日本周遊紀行

11日目:温泉と観光(登別温泉)  第12日目(長万部、八雲、森、鹿部、南茅部)へ  も く じ  写真集 
日本周遊紀行:詳細目次
詳細目次(東日本)  信越・東北西沿岸 北海道T、世界遺産:知床 北海道U 東北・東沿岸 関東沿岸
詳細目次(西日本)  鎌倉・湘南 東海 近畿 四国 山陽 九州(北、西) 九州(南) 九州(東)  沖縄  
               山陰・北近畿  
北陸  世界遺産:紀伊熊野 石見銀山
.
【本文関連情報
  

温泉と観光(26) 「登別温泉」



北海道でNo1の良質の温泉・登別温泉・・、



登別温泉街のメーンストリート


国道36から登別の温泉地へ向かった。

「登別温泉」は北海道を代表する日本有数の温泉天国である。 
旅行専門の『じゃらん』の温泉ランキングによると第一位は関東の「箱根湯本温泉」、第二位が九州の「由布院・湯平温泉」、第三位が同じく関東の「草津温泉」となっている。 
更に、登別温泉、黒川温泉、城崎温泉など有名どころの温泉もやはりランキング上位を占めている。


「じゃらん」温泉のランキングは更に・・、

『 第四位に入った「登別温泉」は北海道を代表する温泉で、札幌や函館からもアクセスが便利な立地条件とあわせて北海道でNo1の良質の温泉で美白効果も期待でき、旅で疲れた体を癒す疲労回復効果も絶大で、リピーターが多く訪れる北海道No1の温泉です。 』としてある。

「登別温泉」は自然湧出量1日1万トン、源泉温度45℃〜90℃の高温で、更にその魅力は世界的にも珍しい11種類もの温泉が湧出していることで、温泉のデパートとも言われる。 
高温泉のため湯棚や湯車で湯の温度を調整し、湯船へは源泉100%を各所に供給している。
登別温泉の泉質は主に硫黄泉、重曹泉が中心とされているが、その泉質と効用について述べてみよう。

硫黄泉(慢性皮膚炎、慢性リューマチ、便秘、動脈硬化症、糖尿病、高血圧症など)、 重曹泉(皮膚病、火傷 慢性胃炎、胃酸過多など)、 明ばん泉(慢性湿疹、リューマチ性疾患など)、 芒硝泉(リューマチ、動脈硬化症、糖尿病、高血圧症、外傷など)、 石こう泉(慢性リューマチ症、動脈硬化症、高血圧症など)、 正苦味泉(脳卒中、動脈硬化症、高血圧症、慢性便秘など)、 食塩泉(リューマチ、神経痛、腰痛、飲用としては便秘、慢性カタルなど)、 単純炭酸泉(高血圧、更年期障害など)、 重炭酸土類泉(アレルギー性疾患、慢性皮膚炎など)、 鉄泉(慢性痔疾患、リューマチ性疾患、貧血症など)、放射能泉(神経痛、リューマチ、自律神経失調症など神経系統の疾患、婦人病 肥満症、痔疾患など)、 

以上は観光協会のPR出版物よりの参考であるが、泉質は「新」とか「旧」とかの呼名が有るので紛らわしいが、上記は「旧」呼称であろう。

何れにしても、登別温泉は万病に効くということらしい・・!

それに、各宿泊施設によって泉質が異なるようで、ここの温泉場で最大級を誇る「第一滝本館」の温泉は7種類の源泉がある。 
因みに、日本最大湧出量を誇る大分・別府温泉は十種類の泉質が有るという。


登別温泉の地獄



地獄の番人・・??、番鬼・・、

【本文関連情報
  



温泉街を抜けた最奥部に「赤鬼、青鬼」が地獄谷の入り口に、その名も地獄の番人として常時立っている。
その高台に「地獄谷」があり、風向きによっては硫黄の臭いがガンガンしてくる。 
箱根の大涌谷に類似していると思うが、こちらの方が激しく活性であろうか・・?。

チョット目に付きにくいが、地獄谷展望丘の一角、石の台座に小祠を設けて一体の観音像が祀られ安置されている。 

伊達・「円空と蝦夷」の項でも記したが・・、
美濃国の僧、「円空上人」が道南各地を巡錫(じゅんしゃく:錫杖を携えて僧侶が各地を巡行して教導・遊化・ユゲすること)しながら鉈作りという、ナタ一丁(一刀彫)で観音像を刻んだという。 
そのうちの一体が寛文6(1666)年、権現沢(地獄谷)に祀られたという。
円空・観音像は「登別湯の権現」ともいわれ、元々は湯沢大権現・湯沢神社のご神体だったという。 
神社は、地獄谷の入り口、第一滝本館の向いに鎮座する登別温泉の守り神で、第一滝本館の創始者・滝本金蔵翁が開祖したものという。

「地獄谷」は一万年前の爆裂火口の跡だそうで、各所に○○地獄、△△地獄と名称が付いているが、ある数箇所の地獄は現在は、沈静化して大湯沼の方へ活動が移ったとという。
その大湯沼はこの地獄谷の上部にある、周囲1キロたらずの小さな沼だが、全国的にも珍しい熱湯をたたえた沼である。 
温度は表面で40〜50度、湯底では130度にも達するといい、湯面が時々噴気をあげている。 


登別温泉は、大昔はアイヌの人々が温泉を薬湯として重宝していたといわれる。


江戸時代には、最上徳内が「蝦夷草紙」の中でその存在を記し・・、
『 湧き出した温泉水が川に流れ込み、底が見えないほど濁っていた 』と登別温泉を紹介した記事が残っている。

北海道の父・松浦武四郎も訪れ、温泉の魅力を綴っているし、安政4年(1857年)には近江商人の岡田半兵衛が地獄谷から硫黄の採掘を行い、道路を開削し、その後、共同浴場を作ったことが温泉保養所としての始まりだったともいわれる。

又、安政5年(1858年)には、滝本金蔵が妻のリュウマチを治すために訪れ、後に温泉宿を建て、私費で新たに道(現在の道筋)を整備し、湯治客が利用するようになったといわれる。 
金蔵は平屋の一部を二階建てに改修したことをきっかけに、「湯本の滝本」と命名して旅館を開業しているが、それが現在の第一滝本館である。

第一滝本館」は温泉街の最奥部に位置してて地獄谷に最も近く、部屋数400の巨大ホテルである。 NTTが公社時代の特約保養所にもなっていて、上さん(妻)が電話局に勤務しているため、2、3度厄介になったことがあるが、その大きさといい、温泉の豊富さに驚いたものであった。

余分だが、NTTの保養所として特約、契約、直営などの宿泊施設が全国各地に網の目のようにあって、この滝本館もそうであるが民営化されてからはすべてが解消され、現在は直営保養所のみの数箇所になってしまった。 
民営化や合理化というのは、多々、訳有りで必要だとは思うが、我々低所得層の人間にとっての旅の楽しみを奪いかねない悲しい事でもある。 
現在は無論、第一滝本館とNTTとは関係は解消されているらしい。

登別温泉はその後、明治期、日露戦争の傷病兵の保養地に指定され、全国に知られるようになり、近年の温泉ブームを受けて更に繁栄したきた。
この登別・ノボリベッはアイヌ語のヌプルペッ、「白く濁った川・色の濃い川」(一説に霊力のある川とも)の意味で、地名「登別」の語源となった。
2004年、登別温泉地獄谷が北海道遺産に選定されている。


登別のメインストリートに鎮座する「閻魔堂」


帰路、温泉街中心部の極楽通り商店街の一角にある「閻魔堂」に立ち寄った。 
巨大な閻魔様がお堂に鎮座していて「からくり閻魔堂」と称し、平素は何食わぬ顔をしているが、定刻になると「カラクリ」が動き出し、激しい閻魔 の形相に変化する。
年に一度「地獄谷」の釜の蓋が開き、地獄の入り口の番を勤める赤鬼、青鬼を引き連れたこの「閻魔大王」が温泉街に姿を現すという・・、 「地獄まつり」の主人公である。

温泉街を戻って、先刻予約しておいた「登別万世閣ホテル」へ投宿した。
こちらも立派な構えのホテルで1泊2食8000円はまずまず、ここの温泉は酸性硫化水素泉(硫黄泉)であった。
それにしても、NTTに勤めるお上さんのいる小生にとっては、伝手(つて)を頼って「第一滝本館」に泊まりたかったのが正直のところである。

次回は、 室蘭・「地球岬」  第12日目へ

【本文関連情報
  

小生の旅と山旅  日本周遊紀行  世界遺産と鎌倉・湘南  日本周遊ブログ  日本周遊写真集T
日本周遊紀行:詳細目次
詳細目次(東日本)  信越・東北西沿岸 北海道T、世界遺産:知床 北海道U 東北・東沿岸 関東沿岸
詳細目次(西日本)  鎌倉・湘南 東海 近畿 四国 山陽 九州(北、西) 九州(南) 九州(東)  沖縄  
               山陰・北近畿  
北陸  世界遺産:紀伊熊野  宮島 石見銀山
【小生の旅のリンク集】
旅の紀行・記録集
山の紀行・記録集 山のエッセイ
「旅行リスト」
日本周遊紀行「東日本編」
日本周遊紀行「西日本編」
日本周遊紀行 (別URLです)

【日本の世界遺産紀行】 
北海道・知床  
白神山地 
紀伊山地の霊場と参詣道 
安芸の宮島・厳島神社  
石見銀山遺跡とその文化的景観 

ハワイ旅行2007
沖縄旅行2008
北海道道北旅行
北海道旅行2005
南紀旅行2002

「山行リスト」 
 
立山、剣(天の記)(1971年)
白馬連峰登頂記(2004・8月)
八ヶ岳(1966年)
南ア・北岳(1969年)
北ア・槍−穂高(1968年)
谷川岳(1967年)
丹沢山(1969年)
西丹沢・大室山(1969年)
八ヶ岳越年登山(1969年)
西丹沢・檜洞丸(1970年)
丹沢、山迷記(1970年)
上高地・明神(2008年)

「上高地雑感」
「上越国境・谷川岳」
「丹沢山塊」
「大菩薩峠」
 


スキーの記録  
「スキー履歴」