日本周遊紀行

8日目:温泉と観光(サロベツ原野、宗谷岬)  第9日目(紋別、湧別)へ   も く じ  写真集  
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温泉と観光(15) 「サロベツ原野」



原野の真っ只中、名優・森繁久弥氏の記念碑が立つ・・、



原生花園の宝庫・「利尻礼文サロベツ国立公園」で特別保護地区・・、

天塩町から道道106号線に入ると、しばらくは日本海へ注ぐ天塩川の左岸を走り、日本海とは微妙に距離を置いたところを北上する。
天塩川は、日本海と並行しながら延々と南下するように流れていて、そして天塩町の北端でやっと日本海へ流れ込むのである。 

この河は北方の幌延町辺りで日本海へ向っているのだが、直前まで来て砂丘に阻まれ、今度は海岸線沿いを 凡そ10km も南下するためである。
その天塩川が南下しているところを、道道106号線が並行して北上している。 
北海道・北端の地へ至る最後の道であり、道としての最後の導(しるべ)でもある。

5km ほど北上したところで道は左へカーブし、天塩川を渡る。満々と水を湛えた川は全くの自然のままで、いかにも大自然の北海道をイメージさせるのに充分である。

天塩川と日本海を分け隔てている浜砂丘へと「天塩河口大橋」」を渡る。
ここからは左手には「利尻富士」が見え隠れしている。

ひたすら日本海沿いを北上することになるが、道道106号線の第一幕は、天塩川を渡って浜砂丘へ出ると遠くに見えてくる有名な風車である。
色々なCMや広告写真などで使われているらしいが、日本とは思えない雄大な風景の中に溶け込むように在るのが風車の列である

車を北へ走らせながら、その姿が徐々に近づいてきて、軽いクランク状のカーブを抜けると、風車の列は眼前に広がる。 
又、ここが天塩川と並行してきた最後の地点でもあり、離れる場所でもあるのだ。

風車の数は 29基あまりあって、横一列に日本海に向けて立っている。
東北の北部地方あたりから、あちこち風車のある景色は拝見しているが、ここほど圧倒的な風車の景色はなかったように思う。 
このあたりは見る目にも風が強い地域であることが想像でき、環境に優しい自然エネルギーは北海道の風景にもぴったりである。その風車の列を過ぎると、いよいよ「サロベツ原野」へ入る。



原野の中、視界が消えるほど直線道路が続く・・、

原野は、余りにも広大な為か南側を下サロベツ原野、北側を上サロベツ原野と称しているらしい。
道は、北への真っ直ぐな道が淡々と進む、本当に「ひたすら」という言葉が似合うほどに続く。 
しかも、対向車には殆ど会うこともなく、どこまで続くのだろう、と思うくらいに続く。

左右は、サロベツ原野とは言うけれど、ウネリのような低い丘陵地が続いているようであり、時節柄、枯れた色合いが、その寂寥感に輪をかける。 
しかしながら道路は全くの平坦で、直線が無限の彼方まで延びて姿を消しているのである。

周囲は丘陵地から次第に原野らしく平原の様相になってきて、左に時折、真っ青な北の海が見渡せる。
地図を見ると道路はいかにも海岸、波打ち際を走っているように思われるが、実は7〜80m陸側に位置していて、その間は同様に原野になっているのである。
草原の所謂、枯れ草文様の中に緑の縞模様が見られ、次第に原生花園・原生湿原と言われる様態に変化してきているようだ。


サロベツ原生花園」と青海に幽かに浮かぶ山・「利尻岳」の三角錐の姿を眺めながらの快適なドライブウェイは続く。 
定規を当てた様な真っ直ぐに延びた一本の道、思わず踏むアクセルに力が入るが、スピードに乗って通り過ぎてしまうにはにはもったいない程の景観が連続している。

「利尻・礼文・サロベツ国立公園」の広く爽やかな風景を存分に味わいたい・・!!。 
北海道の北の果ての短い夏はすでに終わり、すでに晩秋の気配が漂よい、緑の湿原は褐色の大地に変わっていたが、しかし青い海、澄んだ空は変わることがない。


サロベツ原生花園の浜勇知園地の見晴休憩地に来た、稚内天塩線の唯一のパーキングである。 
ここで一息の散策である。
処々に僅かに真赤なハマナスの花が咲き、移り行く季節を惜しんでいる様である。 

「 ハマナスの花の色は、北へ来るほど赤味が増す 」ともいわれる。


森繁久弥氏も映画ロケで訪れたようで、園地に歌碑が刻んであるった。

 『 浜茄子の 咲きみだれたる サロベツの
                  砂丘の涯の 海に立つ富士
 』

「富士」とは、無論、利尻富士のことである。


ここサロベツ原野は北緯45度丁度で北半球の緯度ではど真ん中にあたるらしい。
又、この地は大陸風景・満州平原(中国東北部で旧日本の支配地)に相似していることから、「人間の条件」、「戦争と人間」、「不毛地帯」等の映画の撮影の舞台にもなったとか。


気がつくと道標に「稚内26km」とあった、北端の地へあと一息である。
同じような風景が続く中、景色にやや飽いてきた頃、小さな集落が見えてくる、「稚咲内」の集落である。
それなりの速度で走ってきたが、久方ぶりの信号であり、ここを右折するとサロベツ原生花園の核心部である湿原地帯へ向かうが、この時期はもはや花の季節は完全に終わっている。 

本来なら、日本低地における代表的な湿原でとくに高層湿原から中間湿原へ移行するといわれる植物が多く、モウセンゴケ、ショジョウバカマ、ツルコケモモなどの花々が、季節を華やかに咲き競うはずであるが。  
そこに広がる日本最北の湿原には、寒冷地植物群が100種類以上も植生しているといわれる。
季節柄・・、今はただ一陣の風が吹き抜けるのみである。

小生もその「風」にのって、再び最北の地へ向う。 
          

 『』 唄・はしだのりひこ(昭和42年)

人は誰もただ一人旅に出て 
人は誰もふるさとを振り返る
ちょっぴりさびしくて
振り返っても 
そこにはただ風が
吹いているだけ 
人は誰も 人生につまずいて
人は誰も 夢破れ振り返る
 
 
次回は、 北端の最終章・「宗谷岬」

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温泉と観光(16) 「宗谷岬」




写真:上は野寒布岬  下は宗谷岬(凡そ3時間経過しているのが判る)





事実上の本土最北の地・「宗谷岬」へ・・、

遂に、北の果てへ来た。 そして更に、稚内から宗谷岬に向かう・・、
途中、小さな「声間岬」の南に「大沼」がある。
北海道の南端、函館郊外にも「大沼」があるが、こちらは最北端の大沼である。

周辺は湿原地帯、秋になると、越冬地への中継点として、また春になるとシベリアへと帰る休息地として約5,000羽の白鳥(コハクチョウ)が飛来する。 
「白鳥おじさん」こと、吉田敬直氏による個人的な給餌活動によりコハクチョウが呼び寄せられ、日本でも有数の飛来地になったという。 

さらにはハクチョウのほかマガン、アオサギ、オオワシなど通年100種類以上の野鳥が観察でき、時期になると大沼はどこを見ても白鳥だらけ、野鳥だらけとなり、周辺にはミズバショウの群落も見られるという。

国道のすぐ横に「稚内空港」が広大に広がる。
こちらも日本最北のジェット化空港として、利尻及び礼文の離島生活路線、あるいは道北と札幌を結ぶ路線の基地として地域にとって重要な役割を果たしている。

丘陵高所には、お馴染みとなった風力発電の風車が並ぶ。 
最北の地は、風が強い町なのである。 
冬は雪が降りだすと即、吹雪なってしまい、夏も風のせいで暑く感じないと。

調べてみると・・、
この辺りは北海道の中で最も風の強い地方らしく、1年のうち毎秒10m以上の強い風が吹く日は何と130日にのぼるという。 
宗谷の地は、低層山脈のなだらかな丘陵性の地形で、ほかには遮るものが何もないことから強風が直接吹いてくる。 その風を利用して稚内市はデンマーク製の風力発電を導入しているという。 
1基当たり1億4000万もするらしく、現在、17機稼動中という、総金額は・・??。 
この風力発電が、今問題になっている環境問題の一つの解決策になるのは確かだが・・?。


海面より少々高目を、宗谷岬を目指して進む・・、

岬先端に、鋭三角のモニュメントが天を指していて、見字盤には「日本最北端に地」と記されている。
三角錐のデザインは北国のシンボルである北極星の一稜をモチーフにしているという。

駐車場横の売店の出入り口も三角屋根を模ってあり、その正面には「宗谷岬・時刻13時25分・日本最北端・気温21.0℃・北緯45度31分14秒・日付平成16年9月27日」と記してあった。


間宮林蔵のこと・・、

岬には「間宮林蔵」の立像があり、そこから樺太(現実はサハリン)は微かに遠望できた。
距離にして43kmは決して遠くない距離であるが、しかし今は遠い・・?。 
その間宮林蔵が、樺太が大陸でなく島である事を発見するのは1800年初の事であった。

江戸後期・・、ロシア軍艦が蝦夷北方にしばしば現れるようになり、合わせて事件を頻繁に起こすようになる。 
その為幕府は、北方警備のため宗谷に守備要員を派遣し、その中に松田伝十郎がいた。 
更に幕府は、伝十郎と間宮林蔵に樺太の調査を命じている。
又、当時1800年前後にヨーロッパで「サハリンが島であるのか、半島であるのか」の論争が起こっていて、それらに決着を図るべく幕府天文方は松田と間宮をサハリンに派遣し、探検させたとも云われる。

林蔵は幼少より数理にあかるく、日本地図の親・「伊能忠敬」の門人になる。 
忠敬は上総(かずさ・千葉県)、間宮林蔵は下総(しもふさ・茨城県)の出身でいわばお隣同士であった。 
忠敬は、林蔵のことを「凡人に非ず、非常の人」と世間に告げていた。 
林蔵は、その後北方・千島等を測量するため、伝十郎とともに小船でサハリンの最南端シラヌシに上陸する。 
両人は東西に分かれて、林蔵は東より北上し、海上あるいは陸上より調査を行なっている。 
林蔵は一旦帰国するが、直ぐまた二度目の調査に出かけている。

1808年、西海岸を探検した松田は、海峡最狭部に達し、ここが海峡であることを確認し、間宮も松田に合流して、同様に海峡を確認した。
併せて翌1809年、間宮は、現地人の船で海峡を越えて大陸に渡り、この地域の詳細な調査を行いながら、そのまま大陸に渡り黒竜江を上って満州(中国東北部)にまで達している。 

日本では、大陸と樺太の海峡を「間宮海峡」と呼んでいるが、一般には「タタール海峡」(韃靼海峡)とも称しているようである。 
又、海峡の最短部は距離で7km程度であり、そこを間宮海峡と呼ぶ場合もあるようだ。

明治8年、条約により樺太全島はロソア領になり、千島全島は日本領になった。 
その後、日露戦争で樺太南部は日本領に成ったが、太平洋戦争の敗戦で全てを失った恰好になっている。

岬の右側に「宗谷岬」の歌碑が有り、そこから絶えず曲歌が流れていた。


 『宗谷岬』  歌:千葉紘子

流氷融けて 春風吹いて
ハマナス咲いて カモメも啼いて
遥か沖ゆく 外国船の
煙も嬉し 宗谷の岬
流氷融けて 春風吹いて
ハマナス揺れる 宗谷の岬

幸せ求め 最果ての地に
それぞれ人は 明日(アシタ)を祈る
波もピリカの 子守のように
想い出残る 宗谷の岬
流氷融けて 春風吹いて
ハマナス揺れる 宗谷の岬


宗谷岬から丘陵へ続く坂道を上り詰めると、先ほどの北海道先端の「宗谷岬」が眼下に広がる。 
暫く、展望台からの雄大な眺めを満喫する。
次に後背地を窺うと、やわらかい緑の草原と丸みのあるなだらかな丘陵地が延々と続く。 
「宗谷丘陵」という。
ここはまた、日本屈指の「周氷河地形」を見られる場所として、「北海道遺産」にも登録されているという。

「周氷河地形」とは、文字通り氷河の周辺につくられた特徴的な地形のことで、今から約2万年前の氷河時代末期、このあたり一帯にあった氷河が融解と凍結を繰り返すうちに、地面を削り、高さ20〜200mの丘陵地の稜線や谷が丸みのあるなだらかな地形を形成したものと言われている。

日本最大の宗谷丘陵には肉牛牧場もあり、宗谷黒牛はこの地方の特産になっている。
又、丘には風力発電の巨大な白い風車が稜線上に立ち並び、如何にも北海道ならではの雄大な景色を楽しむ。



写真:展望台からの宗谷岬の雄大な展望


写真(上)、宗谷丘陵(資料)と風車群





「最北端」というラーメン屋


海道沿いに「最北・・」と謳った看板の商店や民宿が目立った・・、


岬の食堂、その名も「最北端」というラーメン屋で、最北のラーメンを戴いて先へ進む・・!!
この旅の現時点までは、「北上」と名打ったが、これから先は「南下」である。 

何故「北上」で、「南下」と称するのは定かでないが、きっと地球の緯度の関係かも知れない・・?。

日本海側は夕陽・日の入り・日没なのに対して、コレからのオホーツク海・太平洋は旭日・日の出・日昇等となる。

北海道は知らないが、一時期本州では裏日本、表日本などと称していた。 
小生はこの呼名は余り好きではないが、最近では「裏日本」という呼称は差別的用語に当たる・・とかで、使われてないようだが・・?。

「日本周遊紀行」の内、宗谷岬からはオホーツク海、太平洋岸を南下することのなる。

次回、御期待下さい。   第9日目へ

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