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日本周遊紀行(229) 糸魚川 「姫川」

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「糸魚川・静岡構造線」に沿って流れる「姫川」・・、

「姫川」は、フォッサマグナの西縁、いわゆる糸魚川・静岡構造線に沿って白馬村から糸魚川市まで流れている。
チョット大袈裟に地球規模からいうと、北アメリカプレートがユーラシアプレート(主にアジア・ヨーロッパ大陸の殆どをで、全陸地面積の37%を占めるという)とぶつかり合い、地下深くに潜り込むというの活動が、この姫川流域で地表面や地表近くに出現していると考えられている。 
姫川は、まさに日本列島を東西に分割する大断層に沿って流れる川なのである。

その姫川流域は、北陸の海岸や富山県の翡翠海岸など国内でも有数の翡翠(ひすい)の産地で知られる。 
糸魚川−静岡構造線
(フオッサマグナ)に関係する激しい断層活動、造山運動で鉱物の変成作用が起こり、地上に揉(も)みだされ地表付近に出現したといわれる。 
硬玉ヒスイの産地のひとつ姫川支流である小滝川の「ヒスイ峽」の翡翠は特に良質であるといわれ、そのため糸魚川市、青海町の産地共に国の天然記念物に指定され、一般の人の翡翠の採掘は禁じられている。 

現在市場に出ている翡翠宝飾品の大半は海外、主にミャンマー産とみられている。 
東洋では特に重宝がられ、中国では他の宝石よりも価値が高いとされている。 石言葉は長寿、健康、徳で、緑色のものが最も価値が有るという。
 

姫川は糸魚川・静岡構造線にそって、南から北へほぼ一直線に流れている。
姫川の源流域は白馬連峰に端を発する支流の松川・平川の扇状地が分布し、平坦な盆地(白馬盆地)を形成しているものの、流域の大半の地形は白馬岳をはじめとする標高2000mを超える山々が連なり非常に急峻である。 

水源は白馬村の親海湿原湧水群(日本100名水)といわれるが、元々の水源は青木湖であったとされ、佐野坂の地すべり堆積物によって堰き止められたと考えられている。 
そのため、親海湿原(およみしつげん)の湧水は青木湖からの浸透水であるともいわれる。

白馬村から発した水流は、北アルプスの北端と妙高山系・雨飾山の山峡の狭い空間を一級河川の「姫川」の急流となって流れている。 
全長わずか58キロで平均勾配100分の1・3、つまり100mにつき1・3m下るという急流である。 
その流域は信州・長野と上越・新潟地方とを結ぶ国道148号線が走る数少ない交通路であり、又、大糸線が並行して走る交通の要衝でもある。 
その河岸には道路、鉄道に沿って民家もひしめき合っている。 


姫川は麗々しい名前とは裏腹に、「暴れ川」として知られている・・、
 

その急流さのため豪雨による度々の洪水に襲われている。 
土砂災害も絶えず、道路や鉄道が不通となることも度々であり、近年では平成7年の大洪水で鉄道、道路がかなりに亘って流失寸断された。 又、翌年にはこの災害復旧工事中に土石流が発生し作業員14人が死亡している。

又、姫川は糸魚川・静岡構造線にそって、南から北へほぼ一直線に流れているが、周囲の地質は非常に脆弱(ぜいじゃく)であり、地すべり地形が広く分布する。 
特に千国、小谷地区に到ると山稜が急激に狭まりトンネルが連続するところ、そこに大きな支流の「浦川」(中土駅の北側)が流れ込み、この上流に「稗田山崩れ」という大崩壊地が見られる。 

稗田山崩れは日本三大崩れの一つとも言われ、(富山県立山・「鳶山崩れ」、静岡県安倍川上流・「大谷崩.れ」)明治44年(1911年)、稗田山(ひえだやま・コルチナスキー場の北側)の北側斜面が大崩壊し、大量の岩石土砂が支流の浦川を急流下して姫川河床に堆積し、高さ60m〜65mの天然ダムを形成してしまったという。 

堰き止められた姫川は「長瀬湖」と呼ばれる湖を出現させ、川沿いの集落で死者23名、負傷者・水没家屋多数などの甚大な被害を与えた。 
この辺りの集落であった来馬地区の川原の下には、明治時代当時の宿場町が、今でもそのままの形で埋まっているともいわれる。 

「稗田山崩れ」の詳細は以下に・・、
「稗田山崩れ」・・、http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/d-2.htm 
「稗田山崩れ」・・、http://orimasa2005.blog101.fc2.com/blog-entry-15.html 

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気分も晴れやかに、糸魚川の平野から山峡の地へ入り込んでゆく・・、

白馬方面へ近ずくにしたがって、空模様も明るくなり、小谷村の栂池高原の入り口である「白馬大池」辺りへ来ると、薄日も差して晴れ上がってきたようである。 
山間の地を抜けると、いよいよ白馬村である。 白馬盆地といわれる山あいの平地が大きく広がり、右手に広大な北アルプス・白馬連峰の峰々が出迎えてくれている。

昔の旅人は牛馬を連ねて、姫川流域の北アルプスの山峡の急峻な地を、艱難辛苦しながら、はるばる練り歩き超えてきた。 
そして、ここ白馬の平穏な地まで来て初めて一息入れ、おまけに、この絶景を見て心を安め、明日への活力を得たという。
 

その白馬三山である主峰・白馬岳、杓子岳、鑓ヶ岳は未だ白き衣を纏ったまま、小生を迎えてくれた、有難かった。
一事を成し遂げた満足感からも胸が熱くなり、長旅で緊張感がほぐれたことも手伝って目頭が熱くなるのを覚える。 

因みに、地域である白馬村やJR大糸線の白馬駅はいずれも「はくば」と呼称するが、山岳における白馬連峰、白馬岳の呼名は「しろうま」と称してる。 残雪期になると、山の傍に「代かき馬」、「代馬」のような雪形が現れることから代馬から変じて「白馬」になったと言われる。

白馬山系は日本一の高山植物のメッカであり、多くの行楽、登山客を迎え、山麓には長野県はおろか、全国有数の広大なスキー場が広がっている。 
その八方尾根の南側には「白馬のジャンプ台」が隣接している。 
ラージヒル、ノーマルヒルと平行して並び、その存在はすぐ確認できるが、夜はライトアップされて、その曲線が美しく、いっそう存在感がある。 

白馬のジャンプ台は、オフシーズンには観光見学用として一般公開している。 
二人乗りのリフトを乗り継いで、透けて見えるデッキプレイとの階段を登るとき、余りの高さに身震いを生じるのである。 
さらに展望デッキへ・・、実際にジャンプ台を生で見ると心の底から「このジャンプ台から飛び降りるなんて、それだけですごい」という気持ちになり、あの長野冬季オリンピックの名場面が浮かんでくるのである。

原田選手が開会式後のインタビューで「鳩になってみようと思います」、なんて気の利いたジョークを飛ばしていたが、いいジャンプをすると鳥になったような気分を味わえるというのは、少しもおおげさな表現ではないのだろうと感じる。 

ジャンプ台の下には記念館があって、当時の長野オリンピック、ジャンプ競技の感動的な記録が展示してある。

次回は、最終章、「長野冬季オリンピック」、白馬の感動をもう一度・・!!。   Part9(白馬)へ

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