何か、大きな題にしましたが、こう思うのは特に官僚とか政治家などの話を聞くと「世界の中の日本」というのが分かってないと思うことがあります。例えば、コンテナ船の寄港地ですが、日本の港ははっきり言ってローカルになってしまっていますね。中継港ではないですね。関空は、世界的に見ればローカルかも。世界の他の港や空港との競争であるというのを官僚も政治家も自治体も認識してないから起こるのではと思います。


最近、この題ばかりですね。今日もです。愛知県の教師の記事が出ていましたね。「こんな問題も分からんのか」うんぬんです。内容は記事を読んでください。これでこの事件の問題は、この教師が、児童が「内容がわからない。理解できない」だから、学校に来ているということを忘れていることにもあります。簡単に分かるのなら学校に行く必要はないと思います。分からないから学校にに行っているのです。
ちょっと過激な意見「日本も学校に行かなくても良い制度や考え方を取り入れてほしいと思います。」


さて、日記の本題ですが、本日、高校の進路指導協議会でしたかその会長のインタビュー記事がありました。就労体験とかあったのですが、しっかりしたところで早い段階(小学校?)からバイト許可しとけばいいものを思いました。勉強しないものは、座学でいってもなかなか勉強が身につきませんね。


トップ記事に「工場の閉鎖・休止加速」という記事がありました。閉鎖や休止になれは、工場の法人税関係税収は減るのでしょう。従業員が、解雇にでもなれば所得税や住民税の収入は減るは、失業手当や何やかやの経費がかかるのでしょ。なら、工場がそこで操業を続けることができるような税制にするほうがトータルではいいと思うのですが。失業者が増えると、治安の悪化を招くとか、消費の低迷がひどくなるとかあるのにね。財務省は何考えているの? これは、世界レベルの相対評価ができないことによるのかな。世界レベルでない相対評価は、レベル低下を招くだけです。


相対評価ですが、世界を相手にしたときどの程度なのか。こういうふうな評価をお願いしたいですね。それと、戦前の軍部みたいな絶対評価も困ります。あれ、単に「帝国陸軍は世界一」と思いこんでいただけですから。あ、こんな事例、今でもよく見られます。庶民が思いこむのはまだしも、政治家、官僚、経営者、大学教授などでも見られるのが恐いところですかな。そうそう、普通の教師みたいな大学卒も。

高校生の就職難、採用側のほうの本音はどうなのかな。新聞などの記事から推定すると、「高卒は採用したくない」というのが感じ取れます。どうしてそのようになったのか。高卒ってなあに。基準がないからわからない。


日本の相対評価は、ほとんどの場合、その集団の中だけで、外部との比較、というか、なにか基準となるものと比較がないですね。だから、学力が低下してもわからない。危機感がない。となるのだと思います。


世界的な大競争時代、日本国内だけの発想で生きていけるかな。世界に通用する力を子供たちに。ええカッコいってます。今の日本の教育のレベル、通用しないのではと思います。その状態のなかでの相対評価、世界の競争のスタートラインにも並べません。


マレーシアですが、大分前に新聞で「最近、生徒が勉強しなくなった」などの記事が出ていました。その原因として、豊かになってきたので勉強しなくてもそこそこ生活できるようになったそうです。あちらは、そのあと対策が取られたと思います。日本は、まだ、マレーシアより豊かですね。勉強しないものが増えれば、相対評価では「あまりしない」でも、俗にいう成績は上がります。すると、更にしなくなる。悪循環です。
ところで、国立大学などの入試の個別試験の問題、よく見られたことがありますか。俗にいう難しいところほど細かい事項を答えさせていません。センター試験の得点率は、センター対策だけで良い大学より高いですね。どういうことかよく考えて見る必要があります。

中国の高級人材の話でした。残念なのは、アメリカの大学等で博士号をとり、アメリカなどで活躍している人ですね。日本は蚊帳の外みたいですね。<BR>どうしてでしょう。<BR>大学で勉強をさせないからでは。会津大学ができた年、外国人教授が「絶対的評価」で「出来ない者」に単位を与えず、4分の1ほど留年したらしいですね。すると、親などが当時の文部省に泣きついて、「補習をする」などの条件で進級させたそうです。その時、外国人教授は「出来ない者を落として、なぜ、悪いの」などのようなことを言ったそうです。<BR>学習意欲などに対してだけでなく、学力も絶対評価の対象とすべきです。それが、国際的にどの程度なのかも検証しないと日本はだめになります。


子供たちが勉強しなくなった理由は、大人がしっかりと水準を示さず、順番だけで判断していたからだと思います。豊かになると勉強しないのが増えます。すると、前と同じ程度の勉強で順番はよくなります。サボりは、手を抜きはじめる。悪循環。今時の子は、勉強しなくてもなんとかなると思っている。さらに勉強しない。

今の教育に大きな影響を与えているのが、企業などの新卒の採用に関する姿勢と人事評価ではと思います。優秀な人材と良く聞きますが、各企業どのように考えているか、応募しようとする者にわかるようにできませんか。外野には、なにか伝わってこないのです。

以下の書き込みのうち「絶対評価が私の意見です」。相手側は「相対評価に価値を置いている」と思われます。


「私」
初めて書き込みさせていただきます。ここの表題のとおり、私の本音を書かさせていただきます。思っていることを何回かに分けて書かせていただきたいと思います。
大体、日本は昔から「覚える」ことが勉強だと思いこんでいるようです。大学入試で「覚える」より、読解力、理解力、表現力などを重視する方向の出題に変えてきているように見られます。大分、前の出題になりますが、京都大学の生物で、よく読めば単純な遺伝の問題がありました。教科書や問題集ではお目にかからない形質です。できませんね。理解力のない子は。生物の置き換えができないのです。どうして、このような生徒が増加したのか、その答えとして最近辿り着いたのが、「教科書や問題集の字句を図形として覚えている。」というものです。問題集をそのままコピーして切り貼りする問題にはいいのかも知れません。これは長年の訓練によってそうなっていると思います。高校になって一科目だけが、論述やとかいっても直りませんね。センター試験ですが、ある進学有名校では、生物は、論述できるよう です。日本史は、時代の流れを理解し、余裕があれば歴史小説でも読んでみましょう です。読解力、表現力などは「すべての教科で訓練を行う」必要があると考えます。
言いたい放題させていただくことになりますがよろしくお願いします。


「相手」
カモメさん(でいいのかな?)、ご訪問ならびにカキコ、ありがとうございます!
まず、忘れないうちに…現在 222 hit!!(since 2002 09/23 10:36) という表示に出会いました。
ゾロ目の記録を残されるかどうか分かりませんがとりあえず、ご報告を…。

>ここの表題のとおり、私の本音を書かさせていただきます。
どうぞ!看板に偽りはありません!

>思っていることを何回かに分けて書かせていただきたいと思います。
連作ですね。楽しみです!

>大体、日本は昔から「覚える」ことが勉強だと思いこんでいるようです。
「読み書きそろばん」から続く日本の教育ですね。
それはそれで、一定の成果があったのですが、いつまでもそれではネ。

>大学入試で、読解力、理解力、表現力などを重視する方向の出題に変えてきているように見られます。
それは、各大学で努力してきているようです。
ただ、その先の企業や公務員採用テストなどが…まだのところが多いです。
大学としても、痛し痒しです。

>これは長年の訓練によってそうなっていると思います。
いわゆる昔の「テスト強い子」ですよね。
それで通用しているところも結構あるだけになかなか直らないように思います。

>高校になって一科目だけが、論述やとかいっても直りませんね。
それは言えますね。
プロフィール見ても分からなかったけど、ひょっとして高校の先生ですか?

>日本史は、時代の流れを理解し、余裕があれば歴史小説でも読んでみましょう です。
>読解力、表現力などは「すべての教科で訓練を行う」必要があると考えます。
そうですね。論文をかけない学生も、本離れが大きな原因のように思います。
ただ、今、問題になっているのは、分数の足し算をできない学生などのように思うのですが、
その点についてはいかがお考えですか?

>言いたい放題させていただくことになりますがよろしくお願いします。
いえいえ、そのためのページですから、遠慮なく、これからもお越しください!


「私」
初めての書き込みに際して、訪問ありがとうございました。その時とずれると思いますが、相対評価について、思うところを書かさせていただきます。
相対評価は、多数の受験者があり、テストの得点分布が「正規分布」のときに利用できるのではと思います。また、他の集団との比較のときには、集団相互の統計学的比較が必要になるのではと思います。当然、同じ問題を同じ日に使ってテストを行う必要も出てくるのではないかと思います。高校入試で使用する場合、中学校格差(これはあります。目を背けないでください。)をどうするのですか。悪くいえば、相対評価は、点数差さえでれば、どんな問題でも利用できます。
相対評価は、みんなでサボれば恐くなくなります。現実にそのような地域があります。
以上が、相対評価に対する私の本音です。皆さん、いかがお考えですか。
それと、多数の受験者ですが、私は、数十万人ぐらいを想定しています。

「相手」
まいどです!

>相対評価は、テストの得点分布が「正規分布」のときに利用できるのではと思います。
そういえば、そうですね。習ったような気がします。(恥)

>また、他の集団との比較のときには、集団相互の統計学的比較が必要になるのではと思います。
>当然、同じ問題を同じ日に使ってテストを行う必要も出てくるのではないかと思います。
大学の入試は下の部分だけを採り上げたようなものですね。
ある意味公平なのかもしれませんが、人柄や努力は評価できないです。
入試のばあ、評価でなく評定ですから、いいとは思いますが…。

>高校入試で使用する場合、中学校格差(これはあります。目を背けないでください。)をどうするのですか。
そこが大きいんですよね。
採用テストは会社によって必要な人材を採ればいいので、少しずつ改善されてますが、
入試の場合はセンター試験等で分かるとおり、個性的な試験は難しいのかも…。

>相対評価は、みんなでサボれば恐くなくなります。現実にそのような地域があります。<BR>
>以上が、相対評価に対する私の本音です。皆さん、いかがお考えですか。
実際の社会に出れば、競争が待っているのだから、教育でも相対でもいいという考えもあります。
heinrichさんが、評価については一言持っておられると思います。
heinrichさん、もしよろしければお教えください。


「私」
返答どうもありがとうございます。

>ある意味公平なのかもしれませんが、人柄や努力は評価できないです。
入試のばあ、評価でなく評定ですから、いいとは思いますが…。

公平でない要素が入っていいのなら「絶対評価」のほうがいいのでは。評定は何をもとに出すのですか。評価することが前提では。

>入試の場合はセンター試験等で分かるとおり、個性的な試験は難しいのかも…。

個性的な試験とかではなく、大学が、自分の大学での教育や研究に耐える学力と能力、意欲などが見分けられる入学者選抜方法を教授が片手間にするのではなく、専任で開発すべきです。さらに、追跡調査を行う必要もあります。大学も卒業生の学力が大学卒にふさわしい者のみ卒業させるべきです。

>実際の社会に出れば、競争が待っているのだから、教育でも相対でもいいという考えもあります。

日本経済新聞にあった記事から思ったことなのですが、家庭でのしつけなどの面もありますが実社会での競争に耐える学力保証がされていないから、企業は高卒を採用しなくなった面もあるのではと思います。評価基準のない相対評価をしているためではないかなと思います。競争のスタートラインに立てる学力を。

以上の書き込みのうち「絶対評価が私の意見です」。相手側は「相対評価に価値を置いている」と思われます。これで議論がストップしてしまいました。

新聞より
at 2002 11/29 20:20 編集
企業の勤務の評価の仕方が変わってきて、給与も年功主体から変わってきつつありますね。それに伴って兼業の禁止規定を見なおすところが増えているそうですね。中には、許可しているところもあるそうです。世の中、変わっているんですね。変わっていないのはどこかな。それ法が良いのかどうかも考えずに変わっていないところがあります。


新聞より
at 2002 11/28 19:58 編集
税制のこともこの頃良く出ますね。財務省(他の省庁も良く似たものですが)は、どうして目先のことばかりなの。
一例ですが、たばこ税については、健康被害等にかかる経費を考えると、もっと上げてもよいのではと思います。

企業の採用は
at 2002 11/24 12:49 編集
実力主義なら、アジア系の外国人の採用をもっと増やしてみたら。法務省という問題はありますが。

企業の新卒採用は
at 2002 11/23 20:58 編集
企業の大学新卒採用は、実力主義なのか。なら、どうして卒業研究もしていない時期に内定が出せるのか。日本においては、卒業研究が、その学生において「初めて調査、実験などをして資料を集め、過去の文献にもあたり、総合的に考えまとめ、発表する」ことを経験するので大きく成長するはずである。それを無視するお言うのは、大学教育を信用していないか、入学暦でのみ採用しているかどちらか、あるいは両者による判断かではないかと考える。

新聞より
at 2002 11/20 21:19 編集
本日の日本経済新聞に、大学の連載記事「大学が変わる」が始まりましたね。その中で、「企業に大学教育がバカにされている」と嘆くとありますが、卒業の基準がないのと同じようなええかげんな教育をしてきたからでしょ。今からでもいいからちゃんとした基準をもって卒業させるようにしてください。

新聞より
at 2002 11/18 20:09 編集
いつもこの題です。今日は、少しズレますが。ドイツのマイスターの制度、日本も良く似たことをしていましたね。職人では、いまもちゃんとしている人もいますが、いまいちの人も増えてきましたね。どうしてでしょうか。教育界は、日本では相対評価の基準ナシでした。職人でもそのようになってきているのか。家の手抜き工事などに現れていますね。疑われるので真面目な大工さんがかわいそうですね。

新聞より
at 2002 11/17 21:26 編集
日本には「研究の結果を正しく評価するシステムがない、と言われていると本日に新聞にありました。研究だけではないでしょ。教育の評価も、企業等での職務の評価もめちゃくちゃですね。一部まともなところを除いて。
評価するというのは、訓練されてできるものなのかも分かりません。少なくとも、絶対評価を受けていないものは、その意味がなかなか分からないようです。相対評価のみで評価されてきたものは、人間を評価するということの重大さをまるっきり分かっていないのでは思います。

新聞より
at 2002 11/16 10:22 編集
教育基本法の見直し論議が盛んにされていますね。でも、今の教育基本法の下での教育であるはずの戦後に教育を受けた世代のはずの現在の政治家、官僚、企業経営者、教育関係者の多くの考え方というかその根本にある日本人的なものは戦前と変わっていないと思います。
だから、同じ失敗を繰り返すのです。どうして「同じ失敗を繰り返す」ということになったのかも考える必要があります。村型発想(仲間うちのことしか考えず世界の中に日本がある言うことを忘れている)もそのままですね。
一部例外的な経営者や現場の労働者が日本を支えてきたのです。
その現場の労働者の部分が今、変調をきたしつつあります。

新聞より
at 2002 11/15 20:45 編集
日本経済新聞の「ザ・ディスクロージャー」ですが、本日は社長就任から現在までで「株の時価総額を1兆円以上増やした」社長についてです。
論客で情報や自分の考えを「積極的に開示してきた」社長であるということです。
これは、秘密主義が株式市場では敬遠されているということかな。行政でも同じことが言えるはずです。当然、政治もね。日本はだめですね。どう駄目なのかは各自考えましょう。

新聞より
at 2002 11/14 20:40 編集
日本経済新聞の「企業統治」の連載に「内部告発」の記述がありました。それで思うのは、日本人の司馬遼太郎のいう「自己解剖」のできないこと。内部告発も自己の検証を自己でする能力がない民族では、制度として告発者を十分に保護しておかないと機能しないのではと思います。

新聞より
at 2002 11/13 21:22 編集
日本経済新聞に「企業統治」に関する連載記事がありました。詳しいことは新聞をご覧ください。読んで感じたことは、これも日本得意の形式論(社外重役か監査役かどちらの形式がよいか)に傾いていますね。政治改革がいつの間にか「小選挙区制」論議になってしまった国ですから。

新聞より
at 2002 11/12 21:55 編集
土曜日の新聞に「貴乃花」の休場の記事がありました。膝のケガが悪化したためとありますが、これ、無理に出場させたためだと思います。あいかわらずですね。日本は。


本社の移転
at 2002 11/03 23:30 編集
新聞によると企業の本社が移転するところがあるという。その中で大阪から東京に移すところもある。東京に集まっていくということは、地方での職場が減っていくということではないか。工場のほうは海外に出ている。日本全体で見て職場が減るというこで「景気」は良くなりませんね。なんで工場移転を放置しているのか。国内での操業を続けれるように支援しないと失業者だらけになってしまうのに。税収も、法人関係の税だけでなく個人の税も減収になり、失業手当などの経費は余分にかかるようになる。悪循環に落ちいているのでは。