随想: 個性は伸ばすものか活かす(生かす)ものか
 アップ:平成21年12月12日(土)
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■私は現時点では、「個性を生かして(活かして)、意識的には普遍性を追求する」というのが、いいと考えています。「個性を伸ばす」という表現も、定義次 第ではOKなんですが、わたしはこの点については養老さんの考え方がいいとおもっていて、個性はあくまで先天的にそなわった肉体的特徴ではないかと思って います。背が低い、髪の毛がはげてる、短足とか、そういう特徴。あるいは能力的な得手不得手も個性で、これは経済学的には「比較優位」ともいえましょう。 「比較優位」も、個性ではないでしょうか。どちらかというと音楽が得意、あるいは運動のほうが得意、数学より英語のほうが得意とか、そういうのも、個性で しょう。能力のほうの個性は、カラダの特徴の個性よりは、弾力性があって、変化させられましょうが、それでも、おおきく得意、不得意という特徴は残ると思 うのです。学校の成績については、不得意分野もがんばらないといけないにしても、社会にでるときの職業選択は、なるべく得意分野を選ぶのが普通だと思いま す。そのような職業選択において、個性が活かされるといえましょう。
■個性を「活かす」ことが大事だと思うのです。自分の個性を活かして、あることを選択する。野球なら野球を選択する。たとえば慎重170cmしかない小柄 な野球選手がいるとする。その背の低さを活かして、野球をする。昨日だったか、引退宣言をされた阪神の赤星選手。個性的な選手といえますが、彼が練習で追 求するのは、普遍的なテクニックだと思うのです。癖はなくすか、減らすようにするのではないか。
■私は音楽とくにフルートのCDの購入で、これを痛感しました(『リオのビーチから経済学』にも書いた)。「個性のある演奏」とかいうコピーにつられて、 買ってきくと、癖があって、長く聞けない。歴史の残る名演奏って、ききやすい。演奏家や指揮者の個性や癖を出すのではなく、作曲家に忠実に誠実に演奏して いる。自然で誠実な演奏。これが一番聞きやすく、名盤として残る。自分の勝手な解釈を前に出し過ぎる演奏は、どうも、途中で嫌になってくるのです。むろ ん、誠実な演奏も、幅があって、その幅の範囲で、演奏上の解釈の違いはありますし、みながみな、同じ演奏にはなりません。個性を「活かした」演奏は、おお いに結構です。たとえば、ジャズ・ボーカルで、だみ声の名手がおられます。だみ声という、すごい個性を活かしてる。でも音程は、よく聞くと、正しいように 思う。あるいは普遍的な意味で素敵だといえる範囲での、音程のズレがあるのかもしれないが、それは計算されたズレではないか。だみ声という個性を活かしな がら、正しい音程ないしは計算された音程という「普遍的な美」を追究して、歌われると思うのです。
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■個性や癖は、嫌うものではなく、否定的にとらえるものでもなく、積極的に活かせばいい。また自分にどのような個性や癖があるかを、知ることも、大事だと おもいます。それを活かしつつ、しかしのばすべき能力は、やはり普遍的・一般的な性格をもっているのではないでしょうか。水泳でも、たしかに人によって、 特殊な練習方法をとりいれると思う。それを個性的練習方法といえば、そういえるが、実は本人なりに、普遍的理論をさぐりあてて、それにしたがっているので ないか。「個性的な練習方法」とみえるものの中に、実は、普遍的一般的な方法が潜んでいると思います。
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■そもそも「個性を伸ばす」といった場合、それが一体何を意味するか、難しいように思うのです。「個性を伸ばす」といっても、結局実際に個人が意識してい るのは、普遍的な何かではないでしょうか。つまり、「個性を伸ばす」という言葉の意味を分解すると、「個性を活かして、普遍的な何かを追求している」とい うことだと思われますが、いかがでしょうか。
■とくに大学で教えるべきことは、やはり普遍的なことがらだと養老孟司さんの意見に、賛成してます。(私は養老さんのすべてに賛成ではなく、この点に限定 して賛成です)。これは、経済学というより、理学部や工学部や医学部を念頭において考えてみましょう。たとえば医学部では、普遍的一般的な治癒方法を模索 しているはずです。大学や学術機関が求めているのは、一般的普遍的真理なんですね。もっとも一般的な叙述方法は、養老さんにいわせると、数学らしいです。 全世界で通用しますからね。
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■小学校の教育で重要なのは、子どもひとり一人の個性を、大切にする。わるいとか、いいとか、特徴付けない。背の高い人、低い人、どちらがよくて、どちら が悪いとか、ない。個性や、違いを、尊重するという精神を、こどもに教えることが重要だと思います。つまり個性に優劣をつけないことが大事でしょう。この ように個性は、大切にし、また活かすもの。それを「のばす」といってもいいのですが、でものばしているのは、実は個性ではなく、普遍的な能力だと思うので す。日本社会の場合、とくに子どもの間では、個性に優劣をつけてしまう傾向があるかもしれません。子どもたちへの説明としては、「個性を伸ばす」というほ うが、わかりやすいのかもしれません。
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■「個性を活かしながら、普遍を追求する」といったとき、では全体がクローン人間みたいになって、集団の多様性が喪失されないか。この点は、どうか。
■お医者さんは、同じ処方をすべきですね。普通の風邪引きなら、PL(内科でよく処方される総合感冒薬)を処方するとか。医学部では同じ手術法を学ぶ(技 術の優劣はあるだろうが)。でも医師の個性は、100人いれば100人とも、異なります。フルートも、自分の勝手な解釈ではなく、普遍的に美しいという演 奏法を目指す。でも結果的に一人一人、まったく音色(ねいろ、おんしょく)が異なります。これは楽器の材質が違うし、口の中の構造も異なるからでしょう。 個性があって、多様性が生じます。だから、全員に普遍的な美や真実をもとめるように指導しても、結果として学生集団がクローン人間の集合みたいになること は、ありえない。
■みなさんの卒論も、一人一人、課題が異なる。個性を反映しています。でも、書き方は、勝手な構成では駄目で、論文についての一般的、普遍的ルールにした がって、書く。起承転結、注のつけかた、参照文献へのリファーの方法など、universalなwriting methodにしたがいますね。その点では、全員同じであってほしいのですが、しかしできあがる卒論そのものは、まったく異なります。大学教師は、理想的 には、みなさんに、普遍的・一般的な卒論の構成方法を教えています。
■このように、卒論で真理の追究をしていても、結果的に真理のクローン論文ばかりになることはなくて、一人一人、多様で個性的な作品が並ぶことでしょう。 一人一人の個性がいかされて、ある集団が多様であることは、重要です。普遍を追求することが、全体主義や単一のクローン人間の集団みたいな状況に結果して はいけないし、実際にはそうならないはずだと思います。
 いかがでしょうか。
 以上素人談義の域を出ませんが、考える契機としてくださると、幸いです。