このホームページはエンディングノートのかわりに書いていますので、一般のホームページと違います。
更新は「雑記帳」に記入したときに行っています。更新日まで元気で生きて いた証としての連絡も兼ねて更新していますので、20日以上更新が途絶えたときは身体に異変が起きたのかもネ???
ただ、パソコンの故障も考えられるので電話確認してください。更新記録は3月-4月に移りました。
ホームページのソフトは2本ありますが、ボケ防止のためメモ帳を使いHTML・XHTMLの混ぜ合わせで細々書いています。
(アニメ画像はFREE BIRDより)
今年もよろしくお願いします。
毎年年頭に計画はたてるものの、この数年は何もせずに終ってしまった。
今年は計画通り実行する事が出来ればよいのだが?
池も氷が張り、沢までも凍ってしまった。ボケ老人には厳しい越冬生活になりそう。 1月1日
(写真は庭の池と落葉した木々-池に井戸水を入れている)
ニュースで豪雪地帯を見ると雪の量に圧倒される。幸いなことに此処では今年になって積もるほどの雪は降らず助かっている。
ただ、寒さ厳しく今朝8時の気温はマイナス11度でした。12月にポンプを凍らせてから、台所の水を一日中出している。
今問題なのはトイレである、不凍栓は付いているが、配管の一部が下がっていてそこに水が溜り、凍結するのだろう。
トイレの広さは3畳程度あり、母が倒れたときに、いずれ車椅子を使うだろうと、横付けできるように造ったが、車椅子を使う前に他界した。
この広さのため、使用する前にストーブを点けて室内を暖める。今日は長時間暖めても水は出てこない。
電気ストーブをトイレの凍っているらしい場所に向けるとすぐに出てきたが、洗面台のほうは解凍と共に管がはずれ水浸しになってしまった。
洗面台を撤去してストッパーを取り付け応急処理をした。
このトイレを造って20年、結露のため大分痛んでしまい暖かくなったら改修工事を行ないたい。
この寒さのため、凍結事故は私だけではないだろう。業者を呼べば何万もかかってしまう。
その点、井戸掘り、ポンプの据付、配管(市町村の水道は業者ではないと行なえない。個人の井戸は問題ない)など全部行なったので、修理も自分で行なえるので出費はなく助かる。
今からこの寒さでは1月末の寒さはどうなるか心配している。 1月9日
昨年の冬は自動車も新しくなり、冬用のタイヤに換えて1週間に一度買い物にも出かけていた。
以前は積雪のある間は買い物や病院にも行かず雪解けを待っていた。
今年は以前のように買い物にも行かないことにする。もちろん、病院にも行かないほうが、ここでは長生き出来そうな気がする。
今眼科に月1回通院しているが、待ち時間2時間、一番細菌の散らばっている病院の空気を2時間も吸うと必ず、風邪などをうつされてしまい2-3日体調が悪くなることもある。
インフルエンザなどにかかり、潜伏期間中に大雪になったら大変なことになる。
拾年も前だろうか、腰の辺りまで雪が積もった。この時雪解けも遅く90日間人間に出会わなかった。今回はまだ積雪はないが、あまり人間に出会わないかも知れない。 ここは、人類よりも猿類のほうが多い所でもある。
ここでの生活は、夜7時には床に入るが、すぐに眠られるわけでもなく、12時近くまでテレビを見てしまう。
そして、起きるのが日の出の時刻。山に囲まれているので今は8時頃であるが、日の出が早くなるにしたがって起きる時間も早くなる。
朝食の支度、食事後10時頃から、5畳程度の小さな部屋で昼食を挟んで2時頃まで過ごす。
この部屋は秋蒔き草花の越冬のために作ったものであるが、今は改造し私の越冬小屋(別名サンルーム)となっている。
この小屋は、天気のよい日は冬でも暖かく過ごしやすく暖房費の節約となる。ただ、曇りの日は役に立たずパソコン室で経済関係のデータを見て過ごす。
越冬小屋で、冬季学習と称して毎年何かを勉強しているが春になると勉強したものを忘れてしまう程記憶力はすごく減退してしまった。
2時頃には、この部屋も寒くなるので、パソコン室に移動し時間を潰し、夕食の仕度時間までこの部屋にいる。そして、また7時には床に就くのが繰り返される。 1月9日
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| 越冬室外部 | 越冬室内部 | 越冬室内部 | パソコン室 |
| 思い出-その8 |
一九九二年六月、体調の悪さ等総合的に考慮して仕事を止め、山梨の雑木林の中で静かに余生を送ることを決意し七月に横浜から移動してきた。
もう労働収入は無いので少し不安はあったが、そろそろ景気も回復するだろう、景気さえ良くなれば少しは株式運用益によって派手な生活をしなければ、暮らしていけるだろうと思った。
今から思えば安易な考えであった。景気は良くなるどころか、なお悪くなり銀行が倒産するほど多額の不良債権を抱えているとは思ってもみなかった。
一九九三年、小沢、羽田らの一部が自民党を離党して、野党が数党集まり「細川内閣」が発足した。国民には人気があったものの景気のことは考えず、政治改革、政治改革と予算案提出まで後回しにしてしまった。
この様な内閣では景気がよくなるはずもなく、佐川からの政治資金の個人的はスキャンダルで失脚した。その後、羽田内閣が出来たものの二ヶ月の短命内閣だった。
一九九四年六月末、小沢の強気の態度に組んでいた社会党が反発し、自民党と組んで村山内閣となった。阪神大震災もあったが景気に少し明るさが見えた一九九六年一月に橋本内閣に引き継がれた。
私もこの人ならば景気をよくしてくれると期待した一人だった。しかし、折角上向きかけた景気をこの橋本は、消費税の引き上げ、健康保険料の引き上げ、そして発言することは将来に対して暗い見通しばかりだった。
政治家は国民に対して、出来なくってもよいから夢を与えなければ、池田勇人の所得倍増計画、田中角栄の日本列島改造論などのように。しかし橋本は国民から夢を奪ってしまった。
そして消費は冷え込み景気は下降局面に入ったが、経済企画庁や日銀は「景気は緩やかながら回復している」と数ヶ月発表していた。
そして、北海道拓殖銀行の倒産、山一證券の破綻である。
一九六五年にも、山一證券は倒産の危機があったが、当時の大蔵大臣の田中角栄は山一を潰せば金融恐慌が起こるとして、日銀の特融を行い救った。その後、相場が回復し山一證券は国に借入金を全て返済した。
だが、橋本首相、三塚大蔵大臣、長野証券局長は日本経済全体のことを考えずに、山一證券を破綻させてしまった。もし、この時救っていたら、十年以上も続く不景気はおきなかったろう。
消費は更に冷え込み、失業者は街に溢れ、企業はばたばた倒れ国民の不安は日増しに強くなり、橋本の人気は急落したが、橋本は己の失政に気づかず、財政改革法まで成立させてしまった。そして、半年後にこれを修正するという失態を行うことになった。 目先だけしか見えない橋本。
不況のため、中小企業の三人の社長が、ホテルで首吊り自殺する事件まで起こった。日本景気の下降は、東南アジアの経済まで悪くした。そして、東南アジアの経済の悪さが日本の景気を更に悪くすると言う悪循環まで起こっている。
外国からは、内政干渉とも言える発言が相次いだ。日本を罵倒する発言もあった。言われても仕方ない、橋本の失政、人気は史上最低となり参議院選挙で惨敗、橋本内閣は倒れた。
小渕内閣が出来たが人気はなかった。国内では長銀(今の新生銀行)問題が景気の足を引っ張った。野党は参議院で過半数をとっているので、金融再生法案もなかなか進展しない。
野党も共産党以外は一度政権をとっているので不況には責任があるだろうに、ゴネドクのようにじらしている。
国外では、ロシアの経済危機、そして中南米の経済もおかしくなったらしい。米国の株式市場もどうやら天井をつけて下り坂に向かいそう。(当時の話)
前置きの文が長くなってしまった。
一九九七年のある日の朝、証券会社の担当から電話があった。「山一證券が危ない今なら百円で売れるのでどうしますか」確かに山一に何かが起きていることは文字放送の値動きを見ていたので知っていた。
百円で売って、手持ち五千株五十万円である。買値は高く五千株で三百五十万円。どうするか迷ったが、一九六五年のこともあり、田中角栄より学歴もある橋本や三塚が山一證券を潰したら、日本経済がどうなるかは知っているはずなので潰すことはないだろう。
どんなに値が下がっても破綻だけはしないで欲しいと思いながら、担当のものに売らずに持っている万一のときは覚悟していると伝えた。
その後、株価は急落し二桁台、社長が変わり立ち直りを見せ百円程度に戻したが、休日明け自主廃業の道をとってしまった。これで、買値三百五十万円が紙屑となってしまった。
これが発端となり、他の株式も値下がり、特に不良債権処理を進める銀行の売りが凄く、値下がりが値下がりを呼ぶ暴落となった。
他の持ち株も例外ではなく、買値の半分、四分の一などきつい値下がりだった。預金も少なく途方にくれたが良い考えは浮ばなかった。
景気には波があり、十年-十五年の周期でやってくる。過去にも神武景気、岩戸景気など名の付いた景気もあり、その後には必ず不景気が来た。
株式相場の格言「山高ければ谷深し」のように、バブル景気が凄かっただけに、今度の不景気も長引きそうである。
景気回復のときに、今値下がりをしている株式を売って生活したら、後悔することになるどんなに値下がりしても必ず値上がりする。時期が来るまで死守しなければ。
手持ち資金殆どなくなり、国民年金申請するが六五歳になっていないため減額、月三万円台それでも何とか生活しなければならなかった。
ここは山なので、山菜、野草、キノコなどあらゆるものを勉強し食べられるものは食べ、生まれながら貧乏には慣れているので何とか切り抜けてこられた。
やっと株式市場も活況、もし橋本が山一證券を救っていたら、何万の経済的自殺者も起きなかったのではないだろうか。もっと日本経済も早く回復していたろうに。
それにしても、山一證券会長の行平、社長の三木、この山一に飛ばしを指導したと言われる長野証券局長、今活況の株式市場をどのように眺めているのだろうか。(肩書きは当時のものです)
株式投資は全て自己責任において行なわなければなりません。その結果の貧乏なのですから自業自得でしょう。でも、良い薬になりました。
救いは信用買いや空売りをしなかったから持ちこたえられたと思います。
今、ライブドアの問題が起こっています。若者の中には信用取引の恐ろしさを身にしみる人もいるのではないだろうか。
思いでは今回をもって一応終わりとします。書き続けると「負け犬の遠吠え」と言われますので、続きは巨万の富を得てから--
(巨万の富*本気にしないでネ--ボケ老人の戯言ですから)
一月一八日
この縦書きはネットスケープには対応していません。
今は外部スタイルシートを使っていますのでソースだけ見てもタグの内容は分からないかもしれません。1月18日
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昨年12月26日に最後の買い物に出て越冬生活に入りましたが、1月26日現在この周辺には雪はありません。
したがって、越冬生活をする意味はないのですが、備蓄食料の更新のため古い食料を消費する必要があり、我が家の年中行事のようなものです。 運動は現在行なっていません。晴れて風のない日などに1時間程度散歩に出かけます。
秋には熊の出そうな森を抜けると舗装した林道に出ますが、この季節人に出会うことはありません。 |
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昨年6月に書いたものだが、ソースを見て感ずいた人もいると思う、img の名は(wana)となっている。
イノシシに庭を荒らされ頭にきたので、一番荒らされる場所に幅90センチ角、深さ1メートル80センチの穴を4日もかけて掘った。
そして、細い竹で穴を隠しその上に芋を乗せておいたが、芋だけ取られてしまった。多分猿に取られたのだろう。
その頃から庭にイノシシが現れなくなり結局捕まえることが出来なかった。
もし捕まえたとしても食べるには、役所の許可やいろいろ大変だったろうから、捕まらなくて良かったと思う。
サルやイノシシは私よりも先にこの地にいた、先住動物なのだから少しは仲良くしなければ。
穴は危険なので枯葉を詰めて腐葉土作りに利用する。水の出そうもない所に井戸を掘る馬鹿いないものね。1月26日