日本人のこと 司馬遼太郎の作品をいくつか読んだり、講演集を読んだり、大分前ですがNHK教育で放送された「雑談昭和への道」を見たりして今の日本の状態をいろいろ検討してみると基本的には変わってないような気がします。戦争前と。 バブル期のとき、土地やというとみんな殺到したりしたのはリーダーもいないのに戦争に突っ走っていったのとよく似ているような感じですし、日露戦争では勝因を分析せずにあとで同じ失敗を繰り返している(サリドマイドの薬害と薬害エイズの関係など)ように思います。 以上のことは、歴史に学ぶということがどういうことなのかということについてではないかと思います。私は、前のドイツのヴァイツゼッカー大統領の、戦後40年の演説「荒れ野の40年」の中にあった一説が「歴史に学ぶということ」に一番当たっているのではないかと思っています。この演説は、岩波のブックレットNo55で全訳が出版されています。お読みになられた方いましたら、お考えを聞かせてください。 それから、やたらと秀才が好きですね。日本人は。日本で言っている秀才とはなんなのでしょうか。誰か教えてください。 以下は1,999年2月20日UP 日本人についていろいろ考えるきっかけみたいなものは、30年ほど前の岩波書店の「図書」に大江教授の日露戦争についての論文を読んでからです。この教授の「日露戦争の軍事史的研究」を読んだり、日本の参謀本部、ドイツの参謀本部、クラウゼビッツの戦争論などの新書や文庫本を読んで、そしてしばらく途切れておりましたが、司馬遼太郎の作品をいくつか読み、講演集を読んだり、大分前ですがNHK教育で放送された「雑談昭和への道」を見たりしてさらに深く考えるようになりました。中国新聞社の「中国山地」も影響があったと思います。 私なりに思う日本人像は、土着(その土地から離れられないという意味)農耕民族で江戸時代からの村型社会がそのまま続いているように思われ、歴史に学ぶということがへたであるということかな。皆さんはどう思われますか。教えてください。 以下はThursday, 11-Mar-99 20:35:11UP 日本人のことを本多勝一氏でしたか、「めだか民族」と名づけられた方は。私もそのように思います。その理由として考えられることを一つ書いてみたいと思います。 長い間の稲作では(今でもかな)、みんなと同じようにしておれば、大きな失敗をせずに済んだし、また、田植えや収穫時期をずらすということは病虫害を一手に引き受けることになり、不利であったためではないかと思います。水の確保は一人では普通できませんし、茅葺きの屋根の改修も順番に村総出で行っていました。村八分が恐いのは単に付き合いがなくなるだけではなく、生活していくうえで重大な損失を招くからだと思います。そのような状態や江戸幕府などの政策で隣近所をものすごく気にする民族性ができてきたのではないかと推定しています。 以下はFriday, 12-Mar-99 17:44:43UP 前回書いたような理由で考えると、まわりの自分とは異質な者は排除しようとする傾向が強くなる。それから、常にストレスにさらされるため、なにか、少しでも異質な者や弱い者を虐めようとする傾向が出てくるのではないかと思います。ですから日本の社会はもともとからいじめ社会と思われます。クラブのしごき、新人いびりなどが頻発することになります。 以下はSunday, 14-Mar-99UP 日本企業において製造業の品質管理や製品の改良、応用において世界に通用しているは、ひょっとすると、長い間、狭い土地に縛りつけられてそこで生産を増やすことしかできなかった、そして、別天地に行くことを禁止されていたことに何らかの関りがあるのではないでしょうか。与えられたものを改良する。今あるもの(公表されている原理や考え方、可能性)だけで考える。教育も自らあたらしいものごとを見つけるための基礎としてあるのではなく、今までにわかっていることを覚えさせ、順位をつけるためにしている国ですから。
以下はWednesday, 02-Jun-99 UP この1999年3月期決算で多くの日本企業が過去から引きずってきた不良債権や隠し債務などの処理を一斉といい感じで始めました。会計制度が変わることによって隠せなくなることもありますが、ここでも横並びで処理をしています。また、物事の本質を考えずにそのうちなんとかなるだろうと、みんな揃って先送りした結果です。日本の近代史においても同様のことが見られますが。早く処理をした一部企業は新たな投資でより収益の出ることをしようと一歩先を行っています。
以下はThursday, 03-Jun-99 UP 以前、バブルのとき、土地融資で確か富士銀行(だったかな)のある人が融資は取引き事例法ではなく、収益還元法で決めるべきであると社内の会議で発言したら、左遷されたらしい。その後、どのようになったのでしょうか。その人の言うとおりにやっっておけば、不良債権に苦しまなくて済んでいるわけですが。あんな高値になって誰が何のために買うことができるのか考えたことがなかったのですね。メダカ民族ですから。その時の主流とは違うことを発言するのは非常に勇気がいります。これは、村八分が恐いからです。いじめ社会の日本ですから虐められます。そうは思いませんか。