埼玉県

古里古墳群(ふるさとこふんぐん)
・埼玉県比企郡嵐山町古里
・6世紀前半〜7世紀代
・昭和49年に埼玉県の重要遺跡として選定

 6世紀後半を中心に築造された古墳群ですが、当時は78基の円墳が存在したとされていま。しかし、現在残っている数は52基とされています。当古墳群は10の支群に分けられており、尾根西・尾根・駒込・上土橋・北田・清水・二塚・上耕地・神山・藤塚と名づけられています。尾根や駒込の支群は宅地化や開墾等でかなり湮滅していますが、上土橋、二塚など山林内の支群にはまだ墳丘が残っているようです。また古里古墳群は、谷を挟んだ東側に位置する江南町の塩古墳群(4世紀〜7世紀前半)の一部であるとするかんがえもあるようです。
 ここは大学1・2年次によく友達と表採に来ていました。特に駒込支群には。ここの畑の持ち主のおじいちゃんがいい人で、畑の中に入ってよく埴輪とか拾ってましたわ。あと、すっげー田舎くさいところなんで、いるだけで落ち着きます。まさに「古里」(笑)
 写真は、左側が駒込支群第6号墳。右側が駒込支群の遠景の一部。写っているのは第18〜21号墳があったあたり。

          
権現坂埴輪窯跡(ごんげんざかはにわかまあと)
・埼玉県大里郡江南町大字千代732-1他
・6世紀中葉〜末
・町指定史跡(平成10年2月10日)

 遺跡ほぼ中央に南北方向に谷が走り、それによって東群と西群に分けられています。また、窯跡以外にも粘土採掘坑2基と埴輪製作の工房跡と思われる竪穴住居跡6基が確認されており、粘土採掘から製作・焼成に関わる埴輪製作関連遺構が存在する重要な遺跡として扱われています。
 窯跡は東群に7基(4基は詳細不明)が確認されていて、円筒埴輪、朝顔形埴輪の他、形象埴輪も多数確認されています。西群は12基確認され円筒埴輪が確認されています。
 また、当遺跡から西に約1キロのところには姥ヶ沢埴輪窯跡があり、8基の窯跡が確認されていますが、現在はゴルフ場になってます。
 写真は権現坂埴輪窯跡西群のあたり。窯跡がはっきり確認できなかったので適当に写しました(笑) 夜、一人では来れない雰囲気でした…

五厘沼窯跡(ごりんぬまかまあと)
・埼玉県比企郡滑川町羽尾
・6世紀末〜7世紀初頭
・県指定史跡(昭和55年3月29日)

 古墳時代後期に造られた県内最古の須恵器窯跡。斜面を使い、岩盤をくりぬいて造った登り窯で、幅2〜2.5メートル、高さ1.5〜1.7メートル、長さが現状で15メートル、斜度は約15度。
 出土遺物は高坏、坏、蓋、提瓶、甕、平瓶、壷、高台付壷、摺鉢などの破片です。よってこれらを生産していた窯と考えられています。また、須恵器を焼くたびに窯を改修したとされるこん跡も残っていますが、全体の操業回数は数回であるとされています。

大谷瓦窯跡(おおやかわらかまあと)
・埼玉県東松山市大谷2192-1
・7世紀後半〜8世紀初頭
・国指定史跡(昭和33年10月8日)

 各地で国分寺などの建立が進み、瓦が生産されるようになった時期にこの大谷瓦窯後も造られたとされます。傾斜地を利用して穴を掘り造られた登り窯で、全長約7.6メートルで斜度30度。焚口は幅約60センチメートルで瓦を立てて補強されています。また、全体的に補強工作が慎重にされています。
 昭和30年に2基が調査されうち保存がほぼ完全であった1号窯跡が保存されています。遺物は平瓦を中心に、軒丸瓦、丸瓦、文字瓦などで、その他に蓮華文の瓦当1個などが出土しています。

亀の原窯跡群(かめのはらかまあとぐん)
・埼玉県比企郡玉川村玉川字日野原880-1
・9世紀代
・県指定史跡(平成13年3月16日)

 平安時代の周辺の窯跡群の中では最大規模を誇る窯跡群で、現在までに9基が確認され、A群(3・7号窯跡)とB群(1・2・4〜6・8・9号窯跡)に分かれています。斜面裾部には作業場があり、東側斜面上の平坦部には工房集落である篩新田(ふるいしんでん)遺跡があります。
 昭和32・33年の調査で須恵器、瓦を生産した瓦陶兼業窯であることがわかっています。須恵器では坏、碗、皿、鉢、甕、短頸壷、長頸壷、円面硯など多種多様に出土しています。また、瓦では武蔵国分寺七重塔再建時の素弁八葉蓮華文軒丸瓦などが出土しています。
 写真左が5号窯、右が4号窯だったと思います。

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