東京都

宝来山古墳(ほうらいさんこふん)
・東京都大田区田園調布4-4
・4世紀前半
・都指定史跡(大正15年4月/平成8年3月)

 多摩川台左岸に位置する地域最大規模、最古の前方後円墳。全長約97メートルで、この地域最大規模をはかる亀甲山古墳(全長約107メートル)の前方部と向き合う位置に造られています。
 後円部から粘土槨が発見され、四獣鏡、紡錘車形碧玉製品、玉類、剣などの武器類が出土。その後の調査で前方部にも埋葬施設があると推定されています。
 この多摩川下流域の左岸地域には数多くの古墳があり、亀甲山古墳、浅間神社古墳、多摩川台古墳群、野毛大塚古墳、御岳山古墳、観音塚古墳など、4世紀から7世紀まで広い範囲にわたって古墳が築造される地域です。

亀甲山古墳(かめのこやまこふん)
・東京都大田区田園調布1-63
・4世紀後半
・国指定史跡(昭和3年)

 大田区から世田谷区にかけての古墳群の中で最大の前方後円墳。全長は約107メートル。墳丘の実測以外は調査されておらず、詳細はわかっていませんが、墳形から宝来山古墳より新しい古墳とされ、宝来山に次ぐ世代の首長墓であるとされています。

野毛大塚古墳(のげおおつかこふん)
・東京都世田谷区野毛1-16
・5世紀前半
・都指定史跡(昭和50年3月)

 全長82メートルの三段構築の帆立貝式古墳で、河原石の葺石が施され、各段には埴輪がならべられています。また4つの埋葬施設があり、第一主体部(割竹形木棺・粘土槨)→第二主体部(組合式箱形石棺)→第四主体部(箱形木棺)→第三主体部(箱形木棺)の順。第一主体部がもっとも古く、副葬品も豊富で、とくに三角板革綴衝角付冑と長方板革綴短甲、頸甲、肩甲がセットで出土したの稀で、古墳時代中期初めに畿内で定型化した甲冑の関東おける最もはやい出土例とされています。このほかにも、刀剣、鉄鏃、鉄鎌、銅鏡、、玉類、石製模造品など多種多様の副葬品が出土しています。
 第二主体部からも豊富な副葬品が出土しており、とくに石製模造品については群馬県・白石稲荷山古墳の内容と類似しています。また、第一主体部同様、甲冑が群馬県・鶴山古墳との類似が想定されていて、当時の関係が窺えます。
 現在では墳丘は整備され、埴輪列が復元されいます。が、写真を見てわかるとおりすっかり子供遊び場に。これなら被葬者も寂しく思わずにいれるのではないでしょうか(笑)
 右の写真は造りだし部分です。造りだし部と前方部の間からは焼土も見つかっており、当時の様相を窺うことが出来ます。

    

多摩川台古墳群(たまがわだいこふんぐん)
・東京都太田区田園調布1-63/4-3
・6世紀前半〜7世紀中葉
・都指定史跡(平成12年3月)

 まず6世紀前半に第2号墳が築造され、6世紀第3四半期に入り、2号墳を前方部として利用して第1号墳を後円部とする全長約39メートルの前方後円墳が築造される。横穴式石室で、墳丘には埼玉・生出塚埴輪窯跡産と推定される円筒埴輪や形象埴輪が並べられていたとされます。
 その後第3号墳から8号墳までの円墳(全長約13〜19メートル)が7世紀中葉まで継続して築造されます。また、第4号墳と第5号墳の間隔が他と比べ大きく、埴輪の有無などもあわせて、第1〜4号墳と第5〜7号墳のグループ形成が想定されています。第8号墳はもともとは9号墳で宝来山古墳に近く第1〜7号墳とは谷を挟んで向かい合っています。
 写真は第1・2号墳を東側から写したものです。

 

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