神奈川県

長柄桜山古墳群(ながえさくらやまこふんぐん)
・神奈川県逗子市・葉山町
・4世紀中ごろ〜後半
・国指定史跡(平成14年12月)

 神奈川県内で現存する古墳の中では最大級で、ほぼ完全な形で残っています。
 第1号墳(写真左)は前方後円墳で、全長が90メートル。後円部北側の一部が崩落しているものの、保存状態は良好。これまでの調査で古墳周辺から壷形埴輪や円筒埴輪が出土しています。また、後円部墳頂からは東京湾や房総半島が見えます。写真は西側のくびれ部。奥が後円部です。
 第2号墳(写真右)は第1号墳から尾根沿いに西へ5分ほど歩いたところにあります。同じく前方後円墳で全長は88メートル。保存状態も良好です。第1号墳同様、壷形埴輪や円筒埴輪が出土しているほか、葺石が確認されており、関東では珍しい例です。写真は後円部で、奥が前方部です。前方部にはちょっとした展望台が設けられており、相模湾や江ノ島、条件がよければ富士山も見えます。古墳興味がなくてもハイキングのコースとしても結構いいところですよ。 

     

加瀬台古墳群(かせだいこふんぐん)
・神奈川県川崎市幸区北加瀬
・5世紀前半〜7世紀代

 夢見ヶ崎公園と、夢見ヶ崎動物園内に9基の古墳が確認され、現在は7基(第2〜4・6〜9号墳)が残っています。また、丘陵西側の小丘陵付近にはかつて白山古墳と第六天古墳が存在していましたが、現在では湮滅しています。
 加瀬台古墳群第1号墳はすでに湮滅しており詳細は不明ですが、埴輪片が見つかったとされていて、6世紀代の築造と考えられています。第2号墳は23メートルの円墳ですが詳細は不明です。第3号墳(写真右)は円墳で横穴式石室が開口しています。石室の形態から7世紀前半と考えられています。第4号墳は了源寺境内にあり、了源寺古墳とも呼ばれています。30メートル以上の円墳で、一仙五獣帯鏡、盤龍鏡、鉄斧などが出土しており、5世紀前半の築造と考えられています。第5号墳は湮滅しており詳細は不明です。第6・7号墳についても詳細は不明ですが円墳です。第8号墳(写真左)は24メートルの円墳で、土師器などが出土しています。5世紀中葉の築造と考えられています。第9号墳は25メートルの円墳で横穴式石室が確認されていますが、遺物は伴っていません。築造時期は7世紀代と考えられています。
 湮滅した古墳のうち、白山古墳は全長87メートルの前方後円墳で、前方部から1基、後円部から3基の埋葬施設が見つかっています。うち、後円部の木炭槨からは京都椿井大塚山古墳と同笵である三角縁神獣鏡が出土しており、畿内との関係が注目されています。また、他の埋葬施設からも豊富な副葬品が出土しています。築造時期は4世紀後半とされています。
 余談ですが、夢見ヶ崎動物園は無料です。そのわりには多種多様の動物がいます。非常にお徳です。ぜひ近くにお住まいの方は一度行ってみることをオススメします。で、気が向いたら古墳でも見てみてはどうでしょうか。

             
富士見台古墳(ふじみだいこふん)
・神奈川県川崎市高津区子母口
・年代不明

 現在は公園内に保存されていますが、道路に面した部分が大きく削られ、墳形もややくずれてしまっています。現在では直径約17.5メートル、高さ約3.7メートルですが、築造当初はもっとおおきな円墳であったとされています。
 また、近くの橘樹神社には日本武尊と弟橘媛の男女2体の神体が祀られており、それに関する社伝や、『古事記』の中に富士見台古墳を示すような事が書かれていることから興味深いものとされています。
 しかし古墳自体は詳細が不明で、よくわかりません。この古墳はえらい高台にあるので景色はすごくいいです。それだけでした。

西福寺古墳(さいふくじこふん)
・神奈川県川崎市
・5世紀後半〜6世紀中葉前後
・県指定史跡(昭和55年9月)

 梶ヶ谷第3公園内に存在する約31メートルの円墳。景観整備時による墳丘周辺の調査で幅6〜7.5メートル、深さ約80センチの溝が確認され、円筒埴輪や朝顔形埴輪、形象埴輪などが出土しています。
 本格的な調査がされておらず、詳細は不明ですが、埴輪の特徴や横穴式石室の存在が推定されていることなどから年代観が与えられていますが、幅が広いです。墳丘の内部調査が待たれます。
 「墳丘に入らないでくさい」の看板があり残念…

馬絹古墳(まぎぬこふん)
・神奈川県川崎市宮前区馬絹
・7世紀前半
・県指定史跡(昭和46年12月)

 馬絹神社裏にある約33メートルの円墳です。西福寺古墳と並んで梶ヶ谷古墳群を代表する古墳ですが、西福寺古墳と違い、内部主体が調査されており、全体が3部屋に分けられた全長9.6メートルの大型の横穴式石室が使われています。この石室の形態から7世紀前半の築造とされていますが、7世紀後半とする考えもあるようです。
 石室内はすでに盗掘を受けており、副葬品は見つかっていません。しかし、鉄釘が79本も発見されており、複数の棺があったと推定されています。
 ちなみに古墳には柵がめぐらされており、立ち入ることは出来ませんでした。

駒岡古墳群(こまおかこふんぐん)
・神奈川県横浜市鶴見区
・6世紀中葉〜後半

 矢上川と鶴見川が合流する地点にある独立した小丘陵の北端と南端に1つずつ古墳があります。また、現在では削平されていますが、この丘陵の北側にもかつては小丘陵があり、そこに駒岡瓢箪山古墳(20メートル・円墳)があったとされています。さらに、少しはなれたところにある兜塚古墳を加え、駒岡古墳群を形成しています。兜塚古墳は約30メートルの円墳で、6世紀中葉の築造と考えれています。勾玉や耳環などが出土しています。
 丘陵北端に位置するのが駒岡堂ノ前古墳(写真左)で、全長25メートルの前方後円墳です。内部主体は未調査ですが、墳丘から円筒埴輪や形象埴輪が見つかっています。これらの埴輪の特徴から6世紀中葉の築造とされています。
 逆の南端に位置するのが駒岡山野古墳(写真左)で、墳形は不明です。詳細についても不明です。
 この古墳がある丘陵には横穴墓もありますが、いかんせん案内板とかがどこにも見当たらないのです。ここに古墳があると知っている人はほとんどいないのではないでしょうか。堂ノ前古墳まで登るところには階段つけられていますが、「展望台」という看板しかないです。もはや古墳ではありません(笑) 右側の写真は堂ノ前古墳の墳頂から加瀬台古墳群を見た風景です。

    

 

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