阿 弥 陀 如 来

 



勢至菩薩          本尊阿弥陀如来坐像        観音菩薩


 

阿 彌 陀

光明無量なるが故に阿彌陀と名づけ

壽命無量なるが故に阿彌陀と名づく

竪に壽命無量なれば三世に亙りて衆生に攝し

横に光明無量なれば十方に遍じて衆生を度す

所詮攝衆生の願の極まる所を阿彌陀と名づくるなり

          〜 流祖 西山上人

ありとあらゆるものを照らし出すはたらきが計り知れないほど満ち満ちているので阿弥陀さまといい、
尽きることのない尊い命への輝きもまた計り知れないほど満ち満ちているので阿弥陀さまという
時間の流れの中で親から子へ、子から孫へと授かった命も阿弥陀さまの不思議なご縁の中で
過去、現在、そして未来に亙って、私たちに命をいただいた尊さを気づかせるはたらきかけをなさり、
空間の流れの中で、自分を生かし、生かそうとするはたらきを与え続け、すべての世界に通じて、
苦しみ、悲しみ、悩み、迷う私たちを、気がつけば歓びに満ちた願いの中に置いてくださる。

私たちが本当に人間として生まれてよかったと歓びあえるところを阿弥陀さまと申し上げるのです。

月影の いたらぬ里は なけれども

ながむる人の 心にぞすむ

           〜 宗祖 法然上人

月が高い低いを嫌わず、すべての里を照らすように、
阿弥陀さまのお慈悲の願いも私たちにふりそそがれておりますが、
そのご縁に気づいた方の心にしかわからないのはもったいないことです。

阿弥陀佛に 染むる心の 色に出ば

秋の梢の 類ならまし

            〜 宗祖 法然上人

阿弥陀さまの尊さに気づかせていただいたら、
木々が秋にそれぞれの色をつけるように、
自然に阿弥陀さまに手を合わせる私がいました。

 

阿弥陀たのむ 身となりぬれば なかなかに

暇ありて 暇なの身や

            〜 流祖 西山上人

阿弥陀さまの尊さに気づき、救われている身と心にいただいたら、
自分のことしか考えず、してもらうことが当然だと思っていたことさえ、
あれもこれもとこちらの方から尽くしたい気持ちでいっぱいになりました。

 


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