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日本周遊紀行(220)能都 「石仏山祭」


石仏山祭
写真(資料):3月の残雪の中の「石仏山祭



縄文式祭礼と言われる「石仏山祭」の不可思議・・??、

国道249は能都町の宇出津(うしつ)辺りから再び海岸に出た。 
能都町は現在、「能登町」に町名が変更になっているようで、能都町、内陸部の柳田村、内浦町とが平成17年3月1日付けで合併し、「能登町」が誕生している。 
能都という地名も意味ありげだが、能登町もこれはこれで結構な町名である。

北陸の地、能登地方は「お祭り・行事」が多いことは前に記したが、ご多分に漏れず、こちらの町も実に多くの祭があり、ザッと数えても15〜16もの大小の祭事が行われている。

中でも気になったのが「石仏山祭」という祭事・神事である。

穴水町との町界近く、山田川を遡った辺りに柿生神道地区というのがあり、その名が示すとおりの古代神道形式の祭りがあるという。 
近くにはコンモリしたその名も石仏山(潔界山)という山があり、そこに立つ巨石を信仰対象としたお祭で、例年3月1日、2日にかけ例祭が行われるという。 

「田の神」、「山の神」として信仰され、3月1日の宵祭りには祭神が田の神として里へ下り、豊作の予告と必要なエネルギーを人々に与えると伝えられる。 
翌日は、打ち鳴らす太鼓を合図に人々は石仏山へ入り、急な坂道を上ると中腹に前立ちという高さ3m、幅60cmの巨石があり、左右に小さな石が並んでいて、これは大己貴命(大国主)の霊代とされていて、ここが祭場となる。  

特徴的なのが境内において古来社殿を設けたことがなく、賽銭を入れるところもないとする。 それは伝説によると、この神様は特に「自然な清浄」を好み「人工」が嫌いとされ、過去数回社殿を造営したが一夜で潰れたしまったという。 そのため社殿を設けなくなったと言われている。

石仏山は、潔界山とも言われ今日までも珍しく女人禁制の霊山として、女子14才に達すると境内に入れない不文率がある。 
祭式は、古代の祭祀様式そのままであり、巨石をご神体として祀る石神信仰に基づく古い形態の祀りで、原始神道を今に伝える巨石崇拝の神事なのである。

ところで、この地区よりやや離れてはいるが、九十九湾の近くに「真脇」という地域がある。 
ここは縄文期の遺跡が大量に発掘された処であり、遺跡は縄文前期から晩期のものまで途切れることなく遺物・遺構が出土しているという。 

凡そ、4000年もの間この地で人々が継続的に生活していたとされ、遺跡の中でも列柱といわれる天と地をつなぐ縄文のシンボルの様な木柱群などがあり、しかも整然と並ぶその様は時空を超えて我々に何かを語っているという。

現在は公園化され憩いの場所になっているが、いずれにしても能登の地域には縄文期の頃から多くの人が多数住み着いていたことが伺え、当然、石仏山の祭事との関連も有るものとしている。 
これは驚くべき事で縄文時代当時の様式の伝統文化を、そっくり、そのまま現代に継承しているのである。
 

ところで昨今、祭りブームとやらで、祭りの内容も時代と共に華美になり、賑やかになり、派手になって、祭りの果てには傷害や死亡事件まで発生しているところもある。 
それは祭りの本来の意義をすでに逸脱してしまっていて、一種、催事としても見受けられる。

又、最近では行政主導といわれる「まつり」もあり、住民に連帯感を持たせるとか、大勢の観光客を誘致し、商品の宣伝や観光だけが目的であったりする。 
こなると本来の祭りではなく一種のイベントであろう。 

これはこれで良いと思うが、このように俗化された「まつり」をヨソに、古式に則るというか、縄文時代当時の様式、伝統をそのまま伝承している祭事には改めて驚愕致すのである。 

能登は、これ一つとっても素晴らしいところである。 イヤ恐れ入りました・・・!!。


尚、同公園には「縄文記念館」が併設され、開館したのがH9年9月19日であった。 
これは平成8年9月19日に天皇・皇后両陛下が能都町に、そして真脇遺跡にお越しになられた記念として、その翌年の同日にオープンしたという。 

九十九湾を意識してか、九の字を並べた訳であろうが・・?、これはこれで実に結構なことである。

次回は、能登島

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日本周遊紀行(221)七尾 「能登島」


農道橋
能登島に架かる農道橋


能登島大橋
和倉温泉へ通じる「能登島大橋」



能登半島を巡って、穴水町に戻ってきた・・!、 

能登の内浦を更に入りこんだ七尾湾の湾口に能登島という巨大な島が浮かび、波消しブロックを置いたような海域になっている。 
この島が七尾湾を北湾、西湾、南湾と三つの湾に分断していて、従って海面は鏡面の様に凪いでいる。そんな北湾の北に穴水港があり、周辺海域は更に複雑な入り江を成している。 

海域の穴水は古来より「海の幸」が豊富なところであり、牡蠣、サザエ、白魚(いさざ)などなど、これらの豊富な食材をキャンペーンを兼ねて、四季折々の「食材祭り」というのがあるらしい。 
穴水ではこれを「まいもん祭り」と称し、「まいもん」とは、能登弁で「美味いもの(うまいもの)」という意味だそうで、「穴水まいもんまつり」は、春夏秋冬四季折々の旬の能登の味覚(=まいもん)をお客様に提供しながら、自らも豊かな食材を楽しもうという、何とも羨ましい祭りなのである。 

春の陣、夏の陣、秋の陣、冬の陣の各期間に分け、春はいさざ祭り、夏はさざえ祭り、秋は牛祭り、そして、冬は牡蠣祭りと実に多彩である。 これらは役所自体に「穴水まいもんまつり実行委員会」という組織があって、各々音頭をとって実施しているらしい。 いやはや、羨ましくも、結構なことです。
  

七尾湾の鏡のような美景を左にながめながら、七尾線が並行して走る国道249を南下する。
目の前に、七尾湾を塞ぐように能登島の大島が迫ってくる。 

島によって隔てられた三方の海を大口瀬戸(湾・北側入り口)によって穴水町と、三ヶ口瀬戸屏風瀬戸及び小口瀬戸(湾・南側入り口)によって七尾市の本州側と対している。 
その三ヶ口瀬戸に架かる中能登農道橋(ツインブリッジのと)を渡る。 「農道橋」という地味な名称であるが、何の々々、最近開通した実に立派な吊橋である。 
袂(たもと)に園地が有ったので、一服しながらカメラに収めた。
 

能登島の西岸を進みながら、次に本陸へ戻るため能登島大橋をめざす。 

能登島は二つの橋が架かる以前は湾内の本土の眼前に在りながら、陸の孤島ともいわれてきた・・?、尤も、孤島ではあるけれど古来より人が住み着き、遺跡によれば縄文期の生活跡が見られるという。 

一時期は伊勢神宮に「」を納める御厨(みくりや)の栄誉も授かっているらしい。 

そうかと思えば、江戸期には加賀藩の流刑地に指定されていて、主に政治犯(思想犯)がこの時代百数十人が流されてきたという。 
その閨(ねや)地区に「閨観音堂」(ねやかんのんどう).という古堂があり、小さな観音堂とほぼ完全な五輪塔が30基、他に10数基の欠けた碑と珠洲焼の骨壷の破片が散在している。 
年代は定かでないが江戸期の流人達がこの島で骨を埋め、その祀りの古跡ではないだろうかと想像されているが・・?。

現在、能登島は能登島大橋とツインブリッジのとの二つの橋が揃い、島は観光地化していて水族館やガラス美術館、ゴルフ場、キャンプ場等が人々を寄せている。 

島から渡り返す能登島大橋は、吊り橋構造の農道橋と違って橋脚構造のオープンなコンクリートの橋である。 
橋の中ほどから既に、七尾の「和倉温泉」の賑やかそうな、ホテルや旅館の家並が見えている。 
1kmの橋程を終えれば、ここは既に和倉の温泉地であった。 

十字路を右手に行った、程なくして五階建ての本日の宿舎「フローイント和倉」が在った。 
たぶん、今回この旅程の最後の宿泊地になるであろう・・!。

次回は、和倉温泉      第27日目(七尾)へ

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