9月30日(月)
ヒサシの部分から雨漏りがするのですが、原因はヒサシのすきま部分が小さすぎて毛細管現象により水が室内に侵入したようです。最初の作りがまずかったようです。ただ、毛細管現象レベルですのでめったに水がでることは無く、放置しておいたのですが、今回は完全に対策をしました。
エビデンスドベースメディスンという医療手法がアメリカで流行しています。経験とか、権威とかではなく、医療において実際に発生した事柄を元に医療を提供するということです。なんだか良いような話しですが、もし絶対助からない病気にかかったら医療費の無駄なので放置するということになるのでは?と危惧します。
もし、ガンが進行してもう助からないというレベルになったらあとは麻酔で苦痛を和らげてやるからお家に帰りなさいといわれたら、患者は絶望ですね。
病院での待ち時間は暇です。そこで雑誌を買いました。タイトルは「サムスン電子・戦う経営」。週刊ダイヤモンドの記事です。詳しい内容は実際に雑誌を買ってください。それを見るとサムスンは昔の日本の会社、まあ松下とかソニーとかになりますか、と似ている感じがします。いつのまにか、日本の企業はそのダイナミズムを失ってしまったようです。それと日本の技術者がかなりサムスンに流れています。技術顧問ということです。有名電機メーカから土日だけ来てもらったり、または日本の会社と契約してきてもらったりしているそうです。
前の会社でも定年退職者が中国や韓国の会社に行くという話しは聞いていました。サムスンもそのようにしているようです。これだけ電機メーカがリストラだと韓国や中国の会社は日本の技術者に困らないでしょう。だいたい、技術レベルの高い人ほど、ガンコだったりして会社側から煙たがられるますから、ますます技術移転に拍車がかかりそうです。
DRAMは今は韓国の独壇場です。でも韓国だっていずれ追い上げられる立場になると思われます。それはベトナムかもしれませんし、中国かもしれませんし、さてさて北朝鮮ということもありえるでしょう。優秀な技術者と先端の設備とお金さえあれば世界中どこでも技術移転は可能なのが自由主義社会です。それにしても日本の電機メーカは何で食っていくのでしょうかね。
さて、これだけ韓国が元気なのですから、日本に進出しないわけがないでしょう。やがて日本の廉価な製品は韓国や中国製品になると思われます。もうテレビは小型のものは日本メーカ製でも生産は中国とかです。やがてメーカも中国や韓国となるでしょう。日本がテレビのデジタル化を急いでいるのも、中国や韓国に市場を奪われたくないというのが本音なのかもしれません。デジタルだとそのパテントで外国メーカの排除ができますからね。
ところでサムスンさん、私雇ってくれません?
9月27日(金)
家の一部を修理する手伝いやら、葬式やらで忙しかったです。葬式のために妹の子供の服を買うために伊勢丹にいったりもしました。うーん。大変!
初めて新しくなった青山の火葬場にいきました。最近の火葬場は煙突もないし、きれいですね。心臓に人工弁を入れていた人なのでちゃんと人工弁がでてきたそうです。亡くなった人にお見舞いに行ったときは気がつかなかったのですが、人工弁が入っているとカッチンカッチンと音が聞こえるそうです。
9月21日(土)
屋ねにペンキを塗ったりして忙しく、大分間を置いての再開です。奈良へ行った翌日は京都から新潟にきたのですが、これは行きと対して違わないので省略ね。計2600キロだったけど、長い道のりでした。
さて、近くのお店屋さんが請求書発行のソフトの相談にきました。パソコンが古く、壊れそうなのに、代替機がなくて困っているとのことです。このパソコンはDOS−V機ではなく、PC−98シリーズのパソコンです。皆さん、懐かしいですね。それで本社の方がソフト屋さんにウインドウズ対応のソフトを作ってもらったら概算1200万円くらいするというの。うーん!高い。でも他の人の意見も聞くと、こういったソフトは大卒の優秀な人で月80万円くらい月給の人でないとダメなんだって。それにしても高すぎ。そんな能力の人ならもっと付加価値の高いソフトを作ってもらえばね。
それでもっとハードやソフトに相談したところ、PC−98のハードを何とか手に入れて、当分はそれで我慢するとのことです。その方が良いようです。でもいずれは1200万円ということになりますか。
9月15日(日)
いろいろ、忙しかったのでお休みしましたが、再開です。さて、京都の翌日は奈良へ行くことにしました。今回は三輪神社へ行きます。日本書紀にも書いてある有名な神社です。国道1号線を南下し、大久保バイパスにでました。この道路は比較的混雑します。また、まっすぐな道路です。さすがに京都・奈良は道路が直線状ですね。さて、京奈和自動車道に入りました。最高速度60キロですが、有料です。また、対面通行です。そして山の中に入っていきます。インターに精華の文字がでてきました。ATR研究所で有名ですね。その他にも松下とかが研究所をもっています。でもATRてあまり優れた研究をしているようには思えないですね。どうでもよさそうなことを研究している感じです。この自動車道を下りるとそこは奈良の市街地です。とにかく混雑します。喉が乾いたのでコンビニを探して駐車しようとするとバス停にみんな駐車しています。すこしの時間なのでバス停に駐車。水を買ってすぐにまた出発しました。とにかく暑いのですぐに喉がかわきます。さて、このまままっすぐに行ってどこかで左折して天理市に入ります。適当なところで左折したところなんとか天理市に入りました。さすがに天理教の元締めの場所だけあって天理教に関する施設があります。聞くところによるとお布施の額によって信者の地位がきまるそうですから、どこかのヤバイ宗教と似てますね。天理市に入ったところで南下します。そして後すこしで三輪神社というところで渋滞しています。まさか神社でこんなに渋滞はないよねと思いましたが、なんと三輪神社参詣者の渋滞。なんでこんなに混んでいるの。
とにかくなんとか停めて神社に参拝にいきました。それにしても大混雑。神社の人にこの前のお礼としてお菓子を持っていき、それからお参り。ここの神社にも勉強の神様がいますので、皆さんのためにお祈りしてきました。さて、三輪神社の脇にスサノオ神社があります。でも参拝者はゼロ。しかしこの神社は霊的パワーはありそうです。今回も強いエネルギーを感じました。でもパワー強すぎ!お腹が痛くなってきました。近くの薬局で胃薬を買いましたがすぐに治るわけないよね。この神社には紀元2600年の石碑がありました。皇紀2600年というとかの有名なゼロ戦が制式採用になった年です。
さて、体調も悪いし、ここは法隆寺だけを見て帰ることとしました。法隆寺はここから北西。見なれぬ道路を進みます。途中、道を間違えたりしてちょっと遠回りになったりしますが、なんとか法隆寺に到着。法隆寺の前の駐車場に車を停めます。三輪神社は無料の駐車場なのにその他はたいてい有料ですね。法隆寺は玉虫厨子と五重塔がなんたって有名。聖徳太子のお寺ですが、聖徳太子の子孫は政変でみんな殺されてかわいそうな人です。でもお札の顔になったりしてよかった面もありますね。ちなみに聖徳という名前も死後にもらった名前ですが、なかなかいい名前です。夢殿も見ました。この建物、まあ不思議ですね。
法隆寺を後にしてまた京都に帰りました。まだ明るいですが、早めの夕飯をたべに行きました。さてレストランの席が運良く、窓側です。今来た奈良方面が見えました。平野が広がっていますが、なるほどここは住むのによさそうです。ついでに宿泊しているホテルも見えました。夕暮れになり、日が沈みはじめてきた景色は荘厳ですね。菅原道真はこういう場所から超辺鄙な場所に左遷されてさぞ気落ちしたでしょうね。事実、太宰府に行って2年後には死亡しましたから。今と違って太宰府はおそらく京都と比較して何もない場所だったでしょう。
9月11日(水)
京都についた翌日は京都見物です。金閣とか銀閣はみたので今回はマイナーなところにいくことにしました。とりあえず、二条城に。まだ二条城は一度も行ったことがありません。さて、8時30分頃につきましたが、見学は8時45分だとのことです。少し待って二条城に入りました。さすがに人が少なかったですね。二条城の天守閣跡を見てから二の丸御殿に入りました。まず遠侍の間。ここは外様大名が将軍と謁見する場所です。将軍は一段高くなった座敷から謁見するんですね。玄関を入ってすぐのところですから、外様大名は差別されていたようです。さて、その奥は黒書院です。黒書院は仕事場ですね。主に譜代大名と謁見したり、公式行事はここでやるようです。二条城の黒書院は大政奉還のときにここで将軍が決断したそうです。教科書にでてくる絵の場所のようです。大名がいる場所が約50畳、将軍のいる場所も約50畳。みるとそんなに大きくありません。
その奥が白書院。将軍の私的な場所です。将軍のいる場所が20畳くらい。部下の場所が20畳くらいです。絶対権力者にしては割と質素です。ちゃんと将軍とチュウロウ(漢字がでませんねん)の人形がいます。まあ、ここで将軍はお気に入りの女性とウハウハやっていたんですね。といっても将軍のそばには監視役の女性がいたそうです。将軍お気に入りの女性が「城買って。」なんて法外な要求をする場合にそれを牽制させる役割だそうです。もちろん、寝ずの番ですが、わりとつらいんじゃないでしょうかね。夜は眠いでしょうし。
この二条城の廊下はうぐいす張りといってあるくとキュッキュッと音がします。防犯を兼ねているようです。さて、このころになると外人さん一行がやってきました。韓国と英語圏の団体がきました。トラの絵のところでメスのトラとか言っているのが聞こえましたが、トラの性別なんかわかるのかな?もしかしたらジョークの一部が聞こえただけかも。さて白書院をすぎると老中の間とかになりますが、広さも豪華さもずーっと落ちます。宮仕えはどこでもつらいようですね。狭い部屋で寝泊りのほかに仕事もあったでしょうに。
さらに勅使の部屋がありました。天皇のお使いがきたときに謁見する場所ですが、普通、勅使の方が将軍より上座となります。権威では天皇が偉いわけですから。
二条城は江戸時代に天守閣が焼失した後、再建されなかったそうです。そのころには徳川体制が確立して軍事的重要性が無くなったのでしょう。また、お金もかかるし、経済的理由もあったと思われます。二条城の役割は江戸時代の始めと最後だけだったようですね。
二条城を後にして、次は千本釈迦堂(大報恩寺)です。この建物は京都で最も古い建物です。京都の建物はほとんどが応仁の乱で焼失しました。そのなかでこの千本釈迦堂は西軍の根拠地でもあったため奇跡的に焼失を免れました。そして、応仁の乱のときに柱に傷がつき、それがそのまま残っています。千本釈迦堂につくと、誰もいません。そして今回の最大目的の柱の傷を探しました。ありました!槍などの傷で結構ボコボコになっています。あの傷から察すると敵に見たてて突きの訓練かなにかやったようですね。細い傷のほかに穴状の傷がいっぱい。バシバシ写真をとりました。それにしてもこんなところで訓練するのか?一応、お寺なのにね。
さて、お寺本体の脇には展示館がありました。誰もいない。チケットの一部を切って渡すみたいだけど、係員もいない。入り口で聞いたらどこかに行っているだけだから勝手に入ってよいとのこと。だったら入りましょう。いろいろな仏像がありました。割と年代物の仏像があります。牛車の車輪もありました。牛車の車輪て2mくらいあるのね。でかいわ。
さて、千本釈迦堂を後にしようとすると女性二人組みが入ってきました。「こんなマイナーなところによくくるね。」と言ったら「ガイドブックにちゃんとあるよ。」とのことでした。さて、暑いので近くの喫茶店でかき氷をいただきました。そして、帰りはバスで西本願寺に行くことにしました。京都駅行きのバスにのり、西本願寺の近くでおりました。
西本願寺は大工事中でした。工事期間10年。まあ気の長いこと。中は閑散としてあまり人はいません。見るところもあまりないですね。その点は東本願寺と同じです。お寺の人達は本堂の前にくるとかならず会釈します。昔、東大寺に行ったときもそうでしたから、慣例なんでしょう。
西本願寺はすぐに後にしてお昼を食べにいきました。ところがこの食堂、あまりおいしくない。外見は良いのにね。さて、次は宇治の平等院です。これで今回の京都の見学はおしまい。宇治まではJR奈良線で行きます。今回は車は使わないことにしました。疲れているのでね。電車もまた良いものです。なにしろ景色がゆっくり眺められますから。京都駅からJR奈良線に乗りました。始発でした。電車は快速。だから乗り心地は良いです。
さて、宇治駅でおりると郵便ポストがありましたが、茶壷の形の郵便ポストです。宇治はお茶で有名ですから。それにしても電車でも結構かかるのに昔はこんなところに平安貴族達は別荘を作ったようですね。牛車の速度からいって、一日くらいかかったでしょう。まあ、ご苦労なことです。さて駅からは山にやや登る感じで平等院に到着。平等院は10円玉の裏側に刻印されている建物です。平等院の池と建物のバランスが良いです。時の藤原家の大権力者が作ったたてものですから、まあ贅沢ですね。平等院の鳳凰堂に入って解説が聞けますが、追加料金500円?が必要です。平等院には新しい展示館ができていました。そこでは平等院が設立された当時の平等院をコンピュータグラフィックで再現していました。内装はそうとうきれいだったようです。できれば実物模型みたいに再現して欲しいですよね。きっと美しさに驚くと思うのだけどね。
宇治平等院を後にして、また京都駅に戻ってきました。ホテルでお休みしました。やはりちょっとお疲れです。さて、夕食は京都駅の伊勢丹へニンニク料理を食べにいきました。はいると女性客ばっかり店員さんに「一瞬、場所間違えたかと思った。」といったら「女性客が多いのです。」とのこと。女性がここで精をつけたら男はどうなるんでしょうね。
9月10日(火)
ホテルはバイキング形式だったので夕食は外のレストランで取りました。お魚とかを食べました。どうも博多まで行ってラーメンを食べるきにはなりませんでしたね。もう疲れましたもん。さて、翌朝の朝食はホテルの朝食を頂きました。となりのグループが何かを喋っていますが、何を喋っているのか全然わかりません。どうも韓国や中国の言葉でないし、ときどき日本語の言葉がでるしと思っていました。ホテルをでるときにその人達と一緒になりましたが、鹿児島の方から来ている人達でした。方言が強くて何をいっているのわかりませんでしたね。さて、ホテルをでて今度は一路、京都を目指します。今度は山陽自動車道で京都へ。また関門海峡を橋で渡りました。この関門海峡は眺めがとても良いですね。車で走行中なのでゆっくり見るわけにはいきませんが、海峡はきれいです。風が強いので速度規制が40キロ。おいおい、だれもそんな速度で走っておらんぞ!
山陽自動車道もそう混雑する路線ではありません。やっぱり中国自動車道は不要ですね。どうせ作るなら日本海側に作ればよいのでしょうけど、冬の除雪を考えるとできなかったのかもしれません。やがて瀬戸内海が見えてきました。瀬戸内海は生まれて始めて見ますね。温暖な気候です。車は岡山も通ります。岡山は親戚の子が大学にいっているところですが、温暖な場所ということで岡山を選んだようです。でも岡山は遠いぞ。
高速道路は追い越したり追い越されたりでやはり神経を使います。一般道ならば追い越しとかはあまりないですし、信号があれば一休みできますが、高速道路はPAやSAでないとお休みできません。眠くなったら次のPAかSAまで我慢しないといけないわけです。車はやがて中国自動車道と一緒になり、また混雑している大阪に入りました。まあ高速道路なのに渋滞してます。トラックは渋滞しているとよくハザードをつけますね。追突が割りと多いのでしょう。車線変更しようとするとパッシングするし、十分な車間があってもパッシングしよる。まあ、マナーの悪いこと。
さて、京都南インターで降りようとすると第一インターと第二インターがある。その差500メートル、どっちに降りればいいのかな。まあ地図をみるわけにもいかず、第一インターで降りました。出口でわかったのが、インターにつながっている道路に対し、左側にしかいけない。右側にはいけないことでした。まあなんとかなるだろうと走っているとちゃんと京都の中心部に向かっています。第二インターは大きなインターで京都の中心部でも外側でもどちらもいけるインターのようです。さて、目指すホテルは京都の駅の近く。ところがなかなかみ当たらない。ちょいと小さい道路に入るとパトカーがいる。また大勢人がいる。どうも事件発生のようです。さて、そこを抜けて今度は左かなと思ったら、逆でした。またあのパトカーのいる道路にいかなければなりません。まるで不審車ですよね。今度はそのパトカーが真後ろにいます。とにかく道がわからないので、大きな道路の左側に車をとめて外を眺めようとしました。もちろんパトカーは追い抜いていきます。さて、道を眺めるとありました。ありました、ありました、ホテルの看板。そこに横付けしたところ駐車場を通りすぎていましたので、ゆっくりバック。なんとか駐車完了。
さて、ここまで来るのに原付バイクの横暴だったこと。平気で左脇を抜けていくし、ヘルメットもしてないのもいるし、二人乗りもいる。まあ運転は最悪だね。無理に割り込むし。ホテルの人によると大阪と京都と名古屋は運転マナーが最悪だそうです。とにかく原付バイクがうじゃうじゃいてそれが運転マナー最悪だから、車は気をつけないと。
さて、ホテルには夕方につきました。夕暮れ時に京都をゆっくり散歩しました。鴨川の川辺にでて、鴨川の水を触りました。やっぱり川は人間の郷愁をさそうよね。また夕暮れだったので京都タワーに上ってみました。夕暮れの京都もよいものです。山と川に囲まれた平野というのは眺めがよくて最高です。このころでしたか、原子力発電所がどうとかこうとか。東京電力さん、しっかりやってくれなくてはね。
9月9日(月)
ホテルでニュースを見ると台風が近づいているとのこと。これは早めに参拝した方が良いと判断しました。それでホテルを朝の7時30分に出発しました。あまりあせって事故ってもいけないので、早く太宰府についたらその日のうちに参拝することにして、中国自動車道をまっしぐら。中国自動車道は山あり、谷ありで走りにくいですね。しかもガラガラ。前も後ろもまったく車がいません。そして、道路の工事の多さ。トンネルでは天井をはたいている。こりゃ、コンクリートの不良個所を探しているな。ふつう、トンネルの工事といったら、電球を替えるか、路面のアスファルトの吹き替え工事だもんね。
さて、走っていくと、これは長いトンネルになるなというトンネルもありました。なにせ山のど真ん中に向かってトンネルがある。かなり無理をしているなという雰囲気です。さて、暑さもはんぱではありません。台風の影響でしょうか。とにかくPAやSAで外にでると暑い、暑い。そして車はやがて山口へと到達しました。
山口で山陽自動車道と一緒になります。あとは九州へまっしぐらですね。すると看板がでてきました。どうも関門トンネルはここで降りるとなっています。あれ?高速道路を降りないと関門海峡は通れないのかと思い、すぐそばのPAへ行きました。地図をみるとそうか!橋があるんだ!ということで。また高速道路の本線へ。このPAは壇ノ浦PAでした。いやとっても眺めの良いPAですよ。関門海峡がきれいです。さて、壇ノ浦PAからでると、橋に加速車線が。まあ、すいてますからね。なんとかうまく合流。本州を離れるのは生まれて始めてのことです。そして、車は次に古賀SAへと到着しました。ここで聞くと太宰府ICへは10分かそこらとのこと、現在時間2時30分。こりゃ、今日参拝しましょうということで車は一路太宰府へ。さて、太宰府ICから降りて、これから太宰府へ行くのが四苦八苦。もっと看板だしてよ!ガソリンスタンドとかに場所を聞いてやっとのこと到着。無料の駐車場はないらしい。しかたなく、近くの駐車場に停車。2時間で500円。といっても機械式でなく、人間式。
降りて電柱をみると「宰府一丁目」。まちがいなく太宰府とわかります。そして太宰府駅。背広に着替えて、鳥居をくぐって太宰府天満宮に行きます。いやーめっぽう暑い。汗がしたたり落ちる。風も強い。台風のせいですね。そして、神社の受け付けに行きました。なにせ車で新潟から来たと聞くとおどろきます。そりゃ、逆に福岡から新潟にきたら同じように驚くでしょうけど。そして、9人のお払いを申し込みました。暑いので、汗が申込書に落ちるのね。そのうえ背広ときた日にゃ、苦難の連続です。さて、とにかくお払いを自分の目で見たいといったので、それならばすぐに祈祷をということになりました。なにせこちらははるばる新潟から来てるわけですから。そして、神社でお払いをしてもらいました。神社というとご神体は鏡ですが、これがきれいに磨き上げられた鏡でした。ぴっかぴか。それと皇族の人の進物がありましたね。さすがに太宰府ですが、あの皇族の人に受験する人はいたっけな?と思いました。まあ、皇族ですから、神社に進物をしても何等不思議ではないです。
さて、お払い、玉串奉納、一式を終えまして、後は絵馬の奉納だけです。神社の中ほどに絵馬の奉納場所がありました。もういっぱいで、あまり絵馬をかける隙間がないほどです。全国からくるから数日で満杯でしょう。絵馬を奉納して証拠写真をとりました。確かに太宰府にいったという証明です。さて、太宰府の帰りにおみやげを買いました。冷凍食品なのでクール宅急便にしてもらいました。もう2時間近くたってまた駐車場にきました。駐車場で料金を受け取る人はいません。いちおう、箱があってそこにお金をいれてねと書いてあるので、料金を受け取る人が不在のときはそこにいれるのでしょう。私はもう支払っているのでそのまま、駐車場からでます。
ホテルは隣の筑紫野市です。一般道で行きます。そこで気がつきました。今回は1泊にで終えて、もう福岡とはおさらばしよう。そして一路、京都へ行こうと決心しました。コンビニによって、京都へ電話。滞在を1日、前倒しにしました。筑紫野市のホテルにはキャンセル料を払ってもまあいいかと思い、今度はホテル探しです。だいたい地図だとここら辺だと見ると、やっと発見。ホテルの駐車場へ車を停めました。ここまでの距離1265kmです。走った走った。
さて、ホテルで2泊から1泊にしてもらいました。キャンセル料はタダ。よかった!さらにホテルの自動販売機をみると、他のホテルと異なり、飲料の値段が外と同じ。しかも部屋は広さが違う。うーん。ここはいいな。テレビをみて、お!スケベ番組がタダ。まあ興味ないので関係ないですけど。それにしても、どうしてスケベ番組ばかりなのかね。ホテルの有料放送。たまにはアニメとか映画とかやらないのかな。
さて、夕方なのでまた近くを散策。電車が走っているのが見えました。九州でしか走っていない形の特急電車が見えました。電車の旅も良いなと思うことしきり。だって呑気にしていればいずれ目的地に着く。まあ、あえていえば荷物が重い程度です。なんならレンタカーという手もありますからね。
いやはや、この2日で、疲れましたね。今度は飛行機か新幹線でくるか。太宰府天満宮でなくて北野天満宮にしましょう。菅原道真が亡くなって最初に京都の北野の地に神社ができました。それが北野天満宮。これだけじゃ足りないかなと太宰府にも天満宮ができました。歴史的にいえば北野天満宮が古いわけです。そしてどちらも菅原道真を祭っています。京都ならお金もあまりかかりませんし、近いですからね。それと観光にも苦労することはありません。
今日は疲れたのでここでおしまい。
9月8日(日)
太宰府に行ったときのことをしばらくこれから書きます。まず、第1日目。7時30分すぎに自宅をでました。巻潟東インターから北陸自動車道に入りました。三条燕インターに近づくと新幹線が見えてきました。天気が良いので時速100キロ以上で走ることができます。今回は無理をしない旅行なので今日の宿泊地は兵庫です。600〜700キロというところでしょうか。長岡ジャンクションでは刈羽方面に行きます。ここは原子力発電所のある場所ですが、数日後、まさかあんな問題がでるとは気がつきませんでした。長岡ジャンクションを超えてしばらく走ると米山山が見えてきます。「ヨネヤマ山から雲がでーたー」という歌がありましたよね。標高約1000メートル、弥彦山より高い山です。米山インターの近くにくると風力発電所が見えてきます。プロペラはほとんど停止しています。いままで動いているところを見たことがありません。
新潟を走っているととにかく新潟は長い。半分の長さしか走らないのに他の県以上の長さがあるように感じます。親不知には親不知トンネルと子不知トンネルがあります。その間の橋脚は一部が海にでています。海の上を走っているわけですね。新潟から走行すると最初に子不知トンネルがあり、次に親不知トンネルがあります。これをすぎると富山までもうすぐです。越中境PAが見えたら、そこはもう富山です。朝日インターが富山にありますが、朝日という地名は新潟にもありますし、山形にもあります。調べてみると朝日町とか朝日村は全国に9箇所あります。富山はたしか高速道路の近くに飛行場があったと思います。「飛行機をみるな」という看板はたしか、富山インター付近ではなかったかと思います。きっと飛行機に見とれて事故った車が多かったのでしょうね。富山を過ぎてやがて金沢に入る。
金沢はやはり都会です。交通量も増えてきます。ビルも多く見えてきます。新潟のライバルはやはり金沢でしょう。金沢を過ぎると徳光PAがでてくるが、この徳光には大型のお店が併設されています。一般道からも来店できるので、混雑しています。もちろん、高速道路と一般道と直接行き来できません。とにかくこの日も暑い日でした。徳光で小休憩した後、金沢を後にしました。金沢の次には小松があります。軍民共用の飛行場がありますが、ちょうどジェット戦闘機が降りてくるところでした。車を運転している以上、そんなに長く見ることはできません。残念ですね。バスとかだったらゆっくり眺められたのに。
小松をすぎると温泉で有名な片山津が見えてきます。一度、ゆっくりしたいものです。さて福井に入り、だんだん米原に近づきます。敦賀にくると発電所だねと感じます。また、新日本海フェリーの出発点でもあります。これから歴史を感じさせる地名がでてきます。賤ヶ岳SAがありますが、ここで戦争があったんですね。また長浜インターがありますが、これも豊臣秀吉を思いおこさせるものです。戦国時代はここらへんが戦争のメッカだったわけですね。
米原ジャンクションに近づきますが、高速道路ではマイハラといい、新幹線ではマイバラといっています。統一されていませんね。米原ジャンクションでは高速道路のチケットを係員の人に渡します。料金は払いません。ここで経路情報を記入するようです。
米原をすぎると彦根インターです。ここは大老・井伊直弼の領地だったところです。名神高速道路は3車線のところもあり、都会の高速道路という感じです。交通量も格段に増えてきます。ここまで来ると京都はもうすぐそこです。ところがここで大雨が降ってきました。道路が冠水するような雨です。大型の車の後ろはしぶきでよく見えません。今回、タイヤを新品に交換しましたが、正解でした。いやーすごい豪雨ですね。これが、大阪までつづくのですから。そして大阪では道路が途中で左と右にわかれます。片側3車線だったのが2車線づつの二つの道路に分かれます。互いの道路には仕切りがあって行き来ができません。4車線道路ができなくて、2車線2本としたのですかね。といってもまたこの道路はつながって3車線にもどるんですけどね。
車がいっぱい走っていて走りにくい道路です。大都会、大阪の道路なので仕方ないですけどね。
さて、大阪から今回は中国自動車道をとおります。中国自動車道はガラガラですね。そして滝野社インターで高速道路を降りました。国道175号線(バイパス)を北上、西脇トンネルを抜けてすぐにバイパスから抜けます。そして、加古川の脇のアーバンホテル西脇に到着しました。長かったですね。このホテルの近くには加古川線というローカルの私鉄が通っています。新西脇駅にいってみましたが無人駅でした。また、染色工場があり、ロボットが動いていました。それにしても超田舎です。
9月6日(金)
山陽自動車道と中国自動車道を走りましたが、どちらか一本でよさそうですね。あまり距離も離れていないのに平行して走っているわけですから。政治的な理由でできた路線でしょう。中国自動車なんかガラガラでなんか不安な感じですね。また、高速道路は落し物が何回かありました。危険なので運送屋さんには注意してもらいたいです。
福岡を走行中、電光掲示板に「10km先、歩行者に注意」と出ていました。どうも高速道路を歩いている人がいるようです。危ないですね。たぶん、パトカーがお迎えにいくのでしょうが、そのまま精神病院に直行コースかもしれません。
クマさんが電柱に登って感電死しました。電柱の電圧は6600Vです。絶縁被覆されているのですが、クマさん、電線かじったみたいです。ところでこういうクマさんみたいな巨大な物体はどう始末するのでしょうね。残念ながらネコ先生もわかりません。
9月4日(水)
九州の太宰府天満宮に行ってきました。それにしても暑かったですね。無事、絵馬を奉納してきました。お払いや玉串もやってきました。みんなのために御札やお守りをもらってきましたが、私用には大きな木の御札をもらってきました。長さ30センチはあるなという御札です。こんなでかい御札は始めてです。予備校とかが購入されるようですが個人ではめったにいないようです。
それにしても疲れた。往復2600キロはつらいね。