日本は肝心なところにおいて世界で一番無責任な体制の国家ではないでしょうか。トカゲの尻尾きりはよくしていますが。これから、どのようにすればよくなっていくのか私なりの方法を書きますので皆さんで考えてください。


@ 過去の事項についてもう一度よく検討してみること。その際、悪意による問題以外は責任を追及せず、同じ失敗を繰り返さない方法を考え、実行すること。そして、同じ失敗を繰り返したときは状況によってしっかり責任を取ってもらう。特に情報を公開しなかったり、湮滅を図った場合には、厳罰に処す。なぜなら、また、同じ失敗を繰り返すことになるからです。
 Sunday, 13-Jun-99 記述


A 本日の日本経済新聞に中国の超常教育についての記事がありましたが、娯楽で勉強のできる子を1週間の集団活動で様子を見て採用するとありました。そして、実際に世界で活躍できる多くの優秀な人材は輩出しています。日本の入試とは大きく違いますね。もうひとつ、人間にはいろいろな能力がすべて備わっているわけではなく、それぞれの良いところを伸ばしていこうという考え方によるようです。日本はすべての子を単一のものさし(学力レベルを考えない単純な相対評価)で見ているのでこの考えを改めさせる必要があると考えます。文部省の役人や学校の教師が「すべての子を単一のものさしで見ている」人間の代表例ではないかと思われます。入試制度の改革を含む意識改革が必要であると考えられます。
 Sunday, 13-Jun-99 記述


B 9月30日の東海村の核燃料加工工場の事故は、日本の典型的なパターンとなりました。過去の事故例の反省がなされていません。まず、本当の意味での従業員教育がなされていなかったようですね。これは、安全性とはなにか、危険性とはなにか、がわかっていないために起こるものだと思います。すぐに論点があいまいになっていくのも問題です。次に、事故に対する危機意識の欠如、これにより、通報遅れや対策の遅れが出たりしていると考えられます。さらに、人間は失敗を犯すことがあり、機械は故障することがあるということを前提に安全対策をするべきであるのに、やっていない。こうなった原因はいくつも要素があると思いますが、成長の過程で子供に経験してもよいような失敗も経験させることを恐がりすぎているというのか、そのような風潮があります。そうすると、失敗しないようにや事故が起こらないようにが考えられなくなっているのでは思われます。子供の時からいろいろな経験をさせよウではありませんか。企業は採用試験のとき、大学や高校でやるべきことを応募者が消化しているかを見るとともに、何ができるのか、危機管理能力を持っているのかを見る必要があると思います。ただし、企業側も本当に働く能力を持つ人材を見つける力をつける必要があるとおもいます。
 1999/10/02 (土) 記述


C 最新号(2000/05/05に読みました )のサイアスに理科教育の危機についてありましたが、その中に某大学の名誉教授が日本語の論理性についての話が出ていましたが、そこに見られるのはそのときどきにおいて日本人(全てではありません)がありがたがっている地域のものがよく見え、自分のところのものがよくないように見ている典型のように感じられました。これも予断と偏見の典型ではないでしょうか。植民地根性まるだしです。漢字を使いだしたのは日本に文字がまだなかったためであり、その後、ある意味では世界に誇れる「かな」を作り出しています。しかし、この「かな」のおかげで難しい問題も起こっているのですが。カタカナのほうですが漢字を使った用語に翻訳せずにそのまま読みをカタカナ書きして知ったかぶりや物知りのふうを装ったり、先端のつもりでいる輩が最近とみに多くなっているような気がします。明治の学者は偉かった。ちゃんと漢字を使って翻訳してくれたから。
 英語の綴りはほぼ、単語の数だけあります。発音やニアンスや使われた位置で話し言葉のとき解釈します。カタカナではそこまで表現できません。そこで漢字を使ってください。 日本語に論理性が無いのではなく、使う人に論理性が無いからです。2000/05/06 訂正

 http://park23.wakwak.com/~u_tmame/ もどる