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日本周遊紀行(187) 境港 「ゲゲゲの鬼太郎」


境大橋


写真:境港大橋と奇妙な「妖怪神社」


街中が“ゲゲゲの鬼太郎”・・?、

美保関へ向かう途中、海岸道を通り過がった際、海中に何となく気になった岩があった。 
帰路、確かめて見ると、それは夫婦岩(男女岩)であった。 柱状の男岩に洞穴の女岩が太い注連縄で結んであり、艶かしく、想像を掻き立てる。 

思えば美保神社はご承知夫婦神である、この辺りの海で、事代主命と美保津姫が戯れていたのだろうか・・?。
尤も、出雲地方に限らず神代の時代の物語は国造りの物語の他、人造り(神造り)の物語なのである。そこには男女間の赤裸々なストリーも当然展開しているのである。


海岸道をそのまま戻る、境港の町並みが遠望でき、手前の弓ヶ浜の海岸線は松の緑が眩しいほど美しい。 
境水道大橋を一旦潜ってすぐ右折するように回り込むと、その大橋を渡ることになる。 
鳥取県と島根県を結ぶ「境水道大橋」というとんでもない高さの橋であり、町並みや海面が遥か下方にみえるのである。

橋の下を大型の船舶が航行する事から頂上は海抜40mの高さがある。 ビルの高さだと13階にも匹敵するのである。 橋上から無数の漁船(イカ釣り船)も見て取れる。
この境水道が県境になっていて、島根県から鳥取県に至る。 そしてこの橋を渡りきった地域が、その名も「境港」である。


海浜公園で一服入れる・・、

所々にお化けの水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」のモニュメントがあり、気が付けば当市はお化けの「水木しげる」の出身地なのだ。 
漁業がやや下火になった今、市は「鬼太郎に会える町」をキャッチフレーズに新たな町興しを探っているようであり、市・中央通りは「水木しげるロード」と称して80体以上の妖怪ブロンズ像が並ぶという。 
又、「水木しげる記念館」などが在り、本年よりJR西日本が「鬼太郎電車」を走らせたり、隠岐汽船では「鬼太郎フェリー」運航するなど機運が高まっている。 何でも、近年はお化けブームだとか。


この水木しげるロードの途中に、「妖怪神社」なるものが鎮座・・?、

妖怪の名に相応しい造りのお宮で、「妖力でもってあの世とこの世を結ぶ」という謳い文句に、2000年に突如出現した。 
妖力で厄払いするという妖怪神社は、初詣は勿論、普段でも水木しげるファンや妖怪ファンの善男善女でにぎわっているという。 
水木しげるロードの一角にあるだけに、一般観光客にも大好評とか・・!。

尚、2000年の10月6日に鳥取地方を襲った震度6強の地震にも、当時80体(現在は133体という)有った妖怪ブロンズ像はもちろん、周辺の妖怪の出てきそうなお店などは、全くといってよいほど被害がなかったという。 
これも妖怪どもの妖力によるものではないかと、街では、もっぱらの噂だったとか・・?。


境港といえば、TVの画面で北朝鮮船籍のオンボロ貨物船が中古自転車を満載した風景でお馴染みのある。 無論、この船は日本に漁獲を水揚げされているが。

港は対大陸貿易の拠点として格好の位置を占め、尚且つ、地理的には敦賀・下関両港のほぼ中央に位置し、 阪神・山陽・九州の各経済圏とも密接な関係を有し、戦前は日本海国内航路の要衝として、また対岸貿易港として大いに繁栄した。

無論、現在も山陰地方は元より、日本海側では最大の水産都市であり、漁獲高は平成4年から平成8年まで漁獲水揚高日本一であった。

尚、平成の大合併で、境港は米子市との合併について住民投票を行い、その結果、反対が多数を占めたため単独で残ることになったとする。

次回は、米子

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日本周遊紀行(188) 米子 「皆生温泉と米子城」



「海に湯が湧く」といわれた皆生温泉は・・、

境港を出て、白砂と松の緑の秀麗な弓ヶ浜を左に見ながら、先へ急ぐ。 国道431を米子市内に入って、「皆生」という信号があった。 左は美保湾に面したか皆生(かいけ)温泉、右は米子市街である。

海に湯が湧く」という皆生温泉は、弓ヶ浜に面した温泉街で山陰最大といわれ、山陰の“熱海”の異名を持つ。 
温泉の歴史はさほど古くはないようで、明治中期に地元の一漁師が海中に温泉が湧いているのを発見し、それを泡の湯と名付けたのが始まりであるという。 
泉質は、70度から85度と海岸に湧く温泉としては高温泉であり、開湯当初から「塩の温泉」として温泉療法として活用し、ヨーロッパで行われている「タラソテラピー」を応用しているという。 


ややこしい名称のタラソテラピーとは・・、

「海の資源がもたらす快適性を利用して心身を癒す療法」という意味らしい・・?。

ギリシャ語でthalasa=「海」とフランス語でtherapeia=「療法」とを併せた造語で、日本語で「海洋療法」と訳され、簡単に言えば「海辺に滞在して、その景観を楽しみながら、海洋気候のもとで海水、海藻、海泥を用いたさまざまな療法を行う」という自然療法である。 
19世紀、フランスの医師によって確立された療法で、フランスでは「予防は治療に勝る」という考え方により、早くから予防医学の研究が行われてきたという。

もっとも、人と海との関わりは、況(いわん)や「全ての生命は、海から誕生した」し、地球の 70%は海水に囲まれ、人間の体も 70%が水分で血液、羊水中のミネラル成分は現在の海水とほぼ同じ割合なのである。 
人間の白血球は他の人工的環境では死滅してしまうが、海水中では生きることができるという。
タラソテラピーとは、そんな予防医学の一環である。 

皆生温泉の泉質は、泉質はナトリウム、カルシウム塩化物泉(含塩化土類)の食塩泉で、ほぼ海水成分と同じであり、「海に湯が湧く」というより「海の湯が湧く」かもしれない・・?。 

浜に沿って一直線に旅館街が延び、裏側には、飲み屋・飲食店・風俗営業の所謂、温泉盛り場が集まり夜にはネオン街となる。 
しかし、現在では、歓楽温泉から健康的な温泉へイメージ変化を図っているという。


山陰の商都・米子・・、

海の歓楽地と言われる皆生温泉は日本海に面しているのに対し、内海である「中海」に面して商港を形成し、発展してきたのが山陰の商都・米子である。
鳥取県は昔は、西側半分を伯耆の(ほうき)国と呼ばれていて、現在の米子市域と周辺域である。 
因みに、 東半分を因幡の(いなば)国と呼ばれていて、現在の鳥取地域である。 


中海を前面に広げる米子(中海東端)は、山陰の交通の要衝であり、遠く弥生時代から大陸との交流もあったとされ、紀元前からの深い歴史を持つという。
江戸時代には城下町として繁栄し、その城下町に住む商人によって「商都・米子」の礎が築かれている。 
これには、米子は出雲参詣道の拠点になる地域で、何とか参詣客を引きとめようとする商魂が、商都としての米子の繁栄を支えたともいわれる。
現在では「山陰の大阪」とも呼ばれている。

江戸期、この商都・米子を支えてきたのが山陰の名城と言われたのが「米子城」であった。
現存していれば「山陰一の美城」とまで言われており、この米子市を一望できる湊山に現在は「米子城跡」として、平成18年、国史跡に指定され市民に親しまれている。、


この米子城は、悲劇の城とも言われている・・?、  

戦国後期、山陰地方は毛利家の所領であり、一族である吉川広家(毛利元就の孫)が米子平野を一望できる標高90メートルの湊山山頂に天守を築き、現在の米子市の原形、良港・米子港を拓いたとされている。 
その時に、全国や近隣から優れた商人や職人を呼び寄せ「城下十八町」といわれる町並みや寺院を築いて城下町を形造った。

ところが、関ヶ原の合戦に敗れた毛利家・吉川広家は、1601(慶長6)年に駿河国から徳川方の中村一忠に城を譲ることになる。 
一忠は、更に米子城の築城を続け、四重五層の大天守を新たに築きあげ、吉川広家の天守とともに二つの天守を持つ美しい城となったという。
その後、領主(城主)が代々変わり、池田氏(鳥取⇒岡山城主)が領主になるに及んで、米子城は藩主のいない池田氏・城代家老の城となった。
このため「藩主不在の城下町」となった米子は、関所もなく比較的自由に出入りができ、これにより、より盛んな商都・米子が出来上がった。 
「自由闊達で開放的」という米子地域の市民性は、このような歴史から育まれたといわれる。

このような山陰の名城・米子城は、江戸期の間、殆ど姿を変えることなく、明治にいたるまでその偉容を誇ったとされる。 
ところが明治初期の廃藩置県で民間(旧士族)に払い下げら、その後解体されて木材などは風呂屋の焚き木にされたと伝えられる。 
さしもの名城も「悲劇の城」として終末を迎えていたのである。
  

現在米子にはおもしろい挿話がある・・、 

東京の金持ちが山陰旅行をしたそうで、その人が米子に来たら、水は美味いし、温泉は有るし、別嬪さんは多いし、気に入ってしまい予定以上に泊まってしまった。 
次に松江に行ったが、ここもまた気に入ってしまった。

そこで東京の奥さんに手紙を出した・・、
「拝啓…米子も松江も気に入ったので帰りは一週間ぐらい遅れる・・、かしこ 」

すると、すぐさま返事が来て、
「そんなに米子さんや松江さんが気に入ったのなら、そちらで何日(いつ)までもどうぞ、 私は実家に帰ります。 あなかしこ 」 ・・と、

気がつけば米子、松江共々女性の名前ですね・・!。 

次回は、「大山と孝霊山」     Part12へ

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