家族教室での体験発表
支援センターメンバー中島洋司
(原稿より)
皆さん、こんにちは。私はほびき園土浦サテライトと、土浦共同作業所に通っている中島洋司と申します。私は17歳の時、友人関係の悩みと受験勉強のストレス、そして高校3年の冬、交通事故で右手を骨折して受験を見送ることになり、焦りや怒り、そして悔しさで自分をコントロール出来なくなりました。最初は通院していましたが、高校生活最後の国語の授業中に、いきなり「喝!」と叫んでしまったり、学生カウンセリングで大声で校歌を歌って、隣の職員室から先生たちがビックリして飛び出して来て私をなだめる出来事もありました。そんなある日、些細な事で腹が立ち、周り人間全員に対して被害妄想が起きて母のほほを平手でたたいてしまい、ついには統合失調症で精神科病院に入院しました。入院した初日に医師から「精神分裂病」と告げられ、その病名の無意味さに、私の自信は根こそぎ奪われました。それから、この病院と24年付き合っています。
今の生活は週4日、土浦共同作業所で社会復帰を目指して訓練を受け、水曜・土曜はサテライトでくつろいでいます。家に帰れば家事手伝いをして、自分の時間ができると何時間でも散歩をしています。また最近では本も読めるようになりました。作業・家事・読書・散歩・人間関係の5つの習慣をバランスよくこなせる様に努めています。
作業所では、速く・正確に・美しく仕事をこなす様に心掛けています。工賃は少ないけれども、私は社会復帰を目指しているので訓練になります。指導員さん達は厳しいことを言いますが、その一言一言が私の心の中にストーンと入って来ます。よく叱られますが、私達のことを思ってくれているので有難いです。
一日通しで作業をするには、気力・体力・知力がまだ私には足りないようです。今すぐ就労する時期ではないように思います。でも、今の自分の実力を認識できる様になったことは私にとって大変進歩だと思います。以前の私だったら、作業所で寝てばかりいたのに、焦って就労して一日で会社を辞めてしまうことを繰り返していました。今は焦らず、怠らず、諦めずに就労の支度をしている自分を「大分、現実的になったな。」と誉めています。これからも指導員さん達には、厳しく鍛えて頂きたいです。
ただ、ここで私には大きな悩みがあります。発病してから24年間とブランクが長かった為、自分が何をやりたいのか、どんな仕事が自分に向いているのかを考える余裕がなかったことです。男として生まれて来たからには、一生涯を貫く仕事をしたい。自分の汗を流して社会に何らかの利益をもたらしたい。そういう仕事をすることに男の真価が問われる、とも思っています。もちろん、身体・知的・精神の3障害で、その障害の度合いによっては仕事が難しい方も沢山いらっしゃいます。現在は社会復帰という言葉より、社会参加という表現に変わって来ているほどです。
しかし、これは私の妄想かも知れませんが、私は広い家、マイホームを建てたいという夢があります。時既に遅しと思いますが、家族を住まわせてあげたいのです。特に、これまで経済的にも精神的にも苦労をかけて来た両親には楽をさせてあげたいと願っています。仕事をする!そして自分が完全燃焼できる仕事とは何か?それを探し続けています。
次に家事ですが、料理は出来ないけれど、食器類の後片付け、洗濯物を干したり、取り込んだり、布団干し、重たい物の買い物、ゴミ出しなどが私の仕事です。自分では当たり前と思ってやっていても、いつも母と姉から「有難う。御苦労様。」と言われるので、照れ臭いけれど、嬉しくて張り切ってしまいます。家族も私の気持ちを察しているようです。また、家事を終えた後というのは、自分の中で達成感が味わえるのです。本当は人に感謝されるのを期待するのではなく、自分の成長の為なのです。目には見えないことですが、家の中でやるべきことをこなしていくことは自身につながっていきます。
読書は、仕事・恋愛・人生など避けては通れない問題を綴ったものを貪り読んでいます。人間関係は、実際に人と接することで学べますが、そこで悩んでいる事柄の答えが本には書いてあるので、自分の気持ち確認することができ、大変充実しています。ただ私には自分の部屋がないので、落ち着いて読書できる場所がなかなか見つからず苦労しています。
散歩は、週4日、作業所の行き帰り一時間半。また週3回、土浦駅近くの自宅からLALAガーデンつくば迄、土浦学園線をひたすら歩き帰って来ます。時間にして5時間20分歩いています。この散歩のお陰で、去年8月に81キロあった体重が、今では70キロありません。散歩は、程良い汗をかき、景色も楽しめるし、それに頭の中の悩み事が整理整頓され、心身共に無理のない健康法だと思います。
また、人間関係が充実していることで私の病気の回復につながっています。30歳位迄は一人ぼっちでした。中学・高校の友人は私の病気を知って私から離れてしまいました。それはとても淋しい思いでした。そんな私が作業所に通うようになって同じ病気の痛みを持っている仲間と出会えました。私は野球が好きなので、最初に仲良くなった10歳以上年上の男性と2人でキャッチボールを始めたのがきっかけで、この10年間野球の練習を週1回続けて来ました。女性も多く参加し参加し、多い時で15人を超えた日もありました。この野球から始まり、お茶会・お食事会・カラオケ大会と、男女グループで週末の楽しい過ごし方を覚えました。指導員さんも「無理なく楽しんでね。」と応援してくれています。私達は、なるべくお金をかけないで楽しんでいます。
ただ、残念なのは、この10年間で人の好き嫌いの問題が起きてしまい、「あの人が参加するなら私は行かない。」という人も出て来てしまいました。全員が勢揃いすることは今では難しいです。人間関係が如何に難しいかを学びました。私も、人と接していると、自分が如何に愚かで器が小さいかを思い知らされて、もっと自分を磨こうと努力しています。
やはり、私達当事者は外に出たほうが良いのでしょう。人の、ど真ん中へ飛びこんで行くべきです。人間関係が一番大事だと私は思います。人と接すれば楽しい事、嬉しい事があると共に、傷つく事も沢山あるのも現実です。こういう時、後ろ向きになるのが私達の病気の特徴ですが、人生の本当の醍醐味は、その傷をバネにして、その傷から何を学び、自分の成長に生かしていくものだと思います。私は、これからも勇気を出して人の輪へ飛び込んで行くつもりです。
話は変わりますが、私がこうして体験発表をするのは、これで4回目です。水戸の県民フォーラムでは2回司会をやらせて頂きました。その出来、不出来は別として、人前で話をするのには相当なエネルギーを使います。度胸がつきます。自分の出番が近づいてくるとドキドキしますが、いざ始まると案外やれるものです。初めて「やれ。」といわれた時は「とんでもない!嫌だな。」と思いましたが、やり終えてみて自分の自信につながっています。それから、作業所の研修旅行連れて行ってもらったり、サテライトのバーベキュー大会で御馳走をして頂いた事など沢山ありましたが、今思うと、やはり司会や体験発表などの役割を任せて頂いたことが訓練になり、一番感謝しています。
次に社会への要望があります。私達、精神障害者が一般の会社に就職するのは至難の技です。たとえ病気を隠して入ることができても、病気が分かってしまったら即、解雇という苦杯もナメてきました。仕事に就けないので経済力がありません。日本の福祉制度がもう少し進んで、就労障害者枠を拡げて頂きたい。その為には私達当事者とその家族、また関係者の方々の草の根の活動を続けて行くしかありません。
特に私達当事者が、もっとこの病気を勉強して現実を直視し、心を磨き、実力を付けていくしかない。そして私自身に言えることは、闘病生活で学んだ事柄を今度は行動に移していく。将来が見えなくても、今の自分の置かれた立場に全力で取り組み、道なき道を切り開いていく勇気を出すことが大事だと思います。
次に生きがいについてお話します。私は物心ついた頃から絵を描いていました。絵が本当に大好きです。小学校から高校迄、美術の成績は5段階評価なら5。10段階評価なら10を通して来ました。私はガリ勉タイプでしたが、定期試験を終えると、自分に褒美として、一日中、絵を描いていました。今でも本屋に行くと、美術コーナーに足を運んでしまいます。しかし最近は、もう一つ興味のあるものがあります。それは文学です。私は、人間とは何か、自分とは何かと悩み、答えを求めて文学に飛び付き、ワラをもつかむ思いで読みます。文学は私の期待に応えてくれます。昔の私だったらすぐ人に聞いたものでしたが、それは他者依存だと知って以来、本を読むことにしたのです。本の力はすごい!自分の心に刺激を与えてくれます。文学には希望があり、勇気が湧き、知恵が磨かれます。是非皆さんにも文学をススメたいです。私の学生時代、教科の中で一番嫌いだったのが国語ですが、今では国語がこんなに面白かったのか。若いうちにもっと読んでおくべきだったと後悔する程です。一冊ずつ読み終えると、何とも言えない満足感を覚えます。先輩は、「本というのは読むだけでは駄目だ。読んだ内容を実行するのだ!」と教えてくれました。その通りだと思います。読んで感銘したら、一つだけでも実践できるよう努力する。今では私にとって本を読み進めていくことが生きがいになっています。
最後になりましたが、先日、知的障害者のメンバーさん達が自分達で映画を制作するドキュメンタリーをテレビで見ました。メンバーさん達は一生懸命にカメラを操作していました。途中で音響が上手くいかずパニくるシーンもありました。そして慣れない口調で、出演者にインタビューまでするのです。私は思いました。「障害者でもこんなに精一杯生きている。人間の幸福というのは外見的な華やかさではない。健常者のエリートでも、卑怯な手を使って罪人になる愚かな人もいる。人間にとって一番大事なものは心だ。」と。
私は人間にとって一番大事な心の病になりました。でも、もしかすると、これは天が自分に与えてくれた試練ではないかと考えるようになりました。確かに発病当時は大変でした。家族にも心配されて来ました。しかし、私が経験した苦悩は、私の心を癒してもくれています。発病するまで利己的だった私が、人の痛みや悲しみに同苦できる自分に変わっていました。私は、これからも、この病気で縁した人達と友好関係を続け、私にしかできない、私の役目を果たすべく、今を全力で努力していく決意です。ご清聴ありがとうございました。
第3回精神障害者家族教室
土浦保健所保健指導課主催で、平成18年2月16日と平成18年2月27日に阿見町総合保健福祉会館で行われた。ほびき園からは、2月27日に中島氏の体験発表の他、支援センター施設長海崎真知子が「精神障害者を支える保健・福祉制度〜障害者自立支援法との関連〜」という演目の講演を行った。