であるというようなことが書いてありました。世界に目を転ずるとこの中国の農村部より貧しいところはまだまだ幾らでもありますね。そうすると、中国での労働コストが高くなれば他を探せばよい訳ですね。結局、日本は物をつくることにおいて世界の中での競争に常に晒されるわけです。昨日、頭脳の方を書きましたね。今日のほうは、頭脳より早く現実化した部分ですね。インドもそうですが、中国のハイテクの技術力もすごいですよ。台湾が
良い例です。同じ中国人ですよ。さらに台湾より人口が圧倒的に多い。
教育や人材の評価法を再検討して変えてください。今のままでは、優秀な人材が育ちません。あるいは海外に出てしまいます。
旧来の評価法ですと、本当に優秀な人材が評価されないような気がしてならないのです。

2003年4月23日
日本経済新聞より
連載「デフレが蝕む 第4部 世界に広がる衝撃波1」を読んでです。副題が『「頭脳」にも値崩れの波』です。書きだしのほうに、「アフリカへの転勤か、国内にとどまり賃下げを受け入れるかーー。・・・・」です。アフリカでの仕事はアフリカでというイギリスの銀行での話です。南アフリカでのホワイトカラーの賃金はイギリスの十分の一程度だそうです。現地採用でも十分にやっていけると判断したからだそうです。
インドの話ですが、ソフト開発のバンガロールにある会社の話です。開発費は、アメリカより三〜四割は安いそうです。さらに昨年4000人ほど採用してるそうですが、就職希望者がまだ、70,000人程度登録しているとのことです。年間のインドの理工系大学卒業数は日本の約2倍ほどだそうです。中国同様、競争に勝ちぬき、ハングリー精神旺盛です。
製造業での工場の海外移転が進んでいますね。次は、研究やホワイトカラーの分野になってきています。今の教育の現状、質、方法のままでこの大競争時代に日本は遅れずついていけるのか心配です。
大学から質の改善に努力してください。インドの次は、ロシアもだそうです。現状のままでは今の生活水準の維持すら困難になるかもしれません。
もっと世界の中の日本ということを意識してください。

2003年4月21日
朝日新聞より
一面(1ページ)に教育に関する特集があり、教師の評価の問題が取り上げられていました。そこで思うのは、高校については運動部関係では、全国大会への出場やそこでの優勝など、文化部はも同様な面がありますね。進学では、大学への合格数ですね。
どうして、卒業後の様子、進学ですと大学卒業後、どのようなところで活躍しているかというようなことも高校の教師の評価対象に入れてもいいのではと思います。合格でお終いでは惨めですね。ただ、企業などの採用の方法や企業、官庁などでの評価が不適切ですとこれを入れると藪蛇になります。
運動部では、プロや社会人などでどれだけ長く第一線で活躍できる選手を養成できたかのほうが大事なのでは思います。評価が単にその場のことだけになりますと、記事にもありましたように「生徒に媚びたり、これが出る式の教え方になったり、勝つことだけで故障など」などいろいろな問題が出てきていると思います。

2003年4月20日
日本経済新聞より
新しい連載「知的財産立国 日本の誤算」を読んでです。副題が『「模倣」脱し中国が猛追』です。書きだしのほうに、「政府は知財制度を整え企業も走るが、想定外の競争相手が現れ、新たな課題も出てきた。」とあります。その相手とは、中国です。中国を甘く見すぎていたのではと思います。木版の印刷術は、どこからでしたか。火薬は、どこからでしたか。私の愛読しているPC雑誌の記事の写真にどう見ても中国人が多数出ていますね。中には、モトローラとかインテルにお勤めの中国人に非常によくにている方も。
今、中国のトップレベルの者はアメリカに留学するそうです。日本には来ません。ですから、中国のレベルが分からなかっただけではと思います。
アメリカは、イラクとかいろいろありますが、ひょっとしたら留学してきた中国人やインド人などが母国に帰って企業を始めたり、研究や技術を発展させたりするほうが恐かったりするのではと思います。
日本の教育レベルがアジア各国からのトップレベルの留学生に相手にされなくつつあるという現実のほうに寒気がします。

2003年4月19日
朝日新聞夕刊より
3面(12ページ)に「すでに始めています  たばこ キャンパス内ご法度」という記事がありました。
この4月に新設された私立の「びわこ成蹊スポーツ大学」です。キャンパス内の完全禁煙を実施、20日には啓発看板を立てて外来者にも禁煙への協力を呼びかける。とありました。
和歌山大学は、来春からです。
びわこ成蹊スポーツ大学の森学長が「地域、社会にスポーツや健康を広める大学に、たばこはいらない」と話していると記事の中にありました。
びわこ成蹊スポーツ大学のようにスポーツや健康、教育に関すとこは禁煙であるのが普通だと思います。喫煙が認められていることのほうが異常のはずです。このことが記事になること自体、日本が遅れている証拠ではないでしょうか。

2003年4月17日
日本経済新聞より
私の履歴書は「イトウヨーカー堂と育て上げた伊藤雅俊氏」です。今日第17回目は「規制社会のツケ重く」という副題がありました。政府の規制ですが、この記事の中にあるように最終的には誰も得をしない。一見その時はある部分が助かっているように見えるのですが、その結果、その助かったはずの部分がその後一番惨めになっていたりしてますね。国民は、そのトバッチリを受けています。なんとかならなのでしょうか。

2003年4月15日
日本経済新聞より
本日の社会面の記事の中に「和歌山大が全面禁煙」というのがありました。大学というのは、いろいろな情報を集め、解釈し価値判断をおこない新たな情報を発信することが仕事かなと思います。その情報の中には専攻に関係なく日常常識的なものも含まれるはずです。大学の教官で正常で適切な情報解析力があれば、たばこの害について認識を深め、禁煙することができるはずです。和歌山大学は、この能力があることを全国で始めて示したわけですね。教官・学生や職員にたばこを吸いつづける者が多いところの教育研究水準はいかがなものでしょうか。少ないところは、早く和歌山大学に習うことを望みます。

2003年4月14日
日本経済新聞より
本日の記事の中に「シリコンバレーのベンチャービジネスで中高年日本人が頑張っている」というのがありました。日本企業での経験などを生かしながらですが、当地の風土についてのところで考えさせられるところがありました。
成功といえない場合でも再度挑戦できる環境があるということです。日本では難しいですね。イトーヨーカ堂の創業者も債務の個人保証をしていたそうですね。借金が嫌いなので無借金経営になっていったようですが。あちらでは、事業に対しての投資としてベンチャーキャピタルが機能しているから、借金まみれになって再起不能ということは少ないようですね。どこが違うのでしょうか。それは、銀行の融資でも見られることですが、事業等の評価ができるかできないかではないでしょうか。日本はほとんどの銀行で事業内容の評価がまともにできる人材が少なかったため、土地担保融資に傾斜していったのではと思います。その後も改善されていないようですね。

2003年4月13日
日本経済新聞より
すみません。PCトラブルで更新延びました。windowsの認証、2日続けてする羽目になりました。完全には回復していません。
昨日の連載「今どきの子ども」に書かれていたことです。『若い教師 増えると子供も学校も元気』と副題がありました。新人が入ってくると職場が明るくなる。同じことが学校でもいえる。でも、この筆者は「子供が好き」な教師の前提ですね。採用試験で、本当に子供が好きな人をいつまでも見ぬいて採用してほしいですね。さらに、「覚えることが勉強」と思っている人は採用しないでほしいですね。理科や算数、数学まで暗記物になってしまえば、いくら勉強しても無駄になります。国語や社会でも同じはずです。採用試験、何とかなりませんか。高校でも大学入試程度のレベル。専門分野は、もっと深く勉強させな駄目ですよ。

2003年4月10日
日本経済新聞より
連載「働くということ」についてです。第1部不安と向き合うAです。「異質との出会いは試金石」「職場はリトル中国」というのが今日の副題があります。
今日の分の最初のほうに中国人についてあります。戦力になるまでに時間のかかる日本人に対して「即戦力で優秀。金もうけにどん欲でキャリアアップも真剣」ということです。日本人だけを相手にしていては今は緊張感に欠けるときが多いようですね。「会社を
強くしたければ、生産性の高い人材を雇うのは当然」とこの記事に出ている社長は話しています。これが他のところにも広がりだしていると思います。日本の教育も「世界」を意識した教育に変化する必要があります。国内だけの相対評価では日本は潰れます。世界のレベルを認識するところから始めましょう。

2003年4月9日
日本経済新聞より
連載「働くということ」についてです。第1部不安と向き合うAです。「地域衰退 跳ね返す核に」という今日の副題があります。
例として会津の土建屋の話が出ていました。新しい画像処理技術の開発です。ふと思ったことなのですが、会津といえばコンピューター理工学部をもつ福島県立会津大学がありましたね。直接か、間接的か分かりませんが存在が影響したのではと思います。世界的な研究をする大学があるというのは何らかの良い影響を地元に与える可能性があると思います。ところが、青年保育所のような大学では単なる消費人口増などの経済効果のみになるのでは思います。大学の質を維持向上するための仕組みを作る必要があると思います。
他社の例も地元に大学があるということが利点になっています。良質な教育のできる大学です。

2003年4月8日
日本経済新聞より
昨日よりの連載「働くということ」についてです。第1部不安と向き合うAです。「自分の価値が言えますか」という今日の副題があります。
これは、例えば仕事に対する能力ですが、他社にいったときどれだけの価値に認めてもらえるかということではと思います。学校でも同じことがいえると思います。内輪の評価に安住してしまうと能力がどの程度かが見えなくなります。特に相対評価のみですと。これは日本全体に広げても同じだと思います。「みんなでサボれば恐くない」では学力が低下しているにもかかわらず評価は良いということが起こります。今の日本はこの状態です。レベルの低下が大きいのに気づかない。だから、資格がもてはやされるようになりました。学校教育や企業の社内評価が当てにならないためではと思います。世界レベルの基準による評価ができる社会にしていく必要があると思います。

2003年4月7日
日本経済新聞より
本日より新しい連載「働くということ」が始まりました。第1部不安と向き合う@です。「惑う若者 会社を疑う」という今日の副題があります。これで感じることの一つは、若者の就労体験や実際にものを作り上げるとかいったことの不足があるのではと思います。それと家庭状況、学校教育での評価の問題、テストの方法の問題などが重なってきている為と思います。テストですが、やはり考えさせて論述させるタイプでないと意味がないと思います。人間は、DVDーROMみたいには覚えられませんし、忘れたり間違ったりします。人間の良いところは、考えるところから発揮されると思います。よく考えられるようになると記憶の質も向上します。利用できる形での記憶になります。
単に覚えるだけならPCなどに負けます。人間とはというところから教育を見直しませんか。

2003年4月5日
日本経済新聞より
日本経済新聞は、毎週土曜日に「教育」について1ページ使って記事を掲載しています。今日の分の中で「数字は語る  国立大生への支出 私立の倍」がありました。ここで問題になるのが先ず、教育の質とレベルのはずです。次に学費をどのように考えるかです。ドイツでは授業料は学期に数千円、奨学金はほぼ全員に給付され日本円で6〜10万円ぐらいだそうです。更に月1万円ぐらいで住める学生寮も完備しているそうです。アメリカですが、授業料は高いようですが奨学金などで親に負担をかけずに済むようです。だから、中国などからの留学生は大学の奨学金が貰えるように頑張って勉強してます。日本は、私学への補助少ないですね。国立の授業料、挙げる必要はなく、それより給付の奨学金を充実する必要があると思います。全ての大学に言えることは「世界的に見ての教育の水準」を目指してください。なあなあの進級、卒業はさせないでください。教授陣のレベルを優秀な教授のほうにあわせてください。
世界は、「大競争」に入っています。この競争に勝ち残る為、アメリカは優秀な留学生に来て貰えるように努力しています。ヨーロッパ各国も同じです。自国民が勉強しないのなら留学生で刺激を与えています。日本ももっと優秀な留学生に来て貰える環境も創ってください。

2003年4月4日
ニュースより思うこと
本日の朝のNHKのニュースで、昨日イラクの国営放送の映像で撃墜したアメリカ軍機の残骸にロシア語の文字が読み取れたとありました。
アメリカは何時からロシアのミグとかスホーイを輸入し始めたのでしょうか。
そこは置いといて、フセイン政権が倒れた場合、その後でフセインへの協力者はどうなるのでしょうか。
勝ってしまえばアメリカは、国際法に則ってすると思いますが、フセインに弾圧されていた人々がどうするかですね。その点を政権側の人間は恐れているのではと思います。
発展途上国では、政権が交代した直後、前政権関係者が殺害されるということはよくありますからね。
化学で有名なラボアジェは、ルイ王朝の徴税官(下っ端)をしていたというだけでギロチンされたそうです。ところが、日本が連合国に降伏した後、この手のことは起こりませんでしたね。
それは、本多勝一のいう「medaka民族」としての体質が存分に発揮された為ではと思います。
昭和16年に総理大臣に誰がなってもアメリカと開戦していたと思います。あの時は、政府上層部のほとんどが開戦論者だと思います。
しかし、ドイツのヒトラーみたいな人物はいません。「赤信号みんなで渡れば怖くない」というのと同様の状態です。何も考えていないのです。
そして、非戦が非常に言いにくい状態だったのでは思います。リーダーの存在がないのに等しい状態です。medakaの群れと同じなのです。この何も考えない状態は今も続いています。

2003年4月3日
ニュースより思うこと
本日のNHKのニュースでも、イラクの国営放送の映像が放送されていました。それを見て、昭和20年までのニュース映画を見ているような感じがしたのは私だけでしょうか。
話は古くなりますが、日本の特攻隊ですね。特攻出撃のとき、天皇陛下からの賜り物であるとしてお菓子が配られたそうです。その中には「ヒロポン」が混入されていたという話を聞いたことがあります。素面では突っ込めません。それで・・・。あの時の日本も言論統制厳しかったです。

2003年4月2日
昨日の続き
以前、何かで読んだことがあるのですが、「イトーヨーカー堂と育て上げた伊藤雅俊氏」のことばだったと思います。「繁華街は移動するのである。だから、土地建物を購入するとそこが中心から外れた時、撤退がやりにくい。」だったかな。正確なところは覚えていませんが、前半のところの意味はあっていると思います。40年ほど前と20年ほど前でしたか、中国新聞社の連載「中国山地」と「新中国山地」で津山での繁華街の変遷についてがありました。他の都市でも起こっていることです。固定観念に囚われていると、いつまでもそのまま続く錯覚する訳ですね。現実は変化しています。伊藤雅俊氏は早くから気づかれていたということですね。繁華街が50年以上もそのままという都市は少ないですね。これなども情報をどのように集め解析し判断するかということができるのかどうかということですね。情報教育とは、普通に行なっている教科授業が全て情報教育になるはずです。情報教育としての情報機器講習会みたいなものは情報教育の一番大事な部分が欠けていると思います。

2003年4月1日
日本経済新聞より
本日より、私の履歴書は「イトウヨーカー堂と育て上げた伊藤雅俊氏」です。今日第1回目に「日本人は食べられることの有り難さを忘れ、自分たちがいかに贅沢をしているかに気づかず、それを当たり前と思いこんでいる。奢れる者久しからず。感謝の心を忘れ、己の力を過信する者の末路は、洋の東西、時代の今昔を問わない」とあります。まさにそうだと思います。ところが、俗に言う高学歴者にも解っていない者が多数見受けられるのではないかと思います。このことが解っていれバブル期のアホ騒ぎはなかったのではと思います。イトーヨーカー堂は、バブル期でも土地を購入していないそうです。当時、土地の購入をしないというのは勇気が必要であったと思います。ダイエーは、借金で潰れそうですね。ヨーカー堂は無借金です。土地を購入していませんから。