煙草をなくし、安全に暮らせる社会を創ろう(表紙に戻る

2003年2月28日
今日も昨日の続きです。24日にあるホームページの掲示板で読ませていただいて感じたことです。
>のついている行が管理者、何もないところが相手からの回答、『』内が私の感想です。

>2つの意味があるようですね。一つは自国民では、質を考えると人数が足らなくなる。

全世界が一つのものと考えれば、それでも良いように思います。
アメリカ的「自国民」にも他国からは分からない独特のイメージがあるかもしれませんね。

『アメリカは、その行動をみると、「アメリカのアメリカによるアメリカのための世界」と感じることがあります。アメリカの国力維持、そして何事も世界一の座にあるということに目標を置いているような感じがします。』

>もう一つは、競争相手が出現するということですね。

やはり、アメリカ以上の国ができることを望んでいないのでしょうか?

『あの行動パターン、望んでいないと思います。アメリカにとって役に立つ関係を望んでいる訳ですが、あくまでもアメリカがNo1であるという前提です。』

2003年2月27日
今日も昨日の続きです。24日にあるホームページの掲示板で読ませていただいて感じたことです。
>のついている行が管理者、何もないところが相手からの回答、『』内が私です。

>欧米では、留学生を多数受け入れていますね。大学の水準を下げたくないためらしいですよ。

結局は大学の水準を守るためでしょうか?
今までの水準を保つのが難しいのに、それ以上を望むことは正しいのでしょうか?

『妥協していては、今の日本ではいくらでも下がりますよ。ほんの一部のどのような環境でも勉強することのできる者を除いて。取りあえず、ボチボチの生活ができるようになってしまいました。緊張感に欠けているわけです。官僚は当てにできませんので、大学が、企業がレベルを保つようにしないと今は世界大競争時代ですよ。日本が置いてきぼりを食らいますよ。』

>留学生はよく勉強しますから。昨年のNHKスペシャルの「中国」ご覧になられましたか。
>中国人の勉強すごいですね。
番組は見ていませんが、確かに「一人っ子政策」の一面が出ていますね。
ただ、そんな留学生ばかりでもありません。
日本の物価が高いので、生活に困り、バイトが主では?と思うような留学生もいます。

『大学が、あるいは国が対策を講じないためでは。イギリスでは、学生寮や奨学金を用意したり、ドイツでは、学生はほぼ全員奨学金がもらえます。ドイツの奨学金は日本円にして月6万〜10万円だそうです。授業料は年間数千円ぐらい、寮は1万円ぐらいです。これは、日本の世界的に有名な学会の会誌に書いてありました。
アメリカも相当数に十分な奨学金を出しています。どうもすべて自国の繁栄のためのようです。欧米の対策(基準に達した者に対してだと思います。)や日本の大学の内容のことがあって、優秀な者の多くが欧米に流れていると思われます。
例えば、本日の日本経済新聞の国際面2の記事ですが、「デジタル家電の中核部品DSP 中国が国産化」というのがあります。主力は、アメリカ留学から帰国した研究者が中心であるとあります。日本留学ではありません。
一人っ子政策はあまり関係ないと思います。それより勉強すれば豊かになれるという実感があるためだと思います。』

2003年2月26日
今日も昨日の続きです。24日にあるホームページの掲示板で読ませていただいて感じたことです。
>日本みたいに常に定員一杯埋まるまで合格させることをしているのなら
>相対評価でも絶対評価でも代わりはありません。
>定員に達しなくても成績等が振るわないものは不合格にするような基準を持つ場合、
>絶対評価的であるといえると思います。

以上がHPの管理者の書き込みです。
以下がそれに対する回答です。

私も、大学入試に関してはそれが理想化と思います。
「くるものは拒まず」の姿勢は大切です。
しかし、現実問題は別です。
多数の学生を収容する施設の問題がありますし、保護者の負担の問題も今の日本では難しいと思います。
それに、何より、文部科学省からの指導があるのです。
○割を超えて合格させないように・・・という。
また、それがなければ、人気のある大学以外はつぶれるのも現実でしょう。
国公立の大学の独立法人化が実現すれば、もっと熾烈な競争になるでしょう。

以上は掲示板の一部です。
この部分で感じることは、意味の取り違えですね。管理者は、定員以下でもよいと言っているのですがね。「くるものを拒みなさい」ですよね。
それから、人気のある大学とはとのような大学なのでしょうか。アメリカでは、外部機関による評価(研究活動や教育活動、卒業生の活躍事情など)によって人気のあるところは変化するそうです。日本は。入試の難易度ですね。文系、理系と別けるのは日本ぐらいだそうです。
どの分野も外部機関(国際的に信頼できるところ)の評価対象にできますよ。それによっての人気ならまだわりますがね。

2003年2月25日
今日は、昨日あるホームページの掲示板で読ませていただいて感じたことです。
一つ、留学生についてですが、日本に来ている留学生ですが、勉強をしたい為に来ている人が大多数ですが、なかには出稼ぎもいましたね。なぜ、このようになるのか。受け入れ側の問題ですね。勉強の密度が低いから???
中国や東南アジアの優秀な学生は、日本と通り過ぎてアメリカへ行っていますね。中国でおこなわれている英才教育のあるところのある年の出身者(日本経済新聞の記事あり)30人の大学卒業後10年目の活躍しているところですが、アメリカなどで27人、中国3人だそうです。日経サイエンスにもこのような経歴の中国人研究者の行なっている研究の総説が載ったこともあります。
なぜ、日本が留学対象から外れつつあるか考えてみる必要があると思います。

2003年2月24日
日本経済新聞より
連載「日本病を断つ」がまた始まりました。今回は「特区攻防」です。
本文の中に「官僚は役職に就くと、以前から行なってきたその地位に係る事項が絶対的に正しいと思い込むようになる。」とかありました。これも昨日、書きました「自己解剖の勇気」がないことに原因があるのではと思います。これがない為、他からの正常なそして常識的な意見すら聞けなくなるのではないかと思います。
どうしてこのようになるのか。その原因の一つに「まともな情報教育の欠如」がある為と思います。例えばインターネットが使えるようになることは、単なる手段であって、「情報教育」の目的ではありません。日常の活動で、いろいろな情報を集め、それぞれの情報の価値判断を行ない、その中から新しい有益な情報を構築できるようにする。本来は、以前からの科目でもできるのです。ところが暗記だけの勉強ではこの力は付きません。どうしてか考えてみてください。

2003年2月23日
日本経済新聞より
連載「日本病を断つ」がまた始まりました。今回は「特区攻防」です。
「古いシステムに執着し、新時代への一歩を踏み出せない日本病が、再生の道を狭めている」とあります。この体質、別に官僚だけの問題ではないと思います。多くのところで見られます。これは、司馬遼太郎が「雑談 昭和への道」の中の「自己解剖の勇気」のところで話されていますが、国家として自分の欠点、失敗を自分自身で検証する勇気がないということです。個人レベルでもこの勇気のある人は少ないのではと思います。この勇気がないから、古いシステム、考え方にしがみつくのだと思います。同じ失敗を繰り返すことにもなるのです。

2003年2月22日
昨日の続き
やはり、評価の問題が大きいと思います。これは、どのような勉強法が良いかということとも絡んできます。いろいろな記事で見受けられるのが、例えば、「算数ができるようになると学校生活全体に活力が見られるようになった」とか言うようなものです。ここでいう「できる」というのは順番ではありません。具体的な計算であったり、文章問題であったりする訳です。相対評価の五段階評価で5をもらっていても学習内容が理解できていない場合、勉強に対する取り組みは低下します。そうすると、1とか2とかなどでは全く勉強する気力を失っている恐れが十分にあります。到達度でもって評価してやるのが一番良いのかなと思いますが、せめて、順番で成績をつけるのは止めてください。

2003年2月21日
昨日の続き
勉強しなくなる理由の一つとして物質的に豊かになってきたことが挙げられます。貧しさというものが今と昔では、違う感じで受け取られているようです。今では、余程でない限り食事に困るということが減りましたね。コンビニなどにも一杯食品が売られていますね。「取り敢えず食べていける」そんな感じももち、勉強内容で解らないところが増えてくると勉強なんかしなくなりますよ。勉強内容が解らなくなるほど進路など考えにくくなります。友達の言っていることなどから取り敢えず進路希望をもつ。でも、すぐ変わる。あるいは実現への意欲が沸かない。とかなって悪循環に陥っている生徒が結構多数出てきています。
どうすればいいのでしょうか。
絶対的な解決策はないと思います。対策の一つとして、アルバイトをさせるというのがあると思います。
他の対策は、明日以降にさせてください。

2003年2月20日
日本経済新聞より
連載「私の履歴書」今月はノーベル賞を受賞した小柴東京大学名誉教授です。
18日分よりです。「実験物理のよい研究者になるには、なりより実験がすきでなければならない。」と考えられています。これは「好きこそものの上手なれ」でしたか。ところで、勉強などで「好きな教科」ですが、本当に得意で好きというのは、なる程度以上深く理解できるようになってからですね。単に点が取れることで、得意だとか好きとか言っている人が多いですね。単に記憶するだけみたいな勉強しかしなくてもよい定期考査などをしていると、生徒は「記憶する→点が取れる→得意」と単純に思いこみますね。
今日は、ここまでにします。

2003年2月19日
日本経済新聞より
連載「私の履歴書」今月はノーベル賞を受賞した小柴東京大学名誉教授です。
18日分よりです。2002年3月の東京大学卒業式での祝辞です。
「あなたがたがこれまで勉強してきたのは受動的な認識だ。これから実社会に出て実務に就く人も、大学院に入って研究に従事する人も、これまでとまったく違った事態に直面することを覚悟してください。それは何事も自分の目で見て考えて判断する能動的認識ということだ。・・・・」と言われています。これは、何日か前のフランスの鉱山学校のエリート教育は、能動的な認識を高めるカリキュラムのように感じました。10年ほど前の放送で、当時東北大学教授の西澤潤一氏が次のようなことを言っていました。「今は、ハンドブックを見れば解ることを暗記することが勉強だいう風潮がある。そうではなく、何事も自分の目で見て考えて判断する能動的勉強をしてほしい。」というような意味だったと思います。
今の教育、考えて見てください。DVDーROMみたいな人を育ててはいませんか。DVDーROMは忘れませんが、人間は忘れます。思い違いもします。単に覚えるだけならDVDーROMの方が確実です。人間とPCの違いは何なのか考えて見れば今の教育、おかしいですね。

2003年2月18日
日本経済新聞より
連載「私の履歴書」今月はノーベル賞を受賞した小柴東京大学名誉教授です。
アメリカでの研究生活の体験から次のようなことを言われています。「たとえ、ノーベル賞学者の発言であっても、間違っていたらその場で誤りを指摘するのが科学者としての当然の態度であると思っている」です。これは、科学以外の分野でも日本よりこの傾向は強いのではと思います。このような態度ができるから「議論」ができるのではと思います。
日本みたいに「慎み」とか言っていたら「議論」にならないのでは。議論の場で何か白熱してもあちらは、後に尾を引きにくいようですね。日本は「ねちこち」があったり。そこら当たりを「改善」しないと発展的方向へと導くことは容易ではないですね。あ、それと政府の「公文書」公開なんとかなりませんか。欧米みたいの最終的には全ての文書を「公開」してほしいです。記録があるべき事項で「公文書」がない場合、その時、不正があったと見なしてはいかがでしょうか。日本の責任の取らせ方、「改善」してください。過去の人のドジで現在の担当者に責任を取らせないようにしてください。

2003年2月17日
日本経済新聞より
17ページ グローバル 面、本日はフランス「国立鉱山学校」です。エリート教育が盛んなフランスでトップともいえる学校のようです。日産ゴーン社長も卒業しています。受験資格はフランスのエリート養成機関のグラン・ゼコールの理工科学校などの成績優秀者だけだそうです。
カリキュラムですが、一年目は、国内の企業で技術者として学び、二年目は海外の企業でプロジェクトを統括する技術責任者として研修する。現場で経験を積んだうえで、三年目に初めて鉱山学校で授業を受ける仕組だそうです。研修中も通信教育などがあるとのことです。企業の経営事例を研究するケーススタディーのほか、企業と国家の役割分担、企業と社会のかかわり方なども学ぶそうです。
感じられるのは、どのような人材を養成しようとしているのか、そのレベルはどの程度にするのかの目標を持っているということですね。実際優れた指導者が出ているわけです。卒業後に長期にわたって活躍できる力を付けているからだと思います。目先の目標に振り回されている日本はいかがなものでしょうか。

2003年2月16日
日本経済新聞より
連載「私の履歴書」今月はノーベル賞を受賞した小柴東京大学名誉教授です。
本日の冒頭に、私にとって「物理実験の父」であるジュゼッペ・オッキャリーニ教授をはじめ、若いころに優れた「物理屋」に巡る合ったのは生涯の財産になった とあります。
若い時に一流に接することの重要性がここにも出ていますね。例えば、味覚は小学生あたりまでにどれだけ多くの味にであったかによるいうことを何かで聞いたことがあります。その時、一流のコック、板前の味を経験しているのとしていないのでは大きく違うようです。ですから、「おふくろの味」というのにこだわる人が多くいるわけですね。
日本は、いろいろなところで一流に出会う機会が乏しいような気がします。なにが一流かも見分けられない人が多く出てくることになるわけですね。

2003年2月15日
日本経済新聞より
連載「私の履歴書」今月はノーベル賞を受賞した小柴東京大学名誉教授です。「この実験(アメリカでの実験、お金もアメリカ、それも海軍の予算だそうです)を通じて、米国は度量の広い国だとつくづく思った。十数年前に戦争をやった国の人間に研究を指揮する主任研究者の資格と予算を与え、海軍にあれこれ指揮させてくれたのだ。」とありました。どうしてアメリカはこのようなことができて日本はできないのでしょうか。
アメリカは、今でもお金を出して多くの研究者を招いているようですね。必要なら国籍に関係なく教授とかしてますね。それで、時々、スパイまがいのことが起こるのですが。日本はどうでしょう。国籍条項に引っかかりますね。相撲の高見山(現在、東関親方、間違っていたらすみません)のとき、当時の文部省から補助金が出ているので日本国籍を取らないと駄目だという話で、実際、日本国籍にしましたね。
その昔、有名な日本人教授の奥さんがある大学の教授になる時、二重国籍が問題になりました。
国籍より日本にとって役に立つ人物であれば、いいではないかと思うのですが。やはり、村意識の延長線上ですかね。

2003年2月14日
日本経済新聞より
13ページの「たくましい企業」ソニーです。経営トップの条件として井出会長は「リーダーシップがあり、ノーと言える人物で国際人。何より技術が分ることが重要」とありました。
教育現場で言う文系、理系両方に通じている必要があるということですね。日本だけみたいですよ、文系とか理系とか色分けするのは。結局は弊害のほうが多いですね。秀でた経営者は両方に通じていますね。
昨年のある雑誌の中で三菱電器の社長も同じようなことを言っていました。銀行の融資が担保主義になってしまったのも技術の分らない銀行員ばかりを長いこと採用していた結果かも。
それと改革についても書いてありました。IBM前会長のガースナー氏によると「改革者にとって、一番の抵抗勢力は企業文化。弊害のある古い企業文化は打破すべきだ」とあります。「企業文化」を「学校文化」と置き換えて見たらどうなりますか。日本の学校教育、弊害がやたらと目につくのですが。

2003年2月13日
新聞より
本日は朝日新聞です。三菱自動車が、一般社員(非管理職)の賃金について、毎年増える定期昇給制度を廃止することを決めたそうですね。個人の業績評価を反映する成果主義型の「役割貢献給」を新たに導入するとのことですが、絶対的評価に対応することができたらうまくいくのではと思います。ところが、いままで、成果主義を導入して旨く機能しているところもありますが、失敗しているところも結構あるようですね。成果の評価に問題があるようですね。相対評価の年功序列に慣れ親しんできているのですから。まともに評価が出来るのなら、大卒の採用内定をあんなに早くする必要もないと思うのですが。卒論を軽視している現れですね。軽視される程度の大学もあるみたいですが。卒論等の学業の評価が出来ないからかな。どっちなのでしょう。

2003年2月12日
日本経済新聞より
9ページの「たくましい企業」2回目は、ソニーです。社内で「究極の高級品」づくりを始めているそうです。それは、他社の真似のできない高級品を作り出し、ブランドイメージを確立することが大事であるということである。ソニーの強さは独創的な製品づくりによるブランド力。人まねではないものですね。他社がやってもうけているからではない経営風土が強さの源泉では。リスクはつきまとうはずですが、それを乗り越えていっているわけですね。
価格競争から逃れるのはこの手しかないようですね。皆と同じを良しとする発想では無理ですね。

2003年2月11日
昨日の続き
昨日は、スポーツで書きましたが、学業のほうでも「非科学的」が盛んですね。
これは、試験方法が密接に関係しています。マークシートなどしていると選ぶだけだからを理解しようとしない。マーク対策の問題集レベルの低いのが多いですね。センター試験より易しい。勉強になりますか。そのあたりを分析する力も「科学」と違いますか。

2003年2月10日
昨日に続き
なにか問題があっても二流以下はその原因がすぐには掴めない。気がついた時には数年が経っていることになります。意味がない年月になっていることが多いですね。単純にそこで努力しても無駄な場合もあるということも考えてほしいと思います。
以上が、昨日の最後のほうです。
本人が選択した分については本人の責任みたいなところがあるのですが、二流以下の指導者の中には、単なる自己満足を生徒などに押しつけ、あたかもそれが本人の希望であるかのように錯覚させているのがいますね。それで潰される生徒こそ災難です。例えば、高校は将来の基礎を固める最終段階に差しかかっているだけでそこで成長が止まって良い筈はありません。あくまでも通過段階です。そこで燃えつきるなどさせてはならないはずですが、指導者や学校などの・・・のために潰されてきている例が多くありますね。親に潰される時もありますが。
その点、Jリーグの下部組織の養成はJリーグで活躍できる選手の養成ですね。中学や高校のように3年で結果を出す必要がないので、ヨーロッパで通用する選手が多数出てきはじめましたね。ヨーロッパ、選手寿命長いようですね。
それから、現代のスポーツは「科学」です。まず、科学(医学や心理学等も含まれる)的に考える時代になっていると思います。

2003年2月9日
日本経済新聞より
連載「私の履歴書」今月はノーベル賞を受賞した小柴東京大学名誉教授です。本日の分の最後のほうにこんな記述がありました。「世の中には自分に見込みがないことに気づかないまま、二流に成り下がっていく人が多いようだ。」です。一流の人に教えてもらい、一流になるであろう友人を持つと自分の力がよくわかります。一流になる人はどの分野に適しているか自分で気がつくようですね。二流はそこがあやしい。特に二流以下ばかりの集団の中にいるとその時の自分の能力を過大評価して後で泣くことになります。
なにか問題があっても二流以下はその原因がすぐには掴めない。気がついた時には数年が経っていることになります。意味がない年月になっていることが多いですね。単純にそこで努力しても無駄な場合もあるということも考えてほしいと思います。

2003年2月8日
日本経済新聞より
教育面に「今どきの子ども」 卒論 こだわりを大切に 足で調査  というのがありました。
大学において卒業論文は大事な教育活動ですね。このコラムでは、良い効果が得られた例ですね。私の感じでは、このように的確に卒論を指導出来る教授が日本にはどの程度の割合でおられるのかなと思います。なにせ卒論が必修でない大学もあるようなので。だから、企業も当てにしていないから4年次早々に採用内定できるかな。教授の質を高めてください。卒論必修にしてください。卒論の内容を充実させるように指導してください。

2003年2月7日
日本経済新聞より
一面の下部に「春秋」というコラムがあります。今日は、中高一貫の私学の中学入試の話から始めて官僚の「おおむね良好」との大本営発表についてでした。官僚の体質は、失敗を認めるといろいろな不利益があるからだと思うのですが、日本は、失敗した者の再挑戦に非常に冷淡ですね。官僚体質の原因の一つにこれもあると思います。失敗の原因の究明が不得意なのでしょう。だから、単純にそのときの担当者を生贄にするのでしょう。
中学受験のほうですが、人材の評価がデタラメなため、出身学校で行われているという意識が親にあるためと、公立校、しっかりしているところもあるのですが、酷いところが増えているためかな。私学にも酷いところがあるみたいですが。
公立不審で近くの私学の発展に貢献している地域もありますから。

2003年2月6日
日本経済新聞より
社会面に『教師の授業に生徒が「通信簿」』という記事がありました。運用をうまくすると非常によい制度なのですが、生徒に教師がつける「評価」と同様の問題があります。価値基準のあり方です。相対評価でも価値基準をハッキリ決めてそれにどのように相対するのかでするといいのですが、単なる上手そうとかになると、生徒に対する今の相対評価と同様の問題が起こります。
少し前の本ですが、予備校で人気のでる教師は「ここがでる。」と断言調で教えている講師が多いそうです。そして、じっくり考えさせる講師は人気がでないそうです。将来的に考えると「考える力」を養成するような授業の方がいいのですが、生徒自信が相対評価で見られ、穴埋めや択一式の問題でテストされている状態では、「ここがでる」式のほうが良いように思うのでは思います。
学力低下の一因が「暗記」で何とかなるという風潮だと思います。記憶で、人間はDVDーROMみたいな量は覚えられません。記憶量で「人格」というか能力を見るのであれば、PCの方が上ですね。人間の教育において何が大事なのかをしっかり考えて見る必要があると思います。
論述が出来るようになると、その分野のことはよく覚えてます。択一式で勉強しても覚えられないことまで覚えています。どうしてでしょう。これも考えて見ましょう。ですから、国立有名大学の受験者のセンター試験の得点率、高いですね。国立有名大学の二次試験、読解力と論述力などが必要ですね。

2003年2月5日
新聞より
今日は、どの新聞にも出ていると思うことです。「煙草」の包装紙に印刷される警告文についてです。今は、「健康のために吸い過ぎに注意しましょう」でしたか。ビールで炭酸が抜けたような警告文ですね。直接的な表現に改めるそうです。例えば、「肺に害がある」とか「妊娠している時は胎児に影響がある」などだそうです。
副流煙も警告文に入れるのでしょうね。昨年12月1日の朝日新聞の記事にあったノルウェーの例から日本での死亡数を換算すると、副流煙で年間約1万3000人ぐらい死んでいることになります。昨年の交通事故死の2倍近い数になります。この方の警告文を忘れないでほしいですね。
政府は、これ以外では、全ての公共の場での禁煙、それ以外のところでは分煙の徹底を法制化するべきだと思います。吸わない人の生存権を守るために。

2003年2月4日
日本経済新聞より
連載「政治家 かくも長き不在3」今日が、「知財立国」夢のまた夢 です。日本の政治家は、道路や橋などといった目に見えるものには熱心ですが、特許や著作権といた目に見えない財産が世界の富を左右にしているという認識が希薄だそうです。
Sony、電器業界のなかで元気ですね。音楽や映画、ゲームなどの部分が大きいですね。IBM、サービス産業みたいになっていますね。製造業でも特許、以前より大事になっているようですね。ビジネスモデル特許、大分やられているようですね。
製造業では、中国、韓国、台湾、ASEAN、インドなどの追い上げを受け、負けている部分も増えてきているようです。更に知的財産で抜かれるようなことがあれば、今の政治家、官僚、経営者、教育の現状からでは、巻き返しは困難だと思います。
教育に対する意識を変える必要があります。順番ではなく、「なにが出来るようになったか」など絶対評価的な基準で評価する必要があります。
留年や飛び級に対する意識の改革も必要です。<A href=http://www.jabee.org/ target=_blank>日本技術者教育認定制度</a>のような制度を全ての大学分野につくる必要があると思います。

2003年2月3日
日本経済新聞より
連載「政治家 かくも長き不在」昨日から始まりました。昨日が、「NOと言えぬ対米支援」。どうしてこうなったのですか。本日の分とも関係があると思うのですが、先を見通す能力の問題ですかな。危機に対しては、その場しのぎでなんとかするが、長期的展望に立って考えるという視点がないのですね。食料、どこから輸入していますか。自給率が40%を切っているのは主要国で日本だけですよ。あのイタリアでも90%前後はあります。原油の中東依存度は日本だけが異常に高いようですね。ドイツなどは分散しているし、中国も20%ぐらいだったのを10%ぐらいに低下させたそうですね。それにシベリアの石油についても日本より進んでいますね。首相もよく外遊します、中国のほうが。
政治家が国内の論理だけで行動しているからかな。農業保護といいながら、活力のある農家の足は引っ張るし、国民に高い食料を買わせていて低自給率。狂牛病の進入を許してしまう。これでは農政でなく「NO政」ですね。

2003年2月2日
日本経済新聞より
連載「デフレが蝕む 第2部 企業の興亡5」でしたか。企業の業績が回復するのに個人が豊かにならない。なぜか。世界の大競争時代、賃金の低いところとも競争ですね。そうすると、人員のリストラ、削減ですね。失業者が増加する。失業した人が景気良くお金を使いますか。使いませんね。
ですから、欧米では、必死になって工場誘致をしているのですよ。日本はなにもしていませんね。そのくせ税収にのみに気を囚われ過ぎていますね。結局、税収減になるは、経費は増えるはで、財政状態がますます悪くなっていますね。海外の事情を研究して、国内での就労場所を外資の導入でもいいから増える施策をしてください。

2003年2月1日
日本経済新聞より
教育面に「今どきの子ども」 必達目標 保護者に数値示し実践 というのがありました。なにが出来るようにならなければならないかを示し、それを達成できたことで子どもにも自信がつき、次の学習にも意欲が沸いてくる意味の記事です。どの校種においても一番肝心なのは、出席日数ではなく、その学習内容と出来るようななった程度のはずです。そこを見ずに相対評価で適当に成績を付け、時間数さえクリアーできれば卒業では、勉強しなくなりますね。勉強に自信がなくなれば、学校に行く目的は友人などと楽しく過すためだけになってしまいます。友人との付き合いは、学校に来なくても出来ることですね。そうすると、生徒指導と称して余計なことをする羽目になるのです。勉強が面白くないから、しなくなったから問題行動が増えるのであって、例えば、茶髪にしてから勉強しないのではなく、勉強しなくなったから茶髪です。学校関係者は、この順序、判ってない人が多いですね。