4月2日の日経新聞の記事から(いただいたファクスを山崎が打ち直しました)
「私の履歴書」A  −研究所に配属−   鈴木敏文

 東京出版販売(現トーハン)には1956年(昭和31年)4月に入社した。翌月の社内運動会。私は高校時代の陸上選手経験を買われて百メートル走に出場し、11秒8の社内新記録を樹立。会社の陸上部に誘われ、入部する。
 一方、仕事では地味な実地研修をこなす毎日が続いた。最初の部署は返品係だ。書店から返品される本を仕分けし梱包して版元に送る。次は店売係。直接本を買いに来る近隣の書店の対応をする。どちらも出版社の名前と本や雑誌の特徴を覚える実習だった。
 閉口したのは毎朝一時間みっちり行われるそろばんの練習だ。高卒組は珠算二・三級を取得済みで二級、一級へと進むが、私は三級も取れない。
 学卒組でその日の成績トップには帰りにビールをジョッキ一杯ずつ仲間におごらせ、二番手にはつまみ代を持たせた。私は一度もおごらず、「おれたちはそろばんをやるために入ったんじゃない」などと負け惜しみを言っていた。
 四角四面で堅苦しい会社に入ってしまったな。そう思っていると六ヵ月後、出版科学研究所への辞令が下りた。東販が出版業界の近代化を図るために設立したばかりの調査研究機関だ。
 当時の出版業界には統計がほとんどなかった。どの分野の出版物がどのくらい出ていて、どんな読者がどう受け止め、どのような出版物を求めているか、データを収集分析する。ゼロから始める仕事だ。
 第一歩を踏み出した私は、ここで経営における二つの重大な視点を体得することになる。統計学と心理学だった。 
  ※中略
 七年半の東販時代の後、大きくかじを切り、イトーヨーカ堂へ転じる。ただ流通業をやりたかったわけではない。現在、縁あって私はトーハン副会長も務める。もしそのまま会社に留まっていたらどうなっていただろう。人生は巡りあわせが多分にある。
 もともと計算ずくの生き方が不得意で。振り返ると結構行き当たりばったりの生き方をしている。ただ直面したことにはその都度、懸命に取り組んだ。この生き方は多分に私の子供時代に培われたように思う。(セブン&アイ・ホールディングス会長)

コンピュータも無い時代、そろばんが出来ないと大変な時代があったということですね。そろばん塾の隆盛期でもあったわけです。 M山崎