![]() 桜井久雄 |
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| 戦後60年を経過し、戦争を知らない人たちが多数を占めるようになりました。 戦争の恐ろしさ、悲惨さ、愚かさを、若い人々に伝え、二度と戦争に関って欲しくない− そんな想いから、元新津市議会議員であり、社会党時代新潟県本部の書記長を務めた桜井久雄さんが、戦争体験者のもとへ直接足を運び、生々しい戦争体験を聞き取り、記録にまとめました。この貴重な記録の週刊連載をはじめます。 平和憲法が危険にさらされている今、ぜひ皆さん読んでいただきたいと思います |
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国民のあまたの命引き換えの
敗戦後60年。 改憲を党綱領に掲げてきた自民党は、05年(平成17年)11月22日の立党50年式典を期して「新憲法草案」を決定した。9月11日に行われた総選挙での圧勝に乗じた一大攻勢の急展開である。 憲法を身体に刻んでいる 松本正平さん(84歳)は、今の日本国憲法が保障する平和や自由、権利のもとで、額に汗する勤労国民の一人として懸命に生きてきた。妻ヨシイさん(82歳)とともに人生の苦しい山坂を踏み越え、3人の子どもを育て上げた。その彼は、日本国憲法が「国民のあまたの命と引き換え」だったことを、あの戦争の命がけの体験で身体に刻んでいる。自分でも、よく生きて帰って来られたものだと思う。あの4年間は、生と死が紙一重で隣合わせだった。 これは、小学校同級生の母親が、戦地から息子の代わりに帰ってきた骨箱を抱きしめ,あふれる涙と胸の悲痛が絞り出す声を抑えきれなかった姿を、後に思い返して浮かんだ歌である。当時の‘軍国の母’は子供の戦死を泣いてはならないことになってはいたのだが、これが人間としての自然の真実の姿であり、今でも松本さんの目に焼きついたままである。彼自身は飛び交う弾雨の下、粉みじんに一身が吹っ飛んでしまう危険に幾たびもさらされながらも、幸運にも骨箱に入れられずに済んだ。
あのころ、つまり日中戦争(1937年=昭和12年)の開始から太平洋戦争(1941年=昭和16〜1945年=昭和20年)の敗戦に至る8年間、数百万人の日本国民が兵隊として戦争に駆り出された。召集令状(くすんだ赤色の紙だったので俗称‘赤紙’)という絶対逃れられない国の入隊命令通知状によって。また‘花も蕾の若桜’と洗脳されて志願した 10歳台の少年兵として。敗戦時の陸海軍兵力は720万人(他の資料では 789万人)だった。 靖国には約250万人が祀られて
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